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2008年4月13日 (日)
わかるとできるテーマソング・エピソード たかなしさとし物語
僕は現在、東京・赤坂にあるポストプロダクション(映像編集・MAを行う会社)に勤めています。僕が今の会社に就職できたのは、BUNちゃん先生のお陰に他なりません。ここに辿り着くまでには、様々な経緯がありました。今回は、そのことについてお話したいと思います。
1984年・僕は、祖父・祖母・両親・親戚の多数が“薬剤師の資格を持つ”という薬剤師家系の長男として誕生しました。そんな僕は当然の如く薬剤師になるよう育てられ、小学時代の文集には「夢は薬剤師になること」と必ず書いていたことを覚えています。
しかし、中学三年生の秋、その夢は何処かへ行ってしまうことに…。体育祭の出し物であるダンスに夢中になり、その魅力にとりつかれてしまったのです。 まぁ、ダンスに夢中になったきっかけは、転校してきた女の子を振り向かせたいという邪な気持ちだったのですが…。その女の子にはもちろん振られました(笑)
これを機に、ダンスを本格的に習いたいという想いが芽生え、地元・仙台でスクールに通い始めることになります。と言っても、このスクールはダンス専門ではなく、平たく言うと“タレント養成スクール”のようなところで、ダンスを習うには、歌と芝居も共に学ばなくてはならないカリキュラムになっていました。それまでカラオケすら行ったことがなかった僕にとって“歌”というものなどは未知の世界。半ば嫌々トレーニングを続けていたのですが、スクール長の「君はいい声を持っている」という一言で、歌にも真剣に取り組んでみようという意欲が湧いてきました。
それからは、ひたすら歌とダンスに明け暮れる日々・・・そして、いつからか“本格的に習いたい”という気持ちは“プロを目指したい”という気持ちに変わっていきました。以後、タレント養成兼、タレント事務所でもあるこのスクールに、一アーティストとして所属、DoCoMo主催のイベント出演や仙台ホテルでのディナーショー、ZeppSendaiでのワンマンライヴ、ラジオパーソナリティーやテレビ出演、インディーズでのCD発売など、数えきれないほどの経験を積み重ねました。
その後、“僕の目指す道はこれしかない”と言わんばかりに、音楽専門学校への進学を決意。一アーティストとして活動を続ける傍ら、そこではソングライターとしての知識を得ようと、コンピューターを使っての作曲技術を学びました。主に学んだソフトはプロツールス。ここでの経験が現在の僕の職に就く原点となります。
さて、無事音楽専門学校を卒業し、いよいよプロのシンガーソングライターとして本格的に活動を開始する!・・・のかと思いきや、僕が就職した先は、某専門学校ダンス科の講師でした。僕のアーティストとしての活動経歴と、以前からダンス指導を行っていたこともあり、他の専門学校の方から声をかけて頂いたのです。今後、音楽活動をしていくに当たって、ダンス講師というのは時間の融通がきく魅力的なものだったので、それならと選択した職業でした。
そうして、アーティスト活動を続けながら、ダンス講師を務め、1年が過ぎた頃、所属しているスクールの移転話が持ち上がり、“専門学校でMacを扱っていた智史になら、任せても大丈夫だろう”というスクール長の一言から、新たなオフィスでの事務の一切を僕に任せてもらえることになりました。二つ返事で承諾してしまったものの、WordやExcelの知識など持ち合わせているはずもなく、初めて扱うWindowsに僕はお手上げ状態。ですが、HPデザインやスクール広告のデザインなどなど、スクール長の期待はとても大きく、その期待に応えるのは当時の僕の力量では到底無理なことでした。
それが悔しくてたまらず、どうにかしてその期待に応えたい!という想いから、パソコン教室へ通うことに。しかし・・・どういった教室に通えば良いものか・・・、そう思った僕の頭にある光景が浮かんできました。それは、近頃妙にイキイキしてきた、母の姿。帳簿をつけるためにパソコン教室に通い始めた母の姿は、今までとは全く違うもので、とても楽しそうに見えました。そのことを母に尋ねると、母は延々と僕に語りだしたのです。現在通っている教室の分かりやすさ、授業料の安さ、そして何より講師の方の素晴らしさについて。母の話を聞いて、僕もそこに通うことに。そう、その教室が何を隠そう、僕の尊敬するBUNちゃん先生が経営する教室『わかるとできる』だったのです!ここで僕は、わかるとできるとの運命の出逢いを果たしました。
いざ、わかるとできるに通ってみると、楽しいの何のって!!『わかるとできる』には本当に沢山の魅力が詰まっていました。
~僕が感じた『わかるとできる』の魅力~
一.授業はDVDを用いたスタイルなので、自分の興味がある分野を重点的に学び、復習することができる
二.授業に出席できない日があっても、DVDスタイルなので、遅れをとることがない
三.BUNちゃん先生がDVD授業の合間に話す小話がとっても面白い
四.授業内容が夢と希望に溢れている
語っても語り尽くせないほどの魅力溢れる、わかるとできる。母をイキイキさせた理由はここにあったのだと確信しました。わかるとできるに通い、苦手だったはずが、いつの間にか大好きになっていたWindows。Word・Excelを使用した重要書類の作成や、スケジュール管理。Photoshopを使っての、CDジャケット・ライブチラシやポスターなどのデザイン。ブログ講座・ホームページビルダー講座で身につけた技術を活かして作成した、スクールHP・アーティストHPなどなど・・・わかるとできるで身についた技術は、即実践として活用できるものばかりだったので、学ぶ楽しさは倍増していくばかりでした!
母と同様、わかるとできるの魅力の虜になった僕は、空いている時間は教室に通いつめるようになりました。こうして、ダンス講師を務めながら、スクールの事務をこなし、アーティスト活動を行いながら、空いた時間は教室に通い始めて約1年が経過―――。寝る間も惜しんで働き続けた僕ですが、振り返ってみると、その年の年収は40万足らずでした。それもそのはず、収入を得られるものはダンス講師のみだったのですから。スクールからの報酬も多少はありましたが、生活の足しになるほどではありませんでした。
ですが、僕はそれでも充実した人生だと感じていたのです。講師として生徒と関わり合うことは非常に楽しいものでしたし、事務の仕事も、今までお世話になったスクール長への恩返しが出来るのだと思うと、この上ない喜びでした。そんな僕の気持ちとは裏腹に、収入が少ない僕に対して、家族の心配は膨らんでいく一方だったようで、見兼ねた母からは「夢を追うのも良いけれど、端くれながらも社会に出て働いているんだから、自分の衣食住くらい、自分自身で賄いなさい」と言われてしまう始末・・・。それならと、僕は今までの日課に、新聞配達を加えることにしました。
新聞配達が加わったことにより、さらに僕は壮絶な日常を送ることになります。毎朝3時半に起床し、2区間の新聞配達を終えた後、専門学校・高等学校でのダンス講師を務め、スクールでは事務行をこなし、空いた時間に教室へ通い、卒業制作に励む専門学校の生徒に付き合い徹夜し、そのまま一睡もせず翌日を迎え再び新聞配達へ・・・。息つく暇もないほど多忙な毎日の連続。将来が見えない不安定な職よりも、資格を取り、安定した職に就いてもらいたいと願う両親との衝突も絶えませんでした。
そうして、社会人3年目を迎えた頃には、年収は250万を越すほどになっていました。ダンス講師としても信頼を勝ち取り、アーティスト活動も充実。正に全てが“上り調子”。そんなとき、事件は突然起こりました―――・・・。
大きなコンサートを一週間後に控えたある日の練習中、僕はアクロバットの着地に失敗してしまったのです。腰に走った激痛。時間が経つほど増していく痛みに耐えきれず、病院に行った僕に、先生から告げたれた言葉は残酷なものでした。
「腰の骨が削れています。身体を酷使し過ぎたことが原因でしょう。これ以上は踊らないようにしてください。」ドクターストップ――――。少しずつ、少しずつ、積み重ねてきた無理に、身体は悲鳴をあげていました。それに僕は気付くことが出来なかったのです。コンサートは腰をかばいながら何とか乗り切ったものの、ダンス講師は辞めざるを得なくなりました。踊ることを生きがいとしていた僕は、これからどうやって生きていけば良いのか・・・大きな収入元、そして未来への希望すら、突然奪われてしまった僕は、目の前が真っ暗になりました。
どうすれば良いか悩む日々。自分が楽しいと思えるもの・・・今の僕に出来ること・・・そうやって必死で考える中、ある答えが浮かんできました。“音楽・映像編集技術を教えられないだろうか”僕は、それまで自分が出演するライブで使用する音楽、ライブなどで撮影した映像を、編集していました。それを仕事にすることは出来ないだろうかと考えたのです。
悩んでいる暇なんて僕にはありませんでした。思い立つと同時に、スクール長に相談し、紹介してもらった専門学校へ自分が編集したDVDなどを持って営業へ―――。スクール長の推薦ならと、面接もそこそこに採用してもらえることになりました。一度沈みかけた僕の心に、明るい光が差し込んだ瞬間でした。そこで僕は、MACを使用した音楽編集の授業と、Windowsを使用した映像編集の授業を受け持たせてもらえることに。しかし、現実は甘くはありませんでした。
本来、編集の講師というものは、現場の第一線で活躍なさっているプロの方が担当するもの。何の経験もない、ほぼ独学で得たような知識しか持ち合わせていない僕が講師を務めることに周囲の先生方から疑問の声も少なくありませんでした。その疑問は、やがて批判へと変わっていきました。
「ダンスしか能のないような小僧が、どうして急にパソコンを教え始めたんだ?!」
「あんなやつに、本当にパソコン講師が務まるのか?」
「ろくな技術も持ち合わせてないくせに・・・」
周りからの冷やかな視線―――。
確かに、僕には、現場での経験がない上、十分な知識もない。でも、授業を通じて、生徒一人一人に夢と希望を持ってもらいたい!という想いが僕にはありました。“BUNちゃん先生が、授業で夢の素晴らしさを教えてくれるように、僕も生徒に同じ感動を与えてあげたい! 何が出来なくともそれだけは成し遂げたい!” そう自分を奮い立たせる毎日。僕は全身全霊で毎回の指導に取り組みました。そのお陰か、“智史(さとし)先生の授業は楽しい!” “智史先生の授業だけは毎回欠かさず出席している!”そういった言葉をかけてくれる生徒が増え、そのことが僕の心の支えになりました。
そうして授業に励む中、今度は、パソコン講師の方からだけではなく、なぜかダンス講師からも誹謗中傷されるように・・・。
「あいつが編集する映像は最低なものだ、あいつになんか教わらない方がいい」
僕の生徒へ悪口を吹き込み、評価を下げ、やる気を削ごうとする。一度も僕の編集した映像を目にしたことがないような先生が、僕への妬みからとった卑劣な行動でした。
悔しい気持ち・・・やるせない気持ち・・・行き場をなくした僕の哀しみは限界にまで達していました。そんなとき、BUNちゃん先生の授業での一言が僕を救ってくれたのです。“正しいことをしているからこそ、たたかれるんだよ!雑音を気にするな!!”涙が出そうになりました・・・。まるで、今の僕に向けて言われたような言葉。哀しみでいっぱいだった心がスーと晴れ渡り、明日への希望を見出すことが出来ました。“よし!また明日から頑張ろう!!”
それからは、周りの評価など気にせず、ひたすら生徒のことだけを考え、授業を行いました。どうにか質の高い授業を行えないものかと考えた結果、わかるとできるで学んだPowerPointの技術を用いてはどうかと思い立ち、実践。大画面にソフトの操作法を映し出すことによって、大人数への指導が効率よく行えるようになり、生徒からも分かりやすいとの評価を得ることが出来ました。
進路に悩む生徒や、学校を休みがちな生徒がいれば相談に乗りました。また、生徒個人の趣味について語り合うこともありました。卒業制作に励む生徒とともに、徹夜することもありました。
―――少しずつ、少しずつ育んできた信頼関係―――
そうして迎えた卒業式。
「智史(さとし)先生と出会えたことに心から感謝します。いつか必ず恩返しします」
と、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、生徒たちは言ってくれました。
その生徒たちは、専門学校を卒業し、現在、映像関係の仕事に就いて頑張っています。この経験から、僕は”映像で一生食べていきたい”と思うようになり、現在の会社への就職を希望しました。“就職するなら、今は学歴より資格の時代だ”とBUNちゃん先生が授業で仰っておられたことを思い出し、資格取得を決意。『♪訛っている先生にハマってる』僕は、今までのように、空いた時間は教室に通いつめ、楽しく学んで、沢山の資格【P検3級・MicrosoftOffice・Expert (Excel) Specialist(Word・PowerPoint)】の取得に成功しました。その資格のお陰で、僕は現在の職に就くことができたのです。
こうして、上京し、働き始め、ようやく手にした初ボーナスで、家族にお寿司をご馳走しました。幼い頃、祖父がお客様をもてなす度に連れて行ってくれたお寿司屋さん。いつか必ず自分が家族を連れて行こうと決めていました。そのとき、祖父が涙を流して喜んでくれたことは、今でも忘れられない出来事です。
僕の人生の核にはいつも、わかるとできるが、BUNちゃん先生が存在しています。“BUNちゃん先生のお人柄”は本当に魅力的です!BUNちゃん先生の授業中のお話は、恋愛話から、企業話まで、多方面に渡って展開さるのですが、その一つ一つに、愛と勇気と希望が溢れており、聴いているだけで幸せになれたような、そんな気持ちになれます。また、その一つ一つを実行していくことで、本当に幸せを掴むことができるのです!僕はBUNちゃん先生の仰る大切なことは全て実行してきました。笑顔での挨拶や、感謝の気持ちを忘れないこと、愚痴はこぼさないこと、我慢は心の肥しなどなど・・・そうすることで、僕の人生はみるみるうちに明るく、より楽しく、充実したものになっていきました。僕はBUNちゃん先生の授業から、パソコン知識と共に、“人生”をも学ぶことができたのです。
わかるとできるとの出逢いが、そしてBUNちゃん先生との出逢いが、今の僕を築き上げてくれたと言っても過言ではありません。その素晴らしい人生に導いてくださったBUNちゃん先生へ、僕からありったけの感謝を込めて・・・。そういう気持ちから、わかるとできるのテーマソングは生まれました。
そんな僕の夢は、“いつの日かBUNちゃん先生と共に仕事をすること”。大きな夢に向かって、一日を大切に、一歩一歩確実に前に進んで行きたいと思います、“夢と希望”を胸に抱きながら・・・!!
高梨智史


