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2009年7月30日 (木)
百貨店の業績の落ち込みが止まらない
百貨店はかつて庶民の憧れだった。明日、百貨店に行くとなればいちばん素敵な洋服を着てルンルン気分で出かけたものだ。店内はお祭り状態で人でごった返していた。ファミリーレストランでの食事は幼い僕の憧れだった。屋上ではペットショップと遊園道具がありいつまでも遊んでいたいと思ったものだ。
その百貨店の業績はこの1年半ほど下がり続けている。ブランド商品製造業者は百貨店から外に出て自分のお店を持つようになった。また、ブランド商品もネットで購入する方が安く買えるようになった。もともと、百貨店は場所貸しでメーカーからの出向で販売員を確保しているので接客はうまくない。
ネットで購入できなく百貨店に行かなければ購入できない憧れのブランド商品が多かったので、お客様は嫌味な販売員やヤル気のない販売員でも我慢していたが、ネットでも購入でき、ブランドショップに行けばもっと多くの商品を見ることができれば百貨店に行かなくなるのも自然だろう。
収益なくして給与なし
2008年10月の金融不安から資金の流れに急ブレーキがかかり、世界中で失業者が溢れた。企業の業績は急降下で前年比50%以下という悲惨な製造業も出て大量リストラ、夏のボーナスカットなどで倒産を何とか食い止めている状態だ。企業は儲からなければ従業員に給与を支払えないし雇い続けることが出来ない。
企業の業績がそのまま従業員の給与やボーナス、雇用維持に直結している。そのため、経営者はもっとも業績にこだわる。好業績の企業では従業員ひとりひとりにコスト意識や経営者意識などといって業績にこだわる働き方をしてほしいという取り組みがなされている。のんべんだらりと働いていれば飯が食える時代は終焉した。
情報伝達がパソコンによって誰にでも瞬時に伝わる時代ではスピードが求められる。従業員ひとりひとりが企業業績向上のために努力しなければ業績は向上しない。従業員に求められるスキルはパソコン、簿記、企画力、実行力、組織力、専門知識など多岐にわたるようになった。雇用する方の要求はますます高くなってきている。
2009年7月28日 (火)
わかるとできる10周年記念 BUNちゃん講演会
「わかるとできる10周年記念 BUNちゃん講演会」を開催いたします。
参加希望者の方はお近くのわかるとできるパソコン教室、または、本社までお問い合わせください。どなた様でも参加できますが、事前予約の上、チケットの購入が必要となります。
■日程
平成21年10月5日(月)・・・福岡会場( 50名)
平成21年10月6日(火)・・・大阪会場(150名)
平成21年10月7日(水)・・・浜松会場( 90名)
平成21年10月8日(木)・・・東京会場(250名)
平成21年10月9日(金)・・・札幌会場( 50名)
■スケジュール(予定)
「BUNちゃん講演会」
開場:10:00~
開演:10:30~
閉会:11:30
■会場
【10/5:福岡会場】
会場:福岡朝日ビル 「15会議室」
住所:福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話:092-431-1228
地図:http://www.fukuoka-asahi-bldg.co.jp/access/index.html
【10/6:大阪会場】
会場:エル・おおさか(大阪府立労働センター)「南ホール」
住所:大阪府大阪市中央区北浜東3-14
電話:06-6942-0001
地図:http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html
【10/7:浜松会場】
会場:アクトシティ浜松 研修交流センター「62研修交流室」
住所:静岡県浜松市中区坂屋町111-1
電話:053-451-1111
地図:http://www.actcity.jp/floor/seminar/access.php
【10/8:東京会場】
会場:TFTビル(東京ファッションタウン)「研修室908・909」
住所:東京都江東区有明3-1(東館9F)
電話:03-5530-5010
地図:http://www.tokyo-bigsight.co.jp/tft/access/index.html
【10/9札幌会場】
会場:かでる2・7(北海道立道民活動センター)「520会議室」
住所:北海道札幌市中央区北2条西7丁目 道民活動センタービル
電話:011-204-5100
地図:http://www.kaderu27.or.jp/select_07.html
2009年7月26日 (日)
2009年7月5日(日曜日) 教え子の結婚式
「わかるとできる」は誰もが嬉々として生きる「夢」と「希望」を与える学び舎として創立10年を迎えました。日本一のパソコン教室という評価を得るようになりました。僕の講義を受け、人生のどん底から這い上がったひとりの教え子から結婚式の招待状が来ました。とてもうれしく式場で彼を見るなり僕は感動して泣きだしそうになりました。
かつて送ってくれた彼からのお手紙を紹介します。
2008年4月13日 (日)のブログより
わかるとできるテーマソング・エピソード たかなしさとし物語
僕は現在、東京・赤坂にあるポストプロダクション(映像編集・MAを行う会社)に勤めています。僕が今の会社に就職できたのは、BUNちゃん先生のお陰に他なりません。ここに辿り着くまでには、様々な経緯がありました。今回は、そのことについてお話したいと思います。
1984年・僕は、祖父・祖母・両親・親戚の多数が“薬剤師の資格を持つ”という薬剤師家系の長男として誕生しました。そんな僕は当然の如く薬剤師になるよう育てられ、小学時代の文集には「夢は薬剤師になること」と必ず書いていたことを覚えています。
しかし、中学三年生の秋、その夢は何処かへ行ってしまうことに…。体育祭の出し物であるダンスに夢中になり、その魅力にとりつかれてしまったのです。 まぁ、ダンスに夢中になったきっかけは、転校してきた女の子を振り向かせたいという邪な気持ちだったのですが…。その女の子にはもちろん振られました(笑)
これを機に、ダンスを本格的に習いたいという想いが芽生え、地元・仙台でスクールに通い始めることになります。と言っても、このスクールはダンス専門ではなく、平たく言うと“タレント養成スクール”のようなところで、ダンスを習うには、歌と芝居も共に学ばなくてはならないカリキュラムになっていました。それまでカラオケすら行ったことがなかった僕にとって“歌”というものなどは未知の世界。半ば嫌々トレーニングを続けていたのですが、スクール長の「君はいい声を持っている」という一言で、歌にも真剣に取り組んでみようという意欲が湧いてきました。
それからは、ひたすら歌とダンスに明け暮れる日々・・・そして、いつからか“本格的に習いたい”という気持ちは“プロを目指したい”という気持ちに変わっていきました。以後、タレント養成兼、タレント事務所でもあるこのスクールに、一アーティストとして所属、DoCoMo主催のイベント出演や仙台ホテルでのディナーショー、ZeppSendaiでのワンマンライヴ、ラジオパーソナリティーやテレビ出演、インディーズでのCD発売など、数えきれないほどの経験を積み重ねました。
その後、“僕の目指す道はこれしかない”と言わんばかりに、音楽専門学校への進学を決意。一アーティストとして活動を続ける傍ら、そこではソングライターとしての知識を得ようと、コンピューターを使っての作曲技術を学びました。主に学んだソフトはプロツールス。ここでの経験が現在の僕の職に就く原点となります。
さて、無事音楽専門学校を卒業し、いよいよプロのシンガーソングライターとして本格的に活動を開始する!・・・のかと思いきや、僕が就職した先は、某専門学校ダンス科の講師でした。僕のアーティストとしての活動経歴と、以前からダンス指導を行っていたこともあり、他の専門学校の方から声をかけて頂いたのです。今後、音楽活動をしていくに当たって、ダンス講師というのは時間の融通がきく魅力的なものだったので、それならと選択した職業でした。
そうして、アーティスト活動を続けながら、ダンス講師を務め、1年が過ぎた頃、所属しているスクールの移転話が持ち上がり、“専門学校でMacを扱っていた智史になら、任せても大丈夫だろう”というスクール長の一言から、新たなオフィスでの事務の一切を僕に任せてもらえることになりました。二つ返事で承諾してしまったものの、WordやExcelの知識など持ち合わせているはずもなく、初めて扱うWindowsに僕はお手上げ状態。ですが、HPデザインやスクール広告のデザインなどなど、スクール長の期待はとても大きく、その期待に応えるのは当時の僕の力量では到底無理なことでした。
それが悔しくてたまらず、どうにかしてその期待に応えたい!という想いから、パソコン教室へ通うことに。しかし・・・どういった教室に通えば良いものか・・・、そう思った僕の頭にある光景が浮かんできました。それは、近頃妙にイキイキしてきた、母の姿。帳簿をつけるためにパソコン教室に通い始めた母の姿は、今までとは全く違うもので、とても楽しそうに見えました。そのことを母に尋ねると、母は延々と僕に語りだしたのです。現在通っている教室の分かりやすさ、授業料の安さ、そして何より講師の方の素晴らしさについて。母の話を聞いて、僕もそこに通うことに。そう、その教室が何を隠そう、僕の尊敬するBUNちゃん先生が経営する教室『わかるとできる』だったのです!ここで僕は、わかるとできるとの運命の出逢いを果たしました。
いざ、わかるとできるに通ってみると、楽しいの何のって!!『わかるとできる』には本当に沢山の魅力が詰まっていました。
~僕が感じた『わかるとできる』の魅力~
一.授業はDVDを用いたスタイルなので、自分の興味がある分野を重点的に学び、復習することができる
二.授業に出席できない日があっても、DVDスタイルなので、遅れをとることがない
三.BUNちゃん先生がDVD授業の合間に話す小話がとっても面白い
四.授業内容が夢と希望に溢れている
語っても語り尽くせないほどの魅力溢れる、わかるとできる。母をイキイキさせた理由はここにあったのだと確信しました。わかるとできるに通い、苦手だったはずが、いつの間にか大好きになっていたWindows。Word・Excelを使用した重要書類の作成や、スケジュール管理。Photoshopを使っての、CDジャケット・ライブチラシやポスターなどのデザイン。ブログ講座・ホームページビルダー講座で身につけた技術を活かして作成した、スクールHP・アーティストHPなどなど・・・わかるとできるで身についた技術は、即実践として活用できるものばかりだったので、学ぶ楽しさは倍増していくばかりでした!
母と同様、わかるとできるの魅力の虜になった僕は、空いている時間は教室に通いつめるようになりました。こうして、ダンス講師を務めながら、スクールの事務をこなし、アーティスト活動を行いながら、空いた時間は教室に通い始めて約1年が経過―――。寝る間も惜しんで働き続けた僕ですが、振り返ってみると、その年の年収は40万足らずでした。それもそのはず、収入を得られるものはダンス講師のみだったのですから。スクールからの報酬も多少はありましたが、生活の足しになるほどではありませんでした。
ですが、僕はそれでも充実した人生だと感じていたのです。講師として生徒と関わり合うことは非常に楽しいものでしたし、事務の仕事も、今までお世話になったスクール長への恩返しが出来るのだと思うと、この上ない喜びでした。そんな僕の気持ちとは裏腹に、収入が少ない僕に対して、家族の心配は膨らんでいく一方だったようで、見兼ねた母からは「夢を追うのも良いけれど、端くれながらも社会に出て働いているんだから、自分の衣食住くらい、自分自身で賄いなさい」と言われてしまう始末・・・。それならと、僕は今までの日課に、新聞配達を加えることにしました。
新聞配達が加わったことにより、さらに僕は壮絶な日常を送ることになります。毎朝3時半に起床し、2区間の新聞配達を終えた後、専門学校・高等学校でのダンス講師を務め、スクールでは事務行をこなし、空いた時間に教室へ通い、卒業制作に励む専門学校の生徒に付き合い徹夜し、そのまま一睡もせず翌日を迎え再び新聞配達へ・・・。息つく暇もないほど多忙な毎日の連続。将来が見えない不安定な職よりも、資格を取り、安定した職に就いてもらいたいと願う両親との衝突も絶えませんでした。
そうして、社会人3年目を迎えた頃には、年収は250万を越すほどになっていました。ダンス講師としても信頼を勝ち取り、アーティスト活動も充実。正に全てが“上り調子”。そんなとき、事件は突然起こりました―――・・・。
大きなコンサートを一週間後に控えたある日の練習中、僕はアクロバットの着地に失敗してしまったのです。腰に走った激痛。時間が経つほど増していく痛みに耐えきれず、病院に行った僕に、先生から告げたれた言葉は残酷なものでした。
「腰の骨が削れています。身体を酷使し過ぎたことが原因でしょう。これ以上は踊らないようにしてください。」ドクターストップ――――。少しずつ、少しずつ、積み重ねてきた無理に、身体は悲鳴をあげていました。それに僕は気付くことが出来なかったのです。コンサートは腰をかばいながら何とか乗り切ったものの、ダンス講師は辞めざるを得なくなりました。踊ることを生きがいとしていた僕は、これからどうやって生きていけば良いのか・・・大きな収入元、そして未来への希望すら、突然奪われてしまった僕は、目の前が真っ暗になりました。
どうすれば良いか悩む日々。自分が楽しいと思えるもの・・・今の僕に出来ること・・・そうやって必死で考える中、ある答えが浮かんできました。“音楽・映像編集技術を教えられないだろうか”僕は、それまで自分が出演するライブで使用する音楽、ライブなどで撮影した映像を、編集していました。それを仕事にすることは出来ないだろうかと考えたのです。
悩んでいる暇なんて僕にはありませんでした。思い立つと同時に、スクール長に相談し、紹介してもらった専門学校へ自分が編集したDVDなどを持って営業へ―――。スクール長の推薦ならと、面接もそこそこに採用してもらえることになりました。一度沈みかけた僕の心に、明るい光が差し込んだ瞬間でした。そこで僕は、MACを使用した音楽編集の授業と、Windowsを使用した映像編集の授業を受け持たせてもらえることに。しかし、現実は甘くはありませんでした。
本来、編集の講師というものは、現場の第一線で活躍なさっているプロの方が担当するもの。何の経験もない、ほぼ独学で得たような知識しか持ち合わせていない僕が講師を務めることに周囲の先生方から疑問の声も少なくありませんでした。その疑問は、やがて批判へと変わっていきました。
「ダンスしか能のないような小僧が、どうして急にパソコンを教え始めたんだ?!」
「あんなやつに、本当にパソコン講師が務まるのか?」
「ろくな技術も持ち合わせてないくせに・・・」
周りからの冷やかな視線―――。
確かに、僕には、現場での経験がない上、十分な知識もない。でも、授業を通じて、生徒一人一人に夢と希望を持ってもらいたい!という想いが僕にはありました。“BUNちゃん先生が、授業で夢の素晴らしさを教えてくれるように、僕も生徒に同じ感動を与えてあげたい! 何が出来なくともそれだけは成し遂げたい!” そう自分を奮い立たせる毎日。僕は全身全霊で毎回の指導に取り組みました。そのお陰か、“智史(さとし)先生の授業は楽しい!” “智史先生の授業だけは毎回欠かさず出席している!”そういった言葉をかけてくれる生徒が増え、そのことが僕の心の支えになりました。
そうして授業に励む中、今度は、パソコン講師の方からだけではなく、なぜかダンス講師からも誹謗中傷されるように・・・。
「あいつが編集する映像は最低なものだ、あいつになんか教わらない方がいい」
僕の生徒へ悪口を吹き込み、評価を下げ、やる気を削ごうとする。一度も僕の編集した映像を目にしたことがないような先生が、僕への妬みからとった卑劣な行動でした。
悔しい気持ち・・・やるせない気持ち・・・行き場をなくした僕の哀しみは限界にまで達していました。そんなとき、BUNちゃん先生の授業での一言が僕を救ってくれたのです。“正しいことをしているからこそ、たたかれるんだよ!雑音を気にするな!!”涙が出そうになりました・・・。まるで、今の僕に向けて言われたような言葉。哀しみでいっぱいだった心がスーと晴れ渡り、明日への希望を見出すことが出来ました。“よし!また明日から頑張ろう!!”
それからは、周りの評価など気にせず、ひたすら生徒のことだけを考え、授業を行いました。どうにか質の高い授業を行えないものかと考えた結果、わかるとできるで学んだPowerPointの技術を用いてはどうかと思い立ち、実践。大画面にソフトの操作法を映し出すことによって、大人数への指導が効率よく行えるようになり、生徒からも分かりやすいとの評価を得ることが出来ました。
進路に悩む生徒や、学校を休みがちな生徒がいれば相談に乗りました。また、生徒個人の趣味について語り合うこともありました。卒業制作に励む生徒とともに、徹夜することもありました。
―――少しずつ、少しずつ育んできた信頼関係―――
そうして迎えた卒業式。
「智史(さとし)先生と出会えたことに心から感謝します。いつか必ず恩返しします」
と、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、生徒たちは言ってくれました。
その生徒たちは、専門学校を卒業し、現在、映像関係の仕事に就いて頑張っています。この経験から、僕は”映像で一生食べていきたい”と思うようになり、現在の会社への就職を希望しました。“就職するなら、今は学歴より資格の時代だ”とBUNちゃん先生が授業で仰っておられたことを思い出し、資格取得を決意。『♪訛っている先生にハマってる』僕は、今までのように、空いた時間は教室に通いつめ、楽しく学んで、沢山の資格【P検3級・MicrosoftOffice・Expert (Excel) Specialist(Word・PowerPoint)】の取得に成功しました。その資格のお陰で、僕は現在の職に就くことができたのです。
こうして、上京し、働き始め、ようやく手にした初ボーナスで、家族にお寿司をご馳走しました。幼い頃、祖父がお客様をもてなす度に連れて行ってくれたお寿司屋さん。いつか必ず自分が家族を連れて行こうと決めていました。そのとき、祖父が涙を流して喜んでくれたことは、今でも忘れられない出来事です。
僕の人生の核にはいつも、わかるとできるが、BUNちゃん先生が存在しています。“BUNちゃん先生のお人柄”は本当に魅力的です!BUNちゃん先生の授業中のお話は、恋愛話から、企業話まで、多方面に渡って展開さるのですが、その一つ一つに、愛と勇気と希望が溢れており、聴いているだけで幸せになれたような、そんな気持ちになれます。また、その一つ一つを実行していくことで、本当に幸せを掴むことができるのです!僕はBUNちゃん先生の仰る大切なことは全て実行してきました。笑顔での挨拶や、感謝の気持ちを忘れないこと、愚痴はこぼさないこと、我慢は心の肥しなどなど・・・そうすることで、僕の人生はみるみるうちに明るく、より楽しく、充実したものになっていきました。僕はBUNちゃん先生の授業から、パソコン知識と共に、“人生”をも学ぶことができたのです。
わかるとできるとの出逢いが、そしてBUNちゃん先生との出逢いが、今の僕を築き上げてくれたと言っても過言ではありません。その素晴らしい人生に導いてくださったBUNちゃん先生へ、僕からありったけの感謝を込めて・・・。そういう気持ちから、わかるとできるのテーマソングは生まれました。
そんな僕の夢は、“いつの日かBUNちゃん先生と共に仕事をすること”。大きな夢に向かって、一日を大切に、一歩一歩確実に前に進んで行きたいと思います、“夢と希望”を胸に抱きながら・・・!!
高梨智史
2009年7月24日 (金)
将来を悲観する人は社会で名を成さない
渋沢栄一は商人の子として生を受け、尊王攘夷の志士として活発に活動していた彼は一転して一橋家に奉公し、勘定役(会計係)として徳川昭武(あきたけ)に随行して渡欧するチャンスを得る。明治維新となり一橋家から明治新政府に請われて大蔵省で働くようになる。
その後官職を辞して日本で初めての第一国立銀行の設立に努力して総監役として日本の殖産興業に多大の貢献をすることとなる。彼はいつ如何なる時も、その置かれた状況において自己の最大限の努力を惜しまず一生懸命に生きている。そのことが社会で名を成す原動力になっている。
渋沢栄一は「自分は幸せ者だ」と半生を振り返って言ったそうだ。幸運もあったろうが、彼の意思が幸運を呼び寄せたのが正解だろう。如何なる人にも「絶望の中に希望があり 悲観の中に夢がある」と、僕は思う。
2009年7月23日 (木)
経営者の思い
大人になり会社勤めをするようになり給与を貰って自分の生活を始める。そのうちに好きな人ができて、この人といっしょに暮したいと思うようになる。結婚して妻が妊娠すると収入は旦那の分だけとなり益々働きにも頑張りを増す。一家を支える立場となり、会社から無理な仕事を頼まれても家族のために頑張れるようになる。
僕は経営者なのでこうした意識で働いている従業員を多く抱えている。彼らのご家族の将来も担っているので会社の業績には人一倍気を遣う。一家の働き手の父親の収入を期待してマンションを購入する従業員、お子様がご結婚される従業員、お子様を進学させている従業員…彼らの生活の糧を確保する最終責任は僕にある。
経営者である自分にも家族があり、それぞれに進学しようと勉強している。進学するにはお金がいるので毎月の学費などを計算して家計をやりくりしている。同じことを従業員もやっているのだろうと思うとその責任を深く感じてしまう。会社が如何なる状況に陥っても生活の糧を減らすことのないように経営するのは並大抵のことではできない。
2009年7月21日 (火)
お母さん、私はあなたの何を尊敬すればいいのですか?
子供は親の態度をよく観察して自分が取るべき行動を考える。掃除をしない、食事は出来合いのものを買ってきて済ます、整理はできていない、買い物好きで家には物が溢れている、若者ファッションの洋服を着て若いつもりでいる、テレビを観てのんびりしているのに時間がないという、ダイエットと云って食事をしないのに友達とレストランで食事をして帰ってくる…。
こうした態度で子供に「勉強しなさい」「お片づけしなさい」「好き嫌いをしない」などと云っても言うことを聞かないのは当り前だろう。毎晩お酒臭い匂いをプンプンさせてテレビを見ながら「勉強はどうなんだ?」と聞けば、おまえには聞かれたくないと思うのも当然だろう。どんなに正しいことを言っていても態度がその言葉にふさわしいものでなければ聞く耳を持たないのだ。
子供には安いシャンプーを使わして自分はアンチエイジングだと高級なシャンプーを使っているお母さん、居酒屋で食事を済ませてきて家ではテレビを見ながらビールを飲むお父さん、会社の愚痴しか言わないお父さん、食事中でも携帯電話や携帯メールばかりしている両親、パソコンで何やらしてばかりいるお父さん、など子供には癇癪のタネが尽きない。
子供の態度が反抗的なのはほとんどの場合、こうした親の態度に問題がある。子供を矯正したければ自分が先に矯正されなければならないと僕は思う。いつの時代でも子供は自分の両親を尊敬したいと思っている。その尊敬の対象にふさわしくない態度が目立ち、ぐうたらで放漫的な生活態度で、子供に厳しく指導するものだから子供は尊敬から憎しみへと感情を移行させてしまう。
「お母さん、私はあなたの何を尊敬すればいいのですか?」「お父さん、私はあなたの何を尊敬すればいいのですか?」いつも、子供はそういう思いで親を見ている。
2009年7月19日 (日)
悔し涙を笑顔で拭え
努力すればするほどに悔しい思いをするもので、どうして自分だけがこんなに苦しい目に遭わなければならないのかと悲観にくれることがある。自室の部屋で小さくなってひっそり暮していればこんな目には遭うこともなかっただろう。自分の努力が報われず非難・中傷され傷つきボロボロにされて悔し涙を流す。
しかし、努力するということはそうした生き方を選んだということで、悔し涙を流さないで努力はできない。幾つになっても「がんばってみよう」と思うことは自分にとっては初めてのことが多いものだ。10歳であろうが100歳であろうが何かに挑戦し努力するとは人から非難・中傷されて悔し涙を流すという生き方なのだ。
どうしようもない悲しさや寂しさに覆われたなら、自分が頑張っている証拠だと思えばいい。その悲しさや寂しさを耐えてさらに数歩、努力した時にやっと報われるものだ。そうした経験を幾度も積み重ねて初めて人は逞しくなり、いつも笑顔の絶えない表情になる。「苦労を突き抜ければ笑顔になる」というのはこうした理由からだ。
2009年7月17日 (金)
いつも心をニュートラルにしておく
僕の部屋はいつもまったく同じで、昨日の様子が今日の様子であり、明日の部屋の様子である。仕事をしているときは書籍を出しているし、着替えをしているときは洋服が置かれているが、そのひとつひとつの作業が終わると僕は整理整頓していつも同じ部屋の様子になるようにしている。
書類を積み上げることはないし、気に入った物を買ってきて部屋に置くこともない。購入した書籍を読み終えると誰かにプレゼントするので本棚はほとんど必要ない。仕事で必要な書類もやり終えれば保管しないで処分してしまう。僕は記念に取っておくことをしない。殺風景な何もない整理された部屋が好きだ。
心をいつも新鮮な気分にするには自室を綺麗にしておくこと、何か終えた後は最初に部屋に入ったときと同じ様子に戻すこと、そして次の作業にかかること。こうしておけばいつも気分は一新されて前の仕事や作業を引きずらないで次の作業に取り掛かれる。僕の心のニュートラルは自室の部屋をニュートラル状態にすることで保たれる。
2009年7月15日 (水)
中小企業の約半数はボーナスが支給できない
中小企業の業績回復は遅く2009年夏のボーナスは約半数の企業がボーナスの支給ができない。もともと、中小企業では約4割の企業はボーナスを支給していないので1割ほど増えたにすぎない。ボーナスは企業業績に比例するので今年はとても厳しい。
大阪府の中小企業で働くボーナス支給額の平均は約25万円で例年よりも約1万円減額されている。長年働いている人も含めたボーナスの支給額平均なので入社早々の人にはほとんどボーナスは支給されない。厳しい環境を打破するには業績を上げるしかない。
子供は親の笑顔を見て育つ
僕は子供に接するときはいつも笑顔でいるようにしている。成績の指導なら先生の仕事だろうから僕は子供がみずから成績のことを言いだすまで何も言わないようにしている。親がいつも笑顔で接してくれること、親が成績のことでうるさく言わないでくれることは子供にはとてもありがたいことだと思うからだ。
僕は15年間も学習塾と予備校を経営していたので大学受験までの学科であればほとんど教えることができるがいっさい子供に強制して教えようと思わない。ただ聞かれれば教える程度でみずからの立場が先生というよりも親であるので強制はしない。親というのは子供が愛情を感じて巣立っていけるように育てるのが役目だろう。
愛情をいっぱい感じた子供はスクスク育っていく。ただ、親には照れもあり素直にはなりにくいものだろう。子供は自分の未来を自分の手で切り開いていく。その手助けを請われればしても良いだろうが、あなたはこうですという言い方はしない。子供の人生を決める権利など僕にはなく、子供たちがただ生きているだけでうれしいものだ。
僕は僕の親の描いた人生を歩んではいない。むしろ、親が想像もしない人生を歩み続けている。僕は親の期待を裏切り続けている。56歳にもなると親の話は理解できるが自分が親の言いなりに行動しようとは思わない。今でも僕は親の言うことを聞かない子供だということを知っている。自分を見ていれば自分の子供に接する方法も分かる。
2009年7月14日 (火)
プロとはお客様が期待した以上の満足を与えることのできる人や会社
妻へのプレゼントであった家のリフォームで幾度かリフォーム会社の手配違いで施工ミスが目立ってきた。喜ぶべきリフォームにイライラが募りミスを修正しようとしない業者に対して僕は工事のストップをかけた。昔からお付き合いのあるリフォーム会社の社長を交えて僕は話し合いを催した。
18年前に御社に施工を依頼してこの家を建てたとき、お父様が社長で僕はとてもしっかりした施工に感心したものです。お父様も僕のことをかわいがってくださり僕の書籍を大切にいつも読んでくださっていました。そうしたお付き合いもあり今回は御社にお願いしました。お父様からお子様のあなたに経営が変わり大切なものを失くされたようなのでお伝えしたい。
家は施主にとっては生涯住み続けるものです。それゆえに施工ミスは絶対に許してはいけません。施主が見つけたから見えないようにしようなどというやり方は御社の誇りを傷つけ地元での評判を落とす行為です。また、施工ミスは施工を急ぐあまりに段取りがなっていないからでしっかりとした打ち合わせをしていないからです。
プロとはお客様が期待した以上の満足を与えることのできる人や業者だと思いますが、今の御社はお客さまに期待以下のことをして不満を募らせています。お父様が積み上げてきた会社の信頼や誇りを失くしていませんか?二代目となった社長は真摯に考えてこれからはしっかりとした施工や経営を行いますと約束してくれた。
2009年7月12日 (日)
健康を保つために食事をする
素材が揃っていなければ良い作品はできない。カレーライスを作るのにじゃがいも抜きでやれと言われれば誰もが困った顔をするだろう。自分の体も同じことで自分の体を作る栄養素に不足しているものがあれば何かしら不都合なことが起こり病気がちになりがちだ。食事は健康の根幹をなしている。
ところが、困ったことに食事には好き嫌いがあり食べたいものだけ食べ続ける癖が誰にもある。そのため健康を害する人は後を絶たない。揚げ物や肉食に偏って食事をし野菜や果物をほとんど食べないで済ましている人は多い。このため偏った栄養素だけで体を作るので健康を害してしまう。
僕は野菜をたくさん食べ、お魚はほぼ毎日、肉は少なめにして、果物は毎日食べる。煮物、焼き物が中心で炒め物はほとんど食べない。毎日夜と朝の二度体重を量り食べすぎたときは食事を制限して調整する。好き嫌いにかかわらず自分の健康を維持するのに必要な栄養素を含む食材を積極的に食べるようにしている。
2009年7月10日 (金)
正社員とパート、アルバイトの違い
正社員は雇用期間の定めがなく、中途退職しなければ定年まで雇用され週40時間労働ができる人を指しています。パート・アルバイトは数ヶ月や日雇いなど雇用期間を定めて雇うのが一般的な短時間労働者を指しています。パートは短時間労働者でアルバイトは臨時雇いと区分けして使います。
パートの方で雇用保険が適用されるのは所定労働時間が週20時間以上30時間未満で、1年以上引き続き雇用されることが見込まれるか、または、所定労働時間が週30時間以上で、雇用期間が2ヶ月を超えていることになります。社会保険が適用されるのは1日の所定労働時間数が、正社員の4分の3以上かつ1週間の所定労働時間数が、正社員の4分の3以上かつ雇用期間が2ヶ月を超えていることとなります。
業務内容については正社員と同じか企業によってはパートの方に単純作業のみを担当させる場合がありますがそれは企業側からの指示であってパートやアルバイトの方が勝手に決めることはできません。私はパートだからと言って仕事の内容を勝手に決めることは解雇理由となりますので注意してください。
自分の仕事に誇りを感じていますか?
自分の職場を軽蔑して働いている人がいる。こんな仕事恥ずかしいと思いながら毎日職場に向かい、やりたくもない仕事をし聞きたくもない上司の指示を聞くことほど辛く嫌なものはないだろう。そんな毎日を過ごしていると精神的にまいってしまうのは目に見えている。
自分に合っていない職場でのストレスは我慢することなく退職して別の生き方を選択した方が良い。会社にとっても上司にとっても軽蔑しているその人にとってもその方が良い。会社には会社の方針があり業務内容があり従業員はそれに従って働いている。それを喜びとし誇りに思っている従業員もいる。
その仕事を誇りに思っている従業員がいる中で、自分がその仕事を軽蔑しているというのは如何にも居場所が悪い。その仕事を誇りに思っている従業員の前で「私はこの仕事を軽蔑している」と啖呵を切れないだろう。ただ、どうしてその仕事を誇りに思って働けるのか考えてみることも大切だろう。
2009年7月 8日 (水)
遠慮しないで話して置けば済んだものを…
遠慮して話しておくべきことを話さないで分かってくれるものだと思い込み悔しい思いをすることはよくある。遠慮とは相手の人に気を使ってそっとしておく行為だが、仕事などの約束事ではこれが裏目にでてしまう。大切なことはたとえ相手が嫌がろうとも話さなければならないことはキチンと相手に伝えるということだろう。
上司の方が部下に業務内容を言いきれないで我慢して期待していた仕事をしてくれないと嘆いていることもよくある。そんなことを話しては部下の機嫌を損ねるという気遣いで上司は健康を害するまでに悩んでいる。でもそれは会社のためにも部下のためにも本人のためにもなっていない。
皆が納得するためには遠慮して話していないことを正直に話すべきだろう。その上で機嫌を損ねてしまってもそれが会社のためにも部下のためにも自分のためにも必要なことだと僕は思う。機嫌を損ねた部下にとっても仕事とはそれほどまでにしなければならないものなのかと認識して退職できる。
転職先で同じことが起こった時にかつての上司が言いたかったことはこれなのだなと思うことができる。それこそかつての部下のためになる行為だろう。上司の遠慮ほど厄介なものはない。それは上司である自分の甘さでしかなく、本当に会社や部下や自分のことを思うならばあえて火中の栗を拾う度胸が必要だ。
2009年7月 1日 (水)
官は民より強し、されど民は官より逞し
長州の吉田松陰は生存しているときは役人によって罪人として生まれ故郷で扱われている。死後、明治となり役人は吉田松陰を山口県が生んだ大先生として扱っている。和歌山が生んだ経営の神様と云われる松下幸之助は生前、和歌山の役人に良い印象を持っていなかったらしい。
実は僕も郷里の役人に良い印象は持っていない。国民の公僕たる公務員は民間人よりもはるかに高額な収入を得ているが、その態度は横柄そのもので何度か悔しい思いをしてきたからに他ならない。横柄な態度をとる公務員は採用されたばかりの若い方のほうがひどい。
国民宿舎、交流センター、公民館、第三セクターによるいろいろな事業のほとんどは営業努力もなく人件費だけがバカ高になり赤字を垂れ流している。その赤字はもちろん民間人の税金によって賄われるが当事者たる者にその意識はなく計数管理もなければ努力目標もない。


