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2005年9月25日 (日)

やりたくもないことに幸福が隠れてる

30代後半になると仕事が嫌になり思わず会社を辞めたくなる。仕事ばかりでなく自分の家族すらも捨て去ってたった一人になりたくなる。自分探しをしたくなり自分はもっと別な何かをするために産まれたんだと思いたくなる。こんなちっぽけでささやかな生き方など自分の生き方じゃないと否定したくなる。

好きな女性が出来て結婚し家を持ち子供はいないがささやかな家庭を持つようになる。仕事はいつまでたっても同じで出世の見込みはない。これといって資格や免許を取得したわけでもないのに仕事を辞めれば新たな何かに挑戦できると辞職がすべての始まりのように思える。独身時代のきらびやかな思い出に浸ってもう一度あの世界に飛び込んでみたくなる。

何も守るものがなく、何も愛するものがいない時代と違って、今は守るべき家族がいてローンがたっぷり残った家もある。愛情など消えうせた人であったとしてもローンなどこれっぽっちも支払いたくなくとも妻といっしょになって持った家であることには違いない。愛情など消えうせたと思える人でもいっしょにいる限りはしっかりと守るべき人に違いない。

自分のやりたいことなど出来ない人生だからこそ誇りある人生だと言い切れる。やりたいことなど何も出来なかったからこそ守るべきものを守れるのではなかろうか。誰かのために、何かのために自分の人生を賭けて守っているからこそ多くの人の共感を呼び気が付けばそれが自分のやりたいことだったと言える日が来るのではなかろうか。

年月が経ち、消えうせた愛情であっても、しわを刻むように毎日謙虚に黙々と働き守ってゆけば深い尊厳を持った愛情に変わってゆく。家族ために働き、家のローンのために働くことは自分のやりたいことでなくとも家族にすれば偉大なことに違いない。自分を殺して誰かのために生きることを長く続けるほどにその人は偉大な生き方をしている。30代の迷いは若者から大人への脱皮で、しっかりとこれまでの自分の足元を見て自分を見つめる人を守ろうと堅く心に誓って生きてみるべきだ。

幸せは自分のやりたいことが出来るからでなく、自分が守るべきことをしっかりと守った後から感じるものだ。やりたくもないことをしっかりとやりぬいたからこそ感じるものだ。やりたくないことにこそ挑戦し、苦しみ、自己犠牲を強いられ、悔しさを感じながら理不尽だと思い、自分がやりたいことも出来ないストレスをいつも感じながら我慢して笑顔を作り、分かってくれる人もなくただひたすらに守ってきたからこそ感じるものが本当の幸せである。

2005 09 25 [経済・政治・国際] | 固定リンク