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2009年6月19日 (金)

昭和30年代 多くの家は貧乏だった

僕は、ちょうどペリー来航から100年後の昭和28年8月28日生まれ。終戦の痛手を感じつつ、さあこれから日本再生だという芽が出てくるころだった。空襲を受けていない田舎には昔の家並みが残っていたし学校は古い木造校舎だった。先生の多くは帰還兵で授業といっても戦争体験談が多かった。元兵隊の先生はとても生徒には厳しくよくゲンコツをくらった。

多くの家は貧乏で子供は小学校から親の手伝いをしたり内職などの手間仕事をしていた。洋食はほとんど食べたことがなく都会の百貨店の大食堂でカレー・フライ・ハンバーグなどを知った。家では魚と野菜中心の食べ物でお菓子などは大人が食べるものだと思っていた。お酒の当てに親がお菓子を食べているとき、おこぼれを戴いて早く大人になりたいと思った。

小学生の頃は肉と言えば鶏肉で牛肉を食べる家などほとんどなく、誰もが家で牛肉を食べるとなるとクラス中に自慢していた。「俺ん家、今日牛肉食べるんやで」と誰かが言えば、クラス中から「うわー、すご~い」といった会話がなされていた。テレビもなくラジオを聴きながら必死になって親が働いている姿を見ながら子供は大きくなっていった。

2009 06 19 [歴史] | 固定リンク