2008年5月 7日 (水)
上意下達と下意上達がなければ遣り甲斐は生まれない
アメリカのAT$T社の製造部門でウエスタン・エレクトリック社がシカゴに持っていたホーソン工場で従業員のヤル気がなくなり欠陥商品が増加して返品の山を築いてしまった。工場長は労働環境をチェックしたが給与面でも福利厚生施設面でもライバル工場より優れていた。報告を受けた経営者は困ってハーバード大学に調査を依頼した。
従業員に聞き取り調査をして、1、従業員全員、自分がやっている仕事の目的を知らない。2、自分たちの仕事が地域社会や会社のためにどのように役立っているのか知らない。3、貢献度や寄与度に応じた評価基準が知らされていない。という結果を得た。つまり、従業員全員が何のために仕事をしているのか全く分からない状態だということに気がついた。
ハーバード大学のメーヨー教授は二つのことが必要だと診断した。ひとつは上から下へのトップダウン(上意下達)もうひとつは下から上へのボトムアップ(下意上達)で、この二つの連絡網がキチンと機能していない=コミュニケーション不足であることが仕事へのヤル気を削いでいることを教えてくれた。不都合な真実であっても上に報告することが大切なのだ。
部下に必要な情報を伝えないでこれだけにしようと制限を加える。上司に現場の情報を制限して伝えるなどということがあった場合、業績は必ず悪化する。僕の会社でもこうした情報操作が行われていたことがある。そのために全員が苦しむ事態に陥ったが、その原因はこうした情報操作だった。面白いことに情報操作している幹部ですらそのことで苦しむという皮肉を生んでいた。
2008年5月 6日 (火)
人と接する幸せ
僕は人と接するのが大好きでテレビを見ているよりも人と話をする方が好きだ。テレビは多くの情報を与えてくれるが人はその人が感じたモノを僕に与えてくれる。人はそれぞれ感じ方が違うのでその人の感じ方を知るとそうした感じ方もあるのかとちょっと不思議な感覚を覚える。多くの人は多くの感じ方を教えてくれるので人との出会いはとっても好きだ。
テレビやパソコンはたくさんの情報を与えてくれるが、時間があれば静かに何もない部屋で明かりもなく音もなくひとりでボーッと深く静かに考える時間が好きだ。そんな時間が考えをまとめてくれるし閃きもある。瞑想というにはおこがましいし熟慮というほど頭を回転させていない。人と会っている時間とひとりでボーっと考えている時間が交互にあって僕は自分を保っているように思う。
2008年5月 4日 (日)
長く生きることより充実した中身が大切
僕の父は死期を悟ってからは心静かにベッドで横になり、妻に「これで最後だからタクシーを呼んで欲しい」と言って病院の先生に痛み止めの注射を打ってもらって永眠した。愛される喜びを感じた日々に感謝して、これ以上病院の治療を続けようとはしなかった。僕や母に遺書を残していたがその内容は感謝にあふれていた。僕は父の死を見て長く生きるよりも充実した生き方が大切なのだと思った。
多くの人のために尽くし、人の愛情を感じ、人に感謝できる生き方こそもっとも大切な生き方なのだろうと思った。たったひとりでも自分を愛してくださる人がいて、その人とともに過ごした日々に感謝できればいつ死んでも悔いはないということだろう。自分と関わる多くの人にできるだけその期待にそえる生き方をしてみようと僕は思った。気がつけば僕は悔いのない日々を過ごしていることに気がついた。
「滅私奉公」とは自分を活かすことだと僕は思う。自分を殺して人のために尽くすことができれば、結局自分を最大限に活かすことになると実感する。若い頃は自分がやりたいことや認められたいことが前面に出て人を傷つけることもあったが、今は他人がやりたいこと、望むことをやらせるように最大限自分が努力することに徹している。
2008年5月 3日 (土)
東広島校 植木博秀さんの体験発表
東広島教室に伺った時、教室に来られていた生徒の方々と教室スタッフの皆さんが僕のために歌を歌って出迎えてくださいました。初めてのことだったので、これにはビックリでした。スタッフの涙の体験談とともに生徒代表の植木さんの体験発表を記載します。
ブンちゃん先生、ようこそ東広島校へおいでくださいました。あの人気の高いブンちゃん先生にお会いすることができるということで、私達は今日のこの日を指折り数えて待っておりました。大変お忙しい中を時間を割いてこの交流会に来て下さったことに心から感謝申し上げます。1時間という短い時間ではありますが、めったにお会いできないブンちゃん先生との心の交流会を有意義に過ごしたいと思っております。私がこの「わかるとできる」教室を知ったのは、平成18年10月に新聞の広告を見たときでした。今どきの会社では、パソコンができるぐらいは常識ではないだろうか、と思い当時77歳でしたが挑戦してみることにしました。
10月17日に入校した時には、尾花由記先生がおられていろいろと説明をしてくださいました。私はワープロで文章を書くぐらいのことしか知りませんでしたので、説明を受けてからパソコンは随分いろいろなことができるんだなあと関心してこれだけいろいろなことができれば人生が豊かに過ごせるかもしれないと意を強くしました。あれから、インストラクターの先生がたもつぎつぎと変わられましたが、今では福重照美先生と前谷夏季先生のお二人の先生に指導を受けております。
両先生ともいつも笑顔で迎えてくださり、生徒たちの為に前向きに一生懸命に指導してくださいます。何度も同じことを聞いても、いやな顔ひとつせず、わかるまで丁寧に教えてくださいます。私たちはいつもこのお二人の先生に「ありがとうございます」と感謝しています。両先生の人柄のよさもさることながら、ブンちゃん先生の教室運営の理念がここでも立派に生きているのだと思います。ブンちゃん先生!どうかこのお二人の先生をほめてあげてください。
私はこの教室に週2回通って1年半になりますが、ワード初級とデジタルカメラ応用編を修了し、エクセル初級講座がもう少しで終わるところです。としを取ると若い頃に比べて物覚えは遅く、忘れるのは早いという情けない状態となりますので、習うスピードはどうしても遅くなります。ブンちゃん先生の教えにあるように「年齢に関係なく挑戦することが大切でそこから道が開けてくる」という言葉に力づけられて、夢と希望を持っていまからもパソコンに挑戦して行きたいと思っています。
次に、ブンちゃん先生のパソコン講座を聞いている時、その合間にパソコンのことだけでなく、人生の生き方について教訓になるいろいろな言葉を解説つきで教えていただきました。これらの教訓は家庭でも職場でも大切にしたいものであり、ブンちゃん先生が大変な苦労をされていろいろな職業を体験され、ついに成功されてその中から生まれたものだけに大変感銘を受けました。私は過去の人生を反省するとともに、これからの人生に活かしていきたいと思っています。
名言の一部を挙げてみますと、「幸福は自ら挑戦して自らの手で勝ち取るものです」「夢と希望を持ちなさい」「他人に与えたことは見返りを期待しない」「感情で対立した時は我慢して自ら折れる」「人を非難しない」「喧嘩をしても相手に逃げ道を作ってあげることが大事です」「苦しい時は逃げないで前を向いて前進する」「精一杯努力する」「何事も年齢に関係なく前向きに挑戦することが大事です」などです。今日は、ブンちゃん先生にお会いできて本当に幸せでした。ブンちゃん先生!どうかますますお元気でこれからも私たちをご指導くださいますようお願いいたします。今日はどうもありがとうございました。
2008年5月 2日 (金)
生徒さんとの感謝の思い出
フジグラン東広島校 インストラクター 福重照美
BUNちゃん先生、本日はお忙しい中フジグラン東広島校までお越しくださり、まことにありがとうございます。今回このような場を設けていただき、BUNちゃん先生の前で体験発表をさせていただけることをとても光栄に思います。
東広島校のインストラクターになって約1年4か月が経ちます。とても内容の濃い毎日で、たくさんの生徒さんとの出会いと別れがあり日々学ばせて頂いております。インストラクターの仕事は人の役に立てている!と常に実感でき、今まで経験してきた仕事の中で一番やりがいを感じる仕事です。人から感謝されることの喜びを生徒の皆さんから教えていただきました。本当にありがとうございます。
私は大阪の大学卒業後、兵庫県で訪問販売の営業をしておりました。宅配牛乳の営業で、一軒一軒のお宅に飛び込み営業をしていました。日々・毎月決められた契約目標軒数の達成に向けて業務に取り組んでいました。兵庫県は宅配牛乳の激戦区で営業所もたくさんあり、お客様への営業も激しく、とても嫌われる営業でした。居留守を使われたり、話を全く聞いてもらえなかったり、いらないと言われることがほとんどで、どうやって話をして契約を取るかだけを考えて日々働いていました。仕事のやりがいは契約件数をみんなよりたくさん取ってくることや目標達成をすることでした。お客様の気持ちは一切無視をして行っていたので、人の役に立つことや感謝される喜びは全く感じませんでしたし、それが仕事のやりがいだと知りませんでした。
東広島校のインストラクターになってから本当の仕事の楽しさを知ることができました。私にとってとても大きな出会いでした。この仕事との出会いは東広島に住んでいる従兄の叔母さんからの紹介でした。パソコンの資格を持っていたので活かせる仕事に就きたいと思い探していたところ、紹介してくれました。叔母さんからの紹介がなかったらここで働いていることもなかったと思います。紹介してくださったことにとても感謝しています。
パソコン資格があるといってもインストラクターの仕事は初めてで、最初は全くわかりませんでした。業務に就く前に、生徒の皆さんが受けられるBUNちゃん先生の授業の受講をさせていただいていたので、授業内容は事前に把握することができ、とても心強かったです。しかし、いざ業務に就くとなかなか思うようにはいきませんでした。質問されたことに対してどのようにお答えしたらいいのかわからない。緊張して質問された内容を理解することさえでいないこともありました。
また、フォトショップや水彩講座などまだ私が勉強していない講座を受けていらっしゃる生徒さんからのご質問に答えられず、先輩インストラクターの方に対応していただくことも多々ありました。業務に就きたての頃は先輩の方々にはもちろん、生徒の皆さんにもとてもご迷惑をおかけしていたと思います。うまくお答えすることができなかったり、時間がかかったりしてしまっても、何一つ文句を言わず、私の説明で「ありがとう」と言っていただけた時はとても嬉しい気持ちと今のままではいけないと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。生徒の皆さんのパソコンを身につけたいという頑張りが、私の勉強の励みにもなりました。
インストラクターの業務に就いて最初に嬉しかった思い出は、生徒さんから先生と呼んでいただけたことです。私とお名前が同じ、野尻照美さんという生徒さんがいらっしゃいました。私が業務に就いてすぐのイベントで皆さんの前で自己紹介をさせていただきました。イベント参加者の皆さんもそれぞれお互いに自己紹介をされた時に、野尻さんは「福重先生と同じ野尻照美です。」とあいさつをされました。照れくさかったですが、とてもうれしかったです。そして、まだまだ入りたての私が先生と呼ばれてもいいのだろうかとも思い、不安もありました。しかし、先生と呼んでいただけることに感謝し、責任を持って行動しなければならないと実感した出来事でした。
私自身の初めての入会対応・担任は業務に就いて丸2ヶ月が経った時でした。現在も続けて通ってくださっている、尾辻康博さんです。教室前にいらっしゃったところをお声がけしました。私が、リードしてお話や提案を進めることができず、教室前で二時間ぐらいお話をしました。その後、教室内でまた一時間ぐらいお話をして入会をしていただきました。私にとって初めての入会獲得そして担任でしたが、自分自身納得できない気持ちでした。対応時、何をお話すればいいのかがわからず、ダラダラとお話をしてしまい、私自身、途中から進め方がわからなくなってしまいました。そして、尾辻さんに入会していただくことが申し訳ない気持ちでいっぱいでした。話しに終わりが見えず堂々巡りになっていたので、仕方なく入会してくださったのではないかと思いました。
尾辻さんが帰られた後、りょうこオーナーにこの気持ちを伝えると、「そんな気持ちで尾辻さんの担任になることが、一番尾辻さんに失礼であること。私のことを信用してくれてお金をお支払いして入会してくださったのだから、納得いかないと思うのではなく、責任をもってパソコンを身につけていただくため対応していかなければならない。」と教えてくださいました。納得いかないと無責任な考えを持ってしまった自分がとても軽率で恥ずかしく思いました。
私に、インストラクターとしての自信をつけてくださったのは、佐武基寿さんです。入会された時、パソコン初めてでお家にパソコンもありませんでした。再就職のためにパソコンができるようになりたいと、とても意欲的で前向きな方だと思いました。平日は毎日教室に来てお勉強されました。教室でお勉強されている時にVistaのパソコンを購入されました。ちょうどVistaのパソコンに切り替わった時期でした。パソコン全く初めてで、教室ではXPでお勉強され、お家ではVistaのパソコンで練習をされて、人一倍苦労をされたと思います。しかし、弱音や愚痴は一切はかず毎日ひたむきにお勉強されていました。私は、佐武さんとお会いすることがとても楽しみでした。そして、いつも私の励みになりました。
パソコンでは私が先生ですが、それはパソコンだけでのことで、佐竹さんを始め生徒の皆さんが私にとっては先生であり人生の大先輩です。お話をしたり、ひたむきに頑張られている姿に日々教えられました。私よりはるかにいろんな経験をしてこられているので、言葉の一つ一つにも重みがあります。佐武さんから、継続してやり続けることの大切さ、人に感謝する気持ちを教えていただきました。
インストラクターの業務について、約10か月がたった頃に、戸田雄憲さんとの出会いがありました。現在も通ってくださっており、マンツーマン会員としていつも一緒にお勉強をさせていただいております。私がお渡ししたチラシを見て教室まで来てくださった方です。その時パソコンはお持ちでなく、まったくの初めてでした。知り合いの方がネット株をされていて、自分もやってみたいと興味があったそうです。チラシをお渡しした翌日に教室まで来てくださり入会してくださいました。通い始めて1か月ぐらいが経った頃に、パソコンを購入しようと思うとおっしゃられ、教室でも購入できることをお伝えしました。
お勧めを紹介してと言われ、なるべく安くて最新のパソコンを何台かお勧めしました。その時、私はパソコン本体の性能などについて知識がほとんどなく、調べても違いがあまりよくわかりませんでした。誰もが高いものより安いものの方がいいと思うと勝手に思っており、手頃な価格のパソコンをお勧めしました。パソコンでどんなことをやりたいのかどのようなパソコンがいいのかなど、戸田さんのご要望はまったく聞かず考えず提案をしました。私が調べたパソコンの見積もりをご説明したところ、「商売はお客様のことを考えて自分が自信をもって良いと思えるものを提案しなければならない。この商品は私のために心の底から提案してくれていると思えない。そんな気持ちではダメだ。」と言われました。
言われた時はそこまで言わなくてもとムッとしました。しかし、それは図星で、私の心の中を見透かさせていました。戸田さんからビシッと言っていただき、パソコンの知識がなくパソコン販売から逃げ腰だった私を向き合わせてくださいました。アドバイスしてくださった後に、「私は、このようなこと思っていても本当は人には言わない。教えてくださいと言われない限りしゃべらない。」とおっしゃられました。私のことを思って言ってくださったのだと思い、とてもありがたく感謝の気持ちでいっぱいになりました。その後も戸田さんは現役で働かれていた時の話や子どもの頃の話など、いろいろお話をしてくださいます。若い頃はとてもご苦労をされていたみたいです。昔の話や自分の考えなどご家族の方にも周りの方にもあまりお話しされないそうです。「このような話をするのは、あんたにだけよ。」とおっしゃってくださり、とても嬉しかったです。
ちょうどこの頃、前谷教室長が愛媛から東広島校に転勤して来られました。私よりインストラクター経験も長く、生徒対応や入会対応などとてもすごいと聞いていたので、来られることが決まってから楽しみでした。一緒に働いてみてそのすごさを実感しました。いつでもどんな時でも相手の方のことを考えて生徒さんのことを考えて行動されます。そして自分がしんどい時もしんどそうな顔は絶対にせず、いつも優しい笑顔をされていて本当に素晴らしい人だと思いました。教室長になられてからは、有言実行で考えたことはすぐ実行し、目標は絶対に達成できるように計画をしっかり立ててお話しをされ、本当に尊敬しています。
今回BUNちゃん先生に東広島校へ来て頂くためにたてた「2ヶ月で入会者数30名」の目標は、私は最初、達成できるのか半信半疑でした。簡単に達成できるような数字ではありません。しかし、教室長が絶対に達成できる!と自信を持って言われていたので、私も信じて頑張ろう!と思いました。信じて行動した結果、本当に達成することができ嬉しさと驚きでいっぱいでした。私が、ここまで一生懸命に取り組むことができたのは教室長の目標に向かってのひた向きな行動と自信いっぱいの姿をいつも見せていただいたからです。物事に対して精一杯取り組む姿勢と達成した時の喜びを教えてくださいました。
わかるとできるのインストラクターの仕事を通じて、皆さんから教えて頂くことはとても多いです。この仕事に就いて、人と正面から向きあうことの大切さ、向き合ってともに喜んで悲しんで苦しんで、時には本気でぶつかり合うことの大切さを教えていただきました。人としっかり向き合うことはとてもエネルギーを使います。エネルギーを使いますが、その分日々喜びを感じる量は何百倍も大きいです。生きる喜びを皆さんから教えていただきました。毎日一生懸命パソコンのお勉強をされている皆さんの姿が私の励みです。これからも一緒に頑張りましょう!よろしくお願い致します。
パソコン教室わかるとできるとの出会いがなかったら今の私はありません。わかるとできるを創立してくださったBUNちゃん先生に感謝しております。ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願い致します。
東広島教室の教室長の前谷さんの体験発表
今日は、東広島教室の教室長の前谷さんの体験発表を載せます。全国ランクインの常連ですが、常連になれた秘訣が生徒の方との心温まる交流だったのだなと感じる発表です。吉村オーナーの教室は3教室ともに全国ランクインしスタッフの皆さんがこうした体験を生徒の方々の前で感涙しながら発表して下さいます。もらい泣きしました。
体験発表の前に、私の自己紹介をさせていただきます。
私は2年前の5月に愛媛県のジャスコ川之江校に入社しました。入社して初めての会社が、このありがとう株式会社でした。入社当初は内気で人とコミュニケーションをとるということが一番苦手でした。次第に「自分にはこの仕事は向いていないんじゃないか」と考えるようになり、辞職を申しでました。でも、社長をはじめ、専務やジャスコ川之江校の教室長はこんな私をこの会社には必要だと言ってくれたのです。その時私は、「もう少し頑張ってみて、それでだめなら辞めよう」と決めました。
それから2カ月程経ち、生徒さんとも距離が縮まり始め、今まで一番苦手だったコミュニケーションが一気に楽しくなり、今では生徒さんとの会話がとても楽しみになりました。その頃、私はこの仕事の楽しさを体感し、自分の居場所はここしかないと思い始めました。それから1年半、愛媛県のジャスコ川之江校でお世話になり、昨年10月に東広島校へ転勤してきました。
東広島校の生徒さんはどんな方がいらっしゃるのか、私を受け入れてくださるのか、という期待と不安がありました。しかし、皆さん笑顔で歓迎してくださり、不安は一気になくなりました。中でも植木さんは私を一番歓迎してくださり、それが何よりも励みになりました。そして、これから一緒に働く福重先生とも早く打ちとけて楽しく仕事をしていきたいと思いました。福重先生は私を実家へ招いてくれたり、教室に早く馴染めるように気を使ってくださいました。福重先生の実家に行かせていただいた時は、お母さんが私の好きな山芋の手料理を沢山用意してくていました。お父さんも隣でお餅を焼いてくれたり、色々お話をしました。おじいちゃんとおばあちゃんもとても親切に私を迎え入れてくださり、すごく温かい気持ちになりました。それからもお母さんが手料理を作って下さったり、私が体調を崩した時は薬を持ってきて下さったりと本当に愛情に溢れたご家族だと思います。その一つ一つの心遣いや思いやりが私にとって心の支えとなっています。
そして今年の2月、BUNちゃん先生に東広島校へ来て頂くための目標を達成するために力を合わせて精一杯がんばりました。福重先生と二人で目標達成するための話し合いを何度も行いました。「絶対にBUNちゃん先生に来ていただいて、生徒さんに喜んで頂きたい!」私たちにはその想いだけでした。それが生徒さんにも伝わったのか、たくさんの生徒さんに応援のお声をかけていただいたり、協力もしていただきました。このような素晴らしい日を迎えることができたのも、皆様のおかげです。本当にありがとうございました。
東広島校はこれからもっとたくさんの地域の人たちに愛される教室、なくてはならない教室にしていきます。どうかこれからもよろしくお願いいたします。
2008年5月 1日 (木)
仕事は下意上達でござる
紀州藩主(現在の和歌山県)から江戸時代の第8代将軍になった徳川吉宗は享保の改革を行ったことで知られている。彼のやり方はボトムアップ(下意上達)式経営で目安箱を置き、その中に「江戸では貧富の差が激しく野たれ死にする老人がいて見るにしのびない。幕府の援助で収容施設を作ってほしい。」という意見書があった。吉宗将軍はさっそくこの意見書を書いた小川に会い、大岡越前にこの意見書を実行するように言い、小川に初代の所長になるように言った。小石川養生所は東京都養育院となり、初代の小川先生は赤ひげのモデルになった。
僕もボトムアップ式経営の実践者で、現場のスタッフやお客様の意見を取り入れ現場に即した事業計画を練り上げるが、それは僕が練り上げるのではなく、現場スタッフが自分たちが担当している地区やお客様の意見を聞きながらお互いに話し合って出てきた意見を優先するのもとなる。現場ではお客様の意見とスタッフの意見が違うこともあり、そのときはどちらの意見を優先するのかアドバイスすることにしている。
言いだしっぺがその意見を採用され実践できるということはヤル気十分で、そのことが仕事をする上では最も大切な要素になってくる。仕事はヤル気でヤル気は自分たちがやりたいと心から思っていることに違いない。やりたくもないことや疑問に思っていること不安に思っていることなどを実践しても成果はたかが知れている。それよりも現場の主役が納得してヤル気になったことを失敗を恐れないで実践できる環境を作ってあげることが経営者に与えられた仕事だろうと僕は思う。
2008年4月27日 (日)
泣いた赤鬼作戦で行こう!
昔々、山影にひとりの赤鬼が住んでいました。やさしい赤鬼は人間と友達になりたいと思っていましたが怖がって誰も近寄ってきてくれません。友達の青鬼は「僕がふもとの村に行ってあばれるから君が助けに来ればいい」躊躇する赤鬼に青鬼は言いました「何か一つめぼしいことを成し遂げるには誰かが犠牲にならなくちゃ」…人間と友達になれた赤鬼は感謝するために青鬼の家に行きました。
青鬼の家の前に1枚の張り紙がしてありました「赤鬼くん、人間たちと仲良くしてください。僕が君と会えば人間は君を疑うので僕は旅に出ます。いつまでも君の友達 青鬼」赤鬼は黙って二度三度とそれを読み、戸に手をかけて、顔を押し付けて、しくしくと、涙を流して泣きました。
子育てに手を焼いている妻に僕は言いました「長女も中学生となり反抗的で、長男が大阪暮らしでいなくなったことでますます君に反抗し乱暴な言葉や態度が目立つようになった。僕が長女を手にかけるから君が長女の助けに入れば、きっと長女は君に心を開くよ」僕は生れて初めて長女を叱り手をかけた「お母さんに感謝するどころか苛めるなんて、なんて奴だ、こらしめてやる!」
泣きながら助けに入った妻は数日して僕に言いました「長女が、お母さん大好きよ!って言ってくれた」僕のことを心配している様子だったので僕は言いました「な~に、家庭ではお母さんをみんなが大好き、お父さんをみんなが避けるぐらいでちょうどいいのさ。」長女はそれ以降、僕とは目線を合わさないようにして黙っていますが、穏やかな態度に変わりました。
2008年4月25日 (金)
ピンチの時にチャンスあり
今日は設備会社の社長の息子さんが来ていただいたので少しお話をしました。年々行政の仕事の単価が低くなり入札で落としても儲けはどんどん少なくなっているそうです。民間の仕事も少なくなっているそうです。将来お父さんの後を引き継いで更に会社を成長させるかどうか自信がないということでした。
国と地方の借金は931兆円ほどもあり地方自治体の疲弊がクローズアップされ、このままでは地方自治体の多くが破産するという事態に陥ります。破産を避けたい自治体は手段を選べなくなります。ここにビジネスチャンスがあると息子さんにお話ししてあげました。10年後のチャンスをものにするには今からしっかり自分を鍛えて成長しておくようにとアドバイスしました。
これまで自治体が運営してきたし尿処理、下水道処理、ごみ処理事業などが将来民間に払い下げされるようになります。このときは借金してでも払い下げに参加し、処理事業業者として成長できるので、それまでしっかり勉強して下さいとアドバイスしました。単独処理事業でなく、いくつかを組み合わせれば高収入のチャンスが広がっています。
時代の変化、環境の変化に落胆するのではなく、むしろチャンスと捉えて新たな挑戦に果敢に向かっていくことです。逆境の中にこそ次代のチャンスがあり、そのことに気がついて自分を磨き備えておく人だけ、そのチャンスをものにすることができます。落胆していた息子さんに驚きと希望の笑顔が見えお帰りになりました。
2008年4月24日 (木)
魚の行商にアポ取り訪問はありません
23歳で魚の行商を始めたが、魚の行商の基本は飛び込み訪問で、最初に玄関のドアをパッと開けて「おはようございます、魚屋です!奥さん、いませんか?」と大きく元気で歯切れのよいお声掛けをします。当日までに電話して予約をお取りしてその時間に訪問し、玄関先でドアホンを押している魚屋など倒産してしまいます。誰にも教えていただいたことはありませんが僕の行商テクニックをお教えします。
ヤクルトの訪問販売も飛び込み訪問で新規開拓をしています。どちらにも共通しているのは商品よりも先に自分を売ることを考えているということです。嫌味を言われても笑顔で応対し決して感情的になりません。この笑顔を最初に売ることができれば商品は説明しなくても売れます。この笑顔を売ることで飛び込み訪問をこなしているとあごがひきつってしまうこともあります。
セールスが下手な人は商品を売ろうと考えますが、お客様は売る人を見て印象が良くなければ欲しい商品でも買いません。「何ですか?」というお客様の問いかけにも最初は商品説明をしません。「今日は、とっても良い天気ですね!」とか「とても素敵な家なのでお声をかけさせていただきました!」とか「奥さん、お綺麗ですね!」など、一言こいつはお調子者だと思える話を入れます。
訪問先の方に笑顔が浮かぶまで馬鹿だと思える話をします。お客様に笑顔が浮かんでやっと商品説明に入ります。「今日は、とっても活きの良い魚を地元の漁協から直送で持ってきました。とっても新鮮ですから見てください!」と言います。このとき、安いという話は絶対にしません。最初から安いと言えば訳ありと思われますので、新鮮、現地直送、活きが良いというキャッチコピーにします。
玄関先から行商の車に来ていただくまでも「奥さん、お魚はとっても健康に良いですよ!」とか「ダイエット食に魚は絶対ですよ!」といった会話を入れます。たまに「奥さんのような笑顔の素敵な方に会えてうれしいです」という変化球も投げてみます。こうして仕入れた魚を見せますが、活きが良く見せるには氷水に浸していることと手に持って揺らし、元気な大声で話すことです。
買っていただいたお客様には、売れ残りそうな魚をおまけしてあげることも欠かせません。「これはちょっとスーパーでは売っていませんが、底物でたまに網にかかってきます。焼きでも煮つけでも美味しい魚です。サービスで入れておきますから試してみてください。」サービスは買っていただいた魚を入れないことで、必ず種類の異なる魚にすれば、こちらに商品知識があることをアピールできます。
2008年4月23日 (水)
社会はその人をあるがままに評価する
ひとりの社会人としての評価は転職したときにわかる。これまでの給与よりも低い場合は、これまで働いていた企業がその人に高い評価をしていたということだろうし、これまでの給与よりも高い場合は、その企業での働きぶりを評価し、その人の評価が高まったということになる。ヘッド・ハンティングなどといった引き抜きはこれにあたる。
社会にひとりで放り出されたときに、社会はその人をあるがままに評価すると僕は思う。低い給与での再就職しかできなかった場合は、それまでの働き方に問題があり、他社からの引き合いがないということだろう。自分の価値はもっとあると思って再就職先を探してみても顔なじみのない企業では一般的な評価しかできない。
僕は自分の評価は企業の人事部の方ではなく、お客様で決めたいと思って独立した。会社を退職したときはいくつかの企業から就職のお話を戴いていたがすべてお断りして起業した。借金だらけの中での独立はその日仕入れの魚の行商なので偉そうな独立ではないが、朝だけで1日3万円ほどの売上を出し、2万円ほどの儲けを出した。
会社に縛られずひとり車に乗って風の吹くままきままにどこにでも行き、好きな場所で魚を売る。和歌山から大阪まで出かけていたこともある。売れ残った魚をさばいて食事をしたので今でも魚は大好物だ。社会人として安月給で再就職しその企業で最初から自分の評価を再構築して高給取りの幹部社員になっていった人もいる。社会はその人をあるがままに評価するものだと思う。
2008年4月20日 (日)
組織のトップを入れ替えれば業績は改善される
野村監督はプロ野球チームの成績を良くするには選手の入れ替えよりも監督を入れ替えるほうが良くなると話されています。チームの成績が低迷しているとき、トップに信頼がなくまとまりがない場合、トップがどんなに良い提案をしようとも選手は動きません。しかし、トップを入れ替えると、とたんに選手は嬉々として動きまわり、結果として成績は良くなります。
僕はどうも直営教室の信頼を得ることが苦手で、相談相手になりたくても相談しにくく、またお願いすることも断られがちで、スタッフの不満を買ってしまいがちです。僕という経営者が直営教室のスタッフの信頼を失い業績を悪化させる場合は、僕よりもすばらしいオーナー様に売却して教室を再生していただくことにしています。売却した直営教室は見事に復活して全国ランキングの常連となっています。教室を訪問するとスタッフの皆様は見違えるように楽しく働いて笑顔で迎えてくれます。
直営教室は僕を教室にお呼びして生徒の方に合わせてあげたいという依頼がありませんが、加盟校の方は頻繁に依頼があります。加盟校のスタッフは研修会のレポートを提出して読んでくださいとそれぞれが決意発表をしてくださっていますが直営教室ではそのようなことはありません。加盟校のスタッフは頻繁にメールや電話などでいろいろな相談がありますが直営からはほとんどありません。彼らは僕に気を使っているからで、そんな状態にしていることを深く反省しています。
直営教室から加盟校になればそれまでの拘束がなくなります。僕に気を使うことなくメールも電話もできるのです。加盟校のオーナー様は僕よりも頻繁に教室スタッフと話し合いますし、何でも相談できます。教室ミーティングに僕を招待してくださることもあります。加盟校のオーナー様に就いたほうが嬉々として働ける環境ができるので、結果として業績は良くなります。教室の売買は頻繁に行われますが、そのほとんどは業績改善となっています。FCという業態はこうした経営者の入れ替えを行いやすい環境にあり、今後ますます活発になると思います。
2008年4月19日 (土)
売上100万円の店長と売上500万円の店長のどちらの話を聞きたいか?
ビジネスは業績次第で評価が変わる。たとえば全国展開しているお店の場合、売上100万円の店長と売上500万円の店長がいる場合、ビジネスマンは売上500万円を出している店長の話を聞きたいと思う。もしも、売上100万円の店長が「こうすれば売り上げが伸びる!」という話を売上500万円の店長に話していれば馬鹿にされるだけだろう。「あなたの真似をすれば売上100万円になってしまう!」
FC本部の直営店舗にもこうした事例は当てはまる。直営店舗が赤字で売り上げも芳しくない時に、本部SV(スーパーバーザー)がどんなに加盟店舗のオーナー様に業績改善策を提案しても加盟店舗のオーナー様は納得してくださらない。反対に、業績好調で全店で最高の売り上げを出していれば、本部SVの話を聞こうという気になってくださる。「どうして直営はすばらしい売上を出せるんだ?」
SVの苦悩は、近隣の直営店舗の業績次第で加盟校のオーナー様の態度が変わるということだろう。直営店舗が月商150万円、その近くで展開している加盟店舗の売り上げが月商230万円であれば加盟店舗のスタッフは直営店舗を上回る業績に誇りを感じているので、「これが直営でやっていることです」ということには耳を貸さない。近くの直営店舗の月商が500万円であれば立場は全く違うものになる。
僕は「わかるとできる」の代表なので直営であっても加盟校であっても同じ提案とアドバイスをしている。僕にとっては直営も加盟校もおなじ仲間であり、どの提案を採用して業績を上げるかは直営を管理するスタッフやオーナー様の度量次第だ。当然、直営教室を上回る業績の教室も出てくる。業績好調の教室は直営・加盟校を問わずにその体験談を発表する場を設けているが、参加者は誰よりも真剣に聞き入っている。
直営教室もFCに加盟している加盟教室も聞きたいのは業績好調の教室スタッフが、どんなことに取り組んだのか?どのような困難があったのか?ということだろう。僕はヤル気を失くしそうになっている加盟校には同じ土俵に直営教室を立たせることがある。全く同じ条件で彼らの2倍以上の業績を出したとき、彼らはヤル気を出してくださる。自分たちのやり方に問題があると納得してくださる。
業績=説得力 なのだというビジネスの真理はどの企業にも当てはまる。業績向上に向かってお互いにしのぎを削っているからこそいろいろな方法論が飛び出し、つねに改善され、新たなサービスが行われ、失敗と検証、再構築と再実行が繰り返される。ビジネスマンの目標は「業界トップの業績」であり、そこに向かって繰り広げられる人間ドラマが遣り甲斐となる。
2008年4月16日 (水)
方法論にこだわるあまり業績を落とすは愚かな行為
ビジネスにはいろいろな方法論があり、毎年のように新しい言葉と方法論が旬の話題としてもてはやされる。「見える化」に取り組む企業や、ブルーオーシャン戦略、ITソリューションなど旬の言葉がもてはやされる。その目的は企業業績を上げるために他ならない。方法論を知りたいのは好業績の秘密を知り自社内に取り込みたいからで、好業績でもない企業の方法論を知ろうとは誰も思わない。経営者は自分よりも好業績の企業経営者にしか注目しない。
企業業績を下げているのに方法論にこだわる企業経営者もいる。経営セミナーで習ってきたとか、経営コンサルタントの方に指導していただいているとか、理由はあれども業績を下げるようなことはするべきではない。企業は人、物、資金、地域性があいまって業績を創り出す。スタッフ力、商品力、資金力、地域性を無視して東京では、あの企業ではこれで成功しているからと真似をしても地方では通用しないことの方が多い。
経営セミナー、経営コンサルタントの方に指導していただいている場合は、自社のスタッフ力、資金力、地域性を無視して成功している企業のパターンを真似ることだけの場合が多い。良い話を聞いたとしてもそれがスタッフに浸透するのかどうか?それだけのことをする力があるかどうか?同じ商品でない場合は商品がそれだけ魅力あるものかどうか?資金は潤沢にあるかどうか?地域性が加味されているかどうか?検証しなければならない。
勝ち組企業はいつも優秀な人材を集め研修によってスタッフ力を磨き、魅力ある商品開発に余念がなく徹底的に差別化を図りブランド力を高めているし、必要な資金を集める計画性を持っているし、マーケット分析を十分に行い自社の強みをよく知っている。好業績を果たして多くの見学者が来られるが、見学した企業がいくら真似をしても好業績にはならない。
勝ち組企業は絶えず変化対応型で見学した方法は明日には改善されている。真似をした時点ではもう負けパターンですと言われるかもしれない。好業績を創り出すには自社の従業員一人一人に信頼を寄せて業績を上げるために必要なことをやらせてみる度量がなければならない。何でも本社で管理する金太郎飴のような方法は今の時代には通用しない。現場のことは現場が一番よく知っている。本社は現場のアドバイザーやサポート役で十分だろう。
2008年4月13日 (日)
わかるとできるテーマソング・エピソード たかなしさとし物語
僕は現在、東京・赤坂にあるポストプロダクション(映像編集・MAを行う会社)に勤めています。僕が今の会社に就職できたのは、BUNちゃん先生のお陰に他なりません。ここに辿り着くまでには、様々な経緯がありました。今回は、そのことについてお話したいと思います。
1984年・僕は、祖父・祖母・両親・親戚の多数が“薬剤師の資格を持つ”という薬剤師家系の長男として誕生しました。そんな僕は当然の如く薬剤師になるよう育てられ、小学時代の文集には「夢は薬剤師になること」と必ず書いていたことを覚えています。
しかし、中学三年生の秋、その夢は何処かへ行ってしまうことに…。体育祭の出し物であるダンスに夢中になり、その魅力にとりつかれてしまったのです。 まぁ、ダンスに夢中になったきっかけは、転校してきた女の子を振り向かせたいという邪な気持ちだったのですが…。その女の子にはもちろん振られました(笑)
これを機に、ダンスを本格的に習いたいという想いが芽生え、地元・仙台でスクールに通い始めることになります。と言っても、このスクールはダンス専門ではなく、平たく言うと“タレント養成スクール”のようなところで、ダンスを習うには、歌と芝居も共に学ばなくてはならないカリキュラムになっていました。それまでカラオケすら行ったことがなかった僕にとって“歌”というものなどは未知の世界。半ば嫌々トレーニングを続けていたのですが、スクール長の「君はいい声を持っている」という一言で、歌にも真剣に取り組んでみようという意欲が湧いてきました。
それからは、ひたすら歌とダンスに明け暮れる日々・・・そして、いつからか“本格的に習いたい”という気持ちは“プロを目指したい”という気持ちに変わっていきました。以後、タレント養成兼、タレント事務所でもあるこのスクールに、一アーティストとして所属、DoCoMo主催のイベント出演や仙台ホテルでのディナーショー、ZeppSendaiでのワンマンライヴ、ラジオパーソナリティーやテレビ出演、インディーズでのCD発売など、数えきれないほどの経験を積み重ねました。
その後、“僕の目指す道はこれしかない”と言わんばかりに、音楽専門学校への進学を決意。一アーティストとして活動を続ける傍ら、そこではソングライターとしての知識を得ようと、コンピューターを使っての作曲技術を学びました。主に学んだソフトはプロツールス。ここでの経験が現在の僕の職に就く原点となります。
さて、無事音楽専門学校を卒業し、いよいよプロのシンガーソングライターとして本格的に活動を開始する!・・・のかと思いきや、僕が就職した先は、某専門学校ダンス科の講師でした。僕のアーティストとしての活動経歴と、以前からダンス指導を行っていたこともあり、他の専門学校の方から声をかけて頂いたのです。今後、音楽活動をしていくに当たって、ダンス講師というのは時間の融通がきく魅力的なものだったので、それならと選択した職業でした。
そうして、アーティスト活動を続けながら、ダンス講師を務め、1年が過ぎた頃、所属しているスクールの移転話が持ち上がり、“専門学校でMacを扱っていた智史になら、任せても大丈夫だろう”というスクール長の一言から、新たなオフィスでの事務の一切を僕に任せてもらえることになりました。二つ返事で承諾してしまったものの、WordやExcelの知識など持ち合わせているはずもなく、初めて扱うWindowsに僕はお手上げ状態。ですが、HPデザインやスクール広告のデザインなどなど、スクール長の期待はとても大きく、その期待に応えるのは当時の僕の力量では到底無理なことでした。
それが悔しくてたまらず、どうにかしてその期待に応えたい!という想いから、パソコン教室へ通うことに。しかし・・・どういった教室に通えば良いものか・・・、そう思った僕の頭にある光景が浮かんできました。それは、近頃妙にイキイキしてきた、母の姿。帳簿をつけるためにパソコン教室に通い始めた母の姿は、今までとは全く違うもので、とても楽しそうに見えました。そのことを母に尋ねると、母は延々と僕に語りだしたのです。現在通っている教室の分かりやすさ、授業料の安さ、そして何より講師の方の素晴らしさについて。母の話を聞いて、僕もそこに通うことに。そう、その教室が何を隠そう、僕の尊敬するBUNちゃん先生が経営する教室『わかるとできる』だったのです!ここで僕は、わかるとできるとの運命の出逢いを果たしました。
いざ、わかるとできるに通ってみると、楽しいの何のって!!『わかるとできる』には本当に沢山の魅力が詰まっていました。
~僕が感じた『わかるとできる』の魅力~
一.授業はDVDを用いたスタイルなので、自分の興味がある分野を重点的に学び、復習することができる
二.授業に出席できない日があっても、DVDスタイルなので、遅れをとることがない
三.BUNちゃん先生がDVD授業の合間に話す小話がとっても面白い
四.授業内容が夢と希望に溢れている
語っても語り尽くせないほどの魅力溢れる、わかるとできる。母をイキイキさせた理由はここにあったのだと確信しました。わかるとできるに通い、苦手だったはずが、いつの間にか大好きになっていたWindows。Word・Excelを使用した重要書類の作成や、スケジュール管理。Photoshopを使っての、CDジャケット・ライブチラシやポスターなどのデザイン。ブログ講座・ホームページビルダー講座で身につけた技術を活かして作成した、スクールHP・アーティストHPなどなど・・・わかるとできるで身についた技術は、即実践として活用できるものばかりだったので、学ぶ楽しさは倍増していくばかりでした!
母と同様、わかるとできるの魅力の虜になった僕は、空いている時間は教室に通いつめるようになりました。こうして、ダンス講師を務めながら、スクールの事務をこなし、アーティスト活動を行いながら、空いた時間は教室に通い始めて約1年が経過―――。寝る間も惜しんで働き続けた僕ですが、振り返ってみると、その年の年収は40万足らずでした。それもそのはず、収入を得られるものはダンス講師のみだったのですから。スクールからの報酬も多少はありましたが、生活の足しになるほどではありませんでした。
ですが、僕はそれでも充実した人生だと感じていたのです。講師として生徒と関わり合うことは非常に楽しいものでしたし、事務の仕事も、今までお世話になったスクール長への恩返しが出来るのだと思うと、この上ない喜びでした。そんな僕の気持ちとは裏腹に、収入が少ない僕に対して、家族の心配は膨らんでいく一方だったようで、見兼ねた母からは「夢を追うのも良いけれど、端くれながらも社会に出て働いているんだから、自分の衣食住くらい、自分自身で賄いなさい」と言われてしまう始末・・・。それならと、僕は今までの日課に、新聞配達を加えることにしました。
新聞配達が加わったことにより、さらに僕は壮絶な日常を送ることになります。毎朝3時半に起床し、2区間の新聞配達を終えた後、専門学校・高等学校でのダンス講師を務め、スクールでは事務行をこなし、空いた時間に教室へ通い、卒業制作に励む専門学校の生徒に付き合い徹夜し、そのまま一睡もせず翌日を迎え再び新聞配達へ・・・。息つく暇もないほど多忙な毎日の連続。将来が見えない不安定な職よりも、資格を取り、安定した職に就いてもらいたいと願う両親との衝突も絶えませんでした。
そうして、社会人3年目を迎えた頃には、年収は250万を越すほどになっていました。ダンス講師としても信頼を勝ち取り、アーティスト活動も充実。正に全てが“上り調子”。そんなとき、事件は突然起こりました―――・・・。
大きなコンサートを一週間後に控えたある日の練習中、僕はアクロバットの着地に失敗してしまったのです。腰に走った激痛。時間が経つほど増していく痛みに耐えきれず、病院に行った僕に、先生から告げたれた言葉は残酷なものでした。
「腰の骨が削れています。身体を酷使し過ぎたことが原因でしょう。これ以上は踊らないようにしてください。」ドクターストップ――――。少しずつ、少しずつ、積み重ねてきた無理に、身体は悲鳴をあげていました。それに僕は気付くことが出来なかったのです。コンサートは腰をかばいながら何とか乗り切ったものの、ダンス講師は辞めざるを得なくなりました。踊ることを生きがいとしていた僕は、これからどうやって生きていけば良いのか・・・大きな収入元、そして未来への希望すら、突然奪われてしまった僕は、目の前が真っ暗になりました。
どうすれば良いか悩む日々。自分が楽しいと思えるもの・・・今の僕に出来ること・・・そうやって必死で考える中、ある答えが浮かんできました。“音楽・映像編集技術を教えられないだろうか”僕は、それまで自分が出演するライブで使用する音楽、ライブなどで撮影した映像を、編集していました。それを仕事にすることは出来ないだろうかと考えたのです。
悩んでいる暇なんて僕にはありませんでした。思い立つと同時に、スクール長に相談し、紹介してもらった専門学校へ自分が編集したDVDなどを持って営業へ―――。スクール長の推薦ならと、面接もそこそこに採用してもらえることになりました。一度沈みかけた僕の心に、明るい光が差し込んだ瞬間でした。そこで僕は、MACを使用した音楽編集の授業と、Windowsを使用した映像編集の授業を受け持たせてもらえることに。しかし、現実は甘くはありませんでした。
本来、編集の講師というものは、現場の第一線で活躍なさっているプロの方が担当するもの。何の経験もない、ほぼ独学で得たような知識しか持ち合わせていない僕が講師を務めることに周囲の先生方から疑問の声も少なくありませんでした。その疑問は、やがて批判へと変わっていきました。
「ダンスしか能のないような小僧が、どうして急にパソコンを教え始めたんだ?!」
「あんなやつに、本当にパソコン講師が務まるのか?」
「ろくな技術も持ち合わせてないくせに・・・」
周りからの冷やかな視線―――。
確かに、僕には、現場での経験がない上、十分な知識もない。でも、授業を通じて、生徒一人一人に夢と希望を持ってもらいたい!という想いが僕にはありました。“BUNちゃん先生が、授業で夢の素晴らしさを教えてくれるように、僕も生徒に同じ感動を与えてあげたい! 何が出来なくともそれだけは成し遂げたい!” そう自分を奮い立たせる毎日。僕は全身全霊で毎回の指導に取り組みました。そのお陰か、“智史(さとし)先生の授業は楽しい!” “智史先生の授業だけは毎回欠かさず出席している!”そういった言葉をかけてくれる生徒が増え、そのことが僕の心の支えになりました。
そうして授業に励む中、今度は、パソコン講師の方からだけではなく、なぜかダンス講師からも誹謗中傷されるように・・・。
「あいつが編集する映像は最低なものだ、あいつになんか教わらない方がいい」
僕の生徒へ悪口を吹き込み、評価を下げ、やる気を削ごうとする。一度も僕の編集した映像を目にしたことがないような先生が、僕への妬みからとった卑劣な行動でした。
悔しい気持ち・・・やるせない気持ち・・・行き場をなくした僕の哀しみは限界にまで達していました。そんなとき、BUNちゃん先生の授業での一言が僕を救ってくれたのです。“正しいことをしているからこそ、たたかれるんだよ!雑音を気にするな!!”涙が出そうになりました・・・。まるで、今の僕に向けて言われたような言葉。哀しみでいっぱいだった心がスーと晴れ渡り、明日への希望を見出すことが出来ました。“よし!また明日から頑張ろう!!”
それからは、周りの評価など気にせず、ひたすら生徒のことだけを考え、授業を行いました。どうにか質の高い授業を行えないものかと考えた結果、わかるとできるで学んだPowerPointの技術を用いてはどうかと思い立ち、実践。大画面にソフトの操作法を映し出すことによって、大人数への指導が効率よく行えるようになり、生徒からも分かりやすいとの評価を得ることが出来ました。
進路に悩む生徒や、学校を休みがちな生徒がいれば相談に乗りました。また、生徒個人の趣味について語り合うこともありました。卒業制作に励む生徒とともに、徹夜することもありました。
―――少しずつ、少しずつ育んできた信頼関係―――
そうして迎えた卒業式。
「智史(さとし)先生と出会えたことに心から感謝します。いつか必ず恩返しします」
と、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、生徒たちは言ってくれました。
その生徒たちは、専門学校を卒業し、現在、映像関係の仕事に就いて頑張っています。この経験から、僕は”映像で一生食べていきたい”と思うようになり、現在の会社への就職を希望しました。“就職するなら、今は学歴より資格の時代だ”とBUNちゃん先生が授業で仰っておられたことを思い出し、資格取得を決意。『♪訛っている先生にハマってる』僕は、今までのように、空いた時間は教室に通いつめ、楽しく学んで、沢山の資格【P検3級・MicrosoftOffice・Expert (Excel) Specialist(Word・PowerPoint)】の取得に成功しました。その資格のお陰で、僕は現在の職に就くことができたのです。
こうして、上京し、働き始め、ようやく手にした初ボーナスで、家族にお寿司をご馳走しました。幼い頃、祖父がお客様をもてなす度に連れて行ってくれたお寿司屋さん。いつか必ず自分が家族を連れて行こうと決めていました。そのとき、祖父が涙を流して喜んでくれたことは、今でも忘れられない出来事です。
僕の人生の核にはいつも、わかるとできるが、BUNちゃん先生が存在しています。“BUNちゃん先生のお人柄”は本当に魅力的です!BUNちゃん先生の授業中のお話は、恋愛話から、企業話まで、多方面に渡って展開さるのですが、その一つ一つに、愛と勇気と希望が溢れており、聴いているだけで幸せになれたような、そんな気持ちになれます。また、その一つ一つを実行していくことで、本当に幸せを掴むことができるのです!僕はBUNちゃん先生の仰る大切なことは全て実行してきました。笑顔での挨拶や、感謝の気持ちを忘れないこと、愚痴はこぼさないこと、我慢は心の肥しなどなど・・・そうすることで、僕の人生はみるみるうちに明るく、より楽しく、充実したものになっていきました。僕はBUNちゃん先生の授業から、パソコン知識と共に、“人生”をも学ぶことができたのです。
わかるとできるとの出逢いが、そしてBUNちゃん先生との出逢いが、今の僕を築き上げてくれたと言っても過言ではありません。その素晴らしい人生に導いてくださったBUNちゃん先生へ、僕からありったけの感謝を込めて・・・。そういう気持ちから、わかるとできるのテーマソングは生まれました。
そんな僕の夢は、“いつの日かBUNちゃん先生と共に仕事をすること”。大きな夢に向かって、一日を大切に、一歩一歩確実に前に進んで行きたいと思います、“夢と希望”を胸に抱きながら・・・!!
高梨智史
真剣と木刀での立ち回りでは胆力の違いが出る
真剣勝負では如何に木刀で強い武士でも弱くなるそうで、防具を付け木刀での勝負では如何に切られようとも死ぬことはないが、防具もなく真剣での勝負では切られれば死ぬと思うと二の足を踏み、一歩前に進み出て相手を切ることができないらしい。自分は切られることなく相手を切ろうとすれば、真剣勝負では負けてしまうそうだ。「肉を切らせて骨を断つ」そんな胆力がなければ真剣勝負では勝てないのだろう。
経営者と従業員にもそんな胆力の違いがある。経営者は成果給だけで生きているので業績次第では財産を没収されることもあるし、なければ借金してでも穴を埋めなければならない。ひとつの決断によって経営者の家族も離散することはよくある。従業員は基本給が保障されているので最低賃金は業績に関係なく頂くことができるし、赤字になっても自分の財産で穴を埋めることはない。退職するのも自由なので胆力に違いが出る。
仕事に取り組むこの意識の違いは胆力となって現れる。ホンの些細なことにもこだわる経営者は、ホンの些細なことを疎かにすることの怖さを知っているからに他ならない。整理整頓にこだわる経営者、時間厳守にこだわる経営者、業績にこだわる経営者、マナーにこだわる経営者、お客様へのサービスにこだわる経営者、便所掃除にこだわる経営者など方法はいろいろだが経営者はいつも自分の全財産を賭けて仕事をしている。
給与を頂いて仕事をしているときは何てうるさい社長だろうと思うことはよくある。毎日のように些細なことでの指摘が続くので頭にくることも多々ある。しかし、その些細なことは真剣勝負の世界では命取りになるから修正して欲しいということなのだ。防具を付け木刀で戦っている間に、真剣で戦う能力と方法を身に付けて欲しいと経営者なら誰でも思う。うるさい社長と思う前にどうしてそこまでこだわるのか熟慮してみる価値はある。
2008年4月12日 (土)
幹部の基本は忠義でござる
武士は殿様の命令であればどんな状況であれ腹を切る覚悟ができているらしい。仕える者の基本は如何なる場合も忠義を尽くすことだと教えられている。ひとつの組織はひとつの命令によって全員が団結して動くからこそ強いが、それぞれが違う行動をとればどんなに個人技が素晴らしくても組織力に勝る相手には勝てない。戦国時代を経験してきた武士ならではの教えであろう。
僕には植田専務と山口常務というふたりの傑出した幹部がいる。二人とも東芝で10年前後働いて薫陶を受けてきた人物で企業人や幹部は如何にして生きるべきかを体得し実践している。植田専務は知力や分析力に優れ、山口常務は組織力や行動力に優れている。多くの従業員や業者様に信頼され慕われている。二人ともに起業すれば大企業にでも成長させうる力を持っている。
この二人の幹部はいついかなる時も社長である僕を立てている。どんなに荷物があろうとも僕にはいっさい荷物を持たせないし、人前で恥をかかせることもない。従業員に僕の不満を言ったことなど一度もない。いつも社長である僕が言うことを忠実に実践し忠義を貫く態度にはただただ感服するばかりだ。ひとりで決断することは決してなくいつも最後の決断を仰いでくる。
僕が疑問に思うことは徹夜してでも調べてくるし、曖昧なことは言う前に調べて正確な情報を伝えるようにしている。彼らが疑問に思うことは二人だけになったときに質問してくるが、彼らに僕の意見を述べればすぐさまそのように修正し実践してくれる。僕を信頼している間は如何なるときにも忠義を尽くすが、僕が信頼できなくなれば退職していくのだろうと思ったがどうも地獄まで付き合う覚悟ができているらしい。
将が将たる所以は自分よりも才能ある者が自分のために一命を落としても悔いがないと思ってくださる人物であるかどうかだろう。僕は自分を磨くために努力することが大切になってくるので、彼らと仕事をするために勉強し、精神力を鍛え、寛容と慈愛を身につけるよう日々精進するようになる。お互いに切磋琢磨する関係が生まれ企業は統一した組織となり成長するのだろう。
子供の罪は親にも及ぶ
子供が周りの方にご迷惑をかけた場合、そのご両親はもとよりご親族にいたるまで冷たい目線を気にしながら生きていかねばならない。殺人を犯したお子様を抱えるご両親はその土地を離れて暮らすようになったり、家に閉じこもったようにひっそりと生きていることもめずらしくない。テレビでも子供の犯した罪を泣きながら謝罪している姿を目にすることはよくある。
反対に子供が多くの人に喜ばれることをすれば、そのご両親はもとよりご親族にいたるまで羨望のまなざしを受けながら生きていくことができる。ノーベル賞を受賞したお子様を抱えるご両親はその土地の誉と称えられ、ご親族もまた羨望のまなざしを受けながら恩恵にあずかることができる。人の生き様はご両親やご親族の人生にも影響が及ぶことを若い人は知っておくべきだろう。
日本人が海外で罪を犯せば、日本人の評価が下がる。和歌山県人が東京で悪さをすれば和歌山県人の評価が下がる。~企業の社員が悪さをすれば~企業の評価が下がる。その人ひとりの罪では済まされないからこそ人は多くの評価を下げないように注意して生きていかねばならない。法律では何の罪にも問われない評価が世の中にはある。罪を犯した子供はそのことをよく理解して誇りある生き方をするべきだろう。
子供は親の期待どおりには生きてくれない。どんなに忠告しても、愛情から暴言を吐いても、暴力をふるっても、子供は自分が望んでいる生き方しかしない。親には見えている最悪な結末を迎えてやっと反省するかもしれないが、それは親の罪ではない。世間の評価は冷たいが、どんな子育てをしようが結末は同じだと僕は思う。むしろ、僕はどうしようもない罪の意識をご両親は感じることなく生きてくださいと励ましてあげたい。
2008年4月 6日 (日)
直営教室の役割を忘れれば被害は加盟校にも及ぶ
直営教室には加盟校に向けての役割がある
1、実験機能・・新しい商品やサービスの導入の際にどういうタイプの教室で効果がありどういう教室ではうまくいかないのかの見極めをしたり、どういう提案、生徒指導をしたほうが効果的であるかなどの実験を行う場としての機能がある。加盟校向けに販売しているトレーニングドリルなどが導入されていない場合、当然のことながら加盟されているオーナー様はそのことを追求する。販促物なども加盟校と違う物が使われている場合、加盟校様には直営教室ばかりでなく本部不信が芽生える。
2、教育機能・・加盟店の人材教育の一環でOJTの場としての機能で、スーパーバイザーが加盟教室のオーナー様やインストラクター様を直営教室にご案内して教室スタッフから実情をお教えすること。スーパーバイザーは直営担当者に事前に調整するが直営担当幹部に断られ続けられれば直営教室としての機能は果たせなくなる。スーパーバイザーは加盟校のオーナー様やインストラクター様からご批判を受けることになる。直営担当幹部が加盟校様をサポートする役目を放棄すれば本部が加盟校をサポートしないと発表しているようなものとなる。
3、情報収集機能・・実際にお客様と接する場であり、お客様の生の声や商品・サービスに対する反応をダイレクトにつかむ機能(アンテナショップ)。加盟校様がお使いになる前に販促用チラシや配布物などを実験検証して分析数値をFC事業部に伝える役目がある。また、トレーニングドリルなどを実際に使ってみた意見を集約してFC事業部に報告する義務が生じる。もしも、直営教室が独自の教材を製作し使用し続けていれば、加盟校は本部不信となる。
4、情報公開機能・・店舗損益の状況(実際にどれだけ儲かっているのか)時系列でとらえたり、物販や携帯電話など新しい試みを行いその結果を数字で検証するなど情報を公開する機能。FC本部経営者が教室スタッフの正社員化を実施したいと言えば反対することでなく、やってみた検証結果が業績にどのように反映されるかをまとめる義務がある。また、加盟校のために物販に挑戦しようと言えば、「できません」と言い切ることでなく即座に挑戦し、加盟校の方に「できる」という答えを出すのも直営教室の務めとなる。
5、フラッグシップ機能・・FC全体のモデル店として、どこよりも繁盛していて誰もが認知する収益性の高いベンチマーク機能。多くの加盟校が見学し、そのノウハウを教えてもらいたいと思うのが教室全体で日本一の売り上げを確保している教室となる。もしも、直営担当幹部が日本一の売り上げを加盟校に明け渡し続けて平気でいれば、加盟校オーナーは本部にロイヤリティーの支払いをすることがバカバカしくなる。日本一の売り上げを出したオーナー様から「指導しますから指導料を出してください」と言われても当然だ。
リスクをかぶっても、業態開発や教室の革新を本部直営教室で行うことにより、加盟教室に対してリーダーシップがとれるということで、加盟教室の立場では本部からの提案や新しい取り組みを受け入れるかどうかはそれが本当に儲かるのかどうかだけが判断の基準になる。そういう加盟教室を説得するには数字の事実がすべてであり、そのために直営教室のデータは重要なものであるということを充分認識しておく必要がある。
それだけの力を持った直営教室を持つことができるかどうかが、優秀なFC本部かそうでないかの決め手となる。したがって、ジーの立場でFC本部を選ぶ際には、本部がどれだけ直営教室に力を入れているか、どれくらいの直営教室をかかえているかという視点で見ることも判断の基準となる。もしも、直営担当幹部が何度注意されてもこうしたことを意識しない場合はFC全体のためにも即刻解雇するべきだろう。
部下に対して「仕事のヤル気はありません」という幹部は辞職すべき
教室を運営している教室長は業績次第では閉校になるので業績をあげることに必死になる。業績低迷に悩む教室長は幾度か真剣な相談を幹部に試みるがうまくいかない。このままでは閉校になるかもしれないと真剣に経営者に相談していた時、経営者はもっと幹部と相談したらどうかとその幹部をつかまえて言った。この時の幹部の言葉が「私は真剣に仕事をする気はありません」というものだった。
平然と通り過ぎる幹部に呆然としている教室長に対して経営者は心から謝り、いくつかの提案とアドバイスをしてその場を去った。その後、幾度か電話してその教室長は業績低迷を抜け出していくが幹部への信頼は全くない。経営者に親しい教室長ということで教室長会議にも出席できなくなった。何度もその幹部の態度に煮え湯を飲まされていた教室長に経営者は言った「君の本当の幹部は、君がいちばん相談している人だろう」。
半年間、悔しい思いを胸に秘め、必死になって努力し、幹部の指導に反することも行って、好業績を取り戻し全国上位ランキングにも入るまでになった。「北の狼」といわれる教室長はまたその経営者と会った。真っ黒になった成功マニュアルは幾度悔し涙を吸い取ったか分らない。彼女の相談役となっている本社スーパーバイザーも悔しいと訴えた。経営者にはこの幹部をかばう材料がなくなってしまった。
幾人かの教室長は本社スーパーバイザーに相談やアドバイスを求めていた。自分たちの幹部では相談にならないと訴えていた。人にはそれぞれ器がある。その器以上に頼られることはない。もっと相談してほしいと思えば、自分の器を広げて部下の信頼を人格によって勝ち取るしかない。この幹部はそのことを知らなかった。役職をふりかざしても人は真剣に動くどころか離れていく。人望なく役職を利用して強権を発揮すれば被害が広がるので経営者はその幹部をクビにした。
会合にも電話にも出てこない幹部はクビになる
ひとつの事業部を任されている幹部が全社的な会議を欠席する場合、代理を出席させるのが常識だが、会議を無視する幹部がいた。会議に出席している経営者は電話して事情を聴こうとするが電話に出てこない。他の事業部の幹部たちはその幹部に会って話を試み、経営者や自分たちが嫌われていることを知る。経営者は何度か電話を試みて、このままでは解雇しなければならないと伝えようとするが幾度電話しても出ようとしない。
全体的な会議を無視する幹部は孤立していくが、同僚や経営者を無視する態度は部下にも及ぶ。横柄な態度で部下にも接するようになり、部下のなかには泣きながらクビを覚悟でいっきに経営者に直訴する従業員も出てくる。契約社員のひとりが大切な契約更新を無視され上司に何度もメールしているが返事がこない。ついに更新日を過ぎてしまったので自分は解雇されたと思ったが、上司は部下のメールを無視して有給休暇中で更新を忘れていただけだという。この契約社員は幹部や正社員はこんなことが許されるのかと経営者に訴えた。
企業のグループウエアーを見れば上司が何をしているのか全社員が知ることになる。多くの社員はこの幹部が会合を欠席して休暇を取っていることを知っていた。部下には厳しく指導し、忠誠を誓え、こうすれば業績は上がると言っておきながらその幹部がやれば全くできないことも知ることとなる。自分たちのやっていることが他の事業部にも経営者にも何の報告もされていないことも分かってくる。他の幹部たちの提案は無視され、欲しい情報も無視されるか拒否されて教えてくれないようになると、あの幹部とはこれ以上いっしょに仕事ができないと言い切るようになる。
連絡を無視し、会合にも出てこない。本社の商品を使うこともない。部下からの悲鳴も聞こえるようになる。他の事業部幹部たちも無視されることにあきれ返る。あとは社長のご決断を仰ぎたいと言われれば解雇するしかない。経営者の電話に出ようともしないから出社したときに伝えるしかない。全社員に動揺が起こるが、1年以上も我慢してきた経営者は、こうしたことを二度と起こさないために経営者の意向を無視する幹部は即刻解雇する方がましだと理解するようになる。
2008年4月 5日 (土)
一宿一飯の恩義でござる
任侠の世界では一晩宿を貸りて食事をいただいた方には恩義があり、何かあれば命をかけ、その恩に報いるのが任侠道だということらしい。サラリーマンは経営者から給与を戴いたら、その経営者のために精一杯の努力をするのが恩義だろう。それに報いることができないようであればご辞退するのも筋であろう。
しかし、世の中には恩義を忘れて給与はいただくが経営者のために精一杯の努力をするどころか、反旗を翻すような行動をとることもある。これは「恩を仇で返す」行為で人の道に反することだが、平気でそうしたことを行うサラリーマンがいる。経営者が我慢しても周りがそれを許さない。会社の同僚や上司や部下からの信頼を失くしていく。
1時間幾ばくかの授業料を戴けば、1時間はその生徒の方のために精一杯の努力をしてお教えしますというのが一般的なルールだが、もしもダラダラとした態度をとったり、質問にもお答えしようとしなければ生徒のクレームになる。授業料はそれに見合った態度を担任の先生に求める。経営者から頂く給与も同じことだ。
給与をもらったら経営者の意向をくんで、経営者の思いを実現するために精一杯の努力を惜しみなく注ぐのが雇われる者の義務だし、その義務を果たせないと思ったときは潔く退職するのも義務だと僕は思う。経営者が2度も涙を流して叱っても反省したそぶりを見せて反旗を翻すのはサラリーマンとしても人としても許せる行為ではない。
2008年4月 1日 (火)
経営者は事故に備えた車に乗る
経営者は怪我や病気にもっとも気をつけなければならない。交通事故に遭わないように車をできる限り避けるが、車に乗らなければならない場合は、できる限り大型車に乗るようにしなければならない。経営者が入院でもすれば経営に支障をきたし取引業者がさっと引くこともあれば従業員に動揺が走ることもあり、業績悪化は避けられない。
力は質量と加速度の積に比例するので、大型車の方が事故の時に安全だ。先日も高知市で業績の良い若手経営者に大型車に乗り換えた方がいいと僕はアドバイスした。運転していても疲れないし社用車とすることで節税対策にもなる。お客様をお連れすることが少ない経営者は大型乗用車を、来客の送迎が頻繁にある経営者はワンボックス車を購入すればいい。
僕は最近ステップワゴンからエリシオンに買い替えたが、僕の場合は空港までの送迎が多いからだ。もしも、送迎がなければ大型乗用車たとえばレジェンドやレクサスに乗るだろう。国産にこだわるのは日本びいきだからで、業績が伴えば海外の高級車でもいっこうに構わないし、運転手付きであればもっとうれしい。
経営者は会社に関するすべてのことについて責任を負っている。従業員は業績悪化に陥っても転職すれば事は済むが経営者は財産を失うばかりでなく経営責任を問う訴訟にまで発展する。そんな重責を負っている経営者だからこそ健康管理には人一倍気を使い事故入院など絶対に避けねばならない。高級車に乗ってホッとするのも大切だろう。
2008年3月30日 (日)
ビジネスの世界は業績で勝負する
学生は成績で優秀かどうかを評価される。好成績を収めた学生は尊敬されるが、口先ばかりで勉強もせず、あるいは勉強しても好成績を収めなければ評価は下がる。経営者は自社の業績次第で評価が来まる。どんなにすばらしい経営理論を述べたところで業績が悪ければ誰も相手にしない。幹部社員も任された部門の業績で評価される。ビジネスの成績表は業績なのだ。
セールスマンであれば売り上げナンバーワンの方の評価が高いのは当たり前だろうし、店長であれば店の売り上げで競い合うだろうし、事業部であれば事業部の業績で評価される。業績で競い合い、業績で日々命を削って努力しているのかどうかはとっても大切だ。口先ばかりの社員はどんどん業績を下げていくが、その責任を本人が背負うのではなく本社のせいにしている。
口先ばかりの経営者はどんどん業績を下げていくが、その責任を本人以外のせいにしていれば誰も相手にしない。成績不振の言い訳をする学生も相手にされないのと同じで、言い訳は子供の世界でも大人の世界でも通用しない。任された仕事を期待以上に達成できれば評価は高まるだろうし、期待以下であれば評価は下がる。みずから提案したプロジェクトで好業績を上げれば評価は高いし、赤字にすれば評価は下がる。
任された部門業績を赤字にして本社のサポートが悪いからだと言い訳をしていた幹部社員をクビにした経営者は申し訳ないと悲しんでいたが、それ以後の業績の回復をみればその選択は正しかったと言わざるを得ない。仕事とは業績をあげるために如何に努力するかだろうし、そのために努力できない幹部をクビにしなければ、会社が倒産の危機に瀕するのは目に見えている。
2008年3月29日 (土)
不満を抱えているよりも、退職すれば実力次第で天下を取れる
お互いに愛し合っている恋人同士ならいつまでもいっしょにいたいと思うだろうが、不満を感じていると早く別れることを考える。企業でも同じで、不満を抱えて働いているよりも退職した方が本人にとっても企業にとっても健康上、よほど好ましい。僕も働いている会社に不満を感じて退職し、独立して今の自分の地位を築いた。不満を抱えたままサラリーマンを続けていれば僕にとってもその会社にとっても良いことはないとその当時から思っていた。
京セラの稲盛さんも会社に不満を感じ飛び出して大きくなった。日本中にはたくさんの会社があるから不満があれば別の会社に転職するなり独立するなりする方がいいと彼も言っている。不満を抱えた社員の顔を見るのも嫌になってくるし、社員も上司や社長の顔を見るのも嫌だろう。嫌な奴に給与を支払うのもバカバカしくなってくる。そんな気持ちを抱えていては不健康になる。気持ちを入れ替えるか、辞職するか、しなければ退職させる方がお互いのためになる。
不満を抱えた社員がいれば、僕はいつも辞職した方がいいとアドバイスする。経営者の立場にたてば、不満を抱えた従業員に給与を支払うことが嫌になるだろうし、不満を抱えている社員もどんなに高額な給与を貰ったところで感謝することはない。感情的なストレスを感じているようであれば躊躇せずに退職させるか辞職する方が良い。社会に出てみればいくらでもチャンスは転がっている。そのチャンスをものにして大きく成長できる。
これまでにも幹部社員が経営者と衝突して経営者から退職勧告された幹部社員が相談にきたときも、経営者の判断は当たり前だろうし、君は自分のチャンスを活かせるから独立してはどうかとアドバイスして、今は年収1000万円以上の経営者になった若者もいる。この若者はクビにした経営者を最初は恨んでいたが、今はクビにしてくれたことを感謝している。クビにした経営者も今は大きくなった彼のことを感謝している。
経営者とウマが合う、合わないは当然あるし、合わないものを我慢することはない。才能があるからこそお互いに衝突するのだろうから、お互いの才能を発揮するためにも別れるべきだ。僕の会社にストレスを感じて飛び出して成功している元従業員に出会うが、元気に経営者や他社の従業員としてやっている姿を見ると僕の会社を飛び出したことが大正解だと思う。僕の会社にいてもあれほどの給与は出せない。
2008年3月28日 (金)
批判や嫉妬や愚痴をこぼす幹部は企業の癌となる
創業当時の従業員は社員研修をしてノウハウを教えていく。最初は素直に聞いてくれていた新入社員だがノウハウが分かり自分で行動するようになる。スタッフの成長によって幹部を頼っていた状態から、幹部がいなくてもよい状態になり、幹部より好業績をあげるようになる。幹部社員は自分よりも好業績をあげ、さらに上を目指して改革に取り組む部下が手に余るようになる。
子供を育てている時、幼い頃はお母さんの言うことをよく聞いてくれるが、成長してくるとお母さんのアラも見えてくる。「好き嫌いをなくしなさいというまえに、お母さんも好き嫌いをなくしたら?」自分のことを棚に上げて私のことを指導しないでと同じことが会社でも起こる。このとき、お母さんが好き嫌いをなくそうと努力せずに子供に指導ばかりすれば親子の信頼関係はなくなる。
上昇志向の強いスタッフは相手にしてくれない幹部に見切りをつけて相談相手になる上司をみずから見つけて相談するようになる。この会社の場合は、直に経営者に相談していたが、それを知った幹部社員は部下にも経営者にも嫉妬して部下には苛めを、経営者には何知らぬ顔を決め込んでいた。情け深い経営者の対応が遅れ、我慢しきれなくなった部下は会社を去っていった。
部下が直接相談に来てくれないことは自分の成長が到らぬことだと反省して対応していれば、この幹部も成長することができたが、反省よりも批判や嫉妬や愚痴が出るようになっていった。優秀なスタッフはこの幹部に慕っているそぶりを見せているだけになるので統率は取れなくなる。幹部についてくる部下は批判や嫉妬や愚痴に同調する人なので仕事に身が入らない。これもまた業績を悪化させていく。
好業績を堅持している従業員は自分に与えられた仕事に打ち込んでいるので、こうした批判や嫉妬や愚痴にも同調しないし、任された仕事に責任を感じているので幹部の苛めにも屈しない。幹部が退職し、同調していた従業員も会社を去り、再生に取り組み始めたとき、真っ先に業績を回復してくれるのがこうした従業員だ。この会社は、幹部の退職後、見事なV字回復を果たした。
経営者を信頼しない幹部は退職させるべきだ
創業者が受ける試練のなかには創業当時の従業員を退職勧告させるという試練もある。組織が小さな時にはお互いにカバーしあえることも組織が大きくなるとカバーし合えない。企業規模は経営者の器に応じて大きくなるが、従業員は自分の器に応じて任される規模をコントロールできない。こうした場合、幹部となった創業当時の従業員は人格を磨く前に経営者を恨むようになる。
恨みを抱えた人は腐っていく。恋愛も就職もお互いに合わないときは、さっさとその場から離れた方が良い。辞職しないようであれば退職勧告してあげるべきだ。任せた事業部が悪くなるばかりでなく、企業全体にその影響は及んでくる。しかし、経営者はその決断を遅らせ、何とか立ち直ってくれないかと待っている。待っているほどに恨みは深まり幹部の暴走が始まる。
経営者を疎んじる言葉は頻繁に出てくるようになり態度もよそよそしいものになる。心配した経営者はできる限りその事業部には顔を出さないようにする。僕はその幹部には「経営者の意思を具現化するのが幹部の役目だから連絡を密にしなさい」とアドバイスしたが、経営者の意思を無視した行為が目立ち、経営者が言葉をかけた部下に冷たい言葉を投げかけるようになった。
恨みを抱えた幹部が始めたことがうまくいかなく業績悪化に陥ってくると、それは経営者が何もしてくれないからだと愚痴るようになり、困った経営者の方の相談を受けたとき 「長くこんな状態が続いているが良くなる気配はない。思い切ってその幹部に退職勧告しなければ部下にも悪い影響がでてくる」とアドバイスした。恨みが晴れないと思った時の決断は早い方が良い。
情に厚いその経営者は何度もその幹部に注意したが、注意を受け入れるそぶりをしては何の反省もしていなかった。その場を取り繕っては経営者を裏切っていき経営者は我慢していたが会社の団結は失われる。我慢すればするほど幹部の暴走が始まり、事業部はますます孤立し部下の統率はとれなくなり辞職する従業員が増えていき、やっと退職勧告した。
会社を守るためにあえて恩義ある幹部に退職勧告しなければならない場合もあるが決断が遅れるほど傷は深くなる。経営者はリーダーとして冷徹な決断を迫られる。経営者は孤独である所以である。
2008年3月26日 (水)
恩を忘れた幹部に部下は就いてこない
幹部職にある者は、自分が任された部署が自己所有であるかのような錯覚に陥ることがある。自己都合で上役への報告・連絡・相談を忘れ、経営者にすら信頼を置かなくなっていく。自分がすべてを行っているからこそうまくいっているのだと確信して、他の部署との相互信頼を失くして退職勧告を受けてしまった幹部がいた。
自分たちの部署は自分たちでやっていくのだと他の部署との距離をどんどん深めていく。経営者のことを疎んじるようになり、反感すら覚えて、経営者に相談する部下を詰問するようになる。会議にも出ようとせず、自分たちのことはかまってほしくないと態度を決めているが、思いどうりにいかないことは経営陣や他の部署のせいにしていた。
幹部は自分は絶対に退職させられることはないと思っていたが、退職させられてみると、自分になびいてくる部下はほとんどいなかった。感情的になった幹部の方に僕は聞いた。「あなたは部下から連絡・報告・相談されず、ミーティングにも出席しない部下がいれば、その部下を優秀なスタッフだと思いますか?」「あなたに批判的で、上司に対して批判的なことを言っているスタッフを信頼できますか?」と聞いてみた。
「感情的なあなたに高額な給与を払い、賞与を与え、昇給もして来た経営者。あなたはそんな経営者を信頼しようとせず、報告・連絡・相談を怠り、他の事業部との連絡を絶ってきた。他の事業部の幹部の方はそんな経営者とあなたを比較する。もちろんあなたの事業部の部下も経営者とあなたを比べる。愚痴を抱えた幹部は感情的になるので部下が就いてこないのは当たり前だと思いませんか?」
2008年3月24日 (月)
母さん、私はワ・タ・シ
親は子供のことを思い「おまえはこうしなさい」と言う。子供は自分の考えを持つようになると親の考えを受け入れられなくなる。いつも衝突するが、子供には逃げ場がない。だんだんと子供の顔から笑顔がなくなっていく。愛されているが故に親の価値観を押し付けることで、子供の心はズタズタに切り裂かれてしまう。
「あなたはこうするべきよ」「おまえはこうならなくてはいけない」などといった親の価値観は子供には通用しない。子供は親とは違った価値観を持って成長するものだ。生活のほとんどを親に頼っている子供は親の意見を受け入れなければ生活ができない。不満を抱えたまま親と一緒に生活していけば子供の心は大きく傷つけられる。
親元から逃げるように離れて初めて自分を取り戻そうとするが、心に受けた傷は大きく、心を開けないで苦しむ。大人になり、中年になっても、老年になっても、自分の母親や父親のことで心に苦しみを抱えている人は多い。子供は自分の人生を自分の価値観で作り上げようとする。
親から見てどんなにバカバカしいことであっても子供は積極的に挑戦しようとする。それが自分の生き方だからだ。「母さん、私はワ・タ・シ」それが子供の心からの叫びではないだろうか。子供の価値観を素直に受け入れて応援してあげることが本当の親の愛情だろう。子供の心を切り裂く親の価値観の押しつけはやめた方が良い。
2008年3月22日 (土)
失敗や間違いのない人生などない
「失敗するな!」「間違ったことをするな!」と言われても、失敗を繰り返し、間違いを犯してしまうのが人間だ。そんなことを言われたらビクビクして挑戦するようになり、思い切った行動に出られなくなる。気遣いに疲れ果て、チョットしたミスでも取り返しのつかないミスを犯したと後悔するようになる。ミスを犯した自分を責めていれば、そこから逃げ出さない限り解放されることはない。
「どんどん失敗しろ!」「間違いを恐れるな。責任は俺が取ってやる!」と言われる方がよっぽどましだろうと僕は思う。たくさんの失敗から学ぶことはたくさんある。たくさんの間違いから反省することもたくさんある。その繰り返しだろうし、大人だからって、上司だからって、年上だからって、失敗や間違いを犯すものだ。人間は死ぬまで失敗と間違いを繰り返しているものだ。
人を傷つけ反省し、二度と傷つけまいと思ってもまた人を傷つけてしまうものだ。大人が子供に向かって、上司が部下に向かって、年配者が若者に向かって「どんどん失敗しろ!間違いを恐れるな!人を傷つけるのはいつものことだ、誰でもそうやって生きている!素直に謝り、反省し、うまく生きるのは難しいものだと笑っていればいいじゃないか」と言ってやることだ。


