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2009年8月30日 (日)
2009年8月28日 56歳になりました
8月28日は僕の誕生日で、昭和28年生まれの僕は今年で56歳になる。「わかるとできる」を創業して10年の節目になる今年は家のリフォームをした。10年前に自作のログハウスの中でパソコン講義の収録を始めたが、そのログハウスは腐ってきて危険な状態になっていた。思い切ってログハウスを撤去して新たに家(はなれ)を建てた。それに伴い、母屋のリフォームも行った。
誕生日に間に合うように家やリフォームは完成して家族で僕の誕生日を祝ってくれた。会社のスタッフは勿論、加盟校の皆様、教室に通われている生徒の皆様、卒業した生徒の皆様から温かい感謝の気持ちのこもったバースデイカードやメールや寄せ書きなどをたくさん頂きました。こんなにも多くの方から祝っていただける僕は何と幸せ者なのかと感激でいっぱいです。
パソコン教室に通われて人生を豊かなものにできたという喜び、教室スタッフになりそうした生徒の方の感謝のお声を毎日いただける日々に感謝する人々、一緒に働いて下さる社内の人々の感謝の声、最高の人生を過ごさせてもらっていると感謝してくれる子供たちと妻や両親、何だかこれで思い残すことはないと云った気持にもなり、ただただ感謝の誕生日になりました。
2009年8月27日 (木)
神様が創った試合 昭和54年夏の甲子園 箕島対星稜戦
1979年僕は和歌山県箕島市駅前商店街の一画でブティックを経営していた。当時、26歳の僕は多額の借金を抱えていたので、神戸・大阪・京都・名古屋・東京のファッションメーカーの在庫処分を車に詰め込んで国道1号線沿いの洋品店に飛込み、卸販売していたが返済は滞ることが多く金融機関からの催促が毎朝ある状態だった。
昭和54年春の甲子園で和歌山県代表の県立箕島高校は優勝した。商店街は優勝記念セールで賑わい過疎の町にあって久しぶりに人々に笑顔がこぼれていた。和歌山県中央部を流れる有田川は有田ミカンの産地で江戸時代には紀伊国屋文左衛門がミカン船を出したことで有名で、子供たちのほとんどは草野球をしていた。
箕島高校は地元の球児が多く、決してスター選手がいるチームではなかった。尾藤監督は確実に点を取る方でバントの箕島といわれ手堅い作戦で勝ち進んでいく。昭和54年夏の甲子園準々決勝(3回戦)の第4試合で優勝候補の箕島は石川県代表の星稜高校とぶつかる。いつも街で出会う監督や球児たちが笑顔で甲子園のグラウンドに集まっていた。街中の人はテレビに夢中で商売にならない。
1対1のまま試合は延長戦に入る。延長12回先行の星稜は体調を崩してフラフラの箕島二塁手上野山のエラーをさそい1点を好投手石井からもぎ取る。その裏、ツーアウトランナーなしになり尾藤監督が敗戦を覚悟したその瞬間、最後のバッター嶋田が大声で「監督、ホームランを打っていいですか!」と言った。うつろな監督は「はい」と言ったが本気ではなかった。しかし、キャッチャーの嶋田は幼馴染の石井のためにホームランを打った。
延長16回先攻の星稜高校は2度目の勝ち越し点をあげた。その裏、簡単にツーアウトを取ったピッチャー堅田は今度こそ勝ったと思った。最後のバッターは延長14回で隠し玉にあい3塁でアウトになった森川だった。彼は12回に先頭打者ヒットで塁に出てディレードスチールで3塁に進みスクイズでこの試合を勝つと信じていただけに悔しさをにじませていた。
森川は簡単にツーストライクまで追い込まれ最後の球に渾身のフルスイングをしたが、ファーストフライになってしまった。しかし、1塁手の加藤がファウルグランドにこの年から設置された人工芝につまずき転倒。ホッとして力みの消えた森川はカウント2‐1から左中間スタンドへ起死回生の同点ホームランを打つ。アナウンサーの植草は、「甲子園球場に奇跡は生きています!」と叫んだ。
この瞬間、ピッチャーの堅田は全身から力が抜けていくのを感じた。延長18回表、星稜は満塁とするも無得点。勝ちがなくなった星稜ピッチャーの堅田は最後の投球でストライクが入らなくなり敗戦投手になる。3時間50分、視聴率29.4% 日本中の人々に生きることの素晴らしさを教えてくれた伝説の一戦となり「神様が創った試合」だと語り継がれることになる。
どんなにピンチでも絶対諦めないことの大切さ、これで勝ったと思った瞬間に勝ちが逃げていく怖さ、ひとつの気の緩みがすべてを狂わせる怖さ、ひとつのことに全力をかけることの大切さ、仲間を信じて生きること、仲間のために生きること、仲間のミスを責めることなく笑顔で助け合うこと、生きることの尊さや本気で生きることの大切さをたったひとつの試合が教えてくれた。このあと、箕島高校は夏の大会で優勝し春夏連覇を成し遂げる。
2009年8月26日 (水)
尊王攘夷は幕府への苛めだった
1867年江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が、朝廷に大政奉還を行ない翌年、年号は明治となる。日本各地の尊王攘夷派の若者はこぞって喜んだであろうが、明治になり誰も本気で攘夷を行わなかった。つまり、本気で外国と戦争をして勝てるとは思っていなかったところが第二次世界大戦に突入した日本とは大違いだ。
世論が戦争による解決を望んでいたとしても、実務家は戦争をすれば負けることを知っていた。しかし、攘夷論を煽ることで幕府を窮地に立たせることができる。幕府を追い詰めれば大政奉還への道も開ける。江戸幕府は天皇から依頼を受けて統治しているので天皇の指示には従わなければならない。天皇にとって攘夷論ほど痛快なものはない。
2009年8月24日 (月)
慣れは感謝を怒りに変える
お母さんが毎日食事を作ってくれる。当たり前のことだが両親が共働きで食事は自分で作らなければならなかった僕にはお母さんが食事を作ってくれることはとてもうれしいことだった。一緒に食事ができることだけでもうれしいと思った。しかし、それが毎日のことになるとうれしさはどこへやらで、食事の内容に文句をつけるようになるし、作る時間にすら文句を言うようになる。
人は感謝すべきことが毎日当たり前のように行われていくとそれに慣れて、それ以上に甘えるようになる。自分が親になったときに、どれほどお母さんが頭を悩ませていたのかが分かるようになるが、慣れとはとても恐ろしいものだ。給料を払い続けている会社に対してもどれほど貢献しているのかと反省や感謝なしにただ非難中傷していることもお母さんへの感情と同じことだろう。
怒りの感情をよくよく考えてみることだ。どうして自分は腹を立てているのだろう。それは、自分ひとりではどうしようもないことなのか?自分がやればできることなのか?それをしてくれていることに本当は感謝すべきことなのか?自分はだんだん甘えるようになっていないか?考えて、考えて、自分の感情を抑制してさらに感謝することができればそれを成長と云うのだろう。
2009年8月21日 (金)
政治と行政に求められるもの
日本はちょっとおかしな雰囲気になっており、国民の多くが今までのやり方ではどうにもならないことを感じている。変化を求めているが政党の主張はどれも心地よいもので本当にそれで日本が良くなるとは思わない。与党に対する不満から野党に鞍替えしているのが本音だろう。国民の政治不信はこの数十年変わらないと云える。
政治のことを何も知らないタレントがいきなり立候補して当選してやっていける仕事などはプロの仕事とは言い難い。上場企業の社長に簿記すら知らないタレントが経営者となって業績がアップしたなどという話は聞いたことがない。官僚や公務員に作成してもらった質問と回答を議会で答弁する滑稽な茶番に時間と経費を遣いすぎている。
選挙支援団体の便宜を図るために無駄な予算を要求している政治家などは人件費の無駄だ。まず、民主主義そのものを見直さなければならないだろう。次に、行政の単年度予算の編成を失くして長期的な視点に立った予算編成を組み、それを民間に調査させる必要がある。単年度予算では無駄な予算の消化が日本中ではびこってしまっている。
オンブズマンではないが政治家や行政のやったこと、やることに対してキチンと検証する民間機関が必要だ。赤字になることを知りながら箱物をつくるバカなことを止めさせるには民間の調査機関が必要。また、天下りは天下り先の給与体系が高すぎるために利用されているのでこれを一般庶民の感覚で納得できる給与に変更する必要がある。
官僚や公務員と云った実務家が感覚でなく実際の現場に立って予算編成が行える時間と人員を確保するには政治家が邪魔だ。彼らのやっていることをキチンとチェックするには民間調査期間を設けるだけでよい。また、官僚には同期の者をどんどん出向させる悪しき慣習があるので、これを止めさせる。優秀な者を次官が追い出すことはない。一般企業では考えられない無駄なことだ。
会社では従業員と云うプロが仕事をして税理士や監査役や公認会計士が会社の運営についてチェックしている。会社の実務に疎い傲慢で国民に選ばれたと言い張るバカな奴がトップに座ることはない。会社の運営はまた、株主総会でのチェックが入り企業の運営は成り立っている。予算を使い切ることではなく経費節約に努める。
2009年8月17日 (月)
自分のやりたいことをする人生と愛する人のためにやりたいことを我慢する人生
自分のやりたいことをする人生と愛する人のためにやりたいことを我慢する人生、若い頃は自分のやりたいことをする人生に憧れて多くの人に迷惑をかけてでもそれで良いと思っていた。周りの人を傷つけてないがしろにして意見を受け入れないで反抗的で自己主張が強くて、それが僕らしい生き方だと思っていた。しかし、どんなに自分のやりたいことを貫き通していても心から幸せになれなかった。
僕が自分の生き方に疑問を感じだしたのは40歳を過ぎてからで、どんなに自分のやりたいことを一生懸命になってやっていても心に隙間があるし、その隙間は年をとるにしたがってどんどん膨らんでくる。やがて、自分のやりたいことを貫き通しているということはカッコいいが別の言い方をすれば自分勝手だということだと思った。もう充分すぎるほど自分勝手な生き方をした僕は45歳から真逆の生き方をする。
自分が愛すべき人の範囲を恋する女性だけでなく、両親や友達、従業員や近所の人々、これまで付き合ってきたすべての人々、これから付き合うであろうすべての人々に広げてみた。恋人に優しくするようにそうした人々にも優しく接するようにした。これまで自分勝手な生き方を許してきてくださったことへの感謝の気持ちもあった。僕の態度が変われば周りの人の態度も変わった。僕は多くの人から感謝されるようになった。
若い頃から自分の心の中に感じていた渇きは愛し愛される人間関係で癒されることを知った。それまでのフォローしてやっているという気持ちから、喜んでフォローしている自分に変わった。こんなこともできないのかと思いながらやる自分から、こんなことからフォローしてあげられる自分に喜びを感じるようになった。そうして感謝される自分に最高の喜びを感じるようになった。あれほど求めていた幸せは我慢の中にあった。
2009年8月15日 (土)
盲目的に人に従うは愚かなり
あの人の言っていることはすべて正しい、あの人の言うことに従っていれば間違いはない、誰しもそう信じたい衝動に駆られることがある。有名人、恋人、親や友人に対してそうした思いを抱いたことは一度ならずともあるだろう。あるいはあの人を心から信じて裏切られた経験のある方も多いだろう。人は誰しも完ぺきではない。ある一面だけ光り輝いているにすぎない。
国民を戦争に導いた指導者を盲目的に信じた人々が熱狂的に指導者を崇拝して戦争をして指導者も自殺しようとし、多くの国民も戦死するという自滅の道を選んだ。人々から熱狂的に支持されると人は自分を選ばれし者だと思うようになり傲慢で人々に選ばれし人に対する接し方を求めるようになる。周りにイエスマンだけを置くようになり、猜疑心から愚痴っぽく怒りっぽい性格になっていく。
特定の分野にだけ秀でている者に対して人は尊敬の念を持つ。その尊敬の念が強まるとその人を神格化するようになるか、神格化して神として祭るようになる。そうなると、その人のすべては肯定されてもはや多面性を持った人としての評価は与えようもなくなる。神として信じている人々によって人への評価をするだけで軽蔑の対象、非難の対象になってしまう。
僕は45歳でこの会社を立ち上げて自分がすべての講義をしているので多くの人から支持されるようになった。なかには盲目的に信じてくださる人がいて、心地よいその雰囲気に自分が乗っかればカリスマや教祖といった状態になるのだろうと思って恐怖を感じた。自分のこれまでの行いには自慢できる面もあればお恥ずかしい面もあることを知っているからだしこれからもそうだろうと思うからだ。
自分は神だと言っている人を僕は信用しないし、自分は選ばれし人だと言っている人も信用しない。「私は神の生まれ変わりだ」などと云っている人は自分がすべての人々から尊敬されるべき対象だと阿呆な理屈を並べ立てているにすぎない。そんな阿呆を祭り上げて喜んでいる信者には申し訳ないが騙されているとしか言いようがない。人間は誰もが同じ義務と権利を持った存在なのだ。
人は誰しも尊敬される一面と軽蔑される一面を持っている。幼い子供から今の自分にもっとも大切なアドバイスをもらうこともあれば、自分が尊敬している人から無視されたり意地悪されたりすることもある。どんな有名人でも偉い人でも自分とおなじ人間であるとこに変わりはない。そう思って人と接していると、すべての人から生きる希望と勇気をいただけるものだ。
2009年8月14日 (金)
IY東村山校 7月開校 初月入金1378万円達成
株式会社オールウェイズ IY東村山校 7月開校 初月入金1378万円達成 新規開校での新記録を達成しました。入会者128名、W3S売上515万円を含む成果です。綿密な計画、ベテランスタッフの配置、本部研修の依頼、目標達成への決起大会、会社をあげての決意発表、すべてが日本一の業績への達成への道のりでした。オールウェイズの岩瀬さんからの感謝のメールを記載します。
BUNちゃん先生へ
オールウェイズの岩瀬で~す!いつも、温かく見守ってくださり、ありがとうございます。東京でのBUNちゃん勉強会では、お会いできてうれしかったです。まさに、IY東村山校の開校真っただ中という大切な時期に、「本気の心が人を育てる」とBUNちゃん先生の熱い話に、大きな力をいただきました。私にとって、まさにタイムリーなものでした。他の会社では感じたことのない“わかでき”の温かさに触れ、幸福感いっぱいで帰路につきました。
4月には瀬下SV・中橋SVに1日かけて研修をしていただき、開校直前には山口常務に決起大会に参加していただき、「オールウェイズ全員の幸せ」を目的に、数値目標を掲げ開校を迎えたIY東村山校です。7月が終わり、無事、目標を達成することができましたので、うれしい報告をさせていただきます。 入金ベースで、新規入会129名、売上1,378万円(W3S 515万円含)という、新規開校では新記録を出すことができました。
このように成功できたのも、BUNちゃん先生がおっしゃる通り、毎日みんなで数字を追ったから出せた結果です。BUNちゃん先生の毎日の書き込みを、実践させていただいたからです。萩原社長をはじめ、私たちは数字のことを自慢するつもりは全然ありません。
なぜなら、すべてBUNちゃん先生のおかげだからです。
『BUNちゃん先生の言う通り、本部指導の通りに、教室運営をすれば、必ず成功する』
萩原社長はIY東村山校の開校で、その事を絶対に証明すると強い意志で臨み、私たちスタッフにも、「本部の指導」を徹底するようにと、命がありました。今日行われたオールウェイズの会議でも、BUNちゃん先生の書き込みを、全員で読み合わせをしました。
開校前から、BUNちゃん先生をはじめ、わかでき本部や直営校の皆様には、たくさん力を貸していただきました。そして、先日もお話がありましたとおり、(有)たかのをはじめ他オーナーの方々にもたくさん応援をいただきました。これほど仲間意識の強いFCは、世界中探しても“わかでき”だけです。BUNちゃん先生の精神が浸透している素晴らしいFCです。BUNちゃん先生、“わかるとできる”を作ってくださり、仲間を作ってくださり、本当にありがとうございます。
IY東村山校の開校が成功したのは、『団結』と『感謝』があったからです。そして、それを作ってくださったのが萩原社長です。毎日のように応援者が来て、自分の教室以上に熱い販促を行ってくださいました。今まで経験したことのない、販促の量でした。チラシを持ち、教室を飛び出していく応援の方の背中に手を合わせる想いでした。
応援に来た方には、必ず萩原社長がしっかりと時間をかけ、心の対話をしてくださいました。「目の前の幸せに気付き、それをしっかりと味わうこと」「自己肯定、他者肯定」「感謝の心が全てのパワーになること」「プラス思考」など、幸せになるための生活法を教えてくださいました。萩原社長の激励で、幸福感が湧き、元気いっぱいで前向きになります。萩原社長は悪いところをストレートに指摘しますが、心が前向きになっているので、落ち込むことなく、すぐに修正ができます。
開校を機に、自教室という狭い殻を破り、オールウェイズの一員として、「わかでき」の一員として、全体感で行動できる、意識の高いスタッフが大勢育ちました。山口常務にも、何度も来ていただき、いつも元気とアドバイスをいただきました。最初の説明会は、幸運にも常務にお越しいただき、いきなり入会者7名を即入させることができました。その勢いが、後々までとても大きく影響したと、IY東村山校のスタッフは山口常務に大感謝しています。
山口常務から「勉強はしたいけど、経済的に本当に余裕がない人が増えている。」という最新情報を聞いた萩原社長が、すぐに方向転換をしてくださいました。母数さえ増やせば、次の手も打てますので、本当にありがたかったです。山口常務と萩原社長は、いつも私たちのため、“わかでき”のため、がっちりスクラムを組んで、深い友情で結ばれているのを感じます。
春樹リーダー、鈴木リーダーも休みなく通ってくださり、心の安心と適切なアドバイスを頂きました。そして、久保田取締役は、いつも私たちが動きやすいよう、先手を打ってくださいました。言葉には言い表せないほど、“わかでき”の多くの仲間のみなさんに、力を貸していただきました。目標達成できたのは、本当にみなさんのおかげです。そして、我が愛するIY東村山校のスタッフの頑張りのおかげです。オールウェイズは、IY東久留米校、IY和光校、IY東村山校と、開校を経験し、成功パターンができあがりつつあります。オールウェイズの団結で、全員で開校を楽しむことができるようになりました。
実は、開校1か月を迎えた頃、教室スタッフの寺島のお父様が、検査入院中に容体が急変し意識不明となり、3週間後に60代という若さで亡くなりました。その様なことがありましたのに、寺島は可能な限り教室に来て明るく仕事をしてくれました。シフトの穴も他スタッフが当然のようにカバーしてくれ、大変なんて思うことすらなかったです。そのことで、さらに団結が深まり、私も頼もしいスタッフだと安心感をもらいました。まさに「変毒為薬」です。
先日のBUNちゃん先生からいただいたメールに、「業績は感謝に比例する」とありましたが、今はそれを実感しています。萩原社長は日ごろから、BUNちゃん先生に対する感謝の気持ちを、私たちスタッフにいつも話してくださいます。そして、多大な販促費をかけ、私たちを信用して先行投資をしてくださった萩原社長に、私たちもとても感謝しています。
東村山の開校には、たくさんの感謝の心が飛び交っていました。
応援いただいた皆様に、恩返しをするのはこれからです。みんなの団結の力で作っていただいたIY東村山校を、これから育てていけることがうれしく、楽しみでもあります。これからも、感謝の心を数字で示したいと思っています。「感謝」の毎日を送らせていただき、私は世界一の幸せ者です。成長しなければいけないところは山ほどありますが、大好きな仲間に囲まれているので、楽しく登れそうです。
BUNちゃん先生、わかるとできるは最高です!!
授業の制作だけでも大変だと思いますのに、全国の教室訪問、毎日の書き込みなど、本当にありがとうございます。くれぐれも、お身体をご自愛ください。また、お会いできる日を楽しみにしています。
IY東村山校 岩瀬紀美子
2009年8月13日 (木)
戦争は儲かる
明治になり日本は富国強兵政策をとるようになる。近代産業を取り入れて近代的な兵器を導入して徴兵制度をしき欧米列強に引けを取らない国家建設を目指していた。明治政府が初めて外国と戦争をしたのは1894年~1985年の日清戦争。このときの賠償金が2億両(約3億円)と台湾、澎湖島(ぼうこうとう)、遼東半島(りょうとう(リャオトン)はんとう)を手に入れる。
その後、ロシアの南下政策によりフランス・ドイツを巻き込んだ三国干渉があり、遼東半島を清国に返還、代りに3,000満両を償金として上乗せし利子などを合わせて約4億円を手にします。これは明治26年の国家予算の4倍以上、現在の日本の国家予算は2007年度約83兆円、この4倍となると332兆円になる。これだけの臨時収入があると誰でも舞い上がってしまう。
この80%(約3億円)は軍事費に使われており打倒ロシアと言ったムードが漂っていたので、1904年日露戦争がおこり日本は戦費を使い尽くして勝利するが何の賠償金も手にできなかった。欧米諸国にすれば黄色人種が白人から賠償を取るなどと云うことは前代未聞だったに違いない。日本はその後も軍備を拡張し、第1次世界大戦でぼろ儲けする。戦争は勝ち馬に乗れば儲かったのだ。
いけいけどんどんの日本は1937年日中戦争を引き起こす。これが第二次世界大戦のきっかけとなってしまう。冷静に判断すれば日清戦争終了後、日本は軍備拡張よりもインフラ整備、殖産興業に賠償金を使うべきだったが、4億円のうちたった58万円で八幡製鉄所を作ったにすぎない。日清戦争以降第二次世界大戦で敗北をきっするまで、日本は戦勝ムードに酔っていたとしか言いようがない。
戦争をビジネスとして利用し儲かると考えている企業や国家は今でも多い。そこには国民の命すら消耗品として処理する拝金主義がまかり通っている。国民自身も自らの命を犠牲にして国家のために戦争をするということを美徳とし正当化してしまう。しかし、戦地に赴けばそこにあるのは敵と云う名の普通の人間がいるにすぎない。本当の敵は、殺戮を正当化している考えそのものだ。
2009年8月12日 (水)
その状況下で君は何を感じているかで君の未来は決まる
日本の近代資本主義の生みの親 渋沢栄一(1840~1931)は藍玉商人の子として生を受けた。若くして尊王攘夷の思想に触れた彼は討幕を試みるテロリストになった。しかし、謀反人として追われる身でありながら一橋家に仕えるようになり頭角を現して御勘定組頭へと出世していく。
お仕えしていた一橋慶喜が将軍となり、徳川家の家臣となるは渋沢の予想しなかったことだろう。激動のこの頃、将軍慶喜の弟で13歳の 徳川昭武(あきたけ)の勘定方(会計係)となってフランスで開催される博覧会に行けと命が下った。日本の展示もあり欧米の人々は驚いたが渋沢も欧米をじかに見て驚いた。
討幕やら攘夷などと言っていた自分が世間知らずの大馬鹿だと悟り、これからの日本が目指すべきものは何かを真剣に考えるようになる。見聞を広める中で、国家繁栄は殖産興業にありと悟り、広く産業を日本に起こさねばならないと決意する。会計係の彼は銀行からの借り入れが欧米で会社を運営するのに必要不可欠であることを知る。
欧米から帰国したとき幕府はなくなり明治となっていた。洋行帰りの彼は明治政府から請われ、若くして大蔵省の役人に大抜擢される。人生は二転三転するものだが渋沢栄一もまた例外ではない。彼は如何なる環境においても悲観することなく、愚痴ることなく、いつもその場において現実を見て実学を積み重ねている。
人は誰でも環境の変化に対応できないで苦しむことが多い。しかし、この渋沢栄一はそれを喜んで受け入れている節がある。実に逞しい精神力の持ち主であるからこそ、近代日本の資本主義の生みの親と言われているのだろう。彼の精神力の逞しさは私利私欲ではなく絶えず日本や民のためと思って生きる姿勢があるからだろう。
君のお父さんは素晴らしい人だよ
僕の伯父さんたちの多くは祖父の資金援助を受けて起業し、それぞれに会社を大きくして贅沢を覚えて奢り、自慢するようになり、特別扱いされることを好み、家族も贅沢を覚えて同じように自慢するようになり、ひとりを除いて倒産した。僕の父も弟の会社に資金援助して見事にすべてを失くし、それまで偉そうにしていた弟を責めていた。
僕にとっては従兄弟たちが我が家に遊びに来ると「こんな小さな家に住んでみたい」「えっ!テレビもないの?」「こんな安っぽいケーキ食べないわ」などと言っていた。従兄弟のお母さんも同じようなことを僕の母に話していた。悔しくて僕は従兄弟の叔母さんから頂いたおこずかいをすべて従兄弟のお菓子代や玩具代に使ったこともある。
昭和30年代に起業し成功した伯父さんたちは国産高級車に乗りお手伝いさんまでいる大邸宅に住んでいた。しかし、昭和50年代に入ると経営が思わしくなくなり倒産していった。倒産すれば財産のすべてを失くすばかりでなく妻には離縁され子供たちからは馬鹿にされる。貧乏になり離婚して母親と暮らしている子供たちは自分の父親を憎んでいた。
破産した経営者で50代の男を雇う会社はそういない。パートでやっと雇ってもらえた伯父さんは少ない収入から別れた妻や子供たちに仕送りをしていた。僕が経営する学習塾に来ていたその子供たちが自分の父親を憎らしそうに言うので僕は教えてあげた。「君たちのお父さんはとっても偉い人だ。君たちに贅沢な暮しをさせてあげた。僕のお父さんにはできなかったことだ。」
「君たちのお父さんは会社を経営してたくさんの従業員に給与を支払っていたんだ。働いていた人々はその給与で家族を養うことができた。今、お父さんはパートでローカや便所を掃除しているけど、自分の財産をはたいて最後まで従業員の人に給与を支払っていたんだよ。自慢して良い素晴らしいお父さんじゃやないか。」と僕は従兄弟たちに言った。
2009年8月11日 (火)
お金持ちになりたい
将来お金持ちになりたいと心から思っている人は多い。僕も45歳まではそう思っていた。お金持ちになりたいと思って一生懸命に働いた。幼い頃から貧乏な故に食べ物にさえ苦労した。洋服はボロボロでつぎはぎだらけだった。おもちゃは買ってもらえなかった。貧乏故の夫婦喧嘩は絶えることがなかった。欲しいものは親に買ってとは言えなかった。20代の頃も借金の返済で追い詰められて食べ物にさえ苦労していた。
僕が金銭的に楽になったのは31歳からで、借金を完済してからは稼いだお金はすべて自分で使うことができるようになった。僕は多くの商売人のように稼ぐことに懸命にならず、それまでがむしゃらに働いてきたのでその日暮らしの収入があれば後は何もしない生活を楽しんでいた。38歳で結婚するまで朝から夕方までサーフィンをしてのんびりした生活を楽しんでいた。
結婚してからはまた商売に精を出して金銭的余裕ができるようになった。商売が繁盛するにしたがいお金持ちになりたいと思う感情はだんだん薄れていった。どうしても買わなければならない物が買えない状態ではお金持ちになりたいと心から思うが、買いたい物が買えるようになると僕はお金に対する執着心が薄れていった。それよりもいっしょに働いてくれる仲間の幸せを心から願うようになった。
商売人にはお金を稼ぐと自分のために使い、さらに使いたいのでお金を稼ぐ人がいる。こうした商売人は贅沢を好み、贅沢品を身につけたり所有することで自己顕示欲を満たして幸せだと思っている。僕は贅沢を好まないでいっしょに仕事をする仲間といる方が幸せを感じる。会社が儲かれば自分のために精一杯使う経営者は多いが感情的で傲慢で孤独な人のように見え、倒産する人も多い。
2009年8月 9日 (日)
友好的な人間関係は如何なる財産にも勝る
家族の笑顔、社員の笑顔、お客様の笑顔、ご近所の笑顔、友達の笑顔…人は誰も誰かとつながりを持っている。その人々と会うたびに笑顔で接してくれることほどうれしいものはない。そのうれしさは如何なる財産にも勝る。高級マンション、高級車、高級ファッション、贅沢な暮し…それらはすべて一時のよろこびでしかない。
自分の周りの人々の笑顔を引き出せる自分であること。そのために笑顔で努力できる人であること。家族に笑顔でいつも接するようにすること、社員に感謝すること、お客様に笑顔で応対すること、ご近所の方に笑顔で挨拶すること、友達に笑顔で激励すること…そのひとつひとつが自分の幸せ創りになっていく。
物を所有するという喜びは一時のよろこびを与えてくれるが長く続かない。所有欲には終わりがなく、さらにエスカレートする傾向がある。欲望の連鎖が起こり、限りなく欲望を満たそうと物欲に走る。一時は満たされるがすぐに渇きを覚えてさらに素敵な物を求めてしまう。心を磨くことを忘れているので自分を破壊して不幸になっていく。
2009年8月 6日 (木)
多額のローンは人生を破壊する
アメリカのサブプライムローンなど多額のローンを組んで不動産を購入する人が破たんするケースは後を絶たない。夫婦二人の収入が40万円あればアパート暮らしではなく毎月返済10万円、ボーナス返済30万円で35年ローンを組めば全額ローンでも不動産を購入できる。これで安っぽいアパート暮らしとはおさらばだと思って購入する。
しかし、多額のローンを組むということは35年間継続して収入が安定していなければならない。しかし、ご主人のリストラ、奥様の妊娠、お子様の進学、ご家族の事故や病気など思わぬリスクが長期にわたり存在するということだ。そのリスクに耐えきれずに人生を狂わせてしまう人が後を絶たない。
結婚を機に不動産を購入したが返済にあけくれて貧乏暮しのケンカが絶えずに離縁した夫婦、、定年退職を機に念願の不動産を購入したが病気になり治療代を払うために売却したご夫婦、不動産を購入したが妻が妊娠して返済に行き詰まり喧嘩を繰り返して離縁するケース、店舗付き住宅を購入したがお店がうまくいかずに破産するケースなど。
多額のローンを組んで資産を持つことは非常にリスクの高いギャンブルをしているのと同じことだ。今のご時世で収入のギリギリの範囲で返済計画を立てることは自殺行為に等しい。僕は不動産は借りるのがいちばんよく、いつでも身軽にしておくことをお勧めする。固定資産を持たない、多額のローンを持たない生活は見栄を張るには心もとないが突発的な対応力は格段に良くなる。
他人の幸せを願って生きれば自分が幸せになる
2009年は「わかるとできる」創立10周年にあたる。創業して以来、従業員の幸せを願い、社長室も持たず、秘書も置かず、高級車も購入せず、従業員に最高の部屋を用意し、従業員が休めるように留守番をして、最高のおもてなしを従業員のために行ってきた。どの経営者よりも従業員の幸せを願って自分にできる最高の努力を惜しみなくやってきた。
創立10周年を記念して先日社員総会を開いた。今年も来賓は誰もいない。従業員が主役であり、従業員のために開く総会であり、従業員が最高に楽しめる場でありたいと思うのであえて来賓は呼ばないようにしている。僕の挨拶は15分、役員は各5分、それ以外数時間にわたり従業員が壇上で発表するのが本社の社員総会である。最高のヤジも飛ぶ、最高の総会だと自負している。
昼3時から夜9時まで、延々6時間に及ぶ総会が終了して自室にいると次から次へと従業員がやってくる。朝5時、外が明るくなるまで多くの従業員の皆さんが入れ替わりやってきては、喜びや悲しみ、決意や反省を語って下さる。その誰もが僕への感謝で満ち溢れている。彼らの感謝に触れていると、この会社を立ち上げてよかったと心から思う。それは、「他人の幸せを願って生きれば自分が幸せになる」という実感だった。
家庭においても僕はずっと自分の幸せよりも家族の幸せを願って行動してきた。どんなに辛くても疲れているときでもピンチであっても、いつも僕は笑顔で家に入り、笑顔で家族のためにできることから始めるようにしてきた。おかげで家族の皆から感謝されるようになり、幸せを感じる日々を過ごしている。「滅私奉公」とはよく言ったものだと思うが仕事においても同じことがあてはまる。
2009年8月 2日 (日)
子供たちは愛情をいっぱい感じて巣立っていく
子供は親の愛情を感じれば成長し、愛情を感じなくなれば寂しくなり親の期待を裏切ることで親の気を引こうとする。ちょうど、フラれそうな恋人が相手の気を引こうと冷たくしたり、暴力的になったり、自虐行為に走ったりするのと同じ。「だって、あなたが冷たかったから…」という言葉を言ったり、聞いたりした方も多いのではないだろうか。
子供はいつも親の愛情を確かめたいと無意識のうちに行動している。その確認作業を疎んじたりバカにしたりして子供の心を大きく傷つけていることがよくある。親は結果を求めたがるので、途中の感情的なことを無視してしまう。仕事であればそれで良いだろうが親子ではそうはいかない。バカだと思えることでも指導するのではなく、認めてあげることが大切で、徐々に子供の考えも変わっていく。
両親はどんなときでも自分を認めてくれた。両親はいつでも自分の勝手を見守ってくれた。両親はいつも自分を応援してくれていた。それがどれほど子供の成長を促すか計り知れない。子供との対話はお互いにひとりの人間として尊重した態度で接するべきで、威圧的な態度や指導的な言葉は厳に慎んだ方がいいだろう。まして、暴力などは決して振るうものではない。
2009年8月 1日 (土)
ネットで起業する
中国では最も人気のあるネットショップの売上は1兆2千億円、日本で最も人気のあるネットショップ楽天の2倍近い売上がある。10年前には考えられない数字で、ネットショップで地域活性化を果たしたり、不良在庫を処分できたり、多くの注文を戴いたりするようになった。パソコンを使ったビジネスは広がるばかりだ。
和歌山県北山村は和歌山県人でも行ったことがない秘境で過疎の村だったが、北山村の特産品をネット販売することで業績を5倍にして若者が帰ってくるようになった。繊維の街大阪では不良在庫を抱えるメーカーが多いのに目をつけて不良在庫を買い取り、コーディネートしてネット販売して儲けている若いネット起業家がいる。
北海道でも地域のワケあり特産品を仕入れ、安い値段でネット販売し地場の方々に喜んでもらっている女性起業家がいる。僕の会社で働いていた元社員もホームページ制作で起業している。ネットショップに注文すると相手の方が「わかるとできる」で勉強した元生徒だったりしてこちらがビックリすることも多くなった。


