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2008年12月30日 (火)
君は自分の仕事を感動をもって語れるか!
自分の仕事を涙で語る人々がいる。「BUNちゃん先生と出会って、オーナーに出会い、私は生まれ変わりました!」と語ってくださる。人はそれぞれ順風満帆で生きてきたわけではない。暴風雨に出会い、吹きっさらしの中で寒さに凍え震えが止まらないこともあっただろう。浮遊する流木のようにどこに流れていくのかさえ分からないこともあっただろう。
誰もがそんな中でとある会社に就職し、そこで運命的な出会いをする。「君は自分をもっともっと褒めてやらなければ・・・」自分が褒められる存在だなんて、期待されている存在だなんて、そして愛情いっぱいに厳しくもある上司や社長に出会う。多くの人に、そしてご両親に感謝できる人に変わっていく。気がつくと自分の仕事や会社を熱く語っている。
立ち上がり胸を張って両手を広げて暴風を受け止めている自分に気がつく。傷つくことを、失敗することを恐れない自分がいる。そんな成長をさせてくれた会社や経営者や上司がいる出会いのある場にいる幸せをかみしめながら熱く感謝にうち震えて喜びに溢れて語ってくれる。ともに目標を持って感謝して生きることほど幸せを感じるものはない。
2008年12月28日 (日)
夫婦関係は熟成される
夫婦と云うのは結婚当初はホットな関係だが半年もすると冷めてくる。しかし、3年、7年、10年と経つうちに熟成されとても良い味になっていく。いつも一緒でなければ寂しくて悲しくて切なくてなんてのは夫婦では初級段階で、20年近くなると一緒にいなくても寂しくなく悲しくなく切なくないがお互いに存在を認め合っている空気のような存在になる。
稼ぎが少ない父ちゃんが誰よりも愛おしくなるし、しっかり太って家事をしている母ちゃんが世界一の女だと思えるようになる。いろいろな苦労をかけてすまないねと言えない父ちゃんのことを分かっている母ちゃん、「あんたが私には世界一の父ちゃんだよ」と言ってくれる母ちゃんに励まされて心が温まる夫婦になっていく。
危なっかしいと思っていても、自分たちもあの頃は危なっかしかったねと納得して優しく子供の成長を見守る夫婦。夜中に二人で散歩しているだけなのにお互いに「ありがとう」と言い合っているのがわかる夫婦。このあたりが中級で、「あんたとまた一緒になってあげる」と墓石の前で言うようになれば上級の夫婦だろう。
2008年12月27日 (土)
歩いてみれば見えてくる
貧困の中で暮らしてきた僕は小学校の頃から何とかしてこの状態から抜け出したいと思った。町を流れる広川の河口に行き「ごかい」という虫を掘り出し、磯や堤防で釣りをしている大人相手に売ってみたり、みずから雇って欲しいと直接漁師や商店、建材店などに行き倉庫の整理を手伝ったり、新聞や郵便配達をして少しでも生活費の足しにしていた。
生まれた時から生活に困窮していたので、大人相手に自分を売り込むのが当たり前のように思っていた。当時は大人相手に「職業安定所」(ハローワーク)があったが、子供相手に仕事を紹介してくれるところはなかった。じぶんから自分を売り込みにいくことでどんな商売が儲かっているのか、どんな商売の仕方が儲かっているのかが幼いながらによくわかった。
2008年12月26日 (金)
メリークリスマス
子供たちや妻は僕に「ありがとう」と言ってくれる
ただそれだけが僕には最高のクリスマスプレゼント
来年もそうなるように生きることが僕の喜び
2008年12月25日 (木)
干渉しない愛情
僕は22歳で離縁した妻の家から多額の借財を一人背負い一人息子を置いて出た。毎月の返済額は僕の月収をはるかに超えていたので両親に助けてもらおうと相談に行った。しかし、僕の父は僕が一番困っているときに何の助けもなく「お金で困っている奴にお金をやってもまたせびりに来るだけだ」と冷たく突き放してくれた。
おかげで返済が完了するまでの10年間、僕は両親を恨んだが返済が完了し、久しぶりに実家に寄って報告しに行ったとき、あの夜父が泣きながら母に「今から家にある金を持って息子の所に行ってやろうか」と話したこと、それを母親が男が一度決めたことは何があっても変えてはならないと諭したと聞いた。たとえ、息子が死んでも厳しい親の愛情を貫くと決めたそうだ。
おかげでサラリーマンを辞めて魚の行商に転じ、行商で培った人脈を生かして下着の販売、洋品の販売、2件の洋品店を開き、チラシの請負仕事、服飾メーカーを初めて都内に卸し、化粧品店の開業と10年間でいろいろな経験をすることができた。親は子供に干渉するのが大好きだが子供を突き放していっさい干渉しない愛情ほど辛くて苦しいものはない。あえてそれを選んでくれた自分の親に感謝。
2008年12月24日 (水)
夢を追いかけてたくさん泣いた分だけ成長するものさ
僕は30歳から45歳まで進学学習塾を16年間経営していた。毎年年末になると進路を決めなければならないのでご両親と生徒を交えて進学相談会を開催する。大学受験は数校受けるし全校不合格になる確率は低い。しかし、中学受験や高校受験は本人やご両親のたっての希望もあり受験校の選択は難航する。
受験生が真剣に勉強し始めるのは最終学年の秋以降で周りが受験モードになってから真剣に勉強し始める生徒は地域でいちばん難易度の高い中学や高校には進学できないことが多い。地域一番校は1年以上前から受験を目標にコツコツと勉強できるタイプの子供が合格しやすい。まさに継続は力なりである。
自分が担当している受験生が第一志望校に不合格となり落胆して報告してくれるが、「いいか、人生に失敗はないんだよ。この不合格はきっと君の人生で大きな収穫となる。決して落胆せずに胸を張って生きるんだよ。挑戦したことが君の最高の誇りで、結果はいつでも取り返せる。」と激励する。
先生とは真剣になればなるほど苦しみも大きいしご両親や他の先生からご批判を仰ぐことも多くなる。子供たちの大それた夢を追いかけることを最初から大人が寄ってたかってアキラメさせて子供が得るモノよりもみずから選んだ夢を追いかけて潰れて泣いたことから得るモノの方が大きい。
僕は子供たちのバカみたいに思える夢が大好きで「宇宙飛行士になりたい」「F1ドライバーになりたい」「大会社の社長になりたい」「俺は大金持ち」・・・などいっぱい朝まで僕に語ってくれた。そのどの夢にも僕は真剣に耳を傾けどうすればその夢が叶うのかをアドバイスしてあげた。子供たちの眼がキラキラしていたがご両親からはよく叱られた。
そんな子供たちもすでに20歳から40歳になり街で出会うと良きパパやママになっている。進学校で彼らの将来が決まるわけでなく、彼らが誰に出会うかでその後の人生が大きく変わるということだけは分かる。先生は生徒の人生を変えうる力を秘めている。いまでは年齢に関係なく多くの生徒を抱えているが僕は昔と変わらない。
2008年12月23日 (火)
平成20年11月 総合ランキング 直営教室は14教室がランクイン
平成20年11月 総合ランキングが昨日発表され直営教室は14教室がランクインしています。直営教室に興味を持たれる加盟校様も多くなり、直営スタッフに来ていただきたい、直営教室を見学してみたい、直営教室ミーティングに参加してみたい、直営教室でしばらく働かせて業務遂行のノウハウを身につけたいなど、いろいろなご要望をいただくようになりました。加盟校様を指導育成する立場にあるものとして直営教室を信頼してくださることはまことにうれしい限りです。
直営スタッフは加盟校様の手本となるべく使命に燃えて日々活動しており皆様のご期待に充分応えられるものと思いますので、担当SVを通じていろいろご相談してください。組織は縦割りにしてしまうと横の連携がなくなりますので、ネットワーク型組織と言いますが、横の交流を活発にした組織にしています。具体的には教室長が他の教室に応援し、応援する教室の良きアドバイザー役となったり、反対に良きアドバイスをいただいたりしております。説明会の日や教室ミーティングを合同で行ったりして横の連携を図るようにしています。
業績が落ち込んでいる教室をひとりにしないで他の教室が応援に駆けつける体制にしようと取り組んでいます。もちろん、それだけ経費はかかりますし業績が伸びてくるのは3~6か月後からになるので我慢する期間も必要です。また企業研修を年間計画で取り組んでいただいている加盟校様、新電電やノジマ電気さんなどの躍進が目立ってきました。半年ぐらいは我慢して初期投資が必要になりますが、ここにきて多くの教室がランキングしており、来年度は増設に意欲的となりました。
1位株式会社わかるとできるイトーヨーカドー赤羽校東京都
4位株式会社わかるとできるジャスコ八街校千葉県
7位株式会社わかるとできるジャスコ葛西校東京都
20位株式会社わかるとできるダイエー北本校埼玉県
21位株式会社わかるとできるジャスコ倉敷校岡山県
23位株式会社わかるとできるノジマセンター北校神奈川県
31位株式会社わかるとできるイトーヨーカドー千歳校北海道
34位株式会社わかるとできるジャスコ土山校兵庫県
38位株式会社わかるとできるベスト電器香椎校福岡県
40位株式会社わかるとできるイトーヨーカドー奈良校奈良県
41位株式会社わかるとできるイトーヨーカドー拝島校東京都
42位株式会社わかるとできるゆめタウン大分中津校大分県
43位株式会社わかるとできる西友光明池校大阪府
49位株式会社わかるとできるイトーヨーカドー苫小牧校北海道
2008年12月22日 (月)
僕の万年筆を買ってくれませんか
僕が保育所に通っていた頃、家に男子高校生が訪ねてきた。僕が応対すると親に会いたいというので僕は内職をしている母を呼んだ。その高校生は学生服のポケットに差している万年筆を取り出して「この万年筆を買ってくれませんか」と言った。
まじめそうな学生で親の仕送りが途絶えて生活費に苦労しているとのことだった。僕の家も貧乏でお金などなかった。事情を聞いた母はその学生に「今日からこの家に食事をしに来なさい。その万年筆は親から頂いた大切なものでしょうから大事にしまっておきなさい」と言った
母は家にある食べ物を包んでその学生に渡していた。おかげで夜の食事は茶粥だけとなってしまったが何か良いことをしたという気持ちになっていたので空腹感はなかった。僕もその雨漏りのする古い木造校舎の高校生になり彼は政治家になった。
2008年12月21日 (日)
空を見上げて汗を拭き、大地を見つめて生きる
企業の業績が悪化すると経営者は売り上げの増加策を検討する。営業に走り回り少しでも売り上げを伸ばそうと努力する。それでもダメな場合、悪化する業績に応じて規模を縮小するための経費削減を検討する。出張費や事務所の移転縮小、営業所の廃止や社用車の売却などを実施する。しかし、それでも業績が回復しない場合は人件費の削減に着手する。
人件費の削減には残業の廃止を最初に行い、それでもダメなときは派遣社員の契約を更新せずパートや契約社員の仕事量を削減し、様子を見るが業績がそれでも悪化するようであれば1か月前に解雇通知を行う。それでもダメな場合は正社員の解雇が始まり企業の存続をはかる。企業にとって解雇は最後の手段であり非上場企業の経営者はその苦しみに心を病んでしまう。
僕は職を失った時、お客様や取引企業から幾つかのお誘いがあった。地元企業からのお誘いもあったがすべてお断りして魚の行商という自立の道を選んだ。多額の借財の返済があったからで高収入のチャンスが少しでもある道を選択した。僕が幼い頃、終戦で焼け野原の故郷に立ち、何もない中で家族を養うためにリヤカーを引いて行商している多くの人々を見てきた。
大阪市千林商店街で開業したわずか3坪のお店ダイエーだって日本一のスーパーになっていった。戦争の苦しさに比べたら今の苦労など苦労の内に入らないといつも笑顔で働いていた。自転車の後ろに木箱を積み上げて魚の行商しているおじちゃん、リヤカーに野菜を積んで販売しているおばちゃん、みんな貧乏でその日暮しなにの笑顔で逞しかった。辛いことは胸の内にしまって空を見上げて汗を拭き、大地を見つめてリヤカーを引いていた。
2008年12月20日 (土)
返済不能の処理が済むまで世界同時不況は続く
僕たちは住居や車など高額商品を購入するときローンを組んで購入する。最近は化粧品や洋服までクレジットカードを使って購入できるが、数回に分けて支払いができるのでこれも一種のローンに違いない。ローンは借金して買い物をしていることになり現金の持ち合わせがなくても買い続けることができる。カードローンを利用して借金することもでき収入以上の生活が手に入りやすい環境にある。
収入以上の出費が続く生活は借金が膨らんでいきいつかは破たんする。国家でも企業でも個人でも無限に借金を増やすことはできない。返済能力以上の借入金額になったとき破たんする。世界同時不況になった原因はこうした借金に依存して消費を拡大してきたツケが回ってきたからだ。ローンを組んで購入するモデルが崩壊してローンを組んでも返済してくれない状態になってきている。返済不能の処理が済むまで世界同時不況は続いていくだろう。
2008年12月18日 (木)
誰がそこまで言ってくれる
親は子供の行動に責任があり、犯罪を犯したり人様にご迷惑なことをすれば「親のしつけがなっていないからだ」と言われ、家族や親族にまでその非難は受けなければならない。友達であればそんな責任はなく非難されることもない。必然的に親は子供の行動には厳しい指導をするようになり責任のない友達は人当たりの良いことしか言わないようになる。何か事があれば親が子供の面倒を引き受けなければならないのに対し、友人はその面倒に金銭的な負担を負わなければならないことは一切ない。
大人になるとその付き合い方はさらに希薄になり、面倒なことは一切言わなくなる。誰が嫌われるかもしれないのにあかの他人に真剣に叱るだろう。「君はここを直さなければいけない」と心から叱ってくれる人がひとりでもいる大人は幸せな人で、ほとんどの場合何をしても「そうだよね」と人当たりの良いことしか言わない。そうした人当たりの良い人との付き合いばかりになると私は充分これで満足だと思うようになるが、実際は多くの人に迷惑をおかけしていることがほとんどだ。
厳しいことを言ってくれる人がいる大人は生き方に張り合いを保ち続けている。厳しい自己目標を絶えず意識するようになるし怠けているとすぐに指摘され修正を求められるからだ。それを嫌味や苛めだと受け取るか、自分の修正すべき点だと気がついて真剣に修正して生きてみるかは受け手の人の器次第だ。軌道修正できる人間は成長していくだろうし苛めや嫌味と受け取る人は自分の世界に閉じこもりいつまでも軌道修正できないので違った方向に益々進んでしまう。
僕の人生は軌道修正の連続で、いつも指摘されたり暗示されたことから自分の反省材料を認識してすぐに修正するようにしている。感情的になる時間が無駄に思えるからで、すぐに修正して良い結果を得られればその方が自分にとって得だからだ。人生は限られていると思えばすねていたり怒ったり落ち込んだりしている時間がもったいないと思えるようになる。とにかくやってみてどのような結果が出てくるのかを知ることの方が面白い生き方だと僕は思う。
2008年12月17日 (水)
社長の能力以上の従業員は採用できない
企業経営者は自分の能力以上の従業員はほとんどの場合採用できないし採用できたとしても転職・独立していくことを知らねばならない。企業経営者よりも能力があれば面接時点で見切りをつけるだろうし、就職しても企業のアラが目立ってヤル気を失くし転職するか独立していくだろう。退職してどんどん成長する元従業員などはその典型だ。
企業経営者は優秀な人材が欲しいと言うけれども優秀な人材が欲しければ優秀な人材が就職したいという経営者にならなければいっしょに働いてはくれない。真剣に企業のことを思い現場を回り労をねぎらい働きやすい環境を絶えず創出していき業績向上への明確な方向性を示せるように勉強し人脈を構築する。
企業経営者である自分を高めておけばたとえ企業規模が零細でも優秀な人材はやってくる。優秀な人材は自分の才能を発揮したいので企業規模にはこだわらず何をさせていただけるのか、どんな経営者なのかに興味を抱いている。企業経営者はいつも自社のスタッフを研修して能力を高めているが自分自身を高めなければ見切られる。
三国志で有名な蜀(蜀漢)の初代皇帝劉備がひとり立ち、黄巾の乱に際しての関羽・張飛という最高の武将との出会い、諸葛亮との出会いと三顧の礼を尽くしての参謀入りなど優秀な仲間を集めていくプロセスは現在の企業活動でも同じこと、ともに大志を持ってその時代を生き抜き、民衆のために時代を駆け抜けるからこそ多くの人々に愛されるのだ。
2008年12月16日 (火)
俺が辞めるからお前達で続けてくれ
会社を英語ではCompany(カンパニー)と書きますが、この言葉には「仲間」という意味がある。ある目的のために仕事をしてみようと集まった仲間がCompany。「私といっしょに~をやってみないか」こうした呼びかけで会社を立ち上げ商品を仕入れ、お店に陳列し、街の人にお知らせして販売する。あるいは原材料を仕入れ商品を造り販売する。
会社とは建物でもオフィスでも工場でもなく仲間という「人」に尽きる。いっしょに仕事をする仲間がいなくなれば会社とは言えない。ただ、目的を持っていっしょに仕事をする仲間なので仲間割れを行う行為は許されるものではなく仲間とは言えないので離れなければならない。遅刻、無断欠勤、積極的でない仕事ぶり、指示を無視する行為などは仲間がとる行為ではない。
ともに集まった仲間でも儲けがなくなれば他の仲間のために会社から離れていかねばならないこともある。「どうしよう、もう会社にお金がない」とみんなで話し合ったとき、みんなの給与を少なくしていっしょに働くか?それとも誰かが退職することで仕事をやっていくか?辛い話し合いが始まる。業績の落ち込みが一時的なものであればワークシェアーも良い方法だろう。
2008年12月15日 (月)
株式会社薩摩藩の取締役 小松帯刀
株式会社薩摩藩の大社長といえば島津斉彬 彼を社長と仰ぎ多くの人材が成長を遂げた。西郷隆盛はお庭役につき、小松帯刀は奥小姓に任命されて斉彬の薫陶を受けている。斉彬死後、次の藩主久光によって27歳で家老見習いに抜擢されている。今風に解釈すれば次期社長によって平の取締役に抜擢されたようなものです。
このとき土佐藩では坂本龍馬が脱藩しています。西郷隆盛は久光の指示に背いて徳之島に流罪となっています。28歳で薩英戦争の総指揮を取り敗戦、攘夷が不可能だと知ることになります。早急に戦後処理を行い殖産興業に努めるようになります。また、兵庫で徳川将軍慶喜に召され公武合体を推進することで合意します。
29歳でイギリス商人グラバーから二隻の船を購入、禁門の変では会津とともに長州と戦っています。勝海舟が幕府軍艦奉行を罷免され路頭に迷う坂本龍馬などの海軍操練所の塾生30名ほどを引き受けます。坂本龍馬の後ろ盾となり彼の活動を援助しています。薩長連合は彼の存在なくては成立しませんでした。
32歳で大政奉還を徳川慶喜に決意させ、江戸城総攻撃を中止し無血開城に向かわせましたが病状が悪化、その後35歳で病死するまで病気養生に努めています。下級武士であった西郷隆盛が薩摩軍を指揮できたのも大久保利通が活躍できたのも小松帯刀が引きたてたからに他なりません。
2008年12月14日 (日)
働く人がいればこそ国家は成り立つ
国中に宗教家が溢れても国に納税者がいなくなり国家としては成り立たない。国中に政治家が溢れても税収のない国家は成り立たない。国中に民間企業で働く人々が溢れたらその収入によって税収は豊かになり国家は繁栄する。企業が活発なる経済活動を行うことが国家の根幹となることは古今東西の真理である。労働失くして国家は成り立たない。
荒廃した国土に建設の志士が立ち、多くの人々にその意思を伝え共に働くことで収入を得て家族を養い、国土を豊かなものに変えていく。明治維新の頃の企業人、第二次世界大戦後の企業人の多くはそんな思いでこの日本を創ろうとした。「労働は国民の義務である」と日本国憲法にあるように働ける人々は国家建設のためにその労力を惜しみなく発揮していただきたいと表現している。
企業人の誇りのひとつにその企業で働く人々の多さがあるだろう。経営者が「10人の雇用を確保している」と言えば、それは10人の人々が属する家族を支える仕事を提供しているということである。企業経営者は人々の雇用を確保するために仕事を創造する。労働者はみずからの家族を養っているだけでなく国家を養っているという誇りを持って仕事をすればいい。
2008年12月12日 (金)
今日の私はとても素敵
僕はかつて25歳前後のキャリヤウーマンを対象にしたブティックを経営していました。そのとき、どんなに美人でスタイルが良くても着映えのしない女性がいることに気が付きました。姿勢が悪いので素敵な洋服がよれよれに見えてしまうのです。反対にスタイルや容姿に自信がなくても笑顔で姿勢が良い女性は洋服がとても素敵に見えることも発見しました。洋服はその人の姿勢を現わしているのです。
昔、ファションモデルが洋服の着こなしのアドバイスをしてくれました。「洋服を着こなすには自分が生きていることに自信を持つこと。そのためにはいつも努力を惜しまずに生きることよ。」彼女は痩せることや脚の長いことや背筋を伸ばすことではなく生きている自分に自信を持てとアドバイスしてくれたのです。これには驚きを感じましたがさすがはプロのモデルだなと感心しました。
どんなに他人から思われようとも蔑まされようとも自分はいつも自分を褒めてあげることができます。仕事で疲れたり嫌味を言われたり、恋人に裏切られても「今日はよく頑張ったね。今日の私はとても素敵」と自分自身を褒めてあげてください。どうせ自分はたいしたことのない人間だものと諦めないでどんなことでもやってみればカッコ悪いかもしれないけれどやらないよりはましと言い聞かせてあげてください。
2008年12月11日 (木)
お互いの感情は鏡のように映し出される
子育てに苦しんでいる親は多いが、それと同じ数の子供が親に苦しんでいる。お互いの感情は鏡のように映し出されるからで「どうしてあの子は・・・」と思うように「どうしてお母さんは(お父さんは)・・・」と思っているものだ。親の期待が大きいほど子供は自分を見失いそうになり激しく抵抗する。自立しようとしてもがいている子供に無償の愛情を持って見守ることがいちばんだろう。
才能よりも意志と継続こそが大切
100mを10秒以下で走ればオリンピックで金メダルを取るチャンスがあるが20秒もあればほとんどの人は100mを走りきる。せいぜいその差は2倍程度で人間の能力に数倍の差はない。ただホンの少しの差であっても継続すれば日にちが経つにつれて大きな差になって表れてくる。
何としてもやりきるという強い意志と日々の継続があればホンの少しの差であっても大きな成功を収めることができる。才能よりも意志と継続こそが大切だと思う。才能がないからと嘆いている人でも、毎日ホンの少しでも挑戦し続けていれば2~3年もすれば大きな差となって表れてくる。
2008年12月 9日 (火)
職人としての誇りってなんだ
僕のおじさんは和食の料理人だった。おじさんは独立して繁盛する料理屋を経営していた。僕は保育所の年長者の頃からおじさんの調理の仕事を手伝い、いろいろなことを教えてもらった。料理人は自分の腕を磨くことは当然だが、慢心をおこすとお客様は自分が調理したものを黙って食えばいいと思ってしまう。しかし、プロの調理人はお客様が最高の気分で「ありがとうございました」と美味しさを感謝の言葉で語ってくださるように調理するものだと教えてくれた。
お客様が変われば自分の調理も変える変幻自在が必要で、それができるのが本当のプロだと語っていた。商売繁盛の秘訣は最高の腕を持ちながらひとりひとりのお客様のご要望をお聞きしてお客様が最高の満足を得るようにアレンジして調理して差し上げることでお客様のご満足を得ることのない商売は繁盛しない。頑固にならねばならぬことと変化に対応しなければならぬことを見誤ると繁盛しないお店になり多くの人に迷惑をかけてしまう。
おじさんはまた自分のことを知っていただくために商店街に立ち自分の手書きのチラシを持って手配りしていた。プロはお店に来てくださるお客様に調理するだけではダメで、ここに自分がいてお客様のお気に召す最高の料理をお出しできることを知っていただく作業を怠ってはいけないと教えてくれた。料理人の恥だと陰口をたたかれても毎日のように商店街の一角で手配りし続けたがその積み重ねがなければ繁盛店を創れないと教えてくれた。
2008年12月 8日 (月)
天国から地獄へは早いですなぁ
和歌山県は磯釣り川釣りのメッカでもあり週末には多くの釣り人が関西一円からやってくる。毎週のように大阪からやってくる67歳になる釣り人はタクシーの運転手で15年前は手取り27万円あったそうですが今では16万円程度になり年金暮らしでなければタクシーの運転手はやっていけないとこぼしていました。
この釣り人は大阪生まれで工場で働き腕を磨いて会社を立ち上げ順風満帆に業績を上げていましたがバブル絶頂の頃会社を広げて失敗したそうです。その頃は100万円が小銭に思えたそうで、大阪ミナミの繁華街で派手に飲み歩いていたと話してくれました。バブル崩壊とともにあれよあれよという間に赤字になって倒産してしまったそうです。
赤字になっても今に良くなると思い込んでいたそうで多額の借金を重ねてしまったそうです。会社を起こした当時の謙虚さがなくなり作れば売れる置けば売れる時代になり商売を甘く見てしまったと反省していました。「天国から地獄へは早いですなぁ、私のような者は経営者には向いていませんなぁ」と笑いながら話していました。
2008年12月 5日 (金)
これは嫌だ、あれはできない
戦後日本に引き揚げてきた人々は一面の焼け野原を見て落ち込んではいなかった。戦争が終わりこれで平和に家族と暮らせるという嬉しさがあった。仕事を探しても会社自体がない。彼らは食料を求めて海に出たり山に行ったり・・・。僕のお父さんは田舎の河で魚をとって闇市で売っていた。行商人ではあるが立派な個人事業主に誰もがなっていった。
家族を養うためには仕事を選別している余裕などなかった時代、多くの人はリヤカーに作物や魚などを積み売り歩いていた。誰もが貧乏で餓死しそうな人をみると自分のなけなしの食べ物を提供して励まし合っていた。バラックのような家に住み、ベコベコになった鍋でお粥を作り、ちゃぶ台で一家が粗末な食事をした。たった50年ほど昔の日本にはそんな光景が当たり前だった。
職を探して職があればいいが職がなければ落ち込んでいても腹を立てていてもしょうがない。手に職をつけるよう勉強するか独立するよう知恵をしぼるか今の世の中昔に比べれば恵まれている。愛すべき人を守るためにも自分のプライドや恥を捨てていちから出直すことだ。焼け野原の日本でも人間生きていけたんだもの何とかなるものさ。
2008年12月 4日 (木)
僕は真剣に生きてみたいんだ!
自分の職場を誇りあるものにするのも後悔するものにするのもそこで働くひとりひとりの自覚で決まる。誰もヤル気のない職場に就き真剣に働こうとすると「目立ってどうする」と叱責を受ける。そんな職場にいると頑張ろうとする意欲が薄れていく。ヤル気のない従業員ばかりの職場にいることすら嫌気がさして自己嫌悪になる。
そんな会社でも信頼してくださるお客様がいる。いつも感謝して頭を垂れてくださる。そんなお客様に対してヤル気のない対応をしていることに腹立たしさを覚えて会議の席上で「僕たちはお客様をバカにしていませんか。僕たちを信頼してつきあってくださるお客様が誇りに思ってくださる職場だと胸を張って言えるでしょうか。」
「お客様は僕たちを信頼してくださって真剣につきあってくださっている。僕たちも真剣にお客様と向き合ってつきあおうではありませんか。僕たちのお客様が誇りに思える会社にしようではありませんか。」発言している間は涙がこぼれてくる。職場は生きることに真剣になりたいと思う社員が役職に関係なくひとりでもいれば変わる。
「僕は真剣に生きてみたいんだ!」と自覚したときから成長は始まる。真剣に生きるとは自分がやりたいことをたくさん我慢する生き方でもあるが、我慢して一歩一歩努力することで月日が経てば大きな成長になっているものだ。そう思って生きている人が将来、成功者だと評価され多くの人から尊敬を受けるようになる。
2008年12月 3日 (水)
くそ!見返してやる
凡人が自分のやりたいことだけやって生活していると怠惰な生活に陥りがちで、テレビ、ゲーム、友人とのたわいのないメール交換、ごろ寝、インスタントな食事、部屋でジッとしている毎日になりがちだ。「自分のやりたいことをやればいい」と言われても今で充分自分がやりたいことをやっている。周りの人が心配しているように自分もこれでいいのかと心配している。
こうした生活には高い目標も使命感もないので心底悔しい思いをすることもない。片思いの人ができて愛を告白したときに「今のあんたに私が養えるの、私をバカにしているの」と一喝されるとか、生活するお金もなくて親にお金をねだりに行って「お金がないなら死んでしまえ」と追い出されたり、友人から「おまえと俺とでは勝負にならない」と無視されたり・・・こうした悔しい思いに出会って変わろうとする。
「くそ!見返してやる」悔し涙は今の自分の不甲斐なさに気がついた瞬間でもある。モーレツに勉強する人もいるだろうし、トレーニングに集中する人もいるだろうし、仕事に真正面から向き合う人もいるだろう。気合いの入った生活がそこから始まる。悔しい思いをすれば明確な目標が決まる。今までは自分のやりたいことだけだったものが誰かを見返してやるという意識に変わる。
その意識で突っ走った人が見返すことができるような自分になった時に他人のことも考えられる自分に変わったことに気がつく。凡人が変わる瞬間は今の生活を強烈に否定されとても悔しい思いをしたときで、最初から崇高な思いで努力できる人は少ない。順当に成功への道を歩んでいる人も少ない。成功者だと言われるほとんどの人はとても悔しい思いをしてヤル気のスイッチが入ったのである。


