2009年11月22日 (日)

彼女がいなければダメなんて嘘です

僕は38歳で3度目の結婚をしたが、妻は23歳で、妻のご両親は付き合い始めたころから大反対だったし当然のことだと僕は思っていた。彼女が両親に会ってほしいと云うので会いに行ったが最初から「別れてくれ」の話で僕もご両親に別れるように娘さんを説得してくださいと話した。

僕は2度の離婚を経験しているので、娘さんを幸せにする自信はあませんし、娘さんがいなくなっても狼狽するほどのバカでもありません。彼女が僕を大好きなのはとてもよくわかりますが、ご両親のお気持ちもよくわかりますと平然と話していたが、妻は僕の家に押し掛けてきて帰ろうとしなかった。

妻の友人も大反対で別れるように話して欲しいと言われていた。僕は何度も彼女に君がいなくても何の支障もないから自分の家に帰りなさいと言っていた。彼女はどんなに言われようが反対されようが暴力をふるわれて家に連れ戻されても僕のところに帰ってきた。

そこまで気合が入っているならいっしょになろうと思って仲人に国会議員の知人を立ててご両親を説得した。妻のご両親にとっては娘の初めての結婚なので国会議員という箔をつけなければご両親のご親族や知人への説明に困るだろうと思っての配慮だった。

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2009年11月21日 (土)

人を愛しても愛に溺れず

恋人や妻やご主人が浮気をすれば烈火のごとく怒ったり、もう死んでしまいたいと落ち込んだりして大変動揺するのが普通だろうが、僕はそうされたときでも自分自身を反省して相手の幸せを願う余裕がある。浮気ぐらいで動揺していては男子本懐の仕事はできないし、そうさせたのは自分の落ち度だろうと思う。いつも反省するのは自分が最初だ。

人は生まれた時も死ぬ時もひとりであり誰かと一緒などということをすれば犯罪なのだ。自分自身がひとりでも強くなければ誰かを愛するということなどできない。僕を必要としている間はしっかり愛しても、必要以上に愛情を押しつけて相手を独占しようなどとは思わない。時期が来ればおさらばなのが人生だ。僕のために人生を棒に振るなどということはさせない。

あなたはもう必要ないと言われれば、ハイそうですかではさようならと言えるぐらいの度量がなければ愛情に振り回されていく。僕はすべてを失くしても誰かを愛し一緒にいたいなどという感情はない。愛する人を幸せにするには失くしてはならないものがある。愛する人を守るためには守れるだけの強さを身につけていなければならない。

僕は煮え切らないのが一番嫌いだ。人生はたかだか80年、生きるには大変短い時間しかない。落ち込んで腐っている暇は僕にはない。憎んだりイジケテいたり恨んでいたりといった時間はもったいなくてできない。ただまっすぐにいつも笑顔で走って走りぬいてバタッと倒れて死んでいきたい。たくさんの人を愛して教育という僕の仕事を通じて幸せにしてあげたい。

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2009年11月20日 (金)

浮気をされた僕は彼女に謝った

僕は20代のころ2度目の結婚をしていた。押し掛け女房だった二人目の妻とは7年間の結婚生活だったが20代の僕には多額の借財の返済がのしかかっており毎日寝る間を惜しんで働いていた。返済のために東京から神戸までの東海道をワゴンで行商しながら移動し車中でひとり寝泊まりする行ったり来たりの毎日だった。妻には田舎で開業しているブティックや化粧品店を任せていた。

そんなある日、出張から帰ってみると家には何もなく店員がひとり困ったように立ちすくんでいた。妻とは連絡が取れないままに数日が過ぎたころ、妻の友人が離婚届を持ってきて、理由は聞かずにここに署名捺印してほしいと言われた。言われたままに署名捺印してあっけなく僕の7年間の結婚生活は終わった。その後、数日してから妻は妻子ある男と駆け落ちしていることが分かった。

2週間が過ぎたころ妻はやってきた。僕は寂しかったという彼女に心から詫びた。男のもとに帰るのを僕は止めようとしなかった。車が欲しいというので彼女に与えた。それから2年が過ぎ、彼女は男と別れて僕に会いに来た。復縁してほしいという話で涙を流して謝罪している彼女に謝るのは僕の方で君に罪はないと言った。このまま別れた方が良いと云い、生涯僕を誇りに思えるよう精一杯生きると云って別れた。

本当は、もう一度彼女と暮らしてみたかった。返済も終わり、今度こそ彼女に寂しい思いをさせないという自信もあった。心のどこかに後ろめたい気持ちを持ちながら僕と暮らすよりは、新たな恋を見つける方が彼女のためになると思って僕は復縁を断った。帰りの車の中で僕は涙を止めることができず前を見ることができなかった。彼女が再婚したと聞くまで僕は恋をしなかった。

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2009年11月19日 (木)

結婚と夫婦

結婚した当初はお互いに恋人気分なので、こまめに相手のことを気遣い自己犠牲をいとわずとても優しくなる。寝ないでもお弁当を作ったり、どんなに大切な接待でもお断りして自宅に帰るなどといった行動にでるのが最初の3ヶ月から半年ぐらいの間だろう。つまり、体力的な限界に至るまでこうした状況が続く。

これ以上、こうしたことをしていると病気になると思った頃から手抜きをするようになるが、手抜きをするためには理由が必要となるために相手の行動を分析するようになる。「あの人は、家でゴロゴロしているだけ」「あいつの料理はいつも同じ」といったアラ探しを始めるようになる。これで恋人気分は一気に冷めていく。

料理に手抜きがあると外で食べたくなるし、家事ばかりをしているとストレスも溜まり何もしない日が欲しくなる。夫婦以外の人との付き合いも恋しくなる頃喧嘩が始まる。それは恋人から夫婦への脱皮作業で、お互いに長く付き合うためには必要不可欠なことだろう。しっかりぶつかり合って妥協点を見つけることだ。

良い夫婦というのは恋人同志のようにお互いを気にかけていない。何が好きなのか?どんなことに興味があるのか?今日は何をしたのか?といったことには関心がない。お互いにお互いの生き方を尊重しているが干渉はしない。生きるために必要な空気のように包まれているが気にならない存在である。

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2009年11月16日 (月)

人を助けるは自分を助けることなのか

身寄りのないご近所のご老人が病気で倒れ、誰の言うことも聞かず死を受け入れようとしていた。苦痛に身をかがめていたご老人は昔から知っている人であり、僕はそのことを知ってそのご老人に「予科練で生き残ったのはこうして死ぬためではありません。死んでいった仲間のためにも生き抜いてください。」とお話して僕が引き取ることにした。

入院生活は2カ月にも及んだが、彼はやっと退院することができた。病室に伺うといつも涙を流して感謝してくださるその方に接して僕はいつも生きるエネルギーをいただいていた。週に二度通院しなければならないが、久しぶりに自宅に帰れた喜びはいかばかりだろう。人を助けることは自分を助けていることではないのだろうかとふと感じた。

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2009年11月15日 (日)

少年よ大志を抱け!

北海道開拓時代、札幌農学校 (現北海道大学) 初代教頭ウィリアム・スミス・クラーク (William Smith Clark、クラーク博士、1826年7月31日 - 1886年3月9日) は1876年 (明治9年) 7月に札幌農学校に赴任する。たった8ヶ月教壇に立っただけだが、これほど日本人に有名になったアメリカ人の先生もいない。

彼をしてここまで有名にしたのは退任の際に学生たちに言ったと云われている「少年よ大志を抱け!」Boys, be ambitious という贈る言葉だろう。僕は高校時代にこの言葉に接してとても感動した記憶がある。彼の講義を受けたことのない多くの学生や日本人に今でも夢と希望を与え続けている。

人は誰もが少年であり、誰もが幾つになっても大志を抱いて夢に向かって挑戦する大切さを教えてくれる言葉だと思う。小さなことでクヨクヨせず、うろたえず、狼狽せず、感情的にならず、もっと大きな志のために生きる大切さを教えてくれる。彼の立像は札幌市内の羊ケ丘展望台にある。

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2009年11月14日 (土)

人間が小さくなっていないかい?

ちょっとしたことが気がかりになり、どうにも不安でしょうがない。ちょっとした言葉や行動が気になり、どうにも不安であったり頭に来ていたり、落ち込んでいたりでどうしようもないことはよくある。僕はこんな時、自分に問いかけている。「人間が小さくなっていないかい?」

「自分はもっと心の広い器でありたいと思っていたではないか、それがどうだ、こんなことで感情的になっている。そんなことで志をまっとうできるのか?」そんな問答を自分に何度も何度も問いかけてみる。自然と気分も落ち着いてきて平常心に戻っていく。

2009 11 14 [心と体] | 固定リンク

みかんを売り歩いた20代

僕は20代前半、魚やみかんといった産地物を行商して日銭を稼いでいた。和歌山は「たちうお」という高級魚が日本一捕れる。「有田みかん」もまた紀伊国屋文左衛門で有名だ。猟師や農家の方は販売を漁協や農協などにまかせっきりで自分たちで販売したことがない。物流網を抑えられない生産者は利幅が薄くなるので生活は豊かではない。

行商は対面販売なので商品の鮮度と自分の雰囲気が勝負となる。商品の鮮度が良いと思っていただくには僕の口上がはきはきしていなくてはならない。気分が落ち込んでいるときは売れない。どんな状態であっても笑顔ではきはきと口上できる練習を何度も行い、毎朝、飛び込み販売していた。その経験がどれほど僕に役立ったか計り知れない。

営業ができない販促ができないと言っている人は多いが、それでは人と会って商売はできない。お客様がお店に来ても、来なくても、同じ雰囲気をかもし出して商売ができなければ好業績は望めないということを行商して理解できた。如何なる商売であってもその原点は対面販売で、その場所がお店なのか路地なのか他人さまのお宅なのかの違いでしかない。

2009 11 14 [心と体] | 固定リンク

2009年11月 5日 (木)

自立再起を果たすために恥を捨てろ

農家の収入が減少の一途で生活にも事欠くありさまになっている。世界中から農産物が入ってくるようになり国内だけで生産している農家は何かしら強烈な特色をださねば安売りになってしまう。何の贅沢もせず暮らしていても返済不能な借金を抱えて途方に暮れている農家の方が相談しにきた。

子供たちは借金を借り換えて自分たち名義にすると言っていると話してくれたが、子供たちの年収で返済できる額ではなく、名義変更すれば子供たちが地獄を見るから止めるように言った。むしろ、農協には返済できないし、子供たちに名義変更しないから自己破産も辞さず好きなようにしてくださいと話すように言った。

僕は行商で「みかん」をたくさん売ったことがあり、商売の基本は行商だと教えてあげた。生産農家だから二の足を踏むのではなく、積極的に売る姿勢が必要で、そうしてきた農家が再生を果たしている事実もあることを教えてあげた。他人に頼るのではなく自立再起を果たすために恥を捨てろとアドバイスした。

内臓疾患のように自覚症状がないうちに病巣はどんどん大きくなり自覚症状が出てくるとすでに手の施しようがないようになっている方は多い。日々健康に留意して食事や運動をするように、日々の生活に安閑とするのではなく勉強や挑戦を怠ってはいけない。「まさか」はいつもやってくる。好調の時こそ次の布石を打つことだ。

2009 11 05 [心と体] | 固定リンク

2009年11月 1日 (日)

人は傷ついて優しくなり、絶望のドン底で希望を見つける

自信満々のときの自分は自分を見失っているときのことが多い。自分をよく見せようとしたり、相手にこうだと決め付けた言い方を自然としている。あいつはダメな奴だと決めつけて平然としているが、その自信が崩れ去ることをまだ知らない。

自信がもろくも崩れ去り、もう死にたいと思った時が本当の自分を見つけた時だろう。絶望の淵にある惨めで悲しみに包まれた自分ほど自分らしい姿はない。人は誰でもいつかはそうした状況に追い込まれる。そのときから優しくなり他人を受け入れるようになる。

ただ生きていることに感謝し、これまで当たり前だと思っていたことに感動し感謝できるようになる。自分は生きているのではなく生かされていると思うようになる。こんなチッポケな自分だからこそ今を精いっぱい生きているだけで褒めてあげようと思える。

2009 11 01 [心と体] | 固定リンク

2009年10月29日 (木)

人のために生きることで感じる幸せ

自分のために生きることが大切だという考え方は戦後民主主義教育の中で培われた考えだ。人は何のために生きているのだろうかという疑問にたいする一つの考えだろうが、民主主義の考え方の基本は「皆のためにあなたは何ができるのか」という質問にたいする答えのように思う。

家族を連れてカナダ・バンクーバーの水族館を訪れた時、市長が講演されていたが、そのときも「バンクーバーが皆さんに何ができるのかを期待する前に、皆さんがバンクーバーのために何ができるのかを考えてください」と話されていた。アメリカ大統領リンカーンも「国民の、国民による、国民のための政治」と講演された。

行き過ぎた滅私奉公は自滅になるが、行き過ぎた自分のためもまた自分を見失う。そのさじ加減を心得ることが幸せな生き方なのだろう。

2009 10 29 [心と体] | 固定リンク

2009年10月28日 (水)

言い訳ばっかり言われてもねぇ

受験生になるとその人の性格がよく現れてくる。受験生が志望校に合格するには勉強する以外に道はないが、いつまでたっても勉強しない生徒がいる。彼はいつも何かしら言い訳を用意しており「家族がやかしましい」「友達がやってきた」「メールが入ってきた」などといっては自分が勉強できないことの理由を自分以外に求める。当然、志望校には合格しない。

社会人でも仕事ができない理由を自分以外に求める人がいる。仕事ができる人になるには仕事を果敢にしていく以外に道はない。しかし、仕事ができない理由を「教えてくれないから」「給料が安いから」「上司が嫌いだから」「部下がついてこない」などと言っている。しかし、すべての原因は仕事をしない自分にあり、反省して仕事を積極的にする以外に仕事の醍醐味を味わうことはできない。

子供でも大人でも言い訳を自分以外に求めている人はいつまでたっても状況は良くならない。今の状況を良くしようと思えば誰かが何かが変わればではなく、いつも真っ先に自分が変わらなければならない。他人や環境を変えるのは難しいが自分を変えるのはたやすい。こうした事実に気がついた人が反省して成長し、愚痴っぽい仲間から離れていく。

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2009年10月18日 (日)

子供を愛せない親

子供は1歳半ごろから反抗的になる。いちばん厄介なのは離乳食を食べさせることで毎回子供と格闘しなければならない。1歳ごろまでは母乳で育っていたが食生活をすべて変え、食事方法もすべて変わり、しかも話ができず半ば強制的に変わるのだから子供にとってもそのストレスは大変なものだろう。

親の言いつけを守れないことでの親のストレスも相当なものだが、子供の立場に立って何がどう変わったのかを理解できずに言いつけだけが増えていくのは悲しいことだろう。こうしてお互いに感情的になっていく。すべては親の愛情が指導になってしまうからだ。

指導しきれないストレスが子供を愛せない親にしてしまう。話下手な子供にゆっくりとできることを増やせば良いと温かく見守る優しい目を思い出してみれば良い。子供は年を重ねるに従いいろいろな指導に出会う。親だけは指導ではなくいつも愛してくれる人だと子供に思ってもらえるよう振舞ってあげるべきだ。

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2009年10月14日 (水)

艱難辛苦は人生を彩るスパイスである

もう死にたいと思ったり、何でこんなに苦労しなければならないのと深い悲しみに包まれたりと生きていれば艱難辛苦は絶えることなくやってくる。理不尽なことを言われたり、貸したお金を踏み倒されたりと人生は自分の思い通りにはいかないものだ。

ただ、どんな艱難辛苦も時間が経てば懐かしく思い出される。「あの時は、もう死にたいと思った」「あのときは、もう駄目だと思いました」などと懐かしそうに話される方に誰もが出会う。斯(か)く言う僕もそんなひとりである。そして、耐えきれぬほどの艱難辛苦があればこそ今の自分があると感謝している。

如何なる艱難辛苦も時間が経てば懐かしい思い出となる。その艱難辛苦に耐えて乗り越えた人は成長しているので、さらに大きな艱難辛苦を用意してくれる。艱難辛苦は人生を彩るスパイスのようなもので、これがなければ人生は何ともつまらないものとなる。

艱難辛苦に押しつぶされそうになっている人はちょうどスパイスを振りかけた状態で、しばらくなじむまでに時間がかかるがジッと耐えているだけでいい。やがて熟成されて好い味になり、今の艱難辛苦に耐えられるようになる。周りの人の優しさも身に沁み素敵な涙を流すようになる。

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2009年10月10日 (土)

人とともに生きてこそ わかるとできる10周年記念講演会

人は人のために生きることで心から幸せを感じる。「わかるとできる」10周年を記念して今年のBUNちゃん講演会では多くの生徒の方が幸せをつかんだ体験談をお聞きすることができました。60歳を過ぎてから頑張ってパソコンスキルを高めてつかんだ上場企業採用通知を握りしめて来てくださった生徒。

不登校だったお子様が「わかるとできる」でお勉強して東京でSEとして働くようになりお父様に高価なそしていつも僕が指していた万年筆を買ってプレゼントしたこと。ご夫婦で会社を立ち上げて「わかるとできる」に通われて僕の講義を聴くことで業績を良くしようと頑張っている奥さま。

会場を手配して黒子となって働いているスタッフの感謝の笑顔と感動。「BUNちゃん先生!抱きしめてください」と飛びついてくる生徒の方やスタッフの皆様。右肩が白くなった僕の背広は僕の勲章でした。この10年、いっしょに働いてきてくださった植田専務の誕生日が東京会場で、スタッフ一同からの素敵なプレゼントまでありました。

台風の影響で東京会場では電車がストップして多くの方が駅で立ち往生するというハプニングや北海道の皆様には交通手段がなくて来年春に延期となりましたことを心よりお詫びします。皆様の温かいハートに幸せいっぱいにしていただきました。皆さんとともに生きてこその幸せをたくさんいただきましたこと心より感謝いたします。

2009 10 10 [心と体] | 固定リンク

2009年10月 2日 (金)

子供には不動産を売らない方が好い

ご近所の方の娘さんが結婚し、初孫のお子様が産まれたので所有して使っていない一軒家を安く売って住んでもらおうと思っていると相談があった。僕は、「売らずに安い家賃で貸してあげ住まわせればかわいい孫にも会える。若い夫婦は安い収入で精いっぱいやりくりしているから不動産を借金して買うことなどさせないことだ。相談しているお父さんが死ねば遺産を相続するので売ってもいっしょだ。お金が必要で使っていない一軒家を売るのであれば他人に売った方が後々面倒なことにならなくて済む。」とアドバイスした。

田舎では親が生きているときに別の家を敷地内に建てて子供夫婦が暮らしている。その子供夫婦が大きくなり彼らの子供が結婚して・・・。となってくると空き家があるのでどうしようかと思い悩むことになる。男の子供は相続を考え所有している家を売るという発想はないが、娘の旦那となると他人と云うイメージがあり、売っても好いかと思ったそうだ。その中途半端な思いやりが娘夫婦には負い目となる。

義理の父親からそうした話があれば娘夫婦も断りにくく無理をしてでも買おうと考える。しかし、収入から返済を計画して考えてあげなければどこかで無理がたたり喧嘩の原因となってしまう。中途半端な思いやりがかえって娘夫婦を苦しめてしまうのではないかと忠告した。親族に金銭問題が絡んでくるとこれほど醜いものはないから、できればただで暮らせば好いと思いきって言ってみることだろう。

2009 10 02 [心と体] | 固定リンク

2009年9月30日 (水)

いつまでも傍にいたい人とそうでない人

この人に会うといつも気分爽快で楽しくてうれしい気分にしてくれる。ついつい長居してしまうが、いつまでもお付き合いしたい人っていますね。その反対に、この人が来るといつも不快な気分になり落ち込んでしまったり腹が立ったりして会うのを避けようとする人もいます。

会うといつも気分爽快にしてくれる人は相手への思いやりがあり優しい言葉や態度があふれています。「ありがとう」と誰にも言いながら頭を下げている。激励するタイミングも推し量っており激励してくれる内容も的を得ています。気分爽快にしてくださる人はその方自身が気分爽快な人です。

会うといつも不機嫌になってしまう人は、その人自身が不機嫌で愚痴っぽく批判的で感情的です。チョッとしたことでも愚痴や非難の対象にするので他では自分も非難されているのではないかと勘ぐってしまいます。「ありがとう」や「がんばって」という言葉は聞くことがありません。

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2009年9月29日 (火)

結婚生活に他人は干渉すべきでない

「夫婦喧嘩は犬も食わず」という諺があり、夫婦が喧嘩をしているので仲裁に入ってもケロッと仲直りしていたり喧嘩別れしたりして仲裁に入ることがバカバカしくなるという意味だ。夫婦のことは夫婦で解決していかなければ他人が仲裁に入っても本音の部分はわからないと僕自身も思う。僕の両親は僕が結婚しても離婚しても干渉しないことを旨としている。

結婚した子供にいつまでも干渉している親がいるが、それではいつまでたっても子供は自立できない。僕の両親は、僕がどんな状態であっても社会人となってからはいっさい無感心を装っていた。生活費がなくてどんなに困っていてもいっさい助けようとしなかった。そのときは、両親を恨んだが、そのことで大きな成長ができたと感謝するようになった。

何でもしてくれる親が好いか、何もしてくれない親が好いかと云えば、何もしてくれない親の方が好いと僕は思う。親は人生経験も豊富なのできっと素晴らしいアドバイスもでき、援助するのもたやすいことだろうが、安請け合いは大怪我のもとになる。すぐに親に頼ろうとする子供が30代、40代となり、自立できずにいる姿を目にするようになった。

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2009年9月28日 (月)

親は何でもやってくれるというのは甘えなのだ

子供はヨチヨチ歩きのときは親は何でも面倒をみなければならないが、成長して体力もつけば親離れして自立するようになる。動物の世界では子供に体力が付けば親は子供から離れようとする。さみしがる子供に向かって怒りをあらわにしてでも親離れをしむける。人間世界でも貧乏でその日暮らしの時代は同じだった。

僕は小学校のころから親の手伝いをしなければとても叱られた。「勉強があるから」と言えば母親に自分のことより家族のことを優先しろととても叱られた記憶がある。家族は協力して生きなければ生活できないほど貧乏だったからだろう。しかし、現在では子供は勉強さえしていれば家事いっさいは母親がしてくれる。そこに、子供が自立できない原因があるように思える。

お片付けができない子供は、お片付けをしたことがない。お料理ができない子供は、お料理をしたことがない。すべては母親がやってくれているからで、母親の願いは子供に家事を教えるぐらいならば勉強で少しでも良い成績をとるということなのだろう。僕はそうした親をたくさん見てきたが、子供がそのことで親に感謝しているとは思えなかった。

学習塾の生徒たちに「親が何でもやってくれているということに気が付き、感謝しなければ社会では成功しないから気をつけなさい」と話していた。「『私は東大卒だからこれを買いなさい』と言われたら買うどころかムッとするだろう。社会では学生時代の成績よりも人間的な性格の方が大切だから周りの人がどれほど自分に尽くしているのかを知ることから始めなさい」と言っていた。

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2009年9月26日 (土)

結婚は人付き合い

結婚とは相手と二人で生活することから始まる。たまに会っているだけならば、お互いに優しくもなれるし助け合うことも容易だ。お金を出して高級レストランで食事をしても懐具合を気にすることもない。しかし、結婚すれば毎日一緒に生活するので、いつも優しく助け合えない。だらしない姿を見せてしまうこともある。お金のことで口論することもある。

一人暮らしや親との同居では、自分の生活スタイルをしっかり守ることができた。趣味に没頭することもできた。友達付き合いを優先していたことだろう。しかし、結婚すると趣味は相手の嫌がることとなり、友達付き合いは伴侶をないがしろにする行為と映るようになる。一人暮らしとは全く違うお互いに快適になれる生活スタイルを取り入れねばならない。

自分がして欲しいこと、されると嫌なこと、些細なことだろうが細部までつめて話し合わなければ快適な結婚生活は望めない。話し合ったところで合意に至らないケースも多々出てくる。または、合意した内容であっても相手が守ってくれないこともよくある。そのことが積み重なると破局を迎えるので、合意内容はしっかりと守ることだろう。それが優しさでありいたわりだ。

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2009年9月24日 (木)

期待されているという幸せ

プロ野球界のスーパースターと云われる長嶋茂雄がヒットを打ちホームランをかっ飛ばすその行為は、最初は自分の欲望だったが、徐々に観衆に期待されるようになり、観衆と一体となって野球をする喜びを感じるようになったと語っている。ファンに期待されているという喜びに厳しい練習を苦にしなかった。苦しいのはファンの期待に応えられない時で、そのときは引退を決意したそうだ。

最初は個人的な努力の積み重ねでしかないが、継続してやっていると他人の知るところとなり徐々に期待されるようになる。その期待は心地好く感じられもっと努力してその期待に応えようとする。たまには期待されることが苦痛に感じることもあるが、それは自分の甘えだと気が付く。期待されているからこそ自分を成長させることができ、喜びや感謝すら感じるようになる。

僕は毎日仕事が終わっても3時間程度の勉強を欠かさないが、それも多くの方が期待してくださっていると思えるからで、もしも、誰もそうした期待をしてくださらなかったならば、仕事が終われば寝るまでボーっとしているだろう。自分を鍛えている原動力は他人の期待で、その期待に応えられている自分が幸せだと思える。親、恋人、友人、会社の人・・・彼らが自分に期待していることを継続してやってみることだ。

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2009年9月23日 (水)

好き嫌いが多ければ死期を早めてしまう

人は食事によって身体を作るので、好き嫌いが多ければ、必要な素材を集めることが出来ずに病気になりやすい身体しか作れず、死期を早めてしまう。病気になった時に、もっと食事に注意すれば良かったと悔やむがもう手遅れになっている。僕の父もお酒が好きで喉頭癌になり悔やんでいた。

仕事も同じで好き嫌いが多いと仕事ができなくなり職場を追われることになる。この仕事は好きだが、あの仕事は嫌だという仕事の好き嫌いもまた食事と同じ結果を人々にもたらす。人の好き嫌いも多いと人々から離れるように生きていくようになり食事と同じ結果を人々にもたらす。

健康のために何でも食べるようにしなさいとよく言われるように、健康のために仕事の好き嫌いを失くしなさい、人の好き嫌いを失くしなさいと僕はアドバイスしている。

2009 09 23 [心と体] | 固定リンク

叱ってるあなたが未熟

叱るという行為は相手のヤル気が満ちていて何とかしようと悩んでいるときに尊敬する方からの叱りは効果的です。相手に尊敬の念もなく何とかしようと思っていない人には叱るという行為よりも気づかせる行為が必要です。そして、何よりも大切なことはアドバイスしようと思っている人が相手に受け入れられる人であることです。

相手が受け入れようと思っていない人から何を言われても不愉快なだけです。アドバイスしようと思えば、相手に受け入れられる人であれということです。そのためには相手を心から愛して慈しむ行為が必要です。

子供に対して親は威圧的にアドバイスしますが、子供には不愉快なだけです。子供が甘えていることを威圧的に抑えようとしますが、子供は親に甘えることで自立心を養っているところがあります。子供に対しては充分甘えさせてあげることです。

大人同士の付き合いでは甘えをそこまで受け入れることはできません。相手が威圧的であったり、反抗的ならば自然と離れていくようになります。恋は破れ、職場では孤立し、友達なら喧嘩になります。

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2009年9月18日 (金)

高齢者は能力も高く経験も豊富

イギリスのレポートに高齢者の身体能力は若者とそんなに違いはなく、若者が右脳や左脳といったどちらかを使っているのに対して、高齢者は脳自体が縮小しても左右の脳をいちどに両方使うことでそん色ない能力を発揮しているという。経験豊富なご高齢の方が謙遜して「年だから…」と言っているが間違いだということだ。

僕は56歳だが2年前に屋根から落ちて腰を痛めてしまい、それ以後は腰に負担がかかることはできなくなった。それは年齢のせいではなく事故のせいだ。知識は経験に支えられているので勉強しても理解しやすくなっている。年を重ねるに従い、僕の場合は体力的なことから知的な仕事に移行する方が好ましい。

ご高齢の方が僕たちの教室でお勉強されている。彼らは謙遜して「もう年だから…」と仰るが、決して知的能力は劣らない。むしろ、鍛えれば経験があるだけにどんどん知的能力は高まると自信を持って思ってほしい。21世紀は欧米でも少子高齢化を迎え、ご高齢者の方が活躍しなければ世界は労働人口の減少に見舞われる。

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2009年9月15日 (火)

人は人を信じて生き、生涯を終えたいものだ

孤独で失意のうちに腎臓を患い両手、両足をパンパンに張らして死を待つだけだった84歳のご老人を介護することにして総合病院に入院していただきやっと一命を取り止めることができた。病室に伺えば涙を流して感謝される。この先、いつまでも面倒は見るので安心して入院してくださいと話した。

医師からは治ることのない難病で申請すれば治療代は無料になるとのこと、入院代だけで済むように申請書をくださった。それにしてもただの知り合いというだけでこれほどまでにされるとはご奇特な方だと感心された。ただ死を待つだけのご老人を見捨てるほどこの国は腐ってはいませんと説明した。

ベッドから起き上がることもできないほど衰弱しているのに何とか立ち上がって感謝したいと涙を流しているご老人を介護して僕はひとりの人間としてこうしたことをやってよかったと心から思った。ご老人が信じている信者の方々の態度も変わり介護を申し出てくださるようになった。

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2009年9月 9日 (水)

達磨不識

5世紀後半、南インドの王国の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶で禅の開祖である達磨は普通元年(520年)、海を渡って中国へ布教に来る。9月21日(10月18日)、広州に上陸。当時中国は南北朝に分かれていて、南朝は梁が治めていた。「景德傳燈錄」第三巻に次のような話が書かれている。

梁の武帝は仏教を厚く信仰しており、天竺から来た高僧を喜んで迎えた。武帝は達磨に質問をする。
帝問うて曰く「朕即位して已来、寺を造り、経を写し、僧(僧伽、教団)を度すこと、勝(あげ)て紀す可からず(数え切れないほどである)。何の功徳有りや」
師曰く「並びに功徳無し」
帝曰く「何を以て功徳無しや」
師曰く「此れ但だ人天(人間界・天上界)の小果にして有漏の因なり(煩悩の因を作っているだけだ)。影の形に随うが如く有と雖も実には非ず」
帝曰く「如何が是れ真の功徳なるや」
答曰く「浄智は妙円にして、体自ずから空寂なり。是の如き功徳は世を以て(この世界では)求まらず」
帝又問う「如何が是れ聖諦の第一義なるや」
師曰く「廓然(がらんとして)無聖なり」
帝曰く「朕に対する者は誰ぞ」
師曰く「識らず(認識できぬ・・・空だから)」
帝、領悟せず。師、機の契(かな)はぬを知り

武帝は達磨の答を喜ばなかった。達磨は縁がなかったと思い、北魏に向かった。後に武帝は後悔し、人を使わして達磨を呼び戻そうとしたができなかった。

武帝はたくさんのお金を仏教のために使ってきた。どれほどの功徳があるのだろうかと達磨に聞いたが、寄付が多いからと云って自慢していること自体がエゴだと一喝する。自慢は人間らしい感情であり、自慢してうらやましいと相手が思えば嬉しくなる。それは他人ができないことを自分がしたという喜びで醜いと諭したのだ。

ただ、何もせず「病気が治る」「お金が降ってくる」などと云った功徳はこの世に求めてはいけない。自らが生き、努力して叶えるものだろう。自分は生き仏や高僧などと自慢するバカではない。武帝であるあなた同様、ただの人間でしかない。人は皆、同じく平等な人間であり優劣をつけるべきものではないと諭したのだ。

2009 09 09 [心と体] | 固定リンク

2009年9月 8日 (火)

功徳がほしいというエゴ

僕の祖父は工務店を経営しながら町の議員であり町議の議長であった。昭和30年代当時は土建屋の議員が多く、戦後の復興やインフラ整備の公共事業で大忙しの時代だった。土建屋にとっては大変ありがたい時代で、町議会議長をしている祖父は談合の親分的存在だった。羽振りもよくて勘当されている僕の父以外の子供たちに資金を提供してそれぞれ会社を持たせていた。

祖父は神仏への寄付も欠かさずにいた。毎年多額の寄付をしていたが土建屋の祖父はどんぶり勘定でことを済ませていた。そんな古き良き時代も終わり、談合は内部告発されるようになり、良き土建屋仲間も公共工事の指定業者になれた勝ち組となれなかった負け組に明暗が分かれるようになった。起業した子供たちも放漫経営が許されるはずもなくほとんどが倒産してしまった。

祖父の最後は貧乏のどん底で誰からも慕われることもなく、あれほど神仏に寄付をしたのに御利益はなかった。先日、近くのひとり暮らしのご老人が大病になり行方知れずの息子さんがいるらしいが連絡はとれず、お金もないので病院へも行かず、動くこともできずにただ死を待つだけという状態になったので僕が世話をすることにした。この方もある宗教の大幹部で毎年のように寄付をしてきたそうだが信者の方が世話をする様子はない。

長年、その宗派に尽くしてきたと思うのだが末路は何とも悲惨で祖父のことを思い出して世話をすることになってしまった。その宗派の信者の方に「みなさんは毎年ご寄付をするのですから、その中からいくばくかをこの方の治療費に当てれば如何ですか?」と聞けば、それと寄付は違うと言い張る。どうもこのご老人を助けるよりも信じる宗派への寄付をするほうが功徳があると思っているみたいだ。

僕が御神体ならば、飯を食うこともない僕などかまわないでそのご老人を助けなさい。そうすれば僕に寄付する以上の御利益を皆さんに与えましょう。それは御神体である僕が皆さんに与えなくてもそのご老人を助けるという行為によって皆さんが感じる心が温まる思いです。物言わぬ御神仏にとって代わる人々のそれぞれのエゴを見ているようだった。

2009 09 08 [心と体] | 固定リンク

2009年9月 5日 (土)

就職・転職を繰り返して失業し自分自身を見失う

就職しても職場になじめないで退職していく人は多い。「自分探し 転職の勧め」や「契約社員になって自由になろう」などといった文面が多く見かけられた。我慢なんて古臭い生き方を辞めてもっと自由になろうという論調だった。執筆者自信がフリーライターだからそういった論調になるのもうなずける。

しかし、職場で働き家族を支えている人はこうした論調は風当たりが良くても実行しない。「我慢して働く」という辛さを通り抜けて「喜んで働く」という状態になることを感じているからだ。何事もうま味が出てくるまでには熟成する期間が必要なのだ。転職を繰り返す人は熟成する前にうま味がないと諦めている。

スポーツでもうまくなるには時間をかけて練習しなければならない。おいしいお酒も時間をかけて熟成させなければならない。良い成績をとるにはしっかり辛い勉強をしなければならない。転職を繰り返している人は自分を大切にした生き方をしてきただけだというが現実は自分の居場所すらない状態になっているように見える。

今ある自分が置かれている状況を否定することは今の自分を否定しているのと同じことだ。それを繰り返していては、いつかは自分の居場所を失くすのも当たり前ではないか。「我慢して働く」ということは生きる喜びを見つけ、自分自身を見つけるには必要不可欠な行為だということを知るべきだ

2009 09 05 [心と体] | 固定リンク

2009年9月 4日 (金)

地獄に突き落とされて初めて反省する

2008年連結決算書による損益計算書では2兆2703億円の営業利益を出していたトヨタは2009年度4610億円の営業損失(赤字)を出した。2008年度僕は自分のブログにリーマンショックが起こった2008年10月にトヨタの赤字決算を予想して大変なお怒りを受けて書き込みを削除したことがあるが、残念ながら僕の予想は的中してしまった。

トヨタの経営陣でさえこれほどまでに業績が落ち込むことはないだろうと思っている頃に、僕はトヨタは赤字になると書き込んだのでお怒りを受けた。8年連続の増収増益を記録している世界トップ企業で、自信に満ち溢れ、カンバン方式など独自の戦略を持ちスキがなく絶好調と評価されているときこそ危機が迫っているものだ。

スキがない経営は変化に順応しにくい。2008年10月の金融危機は高額商品をローンで購入しにくくなるということで不動産や乗用車などはいっきに売れなくなった。20年前、日本で起きたバブル崩壊の時も金融危機が発端だった。その後、失われた10年と云われるほど日本経済の回復は遅々として進まなかった。

トヨタの例を引くまでもなく、どの企業でもどの人物であっても、自信に充ち溢れているときほど注意しなければならず、どこに落とし穴があるか分からない。そのリスク管理を怠ることなくいつも謙虚にしていることが大切だが、なかなか人はそうなれない。企業でも人でも地獄に突き落とされて初めてどうしてこうなったのだろうと反省する。

2009 09 04 [心と体] | 固定リンク

2009年9月 3日 (木)

愚痴と不満は自分を腐らせる

マイナスの感情は人を醜くしてしまう。愚痴や不満ほど人の顔を醜くするものはないだろう。笑顔は醜く歪んでいるし口を開けば愚痴や不満の同意を求める。類は友を呼ぶがごとく、愚痴や不満で繋がる仲間が集まってくる。僕は愚痴や不満は口にしないし、そのような人に会うと注意するようにしている。

愚痴や不満に身を焦がしているとどんなに成功している人もどんどん落ちぶれていき、最後にはたった一人になって愚痴と不満のなかで死んでいく。それはまさに地獄絵図そのものではないかと思えるからだ。天国や地獄は死後の話ではなく現世の出来事であり、物事の捉え方次第で人は天国にも地獄にも行き来する。

愚痴の反対は感謝であり、不満の反対は満足である。愚痴に思うことをよくよく考えてみると感謝を忘れた自分を見つけて反省し、不満に思うことをよくよく考えてみると満足すべきこと、つまり、「たるを知る」べきことを忘れた自分を見つけて反省するようになれば人として幸せを掴める成長がある。

会社に対する愚痴や不満、仕事に対する愚痴や不満、家族に対する愚痴や不満、自分自身に対する愚痴や不満、友達に対する愚痴や不満、恋人に対する愚痴や不満…その感情によって人生を狂わせて反省する人もいるだろうしより愚痴や不満をつのらせている人もいる。

2009 09 03 [心と体] | 固定リンク

2009年9月 2日 (水)

脳みそは使っていれば進化する

50代以上の生徒になると「もうこの年だし」と云ってテレ笑いされる方がいますが、脳みそに年は関係ないというのが医学界の通説だということを聞いたことがある。56歳になった僕自身、体力の衰えを感じても脳みそに衰えを感じたことはない。むしろ、昔よりも経験を積んでいくので思考力やアイデアの想像力が増しているのではないかと思う。

脳みそは使うほどに活性化するので毎日しっかり脳みそを使うことが大切。脳みそをほとんど使わないテレビ、ゲーム漬けになると退化する。ゆっくりと時間をかけてひとつのテーマを推考することが大切だろう。僕は毎日仕事の後、3時間は自宅で勉強している。読書もまた、その情景を思い浮かべるので脳を活性化してくれる。年だからと諦めることはない。

2009 09 02 [心と体] | 固定リンク

2009年8月30日 (日)

2009年8月28日 56歳になりました

8月28日は僕の誕生日で、昭和28年生まれの僕は今年で56歳になる。「わかるとできる」を創業して10年の節目になる今年は家のリフォームをした。10年前に自作のログハウスの中でパソコン講義の収録を始めたが、そのログハウスは腐ってきて危険な状態になっていた。思い切ってログハウスを撤去して新たに家(はなれ)を建てた。それに伴い、母屋のリフォームも行った。

誕生日に間に合うように家やリフォームは完成して家族で僕の誕生日を祝ってくれた。会社のスタッフは勿論、加盟校の皆様、教室に通われている生徒の皆様、卒業した生徒の皆様から温かい感謝の気持ちのこもったバースデイカードやメールや寄せ書きなどをたくさん頂きました。こんなにも多くの方から祝っていただける僕は何と幸せ者なのかと感激でいっぱいです。

パソコン教室に通われて人生を豊かなものにできたという喜び、教室スタッフになりそうした生徒の方の感謝のお声を毎日いただける日々に感謝する人々、一緒に働いて下さる社内の人々の感謝の声、最高の人生を過ごさせてもらっていると感謝してくれる子供たちと妻や両親、何だかこれで思い残すことはないと云った気持にもなり、ただただ感謝の誕生日になりました。

2009 08 30 [心と体] | 固定リンク

2009年8月27日 (木)

神様が創った試合 昭和54年夏の甲子園 箕島対星稜戦

1979年僕は和歌山県箕島市駅前商店街の一画でブティックを経営していた。当時、26歳の僕は多額の借金を抱えていたので、神戸・大阪・京都・名古屋・東京のファッションメーカーの在庫処分を車に詰め込んで国道1号線沿いの洋品店に飛込み、卸販売していたが返済は滞ることが多く金融機関からの催促が毎朝ある状態だった。

昭和54年春の甲子園で和歌山県代表の県立箕島高校は優勝した。商店街は優勝記念セールで賑わい過疎の町にあって久しぶりに人々に笑顔がこぼれていた。和歌山県中央部を流れる有田川は有田ミカンの産地で江戸時代には紀伊国屋文左衛門がミカン船を出したことで有名で、子供たちのほとんどは草野球をしていた。

箕島高校は地元の球児が多く、決してスター選手がいるチームではなかった。尾藤監督は確実に点を取る方でバントの箕島といわれ手堅い作戦で勝ち進んでいく。昭和54年夏の甲子園準々決勝(3回戦)の第4試合で優勝候補の箕島は石川県代表の星稜高校とぶつかる。いつも街で出会う監督や球児たちが笑顔で甲子園のグラウンドに集まっていた。街中の人はテレビに夢中で商売にならない。

1対1のまま試合は延長戦に入る。延長12回先行の星稜は体調を崩してフラフラの箕島二塁手上野山のエラーをさそい1点を好投手石井からもぎ取る。その裏、ツーアウトランナーなしになり尾藤監督が敗戦を覚悟したその瞬間、最後のバッター嶋田が大声で「監督、ホームランを打っていいですか!」と言った。うつろな監督は「はい」と言ったが本気ではなかった。しかし、キャッチャーの嶋田は幼馴染の石井のためにホームランを打った。

延長16回先攻の星稜高校は2度目の勝ち越し点をあげた。その裏、簡単にツーアウトを取ったピッチャー堅田は今度こそ勝ったと思った。最後のバッターは延長14回で隠し玉にあい3塁でアウトになった森川だった。彼は12回に先頭打者ヒットで塁に出てディレードスチールで3塁に進みスクイズでこの試合を勝つと信じていただけに悔しさをにじませていた。

森川は簡単にツーストライクまで追い込まれ最後の球に渾身のフルスイングをしたが、ファーストフライになってしまった。しかし、1塁手の加藤がファウルグランドにこの年から設置された人工芝につまずき転倒。ホッとして力みの消えた森川はカウント2‐1から左中間スタンドへ起死回生の同点ホームランを打つ。アナウンサーの植草は、「甲子園球場に奇跡は生きています!」と叫んだ。

この瞬間、ピッチャーの堅田は全身から力が抜けていくのを感じた。延長18回表、星稜は満塁とするも無得点。勝ちがなくなった星稜ピッチャーの堅田は最後の投球でストライクが入らなくなり敗戦投手になる。3時間50分、視聴率29.4% 日本中の人々に生きることの素晴らしさを教えてくれた伝説の一戦となり「神様が創った試合」だと語り継がれることになる。

どんなにピンチでも絶対諦めないことの大切さ、これで勝ったと思った瞬間に勝ちが逃げていく怖さ、ひとつの気の緩みがすべてを狂わせる怖さ、ひとつのことに全力をかけることの大切さ、仲間を信じて生きること、仲間のために生きること、仲間のミスを責めることなく笑顔で助け合うこと、生きることの尊さや本気で生きることの大切さをたったひとつの試合が教えてくれた。このあと、箕島高校は夏の大会で優勝し春夏連覇を成し遂げる。

2009 08 27 [心と体] | 固定リンク

2009年8月26日 (水)

尊王攘夷は幕府への苛めだった

1867年江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が、朝廷に大政奉還を行ない翌年、年号は明治となる。日本各地の尊王攘夷派の若者はこぞって喜んだであろうが、明治になり誰も本気で攘夷を行わなかった。つまり、本気で外国と戦争をして勝てるとは思っていなかったところが第二次世界大戦に突入した日本とは大違いだ。

世論が戦争による解決を望んでいたとしても、実務家は戦争をすれば負けることを知っていた。しかし、攘夷論を煽ることで幕府を窮地に立たせることができる。幕府を追い詰めれば大政奉還への道も開ける。江戸幕府は天皇から依頼を受けて統治しているので天皇の指示には従わなければならない。天皇にとって攘夷論ほど痛快なものはない。

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2009年8月24日 (月)

慣れは感謝を怒りに変える

お母さんが毎日食事を作ってくれる。当たり前のことだが両親が共働きで食事は自分で作らなければならなかった僕にはお母さんが食事を作ってくれることはとてもうれしいことだった。一緒に食事ができることだけでもうれしいと思った。しかし、それが毎日のことになるとうれしさはどこへやらで、食事の内容に文句をつけるようになるし、作る時間にすら文句を言うようになる。

人は感謝すべきことが毎日当たり前のように行われていくとそれに慣れて、それ以上に甘えるようになる。自分が親になったときに、どれほどお母さんが頭を悩ませていたのかが分かるようになるが、慣れとはとても恐ろしいものだ。給料を払い続けている会社に対してもどれほど貢献しているのかと反省や感謝なしにただ非難中傷していることもお母さんへの感情と同じことだろう。

怒りの感情をよくよく考えてみることだ。どうして自分は腹を立てているのだろう。それは、自分ひとりではどうしようもないことなのか?自分がやればできることなのか?それをしてくれていることに本当は感謝すべきことなのか?自分はだんだん甘えるようになっていないか?考えて、考えて、自分の感情を抑制してさらに感謝することができればそれを成長と云うのだろう。

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2009年8月17日 (月)

自分のやりたいことをする人生と愛する人のためにやりたいことを我慢する人生

自分のやりたいことをする人生と愛する人のためにやりたいことを我慢する人生、若い頃は自分のやりたいことをする人生に憧れて多くの人に迷惑をかけてでもそれで良いと思っていた。周りの人を傷つけてないがしろにして意見を受け入れないで反抗的で自己主張が強くて、それが僕らしい生き方だと思っていた。しかし、どんなに自分のやりたいことを貫き通していても心から幸せになれなかった。

僕が自分の生き方に疑問を感じだしたのは40歳を過ぎてからで、どんなに自分のやりたいことを一生懸命になってやっていても心に隙間があるし、その隙間は年をとるにしたがってどんどん膨らんでくる。やがて、自分のやりたいことを貫き通しているということはカッコいいが別の言い方をすれば自分勝手だということだと思った。もう充分すぎるほど自分勝手な生き方をした僕は45歳から真逆の生き方をする。

自分が愛すべき人の範囲を恋する女性だけでなく、両親や友達、従業員や近所の人々、これまで付き合ってきたすべての人々、これから付き合うであろうすべての人々に広げてみた。恋人に優しくするようにそうした人々にも優しく接するようにした。これまで自分勝手な生き方を許してきてくださったことへの感謝の気持ちもあった。僕の態度が変われば周りの人の態度も変わった。僕は多くの人から感謝されるようになった。

若い頃から自分の心の中に感じていた渇きは愛し愛される人間関係で癒されることを知った。それまでのフォローしてやっているという気持ちから、喜んでフォローしている自分に変わった。こんなこともできないのかと思いながらやる自分から、こんなことからフォローしてあげられる自分に喜びを感じるようになった。そうして感謝される自分に最高の喜びを感じるようになった。あれほど求めていた幸せは我慢の中にあった。

2009 08 17 [心と体] | 固定リンク

2009年8月15日 (土)

盲目的に人に従うは愚かなり

あの人の言っていることはすべて正しい、あの人の言うことに従っていれば間違いはない、誰しもそう信じたい衝動に駆られることがある。有名人、恋人、親や友人に対してそうした思いを抱いたことは一度ならずともあるだろう。あるいはあの人を心から信じて裏切られた経験のある方も多いだろう。人は誰しも完ぺきではない。ある一面だけ光り輝いているにすぎない。

国民を戦争に導いた指導者を盲目的に信じた人々が熱狂的に指導者を崇拝して戦争をして指導者も自殺しようとし、多くの国民も戦死するという自滅の道を選んだ。人々から熱狂的に支持されると人は自分を選ばれし者だと思うようになり傲慢で人々に選ばれし人に対する接し方を求めるようになる。周りにイエスマンだけを置くようになり、猜疑心から愚痴っぽく怒りっぽい性格になっていく。

特定の分野にだけ秀でている者に対して人は尊敬の念を持つ。その尊敬の念が強まるとその人を神格化するようになるか、神格化して神として祭るようになる。そうなると、その人のすべては肯定されてもはや多面性を持った人としての評価は与えようもなくなる。神として信じている人々によって人への評価をするだけで軽蔑の対象、非難の対象になってしまう。

僕は45歳でこの会社を立ち上げて自分がすべての講義をしているので多くの人から支持されるようになった。なかには盲目的に信じてくださる人がいて、心地よいその雰囲気に自分が乗っかればカリスマや教祖といった状態になるのだろうと思って恐怖を感じた。自分のこれまでの行いには自慢できる面もあればお恥ずかしい面もあることを知っているからだしこれからもそうだろうと思うからだ。

自分は神だと言っている人を僕は信用しないし、自分は選ばれし人だと言っている人も信用しない。「私は神の生まれ変わりだ」などと云っている人は自分がすべての人々から尊敬されるべき対象だと阿呆な理屈を並べ立てているにすぎない。そんな阿呆を祭り上げて喜んでいる信者には申し訳ないが騙されているとしか言いようがない。人間は誰もが同じ義務と権利を持った存在なのだ。

人は誰しも尊敬される一面と軽蔑される一面を持っている。幼い子供から今の自分にもっとも大切なアドバイスをもらうこともあれば、自分が尊敬している人から無視されたり意地悪されたりすることもある。どんな有名人でも偉い人でも自分とおなじ人間であるとこに変わりはない。そう思って人と接していると、すべての人から生きる希望と勇気をいただけるものだ。

2009 08 15 [心と体] | 固定リンク

2009年8月13日 (木)

戦争は儲かる

明治になり日本は富国強兵政策をとるようになる。近代産業を取り入れて近代的な兵器を導入して徴兵制度をしき欧米列強に引けを取らない国家建設を目指していた。明治政府が初めて外国と戦争をしたのは1894年~1985年の日清戦争。このときの賠償金が2億両(約3億円)と台湾、澎湖島(ぼうこうとう)、遼東半島(りょうとう(リャオトン)はんとう)を手に入れる。

その後、ロシアの南下政策によりフランス・ドイツを巻き込んだ三国干渉があり、遼東半島を清国に返還、代りに3,000満両を償金として上乗せし利子などを合わせて約4億円を手にします。これは明治26年の国家予算の4倍以上、現在の日本の国家予算は2007年度約83兆円、この4倍となると332兆円になる。これだけの臨時収入があると誰でも舞い上がってしまう。

この80%(約3億円)は軍事費に使われており打倒ロシアと言ったムードが漂っていたので、1904年日露戦争がおこり日本は戦費を使い尽くして勝利するが何の賠償金も手にできなかった。欧米諸国にすれば黄色人種が白人から賠償を取るなどと云うことは前代未聞だったに違いない。日本はその後も軍備を拡張し、第1次世界大戦でぼろ儲けする。戦争は勝ち馬に乗れば儲かったのだ。

いけいけどんどんの日本は1937年日中戦争を引き起こす。これが第二次世界大戦のきっかけとなってしまう。冷静に判断すれば日清戦争終了後、日本は軍備拡張よりもインフラ整備、殖産興業に賠償金を使うべきだったが、4億円のうちたった58万円で八幡製鉄所を作ったにすぎない。日清戦争以降第二次世界大戦で敗北をきっするまで、日本は戦勝ムードに酔っていたとしか言いようがない。

戦争をビジネスとして利用し儲かると考えている企業や国家は今でも多い。そこには国民の命すら消耗品として処理する拝金主義がまかり通っている。国民自身も自らの命を犠牲にして国家のために戦争をするということを美徳とし正当化してしまう。しかし、戦地に赴けばそこにあるのは敵と云う名の普通の人間がいるにすぎない。本当の敵は、殺戮を正当化している考えそのものだ。

2009 08 13 [心と体] | 固定リンク

2009年8月12日 (水)

その状況下で君は何を感じているかで君の未来は決まる

日本の近代資本主義の生みの親 渋沢栄一(1840~1931)は藍玉商人の子として生を受けた。若くして尊王攘夷の思想に触れた彼は討幕を試みるテロリストになった。しかし、謀反人として追われる身でありながら一橋家に仕えるようになり頭角を現して御勘定組頭へと出世していく。

お仕えしていた一橋慶喜が将軍となり、徳川家の家臣となるは渋沢の予想しなかったことだろう。激動のこの頃、将軍慶喜の弟で13歳の 徳川昭武(あきたけ)の勘定方(会計係)となってフランスで開催される博覧会に行けと命が下った。日本の展示もあり欧米の人々は驚いたが渋沢も欧米をじかに見て驚いた。

討幕やら攘夷などと言っていた自分が世間知らずの大馬鹿だと悟り、これからの日本が目指すべきものは何かを真剣に考えるようになる。見聞を広める中で、国家繁栄は殖産興業にありと悟り、広く産業を日本に起こさねばならないと決意する。会計係の彼は銀行からの借り入れが欧米で会社を運営するのに必要不可欠であることを知る。

欧米から帰国したとき幕府はなくなり明治となっていた。洋行帰りの彼は明治政府から請われ、若くして大蔵省の役人に大抜擢される。人生は二転三転するものだが渋沢栄一もまた例外ではない。彼は如何なる環境においても悲観することなく、愚痴ることなく、いつもその場において現実を見て実学を積み重ねている。

人は誰でも環境の変化に対応できないで苦しむことが多い。しかし、この渋沢栄一はそれを喜んで受け入れている節がある。実に逞しい精神力の持ち主であるからこそ、近代日本の資本主義の生みの親と言われているのだろう。彼の精神力の逞しさは私利私欲ではなく絶えず日本や民のためと思って生きる姿勢があるからだろう。

2009 08 12 [心と体] | 固定リンク

君のお父さんは素晴らしい人だよ

僕の伯父さんたちの多くは祖父の資金援助を受けて起業し、それぞれに会社を大きくして贅沢を覚えて奢り、自慢するようになり、特別扱いされることを好み、家族も贅沢を覚えて同じように自慢するようになり、ひとりを除いて倒産した。僕の父も弟の会社に資金援助して見事にすべてを失くし、それまで偉そうにしていた弟を責めていた。

僕にとっては従兄弟たちが我が家に遊びに来ると「こんな小さな家に住んでみたい」「えっ!テレビもないの?」「こんな安っぽいケーキ食べないわ」などと言っていた。従兄弟のお母さんも同じようなことを僕の母に話していた。悔しくて僕は従兄弟の叔母さんから頂いたおこずかいをすべて従兄弟のお菓子代や玩具代に使ったこともある。

昭和30年代に起業し成功した伯父さんたちは国産高級車に乗りお手伝いさんまでいる大邸宅に住んでいた。しかし、昭和50年代に入ると経営が思わしくなくなり倒産していった。倒産すれば財産のすべてを失くすばかりでなく妻には離縁され子供たちからは馬鹿にされる。貧乏になり離婚して母親と暮らしている子供たちは自分の父親を憎んでいた。

破産した経営者で50代の男を雇う会社はそういない。パートでやっと雇ってもらえた伯父さんは少ない収入から別れた妻や子供たちに仕送りをしていた。僕が経営する学習塾に来ていたその子供たちが自分の父親を憎らしそうに言うので僕は教えてあげた。「君たちのお父さんはとっても偉い人だ。君たちに贅沢な暮しをさせてあげた。僕のお父さんにはできなかったことだ。」

「君たちのお父さんは会社を経営してたくさんの従業員に給与を支払っていたんだ。働いていた人々はその給与で家族を養うことができた。今、お父さんはパートでローカや便所を掃除しているけど、自分の財産をはたいて最後まで従業員の人に給与を支払っていたんだよ。自慢して良い素晴らしいお父さんじゃやないか。」と僕は従兄弟たちに言った。

2009 08 12 [心と体] | 固定リンク

2009年8月11日 (火)

お金持ちになりたい

将来お金持ちになりたいと心から思っている人は多い。僕も45歳まではそう思っていた。お金持ちになりたいと思って一生懸命に働いた。幼い頃から貧乏な故に食べ物にさえ苦労した。洋服はボロボロでつぎはぎだらけだった。おもちゃは買ってもらえなかった。貧乏故の夫婦喧嘩は絶えることがなかった。欲しいものは親に買ってとは言えなかった。20代の頃も借金の返済で追い詰められて食べ物にさえ苦労していた。

僕が金銭的に楽になったのは31歳からで、借金を完済してからは稼いだお金はすべて自分で使うことができるようになった。僕は多くの商売人のように稼ぐことに懸命にならず、それまでがむしゃらに働いてきたのでその日暮らしの収入があれば後は何もしない生活を楽しんでいた。38歳で結婚するまで朝から夕方までサーフィンをしてのんびりした生活を楽しんでいた。

結婚してからはまた商売に精を出して金銭的余裕ができるようになった。商売が繁盛するにしたがいお金持ちになりたいと思う感情はだんだん薄れていった。どうしても買わなければならない物が買えない状態ではお金持ちになりたいと心から思うが、買いたい物が買えるようになると僕はお金に対する執着心が薄れていった。それよりもいっしょに働いてくれる仲間の幸せを心から願うようになった。

商売人にはお金を稼ぐと自分のために使い、さらに使いたいのでお金を稼ぐ人がいる。こうした商売人は贅沢を好み、贅沢品を身につけたり所有することで自己顕示欲を満たして幸せだと思っている。僕は贅沢を好まないでいっしょに仕事をする仲間といる方が幸せを感じる。会社が儲かれば自分のために精一杯使う経営者は多いが感情的で傲慢で孤独な人のように見え、倒産する人も多い。

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2009年8月 9日 (日)

友好的な人間関係は如何なる財産にも勝る

家族の笑顔、社員の笑顔、お客様の笑顔、ご近所の笑顔、友達の笑顔…人は誰も誰かとつながりを持っている。その人々と会うたびに笑顔で接してくれることほどうれしいものはない。そのうれしさは如何なる財産にも勝る。高級マンション、高級車、高級ファッション、贅沢な暮し…それらはすべて一時のよろこびでしかない。

自分の周りの人々の笑顔を引き出せる自分であること。そのために笑顔で努力できる人であること。家族に笑顔でいつも接するようにすること、社員に感謝すること、お客様に笑顔で応対すること、ご近所の方に笑顔で挨拶すること、友達に笑顔で激励すること…そのひとつひとつが自分の幸せ創りになっていく。

物を所有するという喜びは一時のよろこびを与えてくれるが長く続かない。所有欲には終わりがなく、さらにエスカレートする傾向がある。欲望の連鎖が起こり、限りなく欲望を満たそうと物欲に走る。一時は満たされるがすぐに渇きを覚えてさらに素敵な物を求めてしまう。心を磨くことを忘れているので自分を破壊して不幸になっていく。

2009 08 09 [心と体] | 固定リンク

2009年8月 6日 (木)

他人の幸せを願って生きれば自分が幸せになる

2009年は「わかるとできる」創立10周年にあたる。創業して以来、従業員の幸せを願い、社長室も持たず、秘書も置かず、高級車も購入せず、従業員に最高の部屋を用意し、従業員が休めるように留守番をして、最高のおもてなしを従業員のために行ってきた。どの経営者よりも従業員の幸せを願って自分にできる最高の努力を惜しみなくやってきた。

創立10周年を記念して先日社員総会を開いた。今年も来賓は誰もいない。従業員が主役であり、従業員のために開く総会であり、従業員が最高に楽しめる場でありたいと思うのであえて来賓は呼ばないようにしている。僕の挨拶は15分、役員は各5分、それ以外数時間にわたり従業員が壇上で発表するのが本社の社員総会である。最高のヤジも飛ぶ、最高の総会だと自負している。

昼3時から夜9時まで、延々6時間に及ぶ総会が終了して自室にいると次から次へと従業員がやってくる。朝5時、外が明るくなるまで多くの従業員の皆さんが入れ替わりやってきては、喜びや悲しみ、決意や反省を語って下さる。その誰もが僕への感謝で満ち溢れている。彼らの感謝に触れていると、この会社を立ち上げてよかったと心から思う。それは、「他人の幸せを願って生きれば自分が幸せになる」という実感だった。

家庭においても僕はずっと自分の幸せよりも家族の幸せを願って行動してきた。どんなに辛くても疲れているときでもピンチであっても、いつも僕は笑顔で家に入り、笑顔で家族のためにできることから始めるようにしてきた。おかげで家族の皆から感謝されるようになり、幸せを感じる日々を過ごしている。「滅私奉公」とはよく言ったものだと思うが仕事においても同じことがあてはまる。

2009 08 06 [心と体] | 固定リンク

2009年8月 2日 (日)

子供たちは愛情をいっぱい感じて巣立っていく

子供は親の愛情を感じれば成長し、愛情を感じなくなれば寂しくなり親の期待を裏切ることで親の気を引こうとする。ちょうど、フラれそうな恋人が相手の気を引こうと冷たくしたり、暴力的になったり、自虐行為に走ったりするのと同じ。「だって、あなたが冷たかったから…」という言葉を言ったり、聞いたりした方も多いのではないだろうか。

子供はいつも親の愛情を確かめたいと無意識のうちに行動している。その確認作業を疎んじたりバカにしたりして子供の心を大きく傷つけていることがよくある。親は結果を求めたがるので、途中の感情的なことを無視してしまう。仕事であればそれで良いだろうが親子ではそうはいかない。バカだと思えることでも指導するのではなく、認めてあげることが大切で、徐々に子供の考えも変わっていく。

両親はどんなときでも自分を認めてくれた。両親はいつでも自分の勝手を見守ってくれた。両親はいつも自分を応援してくれていた。それがどれほど子供の成長を促すか計り知れない。子供との対話はお互いにひとりの人間として尊重した態度で接するべきで、威圧的な態度や指導的な言葉は厳に慎んだ方がいいだろう。まして、暴力などは決して振るうものではない。

2009 08 02 [心と体] | 固定リンク

2009年7月28日 (火)

わかるとできる10周年記念 BUNちゃん講演会

「わかるとできる10周年記念 BUNちゃん講演会」を開催いたします。

参加希望者の方はお近くのわかるとできるパソコン教室、または、本社までお問い合わせください。どなた様でも参加できますが、事前予約の上、チケットの購入が必要となります。

■日程

平成21年10月5日(月)・・・福岡会場( 50名)
平成21年10月6日(火)・・・大阪会場(150名)
平成21年10月7日(水)・・・浜松会場( 90名)
平成21年10月8日(木)・・・東京会場(250名)
平成21年10月9日(金)・・・札幌会場( 50名)

■スケジュール(予定)

「BUNちゃん講演会」
 開場:10:00~
 開演:10:30~
 閉会:11:30

■会場

【10/5:福岡会場】
 会場:福岡朝日ビル 「15会議室」
 住所:福岡市博多区博多駅前2-1-1
 電話:092-431-1228
 地図:http://www.fukuoka-asahi-bldg.co.jp/access/index.html

【10/6:大阪会場】
 会場:エル・おおさか(大阪府立労働センター)「南ホール」
 住所:大阪府大阪市中央区北浜東3-14
 電話:06-6942-0001
地図:http://www.l-osaka.or.jp/pages/access.html

【10/7:浜松会場】
 会場:アクトシティ浜松 研修交流センター「62研修交流室」
 住所:静岡県浜松市中区坂屋町111-1
 電話:053-451-1111
 地図:http://www.actcity.jp/floor/seminar/access.php

【10/8:東京会場】
 会場:TFTビル(東京ファッションタウン)「研修室908・909」
 住所:東京都江東区有明3-1(東館9F)
 電話:03-5530-5010
 地図:http://www.tokyo-bigsight.co.jp/tft/access/index.html

【10/9札幌会場】
 会場:かでる2・7(北海道立道民活動センター)「520会議室」
 住所:北海道札幌市中央区北2条西7丁目 道民活動センタービル
 電話:011-204-5100
 地図:http://www.kaderu27.or.jp/select_07.html

2009 07 28 [心と体] | 固定リンク

2009年7月24日 (金)

将来を悲観する人は社会で名を成さない

渋沢栄一は商人の子として生を受け、尊王攘夷の志士として活発に活動していた彼は一転して一橋家に奉公し、勘定役(会計係)として徳川昭武(あきたけ)に随行して渡欧するチャンスを得る。明治維新となり一橋家から明治新政府に請われて大蔵省で働くようになる。

その後官職を辞して日本で初めての第一国立銀行の設立に努力して総監役として日本の殖産興業に多大の貢献をすることとなる。彼はいつ如何なる時も、その置かれた状況において自己の最大限の努力を惜しまず一生懸命に生きている。そのことが社会で名を成す原動力になっている。

渋沢栄一は「自分は幸せ者だ」と半生を振り返って言ったそうだ。幸運もあったろうが、彼の意思が幸運を呼び寄せたのが正解だろう。如何なる人にも「絶望の中に希望があり 悲観の中に夢がある」と、僕は思う。

2009 07 24 [心と体] | 固定リンク

2009年7月21日 (火)

お母さん、私はあなたの何を尊敬すればいいのですか?

子供は親の態度をよく観察して自分が取るべき行動を考える。掃除をしない、食事は出来合いのものを買ってきて済ます、整理はできていない、買い物好きで家には物が溢れている、若者ファッションの洋服を着て若いつもりでいる、テレビを観てのんびりしているのに時間がないという、ダイエットと云って食事をしないのに友達とレストランで食事をして帰ってくる…。

こうした態度で子供に「勉強しなさい」「お片づけしなさい」「好き嫌いをしない」などと云っても言うことを聞かないのは当り前だろう。毎晩お酒臭い匂いをプンプンさせてテレビを見ながら「勉強はどうなんだ?」と聞けば、おまえには聞かれたくないと思うのも当然だろう。どんなに正しいことを言っていても態度がその言葉にふさわしいものでなければ聞く耳を持たないのだ。

子供には安いシャンプーを使わして自分はアンチエイジングだと高級なシャンプーを使っているお母さん、居酒屋で食事を済ませてきて家ではテレビを見ながらビールを飲むお父さん、会社の愚痴しか言わないお父さん、食事中でも携帯電話や携帯メールばかりしている両親、パソコンで何やらしてばかりいるお父さん、など子供には癇癪のタネが尽きない。

子供の態度が反抗的なのはほとんどの場合、こうした親の態度に問題がある。子供を矯正したければ自分が先に矯正されなければならないと僕は思う。いつの時代でも子供は自分の両親を尊敬したいと思っている。その尊敬の対象にふさわしくない態度が目立ち、ぐうたらで放漫的な生活態度で、子供に厳しく指導するものだから子供は尊敬から憎しみへと感情を移行させてしまう。

「お母さん、私はあなたの何を尊敬すればいいのですか?」「お父さん、私はあなたの何を尊敬すればいいのですか?」いつも、子供はそういう思いで親を見ている。

2009 07 21 [心と体] | 固定リンク

2009年7月19日 (日)

悔し涙を笑顔で拭え

努力すればするほどに悔しい思いをするもので、どうして自分だけがこんなに苦しい目に遭わなければならないのかと悲観にくれることがある。自室の部屋で小さくなってひっそり暮していればこんな目には遭うこともなかっただろう。自分の努力が報われず非難・中傷され傷つきボロボロにされて悔し涙を流す。

しかし、努力するということはそうした生き方を選んだということで、悔し涙を流さないで努力はできない。幾つになっても「がんばってみよう」と思うことは自分にとっては初めてのことが多いものだ。10歳であろうが100歳であろうが何かに挑戦し努力するとは人から非難・中傷されて悔し涙を流すという生き方なのだ。

どうしようもない悲しさや寂しさに覆われたなら、自分が頑張っている証拠だと思えばいい。その悲しさや寂しさを耐えてさらに数歩、努力した時にやっと報われるものだ。そうした経験を幾度も積み重ねて初めて人は逞しくなり、いつも笑顔の絶えない表情になる。「苦労を突き抜ければ笑顔になる」というのはこうした理由からだ。

2009 07 19 [心と体] | 固定リンク

2009年7月17日 (金)

いつも心をニュートラルにしておく

僕の部屋はいつもまったく同じで、昨日の様子が今日の様子であり、明日の部屋の様子である。仕事をしているときは書籍を出しているし、着替えをしているときは洋服が置かれているが、そのひとつひとつの作業が終わると僕は整理整頓していつも同じ部屋の様子になるようにしている。

書類を積み上げることはないし、気に入った物を買ってきて部屋に置くこともない。購入した書籍を読み終えると誰かにプレゼントするので本棚はほとんど必要ない。仕事で必要な書類もやり終えれば保管しないで処分してしまう。僕は記念に取っておくことをしない。殺風景な何もない整理された部屋が好きだ。

心をいつも新鮮な気分にするには自室を綺麗にしておくこと、何か終えた後は最初に部屋に入ったときと同じ様子に戻すこと、そして次の作業にかかること。こうしておけばいつも気分は一新されて前の仕事や作業を引きずらないで次の作業に取り掛かれる。僕の心のニュートラルは自室の部屋をニュートラル状態にすることで保たれる。

2009 07 17 [心と体] | 固定リンク

2009年7月15日 (水)

子供は親の笑顔を見て育つ

僕は子供に接するときはいつも笑顔でいるようにしている。成績の指導なら先生の仕事だろうから僕は子供がみずから成績のことを言いだすまで何も言わないようにしている。親がいつも笑顔で接してくれること、親が成績のことでうるさく言わないでくれることは子供にはとてもありがたいことだと思うからだ。

僕は15年間も学習塾と予備校を経営していたので大学受験までの学科であればほとんど教えることができるがいっさい子供に強制して教えようと思わない。ただ聞かれれば教える程度でみずからの立場が先生というよりも親であるので強制はしない。親というのは子供が愛情を感じて巣立っていけるように育てるのが役目だろう。

愛情をいっぱい感じた子供はスクスク育っていく。ただ、親には照れもあり素直にはなりにくいものだろう。子供は自分の未来を自分の手で切り開いていく。その手助けを請われればしても良いだろうが、あなたはこうですという言い方はしない。子供の人生を決める権利など僕にはなく、子供たちがただ生きているだけでうれしいものだ。

僕は僕の親の描いた人生を歩んではいない。むしろ、親が想像もしない人生を歩み続けている。僕は親の期待を裏切り続けている。56歳にもなると親の話は理解できるが自分が親の言いなりに行動しようとは思わない。今でも僕は親の言うことを聞かない子供だということを知っている。自分を見ていれば自分の子供に接する方法も分かる。

2009 07 15 [心と体] | 固定リンク

2009年7月14日 (火)

プロとはお客様が期待した以上の満足を与えることのできる人や会社

妻へのプレゼントであった家のリフォームで幾度かリフォーム会社の手配違いで施工ミスが目立ってきた。喜ぶべきリフォームにイライラが募りミスを修正しようとしない業者に対して僕は工事のストップをかけた。昔からお付き合いのあるリフォーム会社の社長を交えて僕は話し合いを催した。

18年前に御社に施工を依頼してこの家を建てたとき、お父様が社長で僕はとてもしっかりした施工に感心したものです。お父様も僕のことをかわいがってくださり僕の書籍を大切にいつも読んでくださっていました。そうしたお付き合いもあり今回は御社にお願いしました。お父様からお子様のあなたに経営が変わり大切なものを失くされたようなのでお伝えしたい。

家は施主にとっては生涯住み続けるものです。それゆえに施工ミスは絶対に許してはいけません。施主が見つけたから見えないようにしようなどというやり方は御社の誇りを傷つけ地元での評判を落とす行為です。また、施工ミスは施工を急ぐあまりに段取りがなっていないからでしっかりとした打ち合わせをしていないからです。

プロとはお客様が期待した以上の満足を与えることのできる人や業者だと思いますが、今の御社はお客さまに期待以下のことをして不満を募らせています。お父様が積み上げてきた会社の信頼や誇りを失くしていませんか?二代目となった社長は真摯に考えてこれからはしっかりとした施工や経営を行いますと約束してくれた。

2009 07 14 [心と体] | 固定リンク

2009年7月12日 (日)

健康を保つために食事をする

素材が揃っていなければ良い作品はできない。カレーライスを作るのにじゃがいも抜きでやれと言われれば誰もが困った顔をするだろう。自分の体も同じことで自分の体を作る栄養素に不足しているものがあれば何かしら不都合なことが起こり病気がちになりがちだ。食事は健康の根幹をなしている。

ところが、困ったことに食事には好き嫌いがあり食べたいものだけ食べ続ける癖が誰にもある。そのため健康を害する人は後を絶たない。揚げ物や肉食に偏って食事をし野菜や果物をほとんど食べないで済ましている人は多い。このため偏った栄養素だけで体を作るので健康を害してしまう。

僕は野菜をたくさん食べ、お魚はほぼ毎日、肉は少なめにして、果物は毎日食べる。煮物、焼き物が中心で炒め物はほとんど食べない。毎日夜と朝の二度体重を量り食べすぎたときは食事を制限して調整する。好き嫌いにかかわらず自分の健康を維持するのに必要な栄養素を含む食材を積極的に食べるようにしている。

2009 07 12 [心と体] | 固定リンク

2009年7月10日 (金)

自分の仕事に誇りを感じていますか?

自分の職場を軽蔑して働いている人がいる。こんな仕事恥ずかしいと思いながら毎日職場に向かい、やりたくもない仕事をし聞きたくもない上司の指示を聞くことほど辛く嫌なものはないだろう。そんな毎日を過ごしていると精神的にまいってしまうのは目に見えている。

自分に合っていない職場でのストレスは我慢することなく退職して別の生き方を選択した方が良い。会社にとっても上司にとっても軽蔑しているその人にとってもその方が良い。会社には会社の方針があり業務内容があり従業員はそれに従って働いている。それを喜びとし誇りに思っている従業員もいる。

その仕事を誇りに思っている従業員がいる中で、自分がその仕事を軽蔑しているというのは如何にも居場所が悪い。その仕事を誇りに思っている従業員の前で「私はこの仕事を軽蔑している」と啖呵を切れないだろう。ただ、どうしてその仕事を誇りに思って働けるのか考えてみることも大切だろう。

2009 07 10 [心と体] | 固定リンク

2009年7月 8日 (水)

遠慮しないで話して置けば済んだものを…

遠慮して話しておくべきことを話さないで分かってくれるものだと思い込み悔しい思いをすることはよくある。遠慮とは相手の人に気を使ってそっとしておく行為だが、仕事などの約束事ではこれが裏目にでてしまう。大切なことはたとえ相手が嫌がろうとも話さなければならないことはキチンと相手に伝えるということだろう。

上司の方が部下に業務内容を言いきれないで我慢して期待していた仕事をしてくれないと嘆いていることもよくある。そんなことを話しては部下の機嫌を損ねるという気遣いで上司は健康を害するまでに悩んでいる。でもそれは会社のためにも部下のためにも本人のためにもなっていない。

皆が納得するためには遠慮して話していないことを正直に話すべきだろう。その上で機嫌を損ねてしまってもそれが会社のためにも部下のためにも自分のためにも必要なことだと僕は思う。機嫌を損ねた部下にとっても仕事とはそれほどまでにしなければならないものなのかと認識して退職できる。

転職先で同じことが起こった時にかつての上司が言いたかったことはこれなのだなと思うことができる。それこそかつての部下のためになる行為だろう。上司の遠慮ほど厄介なものはない。それは上司である自分の甘さでしかなく、本当に会社や部下や自分のことを思うならばあえて火中の栗を拾う度胸が必要だ。

2009 07 08 [心と体] | 固定リンク

2009年7月 1日 (水)

官は民より強し、されど民は官より逞し

長州の吉田松陰は生存しているときは役人によって罪人として生まれ故郷で扱われている。死後、明治となり役人は吉田松陰を山口県が生んだ大先生として扱っている。和歌山が生んだ経営の神様と云われる松下幸之助は生前、和歌山の役人に良い印象を持っていなかったらしい。

実は僕も郷里の役人に良い印象は持っていない。国民の公僕たる公務員は民間人よりもはるかに高額な収入を得ているが、その態度は横柄そのもので何度か悔しい思いをしてきたからに他ならない。横柄な態度をとる公務員は採用されたばかりの若い方のほうがひどい。

国民宿舎、交流センター、公民館、第三セクターによるいろいろな事業のほとんどは営業努力もなく人件費だけがバカ高になり赤字を垂れ流している。その赤字はもちろん民間人の税金によって賄われるが当事者たる者にその意識はなく計数管理もなければ努力目標もない。

2009 07 01 [心と体] | 固定リンク

2009年6月29日 (月)

ルールを決めてあげなくちゃ子供は面食らう

親は子供のことを思いできるかぎり何でもしてあげようと努力する。しかし、いつでもそうしたことができる訳ではないので子供にはいつ、そうできるのか、できないのかが分からない。そのため、子供にとってストレスとなり感情的になってしまう。

親の方も良かれと思っていつもやっているのに今回だけできないだけで叱られるのは割に合わないと思って気分を害してしまう。こうした事態を避けるにはお互いに納得できるキチンとしたルール化をすべきだろう。いつ、どんなとき、どのような状況で、できるのかをよく話し合って決めることだ。

2009 06 29 [心と体] | 固定リンク

2009年6月27日 (土)

この人が私を幸せにしてくれるという甘えは見事に打ち砕かれる

結婚に憧れる人は多いが、その大半は結婚後、後悔しているという。「君を幸せにするよ」というプロポーズの言葉、「うれしいわ、わたしあなたのために美味しいお食事を作るわね」という彼女の言葉は3年も経たずに「あれは嘘なの?」とお互いに言い合っている。

相性が他の誰よりも良いと思って結婚したのに、最後は性格の不一致でしたと別れていく。恋人同士の時はお互いに相手を思いやり優しくし奉仕することを喜びと感じていた。しかし、結婚すると相手が何もしてくれないという指摘をし優しさを失くし奉仕するより奉仕しろと叫んでいる。

こうした感情の違いは毎日会っている仲ではよく起こりがちで、家族でも毎日顔を合わせていると思いやることがなくなる。むしろ、自分のことは自分でやってお互いに干渉しない関係の方が快適になる。相手がすべきことを要求し続けるのはむしろ自分の甘えになる。

2009 06 27 [心と体] | 固定リンク

2009年6月26日 (金)

他人に期待すれば腹が立つ

他人に対して腹を立てる場合は、自分が期待したことを他人がやってくれないというストレスが我慢できなくなり腹を立てていることがほとんだ。「やってくれない」「どうして~できないの」というストレスが腹立ちの原因だが、腹を立てる前にキチンと説明し相手が納得しているかというとそうではない。

多くの場合、相手にも期待に添えない理由があり相手も自分に期待していることがある。腹立ちはお互いの期待をお互いに裏切っている現象だ。お互いの立場を理解して歩み寄りやいたわりが必要だろうが、自分の都合だけを優先するので相手も腹を立てるか離れるか落ち込むかになってしまう。

他人に期待する前に、それが自分の甘えなのか、必要なことなのか、説明すべきことなのか、よく考えることだろう。子供は親に甘えるので、過度の期待をするものだが、恋人や仕事仲間、友達はそれを甘えだと注意してくれる。腹が立てばすぐに怒るのはひかえた方が良い。

2009 06 26 [心と体] | 固定リンク

2009年6月23日 (火)

時間があれば身の回りをピカピカに磨いてみよう

週末になると僕は家じゅうの掃除を始める。押し入れから倉庫にいたるまで全部を綺麗に清掃し整理しゴミを分別し洗濯してお風呂はカビキラーやバスクリンでピカピカになるまで磨き上げる。朝から夜までかかることもあるが僕は掃除が大好きで整理整頓されていない状態では落ち着かない。

お金はほとんどかからないし家族は喜ぶし僕も綺麗な家にいると気分がよくなるとても安上がりな週末の過ごし方だ。お友達がやってきて部屋に通すのがうれしくなるし珈琲をお出しするのも気分が良い。料理をしていても換気扇まで綺麗にしたキッチンは気分爽快で専念できる。

家族サービスは旅行に連れていくことばかりではない。主婦にとっても子供にとっても父親が汗だくになって家の便所を掃除し便器に手を突っ込み拭き掃除している姿は綺麗にしてくれる以上の何かを感じさせてくれるようで笑顔が増している。この笑顔はお金では買えない貴重なものだ。

仕事をキチンと成し遂げるには私生活からキチンとしなければならないと多くの有名な企業人は話しているが僕もそうだと思う。教室を奇麗に出来ていない、会社のデスク周りが綺麗に出来ていない人は私生活でも整理整頓が出来ていない場合が多い。

週末、疲れた体を引きずって掃除を始めるのは正直気が重い。手伝ってくれないジレンマもあるが、家にいて機嫌が悪い自分や家族がいるよりは夜になり笑顔になっている家族にする方が疲れは少ない。相手を責めるかフォローするかだけの決断だろう。

2009 06 23 [心と体] | 固定リンク

2009年6月21日 (日)

子供は自分を映し出す

子育てに悩む親は多いが、同じ数だけ親について悩んでいる子供がいる。親の言うことを聞かないということは、子供の言うことも聞いていないということ。「人は自分を映し出す」自分が抱えている悩みはその相手も抱えている。親だけの悩みではない。

子供が反抗的だというまえに、子供のシグナルを無視している親がいる。子供を厳しくチェックすれば子供も親を厳しくチェックする。子供の弱点を指摘すれば、子供は親の弱点を指摘するだろう。親だから文句言わないの!は子供には通用しない。

僕は自分の子供たちが大好きだ。いろいろな弱さもあってしかるべきだろうと思う。親である自分もまたいろいろな弱さをもっている。家庭ではそんな弱さをカバーしあい、いたわり合い、愛し合って過ごしていたい。子供が幼い頃にはそうしていた。いつまでもそうであるべきだろう。

2009 06 21 [心と体] | 固定リンク

2009年6月20日 (土)

周りの人に与える感覚こそがその人の幸・不幸の一因

あの人に会うと心が晴れるという人は、多くの方から慕われいつも笑顔を絶やさず、自分は幸せだという。あの人に会うといつもどんよりとした気分にさせられるという人は、孤独で自分は不幸だという。その人が周りの人に与える感覚こそがその人の幸・不幸の一因ではないかと思う。

あの人に会うと心が晴れるという人は、自立しており自分のことを誰かにやってもらうことが少ない。相手のことを思いやり優先順位をつけて実行に移せる計画的な考えを持っている。あの人に会うといつもどんよりとした気分にさせられるという人は、他人にいつもお願いする癖がある。相手のことを思いやるゆとりはなく自分のことでいっぱいになっている。

あの人に会うと心が晴れるという人は、自然とそれができている訳ではない。いつも、自分自身との戦いを繰り返し感情的になりそうな自分を黙って押し殺し笑顔で振舞っているにすぎない。怒りの感情や悲しみの感情は誰にでもある。それを抑制できる自分がいるかいないかだけの違いでしかない。

2009 06 20 [心と体] | 固定リンク

2009年6月18日 (木)

北京オリンピック 男子400mリレー 日本男子 銅メダル

朝原率いる男子400mリレー、朝原は1996年アトランタ5輪でオリンピックに初出場している。400mリレーのアンカーとして参加したが朝原の時にバトンミスをして失格となっている。それから12年、大先輩となり最後のオリンピックとして参加した。12年間チームをひとつにすることに集中してきた。4人のランナーがそれぞれの責任感を持ってベストを尽く、次の走者にバトンをつなぐ。

第1走者塚原直貴は100m準決勝で左足の太ももを故障、第2走者末續慎吾は世界選手権銅メダリストだが200m1次予選敗退、第3走者高平慎士は自己ベストを下回り200m2次予選敗退、第4走者朝原宣治も100m2次予選敗退念願の100mファイナリストにはなれなかった。

そんな4人でもチームとして団結すれば大きな力を発揮する。第1走者塚原直貴、第2走者末續慎吾、第3走者高平慎士、第4走者朝原宣治、心をひとつにしたとき奇跡が起こる。これまで日本陸上界を引っ張ってきてくれた朝原の最後の引退レースにしっかりバトンをつなぎたい。

仕事も同じで従業員のひとりひとりの心がひとつになり何としても素晴らしい業績を出そうと努力すれば最高の人生・最高の思い出を歩むことになる。従業員ひとりひとりを尊敬し責任感を持って自己ベストを尽くすように努力すれば最高の人生を歩み、最高の業績を出せる。

2009 06 18 [心と体] | 固定リンク

2009年6月17日 (水)

我慢といたわりと感謝がない

僕が子供の頃はとても貧しくお菓子や玩具や漫画などは買う余裕がなく、友達の家に行っては漫画を見せてもらい玩具をさわりお菓子をいただいた。家に帰れば軍手の内職が待っていたので玄関先で母親といっしょに内職に精を出していた。夜遅くになると酔っ払った父親が帰ってきて母に暴力を振るうという日課だった。止めに入る僕は小さいので父に突き飛ばされて腕が抜けたりして整骨院に運ばれて治療をしてもらうことがよくあった。

友達の家にはやさしいご両親がいて好きなものは何でも言えば買ってくれていた。しかし、彼はそんなやさしいご両親にいつも不満をぶつけていた。「魚は嫌だと言っただろう」「あんなお菓子が食えるか」「さっさと出て行けよ」そして僕に同意を求めてきた。「なあ、俺の親はほんと分からないよ。馬鹿じゃやないかあいつら!」僕はそんな友達が馬鹿に見えた。「おまえの方が阿呆じゃ。」と言って僕は彼とは付き合わなくなった。

それから50年が過ぎ、中学の同窓会でばったり出会った。お金持ちの家に生まれたがご両親が亡くなり家は没落して彼は日雇いのような生活で貧乏暮しをしている。子供とはこの2~3年話をしたことがなく険悪な空気があるらしい。彼の性格は一向に改善されず、我がままし放題なので「おまえは相変わらず阿呆のままやのう」と言った。「おまえには我慢といたわりと感謝がない。だからいつも不満ばかりに包まれているから誰も相手にしない。」50年前に言おうとしていたことを初めて言った。

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2009年6月16日 (火)

マイナス思考の言葉を発していると人は逃げていく

本田宗一郎の言葉に「やってみもせんで」という言葉がある。やらないうちから出来ないという若手の技術者に向かっての言葉で、挑戦することなく出来ない、不可能だと決めつけてしまう常識に問いかけた言葉だ。ホンダの歴史は常識への挑戦であり、不可能だと思えることへの多くの失敗を重ねることで可能にしてきた歴史がある。

「できません」「やれません」「無理です」といった否定的な言葉、「憎らしい」「悲しい」「辛い」「苦しい」「死にたい」といったマイナス思考の言葉、こうした言葉は人を破滅に追いやる魔力を持っている。こうした言葉は聞いている方もうんざりするので離れていく。自分自身もこうした言葉ばかりが駆け巡り魔力の呪縛に陥ってしまう。

「できます」「やります」「可能です」といった肯定的な言葉、「愛してる」「うれしい」「ワクワクする」「楽しい」「生きたい」といったプラス思考の言葉、こうした言葉は人を幸福にする力を持っている。こうした言葉は聞いている方もうれしくなるのでついてくる。自分自身もこうした言葉ばかりが駆け巡り幸福の循環につながっていく。

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2009年6月15日 (月)

与えられている幸せは長く続くと不満になる

仕事を失くしたとき、失くした職場はかけがいのないものだと気付く。しかし、その職場で働いているときは、不満が多いものだ。上司や社長がバカに思えて同僚といっしょにいるときは愚痴がほとばしるように出てくる。「こんな会社いてやるものか!」啖呵を切って退職したものの次の職場でも同じことを繰り返してしまう。

恋をすると恋人は最初とても優しくしてくれる。お互いに惹かれあい心を許しあった仲だと勘違いする。恋の始まりはただ興味があるだけなのだ。甘えられるとだんだん嫌になり「私はあなたの親じゃない」と嫌われてしまう。恋は甘えすぎては愛情に発展しない。他人は親のようにどこまでも付き合ってくれはしない。

親が車を買ってくれたときは、とても感謝し大切に乗るが慣れてくると横柄になり車をいたわることもなくなる。長く乗っているとだんだん車に不満を持ち、もっと良いものが欲しくなる。「こんなボロ車に乗っているのは私ぐらい」と買ってくれた親に不満をぶつけることもある。与えられている幸せは長く続くと不満になってしまう。

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2009年6月12日 (金)

失敗は成功のもと

つまずきのない生き方など多くの場合できない。受験、失恋、離婚、解雇、・・・そのたびに自分は何て不幸なんだろうと思ってしまう。しかし、一方ではこれからはどこでも受験できるし、誰とも恋愛できるし、誰とでも結婚でき、どんな会社にも就職できるチャンスができたともいえる。

つまずいたとき、落ち込んで嘆いていても、このつまずきこそ自分のチャンスだと踏ん切りをつけて生きていけば、それは楽しい生き方だと思う。つまずき転んでも大地を見つめて石ころのひとつでもつかんで這い上がってやろうと思ってみることだ。

僕の半生はつまずきに満ちている。挑戦者であれば人よりも多くのつまずきを経験する。たくさんの経験は書籍やテレビやゲームでは味わえないもので、たくさんのことを教えてくれた。挑戦者であればこそ多くの苦しみや悲しみを味わい生きている醍醐味を知る。

2009 06 12 [心と体] | 固定リンク

2009年6月11日 (木)

内弁慶の外鼠

僕の父は他人にはとても親切で何でも引き受けていた。手に余ることでも引き受けてどうにも動きが取れなくなり母にあたり散らしてお酒を飲んでは暴力をふるっていた。母は動きが取れなくなった事態を検証し、分析して解決策を見つけて行動して解決していった。

周りの人は必然的に父を頼りにならぬ人、母を頼りがいのある人と判断していった。我が家を訪れる人も父ではなく母を慕ってやってくるようになり益々父のストレスはエスカレートして暴力的になっていった。安請け合いは大怪我の元なのだと僕は父を見て知った。

頼まれれば嫌とは言えない人を見ると父のことを思い出してこの人は家で暴れないだろうか?ご家族に当たってはいないだろうかと心配になり、何度も念を押して拒否できる機会を多く与えるようにしている。お人好しの父は最後までお人好しのままでいたが母がいなければ自滅していたかもしれない。

2009 06 11 [心と体] | 固定リンク

2009年6月 9日 (火)

すべての人は我が師匠

どんなに尊敬されている人物でも人である以上、素晴らしい面とそうでない一面を持ち合わせているものだ。自分が尊敬する人物は~さんだと誰もが知っている人物をあげることは多いが、尊敬する人を狭めることなく人を見る方がいい。

どんな人にも素晴らしい一面がある。その一面を見て尊敬してあげればすべての人に尊敬の対象は広がっていく。人付き合いも、今日はどんな素晴らしい一面を見せてくれるのだろうかという期待でその人を見ればよい。すべての人は我が師匠なのだと思って人付き合いをすればいい。

2009 06 09 [心と体] | 固定リンク

2009年6月 7日 (日)

親孝行、したいときに親はなし

人間は如何なる環境にも順応する。何でも言えばやってくれ、欲しいものを言えば手に入る。訳もなく拗ねてダダをこねると困ったように機嫌を取りに来る。お金があることを恨んで、どうして家はもっと貧乏じゃないのかと恨んでしまう。こうした状態にいる人はそれが無くならなければとても幸せなことだとは気がつかないし感謝もしない。

何でも言えばやってくれる人はいずれいなくなる。欲しいものを言えば買ってくれた人はいつまでもいるわけではない。訳もなく拗ねてダダをこねると困ったように機嫌を取りに来る人は去っていく。お金があることを恨んでいても一人になればすぐに貧乏を体験できる。すべてを失くしたとき、馬鹿にしていた人が感謝すべき人だったと気がつく。

親、友達、恋人、同僚、上司などいろいろな人間関係にこうしたことは当てはまるが、甘えすぎ、拗ねすぎ、感情的になりすぎで心から自分を思ってくれている人をないがしろにしていることはよくある。失くしてから気が付くがどんなに後悔しても戻ってくれはしない。その人を失くせば自分には大きい痛手だということを失くす前に気付き大切にすべきだろう。


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2009年6月 6日 (土)

他人のあら探しは愉快、自分のあら探しは不愉快

週刊誌やネットでのゴシップ記事は人気があり、他人のあら探しほど面白いものはない。ゴシップ記事が書かれたことによりその人の評判は地に落ちて、取り返しのつかない不幸な事態に陥ることもある。それでも第三者は面白がってさらに当事者を追い詰めていく。こうなると苛めでしかない。

他人の欠点をあげつらうのは誰にでもできる。他人の欠点ばかりに目を向けて感情的になり長所を見ようとしない、欠点をフォローしようとしない行為は社会生活を営む人間としては卑劣な行為である。自分の欠点を他人に指摘されれば驚き怒り悲しみなどの感情が湧き起こる。

人は人を責めて生きるよりも、人は人と助け合って生きることを喜びとしている。両親を責めたり、子供を責めたり、同僚を責めたり、上司を責めたり、会社を責めたり、友達を責めたり…そんなことをするよりも両親を助け、子供を助け、同僚を助け、上司を助け、会社を助け、友達を助ける方が人間らしい生き方だ。

2009 06 06 [心と体] | 固定リンク

2009年6月 5日 (金)

貢献感は幸福感

誰かのために努力して感謝される貢献感ほど強く幸福を感じるものはない。仕事の世界では誰かのために仕事をして感謝されることほどうれしいものはない。また、そうした仕事をして得た利益で自分の会社の従業員に給与を支払い、その家族が幸せになれることは大いなる喜びとなる。

自分のために仕事をするから、家族のために仕事をするへ、そして、いっしょに働く仲間のために仕事をするへ、それから、会社のために仕事をするへ、そして、お客様のために仕事をするへ、それから、その地域のために仕事をするへ、さらに世界のために、人類のために・・・

いま目の前にある些細な仕事はそんな貢献感の塊なのだということに気がつくだけでいい。

2009 06 05 [心と体] | 固定リンク

2009年5月30日 (土)

愛する人は私を不幸にしてくれる

人を好きになりこの人と一緒になりたいと思う。この人といるだけで私は幸せで胸がいっぱいになる。あの人は今何をしているのだろうというワクワクした気持ちはやがて消えていく。恋愛とはそのまま放置していれば自然消滅するものだ。

恋愛には自己犠牲が必要で我慢して相手に合わせることを喜びとしているときはいいが、そうもいかなくなって我慢の限界に達すると相手が疎ましくなり恋愛解消へと行動するようになる。他人は両親のように我慢強くないことを思い知る。

恋人同士とはこうした不安定な状態で付き合っている。愛する人が私を幸せにしてくれるなどという確率は本当に低く、相手も同じように私を幸せにしてくれると相互依存して自己犠牲を嫌っていれば憎しみに変わるのも早いだろう。

失恋とはお互いの依存心がぶつかり合って頼りになれないと判断した結果に他ならない。恋愛を継続するには相手の依存心に十分応えていけるだけの度量や経済力が必要だろう。結局、お互いに成長できない関係は長続きしない。

2009 05 30 [心と体] | 固定リンク

2009年5月28日 (木)

親の背中で子供は教育する

親が働いている姿ほど子供に影響を及ぼすものはない。僕は経営者なので勤務時間は24時間休みなしという状態が多い。ただ、経営者として家族には僕の仕事ぶりを見て何かを得てくれれば良いと思っている。テレビを見ない、ゲームもしない、家にいるときは家事をしたり本を読んだり仕事をしている。

家族はその姿を見て何かを得てくれれば良い。言葉ではなく生き様こそ最高の教えだろう。いつの日にか家族が私のお父さんを畏敬の念で話してくれれば僕の教育は間違っていなかったということだろう。教育は言葉でも暴力でもない。その人の生き様=背中で教育しなければ本物とは言えない。

2009 05 28 [心と体] | 固定リンク

2009年5月27日 (水)

挑戦して最高の恐怖感を味わってビビって知るもの

僕は法人会の講演会に呼ばれることが多い。経営者の中には家業を継いで親の代の勝ちパターンを踏襲しているだけの二代目、三代目の方も多く業績悪化を直視できないのでゴルフなどの遊びに耽っている方もいる。従業員は、社長が無能で遊びに夢中だと知ったらヤル気をなくすだろう。

自分の下で働いて下さる従業員を幸せにしようと思えば家業から企業へと脱皮していかなければならず、自分の行いにも反省すべき点が多々出てくる。しっかり勉強して商品開発や新規開拓や新ビジネスへの挑戦など時代の変化に対応できる企業への脱皮が求められる。

挑戦すれば誰でも恐怖におののくこともあるだろう。さっさと逃げ出したいと思うことも多々あるだろう。ビビってしまって声も出ないこともあるだろう。しかし、そうした挑戦があればこそ、自分の下で働く従業員に幸せを与えることもできるのではないだろうか。

起業した頃は家族を養いたいと思うものだが、安い給与でいつまでも働いてくれる従業員ができてくれば経営者はその従業員も家族として充分給与を与えたいと思わなければならない。企業の家族主義はこうして生まれる。しかし、最近は従業員を踏み台にして経営者の一族だけが繁栄を謳歌しているのを見ることが多い。

2009 05 27 [心と体] | 固定リンク

2009年5月23日 (土)

ルーキーは夢に向かって走れ

何事にも幾つになっても初めてのことはある。そのときは新人(ルーキー)で、初めてだからこそ恐れを知らずに挑戦できる。大それた夢であってもルーキーはがむしゃらに挑戦するからこそ観る者を魅了する。甲子園を目指している高校球児は毎日泥んこになりながら練習に励んでいる。

彼らはどんなに相手が強豪でも試合では勝つと信じて疑わない。僕の住む街に野球場ができ、その開幕試合に地元の耐久高校(浜口五稜創立で僕の出身校)と桑田・清原が率いるPL学園が開幕試合をした。試合はPL学園が終始リードし、9回ツーアウト、最後のバッターは僕の教え子の大木慎太郎、彼は桑田の投げる豪速球を思いっきり振ってホームランにした。

相手は全国に名を馳せているPL学園、観客の誰もが地元高校が勝つとは思っていない。しかし、耐久ナインは試合終了まで勝つと信じて戦っていた。ベンチや控室で悔し涙をいっぱい流していた。耐久の得点はたった1点だけだったが、僕はそこにルーキーの意地を見た。

最初から怖気づいているようでは試合には臨めない。相手がどんなに強くても勝つと信じてチーム全体が一丸となって挑戦するからこそドラマが生まれる。たとえ負けたとしてもその後の人生において彼らが得たモノは大きいはずだ。地元住民もまた若い彼らから地元の誇りを教えってもらった。

2009 05 23 [心と体] | 固定リンク

2009年5月22日 (金)

自分を探しているのは下流にいる人たち

三浦展著「下流社会第2章」P116 には「下流にいる人ほど自分らしさを志向し、上流にいる人ほど自分らしさ志向がなくなる」と書いてある。また、P124からは、就職・転職雑誌を発行する企業が自分らしさをブーム化した。それは転職する頻度が高まるほど企業は儲かるからだと書いてある。

「私らしく生きる」「私らしく働く」「私らしい仕事」といったメッセージがリクルート系の雑誌にメッセージとして載ってくるようになってから就職・転職・アルバイト・契約社員・派遣社員といった生き方を自分探しであるかのように宣伝広告したという。これにより派遣企業があっせんする職に就き自分らしくいきることが素敵だという印象を与えた。

当然、収入は正社員よりも少なくなり自分にこだわるあまり結婚も晩婚化したそうだ。男性は女性の収入が多ければ多いほどいいと考え、女性は男性に甘えなくなったそうだ。つまり、女性は正社員として働き、結婚に関係なく生涯自立する生き方を選ぶようになっている。

僕はかつて「あなたとはどんな人ですか」と聞かれて、これがしたい、あれが欲しいという自分はないが相手の幸せを願って生きているのが自分だろうと答えたことがある。自己犠牲を厭わず人のために良かれと思うことを果敢に実行して生きているとたくさんの感謝に出会い幸せな人生だと感じることができた。

2009 05 22 [心と体] | 固定リンク

2009年5月21日 (木)

高い目標を掲げてこそ生きていると感じるもの

10年前、わかるとできるを起業したとき、僕は3年以内に日本全国に「わかるとできるパソコン教室」を作ってみせると決していた。田舎者のバカな妄想だと誰もが思っていたが、僕には命がけで挑戦する価値があるように思えたので決して諦めることはなかった。

たとえ途中で挫折したとしても僕は自分のすべてを賭けて挑戦して何の悔いもないと思っていた。日本一を目指して必死になって働き、勉強し、自分を磨いた。その過程で多くの人に出会い、たくさんのことを教えていただき、協力してもらい、叱責していただいた。

心底悔しい思いもしたし、とてつもない恐怖感に襲われたこともある。涙など枯れ果ててしまい辛いことも通り過ぎ、ただ笑顔だけが生き残った。気がつくと僕は日本中に「わかるとできるパソコン教室」を作っていた。夢中で生きた10年だった。

リスクを避ける生き方は僕にはできない。どうせ、人生100年には過ぎないなら、思い切って自分の人生を走り抜けたいと思う。精一杯生きてみようとすれば、多くのリスクを背負うことになる。不安や恐怖も人一倍に増える。しかし、喜びもまたそれだけ大きい。僕は間違いなく生きているという実感がある。

2009 05 21 [心と体] | 固定リンク

2009年5月20日 (水)

やると決めて頑張って砕けても…

高い目標を掲げて挑戦すれば、周囲の反対や疑問視、できないという声をたくさん頂き、もっと無難な目標に変えるべきかなと思ってしまう。オリンピック選手でなくてもただ普通に暮らしているだけでも高い目標を掲げるべきなのか、それとも無難な誰もが納得するような目標と言えないようなものにすべきか考えるだろう。

僕たちの教室では多くの生徒の方がパソコン資格の取得を目指して毎日のように教室に通って勉強してくださる。就職難のこの時代、ワード、エクセルなら誰もが持っているので、さらにパワーポイント、アクセス、アウトルック、日商簿記3級など高い目標を持って挑戦し続けてくださっている。

多くの資格取得は就職・転職という目標があるからに他ならない。その過程では幾度か不合格という体験をして本当に落ち込んでしまう。悔しくて悲しくて情けなくて僕にメールをしてくださる生徒の方も多い。そんな生徒の方こそ今を生きていると実感している方々なのだと僕は激励する。

やると決めて頑張って砕けても何もしない人より素晴らしい生き方だと思う。思いっきり高い目標を立てて精一杯挑戦するからこそ生きている実感がある。人生は挑戦するから楽しいのだ。広島で100歳になられる生徒の方にお会いしたが、その方も同じことを話されていた。

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2009年5月18日 (月)

人生の師匠は自分の周りのすべて

人も企業もいつも素晴らしい状態を保ち続けることができない。形あるものは状況に応じて変化する。どんなに素晴らしいと思えるモノでもどこかで変化している。みすぼらしい酔っ払いでも、核心をついた言葉を言ってくれることもある。高級な洋服を着た上品な方が、卑劣な行動をとることもよくある。

誰もが日本一だと思っていた企業が倒産することもあれば、あんな企業がとバカにしていたのに世界中に進出していった企業もある。誰もが素晴らしいと評価されている企業ほど傲慢になり横柄な態度と贅沢に溺れて思わぬ墓穴を掘っていることもある。

どんな人でも、モノでも、事柄でも、よくよく観察するとたくさん素晴らしいモノを持っていることが分かる。一瞬だけれど素晴らしい態度を示していることがある。あるいは反面教師となってくれていることもある。それを見逃さないで自分に取り入れれば成長できる。

人生の師匠は自分の周りのすべてだと思ってよく観察すればいい。

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2009年5月12日 (火)

他人を幸せにすることで自分の幸せを築ける

儲かっていないお店に行くと自分は調理人で一流の調理人が作ったものをお客は黙って食えばいいと思っていることがある。自己満足では商売はできないので必然的にお客様はお店から離れていき儲からないお店になっているが本人は自分は調理の腕は一流だと自負している。

儲かっているお店に行くと自分の腕は3流かもしれないが来店してくださるお客様お一人お一人が満足して帰られるように努力している。自分主体ではなくお客様主体のやり方で成功され従業員も喜んで働いている。ご主人もご家族も幸せですと感謝されている。

商売を見ていると自分にこだわりを持って商売をして自己満足の商品を他人に押し付けている人は孤独で儲からなくて愚痴っぽく怒りっぽく諦めやすい。ご家族も苦労されているが本人は自分の世界に閉じこもっているので他人の意見を聞こうとしない。

自分のこだわりを捨ててお客様のために商売をしている人はこの反対に位置するがその方が成功しやすいし、人から好かれ誰の意見も聞くようにしているので信頼も厚く温厚で親切だ。結局、人の生き方は商売と同じで自分の幸せを追いかけていると幸せにはなれず、他人を幸せにしようと努力すれば自分の幸せを見つける。

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2009年5月10日 (日)

子供に躾(しつけ)をするのは小学校まで

子供は小学校までは親に絶大な信頼を置いているので云う事を素直に聞いてくれる。しかし、自我が芽生えてくる中学校からは親離れをしようとするため躾けようとすると反抗するようになる。こうした時期からは親は子供を見守るだけにした方が子供はスクスク育ってくれる。

中学校からは同級生や先生が親代わりに指導してくれる。親はそっと子供の成長を祈るだけになり寂しい気もするが黙って見守ってあげることがいちばんの愛情だろう。多くの失敗や人を傷つけたりつけられたりするだろうが温かくいつも見守ってやる方がいい。

自分の考えで行動し大失敗をしでかして落ち込むこともあるだろうが、叱らないで黙って抱きしめてあげる。いつもどんな時も子供の味方になってあげる。「頑張らないでいつでも逃げてこい」と言ってあげる。「人生に大失敗なんてありはしない」と励ましてあげる。

子供は中学校からは自分の足で歩き始めればいい。親としていろいろ助けてあげたいし寂しい気もするが子どもが自立するには大切な我慢だろう。いっしょにお風呂に入ったことや旅行したこと泣き叫んで抱きついてきたこと精一杯甘えてくれたこと…大切な思い出を胸にしまって子供を見守ろう。

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2009年5月 9日 (土)

親孝行したいときには親はなし

父親には病院送りになる暴力を何度も受けたが31歳の時に感謝と愛情のこもった手紙を書いた。どんな暴力を受けようとも世界にたったひとりの父を心から感謝し誇りに思おうとした。若い頃は心から父親を憎んでいたが中学校の時、ひとりの感情ある人としての父親が必死になって生きてきたのだと思えるようになった。

貧乏で夫婦喧嘩の絶えない家庭だったので「親だから子供には~しろ」という考えはもともとなかった。自室もないし塾になど行かせるお金もない。小学校低学年の頃から新聞配達や商店のアルバイトなどで稼いでは生活費に充てていた。高校の時、父親は気が弱く嫌とは言えない性格なのだと分かった。

僕はそんなひとりの弱々しい人間としての父を愛した。いつかは老いて死んでいく父にいつも感謝の気持ちを失くさずに接していった。感情的な父親は温厚で思慮深い父に変わっていった。いつも僕の書籍を読んで母親に自慢していたそうだ。父親は僕に感謝して何の悔いも残さず死んでいった。

父親が死んで僕は全財産をはたいて一人暮らしの母親のために実家をリフォームした。母親は涙を流して喜んでくれた。父が建てた家は父の面影が色濃く残っていたがリフォームによって母の理想の家となった。父親がそのことを感謝している夢を見た。母に告げると忘れていたがそろそろお父さんの3回忌だねと言った。

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2009年5月 8日 (金)

たった一枚の壁

京都を散歩していると狭い路地を通ってお店に入るようになっている処がある。ひと一人がやっと通れるような路地に水が打たれ両側に高い板壁がそそり立っている。しかし、歩いていると心地よい空間だと感じる人は多いはずだ。一枚の壁は目線を遮りこの先は別の世界へ誘うというメッセージを与えてくれる。

食事処もそれぞれのお客様が一枚の壁によって遮られている処がある。他のお客様と目線を合わせないで食事ができるので落ち着いて食事を楽しむことができる。広い空間よりも目線を隠して自分だけの空間を感じる方が快適さを感じる。一枚の壁はそんな効果をもたらしてくれる。

自分だけ、自分たちだけという空間を持っていることはとても大切で、こうしたプライベートな空間を確保するには壁を効果的に配置する方がいい。僕は自分の部屋を4畳半にしているが、これもまたプライベートな快適さを感じる頃合いのいい広さだからだ。正方形に壁がある空間は配置が窓によって決められ使い方がシンプルになる。

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2009年5月 7日 (木)

他人を責めても状況は良くならない

少しでも嫌なことがあると誰かのせいにして、だから私はこうなってしまったと言い訳してやっと自分の立ち位置を確保する人がいる。誰かのせいにするということは誰かがキチンと自分が望む状況を用意してくれなければ何もできないということになりまったくの他人任せの人生だと言っているようなものだ。

こうした言い訳をする人は自分を幸せにしてくれる人を探そうとするが、世の中にはそうそう他人のために一肌脱いでくれる人はいない。そのためにいつも何かしら不満を抱えていていつ会っても他人の悪口を言う癖が付いてしまっている。その人の周りにいる人はそうした傾向が強い人が集まってくる。

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2009年5月 6日 (水)

若い頃はバカなことをしたもんだ

母親は自分が子供の頃に受けた愛情が薄い場合、自分の子供に自分が理想とする子供への愛情を注ごうとする「私は自分の親のようにはならない」そのため、一生懸命になって子育てに邁進するが、子供に自我が芽生えてくると子供は母親の愛情過多に応えきれなくなりだんだん落ち込み悩みそして反抗し自分を傷つけてしまう。

自虐行為に走る子供は母親への期待に応えられない自分が許せない。グレテみたりケバケバシイルックスに身を包んだり、暴力的になってみたり、暴言を吐いたりするが、そのすべては母親の期待に応えられない自分自身が嫌になった自虐行為だ。過干渉によるストレスが長年積み重なっているので母親がすぐに反省しても何年も反抗的になってしまう。

心を破壊されたら治療するのに同じ時間がかかるものだと思えばいい。子供が少しでも母親の期待に沿うようなことを言えば、さっそくその期待に応えるべく学習塾や参考書を買い与えたりいっしょに勉強しようとするが、子供にとってそれは母親がこうなって欲しいのでしょうと母親の反応を見ているにすぎない。お母さんは勉強のことにしか興味がないと思い込んでしまう。

子供に自我が芽生えてくると何でもいいから経験を積もうと努力する。その経験は無駄なことも危険なことも多々あるが、そんな多くの無駄や危険な経験があればこそ、大人になってから他人に迷惑をかけない大人になれたのではないだろうか。「若い頃はバカなことをしたもんだ」と大人であれば誰でも一度は言ったことがあるのではないだろうか。

2009 05 06 [心と体] | 固定リンク

2009年5月 5日 (火)

意欲はみずから起こすもの

勉強する気のない子供に「しっかり勉強しなさい」と言えば子供は反発する。仕事でヤル気のない人に「もっとヤル気を出して頑張りなさい」と言っても糠に釘をさすように何の反応もない。

「ヤル気がない」というとき、周りから無理やりヤル気を起こせと言っても無駄なことが多い。ヤル気になって欲しいと思っている人には本人がヤル気になるまで愛情を持ってジッと待つ執念が必要だ。

深くて静かな愛情は必ずその人に伝わる。焦らずジックリと温かい目でその人を見てあげることで自然とヤル気を出してくる。ちょうど、ヤル気の種を植えて毎日水をやり芽が出てくるのをジッと待つようなものだ。

2009 05 05 [心と体] | 固定リンク

2009年5月 4日 (月)

上司は部下の安全地帯

子供はいつも母親の顔色をうかがって行動する。転んだり怪我をしたりすればいつでも真っ先に来て介抱してくれる母親がいるという安心感ほど子供にとってうれしいものはない。その愛情を感じて子供は成長する。

部下はいつも上司の顔色をうかがって行動する。仕事で失敗したり風邪をひいたりすればいつでも真っ先に来て介抱してくれる上司がいるという安心感ほど部下にとってうれしいものはない。その愛情を感じて部下は成長する。

「失敗しても良いからやってみな」そう言ってやれる上司がいて、失敗しても「仕事が済んだらいっしょに食事に行こう」と言って慰めてくれる。病気になれば差し入れを持って家に来て「元気を出せよ」と言ってくれる上司がいれば部下は発奮する。

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2009年5月 2日 (土)

後悔は再起をかけた決意なり

失恋したり事業に失敗したり不合格になったりすると再起不可能なほど落ち込んでしまう。沈み込んで悩んで苦しんでいる状態は実は再起をかけた修正期間なので深く落ち込むほどに反省点も明確になる。

いつまでも落ち込んでいることに気をもむ必要はない。深く落ち込んでジッとしていればいい。「あのとき~していれば…」などといった反省点が明確になればなるほど次の挑戦ではその反省点が生かされてくる。

思いっきり落ち込んで、たっぷりと嘆き悲しめばいい。やけになって深酒をしても良い。受け入れてくれる友がいれば愚痴をたっぷりと聞いてもらっても良い。涙が枯れるまで泣き叫んでも良い。

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2009年5月 1日 (金)

転職したらその職場に合わせなければ

付き合っている恋人と以前付き合っていた恋人を比べてつい口を滑らせてしまえば今付き合っている恋人は悲しくなって心が離れていくだろう。「以前の恋人は~してくれた」「以前の恋人はもっと優しかった」などと言っていれば「それなら以前の恋人の処に戻ってください」といわれるのがオチだ。

転職しても、以前の職場と比べがちだが口を滑らせて以前の職場の方が良かったなどと言えば「以前の職場にどうか戻って下さい」と思われるだろう。今付き合っている恋人との愛情を育てることで自身の幸せを創るように、今の職場で自身の居場所を創るしか道はないと区切りをはっきりと付けるべきだろう。

転職とは新たな恋をするようなものだ。会社は新たな恋人となる。愛情は育てるものであって受け入れるものではない。恋人のためなら自己犠牲を厭わないように、みずから愛すべき優しさや我慢強さがなければ愛情は育てられない。会社という新しい恋人との関係は自分自身が創りだすものなのだ。

2009 05 01 [心と体] | 固定リンク

2009年4月30日 (木)

愛する人より愛してくれる人を大切に

今付き合っている人よりも素敵な人に出会う。あの人の方が素敵だなと思って付き合い始める。いくつかの嘘と誇張があれど付き合って欲しいという思いは相手に伝わる。しかし、そんな嘘や誇張が剥がれるのも早く、早々に愛想を尽かされてフラれてしまう。諦めきれない悔しさと嘘や誇張で気を引こうとした自分自身に嫌気がさす。

今付き合っている人はそんなに大好きなことはない。ただ、相手が一途に愛してくれるから付き合っているにすぎない。何を言っても聞き入れてくれる。何をしても喜んでくれる。一生懸命さはよく分かるが面白みに欠ける。ついつい嫌味な事を言っては泣かしてしまう。しかし、立ち直りも早くすぐに笑顔で何でもしてくれる。

他に素敵な人はいないかなと思って年月が経ちお互いに居心地が良くなっていく。いつの間にか今付き合っている人がかけがいのない人になっている。愛する人を追っかけるよりも何でも言うことを聞いてくれる優しい人の方が幸せな生き方だと思えるようになる。カッコ良くなくても愛おしい人だと思い愛して付き合ってくれていることに感謝する。

2009 04 30 [心と体] | 固定リンク

2009年4月28日 (火)

ヤル気が湧いてこない

ヤル気は自分自身への目標を持ったとき、ライバルに負けたくないと思ったとき、家族のために頑張ろうと思ったとき、愛する人を守ろうと思ったときなどに湧き上がる。ヤル気度もこの順に大きくなる。自分だけのために頑張ると思っても自分がくじけそうになるといつでも止められるのでヤル気度はいちばん低い。

ライバルに負けたくないと思って努力するときはライバルと競っている状態が続く限りは頑張れる。負けん気が強いタイプでこれも自分自身への目標を持った時と同じ意識レベルになるので自己中心的である。ライバルを蹴落として自分が優位に立ちたいという意識が強くて人を傷つけたり自己主張が強くなりがちだ。

家族を養うために働かなければならないという意識を持っている人は我慢強くなる。自分自身への目標ではないので気に入らない仕事でも我慢強くこなしていく。独り者でも愛する人(恋人)を守ろうと思ったときも同じように我慢強くなる。愛情は自己犠牲を厭わず、進んでやりきるもっともヤル気度が高い状態になる。

後者の2例は自分自身ではなく愛する人のために努力するという意識が芽生えることで非常に我慢強くなり、ヤル気が人一倍強くなり、結果として成功していくタイプである。人を愛し、愛する人を守るために自分を犠牲にして努力できる人は自分自身をもっとも輝かせられる人である。

2009 04 28 [心と体] | 固定リンク

2009年4月27日 (月)

手料理は愛情表現

料理は手間をかけるほど美味しく頂ける。その手間は愛情表現で、「料理は愛情だ」という料理人もいる。僕は家族に手料理をふるまうことがあるが、時間をかけてゆっくりと調理する。出汁もかつおと昆布からとるようにしているし、ソースやドレッシングなどもそのつど作るようにしている。

健康のためにもいいが、手料理だとその料理を通じていろいろな話ができたり、家族のだれもが優しくなっていくような気がする。僕の愛情が入ったスパイスは家族に食され、家族のハートに温かいスープとなって流れていくようだ。笑顔で話しかけてくる子供たちを見ているとこちらまで笑顔になっていく。

時間がなくても手料理はできる。時間がないと諦めないで30分の余裕を持って挑戦してみることだ。お腹が空いた家族にチョッと待ってくださいとお願いして30分後、素敵な手料理をふるまえる。作り置きしたものがあればさらに時間を短縮できる。家族に対する愛情表現だと思って挑戦してみると良い。

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2009年4月26日 (日)

子供への暴力は大人の横暴でしかない

僕は自分の子供に1度だけ暴力をふるったことがあるが1年以上も自分自身を責めて苦しんでいた。今でもそうした行動をとった自分を反省し二度とそうしたことをやらないと強く思っている。しつけと云う名の暴力は決して許せるものではないと思うからだし、より優位な立場の者が暴力によって相手を屈服させるのは卑怯でしかない。

子供は僕よりも不安と期待に満ちた未来に向かって必死になって生きている。僕とは違った生き方、考え方をして当然だろうし、それが僕には理解できないことがあっても自然なことだろう。親としていついかなる時も愛して寛容であろうと思う。子供は愛すべき対象であっていつでも無条件で応援してあげるべきだろう。

如何なるときも暴力によって人の心を動かすことはできない。恐怖心を煽って人の心を支配しようともそれが喜びに変わることはない。暴力を受ける人の悲しみや憎しみといった心の傷はいつまでも癒えることはない。いつの日にか暴力を振るう人はその暴力を失い、暴力によって我が身を滅ぼす時が来る。

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2009年4月25日 (土)

人をよく見せるのは背筋と気合

僕はどこに行くのでも10年来の背広とコートを着て出かけますが、気合が入っているのでくたびれた格好には見えません。かつて25歳前後のキャリヤウーマンを対象にしたブティックを2件経営していました。そのとき、どんなに美人でスタイルが良くても着映えのしない女性がいることに気が付きました。姿勢が悪いので素敵な洋服がよれよれに見えてしまうのです。反対にスタイルや容姿に自信がなくても笑顔で姿勢が良い女性は洋服がとても素敵に見えることも発見しました。洋服はその人の姿勢を現わしているのです。

東京の服飾メーカーの展示会に出かけると昔はモデルが新作の洋服を着て説明してくれます。そのときモデルが着こなしのアドバイスをしてくれました。「洋服を着こなすには自分が生きていることに自信を持つこと。そのためにはいつも努力を惜しまずに生きることよ。」彼女は痩せることや脚の長いことやお顔の手入れではなく生きている自分に自信を持って背筋を伸ばすことだとアドバイスしてくれたのです。これには驚きましたがさすがはプロのモデルだなと感心しました。

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2009年4月20日 (月)

反省すべきはいつも自分自身にある

恋人に見捨てられた人は狼狽し恋人にもう一度やり直したいと懇願し、却下され憎しみに変わり、私の人生を返してほしいと誰かれなく話して益々嫌われていく。

人材の引き抜きにあった経営者が転職いていく従業員を罵っていた。僕は彼に「君はまるで恋人に捨てられた人みたいだ。反省すべきは従業員に飽きられた君にある」と言った。

部下に見限られた上司は部下の異動願いを受けてびっくりする。この上司と一緒にどこまでも働いていたいと思ってくれない上司が反省すべきだが上司は部下の異動願いを受け入れた人事部を恨んでいた。

この人はと思っていた人に去られるとだれしも狼狽し懇願し元のようにできないかと悩むが、どうにもならないときは憎しみに変わる。しかし、反省すべきはいつも自分自身にある。


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2009年4月17日 (金)

不平・不満に不幸が宿り、笑顔と感謝に幸せが宿る

自分を認めてほしいという思いは実力が乏しい人ほど大きいそうだ。そこそこ仕事を覚えてきた頃に自己主張が強くなる人はこうしたタイプだろう。自分の考えややり方にこだわり相手のことを思いやったり周囲に配慮したりすることができないので自滅しやすい。

経営の神様と言われた松下幸之助がとある中小企業の経営者と会ったとき、その中小企業の経営者は自分の自慢ばかりしていたそうだ。松下幸之助は最後まで聞き役にまわり自分のことは何一つ話されなかった。「彼は自慢話ばかりで僕を利用しようとしないのが残念だね」と一言お付きの者に話された。

本当の実力者は実に謙虚で聞き上手、自己主張はほとんどしないで相手をよく観察している。相手が求めればアドバイスもするが自ら進んでこうしなさいと主張はしない。いつも笑顔を絶やさず誰に対しても感謝している。一見、馬鹿に見えるのが本当の実力者で底が知れない人物である。

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2009年4月12日 (日)

よきライバルがいればこそ鍛えられるもの

WBC(world baseball classic)2009 は日本が韓国を延長10回5対3でかろうじて破り2度目の世界チャンピョンになった。サムライジャパンと言われた選手たちは国民の期待に見事応えて凱旋帰国した。

WBC決勝戦では韓国の潔い采配があった。延長10回、バッター・イチローという場面で1塁が空いているにもかかわらず韓国バッテリーは当たっているイチローと対決した。韓国チームの金寅植監督は歩かせてもいいと思っていたそうだ。

試合終了後、金寅植監督は試合後の会見で「われわれはベストを尽くした。勝てれば最高だったが不満は何もない」と話した。お隣の素晴らしいライバル・韓国チームがいればこそ日本の勝利は感動的だった。

ビジネスの世界でも強力なライバルがいる方が逞しくなる。あの企業、あの教室、あのスタッフには負けたくないと思ってお互いに努力すればこそ今があるという人は多い。すばらしいライバルに感謝。

2009 04 12 [心と体] | 固定リンク

2009年4月 6日 (月)

人を愛することで人は変わる

素敵な人に出会うと自分をよく見せようとしてダイエットしてみたり、オシャレな服を着てみたり、他人に優しくしてみたり、と今まではそんな良い人ではなかったのに素敵な人になろうと一生懸命に努力していることがある。素敵な人から注目されたい、好きになっていただきたいといった恋心がそうさせる。

たったひとりの人への恋心だけで人はまるで別人のように変わる。ヤル気に溢れ、積極的に人が嫌がることをやり、努力して「できる人」へと変身する。仕事でも素晴らしい人に出会うとその人から嫌われないように一生懸命に仕事に打ち込んで、気がつくと自分が他人から素敵な人に思われていることもよくある。

素晴らしい人との出会いを大切にして、素晴らしい人の期待に少しでもお応えできるように努力することで自分がどんどん成長する。「素晴らしい先生との出会いが自分の人生を変えた」「素晴らしいコーチとの出会いが勝利を産んだ」「素晴らしい伴侶との出会いが今の成功の原因です」といった話はよく聞く。

人との出会いを大切にして、多くの人の期待に添えるように自分を殺してでも努力してみると、自分自身が大きく成長する。僕はいっしょになって働いてくださる全国の「わかるとできる」のスタッフ、生徒、お取り引きをしている方々や自分の家族のために努力して自分自身を磨き感謝されるようになった。

2009 04 06 [心と体] | 固定リンク

2009年4月 5日 (日)

愛情はお互いに助け合う心、憎しみはお互いに指摘しあう心

人は最初はお互いに協力し合うが慣れてくるとお互いの欠点が目につくようになる。正面から向かい合えば腹が立ち思わず言い合ってしまう。目線を避けるようにしてお互いに付き合っている。そのまま放置していると憎しみに変わり自分を応援してくれる仲間を集めるようになる。間に立つ人にとってこれほど迷惑な話はない。

親子の間、夫婦の間、職場の人間関係、友人との間、人と人との間にはこうした憎しみが芽生えやすい。欠点を補うように優しく行動できる愛情はこうしたギクシャクした人間関係を修復してくれる。長所を褒めてあげ、欠点を補い合う関係ほど幸せを感じる生き方はない。

「私は馬鹿だね」「そんなことないさ」・・・「いつも失敗ばかりしてごめんなさい」「君がいてくれるだけで幸せだよ」・・・「こんなドジなわたし」「私もたくさんドジしているからドンマイ、ドンマイ」・・・「いっしょに生きていきましょう」・・・「あなたの心の傷がどんなに深くてもいつも私がいるからね」・・・「私はあなたと一緒に生きているだけで幸せなの」

あなたが嫌な人だと思っている人はかつてはなくてはならない人だった。もう一度、ハートを愛情で満たして全開でその人を見つめてみよう。ぶるぶる震える全身を感じるだろう。とめどなく溢れる涙を感じるだろう。両手を拡げて抱き締めて、私が馬鹿だったと思うだろう。心からあなたが大好きだと言いたくなるだろう。その人のために何でもしてあげようと思う・・・それが愛情。

2009 04 05 [心と体] | 固定リンク

笑顔と感動の全国研修会巡回中です

4月1日から10日まで北海道から九州まで全国教室運営研修会を開催して巡回している最中です。ちょうど半分を消化しました。今年は過去最高益をあげている教室が続出しておりうれしい報告をたくさん受けています。「わかるとできる」全体で売上前年比で120%増とこれも過去最高の業績です。

「わかるとできる」では全国研修会が年間2回、オーナー様や幹部スタッフのための勉強会が年間2回、地区研修会、個別企業研修会、オープニング研修会、新人スタッフ研修会、教室長研修会、鳳雛会、オーナー研修会などたくさんの研修会がありそれぞれ厳しくも愛情溢れる研修を行っており、これほどたくさんの研修をしている企業やFCは他に例を見ません。

今年は特に直営教室のスタッフが加盟校様に支援する体制が整い、お互いの交流を深めることで業績が伸びています。オーナー様やスタッフの方に笑顔が溢れ、それが地域の皆様に伝わり、生徒の方の喜びに繋がっています。こんなすばらしい団体に自分が参加させていただいていることに大きな意義と喜びを感じています。

2009 04 05 [心と体] | 固定リンク

2009年4月 1日 (水)

友人からはお金を借りるな

「友人からはお金を借りるな(貸すな)」とは昔からよく言われることである。友達から言われれば断り辛く言われるままにお金を貸してしまいいつまでたっても返済してくれないで友情を失くしてしまう。また、友人からお金を借りると甘えてしまい返済を先延ばしにしてほとんど返済できないでいる。

少額なら許せようが多額の現金となるとそうはいかない。商売をしていれば倒産につながる恐れもあり実際に倒産した企業も知っている。友情に厚い経営者だが経営とは非情な判断を下さなければならないことの方が多い。そのため友人や親族からも憎まれることもあるが企業を守るためにはいたしかたない。

経営者はいつも運転資金に気を配らなければならない。現金が一気に減少すれば運転資金が不足するのは目に見えている。支払いが滞り期待している友人からの返済がなければ返済不能になり大慌てで銀行にかけ込まなければならなくなる。友情よりも大切にしなければならないのは運転資金なのだ。

2009 04 01 [心と体] | 固定リンク

2009年3月31日 (火)

いつか子供は会いにくる

別れた夫婦はお互いに会うことを避けるが子供は大きくなると離れていった親に会いたいと思うようになる。どんなお父さんなのだろう?どんなお母さんなのだろう?私はどのようにして生まれてきたのだろう?二人はどうして出会い、どうして別れたのだろう?そんな疑問から別れた親に会いたいと思うようになる。

「いつの日にか会いにくる」そのときに素晴らしい人生を歩んでいる姿を見せようと僕は思った。必要とされるならいつでも手助けをしよう。僕たちはお互いに愛し合っておまえを産んだのだと話してあげよう。僕たちはお互いに分かれてしまったけれども子供である君のことを決して忘れたことはないと話してあげよう。

別れた人を恨むのはやめよう。別れた人を心から愛していこう。離れてしまった子供を心から愛していこう。素敵なお母さんだったと子供に話せるようになろう。別れた妻に悔いのない夫婦生活だったと思えるようにこれから生きてゆこう。決して腐らず前向きに生きる姿を示していこうと思った。

2009 03 31 [心と体] | 固定リンク

2009年3月29日 (日)

できない理由を探し出す

いつもできない理由を探し出す癖のある人は状況打開を果たせないで苦しんでいる。状況打開のアドバイスをすれば「待ってました」とばかりにできない理由をたくさん延々と述べてくれる。

そして有効なアドバイスは否定されまたは無視され苦しい状況は何の解決もできないでいる。できない理由をたくさん述べる人は継続して我慢強く挑戦するまで何の変化も起きない。

ビジネスの世界でも学生の世界でもこうした人をたくさん見てきたがなかなかこうした性格は直らない。ビジネスの世界では仕事の業績が悪化し、学生では成績不振で喘いでいる。「己を知る」ことはとても大切だ。

学生には悩んでいないで少し勉強してみればとアドバイスし、躊躇する社会人には物事はやってみなければわからないものだとアドバイスする。過去は変えることができなくても未来は自分で変えられる。

2009 03 29 [心と体] | 固定リンク

2009年3月28日 (土)

最高の子育ては仕事をしている姿を見せること

世界中で逞しく育った子供はいつも両親が寝る間も惜しんで働いている姿を幼い頃から見て育っている。どんなに働いても楽にならない貧乏のどん底生活の中でも笑顔で早朝から深夜まで働き続けた親を見て両親に楽をさせたいと子供は思い親を誇りに思う。

汗水たらして働き続けるお父さんの手はごつごつしている。いつも笑顔で働いているお母さんの顔は日に焼けて真っ黒になっている。二人ともアンチエイジングにほど遠く、お洒落などには縁がない。しかし、誰よりもかっこよく誰よりも美しい。

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2009年3月27日 (金)

この辺が私の分相応

京都には石庭で有名な龍安寺がある。そこの茶室蔵六庵の露地にある知足の蹲踞(つくばい)にはとてもユニークなデザインで吾唯足知(われ、ただ足るを知る)の4字が刻まれている。「足ることを知る者は富めり 強(つと)めて行う者は志有り」という中国・春秋時代の思想家 老子の言葉である。 

今の会社に不満がある、今の連れ合いに不満がある、今の恋人に不満がある・・・、などと不満ばかりに目が向いているといつまでたっても満足を得ることがない。また、満足を得る会社では自分が能力不足と言われるかもしれない、満足する連れ合いや恋人には不釣り合いだと言われるかもしれない。

現状を嘆くのではなく現状を肯定して行動すればいつしか大満足になるだろうということだろう。また、現状を自分自身が変えようと決意して行動するものはその志に見合った結果を得るものであるという考え方。いつの時代も幸福とは自分の足元にある。

2009 03 27 [心と体] | 固定リンク

2009年3月26日 (木)

経営者の仕事は従業員を幸せにすること

起業家は最初「お金持ちになりたい」と思って起業する。たったひとりでの会社はどんなに小さくても事務所がなくても自分の城だ。誰の命令を聞かなくてもいい、思うがままに仕事をすることができる。ウキウキ気分で商品を売ったりサービスを売ったりする。

しかし、お客様は自分の言うことを聞いてくれない。思うように商品やサービスが売れなくて会社で従業員として働いていれば会社が自分を守ってくれていることに気がつく。自分の会社は自分を守ってくれない。それは自分が経営者だからだ。

従業員でいるときは会社に対する不平不満を言っていたが、自分が経営者になるとその不平不満はすべて自分ができていないこと=自己否定につながる。自分の会社が嫌になるということは自分が嫌になるということになる。起業家はこうして経営者の苦悩を知る。

成功している経営者の多くは謙虚で愛情に溢れてお客様に感謝し勉強家である。従業員の幸せを願い、いつも従業員のご家族にまで気を配っている。従業員はお客様の幸せを願い、いつもお客様のご家族にまで気を配って仕事をし勉強家である。愛情の薄い経営者は会社を大きくできない。

2009 03 26 [心と体] | 固定リンク

2009年3月25日 (水)

如何に生きるべきか

子供の命が余命1カ月ならどう判断して行動するのか?と思い、子供に接するようにしているとイライラや腹立ちはなくなりむしろ今を一緒に生きていることに感謝するようになる。遊んでばかりの子供の命があと1カ月なら叱りつける親はそうそういないだろう。

反対に自分の命が余命1カ月なら家族や従業員にどのように接するだろうかと考えて行動するとイライラや腹立ちはなくなりむしろ今を一緒に生きてくれていることに感謝するようになる。相手の欠点を責めるのではなくカバーして何の苦にもならない。

残された命を他の人々のために使いきって生涯を終えようとするだろう。いつまでも生きていると思うから他人を受け入れる寛容さがなくなり欠点をあげつらい相手を責めることで自己主張するが相手はそれで感謝することはない。如何に生きるべきかは命のはかなさを知ることから始まる。

2009 03 25 [心と体] | 固定リンク

2009年3月24日 (火)

浮気をされたら反省すべきはどちら?

恋人や夫婦のどちらかが浮気をすれば浮気をした相手は責められ、浮気をされた相手は同情される。しかし、浮気をするのは今付き合っている相手への愛情が薄れたからであって反省すべきは浮気をされた方ではないだろうか。

例えば下請け業者との付き合いがどんなに長くても納入品の価格や品質でより優れたライバル企業が現れれば仕事を取られるのはビジネスの世界では常識となっている。価格競争力や品質向上に努め仕事の受注を取られないように努力しなければならない。

このとき、仕事を取った企業をどんなに責めても状況が改善されることはない。ビジネスの世界では絶えず商品や技術を磨いていくことが求められる。浮気をされた人が自分磨きを怠っていたからだという反省がなければ戻ってくることはない。

いつも反省すべきは自分にあり自分を磨くことを怠ると魅力は失せていく。相手を失望させる言動は厳に慎むべきでビジネスの世界では醜態を現わしているとしか思われない。

2009 03 24 [心と体] | 固定リンク

2009年3月20日 (金)

学ぶ者から出世する

僕の父は高卒で郵便局に入り公務員として働いていた。郵便配達をして一家を支えてくれていた。郵便配達は外勤と言われ朝と昼の2度決められたルートを周り、郵便物を配達する。それ以外の時間は郵便物を配達ルートに区分けする。

高卒の父はどんなに働いても出世できないでいた。大卒のキャリアがやってくると25歳で郵便局長、現場のことはほとんどノンキャリアがやってくれる。少しでも出世しようとした父は仕事が終わると勉強し始めた。

深夜まで郵政の仕組みや法律について勉強し郵政大学に通い小さな郵便局の局長になった。それ以後も郵政の試験に挑戦し大阪や神戸の郵便局の郵政課長にまで登りつめた。正月やお盆になると同期の方が父を自慢していた。

同期入社の多くの仲間が定年になるまで入社した郵便局で配達をして終わった。「俺たちと違っておまえのお父ちゃんは偉いで」と言ってくれた。ひとりの人間として頑張ったのだなと思えたのは社会人になってからだった。

父は定年退職した時に退職金から200万円を僕に渡そうとした。僕は丁重にお断りして夫婦で使ってほしいと話した。定年退職してからも仕事を続け、生涯勉強を欠かさないでいた。そんな父を僕は誇りに思う。

2009 03 20 [心と体] | 固定リンク

2009年3月18日 (水)

業績は経営者の執念が生み出すのもだよ

教え子の割烹料理屋に行った。そこそこ腕の良い料理人で地元の人から愛されているお店を開いている。3月は個人事業主にとって青色決算と確定申告をする月で今年は50万円の経常利益が出ましたと話してくれた。個人事業主にとって50万円の利益は年収50万円でしかない。

家族への専従者給与で生活はできているものの経営者が年収50万円は心もとない。僕は「毎年業績は減少しているだろう」と言ったが図星だった。どこにでもある平凡な割烹料理屋でおまえのお店にはこれは凄いと言わせる一品がないと言った。

料理人として平凡に終わる腕しかないと失礼にも話して、家伝の味噌の付け方や美味しいご飯のヒントを教えてあげた。汁物とご飯だけで勝負できる料理人でなければ儲かるお店はできないし家族をしっかり支えることもできない。料理人の意地にかけてこの2品から味を磨けと言った。

40歳になる教え子はうっすらと涙を浮かべながら「先生、僕はやってみます」と言ってくれた。個人であれ企業であれ業績は経営者の執念が生み出す。経営者に家族や従業員を守るために必死で仕事をししっかり稼いでみせるという意欲がなければ業績は悪化する。

経営者に執念がなければ従業員に辛くあたったり仕事にヤル気がなかったりする。自分に厳しい経営者は従業員にはやさしいものだ。やさしくしていてもその経営者の執念は伝わり従業員は自発的に動いてくれる。執念のない経営者はどんなに厳しくしても従業員はついてこない。

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2009年3月17日 (火)

君が笑顔にみんな喜んでいる

どんなに落ち込んでいる人も嘆いている人も親しい人の笑顔に触れてホッとする。その笑顔をたくさんかけることのできる人に誰でもなれる。こんな自分であっても遠慮することはない。人はみんな助け合って生きなければ生きてはいけない。

泣き崩れている人にも笑顔で接してあげよう。君の笑顔に反応しない人はいない。きっとみんな喜んでいる。君が笑顔に励まされる人がいることを決して忘れてはいけない。どんなに落ち込んでいても君が笑顔を見て励まされ君が励まされる。

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2009年3月16日 (月)

誰かが私を幸せにするのではなく私が周りの人を幸せにするのだ

何か良いことがないかな?誰かが私を幸せにしてくれないかな?と思っている人は多い。今度は良いことが起こるだろうとか、今度の恋人は私を幸せにしてくれるだろうといった他力本願で自分の幸せを掴もうとしているがそれを果たせる人はいない。

何か良いことが起こった!たとえば高価なプレゼントを頂いたとか、高学歴・高収入・高身長の恋人ができたなどといったことが起こってもしばらくすると高価なプレゼントのありがたさもなくなるし、素敵な恋人に捨てられるかもしれない不安や何もしない自分に愛想が尽きてくる。

時間が経てば受身の幸福感はなくなっていき不安や不満といった悩みを抱えてまた何か良いことがないかな?誰かが私を幸せにしてくれないかな?と思ってしまう。幸せは自分が主体となって成し遂げるものでなければ長続きしない。何か良いことをしよう!私が周りの人を幸せにしよう!と思うべきだ。

自らが主体となって考え行動しなければ心からの達成感や満足は得られない。その過程ではどんなに苦労しても失敗してもかまわない。むしろ、艱難辛苦である方が喜びは大きい。私がみんなを幸せにしてみせると思って歯を食いしばり、涙をいっぱい流して頑張ってみることが最高の幸福への唯一の道だ。

自分の愛する人を精一杯守ってあげよう。心から支えてあげよう。どんなに自分が辛くても愚痴の一つもこぼさないでいつも笑顔でいよう。ただ、あなたを愛しているから。あなたを幸せにできるよう毎日を過ごしてみよう。あなたのために生きてみよう。その毎日が積み重なり素敵な生き方だったと思えるのではないだろうか。

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2009年3月15日 (日)

母ちゃんの涙

僕は中学2年生の時、毎日父親に暴力を振るわれてむしゃくしゃしていたので学校中の上履きをローカに投げ出したことがある。朝礼の時に校長先生が立腹され誰がやったのかと言ったので僕がやりましたと前に出た。

その日の夜、担任の先生が家にきて母親に「お宅のお子さんは学校で暴れるし手がつけられない」と話されていた。母は「うちの子供は毎日父親から暴力を受けているので投げやりになっています。どうか許して下さい。」と泣きながら謝っていた。

僕は母の涙を見てとても申し訳ない気持ちになった。それ以後、学校で暴れるのを止めた。30代に入ったばかりの両親なので夫婦喧嘩も絶えないし父親は毎日外でお酒を飲んで帰ってくるので家にはお金がなく生活費に困る毎日だった。

僕は中学校を卒業したらすぐに働くつもりだった。この家から出ていきたいと思った。お金を稼いで母親に少しでも楽をさせてやりたかった。そして父親を憎んでいた。そんな家庭に父自身も帰りたくなったかだろうと気がつくには後30年ほどかかった。

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2009年3月14日 (土)

楽しい話が出来ない人から人は離れる

いつ会っても楽しくない話ばかりする人がいる。どうしても物事をうまくとらえられないで「あの人は~で大嫌い」「毎日本当に嫌なことばかりだ」「私は、本当は~したかった」といった話が続く。何を見ても何が起こっても愚痴になる材料を探している。

こうした話を聞く方は楽しくないのでだんだん相槌を打つのに疲れて離れるようになる。人が自分から離れていくのでますます面白くなくなり愚痴の種はどんどん増えてくる。愚痴る内容はたくさん積み上がり誰かに話したくてうずうずしている。

人相も愚痴っぽい人相になり楽しい笑顔は消えうせている。あの人は愚痴っぽい人だろうと予想がつくようになり新たに親しくなる人が少なくなっていく。決して幸せだと思えない日常に陥るが自分が変わらなければ不幸は続く。

如何なる物事もいつかは良い方に変わると思って笑顔を絶やさず愚痴っぽいことは人には話さず楽しい話をするように注意していく。だんだんと前向きな話が態度に変わり始めると好転し幸せを感じられる生活が始まる。

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2009年3月13日 (金)

ヤル気(モチベーション=motivation)を高める方法

3日坊主でなかなかヤル気を継続できなく悩んでいる人は多い。ヤル気を喚起するのに外的要因には2つあり、プラスのインセンティブ=incentiveとして、ご褒美を頂く方法がある。テストで100点取れば1000円貰える。目標を達成できれば豪華な食事に行けるなどといったものによってヤル気を継続することができる。

マイナスのインセンティブは罰を与えることでヤル気を喚起する方法で、遅刻をすれば上司に叱られる、ルールを守れなければ罰金を取られるといったことになる。ただ、こうした外的要因は、また目標達成できればもっとご褒美をくださいというふうに慣れてくるに従ってエスカレートする傾向がある。

ヤル気を喚起する内的要因は心の持ち方で「人々のために」「家族のために」といった気持がヤル気の原動力となる。もっともハートを揺り動かすのは恋心で「愛する人のためならば」という気持ちほど強いモチベーションはない。大好きという気持ちは困難だと思えることをやすやすと乗り越える力を発揮させる。愛はその人を変え世界を変えるのだ。

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2009年3月12日 (木)

必要なことは言葉ではなく優しさ

子供はただひたすら信じられると、その信頼を裏切ることは容易でなくなる。呑気にしていても遊んでばかりでも正すこともなく「気がすむまでゆっくりしておいで」と言って責めるでもなく一生懸命に働く親を見て申し訳ないと思わない子供はいない。子供は親の態度を見て育つ。

喉まで出かかる感情的な言葉をグッとこらえて笑顔で子供にやさしく接し、「おまえがいるから頑張れる」と仕事をする。家に帰って来て遊んでばかりの子供を見ても悲惨なテスト用紙を見ても先生から「どうするんですか」と言われても人様にご迷惑をおかけしても僕だけは子供にいつも優しくあろうと思う。「おまえが僕の子供だということだけで幸せだ」と僕は思う。

親は先生でもなくコーチでも上司でも友人でもない。注意してくれる人は外にたくさんいる。たくさんの注意を受けても立ち上がれない我が子を見ていたわることもできない親でいる方が親らしくないと僕は思う。ズタズタに引き裂かれた心をジッと我慢している我が子を見守る親でありたい。

子供がどんなに落ちぶれていようとも僕だけはとことん付き合ってあげようと思う。ボロボロの人生であっても僕だけは子供を守ってあげようと思う。何も言わなくても子供は充分反省しているものだ。子供は親の愛情を感じて必ず自分の足で立ち上がり飛び出して行く。「頑張れ」とエールを送るだけで充分だ。

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2009年3月11日 (水)

人付き合いは育てていくべきもの

寛容の精神=人の言動を受け入れ他人の罪や欠点など責めないこと はお互いを理解しあうときとても大切な要素である。人付き合いは育てていくべきもので、そのためにお互い寛容でなければ腐ってしまい別れてしまう。あの人と3年、7年、10年と付き合うほどにお互いの信頼が深まるというのはお互いに寛容であるからだ。

相手のことが理解できないとき人は感情的になってしまうが、一呼吸置いて相手のことを理解しようとしない自分がそこにいるのではないかと最初に思ってみることだろう。相手の立場に立って何を言いたいのか?何を期待しているのか?何がしたいのか?理解しようと努めることが寛容の精神である。

こうして育て上げていった人間関係は何物にも代え難い見えない財産となる。ただ、いっしょにいるだけで安心でき幸福を感じるようになる。尊敬し信頼し合って付き合ってくれる人がいることは金銭や名誉や地位よりも素晴らしい満ち足りた幸福をもたらしてくれる。そのためには年月が必要だがその価値は十分にある。

2009 03 11 [心と体] | 固定リンク

2009年3月10日 (火)

褒めてあげれば笑顔も浮かぶ

人付き合いで大切なことは相手のことを褒めてあげることで、褒められて気分を害する人は少ない。自然と笑顔も浮かび話もはずんでいく。子供にだって幼い頃はたくさん褒めていたはずだ。ただ、ヨチヨチするだけで「すご~い!」と驚嘆していた。

それが小学高学年頃から褒めるよりも「~しなさい」「どうして~できないの」と言うようになり褒めることは影を潜めるようになる。子供の顔から笑顔がどんどんなくなっていき反抗的な態度に変わる。親はそれを見て益々態度を硬化させる。

自分の子供が勉強できないぐらいで感情的に怒鳴るべきなのか?テレビばかり見ているだけで…ゲームばかりするだけで・・・ただ健康で友達を大切にして表情豊かに生きてくれるだけでいいとどうして願えない親になったのだろう。子供だって自分の親を褒めたいだろう。

「お母さん大好き」「パパ、大好き」と言ってみたいといつも思っているものだ。あなたは親として自分の子供を心から毎日のように褒めているだろうか。ジッと子供の目を見ればいい。見つめるその眼はいつも「どうして私を愛してくれないの?」と訴えていないか。

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2009年3月 9日 (月)

愛してくれる人と付き合う

魅力的な人と付き合いたいと誰もが思うだろうが、魅力的な人は多くの人からお付き合いの申し出があり引く手数多(あまた)だ。この人と付き合ってくれれば何でもすると思っているが金銭や物をいくらプレゼントしてもハートを射止めることはない。

人のハートを射止めるには自分もその人にとって魅力的な人であろうと努力しなければならない。魅力的な人は何かと努力しているものだ。知的な努力、スタイルでの努力、人を愉快にさせる努力、仕事をバリバリする努力、など得意な分野で自分を磨くことだ。

相手が自分に魅力を感じてきたら自然と付き合うようになるが、それまでは片思いでしかない。また、自分の魅力が消えうせてきても別の魅力を磨けばいい。スタイルに自信がなくなれば知的か優しさを磨けばいいだろう。何の努力もしなければ別れたいと思われる。

2009 03 09 [心と体] | 固定リンク

2009年3月 8日 (日)

行き当たりバッタリになるのは計画と実行ができていないから

いつも期限ギリギリにならないと動けない人は多い。「やろう、やろうと思っていたんだけど・・・時間がなかった」と言う。結局、期限ギリギリになって慌てて動き出すのでせわしなくなりストレスがたまり感情的になっていく。普段の生活も行き当たりバッタリなので部屋の整理整頓ができていない。

修正しようと思えば、まず日程表を作成する。期限が決まってくれば、それまでに何をすべきなのかをスケジュール表に書き込んでいく。予期しない日程が入ってくることも、予定どうりに消化できないこともあるので毎週1日は修正日として置くようにする。あとは、そのスケジュール表の通りに行動するだけだ。

こうしたスケジュール管理はビジネスの世界では当たり前のことだが実生活ではなかなかできていない。そのためにいろいろな人をギリギリになってから慌てさせてしまうことになる。いつも、しっかりとスケジュール管理をする癖を身につけることはとても大切で手帳などを持ち歩くようにすればいい。

自分を知り分析し反省するべきはしっかり反省できる人は成長できる。言い訳ばかり言っているときは何の解決にもならない。人は他人との係り合いの中で生きている。人付き合いを学び、人付き合いを磨いていくことは幸せになるひとつの大きな条件だ。

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2009年3月 7日 (土)

必要ないのは官僚ではなく政治家

国会答弁を聞いていて「~と言った」「記憶がない」などといった話がとても多く、これで実務は大丈夫なのだろうかと思ってしまう。会社では会議はできる限り短時間に集約して実務に集中するし、会議で「~と言った」「記憶がない」といった話などは無意味だと一蹴(いっしゅう)に付される。

政治家の本来の仕事は法案の審議ですが選挙で当選するためにあちこちの会合に出掛けたり人脈を作り続けるために各種団体からの陳情や接待を受けたり党派の受けを良くするためにいろいろな勉強会に出席して誰がどんな行動をとっているのかを知ることに忙しく動き回るようになります。

法案の審議は実務に疎くなるので官僚に質疑を作らせます。官僚は質問と同時に模範解答も作り答弁する方の政治家に渡します。つまり、議会での審議とはそのほとんど大切な部分は官僚によって質問も回答も作られているのです。政治家がオリジナルティーを発揮するのは「~と言った」「記憶がない」といった子供の喧嘩程度になります。

実務に就いている人がもっとも諸問題に精通しているのは至極当然のことなのですが、政治家は自分の方が官僚よりも偉いというパフォーマンスをしなければなりません。しかし、現場に行っても将来的な展望ではなく自分に投票してくれる有権者の多い方の意見を取り入れることしかしません。つまり、問題をより複雑化してしまうのです。

企業でいえば現場に疎い高給取りの中間管理職で毎日会議ばかりしていますが係長クラスから情報を集めて話し合っているだけです。現場の平社員は管理職を馬鹿にするのも当然で、リストラすべきは現場で実務を執っている官僚ではなく無駄な中間管理職です。日本を経営するという視点から見ればそうなります。

2009 03 07 [心と体] | 固定リンク

2009年3月 6日 (金)

組織は私物化してはならない

業績悪化の企業に行くと中間管理職が組織を私物化している場合が多い。管理職の方が経営者に連絡・相談・報告がなく、経営者からの情報も組織の末端まで流さないようにし組織を私物化して業績を悪化させているが中間管理職は何ら反省できないで経営者を自分の担当する部署からますます遠ざけている。

組織の末端まで経営者の情報が伝わらない状態は会社としてどのような方向性で運営しなければならないのかがまったく分からない状態で、末端社員は反抗的な中間管理職につき企業としての団結力を削ぐ結果となり業績は悪化する。先日もこうした企業経営者にお会いしたが早急に手を打たねば倒産すると忠告した。

会社は公器であるが経営者の元に一致団結して働くことで組織としての強みを発揮することができる。しかし、中間管理職が経営者に反抗して組織を運営すれば、そこに企業としての団結力はなくなり業績は悪化する。経営者を中心として団結して働けないならばその職を辞退するのが企業を守る唯一の策となる。

経営者を馬鹿にしてその企業で仕事をしている人生などもったいないと僕は思う。それほどまでに実力があるならばさっさと独立してもっと素晴らしい企業を興すことができるだろう。そうして大企業を起こした人も多い。愚痴や不満をつのらせて経営者を信頼せず仕事をするのは給料泥棒だと僕は思う。

2009 03 06 [心と体] | 固定リンク

2009年3月 5日 (木)

子供は母の愛情を独占したいと思い嫉妬(反抗)する

反抗期になると子供の心は自立とこれまでのような甘えを行ったり来たりする。親から離れて一人暮らしをしてみたいと思ったり大好きな人との生活はどんなに素晴らしいものだろうと夢見たりするのもこの頃だろう。

兄弟がいれば兄弟に嫉妬して母親を困らせることで自己主張する。「私はここにいるのにどうしてもっとかまってくれないの?」子供の心の深くには母親への甘えがある。弟(妹)には優しいのに私には辛くあたると反抗的になる。

母親がお父さんと話をするだけで嫉妬することもある。子供は母親とは深い愛情で結ばれている。「何を甘えているの!」と一喝すればするほど子供は母親を困らせて自分への注目度を高めようとする。

反抗期を乗り越えるにはただただ子供を愛してあげることに尽きる。「どんなことがあってもお母さんはあんたが大好きだからね」という無償の愛情を感じてやっと子供は落ち着きを取り戻して自立への成長を始める。

真正面から子供と向き合い子供のメッセージをくみ取る。子供の心が見えてくるまでジッと見つめてほしい。子供は誰でも親に認められたいと思っている。ただひたすら愛されたいと思っている。

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2009年3月 3日 (火)

心の平安を求めて

生老病死といった解決が難しい問題にぶつかるとその悩みや不安から解放されるために一部の人々は宗教を信じるようになる。心の解放はなかなか難しい問題でイデオロギー(政治的・社会的な意見、思想)だけでは多くの人を解放し難いものなのだろう。宗教は多くの人々に支持されてその地区や民族や国家に合わせて変化していく。

キリスト教やイスラム教でも地区や民族や国家によって宗派に分かれていくが、そこで問題になるのが多くの信者が信仰してくれそれぞれに救いとなっている宗教のどちらが本当の神なのか?といった問題にぶつかる。教祖はもちろんのこと信者も自分が信じて疑わない宗派が正しいと主張するのは至極当たり前のことだ。

問題は、その食い違いから紛争になり戦争を引き起こすようになることで、こうなると人々を救うはずの宗教が人々を殺戮へと追いやるものとなってしまう。その対立をなくして平和に暮らすにはお互いの宗派の違いを認めそれぞれが正しいと信じている神はそれぞれに人々を救っているのだから正しいと言うべきなのだろう。

人々が国境を超えて交流し、民族が他の民族と一緒になって働くようになった現在では同じ信者だけが集まって仕事をする時代ではなくなった。それぞれに信じる宗教をそれぞれに正しいから改宗しろと云い争うよりも認め合うようにしなければ紛争はなくならない。世界中の教祖は集まってお互いにそれぞれの意見を交換しどうすれば世界平和に貢献できるか話し合う必要がある。

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2009年2月26日 (木)

人は言葉ではなくその人の魅力で動く

成績が振るわない学生が「こうすれば成績は良くなる」と言う。掃除のできないお母さんが子供に「キチンと整理整頓しなさい」と言う。現場のスタッフを把握していない社長が現場スタッフに「こうすれば儲かる」と言う。これらは人が納得して動いてはくれないだろうと予想がつく。

好成績を収めた学生が「こうすれば成績は良くなる」と言う。キチンと整理整頓しているお母さんが子供に「キチンと整理整頓しなさい」と言う。現場に出て真っ先に働いている社長が現場スタッフに「こうすれば儲かる」と言う。これらは人が納得して動いてくれるだろうと思える。

その違いは体験に裏打ちされているかどうかだけだ。つまり、どんなに素晴らしい言葉でもその人にその経験があって初めてその言葉は相手に伝わり納得して動くということだ。相手のことはよく分かるので他人に意見することは容易だが、裏打ちされている体験がなければ黙って反省する方がいい。

2009 02 26 [心と体] | 固定リンク

2009年2月25日 (水)

子供は親の言葉よりも生き様を見て成長する

僕の母親は僕が幼い頃は内職をして生活費を稼いでいた。僕はその手伝いをして母親からいろいろな話を聞くのが好きだった。小学校に入学すると母は建設業会館での仕事に就いた。僕は保育所の頃から家事の手伝いをし、父が働いている郵便局に夜食の弁当を持っていくのが日課だった。その後、母は地元の農協に転職する。

僕の母は定年退職するまで働き続けた。僕は毎日元気に働いている母を見るのが好きだった。手伝いをしてあげるととても喜んでくれる母が誇りだった。当社ではたくさん働く母親がいる。彼女たちが子育てに悩んでいるときもあるが僕は何の心配もないと答えてあげる。

子供は母親が一生懸命に働いている姿をみることで逞しくなる。仕事で疲れてぐったりしていたり、ひとり台所の隅でシクシク泣いていることも子供は知っている。しかし、いつも偉そうに振舞っている母よりも現実に打ちひしがれている母を見る方がはるかに子供は成長する。子供は親の言葉よりも生き様を見て成長しているものだ。

2009 02 25 [心と体] | 固定リンク

2009年2月24日 (火)

不景気の今こそ好業績の布石を打てるチャンス

不況の時はチャンスだとビジネスの世界では昔から言われています。江戸時代、井原西鶴が著書「日本永代蔵」には儲からない商人が貧乏神に感謝して拝んでいると貧乏神から他の商人と同じことをせず、自分だけにしかできないことをしなさいと諭されて大商人に上り詰めたという話が載っています。

不況の時は悲観的になる人が多いものですが、そんな中にあって今こそチャンスだと思って挑戦している人がいます。就職難はより良い人材を採用できるチャンスですし、廃業や倒産が多いということはライバルがいなくなるので拡大するチャンスだという意味になります。

仕事が少なくなり残業もなくなり収入が減少しているときはしっかり勉強して新しい知識や技術を身につける時間が持てるチャンスですし、職を失くせば自由な時間がたくさん持てるので最初から自分を鍛えなおすチャンスが今だということになります。2009年はチャンスが広がっている年だと僕には思えます。

2009 02 24 [心と体] | 固定リンク

2009年2月22日 (日)

身の丈に合った生活をしよう

収入以上の生活をしようと思えば多額のローンを組んで高額品を購入しなければならない。借金は借り入れの元金以上に返済しなければならず結局実収入での生活はトータルで見ると節約しなければならない。ただし、返済は未来のことなので購入した時点では生活は見た目にはとても豊かになる。

贅沢を覚えればそれに慣れて生活レベルを落とせなくなる。必然的にローンをたくさん組んで借金は増えていくばかりになる。戸建てやマンションなどの不動産、車、保険、この3つの支出が生涯支出の中ではとても大きく、この3つの支出を抑えれば預貯金ができ、たくさん現金を持っていることの方が有利になる。

アメリカのサブプライムローン破たん者が2009年度以降300万人もでてくるだろうと言われており金融不安はこれからが本格化するという。資産価値がどんなに減少しようとも高級住居を離れたくない住民がいる以上政府は長期で低金利ローンの借り換えをして不動産の下落を抑制せざるを得ないだろうと思う。

世界中で巻き起こった金融不安は値上がり益を狙った不動産バブルが世界中で調整に入ったというべきで本来あるべき収入に見合った生活をしようということに尽きる。僕はローンを組んでまで購入しなければならないことは勉強への先行投資ぐらいだろうと思う。

2009 02 22 [心と体] | 固定リンク

2009年2月21日 (土)

人生は素晴らしい想い出つくり

人は誰しもこの世に生を受け成長し命の終焉を迎える。私だけは特別でいつまでも若さを保ちたいと思っても老いは誰にも平等にやってくる。どんなにアンチ・エイジングに走っても美容整形しようとも老化と死はすべての人々に平等にやってくる。あなたも私も生老病死からは逃れることはできない。

人生はこの世に生を受けている間にどのように生きるかだけだろう。どんなに憎らしい人でもいつかはこの世からいなくなる。憎んでいる人も憎まれている人もいなくなる。生涯人を憎んで生きるのか、それともその憎しみに終わりを告げて許し合う生き方を知って死ぬのかの違いでしかない。

どんなお金持ちも、地位の高い人も、有名人でも、絶世の美人でも、飛び抜けた運動選手でもいつかは老いて死んでゆく。地位や名誉や財産よりも私といっしょに生きてくださる人々に感謝し彼らとの何気ない日々こそ生涯最高の喜びだと思えるようになる。人生はその終りに向かっての素晴らしい想い出つくりでしかない。

あなたは何をカリカリしているの?と感情的になっているときは自分に問いかければいい。いつまでも生きていられないのにどうして笑顔を失くしているの?明日死ぬかもしれない命なのにどうしてそんなに人を憎むの?限りある命だからこそいつも笑顔で感謝しながら生きてみようと自分に言い聞かせるのもいいだろう。

2009 02 21 [心と体] | 固定リンク

2009年2月20日 (金)

「もう死にたい」と聞かされる身になれ

僕の母は若い頃、生活に疲れ果ててよく「もう死にたい」とか「お母ちゃんは若死するよ」とよく言っていた。幼い僕は当時、真剣に心配していたが何をしていいのか分からずにひとり落ち込んでいたものだ。お母さんが死んだらどうしようと考えて友達に相談したりお父さんはどうするのだろうかと思ってみたり、訳もなく泣いたりした。

小学校5年生?の時は近くの踏切で僕の手をギュっと握って飛び込み自殺しようとして思わず母に怒鳴った「死にたいならおまえひとりで死ねばええやんか!僕はまだ死にたくないんや」その言葉で母は我に返ったそうだ。家に帰り僕は母に「いつも死ぬ死ぬと聞かされる僕のことを思ったことがあるんか!」と叱った。無性に腹が立った。

それ以後、いっさい母は死にたいとか若死すると言わなくなった。僕はそれ以降「死にたい」という言葉を聞くとそうした経験があるのでとても嫌な気分になる。その言葉を聞く人の気持ちを考えない無責任な言葉だからで、決して人に向かって言うべき言葉ではないと思うからだ。しかし、「死にたい」と言う人は口癖のようにいつも言っている。

2009 02 20 [心と体] | 固定リンク

2009年2月18日 (水)

「責任とって辞めます」は小気味良い言い方かもしれないが僕には言えない

お酒に酔って大臣を辞めますと言った政治家、業績低迷の責任をとって社長を辞めますと言って多額の退職金を取っていく雇われ経営者、ヤル気がなくなったと言って総理を辞めた政治家、・・・辞めることで心機一転新たな出会いに期待して胸を膨らませることもできる。

しかし、多くの創業者や家業を継いでいる中小零細企業経営者は「辞めます=倒産」を意味しているのでとてもそんなカッコイイことが言えない。誰かが後を引き継いでくれるならいつでも辞めたいと思っている経営者はたくさんいるが家族ですら引き継いでくれない会社を必死になって守っている。

2009 02 18 [心と体] | 固定リンク

2009年2月17日 (火)

不合格になった生徒の方へのお返事

何度も挑戦することで自分のふがいなさを知り、多くの人の温かさを知り、自分が生きているのではなく生かされていると思えるようになります。どんなに失敗しようとも幾度も挑戦することで自分が磨かれ人の評価も変わります。大切なことは合格ではなくて挑戦を諦めないハートです。合格すれば慢心して大きな過ちを犯すことがありますが、不合格になれば謙虚になり相手のことを尊重できるようになります。幾度の失敗を経験してきた人の方が生きる粘りが出るのです。

僕は大学で建築設計の勉強をして入社しましたが、その後魚の行商を始めて簿記を勉強しました。年末には白色確定申告を税務署で学び、ビジネスの勉強を始め決算書の見方や作り方、会社の立ち上げ方、労務管理の仕方、マーケティングの方法、青色確定申告の仕方・・・ビジネスの勉強を20代の頃は必死になってやっていました。おかげで起業して返済分は稼ぐことができるようになりました。

30代は学習塾と予備校を始めたので小学生から高校生までのすべての教科を教えられるように猛勉強しました。ここで英語にも自信が付きました。大学受験生にもどの大学の入試問題でも教えられるまでに10年かかりましたがそれなりに高い評価を得るまでになりました。大手予備校や私立の進学校から講師のお声をいただけるまでになりました。

40代はパソコン、政治、経済、金融、経営の勉強を始め「わかるとできる」を創業しました。日本全国を歩きパソコン教室を創めてくださる方を募集して多くの人に信頼していただける人物となるべく努力してきました。2003年にはアントレプレナー賞を頂き経営者としての高い評価をいただけるまでになりました。

50代になり哲学、儒学、歴史、心理学などの勉強を始め生きる喜びを感じるようになりました。幾つになっても勉強し実際に体験すれば自分のふがいなさを知り、多くの人の温かさを知り、自分が生きているのではなく生かされていると思えるようになります。多くの人々や自然に感謝し、いろいろなことを素直に受け入れらるようになります。生涯、発展途上人であることが大切ですね。

2009 02 17 [心と体] | 固定リンク

2009年2月16日 (月)

どうして子供を愛せないの?

子供は如何なる環境にあっても親の期待に応えようと必死になって努力する。しかし、親はその期待をどんどんエスカレートさせて子供の努力以上の努力を強制して子供の心を破壊してしまう。親の期待に応えられなかった子供は自分を責め自暴自棄になる。親に愛されないと思ってしまった子供ほど不幸だ。子供に「~しろ」「~するな」と条件をつけて愛するのは不公平だと僕は思う。

僕は自分の子供たちに「お父さんはいつでもお金を出して応援するが、その使い方にいっさい口出しはしない。たとえ人様にご迷惑をおかけしても犯罪に手を染めてもお父さんはお前を応援する。いつ、いかなる時もお父さんはお前の味方だということを忘れるなよ。お父さんはいつでもお前を愛している」としか言わないしそのようにしてきた。

反抗的になり口を利かない時期もある。テレビばかり見ていっさい勉強しない時期もある。成績が振るわずグレテいる時期もある。大音量で音楽を聴いている時期もある。憎しみのこもった眼で僕を睨んでいることもある。母親と大喧嘩している時期もある。人様に多大なご迷惑をおかけすることもある。成長の過程では子供は自分がどうしていいのか分からない時期があって当然だろう。

そのすべてに僕は寛大で笑顔でいつものように挨拶し僕の子供でいることを誇りに思って生きている。遊ぶお金であっても僕はいっさい口出ししないで多額の金銭を与える。いつまでそれを我慢できるかなと神様に聞かれているようでもある。そうした時期を過ぎて子供は自分を成長させようと思うようになり笑顔で僕に挨拶するようになる。わが子を愛するとはそういうことだろう。

2009 02 16 [心と体] | 固定リンク

2009年2月14日 (土)

2月14日はバレンタインディ

2月14日はバレンタインディで多くの女性が愛する男性にチョコレートをプレゼントする。妻から夫への感謝の意味を込めたチョコレートもたくさんプレゼントされることだろう。結婚とは若木が成長するように幾多の風雪に耐え曲がりくねったり枯れそうになったり、それでも耐えて成長し老木になっていくようなものだ。

水分といういたわりの気持ちと養分という収入によって夫婦は成長し成木となりやがては老木となっていく。若木の時はちょっとした雨風にも弱く倒れそうになるようにお互いに主張し合うばかりで喧嘩も絶えない時期もある。深く大地に根を張っているが見た目は何も変わらない時期は夫婦として毎日同じ日々が流れている頃と同じだろう。

風雪に耐えて曲がりくねった幹になる時期はお互いに愛情も冷めきって種火さえないのではないかと思える頃だろう。それでも成木は生きようと水分や養分を大地から吸い取っていく。それは長年連れ添った夫婦が気がつくと空気のようにお互いに夫婦でいることが当たり前になっているようなものだろう。

2009 02 14 [心と体] | 固定リンク

2009年2月13日 (金)

高額商品の所有から利用への転換

2008年金融危機以降、高額商品購入のためのローン審査がなかなか通らない時代になりました。不動産や車など現金一括払いで購入する人はなかなかいません。ほとんどの方は借金をして毎月返済することで購入してきました。借金ができなくなれば買いたくても買えないので消費は落ち込みます。

必然的に人々は購入できませんが利用することでの利便性は理解しているので賃貸や車のレンタルによって所有しなくても利用する方法を採用するようになりました。不動産は価格の下落が期待できますし車はハイブリッドや電気車など新しい車が発売される期待が持てるので急いで買う必要がありません。

レンタカーも近くのガソリンスタンド、コンビニエンスストアー、スーパーマーケットなど副業として中古車などを利用したちょっとレンタカービジネスが勃興すればもっと利用しやすくなります。不動産もちょっとレンタルできる別荘や商店などが揃ってくればちょっと借りて遊んだり商売したりできます。

所有するということでほとんど利用しない不動産や車が多いことに気が付きます。内需の喚起にはマルチタスクビジネスが面白そうだなと思います。ちょっと借りることのできる商店や工場、気の合った仲間が集まって仕事をする人材ネットワークなどがこれからの時代のキーワードになってくると思います。

2009 02 13 [心と体] | 固定リンク

2009年2月12日 (木)

子供をそんなに自慢してもいいのかな?

子供を一流大学に入学させたいと思うあまりに教育熱心になりすぎて子供の心を破壊してしまう親がいる。京都大学に進学した子供を自慢していた母親がいたが、子供が心を病んでしまい通学できなくなって自宅にこもりっきりになってしまった。

僕はその母親が自分の子供を自慢することに嫌味を感じていたが、どうも僕だけではない様子で知っている人は誰もその母親を心から心配している様子はない。自慢が過度になりすぎてお宅のお子様はどうなのよ?と大きなお世話に聞こえてしまう。

子供は母親の期待に応えようと必死になって頑張るものだが、反抗できる子供は心を破壊する寸前で期待に応えきれないと訴える。しかし、反抗できない子供はそのまま良い子で我慢し一流大学に進学できるが、そこで親の期待から解放されてボロボロになった心を癒せなくなる。

子供の反抗は自分の心を守る行為でもある。反抗する子供がいれば無理やり押さえつけるのではなく勉強しなくても遊んでばかりでも暴力的な言葉を浴びせても親である自分が何か反省しなければならないことがないかと考えるべきだろう。

2009 02 12 [心と体] | 固定リンク

2009年2月11日 (水)

そんなに我儘(ワガママ)言わなくても

子供は母親には特に甘える。母親の愛情を独り占めしなければ満足しない時期がある。お母さんを困らせて愛情を確かめる行為は赤ちゃんじみているがこれもまた大人へと成長する過程では我慢するしかないことだろう。自分のことで頭の中がいっぱいになっているときはとても感情的で周囲への配慮に欠けている。

子供は成長するにしたがい母親への甘えも減少していき甘える対象を恋人に変えていく。ただ、恋人は母親のように我慢強くないので自分の甘えを抑えなければ付き合ってくれないことを学習する。失恋すれば反省度も強くなるが容姿端麗でどんなに甘えても受け入れてくれる恋人なら甘え方も過激になるだろう。

甘えとは相手の都合に関係なく自分の都合を相手に押し付けて強く要求を押し付ける行為で相手にとって迷惑なことが多い。相手のことを考えないで自分の都合で物事を推し進めようとする行為は見識ある大人はしない。ひとりでも強くあれと思って自分を鍛えたり我慢しているのが大人だろう。

2009 02 11 [心と体] | 固定リンク

2009年2月 5日 (木)

反省はいつも後出しになる

子供は気に入らないことをされると途端にむくれて口をきかなくなったりいつまでも拗ねていることがある。自分の思いが通じないということだけで気に入らない。周りの状況を考慮するなどといったことは子供にはできない。子供は自分勝手な解釈だけで都合よく行動するので大人はその行動に振り回されるが多大な迷惑をかけるまでにはいたらない。また、子供はすぐにそんな態度を忘れて行動する。

しかし、大人がこうした態度をとれば態度を変えることがなかなか出来ず、その影響は大きく多くの人が迷惑をこうむる。精神的に大人に成りきれない大人はえてしてこうした子供っぽい態度を見せる。子供は成長するにしたがい他人への配慮を覚えるのでむくれたり拗ねたりといった態度をだんだんとらなくなっていく。しかし、大人になるとこうした態度をなかなか改められないものだ。

むくれる、拗ねる、口をきかない、反抗的になる、疎外感をいつも抱いている、などといった子供っぽい態度を見せる大人はその環境の中ではなかなか反省できず益々エスカレートしていく。周りの人々の話に耳も貸さないようになり応援してくれる人もなくしていく。最後はその環境から追い出されるようになり、たった一人になって初めて反省できる環境ができてくる。

大人になるとは自分の感情よりも周りの状況を把握して(周りの空気を読む)自分の考えや行いを絶えず修正できる人になるということだろう。自分が他人からどのように受け止められているのかが分からない分かろうとしないのは子供っぽい生き方だと心得ておくことだ。いつまでもむくれる、拗ねる、口をきかない、反抗的になる、疎外感をいつも抱いているといった態度をとっていて自分が成長することはない。

2009 02 05 [心と体] | 固定リンク

2009年2月 3日 (火)

混沌の中にこそ新たな芽が出る

2008年の金融危機、2009年の実体経済の落ち込み、世界中で人員削減が進み世界経済は混沌の真っただ中にある。そんな中でこそ新たなビジネスの芽が出てくる。無審査でローンをつけて誰にでも家や車を売っていたアメリカはその不良債権を世界中にばらまき、既存のビジネスモデルをいっきに崩壊へと導いているようにも見える。

しかし、その中で新たなエネルギービジネス、水の浄化プラント、電気自動車、飲食チェーン店に代わり個人経営の飲食店の増加、企業が農業に参入し生産効率を高めて雇用を増やしている、ガソリンスタンドでの中古車のカーレンタルなど誰でも簡単に参入できるビジネスの芽が出てきている。

悲観の中に夢を、絶望の中に希望を見つけようとしている人々がいる。嘆いてばかりいるときに笑顔で変化へのチャレンジを始めている人々がいる。僕の会社も不況で苦しむITバブルが崩壊した真っ只中で起業した。激変の中でよく見つめれば新たなビジネスチャンスが見えて笑顔になれるものだ。変わるべきは自分自身。

2009 02 03 [心と体] | 固定リンク

2009年2月 2日 (月)

誰でも悩みや不安を抱えている

誰でも悩みや不安を抱えている。その悩みや不安をいつも口に出してどうしようと話している人もいれば、誰にも話さず黙って耐えている人もいる。いつも口に出してしまう人は黙って耐えている人がうらやましいと思ったり強い人だと思ったりするが、口に出すか出さないかの違いでしかない。

僕は自分の悩みや不安を口に出すことはほとんどない。誰かに話してどうにかなるものでもないと思っているし、話すことで相手を心配させてしまえば申し訳ないと思ってしまう。自分が解決しなければ誰も解決してはくれないことを知っているので黙って耐え抜こうと思うようにしている。

相手に自分の感情をぶちまけるのは怒りでも不安でも悩みでも同じことではないだろうか。ぶちまけた自分は少しはすっきりするが聞いている方は反対にストレスになっているのではないかと思える。アドバイスは一度受ければ充分で、どうすべきか自分で判断しなければその方に申し訳ないと思う。

2009 02 02 [心と体] | 固定リンク

2009年2月 1日 (日)

そっと見守り子供を愛する親もいい

子供は成長するにしたがって自分自身の力で生きてみたいと思うようになる。幼い頃は何でも頼ってきていつも親の懐に飛び込んできた子供が距離を置くようになり会話も少なくなっていく。親の言うことは何でも素直に受け入れてくれた子供は自分の考えで行動するようになる。親に反抗的になるのは自立の苛立ち、親が口出しするのはこれまでと違う子育てに戸惑っているからに他ならない。

やっとひとりで立ち上がった子供は危なっかしく危険もいっぱいなのだが僕はあえてそっと見守るようにしている。幾多の失敗も危険も経験してもいい、たくさん人を傷つけても傷つけられてもいいじゃないかと思っている。大切なことはいついかなる時も子供を愛する気持ちに変わりはないということ。「おまえの足で立ち上がり、おまえの考えで生きてみろ」と思って見守るだけでいい。

人にご迷惑をおかけすることもあるだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろうと反省することも多々あるだろう。遠回りしてもいつか気が付きそこからやり直せば良いではないかと励ましてやれる親でありたい。人はまっすぐに生きてゆけないし、曲がりくねった木々の方が風雨に強い。あえて風雪にさらし、親としてじっと我慢して見守っていてやりたい。

幼い子供が親に抱きついていたり親を呼んでいる声を聞くと振り返りあんな素敵な頃もあったなと感傷的な気分になることもある。子供はいつまでも親に頼りっぱなしではなく成長して親から離れるように準備を整えていく。いつの日にか僕から離れていく子供に頑張れと静かに応援しているだけでいい。大きく成長した子供が僕の墓前で「お父さん、ありがとう」と言ってもらえれば本望。

2009 02 01 [心と体] | 固定リンク

2009年1月31日 (土)

偉ぶる人ほど不幸

家の中でいちばん偉そうにしている人は何でも自分の言うがままに家族を使うが感謝しているわけでなく本人はやりきれない不満を抱えている。その不満のために益々家族への要求はエスカレートしていき隷属している家族はますます小さくなって暮らしている。

かつては父親がそうだった。僕は毎晩のように酔っ払って帰ってきて家でもお酒を呑み母や僕に暴力をふるって偉ぶっていた。「お前らなんかに何がわかる!」と吐き捨てるように叫んで酔いつぶれて寝てしまう。母も僕もそんな父を尊敬することはなかった。

僕は22歳になり母と僕がそんな父にしたのだと思って今日からは父を精一杯愛していこうと母に言った。それ以降、徐々に父の態度は変わっていった。65歳も過ぎると丸くなり母や僕に感謝の言葉をいつも言ってくれる父になった。偉ぶっている父は孤独で辛かったと思う。

2009 01 31 [心と体] | 固定リンク

2009年1月30日 (金)

親は経験したことを話し、子供は経験したいと思う

「歴史は繰り返す」といい、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という。親は子供に自分が経験したことから同じ過ちを繰り返さないように指導するが、子供は経験したことがないので同じ過ちを繰り返そうとする。結果として歴史は繰り返される。いくら嘆いても自分と子供は近い他人でしかない。

経験したことがある人がどんなに注意しても経験していない人は理解できない。経験してみて初めてあのアドバイスはこういうことだったのだと理解する。何とも皮肉なことだが人類はこうしたことを繰り返している。世代交代して行く過程では同じことが何度も繰り返される。

その過ちを繰り返さないように記録しておくことは大切だが、同じ人間でない限り他者は同じ過ちを繰り返していく。反省とは経験した者にしかできえない行動だ。こうしたことを理解して子供を見るとアドバイスはするが同じ過ちを繰り返したあとのフォローをしっかりやるべきだと気がつく。

2009 01 30 [心と体] | 固定リンク

2009年1月29日 (木)

過干渉の親は干渉されるのが大嫌いの矛盾

子どもに過干渉の親は子供時代に愛情に恵まれていないことが多い。自分が親になれば理想的な子供教育を目指して行動する。しかし、理想的な子供教育は子供に対する愛情が過干渉によって反抗的な子供になってしまい愛情よりも憎しみが増幅しがちである。

憎しみが増してせっかくこんなに心配しているのにどうして分からないのという態度になり益々親子関係は悪化する。過干渉の人は他人からせっかく素晴らしいアドバイスをもらっても「私に干渉しないで!」と避ける傾向がある。つまり、他人に過干渉する人は他人から過干渉されることを嫌うという矛盾が生じている。

冷静になって自分自身をよく観察することができなくなることは誰にもある。どうにも子供に腹立たしい時は危険信号だと思えばいい。怒りの感情が沸々と沸き起こってくるときは冷静さを失くしているので子供は反抗的になるかできるだけ逃げていようとするものだ。

2009 01 29 [心と体] | 固定リンク

2009年1月28日 (水)

いつまで勉強しとるんじゃ!

僕は中学3年生の時、高校受験のために深夜遅くまで勉強していた。ある日、父親が包丁を持って僕のところにやってきて「いつまで勉強しとるんじゃ!電気代がもったいないとわからんのか!」と包丁を振りかざして怒り出した。僕はとっさに外に飛び出して逃げた。

1時間ほど近くの駅でいると心配した母親がやってきた。もう大丈夫だから家に帰って来いと言った。僕はニコニコしながら「母さん、あれだけ父さんが頭に来るぐらいだから僕は~高校に合格する」と言った。この子は何を言っているんだと思ったそうだが僕にはそんな自信があった。

貧乏な僕の家では電気は貴重なのだが明け方まで勉強している僕を自分勝手だと思ったのだろう。確かに僕は進学したいと言ったが、明け方まで勉強するから電気代を出して欲しいとは言わなかった。ただ、僕が受験する高校の受験生でこれだけ父親を怒らせたのは僕だけならきっと受かると思った。

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2009年1月26日 (月)

親の期待はどんどんエスカレートする

どんなに優れた機械でも休めなければ壊れてしまう。人間ならばなおさらでしっかりと休養を取らなければ体や精神を痛めてしまう。子どもにとって一生懸命になって努力しているようでも親にはなんて怠慢な生活をしているのだろうと思うことがよくある。

また、少し勉強できるようになるとさらに高みに登れと期待を膨らませていくが子供にとってはありがた迷惑なことも多い。「母さん、私はこれで精いっぱいなの」というシグナルを見落としてはいけない。学生の頃の不勉強は働き出してからの勉強で充分カバーできる。

むしろ、働き出してからの勉強こそその人を成長させるものではないだろうか。松下幸之助しかり、本田宗一郎しかりで社会人になってからの勉強がその後の人生を決定している。学生の頃は勉強よりも道徳心を磨いた方がその後の人生には役立つと僕は思う。

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2009年1月25日 (日)

自分のプライドを賭けて言えない言葉

僕は55年の人生で他人に「死ね」とか「うざい」といった相手をまったく否定するような言葉を言ったことがない。また自分自身に対して「死んでやる」と自分を完全に否定する言葉も言ったことがない。「死ね」とか「うざい」などと言われた人は大きく心を傷つけられ生涯忘れることがないだろうし、「死んでやる」と言えば相手の方が心配するか軽蔑するだけだろう。

日ごろ親切にしてくださっている人に対して「死ね」とか「うざい」といった言葉を言ってしまえば、自分が受けた恩を仇で返すことになり失望や落胆は計り知れず生涯忘れることはない。何気ない言葉でも「死ね」とか「うざい」といった言葉は強烈に相手を傷つける。人生は漫画でもなければゲームでもテレビドラマでもない。取り返しのつかない言葉が「死ね」とか「うざい」といった言葉だろう。

どんなに意地悪をされても苛めにあっても僕は「死ね」とか「うざい」といった言葉を言ったことがない。それは自分自身へのプライドで自分はどんなにされようとも魂までは腐らないという僕からの強烈なメッセージでもある。ひとりで泣いても悔しさで感情が高ぶっても決して「死ね」とか「うざい」とは言わないで黙って我慢しその場から離れるようにしている。

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2009年1月21日 (水)

より良い人間関係の作り方

僕の母はいつも知り合った方には手作りの「巻き寿司」をお土産にして持って帰っていただいたりそのお宅に持って行ったりしてより深い人間関係を結ぼうとしていますし、僕はちょっとしたお土産を持って行ったりいっしょに食事をしたりしてより深い人間関係を結ぼうとしています。また、僕の32歳になる息子は食べ物を小分けにしてお世話になっている方々や同僚、後輩にお持ちしてより深い人間関係を結ぼうとしています。僕の家族に共通しているのは食べ物をプレゼントしたりいっしょに頂くなりしてより深い人間関係を結ぼうとしていることです。

僕は就職したとき上司や同僚に「田舎からのお土産ですので食べてください」と有田ミカンやかまぼこなどをプレゼントして仕事を教えていただきました。嫌みな上司や先輩社員も食べ物が入ると態度が柔らかくなりますし、ちょっとした仕事のコツなども教えてくれるようになります。食事を奢ってくれるようにもなりますし仕事の悩みまで教えてくださることもあります。上司や経営者となった時は部下や取引業者の方々にお土産をプレゼントしたり食事をふるまったりしてより深い人間関係を結ぼうとしました。

「同じ釜の飯を食った仲間意識」は人間関係をより強くします。僕の人脈のほとんどはこうして作られたといっても言い過ぎではありません。魚の行商をしている時も魚を無料でお配りして先により深い人間関係を結んでから販売を始めました。人間関係の構築が苦手な人はこうしたことをまったくと言っていいほどやりません。そのためにその人のために一肌脱ごうと思ってくださらないので人間関係はとてもドライです。人は良くしていただいた人に恩義を感じ無理して動いてくださるが何もしてくれない人には恩義を感じないので自分の都合でしか動いてくれません。

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2009年1月17日 (土)

悩みは最大のものに関心が移る

駅のホームにある飲料水の自販機の前で100円玉を落っことせば一生懸命に探そうとする。見つからなければ悔しい思いをするが、乗車するべき急行電車に乗り遅れれば100円玉のことなどすっかり忘れて焦るだろう。翌日恋人から別れてほしいと言われれば電車のことなどすっかり忘れて死んだ方がましだと嘆いている。次の日、病院であんたは癌だと言われれば別れの辛さより死への恐怖にさいなまれている。

人は今置かれている最大の悩みに関心が移り、それまでもっとも自分が悩んでいたことがかすれていく傾向がある。「あんた、先ほどまで~で悩んでいただろう」と言われてそうだと思い出す程度になってしまう。いっしょになって悩んでいた友達はあっけにとられてしまうものだ。悩みとはそうした性質を持っている。今ある悩みに苛(さいな)まれている人は、さらに大きな悩みがあれば自分はどうするだろうと考えてみればいい。

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2009年1月16日 (金)

苛められ傷ついた心は癒されない

人付き合いで他人を無視したり、無言で睨みつけるだけだったり、何を言っても否定するばかりで受け入れようとしなかったり、馬鹿にされたり、自分に対する侮辱的な言葉を周りの人に話していたり・・・そうしたことをされた場合、その人を心から許す気持ちにはなかなかなれない。

傷つけられた心は幾つになっても癒えることなく残っている。会うとそのときの記憶がよみがえりまた同じように苛められるのではないかと思ってしまう。苛めた人はすっかり忘れても苛められた方は生涯心の傷となって残っている。それほど人を苛める行為は残酷で悲惨だ。

親が子供を苛めたり、子供が親を苛めたり、上司が部下を苛めたり、部下が上司を苛めたり、友達が友達を苛めたり、好きな人があなたを苛めたり・・・人は憎しみから他人を苛めることがあるがその苛めは生涯その人を傷つけることだと知っておくほうがいい。その人は生涯あなたに近寄っては来ない。

苛められた人といっしょに暮らしたり仕事をいっしょにしたりするのはとても辛いのでそのときは離れているようにするべきだろう。そうしないと我慢すればするほど心がボロボロに引き裂かれていく。「君子危うきに近寄らず」思い切って環境を変えた方が双方にとって有益だと思う。

2009 01 16 [心と体] | 固定リンク

2009年1月15日 (木)

自分の人生は自分が創っている

松下幸之助は9歳で小学校を中退し和歌山県を出て大阪の船場で丁稚奉公を始めた。日本中にはたくさんの丁稚がいたのにどうして松下幸之助だけが大企業の経営者になりえたのだろうか。彼以上に一生懸命に働いた丁稚も多かったはずだ。もともとは和歌山県でも有名な資産家のお子さんだったが父が米相場に投資して失敗し没落してしまった。

自転車屋の丁稚をしているときに大阪に導入された市電に乗りこれからの時代は電気だと直感し今の関西電力に入社する。仕事が面白いのでどんどん出世して暇になると今度は夜間学校に入学して仕事をこなしながら勉学にいそしんでいる。ただ小学校中退の彼は同僚のようにとはいかず筆記が苦手で途中で退学している。

彼は仕事も良くでき最年少の22歳で検査員という最高の役職に就いた。しかし、その役職に安住することなくソケットの開発を始めている。就職したら仕事を誰よりも早く覚えて積極的にこなし、少しの時間でも勉学に励んでみたりいろいろな物を見学したり体験したりして社会の流れを見ている。そして、オリジナルのものを開発しようとしている。

多くの丁稚奉公の中でこうした意識を持って働いている子供は少なかったのではないだろうか。仕事の愚痴を言い、与えられた仕事に創意工夫することなく、積極的に伸びようとする仲間の足を引っ張り、苛めで憂さを晴らし、給金で遊びを覚え、勉強よりも仲間といっしょに遊ぶことを優先していたのではないだろうか。

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2009年1月14日 (水)

自己所有ではなく自己都合による利用にこだわる生活

僕の部屋は4帖半でほとんどモノがない状態ですが生活はとても豊かです。友達が来れば近くの仲良しの料理屋に行きますがイタリアンでもフレンチでも割烹料理でもうどん屋でもOKです。最高の料理人を雇っているのと同じで最高のおもてなしができます。もしも、自宅に最高のキッチンを用意して彼らのような料理を振る舞えるかと言えば答えはNOです。

週末は近くの温泉に行って露天風呂やジェットバスなどを楽しみますが、自宅にこんな設備を持っている人などいません。別荘がなくてもリゾートホテルや旅館を利用すれば最高のおもてなしを受けることができます。親しくなれば多少の無理も聞いてくれます。自己所有にこだわるとお金がいくらあっても足りませんが、それぞれをうまく利用すれば生活はとても豊かになります。

こうした利用では、行きつけの施設の方と親しくお付き合いすることで僕は近隣の飲食店では食べに行った時に何かしらお土産を持っていったりします。人付き合いがうまいかどうかは生活の場を広げられるかどうかでもあり、積極的に気に入った飲食店や施設の方と親しくなっておくことです。街が自宅のように利用できる環境は自分で作ることができます。

2009 01 14 [心と体] | 固定リンク

2009年1月12日 (月)

他人のふんどしで相撲を取ることも一興

仕事が嫌だと思っている人は少なくない。誰でも一度や二度は仕事を辞めたいと思うものだ。僕はそうした相談を受けると仕事が嫌な時は転職するか仕事を好きになるか独立するかだろうと話す。嫌な仕事でも一生懸命にやって業績を上げていれば取引業者やお客様の会社から退職するならうちの会社に来て欲しいという話がある。何の話もやってこないならそれは自分の評価が思った以上に低い場合で素直に反省すればいい。

自分の評価がどれほどなのかは転職しようと思いますが僕を雇う企業はあるでしょうかと業者様に聞いてみればいい。「君なら是非ともうちの会社に欲しいね」と言ってくだされば仕事の内容や給与面での相談次第では転職するのも良いことだ。「君なら他にいい会社が見つかるだろう」と言ってくださる場合はどこに行っても雇う会社はないということだろう。

仕事で業績を上げて評価も高い場合は独立を考える人もいる。一国一城の主となるのは誰でも一度は夢見る。経営者となって思う存分やってみたいと思うのは自然な考えだろう。業者様でも「君が独立するなら君と取引するよ」と言ってくださる方がいること。今の会社内で貴方に就いてきて下さる方あるいは応援して下さる方がいることなどが独立への条件だろう。誰も応援してくれない場合は独立しても失敗する。

今の会社内で倒産のリスクは経営者にお任せして給与を頂き独立してもできない仕事をやらせていただくことに感謝して社長のふんどしで相撲を取ることに生きる喜びを感じる従業員も多い。多額の借金をして自分の給与が取れないリスクを背負い、従業員には気を使い、銀行にはペコペコし、家族からは生活費をいつ入れるのだとせっつかれることなく思う存分仕事ができることは大いなる喜びだ。

2009 01 12 [心と体] | 固定リンク

2009年1月11日 (日)

思いやりを失くし自滅し、反省して蘇生する

自分の要求ばかりが先行して相手の立場を考えない行動に出るのは赤ちゃんで、親の立場を考えないで自分勝手に行動する。それでも親は喜んで赤ちゃんの世話をするが、それは相手が赤ちゃんでひとりでは何もできないことを知っているからに他ならない。

社会人になり自分の要求が先行して相手の立場を考えない行動に出て「私のことを何も考えてくれない」と言っていると人付き合いは破局を迎える。親は付き合ってくれても他人はそこまでは付き合えないと離れていく。自分が甘えていたと反省するしかない。

職をなくしたり、恋人をなくしたり、連れ合いをなくしたり・・・人の別れにはお互いの思いやりをなくした結果ということが多い。思い出してみると相手を傷つけて自分勝手なことばかりしていたと反省することばかりだろう。その反省こそが自分を蘇生させる。

2009 01 11 [心と体] | 固定リンク

2009年1月 9日 (金)

誰も私のことを分かってくれない


「あなたに私のことなど分からないわ」「僕のことなど誰も分かってくれない」などといった言葉を聞くことはよくある。落ち込んだ時や感情的になっている時によく出てくる言葉だが、他人は受け入れてもいいと思える程度までは分かっているように振る舞えるが、それ以上は受け入れがたい。

他人にこう思ってほしいとかこのように行動してほしいと思っていても自分が要求している内容が相手に伝わり、しかもそれを受け入れても良いと思っていただけなければ相手はこちらの思うようには動いてくれないものだ。ただ、それだけのことなのに悲観したり怒ってみたりしている。

自分の考えているように他人が行動してくれないときは自分の実力がそこまで行っていないか自分の考えが身勝手なことになっているかだろう。つまりは自分を高めて受け入れなければならないと思ってもらえるようになるか、反省して謙虚になるかだろう。相手にとってまだ自分は子供のようなのだと思えばいい。

反対に「私は他人のことを分かっているのか?」と問い返してみよう。ほとんど他人の事が分からないだろうし人の考えや感情は変幻自在で理解できないというのが本当のところだろう。私も相手のことが分からないのに相手が自分のことを分る筈がないと思えば少しは謙虚になれる。

人はそれぞれ自分が大切だから、他人の要求には素直には応え難いものだ。他人の都合を考えずに自分のことばかり言っているとき「あなたは私を分かってくれない」と叫んでいることが多い。「あなたはあなたを分かっていますか?」その問いに「はい」と答えられる人はまずいない。

2009 01 09 [心と体] | 固定リンク

2009年1月 8日 (木)

阪神タイガースで「アニキ」と呼ばれる4番打者

阪神タイガースで「アニキ」と呼ばれる4番打者 金本知憲著「覚悟のすすめ」を読みました。1991年ドラフト4位で広島東洋カープに入団。体力もなく注目されることもなく、いつ戦力外通告されるか分からなかった状態だったそうです。連続フルイニング出場世界記録を更新中の彼の生き様は一流と言われる選手にふさわしい内容でした。入団して3年後には戦力になる選手になろうと練習につぐ練習に励んだそうです。

シーズンオフこそ他の選手と差をつけるチャンスだと筋トレやバッティングを磨きました。どんな病気や怪我でも試合に出場していたのは最初の頃はレギュラーを他の選手に奪われる恐怖からだったそうです。後半はプロのレギュラー選手として期待されている以上出るのは当たり前という意識だそうです。ビジネスの世界では退社してからの過ごし方が大切でしっかりと勉強して自分を磨いていなければ他の従業員とは差がつかないということでしょうか。

どんなことがあってもやり続ける心や努力する心が大切で少しの練習では身につかないそうです。筋肉は少しの手抜きも許さないそうでやればやるだけ筋肉はついてきますが、さぼるとすぐになくなっていくそうです。入団当初は体力がなかったけれども3年間筋トレをやり続けるとプロの世界で通用する体力がついたそうです。ビジネスの世界でも少しだけやって結果が出ないと愚痴っても当たり前ということで、3年間はやり続けるということでしょうか。

チームプレーに徹して個人の記録に目をつぶる態度がなければ優勝しないそうで、かつての阪神タイガースは個人記録に重点を置いたチームだったそうです。その頃は万年最下位の駄目トラチームでした。優勝するためにはお互いに優勝するという強い意識とお互いに切磋琢磨して向上するひたむきさがなければならないそうです。お互いにひたむきに問題点を指摘して修正する強いチームワークがなければ優勝しないということです。言わなければならないことはあえてすぐに言うことですね。

また一流の選手になるには「感謝の心」が大切で。感謝することで多くの人から支持され支援されるようになれたそうです。その支持や支援に応えるべく努力するという好循環が生まれます。怒鳴られて嫌々やらされている練習でもやり抜けば実力になってくるそうです。辛いことから逃げ出そうとする自分を無理やり追い込んでくれる人がいれば向上するきっかけとなるそうです。嫌みな上司も見方を変えれば自分の成長のためになっているということでしょうか。

2009 01 08 [心と体] | 固定リンク

2009年1月 7日 (水)

知力、体力よりも精神力

わが愛する阪神タイガースの前監督 岡田彰布(おかだ あきのぶ)著「頑固力 ぶれないリーダー哲学」という書籍を読みました。常勝チームになるには「勝利への執念、個人プレーではなくチームプレー、緻密な作戦、短所ではなく長所を伸ばす指導、打順をいじらず」といった内容でした。ビジネスの世界でも打順を組織に置き換えれば納得できるものでした。

ドラフトで入団してくる選手は皆才能が溢れているのに多くが潰れていくそうです。使ってくれないという不満から腐っていく選手、ちょっと活躍するとチヤホヤされて舞い上がってしまい自分の才能を過信して潰れていく選手が多いそうです。そんな精神面の弱さを克服して真面目に謙虚に練習に励む選手だけが残ってくると書いていました。

どんなに才能があっても精神面でのタフさが一流選手と潰れていく選手との違いでしかないのだと思いました。「腐ったらアカン」という言葉があるように拗ねてみたりイジケテみたりという状態はいちばん救い難い心です。いついかなる時もいつかはチャンスが必ず自分にも巡ってくると信じてトレーニングに励める強い精神力こそが野球の世界でも大切で知力、体力よりも精神力が求められます。

2009 01 07 [心と体] | 固定リンク

2009年1月 3日 (土)

無職にて天下の大地を踏みしめる

仕事を失い天下にひとり立つ。そんな素敵なことはない。無限の可能性を手に入れたのだから、誰にも邪魔されず、上司に文句も言われず、ただ己の信じるままに天下に行動を起こすことができる。己の力量次第でどんなにか大きなことを成すかわからない。無職とはそんな状態を指して云う。

僕は23歳、31歳、45歳の3度、無職になったことがある。23歳ではお金に困って魚の行商を始めたが、これがビジネスの基本を叩き込んでくれた。31歳では有り金全部をもってアメリカに行ってきたがアメリカも日本も同じ人間だと痛感して帰ってきた。45歳では残された人生を何か人のためになることをして過ごしたいと思った。

23歳の時は悲しかったが、その悲しみはこれからの不安でしばらくして悲観の中にビジネスの夢を見るようになった。多額の借財に絶望していたが、その絶望の中にやり抜いてみせるという希望を見つけた。31歳の時は2度の離婚でさすがに何もヤル気が起きなかったのでアメリカに行った。

ロスアンゼルスのサンタモニカの海岸で失恋して無職になってしまった黒人と出会った。落胆している彼に僕の洋服の番を頼み、僕は西海岸の海を泳いでいた。一緒に食事をして話をしていると日本人となんら変わらない同じ人間だとつくづく思った。たくさんのアメリカ人と友達になりアメリカで商売もできるという自信を持った。

アメリカで興味を持ったウインドサーフィンを帰国してから始めようと仕事は夜で済ませる学習塾にした。学習塾に夢と希望を抱いていたわけではなく、自己都合でそうなっただけで勉強も風次第で、いい風が吹いているといつもビーチに行っていた。子供たちにとって僕は先生ではなく何でも相談できる物わかりのいい兄ちゃんだったろう。

45歳の時は自分が覚悟を決めて無職になり1年ほどは考え悩み続けた。こんどこそ仕事に命を吹き込もうと思っていた。社会人教育の必要性を感じてパソコン教室を始めることにした。僕は3度ともに自分で風を起こすことで自分を活かしてきた。無職なら自分でどんな風でも起こせる。おのれ自身を見失ってはいけない。

2009 01 03 [心と体] | 固定リンク

2009年1月 2日 (金)

父よあなたは偉かった

子供の将来を憂い思わず子供に厳しくしつけてしまう親は多い。その親の厳しさが理解できるのは自分が親になり子育てに悩み疲れ果てたときだろう。僕の親は厳しかったが親と一緒に暮らしているときはただただ憎らしい存在でしかなかった。毎日のようにぶん殴られる生活に殺意さえ抱くことすらあった。

若い頃の僕は親の力などなくても自分の力で何でも乗り越えられると信じていた。世の中は自分の実力次第でなんとでもなると信じていた。とくに学生の頃は知識に溺れているので始末に悪い。勉強さえしていれば自分よりも成績の悪い奴より社会で成功できると信じていた。それらが崩壊するのは就職してからだ。

成績が振るわない奴でも親の会社を継いだ奴はしっかり素晴らしい経営者になって収入も良くなり人格も備わっていた。親の助けをうまく利用して社会人になってからスキルアップに努め資格を手にして立派になっていった奴もいた。悪さばかりしていた奴でも無一文から会社を立ち上げて成功している奴もいた。学校の成績とは多くの場合関係のない世界だった。

魚の行商をしていることを知っている両親はどんなにか僕を助けたいと思ったことだろう。他人から「あんたの息子さん、魚売っていたわよ。なんとかしてあげたらどうなんよ」と非難されたことも多々あった。それでも両親は近くでひとり住んでいる僕に何も言わず何も助けずジッと耐えていた。そんな関係が10年も続いた。親父がとてつもなく偉い親だったなと思うのは親父が死んでからだった。

2009 01 02 [心と体] | 固定リンク

2008年12月30日 (火)

君は自分の仕事を感動をもって語れるか!

自分の仕事を涙で語る人々がいる。「BUNちゃん先生と出会って、オーナーに出会い、私は生まれ変わりました!」と語ってくださる。人はそれぞれ順風満帆で生きてきたわけではない。暴風雨に出会い、吹きっさらしの中で寒さに凍え震えが止まらないこともあっただろう。浮遊する流木のようにどこに流れていくのかさえ分からないこともあっただろう。

誰もがそんな中でとある会社に就職し、そこで運命的な出会いをする。「君は自分をもっともっと褒めてやらなければ・・・」自分が褒められる存在だなんて、期待されている存在だなんて、そして愛情いっぱいに厳しくもある上司や社長に出会う。多くの人に、そしてご両親に感謝できる人に変わっていく。気がつくと自分の仕事や会社を熱く語っている。

立ち上がり胸を張って両手を広げて暴風を受け止めている自分に気がつく。傷つくことを、失敗することを恐れない自分がいる。そんな成長をさせてくれた会社や経営者や上司がいる出会いのある場にいる幸せをかみしめながら熱く感謝にうち震えて喜びに溢れて語ってくれる。ともに目標を持って感謝して生きることほど幸せを感じるものはない。

2008 12 30 [心と体] | 固定リンク

2008年12月28日 (日)

夫婦関係は熟成される

夫婦と云うのは結婚当初はホットな関係だが半年もすると冷めてくる。しかし、3年、7年、10年と経つうちに熟成されとても良い味になっていく。いつも一緒でなければ寂しくて悲しくて切なくてなんてのは夫婦では初級段階で、20年近くなると一緒にいなくても寂しくなく悲しくなく切なくないがお互いに存在を認め合っている空気のような存在になる。

稼ぎが少ない父ちゃんが誰よりも愛おしくなるし、しっかり太って家事をしている母ちゃんが世界一の女だと思えるようになる。いろいろな苦労をかけてすまないねと言えない父ちゃんのことを分かっている母ちゃん、「あんたが私には世界一の父ちゃんだよ」と言ってくれる母ちゃんに励まされて心が温まる夫婦になっていく。

危なっかしいと思っていても、自分たちもあの頃は危なっかしかったねと納得して優しく子供の成長を見守る夫婦。夜中に二人で散歩しているだけなのにお互いに「ありがとう」と言い合っているのがわかる夫婦。このあたりが中級で、「あんたとまた一緒になってあげる」と墓石の前で言うようになれば上級の夫婦だろう。

2008 12 28 [心と体] | 固定リンク

2008年12月26日 (金)

メリークリスマス

子供たちや妻は僕に「ありがとう」と言ってくれる
ただそれだけが僕には最高のクリスマスプレゼント
来年もそうなるように生きることが僕の喜び

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2008年12月25日 (木)

干渉しない愛情

僕は22歳で離縁した妻の家から多額の借財を一人背負い一人息子を置いて出た。毎月の返済額は僕の月収をはるかに超えていたので両親に助けてもらおうと相談に行った。しかし、僕の父は僕が一番困っているときに何の助けもなく「お金で困っている奴にお金をやってもまたせびりに来るだけだ」と冷たく突き放してくれた。

おかげで返済が完了するまでの10年間、僕は両親を恨んだが返済が完了し、久しぶりに実家に寄って報告しに行ったとき、あの夜父が泣きながら母に「今から家にある金を持って息子の所に行ってやろうか」と話したこと、それを母親が男が一度決めたことは何があっても変えてはならないと諭したと聞いた。たとえ、息子が死んでも厳しい親の愛情を貫くと決めたそうだ。

おかげでサラリーマンを辞めて魚の行商に転じ、行商で培った人脈を生かして下着の販売、洋品の販売、2件の洋品店を開き、チラシの請負仕事、服飾メーカーを初めて都内に卸し、化粧品店の開業と10年間でいろいろな経験をすることができた。親は子供に干渉するのが大好きだが子供を突き放していっさい干渉しない愛情ほど辛くて苦しいものはない。あえてそれを選んでくれた自分の親に感謝。

2008 12 25 [心と体] | 固定リンク

2008年12月24日 (水)

夢を追いかけてたくさん泣いた分だけ成長するものさ

僕は30歳から45歳まで進学学習塾を16年間経営していた。毎年年末になると進路を決めなければならないのでご両親と生徒を交えて進学相談会を開催する。大学受験は数校受けるし全校不合格になる確率は低い。しかし、中学受験や高校受験は本人やご両親のたっての希望もあり受験校の選択は難航する。

受験生が真剣に勉強し始めるのは最終学年の秋以降で周りが受験モードになってから真剣に勉強し始める生徒は地域でいちばん難易度の高い中学や高校には進学できないことが多い。地域一番校は1年以上前から受験を目標にコツコツと勉強できるタイプの子供が合格しやすい。まさに継続は力なりである。

自分が担当している受験生が第一志望校に不合格となり落胆して報告してくれるが、「いいか、人生に失敗はないんだよ。この不合格はきっと君の人生で大きな収穫となる。決して落胆せずに胸を張って生きるんだよ。挑戦したことが君の最高の誇りで、結果はいつでも取り返せる。」と激励する。

先生とは真剣になればなるほど苦しみも大きいしご両親や他の先生からご批判を仰ぐことも多くなる。子供たちの大それた夢を追いかけることを最初から大人が寄ってたかってアキラメさせて子供が得るモノよりもみずから選んだ夢を追いかけて潰れて泣いたことから得るモノの方が大きい。

僕は子供たちのバカみたいに思える夢が大好きで「宇宙飛行士になりたい」「F1ドライバーになりたい」「大会社の社長になりたい」「俺は大金持ち」・・・などいっぱい朝まで僕に語ってくれた。そのどの夢にも僕は真剣に耳を傾けどうすればその夢が叶うのかをアドバイスしてあげた。子供たちの眼がキラキラしていたがご両親からはよく叱られた。

そんな子供たちもすでに20歳から40歳になり街で出会うと良きパパやママになっている。進学校で彼らの将来が決まるわけでなく、彼らが誰に出会うかでその後の人生が大きく変わるということだけは分かる。先生は生徒の人生を変えうる力を秘めている。いまでは年齢に関係なく多くの生徒を抱えているが僕は昔と変わらない。

2008 12 24 [心と体] | 固定リンク

2008年12月22日 (月)

僕の万年筆を買ってくれませんか

僕が保育所に通っていた頃、家に男子高校生が訪ねてきた。僕が応対すると親に会いたいというので僕は内職をしている母を呼んだ。その高校生は学生服のポケットに差している万年筆を取り出して「この万年筆を買ってくれませんか」と言った。

まじめそうな学生で親の仕送りが途絶えて生活費に苦労しているとのことだった。僕の家も貧乏でお金などなかった。事情を聞いた母はその学生に「今日からこの家に食事をしに来なさい。その万年筆は親から頂いた大切なものでしょうから大事にしまっておきなさい」と言った

母は家にある食べ物を包んでその学生に渡していた。おかげで夜の食事は茶粥だけとなってしまったが何か良いことをしたという気持ちになっていたので空腹感はなかった。僕もその雨漏りのする古い木造校舎の高校生になり彼は政治家になった。

2008 12 22 [心と体] | 固定リンク

2008年12月21日 (日)

空を見上げて汗を拭き、大地を見つめて生きる

企業の業績が悪化すると経営者は売り上げの増加策を検討する。営業に走り回り少しでも売り上げを伸ばそうと努力する。それでもダメな場合、悪化する業績に応じて規模を縮小するための経費削減を検討する。出張費や事務所の移転縮小、営業所の廃止や社用車の売却などを実施する。しかし、それでも業績が回復しない場合は人件費の削減に着手する。

人件費の削減には残業の廃止を最初に行い、それでもダメなときは派遣社員の契約を更新せずパートや契約社員の仕事量を削減し、様子を見るが業績がそれでも悪化するようであれば1か月前に解雇通知を行う。それでもダメな場合は正社員の解雇が始まり企業の存続をはかる。企業にとって解雇は最後の手段であり非上場企業の経営者はその苦しみに心を病んでしまう。

僕は職を失った時、お客様や取引企業から幾つかのお誘いがあった。地元企業からのお誘いもあったがすべてお断りして魚の行商という自立の道を選んだ。多額の借財の返済があったからで高収入のチャンスが少しでもある道を選択した。僕が幼い頃、終戦で焼け野原の故郷に立ち、何もない中で家族を養うためにリヤカーを引いて行商している多くの人々を見てきた。

大阪市千林商店街で開業したわずか3坪のお店ダイエーだって日本一のスーパーになっていった。戦争の苦しさに比べたら今の苦労など苦労の内に入らないといつも笑顔で働いていた。自転車の後ろに木箱を積み上げて魚の行商しているおじちゃん、リヤカーに野菜を積んで販売しているおばちゃん、みんな貧乏でその日暮しなにの笑顔で逞しかった。辛いことは胸の内にしまって空を見上げて汗を拭き、大地を見つめてリヤカーを引いていた。


2008 12 21 [心と体] | 固定リンク

2008年12月18日 (木)

誰がそこまで言ってくれる

親は子供の行動に責任があり、犯罪を犯したり人様にご迷惑なことをすれば「親のしつけがなっていないからだ」と言われ、家族や親族にまでその非難は受けなければならない。友達であればそんな責任はなく非難されることもない。必然的に親は子供の行動には厳しい指導をするようになり責任のない友達は人当たりの良いことしか言わないようになる。何か事があれば親が子供の面倒を引き受けなければならないのに対し、友人はその面倒に金銭的な負担を負わなければならないことは一切ない。

大人になるとその付き合い方はさらに希薄になり、面倒なことは一切言わなくなる。誰が嫌われるかもしれないのにあかの他人に真剣に叱るだろう。「君はここを直さなければいけない」と心から叱ってくれる人がひとりでもいる大人は幸せな人で、ほとんどの場合何をしても「そうだよね」と人当たりの良いことしか言わない。そうした人当たりの良い人との付き合いばかりになると私は充分これで満足だと思うようになるが、実際は多くの人に迷惑をおかけしていることがほとんどだ。

厳しいことを言ってくれる人がいる大人は生き方に張り合いを保ち続けている。厳しい自己目標を絶えず意識するようになるし怠けているとすぐに指摘され修正を求められるからだ。それを嫌味や苛めだと受け取るか、自分の修正すべき点だと気がついて真剣に修正して生きてみるかは受け手の人の器次第だ。軌道修正できる人間は成長していくだろうし苛めや嫌味と受け取る人は自分の世界に閉じこもりいつまでも軌道修正できないので違った方向に益々進んでしまう。

僕の人生は軌道修正の連続で、いつも指摘されたり暗示されたことから自分の反省材料を認識してすぐに修正するようにしている。感情的になる時間が無駄に思えるからで、すぐに修正して良い結果を得られればその方が自分にとって得だからだ。人生は限られていると思えばすねていたり怒ったり落ち込んだりしている時間がもったいないと思えるようになる。とにかくやってみてどのような結果が出てくるのかを知ることの方が面白い生き方だと僕は思う。

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2008年12月17日 (水)

社長の能力以上の従業員は採用できない

企業経営者は自分の能力以上の従業員はほとんどの場合採用できないし採用できたとしても転職・独立していくことを知らねばならない。企業経営者よりも能力があれば面接時点で見切りをつけるだろうし、就職しても企業のアラが目立ってヤル気を失くし転職するか独立していくだろう。退職してどんどん成長する元従業員などはその典型だ。

企業経営者は優秀な人材が欲しいと言うけれども優秀な人材が欲しければ優秀な人材が就職したいという経営者にならなければいっしょに働いてはくれない。真剣に企業のことを思い現場を回り労をねぎらい働きやすい環境を絶えず創出していき業績向上への明確な方向性を示せるように勉強し人脈を構築する。

企業経営者である自分を高めておけばたとえ企業規模が零細でも優秀な人材はやってくる。優秀な人材は自分の才能を発揮したいので企業規模にはこだわらず何をさせていただけるのか、どんな経営者なのかに興味を抱いている。企業経営者はいつも自社のスタッフを研修して能力を高めているが自分自身を高めなければ見切られる。

三国志で有名な蜀(蜀漢)の初代皇帝劉備がひとり立ち、黄巾の乱に際しての関羽・張飛という最高の武将との出会い、諸葛亮との出会いと三顧の礼を尽くしての参謀入りなど優秀な仲間を集めていくプロセスは現在の企業活動でも同じこと、ともに大志を持ってその時代を生き抜き、民衆のために時代を駆け抜けるからこそ多くの人々に愛されるのだ。

2008 12 17 [心と体] | 固定リンク

2008年12月12日 (金)

今日の私はとても素敵

僕はかつて25歳前後のキャリヤウーマンを対象にしたブティックを経営していました。そのとき、どんなに美人でスタイルが良くても着映えのしない女性がいることに気が付きました。姿勢が悪いので素敵な洋服がよれよれに見えてしまうのです。反対にスタイルや容姿に自信がなくても笑顔で姿勢が良い女性は洋服がとても素敵に見えることも発見しました。洋服はその人の姿勢を現わしているのです。

昔、ファションモデルが洋服の着こなしのアドバイスをしてくれました。「洋服を着こなすには自分が生きていることに自信を持つこと。そのためにはいつも努力を惜しまずに生きることよ。」彼女は痩せることや脚の長いことや背筋を伸ばすことではなく生きている自分に自信を持てとアドバイスしてくれたのです。これには驚きを感じましたがさすがはプロのモデルだなと感心しました。

どんなに他人から思われようとも蔑まされようとも自分はいつも自分を褒めてあげることができます。仕事で疲れたり嫌味を言われたり、恋人に裏切られても「今日はよく頑張ったね。今日の私はとても素敵」と自分自身を褒めてあげてください。どうせ自分はたいしたことのない人間だものと諦めないでどんなことでもやってみればカッコ悪いかもしれないけれどやらないよりはましと言い聞かせてあげてください。

2008 12 12 [心と体] | 固定リンク

2008年12月11日 (木)

お互いの感情は鏡のように映し出される

子育てに苦しんでいる親は多いが、それと同じ数の子供が親に苦しんでいる。お互いの感情は鏡のように映し出されるからで「どうしてあの子は・・・」と思うように「どうしてお母さんは(お父さんは)・・・」と思っているものだ。親の期待が大きいほど子供は自分を見失いそうになり激しく抵抗する。自立しようとしてもがいている子供に無償の愛情を持って見守ることがいちばんだろう。

2008 12 11 [心と体] | 固定リンク

才能よりも意志と継続こそが大切

100mを10秒以下で走ればオリンピックで金メダルを取るチャンスがあるが20秒もあればほとんどの人は100mを走りきる。せいぜいその差は2倍程度で人間の能力に数倍の差はない。ただホンの少しの差であっても継続すれば日にちが経つにつれて大きな差になって表れてくる。

何としてもやりきるという強い意志と日々の継続があればホンの少しの差であっても大きな成功を収めることができる。才能よりも意志と継続こそが大切だと思う。才能がないからと嘆いている人でも、毎日ホンの少しでも挑戦し続けていれば2~3年もすれば大きな差となって表れてくる。

2008 12 11 [心と体] | 固定リンク

2008年12月 9日 (火)

職人としての誇りってなんだ

僕のおじさんは和食の料理人だった。おじさんは独立して繁盛する料理屋を経営していた。僕は保育所の年長者の頃からおじさんの調理の仕事を手伝い、いろいろなことを教えてもらった。料理人は自分の腕を磨くことは当然だが、慢心をおこすとお客様は自分が調理したものを黙って食えばいいと思ってしまう。しかし、プロの調理人はお客様が最高の気分で「ありがとうございました」と美味しさを感謝の言葉で語ってくださるように調理するものだと教えてくれた。

お客様が変われば自分の調理も変える変幻自在が必要で、それができるのが本当のプロだと語っていた。商売繁盛の秘訣は最高の腕を持ちながらひとりひとりのお客様のご要望をお聞きしてお客様が最高の満足を得るようにアレンジして調理して差し上げることでお客様のご満足を得ることのない商売は繁盛しない。頑固にならねばならぬことと変化に対応しなければならぬことを見誤ると繁盛しないお店になり多くの人に迷惑をかけてしまう。

おじさんはまた自分のことを知っていただくために商店街に立ち自分の手書きのチラシを持って手配りしていた。プロはお店に来てくださるお客様に調理するだけではダメで、ここに自分がいてお客様のお気に召す最高の料理をお出しできることを知っていただく作業を怠ってはいけないと教えてくれた。料理人の恥だと陰口をたたかれても毎日のように商店街の一角で手配りし続けたがその積み重ねがなければ繁盛店を創れないと教えてくれた。

2008 12 09 [心と体] | 固定リンク

2008年12月 8日 (月)

天国から地獄へは早いですなぁ

和歌山県は磯釣り川釣りのメッカでもあり週末には多くの釣り人が関西一円からやってくる。毎週のように大阪からやってくる67歳になる釣り人はタクシーの運転手で15年前は手取り27万円あったそうですが今では16万円程度になり年金暮らしでなければタクシーの運転手はやっていけないとこぼしていました。

この釣り人は大阪生まれで工場で働き腕を磨いて会社を立ち上げ順風満帆に業績を上げていましたがバブル絶頂の頃会社を広げて失敗したそうです。その頃は100万円が小銭に思えたそうで、大阪ミナミの繁華街で派手に飲み歩いていたと話してくれました。バブル崩壊とともにあれよあれよという間に赤字になって倒産してしまったそうです。

赤字になっても今に良くなると思い込んでいたそうで多額の借金を重ねてしまったそうです。会社を起こした当時の謙虚さがなくなり作れば売れる置けば売れる時代になり商売を甘く見てしまったと反省していました。「天国から地獄へは早いですなぁ、私のような者は経営者には向いていませんなぁ」と笑いながら話していました。

2008 12 08 [心と体] | 固定リンク

2008年12月 5日 (金)

これは嫌だ、あれはできない

戦後日本に引き揚げてきた人々は一面の焼け野原を見て落ち込んではいなかった。戦争が終わりこれで平和に家族と暮らせるという嬉しさがあった。仕事を探しても会社自体がない。彼らは食料を求めて海に出たり山に行ったり・・・。僕のお父さんは田舎の河で魚をとって闇市で売っていた。行商人ではあるが立派な個人事業主に誰もがなっていった。

家族を養うためには仕事を選別している余裕などなかった時代、多くの人はリヤカーに作物や魚などを積み売り歩いていた。誰もが貧乏で餓死しそうな人をみると自分のなけなしの食べ物を提供して励まし合っていた。バラックのような家に住み、ベコベコになった鍋でお粥を作り、ちゃぶ台で一家が粗末な食事をした。たった50年ほど昔の日本にはそんな光景が当たり前だった。

職を探して職があればいいが職がなければ落ち込んでいても腹を立てていてもしょうがない。手に職をつけるよう勉強するか独立するよう知恵をしぼるか今の世の中昔に比べれば恵まれている。愛すべき人を守るためにも自分のプライドや恥を捨てていちから出直すことだ。焼け野原の日本でも人間生きていけたんだもの何とかなるものさ。

2008 12 05 [心と体] | 固定リンク

2008年12月 4日 (木)

僕は真剣に生きてみたいんだ!

自分の職場を誇りあるものにするのも後悔するものにするのもそこで働くひとりひとりの自覚で決まる。誰もヤル気のない職場に就き真剣に働こうとすると「目立ってどうする」と叱責を受ける。そんな職場にいると頑張ろうとする意欲が薄れていく。ヤル気のない従業員ばかりの職場にいることすら嫌気がさして自己嫌悪になる。

そんな会社でも信頼してくださるお客様がいる。いつも感謝して頭を垂れてくださる。そんなお客様に対してヤル気のない対応をしていることに腹立たしさを覚えて会議の席上で「僕たちはお客様をバカにしていませんか。僕たちを信頼してつきあってくださるお客様が誇りに思ってくださる職場だと胸を張って言えるでしょうか。」

「お客様は僕たちを信頼してくださって真剣につきあってくださっている。僕たちも真剣にお客様と向き合ってつきあおうではありませんか。僕たちのお客様が誇りに思える会社にしようではありませんか。」発言している間は涙がこぼれてくる。職場は生きることに真剣になりたいと思う社員が役職に関係なくひとりでもいれば変わる。

「僕は真剣に生きてみたいんだ!」と自覚したときから成長は始まる。真剣に生きるとは自分がやりたいことをたくさん我慢する生き方でもあるが、我慢して一歩一歩努力することで月日が経てば大きな成長になっているものだ。そう思って生きている人が将来、成功者だと評価され多くの人から尊敬を受けるようになる。

2008 12 04 [心と体] | 固定リンク

2008年12月 3日 (水)

くそ!見返してやる

凡人が自分のやりたいことだけやって生活していると怠惰な生活に陥りがちで、テレビ、ゲーム、友人とのたわいのないメール交換、ごろ寝、インスタントな食事、部屋でジッとしている毎日になりがちだ。「自分のやりたいことをやればいい」と言われても今で充分自分がやりたいことをやっている。周りの人が心配しているように自分もこれでいいのかと心配している。

こうした生活には高い目標も使命感もないので心底悔しい思いをすることもない。片思いの人ができて愛を告白したときに「今のあんたに私が養えるの、私をバカにしているの」と一喝されるとか、生活するお金もなくて親にお金をねだりに行って「お金がないなら死んでしまえ」と追い出されたり、友人から「おまえと俺とでは勝負にならない」と無視されたり・・・こうした悔しい思いに出会って変わろうとする。

「くそ!見返してやる」悔し涙は今の自分の不甲斐なさに気がついた瞬間でもある。モーレツに勉強する人もいるだろうし、トレーニングに集中する人もいるだろうし、仕事に真正面から向き合う人もいるだろう。気合いの入った生活がそこから始まる。悔しい思いをすれば明確な目標が決まる。今までは自分のやりたいことだけだったものが誰かを見返してやるという意識に変わる。

その意識で突っ走った人が見返すことができるような自分になった時に他人のことも考えられる自分に変わったことに気がつく。凡人が変わる瞬間は今の生活を強烈に否定されとても悔しい思いをしたときで、最初から崇高な思いで努力できる人は少ない。順当に成功への道を歩んでいる人も少ない。成功者だと言われるほとんどの人はとても悔しい思いをしてヤル気のスイッチが入ったのである。

2008 12 03 [心と体] | 固定リンク

2008年11月29日 (土)

すべての仕事は誰かの役に立っている

就職はしたものの望んでいるような仕事ではなく嫌々ながら業務につく。嫌々なので誰も認めてくれず同僚がどんどん出世するのを見ながら自分は窓際族になってしまう。あと少し我慢すれば定年退職だとヤル気のない仕事につく毎日が続き、やっとの思いで定年退職。さあこれで自由だ!これからはすべてが自分の時間となるというのにちっとも嬉しくない。

ふと気がつくと会社に行きたい自分がいる。あれほど嫌っていた職場なのに今は憧れすら感じ夢にまで見るようになる。「あ~もう一度あの椅子に座り職場の皆といっしょに働いてみたい」ヤル気がなくやってきた仕事なのに退職するときは職場のみんなが感謝してくれた。そうだ、こんな私でもみんなの役に立っていたんだ。誰かのために尽くすことが仕事なんだ、それが喜びなのだと気がつく。

さて、もう戻れないならばと転職先を探したが何しろ評判はすこぶる良くない。こうなれば自分で会社を興すしかないと起業した人がいる。毎日仕事があることのすばらしさ、うれしさ、楽しさを知ったので積極的に笑顔で仕事をこなしていく。自然と業績は向上し、会社はどんどん大きくなっていく。かつての同僚が驚いて訪ねてきてくれる。「僕はどんなにつまらないと思える仕事でも誰かの役にたっているということをやっとわかったんだよ」

2008 11 29 [心と体] | 固定リンク

2008年11月26日 (水)

恩を仇で返す(おんをあだでかえす)は世の常である

僕がお金の無心に伺ったときに父が教えてくれた「酒飲みにこれで終わりにするからと酒をめぐんでやると、酒飲みは酒を断つどころかまた酒をくれと言ってくる。酒飲みのことを本当に思うならどんなに憎まれても最初から酒をやらないほうが愛情ある行動だ」そういってお金の支援を断った。その時は父を恨んだが10年後父の素晴らしい愛情を心から感じた。

お金で困っている人に出会うとついついお金を恵んでしまうことがあり、その後もまた恵んでくれるのではないかと催促され今度はお断りするとたいそうお叱りを受けて父の言ったことが真実だと思い知らされることがあった。お金で苦しんでいる人にお金を恵んであげることは本当の愛情ではないと実感し、最初からお断りする方がすっきりと人間関係を保てるものだと思った。

服飾メーカーをしている時も代金の支払いを滞るお店から支払の遅延のお願いをされて許したが、翌月も、その翌月も支払いがなくこれ以上待てないと言うと「あんたはそれでも人間か!」とひどく叱られた。支払いを待っている方が叱られて支払わない人が怒っているのは本末転倒だと思えるが世の中は恩を与えた方が感謝されることなく仇で返されることが多々ある。

ビジネスをしているとどこで恩を与え、どこで厳しくするのかの判断を誤ることがある。恩を与えることはできる限り避けることが基本だろうし、恩を与えるときはこれっきりにするのも基本だろう。また、恩を仇で返される危険をいつもリスクとして感じ、その場合の対処方法も考慮しておかねばならない。その対処が大きいまたは見つからない場合は最初から恩を与えないことだ。

2008 11 26 [心と体] | 固定リンク

2008年11月18日 (火)

徳は10に分類され「十徳」となる

五徳は 仁(じん)=博愛、他人への思いやり 義(ぎ)=道理を守る、恩に報いること 礼(れい)=社会生活上において形式、言動、服装など守るべきこと 智(ち)=学業に励むこと 信(しん)=嘘をつかず人を信じることとなり、さらに5つを加えて十徳となります。

追加されるのは、考(こう)=親の言いつけを守り親に尽くすこと 悌(てい)=兄弟仲良く助け合い、優れた者を認めよく従うこと 忠(ちゅう)=主君によく仕え正直であること 勇(ゆう)=勇気を持って事に臨むこと 和(わ)=争わず冷静に対処すること の5つになり合わせて十徳となります。

最初の5つは自分自身の考えや行いになりますが、あとの5つは対人関係に関する事柄になります。親を大切にし、兄弟仲良く、目上の人を敬い、勇気を持って、冷静に事にあたれということになります。こうした教えが有史以前から伝わってきているのは誰もが大切だと思えるからでしょうね。


2008 11 18 [心と体] | 固定リンク

2008年11月17日 (月)

幸せは人が与えてくれるもの

人が羨むような洋服を身につければ誰もが私を羨んでくれる。人が羨むような車に乗っていれば誰もが私をカッコイイと思ってくれる。人が羨むようなマンションに住めば誰もが幸せだろうなと思ってくれる。一流ブランドの服を身に付け、高級車に乗り、高級タワーマンションに住んで誰もが羨ましいと言ってくれるのに幸せを感じない人は多い。

他人が羨ましいと思っていることはすべて達成できたと思っていてもそれは見た目のことであって見えないものは何もできていない。見た目の最高をいくら求めても物質的なものは外見でしかない。見えない中身が大切なのに中身が何かすら分からない。見えない中身とは人間関係で、すばらしい人間関係が幸せを与えてくれる。

「誰かのために何かをしてあげる」その積み重ねが私を幸せにしてくれる。それは外見ではなく内面のことなので目には見えない。しかし、内面を磨けば確実に幸せを感じることができる。私にいちばん近い人から大切にして尽くしてあげる。私を知っている人に優しく慈しんであげる。多くの人の期待に応えてあげるよう努力するだけでいい。

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2008年11月16日 (日)

徳を積めってなんだろう?

儒教ではいろいろな解釈があり、そこが儒教の奥深さになっている。「徳が大切だ」と言われても徳ってなんだろうと思う。徳は五徳といって仁(じん)=博愛、他人への思いやり 義(ぎ)=道理を守る、恩に報いること 礼(れい)=社会生活上において形式、言動、服装など守るべきこと 智(ち)=学業に励むこと 信(しん)=嘘をつかず人を信じること の五徳(五常)を積み人間関係を良くしていくことだと言われている。

思いやりや恩義のある方に報いるように行動することが大切だということはよく分かる。礼を尽くすとは現在は目上の方に失礼のないように振る舞うことだと認識しているが、それ以外にも冠婚葬祭ではそれぞれ適した服装や言動があるのでそれを守ること、職場では職場のTPO(Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)にあった服装や言動ということになる。

学業に励むことも徳を積むとはどうだろう。知性は人を思慮深くし思慮深い行いは他人の感謝に結びつく。智とは単純に知識という意味ではなく知識を活用して人々のために活用できる能力の意味を含んでいる。嘘をつかないこと他人を信じることはなかなかできるものではないが、不信を持つよりは前向きな生き方に違いない。僕はこう解釈しているがあなたなりの解釈をしてもいっこうにかまわないのが儒教の面白さだ。

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2008年11月15日 (土)

他人は自分とは違うことを肝に銘じておくことだ

自分の考えを他人に押し付けるのは余程自信があってもすべきではない。他人は自分とは違った考えを持って生きている。自分の考えを述べるときは相手の考えを受け入れる余地を残しておくのが礼儀だと思う。親が子供に、子供が親に、社長が従業員に、従業員が社長に、ご主人が奥さまに・・・いろいろな立場でそれぞれが自分の考えを押し通そうとする。

これがいちばん良いことだと思って断言していても言いだしっぺの本人が考えを急に変えることもある。聞いていた人の信用をいちばん落とす行為だが言いだしっぺの本人は何が気に入らないのかよく分からない。目上の人がよくこうした行為を行い目下の人の信用を失くして失墜する。最近は目下の人が目上の人にこうした行為を行って反省できずに拗ねている光景を見たりする。

周りへの配慮に気を配り相手の考えを受け入れてから自分の考えを提案する。あるいは自分の考えを提案してから相手の考えを聞くようにする。たとえどんなに素晴らしい提案であっても相手が受け入れようとしないとき、感情的に受け入れさそうとするのは横暴としか言いようがなく最悪の結果を招くことは往々にしてある。他人は自分とは違うことを肝に銘じておくことだ。

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2008年11月14日 (金)

自分のために自分を演じる

誰でも今の生活を捨てたくなったり、今の役柄=自分をやめたくなることがある。良いお母さんでいることが嫌になったり、良い夫でいることに疲れたり、良い子供でいることが嫌になったり、良き上司でいることに疲れたり、期待されることを避けようとしたり・・・最初は良い自分でいよう、期待される自分でいようと努力したのに、そう評価されると急に嫌になってしまうことがある。

「自分を演じることに疲れてしまう自分」独りでいたいと思い、誰もいない場所や知らない人ばかりの街に行ってみたりして自分をしばし忘れてみる。自分を認めてくれる人がいる場合は、精一杯期待される自分を演じることに再チャレンジできるが、誰も期待していないことが分かると精一杯演じる自分に耐えきれなくなり心が壊れてしまう。感情的になり落ち込むか怒りを爆発させているか泣きじゃくっているか死んでしまいたいと・・・。

僕は誰も認めてくださらない場合でも感情的にならず、そっと礼を尽くしてその場を立ち去るか、それでも黙って自分を演じ続ける。それは、自分の誇りであり自分が生きているという証しでもある。無視されても、悪意を持って評価されても、罵声を浴びても、それでも僕は自分の誇りを持って自分を演じようと必死になって努力する。それだけが自分を自分であると誇れる唯一の方法だと思えるからだ。

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2008年11月11日 (火)

富潤屋、徳潤身・・・大学より

儒学の経典「礼記」にある「大学」の中に「富潤屋、徳潤身」という教えがある。「富は家を潤し、徳は身を潤す」という教えです。富を得て家が繁盛していても幸せを感じていないことがある。徳を積んでいないから心が不安定でいつもカリカリしているのかも知れない。しっかりと徳を積んで立派な人物にならねば幸せは感じないものだと先哲が教えてくださっているのだろうと思う。

京都市東山区に幕末維新ミュージアムがあり、その近くの霊山護国神社の中に坂本竜馬の墓がある。ひっそりとした質素なお墓は如何にも坂本竜馬らしい。この近くに「京大和」という料亭があり、そこの「紅葉の間」に「徳潤身」という扁額がある。この家屋は幕末の頃、勤皇の志士や三条実美らが密会を重ねた場所で、三条実美の直筆で「翠紅館」と書かれた扁額もある。

どの書も大変力強い筆使いで気迫が満ちている。立身出世や名声を得ようとして生きる人々が多い中で私利私欲よりも日本の行く末を憂い、形式や格式にとらわれず、身分に左右されず、才能ある者が才能を発揮できる役に付け、諸国万民が幸せになれる新しい日本を創ろうと立ち上がった若者によって今の日本が創られたと思うととても感慨深い。

2008 11 11 [心と体] | 固定リンク

2008年11月10日 (月)

父として子供をただひたすら愛す

高校2年生になる息子は理系クラスで難儀している。父である僕は朝から大阪で一人暮らしの息子のアパートに行き、二人で昼食をとり、数Ⅲと物理を教え、お買い物をして夜の食事をした。子供が問題を解いている間、僕は部屋の掃除をしていた。とてもつつましい生活をしているキッチン、便所、お風呂、寝室、洗濯物をたたんだり、書籍やノートを整理したりしていた。

成績のことでこれまでいちども叱った事や目標を指示したことはないが、理解し難い個所では助け船を出すようにしている。数学や物理など理系の教科は同じ考え方をしていることを教えて解答する為の考えをまとめる。漸化式の考え方や極限という考え方が自然現象ではどのように捉えられているのかを話してあげる。僕が高校二年生の頃の恋愛話もしてあげた。

子供が演習問題を解いている間、僕は息子の部屋をピカピカに磨いていたがとてもうれしかった。男の一人暮らしなのでとても汚れているが、その汚れを落としていることが父として息子に奉仕できている喜びを与えてくれた。帰り際、息子は僕に感謝して「ありがとう」と言ってくれた。「今日はとてもうれしい気分にさせてもらいました。お父さんこそありがとう」と言って帰ってきた。

2008 11 10 [心と体] | 固定リンク

2008年11月 7日 (金)

無計画な行動は成果に結びつかない

無計画な受験勉強は不合格になりやすい。苦手科目は夏までに克服しなければ秋以降は希望校の過去問題に挑戦できなくなる。ビジネスでも来月の販促計画を立てていると間に合わないことが多く、2カ月前に済ましておかねばスタッフのシフト、折り込みチラシなどの手配ができない。事業部ミーティングで来月の予定を立てましょうと言っている幹部はすでにビジネスでは負け組なのだ。

僕は出張日程など1~2か月前にほとんど立て遅くとも2週間前にはチケットやホテルの予約などは完了している。1週間前にたてる計画など無謀に思えるし、直前にたてる計画は自分が思い付きだけで行動しているということを露呈しているにすぎない。儲かっていない企業に多いのは年間計画や四半期ごとの事業計画の修正、資金繰り表や損益計算書、特に経費の検証などができていない。

思い付きだけで出張して忙しいと思っていても業績がそれに伴っていなければ無駄な経費でしかない。ビジネスは投資に対する回収がいつも上回っていなければ赤字なのだ。他企業との付き合いや法人会の役員などを務め出張ばかりして自社の現場をおろそかにしている経営者は間違いなく自社の業績は悪い。思い付きだけで行動すると忙しくなるが期日を守れないことが多い。

ある業界団体の副理事になり毎週出張していた地元の優良企業の社長は5年ももたずに衰退してしまった。役員を引き受けるなら社長を降りてから引き受けるべきだったと今は反省しているが業績が良くなるタイミングを失ってしまった。突然、来社の日程を告げてくるビジネスマンが働いている企業業績も悪い。無計画な出張を繰り返しているかどうかは総務に聞けばすぐわかる。

2008 11 07 [心と体] | 固定リンク

2008年11月 6日 (木)

上司と部下とときどき不満

儲かっている企業の上司は部下がかわいいものですし、部下のためであれば何でもしようと思うものです。部下が退職するときはとても落ち込み、自分の何がいけなかったのか苦しみます。反抗的な部下であっても何とか仲良く仕事ができないのかと心を痛めているものです。儲かっている企業の上司は儲けることで部下を守っているのです。

部下が職場の人間関係で苦しんでいるときは部下の立場をできる限り理解して解決しようと努力するものです。上司は業務遂行を優先して物事を見ていますので業務遂行に支障をきたすことを嫌います。業績があげられない職場は排除されるのがビジネスの世界の掟ですから仕事では厳しい面があります。「こんな仕事やりたくない」ともしかして思っていても職場ではなくてはならない仕事です。

パソコンスキルや資格は職に就くまでに必要なことであっても、職場では収益を出すためにどんな仕事でもこなさなければなりません。上司は部下に仕事で必要なことと部下が希望していることとはミスマッチしても職場では職場を失くさないためにも皆の仕事を守るためにも業務上必要なことを積極的にやってほしいのが本音です。どうしてもやりたくなければみんなのためにも本人のためにも転職してあげるべきだと僕は思います。

儲かっていない企業では上司にヤル気がなく業績悪化の職場らしいチームワークのなさに起因していることがあります。経営会議では儲からない部署は廃止が検討されますからいつまでも業績悪化が続くようであれば早晩その職場はなくなります。ヤル気のない上司は部下に対してもヤル気のない返事しかしませんので、仕事に対しては積極的ではありません。危機感や疑問を持った部下はさらに上の上司に相談するものです。

愚痴や不満やヤル気のなさは業績悪化の原因を自分以外に求めますから上司の仕事への取り組み方はすぐに分かります。企業トップにこうした認識がない場合は転職を検討しておくほうが良いと思います。ビジネスはルールのある戦争ですからヤル気のない部署や企業は必ずなくなります。企業業績を上げるために仕事をしている自覚のない部署や企業は必ずなくなります。

2008 11 06 [心と体] | 固定リンク

2008年11月 5日 (水)

世の中に悩みの種は尽きるまじ

生きていれば誰でも悩みをひとつやふたつは持っている。あんなお金持ちでも悩みがあるんだということもあれば、あんな有名人でも悩みがあるんだということもある。人がうらやむほどの人物でも悩みの種は尽きることがない。ひとつの悩みを乗り越えても次の悩みは必ずやってくる。まるで、次から次へと押し寄せる波のように悩みはやってくる。

自分では精一杯やっているつもりでも他人の恨みをかうこともあれば心配させることもある。自分はなんて馬鹿だろうと落ち込むことなど日常茶飯事ではないだろうか。人はその時々の自分自身の器でしか動けないし、自分の器に合った人々としか気が合わない。「類は友を呼ぶ」の如く、よく似た者同士が集まってくる。自分の人生はいくら他人の干渉があったとしても、いつも自分自身が決めているものだ。

「あいつがいたから」「あんなことをされたから」なんてことを言ったとしても実際に行動しているのは当事者でしかない。その人が本気ならどんなに迫害されてもやりたいことはやり抜くだろう。変わりたければ本気で自分を変える決意がなければ誰もその人を変えることはできはしない。悩みに振り回されない自分になりたければ本気で乗り越えたいのか自分に問えばいい。

すべての悩みを乗り越えようなどとは思わないで、自分が乗り越えられる悩みを選別して乗り越えればそれでいい。乗り越えられない悩みは放置しているほうが身のためになる。そのうちに乗り越えたくなれば挑戦してもいいが、無謀に挑戦すれば傷つくだけのこともある。自分の身の丈に合った悩みを楽しみながら乗り越えればそれでいいんじゃないだろうか。

サーフィンをしていても自分に合った波に乗ることは楽しいが、台風のような大波では振り回されて死ぬかと思う。この波は乗れるという自信があれば楽しいが、大波に怖気づいていれば乗ることはできないし危険だ。波乗りですらその人の器でしか楽しめないものだ。身の丈サイズの波に乗り、楽しいと自分が思えばそれでいいんじゃないと僕は若いサーファーに教えている。

2008 11 05 [心と体] | 固定リンク

2008年11月 1日 (土)

いたずらに心配して時間を過ごすよりも、今生きている自分がベストを尽くしているのかだよ

予備校を経営していた頃、大学受験生が不合格になったらどうしようと心配していろいろと相談されることがあったが、相談しにくる学生は相談ばかりでいっこうに勉強の方ははかどらない。勉強しなければ相談そのものがバカバカしいものになるから頑張って勉強しろとアドバイスしても勉強しようとしない。悩むよりも少しでも勉強すれば成績も良くなり合格しやすくなる。

大人でもただ悩んでばかりで悩みを解決するように努力できずにいつ会っても悩みばかり相談している大人もいる。悩みばかり話している人はたくさんの知識を持っていることが多く、いろいろな見識を披露してくださるが、さて自分の悩みを解決しようとその知識を利用できないでいる。行動しなければ相談そのものがバカバカしいものになるから頑張って挑戦しろとアドバイスしてもやろうとしない。

いたずらに心配して時間を過ごすよりも、今生きている自分がベストを尽くしているかどうかを考えて後の結果は気にしない方がよほどましな生き方だと僕は思う。ベストを尽くしていれば結果がどうあれ自分の成長につながっているものだ。一生懸命に頑張ったところで最悪の結果になることもあるが、その後の自分にとって最悪の結果の方がよかったと思えるようになっている。

2008 11 01 [心と体] | 固定リンク

2008年10月31日 (金)

いつまでも悩みが尽きないから生きているのが面白いんでしょ

どんなに年をとってもつまり幾つになっても悩みの種は尽きることがない。次から次へと日替わりのように新たな悩みが沸き起こる。頭を抱えることが幾つもあるのが普通の人生ではないだろうか。ヤル気を出せば悩みは更に多くなる。ジッとしていても何かしら悩みは出てくる。どこに行っても行かなくても何かしらの悩みに人は包まれている。

しかし、過去の悩みひとつひとつを思い出せば、あの時真剣に悩んで努力したからこそ今の自分があるという経験がほとんどだ。つまり、悩みは自分を鍛える種になって悩みが実を結んで成長できたということになる。愛する人の死や破産した経験、大きな病気になった経験など大きな挫折を味わって立ち直ってきた人は強い。悩みは正面から受け入れ乗り越えようと努力すべきものなのだ。

焦りから感情的になり自滅してどうしていいのか分からない状態になる人もいるが、いろいろな悩みを素直に受け入れる寛容さがあれば解決するのも早いものだ。時間が経てばほとんどの悩みは放置していても解決するか立ち消えになっている。悩みのない人生などつまらない人生だと50歳を過ぎて思えるようになった。生きている限り悩みとうまく付き合うことだ。

2008 10 31 [心と体] | 固定リンク

2008年10月29日 (水)

優しさと厳しさのふたつの愛情

僕は離縁した妻からもういちどやり直したいと言われて同居したが、3日もすると新しい恋人の下に去っていった。それから1年ほどしてまたやり直したいと言われ、そのときは断った。大好きな従業員が反抗的なときもどうすれば機嫌を直してくれるのかと聞き、受け入れられることはすべて受け入れたが反抗的な態度は変わらなかった。腹を決めて注意したが反省したそぶりだけで終わってしまった。

愛情には相手をすべて受け入れる優しい愛情があるが、相手がこちらを受け入れようという態度でなければ空回りしてしまう。相手がこちらを無視していたり他に関心が移っているときは毅然とした態度で別れを告げる愛情が必要だと思うようになった。「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」と言う。好きだからこそ別れることが必要で、一緒にいるとお互いに傷つけあってしまう。

別れると嫌なことは流されて次第に楽しい思い出だけが強調されるようになる。やっと素直に考えるようになり反省することもできる。大好きな感情は別れている方が維持できる。こうしてもう一度やり直したいと言われることもあるが過去の経験則から僕は別れたままでいるようにしている。人にはそれぞれ相性がありお互いにいっしょにいると傷つけるが別れていると魅力的だ。

2008 10 29 [心と体] | 固定リンク

2008年10月28日 (火)

親を愛せない者が他人を愛することができるのか

僕は31歳で2度の離婚を経験した。2度ともに妻の方から離縁してほしいと言われた。仕事の面ではやっと順調になり洋品店や化粧品店の業績もよくなり、外商での稼ぎもよくなって「さあこれから!」というときだった。すべての仕事を整理して僕はG-パン、T-シャツだけでひとりアメリカへと何の目的もなく旅立った。ただ、辛い思い出しかない日本にいることが嫌だった。

いろいろな思いが交錯して腹が立ったり悲しんだりの繰り返しで生きるというのは本当に難しいものだと思った。父は放蕩三昧なのにしっかりした妻がいていつも支えてくれる。しかし、僕は一生懸命に働き父以上にたくさん稼いでも妻から愛想を尽かされる。この違いはただ父の女運が良かったということだけなのかと考えた。それなら、結婚とは危険な賭けでしかない。

父と僕とを比べてみてただ一点、これだけは違うということがあった。父は自分の両親を心から愛していたが、僕は暴力的で傲慢で何の助けもしてくれずにただ「困り果てたら死ねばいい」という父を憎んでいた。誰よりも働き、誰よりも稼ぎ、誰よりも妻のために尽くしてきたつもりだったが父を憎んでいる心が何気ない妻への態度に冷たさとなって出ているのだと気がついた。

父への憎しみから父を乗り越えようとして努力している自分を妻や他人に認めさせたいという僕自身が気づかぬ思いが妻を悲しませ苦しませていたと気がついた。他人への憎しみの上に自分の幸せは決して築けるものではない。心機一転やり直すには父への憎しみを乗り越えねばならないと気がついた。父の良いところを見つけ父を心から愛していますと手紙を書いた。父はその手紙を生涯手元に置いていた。

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2008年10月23日 (木)

君は本気で相談しにきているのか?

成績不振の学生がどうすれば成績が上がるでしょうかと相談されたとき「君はどれほど自分を犠牲にしてでも成績を上げたいと思っているのか?」と聞いていた。「もしも、テレビも見たい、漫画も読みたい、ゲームもしたい、つまり今の生活のままで何とかならないかと聞いているなら、成績は上がらない。しかし、今までの楽しみをすべて犠牲にしてでもかまわないというなら上げることができる」と答えていた。

経営者が会社再建の相談に来られた時、店長や教室長が相談に来られた時「あなたはどれほど本気で相談されているのですか?」と聞くようにしている。「もしも、今の生活のままで何とかならないかと聞いているなら、何ともならない。しかし、今までの楽しみをすべて犠牲にしてでもかまわないというなら何とかすることはできる」と答えていた。つまり、相談に来る人の決意のほどをによって結果はすでに決まっていると申し述べた。

自分の全財産を犠牲にしてでも再建したいのか、自分の私生活をすべて犠牲にしてでもやり遂げたいのか、本気で就いてきてくれない部下を説得し、説得できなければ解雇してでも、自分一人になってでもやり遂げる気があるのかによって結果は決まってくる。人の言葉は決意の程度によって説得力が違ってくる。「この人は本気だ」と感じれば部下は本気で身の振り方を考える。「この人はいい加減でもかまわない」と舐められれば言葉には説得力はない。

2008 10 23 [心と体] | 固定リンク

2008年10月18日 (土)

おまえは本気で生きてるのか!

僕はときとして自分に聞くことがある「おまえは本気で生きてるのか!」どこかで手抜きをしていないのか?誰かに甘えていないのか?これ以上やれない所まで自分を追いつめているのか?まだまだ余力があるのではないのか?「そんな中途半端な生き方で誰が納得してくれるのか?」感情的な態度で人に接していないか?人を傷つけることで自己満足していないか?他人への配慮に欠けていないか?自分の理屈が先行していないか?

自分の限られた人生を有意義なものにするために人を傷つけて自分の幸せを築こうとは思わないし中途半端に生きたくもない。挑戦するなら真剣勝負で望みたいし、毎日の生活も自分のプライドをかけた生活でありたい。太く長く生きたいので、よく独りで考え事をするし、健康には注意を怠らないし、自分に関係している人に真っ向から真剣勝負で望みたいと思う。僕と一緒にいる人に対して真剣でないことは失礼なことだと僕は思うので、いつも最高の状態で望むようにしている。

どん底だと思った20代の頃、もうダメだと思ったことは何度もあった。どうしようもない不安に体が震えて止まらないこともあった。食べるものが買えなくてスーパーのレジで150円のサケの切り身のパックを置いて泣いたこともあった。死んでしまった方がよほど楽なんだけどなと思いながら生きていた。それでも、僕を支えてくださる人がいた。僕はそうした人々に支えられて真剣に生きることができた。それ以後、僕は他人といっしょに何かをするなら本気で生きなければ失礼だと思うようになった。

僕は生徒に聞くことがある「君は本気で生きているのか・・・本気で生きてみろよ・・・君の人生は君が君の未来を創るんだ!」本気で生きていれば涙することも多かろうがテレビやゲームでは得られない僕は生きているという実感がある。現実はいつもあるがままで目の前にある。自分に見えている現実を変えるのは自分以外にはいない。僕は生徒に「君の現実は君にしか変えられない。だからこそ君が未来を変えるんだ!」と激励する。

2008 10 18 [心と体] | 固定リンク

2008年10月12日 (日)

生きることはたくさんの悲しみや苦しみを全身で感じること

生きることはたくさんの悲しみや苦しみを全身で感じること

人はそれを受け止めて黙っているから
素敵な笑顔ができるのでしょうね

人はそれを心の奥で静かに耐えているから
素敵な涙を流すのでしょうね

やがて、悲しみや苦しみは素敵なやさしさとなっていくもの
想い出となりいつまでも僕たちの心にひそむもの

2008 10 12 [心と体] | 固定リンク

戦争に英雄はいない

昭和28年生まれの僕が保育所の頃、街には外地から引き揚げてきた民間人や元軍人がいて戦争当時の事などよく話していたものだ。あるおじさんはお国のためにと戦争に行き、戦場ではただ内地に帰りたいと願い、やっとの思いで帰ってきたら憎しみを込めた眼で婦人に睨まれたそうだ。

おじさんはお国のために戦ってきた兵士だから感謝してもらえると思っていたらしく、その婦人の眼をいつまでも忘れられないと悲しそうに話していた。おじさんたちは戦地で何があったのかを語りはしなかった。浮かれたように戦争を美化し戦地に赴くことに誇りを持っていた自分を悲しんでいるようだった。

戦争に行ってきたおじさんたちの眼は僕の知る限り悲しそうだった。誰一人として英雄には見えなかったし英雄だと思っている人はいなかった。英霊だと僕たちは戦死した日本兵を敬うが彼らはどうしようもなく悔しくてとても悲しくてどんなにか辛い死に方だったのではないだろうかと思う。

おじさんを睨みつけたご婦人は、戦争のために主人や子供を戦場に駆り出され、生活を破壊され、空襲に逃げ惑い、勝利を裏切られ、ご主人やお子様を失ったのかもしれない。その戦争に加担した兵士というだけでおじさんを睨みつけたのかも知れない。

2008 10 12 [心と体] | 固定リンク

2008年10月11日 (土)

持てる才能を惜しげもなく他人の幸福のために使うことで自分の幸せは創られる

懸命に努力して掴んだ資格、学歴、技能などがあれば、どんな難関でも乗り越えてみせると思うようになる。職場でも人付き合いでも自分に能力があるほど自慢もしたくなるし認めてほしいと思うものだ。しかし、学生の頃と違って掴み取った能力は他人の幸せのために発揮しなければ社会は認めてはくれない。

パソコンの技能を自慢していれば他人は嫌味な奴だと思って寄り付かなくなる。しかし、その技能をできない人を助けるために使えば感謝される。「ありがとう」と言われればうれしくなってまた他人のために一肌脱ごうかという気にもなる。その日々がいつか「あなたはとても素晴らしい人だ」という評価になり「ああ、自分は幸せだな」と思うようになる。

持てる才能を惜しげもなく他人の幸福のために使うことで自分の幸せは創られるのであって、自分のために持てる才能を使っていても幸福だと思えないことが多い。才能ある人は愚痴や不満を言いがちだが、それは自分の才能を出し惜しみしている行為に他ならない。他人を馬鹿にするのではなく、どんな馬鹿でも救ってみれば馬鹿にしていた人が偉大に思えるようになる。

2008 10 11 [心と体] | 固定リンク

2008年10月 6日 (月)

家族は自分を鍛える砥石である

学校や仕事で疲れた体を癒すため帰宅してもゆっくりできない人は多い。子供は家で親からガミガミ言われてホッとするどころか余計にストレスを抱えて友達にメールをうっているかもしれない。大人は子供から馬鹿にされた目線を感じながら小さくなっているかもしれない。あるいは介護を必要とする肉親の世話で必死になっているかもしれない。

家族はもっとも忍耐と我慢が必要な社会でもある。社会生活に必要な言葉使いを教えてもらったのも他の人といっしょに生活するルールを教えてくれたのも生きる術を覚えたのも家庭が最初だった。親や子供から横暴な言葉を投げかけられて自室で泣いたこともたくさんあった。しかし、多くの場合、それが自分自身の成長になっている。家族とは自分を鍛える砥石である。

横暴な親、子供、肉親は多い。心も体もボロボロにされて一人涙することもたくさんある。自分の忍耐や我慢を誰が見ていなくても精一杯の愛情を家族に示して生ききることでその人は研ぎ澄まされて人間的な輝きを増す。「笑顔の素敵な人」はそんな苦労を乗り越えているか、認められなくても最後まで家族を愛していこうと深い決意をしている人かである。

2008 10 06 [心と体] | 固定リンク

2008年10月 5日 (日)

時間厳守は発言者の基本マナー

僕はいろいろな講演や研修に呼ばれてお話しすることが多い。各種法人会、企業研修会などでは講演料を戴いているのでこちらもいろいろ準備をして万全の態勢で臨む。幾人かの講演者がいる場合、時間が繰り越していく。進行係の方は時計を見ながら謝罪され、持ち時間をお話ししてくださいと言われるが僕はあらかじめ予定されている終了時刻に合わせた講演しかしない。

ある企業研修では60分の講演の予定が前の方が25分オーバーしてお話ししてしまったことがあるが、そのときは35分だけの講演にして時間調整を行った。参加されている方々はそれぞれお帰りの時間を決めて日程を組んでいるので会合が長引くとどんなに素晴らしい内容であってもソワソワしてくる。会合終了後主催者側の方が僕の配慮に非常に感服されていた。

人前でお話しする場合、伝える内容だけで精一杯の講演者は時間に配慮できないで時間オーバーすることが多い。こうした講演者は非常に多く、控室で時間オーバーを自慢している方すらいる。僕は正反対で伝える内容を時間がなければただ一点に集中し10分以内で話終えることすらある。たった10分でも参加者のハートを射抜く講演者でなければ本物とはいえないと僕は思う。

2008 10 05 [心と体] | 固定リンク

2008年9月29日 (月)

人は誰でも人に言えない苦労があるものさ

苦労人ほど腰が低く柔和な顔つきになる。自分の苦労を自慢するでもなくボソッと話す程度で、他人を優しく思いやり、周りのことに気を配る。誰にも苦労はあるものだと思っているので若い人にも親切だ。トゲのある人にもいたわりをもって接しているし、自分を卑下する人にすら感謝の念を抱いている。

苦労しているのは自分だけだと思っているとき、他人に対して気配りする余裕はない。むしろ、幸せそうにしている人を見ると憎しみがこみ上げてくる。「くそっ、自分ばっかし良い思いしやがって!」貧乏くじを引いているのは自分だけだと思って愚痴ったり非難すると幸せは逃げ、どんどん愚痴っぽくなり笑顔が消える。

誰でも苦労しているし誰でも思い悩んでいる。それを表現しているか否かの違いでしかない。我慢していれば苦痛に顔が歪んでくるが、それでも耐え抜いていると自分がおかしくなって笑えてくる。自然と笑顔が浮かんで耐えられるようになると苦痛だった苦労が報われる日も近い。「苦労は心の肥し」とあきらめず耐え抜くことだ。

2008 09 29 [心と体] | 固定リンク

2008年9月26日 (金)

心からありがとう

55歳にもなると自分の人生を振り返り残りの人生を如何に過ごすかも考える。もしかすると、残りの人生はほとんどないのかも知れないと思うこともある。企業経営者として生涯のほとんどを過ごしてきた僕にはいっしょに働いてきてくださった仲間がとても愛しい存在で自分の人生に彩りを与えてくれた存在だ。

僕には愛する家族もいる。3人の子供たちはそれぞれ生まれてきたとき心からうれしく妻と抱き合って喜んだものだ。ただ、子供たちが健康で成長してくれるだけでとてもうれしかった。お父さんとは違う人生を歩むだろうし、僕の価値観を子供たちに強制するつもりはないが、これからも子供たちの幸福を願っていることに変わりはない。

僕は幸せな男だと思えるのはこうしたすばらしい人々といっしょに生きてこれたからだと感謝しないではおれない。いっしょに働いてくださる人々との毎日、家族の健康と幸せを願って生きている日々、僕に家族を与えてくださった妻の存在がとても貴重で自分の幸福の源泉だと思う。心から「ありがとう」と言いたい。

2008 09 26 [心と体] | 固定リンク

2008年9月24日 (水)

家族に対する言葉使いで、その人の人柄が分かる

僕は20代のころ、独身で多額の借金があったがブティックを経営し衣料品メーカーもやっていた。毎月たくさんの利益を出すが返済に明け暮れるので生活は厳しいが見た目は華やかに映る。衣服は卸値で手に入るし、毎月のように仕入れているのでいつも最新のファッションで身を包むようになる。東京への出張も多く、仕事が一息ついたときなどはお店に行って綺麗な女性のお客様と話をしていた。

店員になりたいと言ってくださる方も多くいた。付き合って欲しいという女性も多くいた。そんなお客様の1人とお付き合いをするようになった。やさしくて綺麗で金払いも良い彼女と付き合っているとき彼女の家に招待された。ご家族と話をする態度は僕に接するときとまったく違ってとても乱暴な言葉だった。「おまえ~しろよ!」「ばっかじゃない」「うるさいんだよ」・・・

僕はそれ以後彼女とデートするのを少なくして付き合いを止めた。付き合っているときはいちばん素敵な態度を示してくれるが、結婚して家庭を持てば家族になるので彼女が自分の家族に接する態度に変わると思えた。彼女から別れる理由を聞かれたが「とても乱暴な言葉使いのなかで我慢していれば疲れるし、かといって僕は乱暴な言葉は使えない」とは言えなかった。

2008 09 24 [心と体] | 固定リンク

2008年9月22日 (月)

他人は自分の期待を裏切りながら生きている

「あれ、これやってくれるんじゃないの?」「えっ、これって私がやるの?」ってことはしょっちゅうある。そのたびに腹を立てる人もいれば、落胆する人もいるし、我慢する人もいる。腹を立てる人はおかしいなと思ったときに聞いてみればよい「これやってくれませんか?」たったこれだけであなたは腹を立てないで済む。他人はあなたと同じ考えで行動していない。

落胆する人は「これやりましょうか?」と聞いてみればいい。腹を立てやすい人は自分の期待を裏切られるとすぐに感情的になるが自分が勝手に思い込んでいるだけだとは気が付いていない。落胆する前に、あなたも私の期待を裏切っていると教えてあげましょう。そのときは機嫌を損ねますが次からは注意するようになります。どのみち悔しい思いをするなら注意した方がましです。

いつも期待を裏切られて腹立たしい思いをしている人は、ちょっと腹を立てる前に相手は自分が思っているのと同じ思いで行動していないと思いましょう。そのうえで、相手に説明すべきことは説明し、注意することがあれば注意し、思いやりが必要な時はそうしてあげてください。人間関係はお互いの思い込みに違いが生じて感情的になることから始まるのです。

2008 09 22 [心と体] | 固定リンク

2008年9月21日 (日)

人々を愛する心と積極的に奉仕する姿勢

4月や9月は地域の役員の改選時期に当たる。地域の役員をしている僕は後任の役員を選ばなければならない。地域のために無償奉仕をしなければならない役員になりたがる人はなかなかいない。いろいろな理由をつけて何とか逃れようとするのが普通で、僕も出張が多いので長く地域の方々にご迷惑をおかけしてきた。

1年間、役員をさせていただき街や河川の清掃、行政への陳情、祭りの手配、会館の維持、防災、区費徴収、区民の巡回など多岐にわたり町の人々の暮らしを陰で支える仕事をさせていただいた。この地に暮して16年、ほとんどの方を知らない僕はやっとほとんどの方を知るようになった。自分が住んでいる人々と親交を深めればより楽しくなる。

如何なる仕事も積極的に挑戦すれば面白くなり感謝もされるが、如何なる仕事も嫌々挑戦すれば面白くなく感謝されることもない。どんな出来事も楽しい思い出に変えるのは人々を愛する心と積極的に奉仕する姿勢だ。自分の都合を優先している人に大きな喜びはやってこない。

2008 09 21 [心と体] | 固定リンク

2008年9月19日 (金)

馬鹿にしている人ほど偉大な人はいない

学生の頃は理想を語り、自分をよく見せようと知識が豊富な分口先ばかり上達するが、初めての就職では経験がないだけに上司の指導に自信はもろくも崩れ去り、上司やお客様にペコペコ頭を下げる屈辱に耐えきれなくなる。友達との付き合いでは存在感もあり尊敬もされている。家では誰の命令も受けたことがなく、今まで誰にも叱られたことがない、両親は自分の言うことに必ず従わせる。

自分よりも学歴も教養もない安物のスーツを着た下品な上司がお客様から信頼され、高学歴で教養もあり高級品で身を包みバッチリ決めているこの私がこの会社では誰からも信頼されていない。社会人になれば学歴・教養・ルックスよりも人格・経験・人脈が大切になってくる。鼻先をへし折られてから人は初めて謙虚になり成長する。

理想の仕事が見つからない、自分のやりたいことではない、といった理由で家に閉じこもりがちになり「あの会社は、あの上司は私を馬鹿にしてクソッ覚えていろ!」とカッカしている。両親は心配しているが黙って世話をしてくれる。うだつの上がらない、あんな馬鹿父ちゃんや軽蔑している母ちゃんをよく見れば自分の悩みの解決策が見えてくる。

馬鹿父ちゃんは会社でもお客様にも馬鹿にされているかもしれないが、家族を養うためにジッと我慢してどんなに馬鹿にされても働いている。服はボロボロ、いつ買ったのか不明の黄ばんだ下着に身を包み、贅沢もせずに職場で若い社員にも毛嫌いされ、それでも働いているのは馬鹿にされている家族を養うためだろう。そんな父ちゃんを軽蔑できる?

ブヨブヨに太った母ちゃんは美味しくもない手抜きの食事を作り、汗にまみれて洗濯して、子供の命令に従順に従っている。手厳しい子供の指摘に謝るが、家事を手伝えばどんなに辛い仕事なのかがよく分かる。馬鹿にして軽蔑している母ちゃんをよく見れば悲しい目をしていないか?子供をいちばん大切にしてくれている両親をいちばん毛嫌いして自分の幸せは何処にあるのか?

再就職する前に見つめなければならないことがあり、感謝しなければならないことがあり、自分以上に守らなければならないことがあるだろう。両親は自分以上に守らなければならない家族のために自分を捨てて生きている。恋人や友だちはそこまで自分に尽くしてはくれない。馬鹿にしている人ほど偉大な人はいない。感謝を忘れた人に幸せはやってこない。

2008 09 19 [心と体] | 固定リンク

2008年9月17日 (水)

33年間借金を返済し続けた経営者 上杉鷹山(ようざん)

「成せば成る、成さねば成らぬ何事も、成らぬは人の成さぬなりけり」=何事もやろうと思えばできるものだ、しかしやろうと思わなければどんな些細なことでもできない、できないといっているのはその人の心だけである という意味の言葉で山形県が昔、米沢藩と言われていた頃に藩の財政再建を成し遂げた9代目藩主 上杉鷹山(ようざん)の教えです。

17歳の若き青年は赤字の会社の再生を託され9代目の社長に就任します。リストラもできないので質素倹約 質実剛健をスローガンに、管理職も現場に出て働くことを提言・実行しますが、いまさら営業なんかできるかと古参幹部社員の猛反対にあいます。苦しんだ末、青年社長はこれまで会社を守ってきた反対派の主だった幹部7人を解雇しますが企業再生はうまく往かず18年目の35歳で社長を退きます。

反対派が実権を握り給料の33%カットなど経費節約を実行しますが、社員のヤル気を削ぎ隠れて別の仕事をしていたり在庫をごまかして副収入を得るようになりました。ヤル気の失せた社員がいればお客様はどんどん離れていき4分の一近い減少となりました。ここにいたって反対派も打つ手がなくなり再度上杉鷹山が社長としてカンバックします。上からの指示だけで合意が得られない改革案はとん挫します。

39歳で再度社長に就いた鷹山は、企業業績(貸借対照表や損益計算書など)を開示して借入金の総額などを示し従業員に再生への提言を求めます。事業部内の壁(規制)をなくし(緩和)し、企業研修を実施、社員教育に力を入れ、新商品を開発し営業に力を入れます。お客様からのご意見も頂戴し優秀な社員は新入であってもプロジェクト・リーダーとして抜擢します。ヤル気に満ちた企業はどんどん業績を伸ばして33年後全額返済を成し遂げます。

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2008年9月16日 (火)

すべてはバランス

原子はプラスとマイナスがバランスよく配置され安定している。飛行機は力のバランスを保って飛んでいる。人間の体もバランスの良い食べのものを摂取することで健康を維持できる。この世はバランスがうまく取れている。みずからの行いも良く言う人悪く言う人が相互にいてうまくバランスが取れている。

どんなに良いと思ったことでも挑戦すればするほど、感謝してくださる人と非難する人が出てくる。非難する人に会うと気分を害して落ち込み、ひどい時には挑戦したことすら後悔して人付き合いを止めてしまう人すら出てくる。しかし、事を成すとはそういうバランスの下にあると思えばひどい言われ方をされても笑顔でいられる。

同じ環境に置かれても、人間は考え方ひとつで落ち込みもしうれしくもなる思考の産物である。

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2008年9月11日 (木)

見た目でなく中身を磨いた方が良い

僕は20代のころ20代の女性向けのブティックを2件経営していた。街でいちばんお洒落な洋服を東京のマンション・メーカーから直接仕入れて販売していたので人気のあるお店だった。街中の若い女性たちが買い物に来てくださり知り合いになった。お店の中で華やかな商品に囲まれいろいろな話をした。それから30年が経った今、当時の彼女たちと街で会うことがある。

とても綺麗でお金持ちの家に嫁いでいった女性は今、自前の「たこ焼き屋」の屋台でタコを焼いている。お金持ちの家が没落したのか油まみれになって小学生にタコを売っている姿はどこか疲れているようでさみしさを感じてしまう。優しくて綺麗だった女性は街いちばんの文房具屋に嫁いだが今は町のスーパーでレジのバイトをしている。話しかけようにも相手が目線を外してしまう。

高級外車に乗っていちばん洋服を買ってくれていた女性は高級車に乗っている男性と結婚したが出産後すぐに離婚し、今は街のファミリー・レストランでウエイトレスをしている。20代の彼女たちは僕のお店に来て、付き合っている男性自慢を話してくれたが、自分の幸せを愛する男性に委ね、みずからの努力は自分を魅力的に見せることだけだったように思う。

美貌が自慢の彼女たちは男性を魅了するものの結婚すれば色褪せるようで離婚するのも早いし再婚するのも早い。50代になった彼女たちに当時の魅力はもうない。若い頃に美貌を磨くのではなく仕事で勝負できる女性であろうと努力していれば、50代にいろいろな花が咲いただろう。若い頃に自分をよく見せたいのは誰しも同じだが見た目でなく中身を磨いた方が良いと50代になり感じるようになった。

2008 09 11 [心と体] | 固定リンク

2008年9月 8日 (月)

人は人によって磨かれ光を放つ

地球上でもっとも硬い鉱物であるダイヤモンドはダイヤモンドによってのみ磨くことができる。磨かれたダイヤモンドは眩い光を放ち人々を魅了する。人も同じように人によってのみ磨かれ光り輝くようになる。ただ、磨かれているときは痛くて逃げ出したいと思うものだし、自分が磨かれているなどとは思えない。

みずからを磨くことは何かを起こすことで何かを起こせば必ず誰かがの誹謗中傷・嘲笑に合う。悪意をもった人の誹謗中傷・嘲笑はエスカレートすることはあっても反省して謝罪することはない。このためみずから夢を持って磨くことを止め誹謗中傷・嘲笑されたことに対する落ち込みのままで生涯を終えることをよしとする。

世に何かを成し得た人は誹謗中傷・嘲笑にあっても夢をあきらめなかった人でもある。どんな些細なことでも事を始めれば誹謗中傷・嘲笑はつきものだ。そのことを恐れていたり落ち込んでいればあきらめしかない。人生たかが100年程度、如何なる誹謗中傷・嘲笑があったとしてもやり遂げる時間はそんなにない。

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2008年9月 7日 (日)

そしてお父さんがいなくなった

40代の男性サラリーマンはちょうど中間管理職で上からの指示には応えなければならないし下からの圧力は抑えなければならないのでたいへんなストレスを抱えることになる。リストラや成果での評価制度のために残業も多いし、帰宅しても頭は仕事のことでいっぱいになっている。

反抗期を迎えた子供たちは母親とは話をしても父親とは話をする気もない。もちろん感謝の気持ちすらないので態度はよそよそしいものになる。妻は子育てに疲れているので家庭内のストレスを主人にぶつけるが期待に応えられるだけの余裕がない。夫婦関係もギクシャクしたものになっている。

職場でもストレスを抱え、家庭内でも居場所を失くし、何のために自分は働いているのだろうと疑問に思う毎日が続く。居酒屋でしばしの憂さを晴らしてやっと日常生活を送っているが誰にも期待されず、感謝もされずに生きていることが苦しくなって心を病んでしまう。

そうして誰にも何も言わず、ひっそりといなくなるお父さんやみずから命を絶つお父さんがいる。居酒屋や定食屋などでひとりひっそりと食事をしている疲れきったお父さんをみると僕は心から「がんばれ」と言ってあげたくなる。愛されなくても愛すべき人々を黙って守るのがお父さんというものだ。

2008 09 07 [心と体] | 固定リンク

2008年9月 4日 (木)

麦は足で踏まれて強くなる

麦は、人に踏まれ根を深く張り、倒れにくい丈夫な麦に成長する。人も同じように、人に踏まれて心の根っこを深く張り、打たれ強い自立した人に成長する。成長するほど感謝されることも多くなるが、誹謗中傷もまた同じほど大きくなる。ちょうど、深く根っこを張り大きく成長した麦が成長した分、より風雨に耐えなければならないのと同じこと。

自分のために生きていればチョットした踏まれ方でも成長を止め腐ることを選択しがちだが、多くの人のために生きていれば力いっぱい踏まれても泣きながら歯を食いしばって耐え、成長を止めることはない。「家で待つ家族のため」「会社で待つ仲間のため」に必死になって働いている人の多くはそうした目的があるからこそ耐え抜けるのだ。

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2008年8月31日 (日)

人を愛することで人は変わる

素敵な人に出会うと自分をよく見せようとしてダイエットしてみたり、オシャレな服を着てみたり、他人に優しくしてみたり、と今まではそんな良い人ではなかったのに素敵な人になろうと一生懸命に努力していることがある。素敵な人から注目されたい、好きになっていただきたいといった恋心がそうさせる。

たったひとりの人への恋心だけで人はまるで別人のように変わる。ヤル気に溢れ、積極的に人が嫌がることをやり、努力して「できる人」へと変身する。仕事でも素晴らしい人に出会うとその人から嫌われないように一生懸命に仕事に打ち込んで、気がつくと自分が他人から素敵な人に思われていることもよくある。

素晴らしい人との出会いを大切にして、素晴らしい人の期待に少しでもお応えできるように努力することで自分がどんどん成長する。「素晴らしい先生との出会いが自分の人生を変えた」「素晴らしいコーチとの出会いが勝利を産んだ」「素晴らしい伴侶との出会いが今の成功の原因です」といった話はよく聞く。

人との出会いを大切にして、多くの人の期待に添えるように自分を殺してでも努力してみると、自分自身が大きく成長する。僕はいっしょになって働いてくださる全国の「わかるとできる」のスタッフ、生徒、お取り引きをしている方々や自分の家族のために努力して自分自身を磨き感謝されるようになった。

2008 08 31 [心と体] | 固定リンク

2008年8月30日 (土)

愚痴と不満はガン細胞

幾人かの人が集まると必ずと言っていいほど愚痴と不満をこぼす人がいる。誰かの素敵な考えに水を差すことがまるで自分の役目かのように話しだし、誰かが注意すると不満をあらわにして感情的な態度をとる。他の人々は迷惑しているが黙って我慢している。なかには愚痴と不満に感化されていっしょになって愚痴と不満をこぼす人も出てくる。

こうした人はどんなに素晴らしい考えでも反対してやろうとはしない。団結できない人の集団は面白くないので何をやってもうまくいかない。面白みに欠ける集団は愚痴と不満をあらわにする人の活動を活発にするので積極的な人をも消極的にしてしまう。こうしてせっかくヤル気になろうとして集まった集団は後悔の念で埋め尽くされて崩壊する。

人のガン細胞も正常な細胞をむしばんで広がり、最後にはガン細胞に覆われてその人を殺してしまい、自分自身も死ぬことになる愚かな細胞だ。愚痴と不満を絶えず述べる人は行く先々でガン細胞となり行く先々の集団を破壊していき、最後は自分自身も崩壊するのはガン細胞とまったく同じだ。ガン細胞が摘出手術をして処置するように愚痴と不満の人は他の人から避けられる。

2008 08 30 [心と体] | 固定リンク

2008年8月29日 (金)

55歳の誕生日たくさんのお祝いありがとうございます

8月28日で僕は55歳になりました。たくさんのメール、寄せ書き、お手紙、おハガキなどをいただきました。とてもお返事を書ききれませんのでホームページにて感謝の意を示したいと思います。45歳で起業して10年、日本中の方々に道具としてのパソコンの楽しさをお伝えしながらその道具を使って挑戦して豊かな人生を切り開く勇気、決してあきらめない精神、多くの人を愛する心を皆さんにお持ちいただきたいと思ってきました。

いくつになっても、どんな環境であっても人はそれぞれこうありたいという「夢」をお持ちです。その夢を叶えようとパソコン教室に来られた方々に「本気でその夢を叶えましょう」と激励し、いっしょになって生きていく先生であろうと思って生きてみました。生徒の方が苦しんでいるときには真剣に激励し、抱擁し、抱き起して挑戦していただきました。生徒の方の希望となって生きることに何の悔いもありませんでした。

「如何なる環境にあっても愚痴をこぼさず歯を食いしばって、ともに真剣に前向きに生きてみましょう」と言い続けての10年でした。自分のやりたいことをやらずとも人のためであれば良かれと思ってやってきましたが、結局、自分がいちばん望んでいる幸せを感じるようになりました。「滅私奉公」は自分を活かすもっとも効果的な考えだと思えるようになりました。これからもその姿勢を崩さずがんばります。

2008 08 29 [心と体] | 固定リンク

2008年8月28日 (木)

政治家と民間人との意識の差

和歌山県のマリーナシティはとても人気のある観光スポットで、開発段階でこの埋立地の島を海南市にするか和歌山市にするかでもめた経緯がある。しかし、市民感情を高ぶらせて内乱を引き起こすような事態にはならず行政の人が勝手にもめていればいいといった程度の認識しかなかった。政治家はすぐに市民感情を刺激して高揚するが、そこで働く人々はどちらになっても仕事さえできればそれでいいと思っていた。

日本だけでなく他国でも仕事をするようになると仕事をしている場所が日本であろうが他国であろうが、その地の方といっしょに働き報酬を分け合い、お互いに笑顔で生活できる環境に感謝するだけで十分幸せを感じる。政治家は領域に関する意見の食い違いからこうした民間交流を中断し仕事ができない状態にし内紛や戦争もいたしかたないといった雰囲気を作りがちである。

政治家は一部の地域の利益しか考えないが民間人は一部の地域ではなく世界中どこにでも行ってその地で貢献しその地の利益を生み出そうとする。僕は自社ビルを持たないし所有しないで借りられる物はお借りし、外注できるものは外注するようにしている。所有ではなく利用にこだわり利用して利益を生み出し人々に還元し人々の幸せを創造するようにしている。

かつて、日本では鹿児島県の方と山口県の方が連合して他県の方と戦争を起こしたことがあるが、現在の県民がそのようなことを誰も真剣に起こそうとはしない。政治家が非常に限定的な地域と人々の利益しか考えないのはとても残念でしかない。地球規模で人々が交流している現在、了見の狭い政治家に軍隊などの指揮権を与えるべきではないと思う。

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2008年8月24日 (日)

咸臨丸に乗ったジョン万次郎

高知県(土佐)で船すら持てない貧しい漁師の家に生まれた万次郎は、漁の最中に嵐に巻き込まれ無人島に漂着する。その後、近くを通りがかったホイットモーア船長のアメリカの捕鯨船に助けられ、万次郎は船長の養子としてマサチューセッツ州フェアヘブンに入る。そこで学校に入学し英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学び主席となる。

彼にとって身分制度のない自由なアメリカは日本とは全く違った国に映ったに違いない。誰もが自分の能力次第で何にでもなれる社会は予想だにできなかったに違いない。そのまま、アメリカに移住していれば幸福な生活を過ごせたが、彼は日本に帰ることを決意する。人は誰もが自らの意思によって自由に暮らせる権利を持っているという人権主義や誰もが選挙によって政治家を決める民主主義などを日本に広めたいと思ったことだろう。

琉球で日本の土を踏んだ万次郎は、薩摩藩主の島津斉彬に会い西洋化の必要性を訴えたことだろう。その後、土佐藩に戻り土佐藩主の山内容堂、後藤象二郎、岩崎弥太郎、坂本竜馬などに英語を教えている。若い彼らに「人は誰でも平等だ」と講義し、身分制度の廃止や民主主義、株式会社などの考えを教え彼らの心に開国の芽を植えた。

その後、坂本竜馬の縁で勝海舟が開いた軍艦操練所に教授として雇われる。その後、咸臨丸に乗船することが決まり福沢諭吉も乗船できるように尽力する。航海中に福沢諭吉に英語を教え西洋の考えを教えたのも万次郎だろう。万次郎が夢見た武士階級や身分制度にとらわれない本当の民主主義は第二次世界大戦が終わる昭和20年まで待たねばならなかった。

2008 08 24 [心と体] | 固定リンク

2008年8月23日 (土)

文句ばっかり言っていても

子供は反抗期になると文句ばかり言うようになる。「お母さん、起こしてって言ったでしょ!」「お母さん、こんな食事は食べたくないわ!」お母さんの気持ちや行動などへの配慮などまったくなく自分の気分次第で話していく。自分のためにどれほどのことをしてくれているのか、それを自分ができるのかという思いがないので感謝できずに母親を大きく傷つけてしまう。

こうした感情を大人になっても持っている人がいる。何をしてあげても文句ばかり「あんなことは誰でもできるのに、遅いわよ」「何よあの挨拶は・・・」でも、本人はそんなことはできないし、できる地位にいない。自分の反抗的な気持ちが他人を不愉快にしていることに気がつかないで反抗期の中学生のように振る舞う大人ほど困った存在はない。

こうした人は一部の反抗的な仲間をのぞいて周りの人に感謝されることはない。不愉快な言動はいつかは我慢している人の反発を招く「あなたは文句ばかり言っているけれど、反省すべきはあなたでしょ」などと言ってくれればありがたいが、ほとんどの人はその人から黙って離れるようになる。付き合いきれない奴になってしまい叱る気にもなれないでいる。

叱れば感謝するどころか憎まれてますます反抗的になる。無視する態度や「あんたなんかうざいんだよ!」などといった暴言を吐いたり、出会う人に「あいつは悪い奴だ」と言いふらししたり手に負えない。叱った方が落ち込んでしまうが、反抗的な人はその落ち込みを楽しんでますますエスカレートしてくる。叱って平然としているとよほど気に入らないらしくにらみ返してくる。

職場ではこうした人は協調性がないので退職せざるを得ない。転職を繰り返しても前の職場を悪く言うばかりで何の反省もなく年老いていく。「社会が悪い」「世間が悪い」「~さんが悪い」と言うが自分を反省することなく孤独な人生を歩むようになる。他人への評価ばかりで自分を見すえた反省がない人生なので嫌われ者で生涯を終える。残念なことに僕の知る限り反省できる人はそういない。55年も生きているといろいろな人の生涯の予想がつくようになる。

2008 08 23 [心と体] | 固定リンク

2008年8月21日 (木)

人の言葉は状況次第でコロコロ変わる

僕の言葉は時代や場所や状況によってコロコロ変わる。あるビジネスモデルで儲かっている場所に行けば「このやり方はすばらしい」というけれど、別の場所に行って儲かっていない時は「このやり方はおかしいんじゃないの」という、全く同じやり方なのに評価はまるで違っていることがある。

評価の違いは業績で業績がよければそのやり方を継続すればいいが、儲かっていない場合はその原因を広く求めなければならない。「うどん」は関西では儲かるが、関東では儲からないし、「そば」はその反対だ。老人が多い地区では若者向けの商売は成り立たず、田舎で高級ブランドショップは儲からない。

人の指導でも最初のミスは「今度からは注意してください」で済まされるだろうが、何度も同じミスをすれば「どうしてこんなミスをするんだ」と厳しい内容になる。「仏の顔も3度まで」というように3度までは許してあげても4度目になるとさすがに我慢の限界を超えてしまう。態度も言葉も変えざるをえない。

心やさしい人ほど叱るという行為は憎まれたり反発されたりして叱る方の心が傷つくことが多い。しかし、叱ってあげる勇気を持たなければその人は成長せず、自分はストレスをため込むばかりになる。子育てでは子供に叱るタイミングは10年20年という長い期間で見ることができても職場では2~3か月という短い期間で成長してもらわなければならない。

僕は人の成長を願って叱るべきはしっかりと叱る。しかし、それを認めてくださる人もいる反面、憎しみの目で睨みつける人もいる。どうしてあんなことをするのだと叱られることもあれば無視されて無言で非難の態度を示されることもある。それに反論せず、ただ耐えている自分がいるが人の指導とはそうした我慢が必要だと割り切っている。他人の評価を気にしていては本気でその人の成長を願う指導はできない。

2008 08 21 [心と体] | 固定リンク

2008年8月20日 (水)

秋のBUNちゃん講演会日程のお知らせ

■日程

平成20年10月2日(木)・・・札幌会場(40名)
平成20年10月3日(金)・・・仙台会場(80名)
平成20年10月4日(土)・・・東京会場(240名)
平成20年10月7日(火)・・・浜松会場(90名)
平成20年10月8日(水)・・・大阪会場(130名)
平成20年10月9日(木)・・・福岡会場(50名)

■スケジュール(予定)

「BUNちゃん講演会」
 開場:10:00~
 開演:10:30~
 閉会:11:30

■会場

【10/2札幌会場】
 会場:かでる2・7(北海道立道民活動センター)「1040会議室」
 住所:北海道札幌市中央区北2条西7丁目 道民活動センタービル
 電話:011-204-5100

【10/3:仙台会場】
 会場:「仙台市青年文化センター:エッグホール」
 住所:宮城県仙台市青葉区旭ヶ丘3-27-5
 電話:022-276-2110

【10/4:東京会場】
 会場:東京ビックサイト 「607・608」
 住所:東京都江東区有明3-21-1
 電話:03-5530-1115

【10/7:浜松会場】
 会場:アクトシティ浜松 研修交流センター 「62研修交流室」
 住所:静岡県浜松市中区坂屋町111-1
 電話:053-451-1111

【10/8:大阪会場】
 会場:新梅田研修センター 「Cホール」
 住所:大阪市福島区福島6-22-20
 電話:06-6612-7773

【10/9:福岡会場】
 会場:福岡朝日ビル株式会社 「15会議室」
 住所:福岡市博多区博多駅前2-1-1
 電話:092-431-1228

お申し込み・お問い合わせはお近くの「わかるとできる」パソコン教室まで・・・すべての人の心に響くBUNちゃん先生のサイン入り新刊本を申込者にもれなくプレゼントします。

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2008年8月18日 (月)

深い苦しみの連鎖

心に傷を受けている人は誰かを傷つけることで自分の心のバランスを保とうとします。傷つけられた人は我慢の限界を超えるとまた誰かを傷つけて自分の心のバランスを保とうとします。こうした状態は憎しみの連鎖ですべての人の心を破壊しつくすまで止みません。でも、誰かが心に傷を受けている人を受け止めて憎しみの連鎖を断ち切れば傷は癒され笑顔で幸福な生活を送ることができます。

心に傷を受けているのは自分だけではありません。誰もが何かしらで心に傷を受けています。何で自分だけがこんなに苦しいんだろうと思っているときは、傷つけている相手だって傷つき苦しんでいるものです。笑顔で苦しみを隠して平気な顔をして生活していても心は大きく傷ついて涙すら枯れている人も多くいます。周りの人をよく見れば誰だって傷つき苦しんでいることが分かります。だからこそ多くの人を愛することが大切ではないでしょうか。

生きていれば心に傷をつけられることが多いものです。活発な活動をすればするほど余計に心を傷つけられることが増えていきます。しかし、心に受けたたくさんの傷は深い愛情を持って包みこめば大きな感謝となっていつかは返ってきます。やさしい愛情と厳しい愛情のバランスをとることだけは難しいですが、心に受けた傷を治す薬は愛情しかありません。

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2008年8月17日 (日)

恨む父こそ尊敬に値する

従業員は労働時間に比例して収入が増える。働く時間が増えれば増えるほど収入は増えていく。ひと月20万円の給与ならば2カ月働けば40万円、3カ月働けば60万円の収入が保証されている。企業が支払えなければ法律にのっとって罰せられる。

しかし、非上場企業の企業経営者は労働時間に比例して収入は増えない。給与という形はあるにせよ株主でもある非上場企業経営者は企業業績の赤字はすべて自分の財産で補てんしなければならない。赤字でどんなに苦しい時も従業員には給与を支払う義務がある。

そのため金策に奔走し、万策尽きた時、ときとして子供に黙って子供名義で借り入れをする父もいる。そんな父の経営する会社を引き継いだ子供はすべてを知ったとき父を恨んだ。それでも必死になって働き企業業績を改善し何とか黒字経営にまで持ち込んでいったが親会社の倒産に巻き込まれて破産した。

子供に黙って多額の借金をし、債務超過の企業の経営を任され、従業員に恨まれ、最後の幕引きをした彼は心から父を憎んでいた。人への恨みは自分への恨みとなって返ってくる。彼は現在の職場で従業員に誤解され恨みを買っていた。その人の奥底にある感情でも必ず鏡のように映される。

「お父さんは企業経営者として家族を犠牲にして従業員の給与を支払うことを選んだ。それは従業員とともに働けば業績は良くなるだろうと信じたからだ。倒産すれば従業員の職場はなくなる。あなたも企業経営者ならそうするだろう。失くしたものは返ってこないがお父さんの行為は尊敬に値する」

「お父さんは息子に申し訳ない気持ちで胸が張り裂けそうになっていることだろう。そんな父親に会い、『お父さん、あなたの選択は間違っていない。多額の借金を従業員の給与に費やしたお父さん、あなたは偉い。僕はあなたの息子で幸せです』と言ってあげる愛情を持った時、君は本当の幸せを手に入れる」と僕は彼に言った。

老い先短い父に幸せな人生だと思わせてあげるのも後悔の念で押しつぶされそうになって死なせるのも子供の態度一つにかかっている。如何なる事情があっても父には感謝して事に当たるのが子としての立派な生き方だろうし、そのなかに自分の幸せもある。親への孝行は生きているうちにしかできない。

2008 08 17 [心と体] | 固定リンク

2008年8月 8日 (金)

巣立ち

春、会社の玄関にツバメが巣を作りはじめる。泥と唾を練り合わせて蛇から子供を守ってくれる安全で強靭な巣を夫婦で懸命に作る。巣ができ卵を産み温めヒナがかえると畑や川べりを飛び回り餌を探して食事を与える。ヒナが巣の中で寝ているときは親鳥は巣の周りにいて敵が近づくと注意を自分たちに向け巣を守る。

ヒナはうまく巣の外に排泄し、ピーピー大きな声で餌を求めるようになる。敵が近づいていると感じるとピタッと泣きやみ巣の中で小さくなっている。そのうちヒナ鳥の1羽が巣から飛び出す。巣の周りを飛び回っているのを見て他のヒナも巣から飛び出すようになる。飛べるようになると子供たちは巣を捨て親鳥から離れてしまう。夫婦だけになったツバメもやがて巣からいなくなる。

ひと夏の出来事だが、4羽のヒナ鳥を見ているとそれぞれ顔つきも体格も違うし性格も異なっている。自然の営みの中では子供は一人で生活できるようになると親から離れ自分の思う生き方をする。そして素敵な相手を見つけて巣を作り・・・。親の役割は巣立つまで餌を与え敵から子供を守ることなのだろう。親のツバメは子供といっしょに巣の中で寝ることはない。

子供のツバメが産み育ててくれた親鳥に感謝することはない。飛べるようになったヒナ鳥が年老いた親鳥に餌を与えている姿も見たことがない。自然の中での子育ては非常にドライで巣立っていった子供たちを親鳥が気遣っている様子もない。子育てを終えた親鳥はきれいさっぱり子供のことを忘れ自分のために精一杯生きる。自然とはかくも割り切りがハッキリしている。

2008 08 08 [心と体] | 固定リンク

2008年8月 5日 (火)

わかるとできる本社創業10周年記念総会

「わかるとできる」を植田専務とふたりで創業して10年、多くの加盟校の皆様から支えられ日本全国に本社スタッフが働いてくださるようになりました。8月に初めての本社社員総会を熱海で2日間にわたり行いました。北海道や九州からの参加もあり移動は飛行機、電車、バスといろいろでしたが100名近い従業員が参加してくださいました。

僕の心にはただただ感謝があるだけで従業員の皆様に頭を下げていました。社長挨拶でも「みなさまのおかげで日本一の会社だと評価していただけるようになりました。心から皆様には感謝いたします」と簡単に挨拶しただけです。これまで名も知らない顔も知らない本社スタッフ同士が笑顔で歓談している様子を僕や植田専務は万感の思いで見ておりました。

パソコン教室では教室長がいちばん責任が重い役職です。自分を支えてくださる教室スタッフに自分の感謝の気持ちを一晩かけてじっくりと伝えることができたと報告があり、教室スタッフはパートでありながらこれほどまでにしてくださる会社に感謝の気持ちが湧いてきましたと報告してくださいました。システムや教材開発や加盟校周りのスタッフ、総務や経理スタッフは教室スタッフと会えたことを心から喜んでいました。

当日はご家庭のご事情から参加されなかった本社スタッフにも熱海のお土産を用意してお配りするようにしました。お土産を戴いた本社スタッフから感謝のお言葉を頂きました。教室で勤務しているスタッフ、支社で勤務しているスタッフ、本社で勤務しているスタッフは外から見れば全員本社の従業員(本社スタッフ)です。僕は本社スタッフとしての意識の統一を図りたいといつも思っていました。

いっしょに美味しいものをいただいて、少しはお酒をたしなみ、笑顔になったところで一晩語り明かす。その内容はとても前向きでこの会社の将来のために今できること、自分たちがどのように考え行動するべきなのかといったことでした。ヤル気のないスタッフにはヤル気が芽生え、落ち込んでいたスタッフには元気が、目標のないスタッフには目標が明確になったと報告してくださいました。

2008年7月の業績は2008年6月に引き続き直営教室始まって以来の好業績で、秋からもまた期待できるものとなりました。人が2人以上いればチームワークほど大切なものはありません。チームを思う気持ちがなければどんなに個人技が素晴らしくとも試合には負けます。自分が苦しい時、必ず仲間が助けに来るという確信がなければ頑張り抜けないものです。

総会終了後、ヤル気に満ちた従業員を見て僕と植田専務は仕事の喜びを感じました。僕を社長として植田を専務として就いてきてくださる彼らこそ僕達のいちばんの財産なのだと思わずにはいられませんでした。このすべての人の生活やご家族の生活は僕達の手にゆだねられている。だからこそ、尚一層努力し彼らを必ず幸せにしなければならないと強く決意した瞬間でもありました。


2008 08 05 [心と体] | 固定リンク

2008年8月 1日 (金)

感謝を忘れて我が身を滅ぼす 

スーパー女子高生と期待された女子5000m陸上の北京オリンピック出場選手が社会人となってからスランプに苦しみもがきやっと復活を果たしたとき「練習ができる環境があたりまえだと思っていた時は不調で苦しみ、練習ができる環境を与えてくださる多くの人々に感謝するようになってから好成績を収められるようになりました」とコメントしていた。

今の自分は自分の実力だと思い気に入らないことには感情的になって平常心を失くして失敗する人がいる。自分が今いるのは多くの人の支えがあるからだという感謝の念があれば我慢強く平常心を保ち成功するようになる。毎日生きていることすら多くの人に支えられているという事実に気がつかず何事も自分が努力すればなんとかなるという慢心が不幸を招く。

多くの人に支えられていることに甘えてみたり反抗したりしているときは才能の芽は伸びてこない。自分に対して愛情ある人はお世辞ではなく正面から叱ってくれるものだがそれすら憎んでしまう。気がつけば自分の周りには真剣に叱ってくれる人がいなくなっている。功成り名を遂げる人の多くは「多くの人のおかげで今の自分がある」と感謝の言葉が最初に出てくる。

2008 08 01 [心と体] | 固定リンク

2008年7月30日 (水)

お手伝いと自立心

幼い子供は親に甘え、親も甘える子供がかわいいと思う。しかし、反抗期を迎えて親から自立しようとする時期になると子供は親に干渉されることを嫌うようになる。親離れ、子離れの時期になり、それぞれが自分自身の生き方を見直さなければならないようになる。子供は自分の将来を夢見るようになり、友達との付き合いが多くなる。

親の手伝いをしている子供は家族の親の苦労を少しは理解しているので親への感謝を持ち続ける。しかし、お手伝いをいっさいしない子供たちは生きることの基本、挨拶、感謝、料理、掃除などができていないので親への感謝よりも親の干渉に対する反抗心だけが増幅される。勉強以外に強制されず育てられた子供は依存心が強く甘えられなければ憎しみを抱く。

「勉強しなさい」というアドバイスには「お手伝いしなくてもいいから」という条件を親が勝手につけていることが多い。自立しようとしている子供にはお手伝いも勉強もしないという反抗心だけが培われる。「勉強しなくてもいいからお手伝いをしなさい」と言われて育った子供は親への反抗心よりも自立心の方が強くなる。

僕は母親から「勉強なんてあなたの個人的な問題でしょ、でもお買い物は家族みんなが困るのよ。さっさとこれを買ってきて」と言って、勉強よりもお手伝いを優先させた。お手伝いはお付き合いの基本を身につけることができる。僕がどの高校に進学するかどうかなどはおかまいなしで中卒で就職を希望していても何も言わず家の手伝いや挨拶、金銭の授受には厳しかった。

夕方帰宅するとお買い物、家の掃除、洗濯物を取り込んでたたみ、お風呂の用意、料理のお手伝い、手袋の内職の手伝いが日常だった。夜遅く帰宅する父親は酔っ払っているので寝かしつけなければならない。朝は6時から新聞配達、冬休みや夏休みは郵便局でアルバイトをしていたので勉強する時間がない。成績はふるうはずもなかったが親に勉強する時間をくださいと言ったことはない。


2008 07 30 [心と体] | 固定リンク

2008年7月28日 (月)

チャンスは日頃の行いから作られる

「君はすばらしい正社員になってほしい!」「君にすべてを任せたい!」「君を見込んで独立してみないか!」などといったチャンスはある日突然やってくるのではなく日頃の行いを見ている人がその人を評価してチャンスを与えてくれるものだ。つまりチャンスをものにできるかどうかの判断は自分自身ではなく実力者の目なのだ。社会人になれば他人がその人の評価を下す。

実力者は社会に出て仕事をしている人の態度やアイデア、経験や技量、業績や人柄に応じてチャンスを与えるかどうかを判断する。世界企業のヘッドハンティングなどでは個人に対して数億円のもの評価をする場合もある。社会に出てからの経験や業績、知識や技量、人柄などが秀でていると判断したからチャンスを与える。

「お金がないからチャンスがない」「こんな仕事をしていてもチャンスはない」のではなくそう思っているからチャンスがないのだ。資金がなくても真似されないアイデアや実績があれば資金は提供されるし、こんな仕事だと馬鹿にするならさっさと転職するか一生懸命に働くかの選択をしないからこそ実力者の評価を得られないのだ。

今の時代はチャンスに満ちているがチャンスをモノにするには自分を磨き実力者に認めさせなければならないことを忘れ、何の努力もしないで愚痴ばかり言っている私にラッキー・チャンスがやってこないと不満を述べる。成功者と言われる人は人一倍社会に出てから実力を蓄え、誰もが認める実績を作り、実力者の評価を勝ち得ただけなのだ。

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2008年7月26日 (土)

貧乏な子供時代を過ごした成功者達

子供時代に貧乏を経験してきた人で大人になってから成功された方は多い。かくいう僕も子供時代は人一倍貧乏を経験してきた。幼い頃に貧乏を経験すると食べること生きることに必死になり両親に甘えるどころか両親を楽にしてあげたいという気持ちの方が大きくなる。

人はいつかは自立しなければならない。年を重ねるに従って親を頼ることなく親に頼られる存在へと成長していかねばならない。子供時代に貧乏を経験すると自立するという意識が同年代の子供より早くから芽生える。その意識が社会に出ると大きな差となって表れてくる。

30代、40代になっても親を頼る子供が、拗ねて親を困らせる行為を行う。貧乏を経験してきた親にすれば自分の子供には貧乏を経験させたくはないだろう。しかし、何不自由なく生活できたことが子供の自立心を育めなくしているという皮肉がおこってしまう。

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2008年7月21日 (月)

感謝を忘れて我が身を滅ぼす

僕の父は大酒飲みで酔っ払って帰宅して僕や妻に暴力をふるっていた。僕はそんな父が大嫌いだったが、僕が通っている小学校のグラウンドで父の会社の野球大会があり、父がエラーをして社員からバカにされている姿をふと見てしまった。ペコペコ謝っている父の姿を見たのは初めてで、驚きとともに父も人間なのだと思った。

父が家で横暴なのは僕と母が父に冷たい態度で接しているからかもしれないと思った。職場では小さくなって働き稼いだお金で僕たちの生活費を出してくれている。大学に進学したかった父は付き合っている女性が妊娠したので進学を断念して結婚し僕を産み育ててくれた。そのことに対して何の感謝もなく母と僕は生きていることをとても恥ずかしく思った。

大人になってもご両親に感謝できない人は多いが、ご両親はたくさん我慢して子供を育てていることには気がつかない。自分の立場で親の態度を非難するが、親の立場で考えてみようとは思わない。僕の父は仕事で疲れた体で帰宅して僕や母から冷たい態度でいられることが辛かったに違いない。だから、いつも飲み歩き酔っていなければ家に帰れなかったのだろう。

父に感謝し父にたくさんの笑顔を見せるようにしてから父は驚くほど変わった。自分が変われば人は変わる。感謝の心をなくせば人は冷たくなり離れていく。感謝の心を持ち態度で表わせば人は笑顔を見せて寄ってきてくださる。どんなに腹の立つ相手でも腹が立つことを知らずにおこなっているかもしれないと思えるゆとりがなければ自分の幸せは築けない。

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2008年7月15日 (火)

叱ってくれる人がいるうちが花

叱られて拗ねる態度をとっている人は最初のうちはそれを許してくれるが、長く続くと誰からも相手にされなくなる。叱られるということは叱られることをしたからであって何もしていないのに叱られることはほとんどないだろう。拗ねる前に反省すべきことがあるはずだが、ただ叱られたことに対する怒りだけが収まらず大きな態度に出ることもできずに拗ねている。

拗ねていることで友人知人や家族の人が心配してなだめてくれるが、なだめるのは反省しやすいように動いてくれているということで拗ねている人を褒めているのではない。なだめてくれていることを自分は正しくて叱った相手が悪いんだと思い込んでしまう人がいるが、それはなだめてくれている人の思いとは正反対のことになるのでなだめようとしなくなる。

「そうだよね、~ちゃんはよく我慢したね」などと言ってくれているうちにさっさと反省して前向きに生きていければ人間関係はうまくいくが、無視したり、睨みつけたり、反省なき態度を続けるようになると叱った人からガツンときつい決断を下されるかまったく無視されるのがおちだろう。叱った人の愛情が相手には伝わらずただ拗ねるだけで終わるのはその人の器が小さかったとしか言いようがない。

2008 07 15 [心と体] | 固定リンク

2008年7月14日 (月)

人のために動くと書いて働くと読む

「あなたは誰のために働いていますか?」と聞かれれば、「家族のため」「自分のため」と答える人が多いのではないだろうか。でも、入社時の面接では「会社のために何でもします!」などと啖呵を切っていたのではないだろうか。そう言わなければ採用されないだろうと誰もが思う。「自分のために」と言って喜んで採用してくれる会社はそうそうあるものではない。

あるいは「お客様のために働きます」というのはどうだろう。お客様がいちばん喜ぶのは無料なので、飲食は無料、欲しい商品は無料、受けたいサービスは無料にすればいちばんうれしいに違いない。しかし、それでは会社は仕入れ代金も払えないし従業員への給与も支払えないので倒産する。倒産することなく支払いもキチンと行い給与も支払うには代金をお客様から戴かなければならない。

立場を変えて物事を考えれば分かりやすい。「あなたはお手伝いさんを雇うとき、どんな働き方を希望しますか?」もちろん、無給で言われたことを何でもテキパキと行う人を雇いたいに違いない。しかし、給与を支払わなければ誰も来ないし違法だ。また、「今日はすき焼きをしてほしい」と言っても聞き入れてくれないお手伝いさんは欲しいとは思わない。言われたことをやってほしいから雇うのが普通だろう。

つまり、人のために動く=働くとは、雇ってくれた人=経営者のために働くのであって、その対価として給与を戴く(支払う)と考えるのが妥当なことだ。雇ってくれた人のために動けない時は雇用契約違反となり辞職するのがもっとも好ましい解決策となる。働くとは雇ってくれた人のために動くことだというあたりまえの考えが希薄になっている気がする。

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2008年7月13日 (日)

それぞれの人の器に見合った生き方

親は自分の経験から子供に何度もアドバイスを送るが子供はそれに感謝することはなく疎んじるだけで、アドバイスも頻繁になるとむしろ反発され反抗されるだけとなる。「もっと勉強すれば・・・」などというアドバイスは効果的に効くことはほとんどない。その親も子供の時は親から「もっと勉強すれば・・・」などとアドバイスを受けてうるさい親だと思っていたことだろう。

人はそれぞれ自分の器に合った生き方しかできないものだ。自分はこれでいいと思っているときはこれでいいと思っている器に合った生き方を誰のアドバイスも受け入れずに選択しているものだ。これで良いと思っている生き方がおかしいと気づいたとき自分は不幸だと思って生き方を変えようとする。このときはじめて人のアドバイスに耳を傾けるようになる。

つまり如何なるアドバイスも受け手の人に自分を変えようという意欲がなければ効果的ではないということになる。自分を変えようと思うのは失恋や不合格、不採用など反省しなければならない状況になった時で、このとき人は初めて他人のアドバイスに耳を傾ける。「地獄に落ちて人は変わる」という所以である。今自分は不幸だと思っている人は生まれ変わるチャンスだと思えばいい。

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2008年7月 9日 (水)

僕のストレス解消法

誰だってストレスを抱えていると体調もおかしくなってくる。前頭葉はストレスには弱い、嫌なことはできるかぎり考えないようにするべきだ。ストレスの原因となっていることからできるかぎり離れるようにしておくか、そんなことを考えないで済むように別のことを考えるか行動するかを選ぶようにしている。

ストレスは頭の中でぐるぐる回る性質を持っている。ぐるぐる回っている間に前頭葉を破壊していき何もできない状態にしてしまう。ストレスに対抗するには前頭葉では前向きな事や楽しいことしか考えないことで、スカッとする映画や感動的な映画を観たいなと考え行動したり、楽しい場所に出かけてみたり、友達に嫌なことを話してスカッとするかだろう。

気分をいったん切り替えておくとストレスは先ほどよりも強く意識しなくなる。ジッとして我慢しているとストレスのループがかかり気分はどんどん落ち込んでいくので、さっさと別な楽しいことを考えてさっさと行動することだ。スカッとしてからストレスに向き合い、また気分が悪くなれば別な楽しいことを考えスカッとしてから考え直す。この繰り返しで前頭葉をストレスから守る。

気分がすぐれない時は仕事をしないことだ。僕はストレスを抱えているときは講座の収録はしないでデスクワークに徹している。もっと気分がすぐれない時は2~3時間の休みを取って近くの海に出かけてひとり海水浴を楽しんでいる。しっかりと前向きに取り組める気分にならなければ生徒の方に申し訳ないので収録はしないようにしている。気分転換はとても大切なストレス解消法なのだ。

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2008年7月 2日 (水)

僕の憂鬱

社長である僕の仕事で大切なことは将来を見据えた業務提携や商品開発、各事業部の最高決定の判断など社長にしかできない前向きな仕事がたくさんある。しかし、お客様の不満、自社内の従業員の不満、加盟校の従業員の不満、自社内の幹部社員の不満、加盟校幹部社員の不満、加盟校オーナー様の不満、などが集中してやってくる。企業のトップは叩きがいのある標的で不満をぶつけるにはもってこいだ。

パソコンという便利なツールはこちらの都合にお構いなく日曜・祭日・関係なく24時間体制でやってくるので、僕の仕事は大忙しになる。良い情報は挨拶程度で済ませることができるが、不満はこうはいかない。内容を吟味して社内の過去の取引記録や情報を収集し関係者にお聞きしてお返事を書かなければならないのでたったひとりの対応だけで数日仕事となる。

心身になって考えてくださる方はこちらの返事に寛容の態度で応対してくださるが、自分の都合で書かれている方は返事の内容が気に入らないとさらに追い打ちをかける。「おまえの態度は権力者の横暴だ」という方もいれば、「社長は何も知らないから教えてやった」という方、「恨んでやる」「おまえに言うのは俺ぐらいだろう」という方までいろいろだ。

このために僕の前向きな仕事はどんどん遅れてくる。そこで結論を急いで「僕が嫌なら僕から距離を置かれてはどうですか?」と言うとさらに追い打ちをかけるかのように「おまえは俺を非難するが、何という人でなしだ」とたたみかけられる。いったいどうして欲しいのか分りかねるモノもあれば、何を言ってもどんどんエスカレートする方もいる。組織が大きくなれば風当たりもそれだけ大きくなる。

どうしても納得していただけない場合は、こちらも厳格に対処せざるをえない。世間の常識から逸脱した場合は法的な手段で対処するし、いろいろな方の意見を聞きながら対策を練り上げていかねばならない。顧問弁護士の方と今後の対策を打ち合わせしっかりした対処を行わなければ、前向きな仕事に取り組めない状態になってしまう。こうした方への対応が僕の憂鬱となる。


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2008年6月29日 (日)

物事の二面性を理解できない人は不幸になる

20代、お金で困っているときに父は一銭もお金を出してくれなかった。「酒の好きな奴に酒を断つから最後の酒をくださいと言って酒をやって断った奴はいない。同じようにお金で困っている奴にお金の工面をしても感謝するのはいっときで絶えずお金を要求し、あまりの厚かましさに断ると憎むものだ。稼げる人になれなければおまえは腹を切って死ね。」と突き放された。

自分の息子に「腹を切って死ね」と啖呵を切る父を僕は憎んだ。それが父の深い愛情だと知るのに10年かかった。同じように多額の借財で苦しんでいた知り合いの経営者がいた。返済に苦しむ彼は一生懸命に仕事をしていたが愚痴っぽかった。憐れんだご近所のおばさんがなけなしの800万円を彼に貸してあげた。しかし、彼は返済できずに女と逃げていった。おばさんは烈火のごとく怒って彼を憎んで死んで逝った。

僕は父の言葉が真実なのを目の当たりにした。お金を工面してほしい人は情けをかける人を良い人だと喜び、情けをかけない人をろくでなしと非難する。情けをかけた人は次も情けをかけてくれるものと期待され、断ると最初の人よりも非難され憎まれる。1度は情けをかけてくれたことに感謝したことを忘れてしまう。自分の都合だけで物事判断すると思わぬ落とし穴に陥り不幸になってしまう。


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2008年6月28日 (土)

苦しいは生きてる証し

運動選手は自分の限界以上にトレーニングするそうだ。自分でこれが限界だと思っている地点を過ぎて初めてそのトレーニングは効果を発揮するそうだ。自分で考えている限界がどんどん大きくなっていく。肉体は限界に耐えられるように増強していく。自分の限界に達しないうちにトレーニングを止めれば体力的な成長はないと教えてもらった。

メンタルタフネス(精神的強さ)も同じことで、「もう嫌だ」「誰があんなこと我慢するか!」「もう頑張らない」と思っているときは精神的なトレーニングを積んでいるということだろう。嫌な事に出会うと誰もがそこから逃げ出したくなる。逃げることができなければ無視しようとする。しかし、真正面からその問題にぶつかり乗り越えようとする人だけがメンタルタフネスを身につける。

運動でも精神的な強さでもトレーニングの苦しさから逃げ出せば成長はない。これは自分を鍛えるトレーニングだと自覚しているのか、それとも誰かにやらされていると思うのかでその人の成長は大きく違ってくる。すべてはみずから挑戦すべき課題だと思って挑戦してみることだ。真正面から全力でぶつからなければいつまでたっても問題解決とはならない。

思いっきり叫んだり、思いっきり涙したりすることもあるだろうがそれが生きている証だろう。運動選手だって叫んでいるし涙を浮かべて笑っている。それは自分の限界に絶えず挑戦し続けた者が得る生きている実感なのだろう。精神的な苦痛から目をそむけず、これこそが自分に突きつけられた最高の課題だと思って挑戦し、思いっきり叫び涙すればいい。

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2008年6月24日 (火)

大義に生きて思うこと

人の生き方には小義、中義、大義とある。小義とは自分のために生きる生き方で他人の幸せなど願う必要がないのでそこそこの生き方で充分だ。自分の満足を求めるとゲームがしたい、テレビが見たいなど我慢しなければならないこと、努力しなければならないことをできる限り避けようとする。諦めや挫折しやすい生き方で大きな満足感はない。

中義に生きるとは家族や会社など自分が属している組織などのために生きる生き方で、最初にこうした生き方をしたいと思うのは恋人を幸せにしたいと思って働いたり努力したりすることで得られる満足だ。恋人ができると自発的にそうした努力を惜しまないがチームや家族や会社といった組織ではかなり意識して行動しなければ中義は保てない。しかし、感謝される満足感は小義に勝る。

大義に生きるとは、庶民や地域や地球といった大きな社会のために生きることで、江戸末期、藩のために生きる武士が中義とすれば、日本のために藩を捨て生きる事を大義と解釈してもいいでしょう。会社のために生きる事を中義とすれば会社が儲かれば二酸化炭素を出し続けても良いではないかという考え方です。もう一歩進んで地球環境のために二酸化炭素を削減する努力を惜しまない企業になろうとすれば大義に生きることになります。

大義に生きると小義を犠牲にしてしまいますし、中義と考えが食い違う場合も起こり得ます。中義で得たチームのために生きることで協調性が出てきます。大義ではさらに生命すべての配慮ができるようになり生命への畏敬の念が芽生えてきます。自分は生きているよりも多くの生命によって生かされているという感覚を持つようになり、中義よりもさらに高い満足感が得られます。

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2008年6月22日 (日)

ビジネスは戦争だ!

会社はひとつの組織で経営者を中心としたチームでライバル企業と戦って勝ち残らなければならない。商品やサービスといった武器を持ちライバル企業と必死になって戦わなければならない。戦略を立てる経営者は軍司令部にあたるし戦略を理解し実行する幹部社員は将校にあたいし幹部社員の部下は兵卒だろう。

戦略を無視して単独行動にでれば部隊は全滅する危険を伴う。軍では軍法会議を行い規律違反者は上官といえども徹底的に糾弾するがそれは部隊が生き残るために必要不可欠だからだ。戦略は全部隊が一丸となって必死に行動することで目的を達成する。誰一人として勝手な振る舞いや手抜きは許されない。

戦う仲間が傷つき死んでいくこともあろうが、仲間を守るためには感傷に浸っている場合ではないことの方が多い。特に上官や指揮官は感傷に浸っていると部隊を全滅させる危険を伴う。退職、転職、解雇、引き抜き、クレームなど部隊のチームワークが乱れそうになることはしょっちゅうだが感情的になってはチームは守れない。

上官や指揮官に求められることは軍司令部がたてた戦略を忠実に守り実行することで批判や無視は許されない。生きるも死ぬも全部隊がいっしょであり、だからこそ鉄壁の団結が求められる。戦う仲間意識が芽生え、戦友のためには自身の命すら危険にさらして守ろうとする。そうでなければ戦争では勝ち残れない。

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2008年6月21日 (土)

自分を生かす唯一の道

バクテリアをシャーレで培養するとシャーレいっぱいに繁殖して全滅する。生命は自分の都合だけで生きていると欲望のために自分自身を滅ぼすまで欲望のままに生きてしまう。繁殖すること繁栄することを優先すればその先にあるのは自滅だとシャーレの中で朽ちてしまったバクテリアは教えてくれる。

相手のことを思いやり我慢すること(理性)を覚えるようになれば長く繁栄することができる。自然は自分の欲望と相手の欲望のバランスで成り立っているが、肉食動物はむやみに草食動物を食べないし、草食動物はむやみに草花を食い荒らさない。彼ら動物には自然と共存共栄の精神が宿っているように思える。

人間だけがむやみに増殖し朽ち果てるまでの短い繁栄を謳歌しようとする。もともと意識の中にある共存共栄の精神=博愛を忘れたかのように自己都合が優先される。つっぱって、相手を傷つけ、無視したり、横暴な態度をとったり、自分の言い分が正しいと暴言を吐いて相手を傷つける。

人類だけが理性と感情を自分でコントロールすることが許された動物だ。他の動物は自然と理性が働きむやみに他の生き物を殺したりしないしムシャクシャするからと他の生き物を傷つけるようなことはしない。しかし、食物連鎖の頂点に立つ人類は理性を意識しなければ横暴な振る舞いが目立つやっかいな動物だ。

愛情溢れる地球上では、いかなる生命といえども愛情に満ちていなければ自滅する。それは自然の法則なのだろう。元気に生きている生命を食し、自分の命を長らえている人類は他の生命に感謝し自分を抑制し感謝に満ち溢れた行動をとることが自分を生かす唯一の道だ。

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2008年6月20日 (金)

素直に「ありがとう」と言えなくて…

いつの頃からか「ありがとう」と素直に言えない人が増えてきているように思う。相手の反応が分らないから、言っても感謝されないから、言いたくないから、などといった自分の都合で「ありがとう」と言えなくなっている。相手から受けた好意に対して素直に感謝できないのはとても危険だ。

映画館で大声で話をしている人に注意した人を注意された人が憎しみを込めた眼で睨みつける。決して素直に謝ることはない。まして「注意してくださりありがとうございます」などと言ったという話は聞いたことがない。この場合、話の邪魔をされたことに対する怒りや憎しみに心は満たされる。

周りの人が映画鑑賞をしているので静かにすることがマナーだということに気がつかない。つまり、周りの状況が分かっていないが自分のやっていることを否定されたことに対する怒りだけが心を満たす状況、自己勝手な判断に陥っていることに気がつかないでいる。

自己都合が優先されて周りの状況が呑みこめない人を「場の空気を読めない奴」と言う。「ありがとう」と素直に言えない人はこうした状態に陥っていると判断でき、放置すれば自己勝手な行動が目立つようになるので周りの人が迷惑だと判断して距離を置くので誰も付き合ってくれないようになる。

自分の心を健全に保つためにも人の好意に関しては素直に「ありがとう」と言うようにすべきだろう。「ありがとう」は他人への感謝の言葉ですが、自分の心を磨く言葉でもある。自分磨きができなくなればどんどん退廃していき破滅する。他人への憎しみに包まれて「ありがとう」と言えない人は注意しなければいけない。

2008 06 20 [心と体] | 固定リンク

2008年6月14日 (土)

反省すべきはいつも感情的になっている自分にあるものだ

いろいろな場面で人は自分の立場で発言し行動する。遊びに夢中になっている子供が部屋にいて家が火事になっていることに気がついたお父さんは子供を逃がそうとしますが、子供は遊びに夢中で言うことを聞いてくれません。焦るお父さんは子供をぶん殴って部屋から子供を外に連れ出します。家が火事になっていることを初めて知った子供は憎んでいたお父さんに感謝する。

赤字の会社に勤めている従業員はケチでいつも始末してくださいと言っている経営者を嫌っている。安月給なので仕事も手抜きをすることが多くそのたびに経営者が指摘しお互いに険悪な空気になる。「こんな安月給で働けるかバカ!」と思いながらも転職する気はない。経営者が自分の給与を取らないで金融機関を回り親戚からお金を借りて給与を払ってくださっていることに感謝することはない。

有能なプロの選手は監督が使ってくださらないことに腐ってしまってヤル気を失くしプロの世界から脱落していくことが多い。しかし、有能でない選手が地道に努力して才能を開花させ監督が使わざるを得ないほど伸びてくることもプロの世界ではままあることだ。監督の立場からすれば才能ある選手でもチームワークを優先して起用しなければならない。

相手の立場に立って物事を熟慮すれば自分の課題が見えてきます。腹を立てていたことは自分の甘えで、そうしてもらっていることに感謝できていない自分がいたり、もっと周りの状況をよくみるべきなのに自分が見えていることに夢中になっていたり、結論を急ぎ過ぎていたり…あれあれ、それって自分勝手なのかな?と思うことがよくある。反省すべきはいつも感情的になっている自分にあるものだ。

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2008年6月12日 (木)

ピンチの時こそチャンスあり

資源高の2008年、企業業績は悪化し物価は上昇し株価は下がり、不景気観測懸念から気分も沈みがちです。しかし、こうした状況下だからこそ新たなチャンスが生まれるのです。これまでスーパーに卸していた製造メーカーは直販に挑戦しなければ生き残れないでしょうし、コスト高から新たな技術が採用されやすくなり、新たな資源開発も活発になります。

社会構造の激変はその直前にたいへんな不景気を迎えます。今回は石油価格の上昇により電気自動車の開発と販売が前倒しになり、鉄鉱石の上昇によりカーボンファイバーなどへの需要が高まってきています。食糧資源の高騰により減反や休耕田が見直されていますし、肉食から穀物をもっと食べようという変化が見られるようになりました。

人間も堪え難い苦痛をともなう状況に追い込まれて激変します。変わらなければ生きていけない状況こそ成長へのきっかけとなるのは経済の世界と同じです。「不幸は幸福の種」であり多くの人が不幸のどん底を味わった時にやろうと決意したと言われます。経済も人間も追い込まれて初めて生まれ変わるのですから、今が苦しい人ほど成長できます。

2008 06 12 [心と体] | 固定リンク

2008年6月 4日 (水)

自分の殻を破らないと!

「自分の殻を破らないと成長しない!」とよく言われます。自分の殻って何でしょう?営業が嫌いな人は「見ず知らずの他人に笑顔なんかできないし、私だったらそんなことされても相手にしない」と考えるでしょう。しかし、会社からすれば営業できないことで赤字になり倒産するぐらいなら、その社員を教育して営業できるようにしたいですね。

研修係のスタッフは参加している方に「自分の殻を破って笑顔でお客様にお声をかけてみましょう」と言うでしょう。この場合、自分の殻は自分の考えということになります。「そんなことをすればカッコ悪い」という思いが自分の殻です。しかし、カッコつけていると嫌われることってよくありますね。つまり、自分ではカッコいいと思っていることは他人にはカッコ悪いと映っていることが多いのです。

反対に自分ではカッコ悪いと思っているのに他人にはカッコイイと映っていることもよくあります。一生懸命に頑張っていたのに合格しなかった、受賞しなかった、入賞できなかったとき、ひどく落ち込んでしまいますが、見守ってきた人にはそれがとてもカッコよく映ります。「君はとても素敵だったよ!」と言っていっしょに涙してくださる人がいるものです。

自分ではやりたくもないことに果敢に挑戦し遂行する姿を見て誰もカッコ悪いとは思っていません。たとえそれが大失敗だったとしても、人は喜んで受け入れてくれます。自分がカッコ悪いと思っていることに果敢に挑戦してみることで多くの人から感謝され信頼されることはよくあります。ほんとは「カッコ悪いことが、いちばんカッコいいんだ」ってことでしょうね。

2008 06 04 [心と体] | 固定リンク

2008年6月 2日 (月)

当たって砕けろ!

仕事の悩みの大半は人間関係だと思います。お互いに気を遣いすぎて疎遠になり憶測だけでストレスをため込んでしまっていることが多いです。解決策はストレスの原因となっている一番気を使っている人に直接ストレスの原因を話す対話を試みることです。つまり「当たって砕けろ!」ということです。

お互いにもっとも避けたい話題ですから最初は硬い表情になりますが、どちらかが無償の愛情を示せば解決します。何があっても何と言われてもどんな態度を取られても相手を受け入れるという強い意志と愛情あふれる態度を貫き通せば時間がかかっても必ず相手は折れてきます。

上司との人間関係、同僚との人間関係、部下との人間関係、お客様との人間関係…どこかで諦めていたりためらっていたり感情的になっていたりしていませんか?気まずい雰囲気をつっくっているのはあなた自身なのですし、解決するのもあなた自身です。

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2008年5月31日 (土)

あなたは何のために働いていますか

再就職面接で「あなたはこれまでの職場で何のために働いていましたか?」と聞かれて「生活のためです」と答えれば採用されないだろう。企業が採用したい人材とは会社の業績をこれまで以上に伸ばしてくれる人で、面接では「会社の業績を向上させるべく働いてきました」と答えなければならない。それで得た収入を生活に使おうが趣味に使おうがそれは個人的な問題で会社としては関知しない領域だ。

会社で働いている人に「企業は従業員に何を期待しているのか?」と聞けば欧米では「企業収益の向上」だと答える。「そのために自分はこの企業に雇われているし、できなければリストラされる」と答えるだろう。企業は利益集団であり、稼いだ収益で従業員の給与を支払い株主に配当を出し次の投資を行っている。赤字の企業はみんなに迷惑をかけるので社会から淘汰される。

成功している企業人はいつも「企業収益の向上のため何ができるのか?いくらの予算でいつ、いかなる方法で、どれほどの収益をもたらすのか?」いつも自分に問いかけている。その挑戦が積み重なって自分を鍛え社会に貢献できる人材となっていく。企業収益向上のために知識を蓄え、スキルを磨き、積極的に技術を磨き営業し、広く出かけて多くの人に会い、お客様に喜ばれる人となる。

2008 05 31 [心と体] | 固定リンク

2008年5月24日 (土)

あなたが僕の子供というだけで幸せです

僕は自分の子供が大好きで、ただ自分の子供でいてくれるだけで幸せだ。学校の成績が如何なるものであってもそれを咎めるようなことはせず、笑顔で子供を受け入れたやりたいと思う。僕が自分の生き方にいつも反省しているように、子供だって人を傷つけたり失敗したり反省することはたくさんあるだろうが、それを責めるのではなくいつもかばってやろうと思う。

家族はどんなときにも助け合う間柄でありたい。どんなに落ち込んでいても虐められても辛いことがあっても親に辛くあたっても反抗的であっても家に帰ればいつも笑顔で迎え入れてやりたい。自分の子供たちの父として生きていることにうれしさと感謝をいつも感じる。お父さんだって失敗し人を傷つけてばかりなんだからただ生きてくれるだけでいい。

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2008年5月19日 (月)

親を敬う子供が社会で成功する

日本人がブラジルに渡って100年以上、日系ブラジル人が大出世しブラジル経済に大いに貢献しているが、彼らの多くは祖父や祖母、父親や母親が一生懸命に働き、自分たちを学校に行かせてくれたおかげでこうして成功しているのだと異口同音に話している姿を見る。貧しい暮らしの中から子供にだけは学校に行かせてくれたことに感謝し何としても成功して家族に少しでも良い暮らしをさせてあげたいと必死になって勉強してきたことがよく分かる。

1980年代、アメリカにいた僕は若い日本の留学生が遊びに夢中になっている中で、中国人やインド人の留学生が真剣に勉強している姿を見てきた。彼らも同じように家族が懸命に働いてくれているおかげでこうして勉強できていると感謝していた。2008年、中国やインドが伸びてきているが彼らが成長し国家を支える人材となっている。彼らもまた祖父や祖母、父や母に対する感謝の気持ちが人一倍ある。

僕もまた両親に感謝しながら生きてきた。暴力的だった父親で何の資金援助もしてくれなかった父親だった。父をよく知る人の評価が決してよくないのも知っているが実直に働いてきた父親を僕は誇りに思っている。両親がいなければ僕はここにいない。もっとも身近にいる人を愛せない人が社会で成功するとは思えない。社会で成功するには多くの人を愛せるハートが必要だ。

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2008年5月15日 (木)

やることなすこと気に入らないって?

その人が好きであれば、その人の言動のすべてが好印象で、とても好感を持って受け入れる。ちょっとしたミスでもカバーしたり許してあげることにも嬉しさを感じるほどだ。その人と何かしら関係していると思うだけでワクワクしてくる。その人が嫌いであれば、その人の言動のすべてが悪印象で、嫌悪感を持って受け入れる。ちょっとしたミスでもカバーできず許してあげることもできずに憎悪を感じるほどだ。その人と何かしら関係していると思うだけでムカムカしてくる。こうした二面性が人間にはある。

全く同じ人物なのにある時は好感を持ちあるときは嫌悪感を持ってしまう。その人が何かの原因で変わり印象が変わる場合もあるが、その原因は自分にあることが多い。他人を受け入れる寛容性=器は日常受ける刺激によって大きく変わるので寛容性がなくなってくると感情的になって他人に対して嫌悪感を持ちやすくなってしまう。たとえば毎日嫌なことが続くとチョッとした他人のミスが気になって気分が悪くなってしまう。

あの人は嫌な人だと思ってしまうとき、自分の寛容性が小さくなっていないかと考える。良いことがあると人は嫌なことがあっても平気で過ごせる。楽しい出来事を思い出してみたり、良い思い出になるように努力してみたり、その場を離れて気分を入れ替えたり、つまりはその人との関係を良くしようと考えて実行してみることだ。嫌悪感を抱く前に嫌悪感を抱いている自分を反省してみる。嫌悪感はその人の世界を小さくして不幸の原因となるので避けなければならない。

ストレスが多い毎日の中では他人を受け入れるどころか他人を拒否しがちになる。一方が嫌悪感を持つと必ずお互いに嫌悪感を持ってしまうので好印象を持とうと決意して行動してみることだ。それでも相手が嫌悪感を持ち続けていれば別れていくだろうが寛容性を広げようと努力した人はそれだけ成長する。寛容性の大きさはその方の幸福感を左右し、寛容性が大きい人ほど生きていることも楽しくなる。「何をそんなに私とんがってるの?」って思える自分が大切だろう。

2008 05 15 [心と体] | 固定リンク

2008年5月12日 (月)

人の心を溶かすのは深い愛情

拗ねる(すねる)、妬む(ねたむ)、憎む(にくむ)、反抗するといった感情は自己主張が認められない状態になり、相手を思いやる感情がなくなり、自己実現だけが目的になってしまった時に起こる。激しい怒りやどうしようもない深い悲しみに陥ることで自己防御しようと脳細胞が働く。しかし、感情に振り回される自己防御であって問題の解決策にはならない。

こうした激しい感情を突き抜けると今度はただ生きている自分に感謝できるようになる。どんなに辛いことでも受け入れられる自分を発見した時に、人はもっとも人らしい行動が取れるようになる。すべての生命は他の生命の助けなしには生きていけない。毎日の食事ですら他の生命を皿に盛り頂いている。自分は活かされているひとつの命だと気がつく。

周りの人に感謝し、深い愛情を注げるようになる。拗ねる(すねる)、妬む(ねたむ)、憎む(にくむ)、反抗するといった感情を持っていた自分が恥ずかしくなり自己主張よりも他人主張を受け入れようという気持ちになる。こうした感情の起点となるのがみじかな人の無償の愛情で、無償の愛情をもった人に接することによって人は甦るのだと僕は思う。

2008 05 12 [心と体] | 固定リンク

2008年5月10日 (土)

片思いの力って凄いんだよ

片思いのとき、相手の方が自分の思いを受け入れてくれるように必死になって努力する。気に入られようと高価なモノを買ってプレゼントしたり、手足となってどこにでも行ってあげたり、どんな相談にも応じようとしたり…相手の方が好きになったことでこうした行動を喜んでとるようになる。それを僕は片思いの力と言っている。

片思いの力を恋人に限定せずにいろいろなモノに広げてみてほしい。たとえば仕事に片思いを馳せるとどんなことでも必死になって喜んでやるようになる。仕事に熱中しているので上達も早いしお客様や仕事仲間の信頼も厚い。結果としてその仕事はその方の人生になくてはならないものになり多くの人に認められるモノになっていく。

人間関係に広げてみれば、多くの方が良い人だと褒めてくださるようになり信頼も厚くなる。人の好き嫌いをなくして多くの人を愛して片思いの力を利用すれば、幸福に満ち溢れた人生を過ごしていることに気がつく。人の好き嫌いは自分の器の大きさで、その人の器が小さければ仲の良い友達ぐらいしか受け入れられない。

僕は相手がどうあれその方やモノに片思いをするようにしている。片思いなのでその方やモノには迷惑なこともあろうがどんどんその方のためになると思えることは積極的に努力する。気がつくと僕は多くの方から信頼され感謝されるようになった。こうした幸せはお金や名誉や権力では得られない人間としての最高の喜びだと思えるようになった。

2008 05 10 [心と体] | 固定リンク

2008年5月 7日 (水)

上意下達と下意上達がなければ遣り甲斐は生まれない

アメリカのAT$T社の製造部門でウエスタン・エレクトリック社がシカゴに持っていたホーソン工場で従業員のヤル気がなくなり欠陥商品が増加して返品の山を築いてしまった。工場長は労働環境をチェックしたが給与面でも福利厚生施設面でもライバル工場より優れていた。報告を受けた経営者は困ってハーバード大学に調査を依頼した。

従業員に聞き取り調査をして、1、従業員全員、自分がやっている仕事の目的を知らない。2、自分たちの仕事が地域社会や会社のためにどのように役立っているのか知らない。3、貢献度や寄与度に応じた評価基準が知らされていない。という結果を得た。つまり、従業員全員が何のために仕事をしているのか全く分からない状態だということに気がついた。

ハーバード大学のメーヨー教授は二つのことが必要だと診断した。ひとつは上から下へのトップダウン(上意下達)もうひとつは下から上へのボトムアップ(下意上達)で、この二つの連絡網がキチンと機能していない=コミュニケーション不足であることが仕事へのヤル気を削いでいることを教えてくれた。不都合な真実であっても上に報告することが大切なのだ。

部下に必要な情報を伝えないでこれだけにしようと制限を加える。上司に現場の情報を制限して伝えるなどということがあった場合、業績は必ず悪化する。僕の会社でもこうした情報操作が行われていたことがある。そのために全員が苦しむ事態に陥ったが、その原因はこうした情報操作だった。面白いことに情報操作している幹部ですらそのことで苦しむという皮肉を生んでいた。

2008 05 07 [心と体] | 固定リンク

2008年5月 6日 (火)

人と接する幸せ

僕は人と接するのが大好きでテレビを見ているよりも人と話をする方が好きだ。テレビは多くの情報を与えてくれるが人はその人が感じたモノを僕に与えてくれる。人はそれぞれ感じ方が違うのでその人の感じ方を知るとそうした感じ方もあるのかとちょっと不思議な感覚を覚える。多くの人は多くの感じ方を教えてくれるので人との出会いはとっても好きだ。

テレビやパソコンはたくさんの情報を与えてくれるが、時間があれば静かに何もない部屋で明かりもなく音もなくひとりでボーッと深く静かに考える時間が好きだ。そんな時間が考えをまとめてくれるし閃きもある。瞑想というにはおこがましいし熟慮というほど頭を回転させていない。人と会っている時間とひとりでボーっと考えている時間が交互にあって僕は自分を保っているように思う。

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2008年5月 4日 (日)

長く生きることより充実した中身が大切

僕の父は死期を悟ってからは心静かにベッドで横になり、妻に「これで最後だからタクシーを呼んで欲しい」と言って病院の先生に痛み止めの注射を打ってもらって永眠した。愛される喜びを感じた日々に感謝して、これ以上病院の治療を続けようとはしなかった。僕や母に遺書を残していたがその内容は感謝にあふれていた。僕は父の死を見て長く生きるよりも充実した生き方が大切なのだと思った。

多くの人のために尽くし、人の愛情を感じ、人に感謝できる生き方こそもっとも大切な生き方なのだろうと思った。たったひとりでも自分を愛してくださる人がいて、その人とともに過ごした日々に感謝できればいつ死んでも悔いはないということだろう。自分と関わる多くの人にできるだけその期待にそえる生き方をしてみようと僕は思った。気がつけば僕は悔いのない日々を過ごしていることに気がついた。

「滅私奉公」とは自分を活かすことだと僕は思う。自分を殺して人のために尽くすことができれば、結局自分を最大限に活かすことになると実感する。若い頃は自分がやりたいことや認められたいことが前面に出て人を傷つけることもあったが、今は他人がやりたいこと、望むことをやらせるように最大限自分が努力することに徹している。

2008 05 04 [心と体] | 固定リンク

2008年5月 3日 (土)

東広島校 植木博秀さんの体験発表

東広島教室に伺った時、教室に来られていた生徒の方々と教室スタッフの皆さんが僕のために歌を歌って出迎えてくださいました。初めてのことだったので、これにはビックリでした。スタッフの涙の体験談とともに生徒代表の植木さんの体験発表を記載します。


ブンちゃん先生、ようこそ東広島校へおいでくださいました。あの人気の高いブンちゃん先生にお会いすることができるということで、私達は今日のこの日を指折り数えて待っておりました。大変お忙しい中を時間を割いてこの交流会に来て下さったことに心から感謝申し上げます。1時間という短い時間ではありますが、めったにお会いできないブンちゃん先生との心の交流会を有意義に過ごしたいと思っております。私がこの「わかるとできる」教室を知ったのは、平成18年10月に新聞の広告を見たときでした。今どきの会社では、パソコンができるぐらいは常識ではないだろうか、と思い当時77歳でしたが挑戦してみることにしました。

10月17日に入校した時には、尾花由記先生がおられていろいろと説明をしてくださいました。私はワープロで文章を書くぐらいのことしか知りませんでしたので、説明を受けてからパソコンは随分いろいろなことができるんだなあと関心してこれだけいろいろなことができれば人生が豊かに過ごせるかもしれないと意を強くしました。あれから、インストラクターの先生がたもつぎつぎと変わられましたが、今では福重照美先生と前谷夏季先生のお二人の先生に指導を受けております。

両先生ともいつも笑顔で迎えてくださり、生徒たちの為に前向きに一生懸命に指導してくださいます。何度も同じことを聞いても、いやな顔ひとつせず、わかるまで丁寧に教えてくださいます。私たちはいつもこのお二人の先生に「ありがとうございます」と感謝しています。両先生の人柄のよさもさることながら、ブンちゃん先生の教室運営の理念がここでも立派に生きているのだと思います。ブンちゃん先生!どうかこのお二人の先生をほめてあげてください。

私はこの教室に週2回通って1年半になりますが、ワード初級とデジタルカメラ応用編を修了し、エクセル初級講座がもう少しで終わるところです。としを取ると若い頃に比べて物覚えは遅く、忘れるのは早いという情けない状態となりますので、習うスピードはどうしても遅くなります。ブンちゃん先生の教えにあるように「年齢に関係なく挑戦することが大切でそこから道が開けてくる」という言葉に力づけられて、夢と希望を持っていまからもパソコンに挑戦して行きたいと思っています。

次に、ブンちゃん先生のパソコン講座を聞いている時、その合間にパソコンのことだけでなく、人生の生き方について教訓になるいろいろな言葉を解説つきで教えていただきました。これらの教訓は家庭でも職場でも大切にしたいものであり、ブンちゃん先生が大変な苦労をされていろいろな職業を体験され、ついに成功されてその中から生まれたものだけに大変感銘を受けました。私は過去の人生を反省するとともに、これからの人生に活かしていきたいと思っています。

名言の一部を挙げてみますと、「幸福は自ら挑戦して自らの手で勝ち取るものです」「夢と希望を持ちなさい」「他人に与えたことは見返りを期待しない」「感情で対立した時は我慢して自ら折れる」「人を非難しない」「喧嘩をしても相手に逃げ道を作ってあげることが大事です」「苦しい時は逃げないで前を向いて前進する」「精一杯努力する」「何事も年齢に関係なく前向きに挑戦することが大事です」などです。今日は、ブンちゃん先生にお会いできて本当に幸せでした。ブンちゃん先生!どうかますますお元気でこれからも私たちをご指導くださいますようお願いいたします。今日はどうもありがとうございました。

2008 05 03 [心と体] | 固定リンク

2008年5月 2日 (金)

生徒さんとの感謝の思い出


フジグラン東広島校 インストラクター 福重照美

BUNちゃん先生、本日はお忙しい中フジグラン東広島校までお越しくださり、まことにありがとうございます。今回このような場を設けていただき、BUNちゃん先生の前で体験発表をさせていただけることをとても光栄に思います。

東広島校のインストラクターになって約1年4か月が経ちます。とても内容の濃い毎日で、たくさんの生徒さんとの出会いと別れがあり日々学ばせて頂いております。インストラクターの仕事は人の役に立てている!と常に実感でき、今まで経験してきた仕事の中で一番やりがいを感じる仕事です。人から感謝されることの喜びを生徒の皆さんから教えていただきました。本当にありがとうございます。

私は大阪の大学卒業後、兵庫県で訪問販売の営業をしておりました。宅配牛乳の営業で、一軒一軒のお宅に飛び込み営業をしていました。日々・毎月決められた契約目標軒数の達成に向けて業務に取り組んでいました。兵庫県は宅配牛乳の激戦区で営業所もたくさんあり、お客様への営業も激しく、とても嫌われる営業でした。居留守を使われたり、話を全く聞いてもらえなかったり、いらないと言われることがほとんどで、どうやって話をして契約を取るかだけを考えて日々働いていました。仕事のやりがいは契約件数をみんなよりたくさん取ってくることや目標達成をすることでした。お客様の気持ちは一切無視をして行っていたので、人の役に立つことや感謝される喜びは全く感じませんでしたし、それが仕事のやりがいだと知りませんでした。

東広島校のインストラクターになってから本当の仕事の楽しさを知ることができました。私にとってとても大きな出会いでした。この仕事との出会いは東広島に住んでいる従兄の叔母さんからの紹介でした。パソコンの資格を持っていたので活かせる仕事に就きたいと思い探していたところ、紹介してくれました。叔母さんからの紹介がなかったらここで働いていることもなかったと思います。紹介してくださったことにとても感謝しています。

パソコン資格があるといってもインストラクターの仕事は初めてで、最初は全くわかりませんでした。業務に就く前に、生徒の皆さんが受けられるBUNちゃん先生の授業の受講をさせていただいていたので、授業内容は事前に把握することができ、とても心強かったです。しかし、いざ業務に就くとなかなか思うようにはいきませんでした。質問されたことに対してどのようにお答えしたらいいのかわからない。緊張して質問された内容を理解することさえでいないこともありました。

また、フォトショップや水彩講座などまだ私が勉強していない講座を受けていらっしゃる生徒さんからのご質問に答えられず、先輩インストラクターの方に対応していただくことも多々ありました。業務に就きたての頃は先輩の方々にはもちろん、生徒の皆さんにもとてもご迷惑をおかけしていたと思います。うまくお答えすることができなかったり、時間がかかったりしてしまっても、何一つ文句を言わず、私の説明で「ありがとう」と言っていただけた時はとても嬉しい気持ちと今のままではいけないと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。生徒の皆さんのパソコンを身につけたいという頑張りが、私の勉強の励みにもなりました。

インストラクターの業務に就いて最初に嬉しかった思い出は、生徒さんから先生と呼んでいただけたことです。私とお名前が同じ、野尻照美さんという生徒さんがいらっしゃいました。私が業務に就いてすぐのイベントで皆さんの前で自己紹介をさせていただきました。イベント参加者の皆さんもそれぞれお互いに自己紹介をされた時に、野尻さんは「福重先生と同じ野尻照美です。」とあいさつをされました。照れくさかったですが、とてもうれしかったです。そして、まだまだ入りたての私が先生と呼ばれてもいいのだろうかとも思い、不安もありました。しかし、先生と呼んでいただけることに感謝し、責任を持って行動しなければならないと実感した出来事でした。

私自身の初めての入会対応・担任は業務に就いて丸2ヶ月が経った時でした。現在も続けて通ってくださっている、尾辻康博さんです。教室前にいらっしゃったところをお声がけしました。私が、リードしてお話や提案を進めることができず、教室前で二時間ぐらいお話をしました。その後、教室内でまた一時間ぐらいお話をして入会をしていただきました。私にとって初めての入会獲得そして担任でしたが、自分自身納得できない気持ちでした。対応時、何をお話すればいいのかがわからず、ダラダラとお話をしてしまい、私自身、途中から進め方がわからなくなってしまいました。そして、尾辻さんに入会していただくことが申し訳ない気持ちでいっぱいでした。話しに終わりが見えず堂々巡りになっていたので、仕方なく入会してくださったのではないかと思いました。

尾辻さんが帰られた後、りょうこオーナーにこの気持ちを伝えると、「そんな気持ちで尾辻さんの担任になることが、一番尾辻さんに失礼であること。私のことを信用してくれてお金をお支払いして入会してくださったのだから、納得いかないと思うのではなく、責任をもってパソコンを身につけていただくため対応していかなければならない。」と教えてくださいました。納得いかないと無責任な考えを持ってしまった自分がとても軽率で恥ずかしく思いました。

私に、インストラクターとしての自信をつけてくださったのは、佐武基寿さんです。入会された時、パソコン初めてでお家にパソコンもありませんでした。再就職のためにパソコンができるようになりたいと、とても意欲的で前向きな方だと思いました。平日は毎日教室に来てお勉強されました。教室でお勉強されている時にVistaのパソコンを購入されました。ちょうどVistaのパソコンに切り替わった時期でした。パソコン全く初めてで、教室ではXPでお勉強され、お家ではVistaのパソコンで練習をされて、人一倍苦労をされたと思います。しかし、弱音や愚痴は一切はかず毎日ひたむきにお勉強されていました。私は、佐武さんとお会いすることがとても楽しみでした。そして、いつも私の励みになりました。

パソコンでは私が先生ですが、それはパソコンだけでのことで、佐竹さんを始め生徒の皆さんが私にとっては先生であり人生の大先輩です。お話をしたり、ひたむきに頑張られている姿に日々教えられました。私よりはるかにいろんな経験をしてこられているので、言葉の一つ一つにも重みがあります。佐武さんから、継続してやり続けることの大切さ、人に感謝する気持ちを教えていただきました。

インストラクターの業務について、約10か月がたった頃に、戸田雄憲さんとの出会いがありました。現在も通ってくださっており、マンツーマン会員としていつも一緒にお勉強をさせていただいております。私がお渡ししたチラシを見て教室まで来てくださった方です。その時パソコンはお持ちでなく、まったくの初めてでした。知り合いの方がネット株をされていて、自分もやってみたいと興味があったそうです。チラシをお渡しした翌日に教室まで来てくださり入会してくださいました。通い始めて1か月ぐらいが経った頃に、パソコンを購入しようと思うとおっしゃられ、教室でも購入できることをお伝えしました。

お勧めを紹介してと言われ、なるべく安くて最新のパソコンを何台かお勧めしました。その時、私はパソコン本体の性能などについて知識がほとんどなく、調べても違いがあまりよくわかりませんでした。誰もが高いものより安いものの方がいいと思うと勝手に思っており、手頃な価格のパソコンをお勧めしました。パソコンでどんなことをやりたいのかどのようなパソコンがいいのかなど、戸田さんのご要望はまったく聞かず考えず提案をしました。私が調べたパソコンの見積もりをご説明したところ、「商売はお客様のことを考えて自分が自信をもって良いと思えるものを提案しなければならない。この商品は私のために心の底から提案してくれていると思えない。そんな気持ちではダメだ。」と言われました。

言われた時はそこまで言わなくてもとムッとしました。しかし、それは図星で、私の心の中を見透かさせていました。戸田さんからビシッと言っていただき、パソコンの知識がなくパソコン販売から逃げ腰だった私を向き合わせてくださいました。アドバイスしてくださった後に、「私は、このようなこと思っていても本当は人には言わない。教えてくださいと言われない限りしゃべらない。」とおっしゃられました。私のことを思って言ってくださったのだと思い、とてもありがたく感謝の気持ちでいっぱいになりました。その後も戸田さんは現役で働かれていた時の話や子どもの頃の話など、いろいろお話をしてくださいます。若い頃はとてもご苦労をされていたみたいです。昔の話や自分の考えなどご家族の方にも周りの方にもあまりお話しされないそうです。「このような話をするのは、あんたにだけよ。」とおっしゃってくださり、とても嬉しかったです。

ちょうどこの頃、前谷教室長が愛媛から東広島校に転勤して来られました。私よりインストラクター経験も長く、生徒対応や入会対応などとてもすごいと聞いていたので、来られることが決まってから楽しみでした。一緒に働いてみてそのすごさを実感しました。いつでもどんな時でも相手の方のことを考えて生徒さんのことを考えて行動されます。そして自分がしんどい時もしんどそうな顔は絶対にせず、いつも優しい笑顔をされていて本当に素晴らしい人だと思いました。教室長になられてからは、有言実行で考えたことはすぐ実行し、目標は絶対に達成できるように計画をしっかり立ててお話しをされ、本当に尊敬しています。

今回BUNちゃん先生に東広島校へ来て頂くためにたてた「2ヶ月で入会者数30名」の目標は、私は最初、達成できるのか半信半疑でした。簡単に達成できるような数字ではありません。しかし、教室長が絶対に達成できる!と自信を持って言われていたので、私も信じて頑張ろう!と思いました。信じて行動した結果、本当に達成することができ嬉しさと驚きでいっぱいでした。私が、ここまで一生懸命に取り組むことができたのは教室長の目標に向かってのひた向きな行動と自信いっぱいの姿をいつも見せていただいたからです。物事に対して精一杯取り組む姿勢と達成した時の喜びを教えてくださいました。

わかるとできるのインストラクターの仕事を通じて、皆さんから教えて頂くことはとても多いです。この仕事に就いて、人と正面から向きあうことの大切さ、向き合ってともに喜んで悲しんで苦しんで、時には本気でぶつかり合うことの大切さを教えていただきました。人としっかり向き合うことはとてもエネルギーを使います。エネルギーを使いますが、その分日々喜びを感じる量は何百倍も大きいです。生きる喜びを皆さんから教えていただきました。毎日一生懸命パソコンのお勉強をされている皆さんの姿が私の励みです。これからも一緒に頑張りましょう!よろしくお願い致します。

パソコン教室わかるとできるとの出会いがなかったら今の私はありません。わかるとできるを創立してくださったBUNちゃん先生に感謝しております。ありがとうございます。そして、これからもよろしくお願い致します。

2008 05 02 [心と体] | 固定リンク

東広島教室の教室長の前谷さんの体験発表

今日は、東広島教室の教室長の前谷さんの体験発表を載せます。全国ランクインの常連ですが、常連になれた秘訣が生徒の方との心温まる交流だったのだなと感じる発表です。吉村オーナーの教室は3教室ともに全国ランクインしスタッフの皆さんがこうした体験を生徒の方々の前で感涙しながら発表して下さいます。もらい泣きしました。

体験発表の前に、私の自己紹介をさせていただきます。

私は2年前の5月に愛媛県のジャスコ川之江校に入社しました。入社して初めての会社が、このありがとう株式会社でした。入社当初は内気で人とコミュニケーションをとるということが一番苦手でした。次第に「自分にはこの仕事は向いていないんじゃないか」と考えるようになり、辞職を申しでました。でも、社長をはじめ、専務やジャスコ川之江校の教室長はこんな私をこの会社には必要だと言ってくれたのです。その時私は、「もう少し頑張ってみて、それでだめなら辞めよう」と決めました。

それから2カ月程経ち、生徒さんとも距離が縮まり始め、今まで一番苦手だったコミュニケーションが一気に楽しくなり、今では生徒さんとの会話がとても楽しみになりました。その頃、私はこの仕事の楽しさを体感し、自分の居場所はここしかないと思い始めました。それから1年半、愛媛県のジャスコ川之江校でお世話になり、昨年10月に東広島校へ転勤してきました。

東広島校の生徒さんはどんな方がいらっしゃるのか、私を受け入れてくださるのか、という期待と不安がありました。しかし、皆さん笑顔で歓迎してくださり、不安は一気になくなりました。中でも植木さんは私を一番歓迎してくださり、それが何よりも励みになりました。そして、これから一緒に働く福重先生とも早く打ちとけて楽しく仕事をしていきたいと思いました。福重先生は私を実家へ招いてくれたり、教室に早く馴染めるように気を使ってくださいました。福重先生の実家に行かせていただいた時は、お母さんが私の好きな山芋の手料理を沢山用意してくていました。お父さんも隣でお餅を焼いてくれたり、色々お話をしました。おじいちゃんとおばあちゃんもとても親切に私を迎え入れてくださり、すごく温かい気持ちになりました。それからもお母さんが手料理を作って下さったり、私が体調を崩した時は薬を持ってきて下さったりと本当に愛情に溢れたご家族だと思います。その一つ一つの心遣いや思いやりが私にとって心の支えとなっています。

そして今年の2月、BUNちゃん先生に東広島校へ来て頂くための目標を達成するために力を合わせて精一杯がんばりました。福重先生と二人で目標達成するための話し合いを何度も行いました。「絶対にBUNちゃん先生に来ていただいて、生徒さんに喜んで頂きたい!」私たちにはその想いだけでした。それが生徒さんにも伝わったのか、たくさんの生徒さんに応援のお声をかけていただいたり、協力もしていただきました。このような素晴らしい日を迎えることができたのも、皆様のおかげです。本当にありがとうございました。

東広島校はこれからもっとたくさんの地域の人たちに愛される教室、なくてはならない教室にしていきます。どうかこれからもよろしくお願いいたします。

2008 05 02 [心と体] | 固定リンク

2008年4月27日 (日)

泣いた赤鬼作戦で行こう!

昔々、山影にひとりの赤鬼が住んでいました。やさしい赤鬼は人間と友達になりたいと思っていましたが怖がって誰も近寄ってきてくれません。友達の青鬼は「僕がふもとの村に行ってあばれるから君が助けに来ればいい」躊躇する赤鬼に青鬼は言いました「何か一つめぼしいことを成し遂げるには誰かが犠牲にならなくちゃ」…人間と友達になれた赤鬼は感謝するために青鬼の家に行きました。

青鬼の家の前に1枚の張り紙がしてありました「赤鬼くん、人間たちと仲良くしてください。僕が君と会えば人間は君を疑うので僕は旅に出ます。いつまでも君の友達 青鬼」赤鬼は黙って二度三度とそれを読み、戸に手をかけて、顔を押し付けて、しくしくと、涙を流して泣きました。

子育てに手を焼いている妻に僕は言いました「長女も中学生となり反抗的で、長男が大阪暮らしでいなくなったことでますます君に反抗し乱暴な言葉や態度が目立つようになった。僕が長女を手にかけるから君が長女の助けに入れば、きっと長女は君に心を開くよ」僕は生れて初めて長女を叱り手をかけた「お母さんに感謝するどころか苛めるなんて、なんて奴だ、こらしめてやる!」

泣きながら助けに入った妻は数日して僕に言いました「長女が、お母さん大好きよ!って言ってくれた」僕のことを心配している様子だったので僕は言いました「な~に、家庭ではお母さんをみんなが大好き、お父さんをみんなが避けるぐらいでちょうどいいのさ。」長女はそれ以降、僕とは目線を合わさないようにして黙っていますが、穏やかな態度に変わりました。

2008 04 27 [心と体] | 固定リンク

2008年4月13日 (日)

わかるとできるテーマソング・エピソード たかなしさとし物語 

僕は現在、東京・赤坂にあるポストプロダクション(映像編集・MAを行う会社)に勤めています。僕が今の会社に就職できたのは、BUNちゃん先生のお陰に他なりません。ここに辿り着くまでには、様々な経緯がありました。今回は、そのことについてお話したいと思います。

1984年・僕は、祖父・祖母・両親・親戚の多数が“薬剤師の資格を持つ”という薬剤師家系の長男として誕生しました。そんな僕は当然の如く薬剤師になるよう育てられ、小学時代の文集には「夢は薬剤師になること」と必ず書いていたことを覚えています。

しかし、中学三年生の秋、その夢は何処かへ行ってしまうことに…。体育祭の出し物であるダンスに夢中になり、その魅力にとりつかれてしまったのです。 まぁ、ダンスに夢中になったきっかけは、転校してきた女の子を振り向かせたいという邪な気持ちだったのですが…。その女の子にはもちろん振られました(笑)

これを機に、ダンスを本格的に習いたいという想いが芽生え、地元・仙台でスクールに通い始めることになります。と言っても、このスクールはダンス専門ではなく、平たく言うと“タレント養成スクール”のようなところで、ダンスを習うには、歌と芝居も共に学ばなくてはならないカリキュラムになっていました。それまでカラオケすら行ったことがなかった僕にとって“歌”というものなどは未知の世界。半ば嫌々トレーニングを続けていたのですが、スクール長の「君はいい声を持っている」という一言で、歌にも真剣に取り組んでみようという意欲が湧いてきました。

それからは、ひたすら歌とダンスに明け暮れる日々・・・そして、いつからか“本格的に習いたい”という気持ちは“プロを目指したい”という気持ちに変わっていきました。以後、タレント養成兼、タレント事務所でもあるこのスクールに、一アーティストとして所属、DoCoMo主催のイベント出演や仙台ホテルでのディナーショー、ZeppSendaiでのワンマンライヴ、ラジオパーソナリティーやテレビ出演、インディーズでのCD発売など、数えきれないほどの経験を積み重ねました。

その後、“僕の目指す道はこれしかない”と言わんばかりに、音楽専門学校への進学を決意。一アーティストとして活動を続ける傍ら、そこではソングライターとしての知識を得ようと、コンピューターを使っての作曲技術を学びました。主に学んだソフトはプロツールス。ここでの経験が現在の僕の職に就く原点となります。

さて、無事音楽専門学校を卒業し、いよいよプロのシンガーソングライターとして本格的に活動を開始する!・・・のかと思いきや、僕が就職した先は、某専門学校ダンス科の講師でした。僕のアーティストとしての活動経歴と、以前からダンス指導を行っていたこともあり、他の専門学校の方から声をかけて頂いたのです。今後、音楽活動をしていくに当たって、ダンス講師というのは時間の融通がきく魅力的なものだったので、それならと選択した職業でした。

そうして、アーティスト活動を続けながら、ダンス講師を務め、1年が過ぎた頃、所属しているスクールの移転話が持ち上がり、“専門学校でMacを扱っていた智史になら、任せても大丈夫だろう”というスクール長の一言から、新たなオフィスでの事務の一切を僕に任せてもらえることになりました。二つ返事で承諾してしまったものの、WordやExcelの知識など持ち合わせているはずもなく、初めて扱うWindowsに僕はお手上げ状態。ですが、HPデザインやスクール広告のデザインなどなど、スクール長の期待はとても大きく、その期待に応えるのは当時の僕の力量では到底無理なことでした。

それが悔しくてたまらず、どうにかしてその期待に応えたい!という想いから、パソコン教室へ通うことに。しかし・・・どういった教室に通えば良いものか・・・、そう思った僕の頭にある光景が浮かんできました。それは、近頃妙にイキイキしてきた、母の姿。帳簿をつけるためにパソコン教室に通い始めた母の姿は、今までとは全く違うもので、とても楽しそうに見えました。そのことを母に尋ねると、母は延々と僕に語りだしたのです。現在通っている教室の分かりやすさ、授業料の安さ、そして何より講師の方の素晴らしさについて。母の話を聞いて、僕もそこに通うことに。そう、その教室が何を隠そう、僕の尊敬するBUNちゃん先生が経営する教室『わかるとできる』だったのです!ここで僕は、わかるとできるとの運命の出逢いを果たしました。

いざ、わかるとできるに通ってみると、楽しいの何のって!!『わかるとできる』には本当に沢山の魅力が詰まっていました。

~僕が感じた『わかるとできる』の魅力~

一.授業はDVDを用いたスタイルなので、自分の興味がある分野を重点的に学び、復習することができる
二.授業に出席できない日があっても、DVDスタイルなので、遅れをとることがない
三.BUNちゃん先生がDVD授業の合間に話す小話がとっても面白い
四.授業内容が夢と希望に溢れている

語っても語り尽くせないほどの魅力溢れる、わかるとできる。母をイキイキさせた理由はここにあったのだと確信しました。わかるとできるに通い、苦手だったはずが、いつの間にか大好きになっていたWindows。Word・Excelを使用した重要書類の作成や、スケジュール管理。Photoshopを使っての、CDジャケット・ライブチラシやポスターなどのデザイン。ブログ講座・ホームページビルダー講座で身につけた技術を活かして作成した、スクールHP・アーティストHPなどなど・・・わかるとできるで身についた技術は、即実践として活用できるものばかりだったので、学ぶ楽しさは倍増していくばかりでした!

母と同様、わかるとできるの魅力の虜になった僕は、空いている時間は教室に通いつめるようになりました。こうして、ダンス講師を務めながら、スクールの事務をこなし、アーティスト活動を行いながら、空いた時間は教室に通い始めて約1年が経過―――。寝る間も惜しんで働き続けた僕ですが、振り返ってみると、その年の年収は40万足らずでした。それもそのはず、収入を得られるものはダンス講師のみだったのですから。スクールからの報酬も多少はありましたが、生活の足しになるほどではありませんでした。

ですが、僕はそれでも充実した人生だと感じていたのです。講師として生徒と関わり合うことは非常に楽しいものでしたし、事務の仕事も、今までお世話になったスクール長への恩返しが出来るのだと思うと、この上ない喜びでした。そんな僕の気持ちとは裏腹に、収入が少ない僕に対して、家族の心配は膨らんでいく一方だったようで、見兼ねた母からは「夢を追うのも良いけれど、端くれながらも社会に出て働いているんだから、自分の衣食住くらい、自分自身で賄いなさい」と言われてしまう始末・・・。それならと、僕は今までの日課に、新聞配達を加えることにしました。

新聞配達が加わったことにより、さらに僕は壮絶な日常を送ることになります。毎朝3時半に起床し、2区間の新聞配達を終えた後、専門学校・高等学校でのダンス講師を務め、スクールでは事務行をこなし、空いた時間に教室へ通い、卒業制作に励む専門学校の生徒に付き合い徹夜し、そのまま一睡もせず翌日を迎え再び新聞配達へ・・・。息つく暇もないほど多忙な毎日の連続。将来が見えない不安定な職よりも、資格を取り、安定した職に就いてもらいたいと願う両親との衝突も絶えませんでした。

そうして、社会人3年目を迎えた頃には、年収は250万を越すほどになっていました。ダンス講師としても信頼を勝ち取り、アーティスト活動も充実。正に全てが“上り調子”。そんなとき、事件は突然起こりました―――・・・。
大きなコンサートを一週間後に控えたある日の練習中、僕はアクロバットの着地に失敗してしまったのです。腰に走った激痛。時間が経つほど増していく痛みに耐えきれず、病院に行った僕に、先生から告げたれた言葉は残酷なものでした。

「腰の骨が削れています。身体を酷使し過ぎたことが原因でしょう。これ以上は踊らないようにしてください。」ドクターストップ――――。少しずつ、少しずつ、積み重ねてきた無理に、身体は悲鳴をあげていました。それに僕は気付くことが出来なかったのです。コンサートは腰をかばいながら何とか乗り切ったものの、ダンス講師は辞めざるを得なくなりました。踊ることを生きがいとしていた僕は、これからどうやって生きていけば良いのか・・・大きな収入元、そして未来への希望すら、突然奪われてしまった僕は、目の前が真っ暗になりました。

どうすれば良いか悩む日々。自分が楽しいと思えるもの・・・今の僕に出来ること・・・そうやって必死で考える中、ある答えが浮かんできました。“音楽・映像編集技術を教えられないだろうか”僕は、それまで自分が出演するライブで使用する音楽、ライブなどで撮影した映像を、編集していました。それを仕事にすることは出来ないだろうかと考えたのです。

悩んでいる暇なんて僕にはありませんでした。思い立つと同時に、スクール長に相談し、紹介してもらった専門学校へ自分が編集したDVDなどを持って営業へ―――。スクール長の推薦ならと、面接もそこそこに採用してもらえることになりました。一度沈みかけた僕の心に、明るい光が差し込んだ瞬間でした。そこで僕は、MACを使用した音楽編集の授業と、Windowsを使用した映像編集の授業を受け持たせてもらえることに。しかし、現実は甘くはありませんでした。

本来、編集の講師というものは、現場の第一線で活躍なさっているプロの方が担当するもの。何の経験もない、ほぼ独学で得たような知識しか持ち合わせていない僕が講師を務めることに周囲の先生方から疑問の声も少なくありませんでした。その疑問は、やがて批判へと変わっていきました。
「ダンスしか能のないような小僧が、どうして急にパソコンを教え始めたんだ?!」
「あんなやつに、本当にパソコン講師が務まるのか?」
「ろくな技術も持ち合わせてないくせに・・・」

周りからの冷やかな視線―――。
確かに、僕には、現場での経験がない上、十分な知識もない。でも、授業を通じて、生徒一人一人に夢と希望を持ってもらいたい!という想いが僕にはありました。“BUNちゃん先生が、授業で夢の素晴らしさを教えてくれるように、僕も生徒に同じ感動を与えてあげたい! 何が出来なくともそれだけは成し遂げたい!” そう自分を奮い立たせる毎日。僕は全身全霊で毎回の指導に取り組みました。そのお陰か、“智史(さとし)先生の授業は楽しい!” “智史先生の授業だけは毎回欠かさず出席している!”そういった言葉をかけてくれる生徒が増え、そのことが僕の心の支えになりました。

そうして授業に励む中、今度は、パソコン講師の方からだけではなく、なぜかダンス講師からも誹謗中傷されるように・・・。
「あいつが編集する映像は最低なものだ、あいつになんか教わらない方がいい」
僕の生徒へ悪口を吹き込み、評価を下げ、やる気を削ごうとする。一度も僕の編集した映像を目にしたことがないような先生が、僕への妬みからとった卑劣な行動でした。

悔しい気持ち・・・やるせない気持ち・・・行き場をなくした僕の哀しみは限界にまで達していました。そんなとき、BUNちゃん先生の授業での一言が僕を救ってくれたのです。“正しいことをしているからこそ、たたかれるんだよ!雑音を気にするな!!”涙が出そうになりました・・・。まるで、今の僕に向けて言われたような言葉。哀しみでいっぱいだった心がスーと晴れ渡り、明日への希望を見出すことが出来ました。“よし!また明日から頑張ろう!!”

それからは、周りの評価など気にせず、ひたすら生徒のことだけを考え、授業を行いました。どうにか質の高い授業を行えないものかと考えた結果、わかるとできるで学んだPowerPointの技術を用いてはどうかと思い立ち、実践。大画面にソフトの操作法を映し出すことによって、大人数への指導が効率よく行えるようになり、生徒からも分かりやすいとの評価を得ることが出来ました。

進路に悩む生徒や、学校を休みがちな生徒がいれば相談に乗りました。また、生徒個人の趣味について語り合うこともありました。卒業制作に励む生徒とともに、徹夜することもありました。
―――少しずつ、少しずつ育んできた信頼関係―――
そうして迎えた卒業式。
「智史(さとし)先生と出会えたことに心から感謝します。いつか必ず恩返しします」
と、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、生徒たちは言ってくれました。

その生徒たちは、専門学校を卒業し、現在、映像関係の仕事に就いて頑張っています。この経験から、僕は”映像で一生食べていきたい”と思うようになり、現在の会社への就職を希望しました。“就職するなら、今は学歴より資格の時代だ”とBUNちゃん先生が授業で仰っておられたことを思い出し、資格取得を決意。『♪訛っている先生にハマってる』僕は、今までのように、空いた時間は教室に通いつめ、楽しく学んで、沢山の資格【P検3級・MicrosoftOffice・Expert (Excel) Specialist(Word・PowerPoint)】の取得に成功しました。その資格のお陰で、僕は現在の職に就くことができたのです。

こうして、上京し、働き始め、ようやく手にした初ボーナスで、家族にお寿司をご馳走しました。幼い頃、祖父がお客様をもてなす度に連れて行ってくれたお寿司屋さん。いつか必ず自分が家族を連れて行こうと決めていました。そのとき、祖父が涙を流して喜んでくれたことは、今でも忘れられない出来事です。

僕の人生の核にはいつも、わかるとできるが、BUNちゃん先生が存在しています。“BUNちゃん先生のお人柄”は本当に魅力的です!BUNちゃん先生の授業中のお話は、恋愛話から、企業話まで、多方面に渡って展開さるのですが、その一つ一つに、愛と勇気と希望が溢れており、聴いているだけで幸せになれたような、そんな気持ちになれます。また、その一つ一つを実行していくことで、本当に幸せを掴むことができるのです!僕はBUNちゃん先生の仰る大切なことは全て実行してきました。笑顔での挨拶や、感謝の気持ちを忘れないこと、愚痴はこぼさないこと、我慢は心の肥しなどなど・・・そうすることで、僕の人生はみるみるうちに明るく、より楽しく、充実したものになっていきました。僕はBUNちゃん先生の授業から、パソコン知識と共に、“人生”をも学ぶことができたのです。

わかるとできるとの出逢いが、そしてBUNちゃん先生との出逢いが、今の僕を築き上げてくれたと言っても過言ではありません。その素晴らしい人生に導いてくださったBUNちゃん先生へ、僕からありったけの感謝を込めて・・・。そういう気持ちから、わかるとできるのテーマソングは生まれました。

そんな僕の夢は、“いつの日かBUNちゃん先生と共に仕事をすること”。大きな夢に向かって、一日を大切に、一歩一歩確実に前に進んで行きたいと思います、“夢と希望”を胸に抱きながら・・・!!


高梨智史

2008 04 13 [心と体] | 固定リンク

真剣と木刀での立ち回りでは胆力の違いが出る

真剣勝負では如何に木刀で強い武士でも弱くなるそうで、防具を付け木刀での勝負では如何に切られようとも死ぬことはないが、防具もなく真剣での勝負では切られれば死ぬと思うと二の足を踏み、一歩前に進み出て相手を切ることができないらしい。自分は切られることなく相手を切ろうとすれば、真剣勝負では負けてしまうそうだ。「肉を切らせて骨を断つ」そんな胆力がなければ真剣勝負では勝てないのだろう。

経営者と従業員にもそんな胆力の違いがある。経営者は成果給だけで生きているので業績次第では財産を没収されることもあるし、なければ借金してでも穴を埋めなければならない。ひとつの決断によって経営者の家族も離散することはよくある。従業員は基本給が保障されているので最低賃金は業績に関係なく頂くことができるし、赤字になっても自分の財産で穴を埋めることはない。退職するのも自由なので胆力に違いが出る。

仕事に取り組むこの意識の違いは胆力となって現れる。ホンの些細なことにもこだわる経営者は、ホンの些細なことを疎かにすることの怖さを知っているからに他ならない。整理整頓にこだわる経営者、時間厳守にこだわる経営者、業績にこだわる経営者、マナーにこだわる経営者、お客様へのサービスにこだわる経営者、便所掃除にこだわる経営者など方法はいろいろだが経営者はいつも自分の全財産を賭けて仕事をしている。

給与を頂いて仕事をしているときは何てうるさい社長だろうと思うことはよくある。毎日のように些細なことでの指摘が続くので頭にくることも多々ある。しかし、その些細なことは真剣勝負の世界では命取りになるから修正して欲しいということなのだ。防具を付け木刀で戦っている間に、真剣で戦う能力と方法を身に付けて欲しいと経営者なら誰でも思う。うるさい社長と思う前にどうしてそこまでこだわるのか熟慮してみる価値はある。

2008 04 13 [心と体] | 固定リンク

2008年4月12日 (土)

幹部の基本は忠義でござる

武士は殿様の命令であればどんな状況であれ腹を切る覚悟ができているらしい。仕える者の基本は如何なる場合も忠義を尽くすことだと教えられている。ひとつの組織はひとつの命令によって全員が団結して動くからこそ強いが、それぞれが違う行動をとればどんなに個人技が素晴らしくても組織力に勝る相手には勝てない。戦国時代を経験してきた武士ならではの教えであろう。

僕には植田専務と山口常務というふたりの傑出した幹部がいる。二人とも東芝で10年前後働いて薫陶を受けてきた人物で企業人や幹部は如何にして生きるべきかを体得し実践している。植田専務は知力や分析力に優れ、山口常務は組織力や行動力に優れている。多くの従業員や業者様に信頼され慕われている。二人ともに起業すれば大企業にでも成長させうる力を持っている。

この二人の幹部はいついかなる時も社長である僕を立てている。どんなに荷物があろうとも僕にはいっさい荷物を持たせないし、人前で恥をかかせることもない。従業員に僕の不満を言ったことなど一度もない。いつも社長である僕が言うことを忠実に実践し忠義を貫く態度にはただただ感服するばかりだ。ひとりで決断することは決してなくいつも最後の決断を仰いでくる。

僕が疑問に思うことは徹夜してでも調べてくるし、曖昧なことは言う前に調べて正確な情報を伝えるようにしている。彼らが疑問に思うことは二人だけになったときに質問してくるが、彼らに僕の意見を述べればすぐさまそのように修正し実践してくれる。僕を信頼している間は如何なるときにも忠義を尽くすが、僕が信頼できなくなれば退職していくのだろうと思ったがどうも地獄まで付き合う覚悟ができているらしい。

将が将たる所以は自分よりも才能ある者が自分のために一命を落としても悔いがないと思ってくださる人物であるかどうかだろう。僕は自分を磨くために努力することが大切になってくるので、彼らと仕事をするために勉強し、精神力を鍛え、寛容と慈愛を身につけるよう日々精進するようになる。お互いに切磋琢磨する関係が生まれ企業は統一した組織となり成長するのだろう。

2008 04 12 [心と体] | 固定リンク

子供の罪は親にも及ぶ

子供が周りの方にご迷惑をかけた場合、そのご両親はもとよりご親族にいたるまで冷たい目線を気にしながら生きていかねばならない。殺人を犯したお子様を抱えるご両親はその土地を離れて暮らすようになったり、家に閉じこもったようにひっそりと生きていることもめずらしくない。テレビでも子供の犯した罪を泣きながら謝罪している姿を目にすることはよくある。

反対に子供が多くの人に喜ばれることをすれば、そのご両親はもとよりご親族にいたるまで羨望のまなざしを受けながら生きていくことができる。ノーベル賞を受賞したお子様を抱えるご両親はその土地の誉と称えられ、ご親族もまた羨望のまなざしを受けながら恩恵にあずかることができる。人の生き様はご両親やご親族の人生にも影響が及ぶことを若い人は知っておくべきだろう。

日本人が海外で罪を犯せば、日本人の評価が下がる。和歌山県人が東京で悪さをすれば和歌山県人の評価が下がる。~企業の社員が悪さをすれば~企業の評価が下がる。その人ひとりの罪では済まされないからこそ人は多くの評価を下げないように注意して生きていかねばならない。法律では何の罪にも問われない評価が世の中にはある。罪を犯した子供はそのことをよく理解して誇りある生き方をするべきだろう。

子供は親の期待どおりには生きてくれない。どんなに忠告しても、愛情から暴言を吐いても、暴力をふるっても、子供は自分が望んでいる生き方しかしない。親には見えている最悪な結末を迎えてやっと反省するかもしれないが、それは親の罪ではない。世間の評価は冷たいが、どんな子育てをしようが結末は同じだと僕は思う。むしろ、僕はどうしようもない罪の意識をご両親は感じることなく生きてくださいと励ましてあげたい。

2008 04 12 [心と体] | 固定リンク

2008年4月 6日 (日)

部下に対して「仕事のヤル気はありません」という幹部は辞職すべき

教室を運営している教室長は業績次第では閉校になるので業績をあげることに必死になる。業績低迷に悩む教室長は幾度か真剣な相談を幹部に試みるがうまくいかない。このままでは閉校になるかもしれないと真剣に経営者に相談していた時、経営者はもっと幹部と相談したらどうかとその幹部をつかまえて言った。この時の幹部の言葉が「私は真剣に仕事をする気はありません」というものだった。

平然と通り過ぎる幹部に呆然としている教室長に対して経営者は心から謝り、いくつかの提案とアドバイスをしてその場を去った。その後、幾度か電話してその教室長は業績低迷を抜け出していくが幹部への信頼は全くない。経営者に親しい教室長ということで教室長会議にも出席できなくなった。何度もその幹部の態度に煮え湯を飲まされていた教室長に経営者は言った「君の本当の幹部は、君がいちばん相談している人だろう」。

半年間、悔しい思いを胸に秘め、必死になって努力し、幹部の指導に反することも行って、好業績を取り戻し全国上位ランキングにも入るまでになった。「北の狼」といわれる教室長はまたその経営者と会った。真っ黒になった成功マニュアルは幾度悔し涙を吸い取ったか分らない。彼女の相談役となっている本社スーパーバイザーも悔しいと訴えた。経営者にはこの幹部をかばう材料がなくなってしまった。

幾人かの教室長は本社スーパーバイザーに相談やアドバイスを求めていた。自分たちの幹部では相談にならないと訴えていた。人にはそれぞれ器がある。その器以上に頼られることはない。もっと相談してほしいと思えば、自分の器を広げて部下の信頼を人格によって勝ち取るしかない。この幹部はそのことを知らなかった。役職をふりかざしても人は真剣に動くどころか離れていく。人望なく役職を利用して強権を発揮すれば被害が広がるので経営者はその幹部をクビにした。

2008 04 06 [心と体] | 固定リンク

2008年4月 5日 (土)

一宿一飯の恩義でござる

任侠の世界では一晩宿を貸りて食事をいただいた方には恩義があり、何かあれば命をかけ、その恩に報いるのが任侠道だということらしい。サラリーマンは経営者から給与を戴いたら、その経営者のために精一杯の努力をするのが恩義だろう。それに報いることができないようであればご辞退するのも筋であろう。

しかし、世の中には恩義を忘れて給与はいただくが経営者のために精一杯の努力をするどころか、反旗を翻すような行動をとることもある。これは「恩を仇で返す」行為で人の道に反することだが、平気でそうしたことを行うサラリーマンがいる。経営者が我慢しても周りがそれを許さない。会社の同僚や上司や部下からの信頼を失くしていく。

1時間幾ばくかの授業料を戴けば、1時間はその生徒の方のために精一杯の努力をしてお教えしますというのが一般的なルールだが、もしもダラダラとした態度をとったり、質問にもお答えしようとしなければ生徒のクレームになる。授業料はそれに見合った態度を担任の先生に求める。経営者から頂く給与も同じことだ。

給与をもらったら経営者の意向をくんで、経営者の思いを実現するために精一杯の努力を惜しみなく注ぐのが雇われる者の義務だし、その義務を果たせないと思ったときは潔く退職するのも義務だと僕は思う。経営者が2度も涙を流して叱っても反省したそぶりを見せて反旗を翻すのはサラリーマンとしても人としても許せる行為ではない。

2008 04 05 [心と体] | 固定リンク

2008年3月30日 (日)

ビジネスの世界は業績で勝負する

学生は成績で優秀かどうかを評価される。好成績を収めた学生は尊敬されるが、口先ばかりで勉強もせず、あるいは勉強しても好成績を収めなければ評価は下がる。経営者は自社の業績次第で評価が来まる。どんなにすばらしい経営理論を述べたところで業績が悪ければ誰も相手にしない。幹部社員も任された部門の業績で評価される。ビジネスの成績表は業績なのだ。

セールスマンであれば売り上げナンバーワンの方の評価が高いのは当たり前だろうし、店長であれば店の売り上げで競い合うだろうし、事業部であれば事業部の業績で評価される。業績で競い合い、業績で日々命を削って努力しているのかどうかはとっても大切だ。口先ばかりの社員はどんどん業績を下げていくが、その責任を本人が背負うのではなく本社のせいにしている。

口先ばかりの経営者はどんどん業績を下げていくが、その責任を本人以外のせいにしていれば誰も相手にしない。成績不振の言い訳をする学生も相手にされないのと同じで、言い訳は子供の世界でも大人の世界でも通用しない。任された仕事を期待以上に達成できれば評価は高まるだろうし、期待以下であれば評価は下がる。みずから提案したプロジェクトで好業績を上げれば評価は高いし、赤字にすれば評価は下がる。

任された部門業績を赤字にして本社のサポートが悪いからだと言い訳をしていた幹部社員をクビにした経営者は申し訳ないと悲しんでいたが、それ以後の業績の回復をみればその選択は正しかったと言わざるを得ない。仕事とは業績をあげるために如何に努力するかだろうし、そのために努力できない幹部をクビにしなければ、会社が倒産の危機に瀕するのは目に見えている。


2008 03 30 [心と体] | 固定リンク

2008年3月29日 (土)

不満を抱えているよりも、退職すれば実力次第で天下を取れる

お互いに愛し合っている恋人同士ならいつまでもいっしょにいたいと思うだろうが、不満を感じていると早く別れることを考える。企業でも同じで、不満を抱えて働いているよりも退職した方が本人にとっても企業にとっても健康上、よほど好ましい。僕も働いている会社に不満を感じて退職し、独立して今の自分の地位を築いた。不満を抱えたままサラリーマンを続けていれば僕にとってもその会社にとっても良いことはないとその当時から思っていた。

京セラの稲盛さんも会社に不満を感じ飛び出して大きくなった。日本中にはたくさんの会社があるから不満があれば別の会社に転職するなり独立するなりする方がいいと彼も言っている。不満を抱えた社員の顔を見るのも嫌になってくるし、社員も上司や社長の顔を見るのも嫌だろう。嫌な奴に給与を支払うのもバカバカしくなってくる。そんな気持ちを抱えていては不健康になる。気持ちを入れ替えるか、辞職するか、しなければ退職させる方がお互いのためになる。

不満を抱えた社員がいれば、僕はいつも辞職した方がいいとアドバイスする。経営者の立場にたてば、不満を抱えた従業員に給与を支払うことが嫌になるだろうし、不満を抱えている社員もどんなに高額な給与を貰ったところで感謝することはない。感情的なストレスを感じているようであれば躊躇せずに退職させるか辞職する方が良い。社会に出てみればいくらでもチャンスは転がっている。そのチャンスをものにして大きく成長できる。

これまでにも幹部社員が経営者と衝突して経営者から退職勧告された幹部社員が相談にきたときも、経営者の判断は当たり前だろうし、君は自分のチャンスを活かせるから独立してはどうかとアドバイスして、今は年収1000万円以上の経営者になった若者もいる。この若者はクビにした経営者を最初は恨んでいたが、今はクビにしてくれたことを感謝している。クビにした経営者も今は大きくなった彼のことを感謝している。

経営者とウマが合う、合わないは当然あるし、合わないものを我慢することはない。才能があるからこそお互いに衝突するのだろうから、お互いの才能を発揮するためにも別れるべきだ。僕の会社にストレスを感じて飛び出して成功している元従業員に出会うが、元気に経営者や他社の従業員としてやっている姿を見ると僕の会社を飛び出したことが大正解だと思う。僕の会社にいてもあれほどの給与は出せない。

2008 03 29 [心と体] | 固定リンク

2008年3月28日 (金)

批判や嫉妬や愚痴をこぼす幹部は企業の癌となる

創業当時の従業員は社員研修をしてノウハウを教えていく。最初は素直に聞いてくれていた新入社員だがノウハウが分かり自分で行動するようになる。スタッフの成長によって幹部を頼っていた状態から、幹部がいなくてもよい状態になり、幹部より好業績をあげるようになる。幹部社員は自分よりも好業績をあげ、さらに上を目指して改革に取り組む部下が手に余るようになる。

子供を育てている時、幼い頃はお母さんの言うことをよく聞いてくれるが、成長してくるとお母さんのアラも見えてくる。「好き嫌いをなくしなさいというまえに、お母さんも好き嫌いをなくしたら?」自分のことを棚に上げて私のことを指導しないでと同じことが会社でも起こる。このとき、お母さんが好き嫌いをなくそうと努力せずに子供に指導ばかりすれば親子の信頼関係はなくなる。

上昇志向の強いスタッフは相手にしてくれない幹部に見切りをつけて相談相手になる上司をみずから見つけて相談するようになる。この会社の場合は、直に経営者に相談していたが、それを知った幹部社員は部下にも経営者にも嫉妬して部下には苛めを、経営者には何知らぬ顔を決め込んでいた。情け深い経営者の対応が遅れ、我慢しきれなくなった部下は会社を去っていった。

部下が直接相談に来てくれないことは自分の成長が到らぬことだと反省して対応していれば、この幹部も成長することができたが、反省よりも批判や嫉妬や愚痴が出るようになっていった。優秀なスタッフはこの幹部に慕っているそぶりを見せているだけになるので統率は取れなくなる。幹部についてくる部下は批判や嫉妬や愚痴に同調する人なので仕事に身が入らない。これもまた業績を悪化させていく。

好業績を堅持している従業員は自分に与えられた仕事に打ち込んでいるので、こうした批判や嫉妬や愚痴にも同調しないし、任された仕事に責任を感じているので幹部の苛めにも屈しない。幹部が退職し、同調していた従業員も会社を去り、再生に取り組み始めたとき、真っ先に業績を回復してくれるのがこうした従業員だ。この会社は、幹部の退職後、見事なV字回復を果たした。

2008 03 28 [心と体] | 固定リンク

経営者を信頼しない幹部は退職させるべきだ

創業者が受ける試練のなかには創業当時の従業員を退職勧告させるという試練もある。組織が小さな時にはお互いにカバーしあえることも組織が大きくなるとカバーし合えない。企業規模は経営者の器に応じて大きくなるが、従業員は自分の器に応じて任される規模をコントロールできない。こうした場合、幹部となった創業当時の従業員は人格を磨く前に経営者を恨むようになる。

恨みを抱えた人は腐っていく。恋愛も就職もお互いに合わないときは、さっさとその場から離れた方が良い。辞職しないようであれば退職勧告してあげるべきだ。任せた事業部が悪くなるばかりでなく、企業全体にその影響は及んでくる。しかし、経営者はその決断を遅らせ、何とか立ち直ってくれないかと待っている。待っているほどに恨みは深まり幹部の暴走が始まる。

経営者を疎んじる言葉は頻繁に出てくるようになり態度もよそよそしいものになる。心配した経営者はできる限りその事業部には顔を出さないようにする。僕はその幹部には「経営者の意思を具現化するのが幹部の役目だから連絡を密にしなさい」とアドバイスしたが、経営者の意思を無視した行為が目立ち、経営者が言葉をかけた部下に冷たい言葉を投げかけるようになった。

恨みを抱えた幹部が始めたことがうまくいかなく業績悪化に陥ってくると、それは経営者が何もしてくれないからだと愚痴るようになり、困った経営者の方の相談を受けたとき 「長くこんな状態が続いているが良くなる気配はない。思い切ってその幹部に退職勧告しなければ部下にも悪い影響がでてくる」とアドバイスした。恨みが晴れないと思った時の決断は早い方が良い。

情に厚いその経営者は何度もその幹部に注意したが、注意を受け入れるそぶりをしては何の反省もしていなかった。その場を取り繕っては経営者を裏切っていき経営者は我慢していたが会社の団結は失われる。我慢すればするほど幹部の暴走が始まり、事業部はますます孤立し部下の統率はとれなくなり辞職する従業員が増えていき、やっと退職勧告した。

会社を守るためにあえて恩義ある幹部に退職勧告しなければならない場合もあるが決断が遅れるほど傷は深くなる。経営者はリーダーとして冷徹な決断を迫られる。経営者は孤独である所以である。

2008 03 28 [心と体] | 固定リンク

2008年3月26日 (水)

恩を忘れた幹部に部下は就いてこない

幹部職にある者は、自分が任された部署が自己所有であるかのような錯覚に陥ることがある。自己都合で上役への報告・連絡・相談を忘れ、経営者にすら信頼を置かなくなっていく。自分がすべてを行っているからこそうまくいっているのだと確信して、他の部署との相互信頼を失くして退職勧告を受けてしまった幹部がいた。

自分たちの部署は自分たちでやっていくのだと他の部署との距離をどんどん深めていく。経営者のことを疎んじるようになり、反感すら覚えて、経営者に相談する部下を詰問するようになる。会議にも出ようとせず、自分たちのことはかまってほしくないと態度を決めているが、思いどうりにいかないことは経営陣や他の部署のせいにしていた。

幹部は自分は絶対に退職させられることはないと思っていたが、退職させられてみると、自分になびいてくる部下はほとんどいなかった。感情的になった幹部の方に僕は聞いた。「あなたは部下から連絡・報告・相談されず、ミーティングにも出席しない部下がいれば、その部下を優秀なスタッフだと思いますか?」「あなたに批判的で、上司に対して批判的なことを言っているスタッフを信頼できますか?」と聞いてみた。

「感情的なあなたに高額な給与を払い、賞与を与え、昇給もして来た経営者。あなたはそんな経営者を信頼しようとせず、報告・連絡・相談を怠り、他の事業部との連絡を絶ってきた。他の事業部の幹部の方はそんな経営者とあなたを比較する。もちろんあなたの事業部の部下も経営者とあなたを比べる。愚痴を抱えた幹部は感情的になるので部下が就いてこないのは当たり前だと思いませんか?」


2008 03 26 [心と体] | 固定リンク

2008年3月24日 (月)

母さん、私はワ・タ・シ

親は子供のことを思い「おまえはこうしなさい」と言う。子供は自分の考えを持つようになると親の考えを受け入れられなくなる。いつも衝突するが、子供には逃げ場がない。だんだんと子供の顔から笑顔がなくなっていく。愛されているが故に親の価値観を押し付けることで、子供の心はズタズタに切り裂かれてしまう。

「あなたはこうするべきよ」「おまえはこうならなくてはいけない」などといった親の価値観は子供には通用しない。子供は親とは違った価値観を持って成長するものだ。生活のほとんどを親に頼っている子供は親の意見を受け入れなければ生活ができない。不満を抱えたまま親と一緒に生活していけば子供の心は大きく傷つけられる。

親元から逃げるように離れて初めて自分を取り戻そうとするが、心に受けた傷は大きく、心を開けないで苦しむ。大人になり、中年になっても、老年になっても、自分の母親や父親のことで心に苦しみを抱えている人は多い。子供は自分の人生を自分の価値観で作り上げようとする。

親から見てどんなにバカバカしいことであっても子供は積極的に挑戦しようとする。それが自分の生き方だからだ。「母さん、私はワ・タ・シ」それが子供の心からの叫びではないだろうか。子供の価値観を素直に受け入れて応援してあげることが本当の親の愛情だろう。子供の心を切り裂く親の価値観の押しつけはやめた方が良い。

2008 03 24 [心と体] | 固定リンク

2008年3月22日 (土)

失敗や間違いのない人生などない

「失敗するな!」「間違ったことをするな!」と言われても、失敗を繰り返し、間違いを犯してしまうのが人間だ。そんなことを言われたらビクビクして挑戦するようになり、思い切った行動に出られなくなる。気遣いに疲れ果て、チョットしたミスでも取り返しのつかないミスを犯したと後悔するようになる。ミスを犯した自分を責めていれば、そこから逃げ出さない限り解放されることはない。

「どんどん失敗しろ!」「間違いを恐れるな。責任は俺が取ってやる!」と言われる方がよっぽどましだろうと僕は思う。たくさんの失敗から学ぶことはたくさんある。たくさんの間違いから反省することもたくさんある。その繰り返しだろうし、大人だからって、上司だからって、年上だからって、失敗や間違いを犯すものだ。人間は死ぬまで失敗と間違いを繰り返しているものだ。

人を傷つけ反省し、二度と傷つけまいと思ってもまた人を傷つけてしまうものだ。大人が子供に向かって、上司が部下に向かって、年配者が若者に向かって「どんどん失敗しろ!間違いを恐れるな!人を傷つけるのはいつものことだ、誰でもそうやって生きている!素直に謝り、反省し、うまく生きるのは難しいものだと笑っていればいいじゃないか」と言ってやることだ。

2008 03 22 [心と体] | 固定リンク

2008年3月16日 (日)

ほんとうの親孝行は「ありがとう」と言えること

当社の社員のお父様が今年の春で定年退職される。感謝の意味を込めて子供たちでリゾートホテルに招待することにしたが、父親はそれなら皆の費用は自分が支払うと言っているそうだ。厳格でときとして子供たちに暴力をふるうこともあったそうだが、僕は定年まで生真面目に仕事をやり遂げて家庭を守ってきた父親の気持ちが痛いほど分った。

愛情溢れる父親が子供に暴力をふるうときは、愛する子供が感謝の心を失くした時か他人にご迷惑をおかけした時に限られる。とくに反抗期に入った子供は母親への感謝を忘れて、横柄な態度になったり、乱暴な言葉使いになったりする。子供のために一生懸命に努力して悩んでいる妻を見て、思わず暴力をふるってしまう。子供はすぐに反省するが子供以上に父親の心は深く傷つく。

いつか、成長した子供と一緒に酒を酌み交わし談笑したいと思っていた夢はもろくも崩れ去り、暴力をふるったことを子供に謝ろうと何度思っても実行することはない。父親を怖いと思っているから母親の言うことを聞き、成長する我が子を見てホッとするからで、それで母親とうまくやってくれるなら生涯憎まれ役を演じる方が潔いと思っているからで、家に帰っても黙って酒を飲むようになる。

当社の社員に僕は「かつてお父様からぶっ飛ばされるほど叩かれたおかげで今の自分があります。ほんとうにありがとうございました」と言ってあげることがいちばんの親孝行だとアドバイスしてあげた。それは昔、毎日のように暴力をふるっていた父親に僕が言った言葉であり、いつの日にか僕が自分の子供たちからもっとも聞きたい言葉でもあるからだ。

2008 03 16 [心と体] | 固定リンク

2008年3月 7日 (金)

幸せは置かれている状況ではなく、感じるもの

お金がないから不幸だとか、病気だから不幸だとか、不合格になったから不幸だと思い込んでいる人がいる。今自分が置かれている状況に一喜一憂して幸福だとか不幸だと感じるのは刹那(せつな)の出来事に狼狽しているにすぎない。お金がないから人一倍苦労してお金持ちになった人は多いし、彼らはあの苦労があればこそ今の自分があると話してくれる。

病気をしたことで人々の優しさ、生きていることの大切さ、他の命を思いやる大切さを知ることができ、本当に幸せだと話してくれる人もいる。不合格になったことで自分の甘さを反省し、努力していっそう成長していく人もいる。失敗は成功へのスパイスだ。その時は不幸だと思っている状況を、自分を成長させてくれるもっとも素晴らしい出来事に変えることが誰にでもできる。

今置かれていることに不平不満を持ち、それを不幸だと思い込んで落ち込み誰かや自分自身を恨み心の狼狽から抜け出せないでいる人、今置かれている状況に不平不満を言わず反省すべきは反省し、必死になって乗り越えようと努力する人、ただそれだけの違いで未来を全く違うものにすることができる。幸せは如何なる状況でも感じることができる所以である。

2008 03 07 [心と体] | 固定リンク

2008年3月 3日 (月)

何が間違っているのだろう

早朝、疲れのとれない体に鞭打って起き、ほとんど立ちっぱなしで満員電車に揺られて職場に着き、自分のデスクに着くと昨日からの仕事の遅れが気になる。上司から指摘され、急いで片付けるが得意先からクレームの電話が入り罵倒される。お客様のところに謝罪に行き、何とかとりなして業務日報を書きあげる。同僚や部下からの信頼も厚いわけでなく、仕事に打ち込んでいるわけでもない。

疲れた体を引きずって満員電車に揺られて家路につく、家に帰れば子供と妻の冷めた目線を浴びながら冷めた食事を済まして缶ビールを開けてテレビを見る。子供は学習塾に行き、妻はその送り迎えをしている。テレビを見て疲れを癒している父を見てあんな風にはなりたくないと子供は思っていると薄々気が付いているが、家に帰れば何もする気が起こらない。

独身時代、バリバリと仕事をこなし、上司から目をかけられ、素敵な女性から声をかけられ、自分はなんて素晴らしい人生を歩んでいるのだろうと思っていた。やがて、素敵な女性と結婚、子供ができて二人して大喜びしていた。幸せをかみしめる毎日、子供が大きくなりふと気がつくと冷めた目で見ている。妻も疲れた様子で会話も少なくなった。

こんな家庭を持ちたいと思ったわけではないのに何かが違っている。そう思って暮らしている人は笑顔で「ありがとう」という言葉をたくさんかけることで修正することができる。笑顔で「ありがとう」と素直に言えるまで言い続けることで自分の中で変化が起き、周りの人に変化が起きる。笑顔がなくなり、「ありがとう」と言わなくなれば疲れがどんどん溜まっていく。

多くの人に感謝するようになると、小さな「夢」すらなくなったことに気がつく。「あの仕事をやり遂げたい」「彼女のために~を買ってあげたい」「皆に喜んでもらいたい」「カメラを趣味にしたい」「資格を取って転職しよう」「ボランティアに参加してみよう」「町内のために何かやってみよう」・・・「夢」を失くした人に輝きはない。輝きを取り戻すために、もう一度、小さなものでいいから「夢」を持って生きてみよう。

2008 03 03 [心と体] | 固定リンク

2008年3月 2日 (日)

中学生になるお子様をお持ちのお母様へのお返事

学習塾は教室の先生に会ってみてください。汚れた私服でいる先生ではダメですし、言葉使いも礼儀作法もしっかりしている先生でなければダメです。教室が汚れていたり落書きだらけの学習塾もダメです。夕方、ちょっと学習塾の前に立って通っている生徒を見るのも大切です。また、塾が終わった後、生徒がどのように帰宅するのかもチェックしてください。近隣の評判も大切ですし、有名進学高校に行かせようとすれば学習塾の進学実績も評価してください。

お子様の教育を学習塾だけに頼るのは危険です。お子様の学習意欲や学習する習慣をつけ、勉強に自信をつけさせるのは親の役目です。先生は子供に必要な知識と学習内容をかいつまんで講義できますが、最初から最後まで面倒を見ることはできません。僕は進学塾や予備校を経営していたので「合格したければ私生活をただせ!」と生徒にはよく言っておりましたし、親御さんには「親としてもっともやさしい家庭学習の先生であってください」とお願いしていました。

中学生になりたての頃は親も子供と一緒に勉強することができます。ひとつひとつ子供と一緒に学ぶことでお互いに信頼関係を作るようにしてください。このとき、覚えない、解けない、集中力がないからと叱ってはいけません。子供の散漫さが見えてきたら、自分の人生をたくさん語ってください。「お母さんは、お仕事でこんな嫌なことがあっても、家族のために頑張っているんだ」といった内容で、見栄を張らずに悩みながら生きている姿を正直に語ることです。

学力は子供の情緒に比例しますし、情緒は親の生き様に共感して養われます。たくさん無様で必死になってもがいて生きていることを語ってあげるべきです。大人だって喜怒哀楽を人一倍感じる人間だと教えてあげてください。親として精一杯頑張っているが子供には不十分と映ることが多々あります。しかし、親も必死になって自分のため家族ために悩み苦労していることを知れば、自分も頑張ろうと思うようになります。

いっしょに学習する場は、生きる難しさを語る場だと割り切って、子供が英単語を覚えようとしなくても、簡単な数学の問題が解けなくても、絶対に叱ってはいけません。勉強しようという意欲、どうして勉強しなければならにのかという疑問がはれるまでは、子供は親が一緒になって勉強してくれるからやっているだけです。自分の目標やなりたい職業がはっきりしてくる高校2年生以降や進学希望校がハッキリしてくる中学3年生の秋になるまで、本気で勉強しようとはなかなか生徒は思ってくれません。

子供は親の期待を平気で裏切りますし、子供はいつも無償の親の愛情を確かめようとします。親の思いが通じないのはどの親も同じです。たとえどんなに間違っていてもボロボロになるまで子供は子供の人生を歩みだしますし、どんなに反対しても親は見守っているだけになります。「親の心、子知らず」は永遠の真理です。心から子供を愛し、ときには厳しく叱ることもあるでしょうが、平日はもっともやさしい相談相手であってください。

2008 03 02 [心と体] | 固定リンク

2008年2月29日 (金)

配慮できるかどうかはその人の器

パートで働いている母親がスーパーで1パック480円と580円のイチゴを見比べている。「子供たちに美味しいイチゴを買って行ってやりたいが自分の収入からは580円のイチゴはたいへん高価な買い物になる。子供たちの喜ぶ顔を想像しながら1パック480円のイチゴを買って帰ることになる。多くのお母さんはこうした思いでお買い物をしている。

夕方、子供が学校から帰ってくると、お母さんは買ってきたイチゴをお皿に盛りつけて子供に差し出す。「お母さん、フォーク」フォークをつけるのを忘れていた。そそくさとフォークを取って子供に渡す。美味しいと言って喜ぶ顔が目に浮かぶようだ。1粒のイチゴを頬張ると子供は「このイチゴ酸っぱいからもういい」と言い、テレビを見ている。母親がどんな思いでイチゴを買ってきたのかを知る由もない。

たった100円の差で、おいしいイチゴが買えたのかもしれないし、子供の評価は正反対になっていたのかもしれない。美味しいイチゴが買えなかったと子供に言えば、それならもっとお金持ちの家に生まれてきたかったと言う子供もいる。かつて日本では子供は家のお手伝いをするのが常識だった。その頃は、母親がどんな思いでお買い物をしていたのかを店頭で知ることができた。

父親の月給袋をうやうやしく頂いている母を見て、父の存在は大きいのだと思ったものだ。母親といっしょになって調理することで生きるためにたくさんの命をさばかなければならないことも知った。悪いことをすれば問答無用とばかりに普段無口な父親のゲンコツが飛んできた。小さな賃貸アパートでは家族皆は同じ部屋で生活しなければならなかった。人はそれぞれ、他人に配慮することを自然と覚えた。

配慮できるかどうかでその人の人生は大きく違ってくる。配慮できなければ感情をそのまま表現し、相手を傷つけたことにも気がつかないでいるだろう。配慮できる人は、嫌なことがあっても、そのことが起こる背景を理解しようとし自分の感情を表に出すのをためらう。そのため、相手の方に気に入られ、いろいろな面で手助けをしてくださるようになる。

2008 02 29 [心と体] | 固定リンク

2008年2月27日 (水)

親である前に感情ある人間という認識がない子供たち

生まれてからずっと世話をしてきてくれている親に感謝の気持ちを子供は持てないでいることが多い。中学生になるまでは毎日のように甘えている子供に愚痴一つ言わないで受け入れてくれる親に対して、子供は当然のように甘え続ける。しかし、中学生になり、反抗期を迎えると子供は甘えながらも親の心を深く傷つける言葉を平気で吐くようになる。

親が朝起こすのは当然だろうし、自分が食べたい食事だけを親が用意するのも当然、食べた後の食器を親が洗うのも当然、自分が着た洋服の洗濯も親がしっかりとやっておくのも当然、テレビを見る優先権は子供にあるのが当然、自分の部屋を親が用意するのが当然、自分が欲しいものを親が買うのは当然、自分の要求を叶えるのは親の務め・・・どんどん子供の要求はエスカレートする。

少しでも気に入らないことがあると気分を害し怒り出す。親は子供に使える奴隷のようになってしまう。「うるさい!」「やれよ!」「うざい!」「バカ!」・・・心を深く傷つけられた親はふさぎ込み落胆から抜け出せない状態にまでに追い込まれる。しかし、子供は親の心を深く傷つけていることに気がつかない。もっとも自分に尽くしてくれている親に「ありがとう」という気持ちを失くしてしまった子供は荒れ気味になり自己崩壊していく。

親も子供もどうしていいのかわからないジレンマに陥ってしまう。そんなとき、親も子供と同じように感情のある人間だと教えてあげることだ。君の言葉で深く傷つき悩み模索している親をジッと見ろと教えてあげるべきだろう。もっとも愛すべき人にもっとも非人間的な扱いを平気で行っていることへの反省を促してあげるべきだ。子供のジレンマは親への感謝の気持ちを失くしたことに起因している。

生まれてこれまで、もっとも頼り、もっとも甘えてきた親もまた、ひとりの感情ある人間だと認識して「ありがとう」と言ってみることだ。親というもっとも自分に近い人に辛く当っていては自分の成長はない。10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、いつまでたっても親と子の絆がある以上、こうしたお互いを傷つけあう関係が起こりえる。過去に何があれ、許し感謝することが必要。

2008 02 27 [心と体] | 固定リンク

2008年2月26日 (火)

干渉されることへの反発

反抗期を迎える子供が親に横柄な態度をとることがよくある。反抗的な態度がでてくるのは、親離れをしたいからで、これまで世話してきたことをやらないでほしいという態度に変わる。食事や洗濯、朝起きなどこれまでやってきたことへの反感。大きくなっていく子供を見て、親はこれまで以上に子供に関わるようになるが、その多くは成績についてであり、成績を気にすることへの反感は予想以上に大きい。

子供は親の期待に添うために生きているのではなく、子供は自分の人生を歩みたいと強く思うものだ。親は子供がこんな大人に成長してくれればという思いがあるが、それは子供にはありがた迷惑だと思われる。子供が望む道がたとえどんなにリスクのあるものであって、親として受け入れがたいものであったとしても、子供は自分の思う道を歩んでいくものだ。挫折しボロボロになっても子供はその道を歩むだろう。

親として子供にできることは、自分がどんな生き方をしてきたのか、今どんな生き方をしているのか、生きることのルールを守る必要などを教えてあげることだろうと思う。子供は親への反感から暴れたり、引き込んだり、卑屈になったりする。修正するには子供への干渉を止めて、見守る愛情に変わることだろう。親の大きな口は反抗期の子供には要らない。子供は親の期待に添うために生きているのではない。

愛する我が子への期待から、ついつい過干渉になりがちだが、中学生になれば親離れするようになる。種を撒き、新芽が出て、しばらくは手間暇かけて世話をするが、苗が成長すればほとんど手間をかけずにいるほうがすくすく育つ。水をやり過ぎると根腐れ病になり、苗は腐ってしまう。自分で料理し、自分で洗濯し、自分で掃除をする。人には挨拶をし、他人を慈しむ。そこに成績は必要ない。

2008 02 26 [心と体] | 固定リンク

2008年2月25日 (月)

その人の部屋を見るとその人がわかる

プライベートな部屋はその人そのもので、整理整頓できている部屋を見ると、精神的に安定し、仕事もテキパキとできる人だろうと想像できる。部屋に物を置かない人は、孤独を好み、独りで行動するアウトドア派だろう。整理整頓できている人は、相手の行動を分析でき責任感が強く、リーダーとして向いている。

反対に整理整頓できていない部屋に住んでいる人は、心にゆとりがなく感情的で自己中心的な傾向がある場合や、心に傷を受け悩んでいる最中の人が多い。部屋の散らかり状態はその人の心の状態と同じで散漫でまとまりがなく、投げやりになっているので、言葉にもそれが現われている。

部屋を整理整頓できていない人は、心の問題を解決する手段として部屋の片づけから始めるといいだろう。片づけをしながらきれいな部屋になっていくにつれて、気分も晴れ顔に笑顔が戻ってくる。嫌なことをよく考えて、他人は自分の期待に添うために生きているのではないと知るべきだろう。

2008 02 25 [心と体] | 固定リンク

2008年2月23日 (土)

相手の懐に飛び込め

皆が集まって話をしていても結論が出ない場合がある。憶測で話をしていたり、気遣いから遠まわしに情報を手に入れようと画策することがある。そんなとき、僕はすぐに問題点を解決するもっとも効率的な方法をとるようにしている。直接、会って情報を聞き出すのが、多くの場合、もっとも正確で速い。

先日は区費徴収の件で皆が集まって、2度請求書を出したが口座に振り込みがないのでもう一度請求書を出すかどうかで話し合いがあった。僕は、僕が直接請求書を出した当人に会いに行くと提案した。会ってみるとソワソワして落着きがない。切羽詰まった事情をお聞きしてすぐに担当者に連絡し感謝された。

かつて先生をしていた頃、担当している生徒が休んでいると、ズル休みだと非難する先生や先生同士でいろいろと生徒の事情を推測しているばかりということがあった。僕はすぐに電話をして事情をお聞きし、病気や事故などであればすぐにお見舞いに行くようにしていた。こうして会った生徒は生涯、僕のことを忘れない。

相手の懐に飛び込むことに躊躇せず、勇気を奮い起して直接問題になっている人や事柄に、冷静に積極的に向き合うことだ。こちらの事情もお顔を見ながら伝えることができ、相手の事情も直接見ながら判断できるので、はやく打開するだけでなく、当事者との人脈も作ることができる。

2008 02 23 [心と体] | 固定リンク

2008年2月21日 (木)

大学受験に失敗したお子様をもつ母親へのお返事

僕は予備校を6年間経営していましたので、その経験を踏まえてお話しします。お子様の進学問題ですが、大学全入時代に受験に失敗するというのは、よほど進学したい大学が難関校でなかなか入れないのではないでしょうか。大学のレベルを落とせば入りやすい大学はたくさんあります。お子様がどの大学のどの学部に進学希望しているのか?その理由は何か(大学が有名だから?友人が進学している?人気講師がいる?実績がすばらしい?恋人との約束?など)?ご自分の偏差値はどれぐらいなのか?基本的な情報を収集してください。

例えば早稲田大学工学部建築学科に進学したいと思っているとなかなか合格しません。そこで工学院大学建築学科にするとか、合格しやすい大学を受験するのもひとつの手段です。勉強内容は同じですので、学歴では差がつけられても、社会に出てから努力すればいくらでも差をなくし、より成長できるものです。大学受験生は大学名にこだわりがあって、その大学にどうしても進学したいという思いが強いものです。そうした話し合いも、予備校の生徒担当スタッフ(チューターなどと呼ばれています)としてください。受験に関しての相談をしてきていますから、いろいろと教えてくれます。

また、2浪目はバイトをさせないで予備校に通わせ、勉強に集中できる環境を作ってあげてください。バイトをして在宅で勉強しても成績は上昇しませんし、勉強しなくなります。今の時代は苦学生は存在せず、親は勉強という金銭投資をしなければ成績は伸びません。大学受験はテクニックであって馬鹿なのかどうかを判別するものではありません。進学希望校の多くの受験テクニックを理解している受験生が合格するのですから、その専門分析力では大手予備校のほうが有利です。受験生はナイーブで傷つきやすく感情的です。心から愛し、たくさん話し合い、子供が置かれている環境を理解するように努めて、精いっぱい声援を送りご主人とともに支えてあげてください。

どこまでも親は無償で子供を愛してあげることが大切ではないでしょうか。子育ての基本は「やさしい笑顔で、口は出さず、金を出す」です。100万円の授業料を黙って払っても、子どもは親がどんな苦労をしてその金を用意したのかをよく理解しています。せっかく予備校に行かしてやったのにテレビやゲームをして息抜きをしている姿を見ると腹立たしくなりますが、ぐっとこらえて1年間耐えきってください。その思いは親への感謝となって必ず返ってきます。人の上に立つ者はぐっとこらえて、笑顔で我慢できなければ人を育てられません。

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2008年2月20日 (水)

人間関係の基本はいっしょに食べ呑むこと

信頼しあえる人間関係は言葉だけでは構築できない。いっしょに暮していても、いっしょに働いていても、いっしょに学んでいても、いっしょに食べて呑む関係ができていなければ心を開いて付き合ってはくれないものだ。「おなじ釜の飯を食った間柄」「一宿一飯の恩義」とはよくいったもので、目上の立場にある者は目下の立場にある者への心配りをこうした態度で示す必要がある。

親は子供といっしょに同じものを同じ時間に同じ話題で食べることが必要だし、その中でお互いの立場を理解しあえることがよくある。美味しいものを先に食べさしてあげたり、食材のうんちくを教えてあげたり、愚痴を聞いてあげたり、激励してあげたり、アドバイスをしてあげたり、悩みを聞いてあげたり、やってほしいことを話したり、こうしたことは食事の最中に行うとよく理解されている。

僕はお酒は呑まないので、いっしょに食べるようにしているが、人間も動物と同じで、お互いの信頼関係に食事は絶大な力を発揮する。政治家が料亭を利用して論議したり、幕末維新の志士たちが酒を酌み交わして討論したり、西洋でも重要な議題を通すにはミーティングより飲食付きのパーティの方がより効果的だ。いっしょに食べることの威力を知らない人は是非とも試してください。

最近は上司が部下を指導できないという悩みを抱えている場合が多い。上司は言葉や文書によって業務内容を伝えているが、部下は言葉や文書で動くほど甘くない。賃金を戴くからには賃金に見合う仕事をしなければならないというのは道理であって感動や感謝ではない。部下も人間である以上、感動や感謝があって初めて本気になるものだし、その気にさせるには飲食は欠かせない。

そういえば最近妻といっしょに食事をしていないな、子供といっしょに食事をしていないな、部下といっしょに食事をしていないな、親といっしょに食事をしていないな、主人といっしょに食事をしていないな・・・と思った人は、是非ともいっしょに食事をされることをお勧めします。「衣食足りて礼節を知る」で、食欲が満たされるにつれて笑顔がお互いに浮かんできているはずです。

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2008年2月18日 (月)

応援しているからまっすぐに生きてみろ

僕には3人の子供がいるが3人とも成長し、それぞれ自分の夢を語ってくれる。「お父さん、将来何になってほしい?」と聞かれうことがあるが「お父さんはおまえたちの未来を決めようとは思わない。おまえたちがやりたいように生きればいいだろうし、それを応援するのがお父さんの役目だと思っているよ。お父さんの子供として生まれてくれたことがお父さんの自慢だ。」とこたえている。

「どんなに他人から思われようとやりたいことがあればまっすぐに挑戦して生きてみることだ。どんなに非難されようと馬鹿にされようとお父さんはいつもおまえたちを応援しているから、それは絶対に忘れないように。人生は失敗と迷いの連続だが、決して諦めず焦らず、勝つと思って挑戦し続けてごらん。何度負けたとしても、そこから得るものは大きいし、次の挑戦への糧になる。」

僕は勉強しろとはいっさい言わないが、子供たちは僕が家で勉強している姿を見て勉強している。態度で示すほうが言葉よりはるかに説得力があるようだ。失敗する、後悔すると思っても僕は子供に口出しをしないで、じっと見守っている。大失敗すれば、思いっきり後悔すれば、その経験は将来必ず役に立つ。人生にもう遅いはなく、反省したときが新たな始まり。

2008 02 18 [心と体] | 固定リンク

2008年2月15日 (金)

子供と母親の甘えの構造

子供が学校に通うころ、母親は朝になると子供を起こす。ぐずる子供に最初はやさしく話しかけているが、時間が迫ってくると焦りから叱りつけるようになる。しぶしぶ起きてきた子供は母親に感謝するどころか「うるさい」と怒鳴りつけて学校に行く。毎日のように続けば子供は母親を疎んじるようになる。そこには子供と親の甘えの構造が見受けられる。

子供は朝になると自分を気持ちよく起こす役目は母親で、その役目をしっかりと果たさなければ母親失格だと思い込んでいる。起こすことができても怒鳴りつけられたり叱りつけられたりすれば起こし方失格だという認識がそこにある。しかし、その行為が本当に親の役目なのかを考えたこともなく、見返りとして自分が果たす役割は何かを考えたこともない。

母親は学校に通ってくれれば子供は成長してくれるものだという安心感や、毎朝学校に通わせることが母親の務めだし、朝起きてこない子供がいれば恥ずかしいという思いもある。勉強させるようにいろいろ干渉するのは子育てとしては失格で、子育ての基本は親から巣立ってひとりで生きていける逞しさを身につけることで勉強よりも大切なことはたくさんある。

子供は学校に行くものだという考えは危険で、学校では陰湿な苛めがある危険性もある。行きたくなければその理由を聞くことが大切だろうし、原因がわかれば対策を講じることも必要だ。また、一人立ちするにはひとりで朝起きできることが必要不可欠だという認識とできるまで起こさないで見ている我慢も必要だ。親子の間に生きることへの対話がなされていなければ甘えの構造は断ち切れない。

人間関係の基本はギブアンドテイク(Give and Take)で、最初に相手が望んでいることをしてから、自分が望んでいることをしていただく。自分が望んでいることをしていただいたときは感謝の気持ちを言葉と行動で表わし、相手が望んでいることがあればしてあげるという考えが必要だろう。家族であってもその基本に何ら変わりはないし、より注意しなければならない。


2008 02 15 [心と体] | 固定リンク

2008年2月 4日 (月)

観察して、褒めて、叱って育てる

親、上司、社長、グループ長など人を指導しなければならないときの人材育成の基本で、これでいいと思っているときはじっと観察しています。これでいいと思っていますから、何をアドバイスしても聞く耳を持ちえていません。下手にアドバイスすれば反抗的になったり、落ち込んだりして手がつけられません。こうしたときはじっと観察(無視)して本人がこれではダメだと気がつくまで放置します。

これではダメだと気がついてアドバイスを求めに来るようになれば、しっかり褒めてあげます。「君はすばらしい!」「とっても凄いことだよ!」「よく気がついたね。なかなか反省なんてできるものではないんだよ」「よくできたね!」ダメだと思っていますから落ち込んでいる心に褒め言葉は沁み込んで深い反省と素直な心にしてしてくれます。

ヤル気になれば、こんどはしっかり叱ります。「ここが抜けているんだよ」「ここは不必要なんだ」「お客様にもっと近い存在にならないと」「このプランニングはまだまだ甘い」具体的なビジネス論はヤル気になったときに力を発揮します。この3段階を経て人材は育ってきます。ヤル気になって努力しているときはどんなに叱っても就いてきます。

この3段階を経て、親と子、上司と部下、社長と従業員、グループ長とグループ員などの信頼関係が築かれたとき、その信頼関係は生涯にわたって変わることがありません。僕は自社の従業員、加盟校のスタッフやオーナー様をよく叱りますが、彼らの多くは嬉々としていますし、僕の子供は叱ってもらえる人たちがうらやましいと言います。

観察期間が長い、短いの違いはありますが、観察しているときは「やさしい目、大きな耳、小さな口」でいることです。「あなたはやさしい目で子供を見ていますか?」「あなたは子供の話にジッと耳を傾けていますか?」「あなたは子供にたくさんアドバイスしていませんか?」愛情溢れる心で物事を見つめてみましょう。

2008 02 04 [心と体] | 固定リンク

2007年12月30日 (日)

経営者にとって本当の家族は社員たち

経営者にとって家族より深い縁によって出会い、いっしょに笑い、怒り、悲しみ、喜びあうのは社員たちである。彼らは人生を賭けて経営者に賛同し、貴重な時間をいっしょに、懸命に働き、目標に向かって生きてくれる。そんな彼らを家族より粗末に扱えるだろうか。そんな彼らに心から「ありがとう」と言い、心から愛する人だと思えなくて真に経営者と言い切れるのだろうか。

僕といっしょに生きてくれる人々、僕の思いを形にしてくれる人々、僕の思いを多くの人に伝えてくれる人々、僕がいちばん頼りにしている人々、僕がいちばん先に訪ねる人々、僕が考えをいちばん先に話す人々、僕が思いをいちばん先に熱く語る人々、僕がいちばん先に感謝する人々、僕が人生を失くしても守りたい人々、僕がいちばん胸を熱くする人々、それは社員たちだ。「ありがとう」「ありがとう」言い尽くせぬほど僕は彼らに「ありがとう」と言いたい。

2007 12 30 [心と体] | 固定リンク

2007年12月22日 (土)

仕事も結婚も考え方の違いで崩壊する

考え方の違いは行動になって現れる。受け入れ難い考え方の違いは双方にとって耐えがたいモノになり、一緒に生活したり仕事をしたりできなくなる。そのままの状態は双方にとって不幸な結果しかない。離れて、お互いの考えを受け入れてくれる場所を見つける方が双方の健康上良い。

片方が歩み寄ろう、受け入れようと努力をしても、もう一方が受け入れてくれなかったり強く拒んだりされれば歩み寄りも、受け入れようとする努力にも限界を感じて、これ以上は耐えられないと感じてしまう。政治、宗教、信念、趣味、お金の使い方…など考え方の違いによって人の行動は大きく変わる。

仕事であれば修正できない人間関係に強いストレスを感じて我慢しているよりも退職して新たな職場を見つける方が健康的だろうし、結婚であれば修正できない人間関係に強いストレスを感じて我慢しているよりも離婚してひとりになるほうがホッとするだろう。

人はそれぞれ違った考え方をしている。お互いに理解しようとして努力し、快く受け入れ、お互いに信頼しあえれば幸福を感じる。ちょっとした考えの違いは日常頻繁に起こってくる。そのひとつひとつに相互理解の努力を怠らず、お互いが配慮し合えなければ離れた方が良い。

2007 12 22 [心と体] | 固定リンク

2007年12月21日 (金)

金銭知識のない人はあるだけ使い切る

働いている人は自分の収入の範囲内で生活し、少しは預金しておかねば病気や災害、事故の時に困ることを知っている。そこで定額預金などを行う。将来、独立を考えている人はもっと預金しようとするだろうし、預金以外の融資を有利に受ける方法を探したり独立に向けての勉強をするだろう。

将来への配慮のない人は収入があればほとんどを使い切るだろうし、欲しい物があれば借金してでも手に入れるだろう。「今が楽しければいいじゃん」といった考えやモノやライフスタイルに対するこだわりを持っている人に多い。浪費に近い生活だが見た目はカッコいいと映る。

「1000万円あればどうしますか?」と聞けば、「~を買う」という人はほとんど金融知識がない。利殖に関する知識がないので使うことだけ考えるようになってしまう。「自分の学費に使う」「投資をする」「独立する」などといった回答は、未来への投資活動なのでより大きなお金になって返ってくる可能性がある。

漁師が細かい網で魚をすくいとり漁獲高を競っていれば、いっときの繁栄を謳歌するが魚は根こそぎなくなり自分たちの首を絞め、生活が立ちいかなくなる。そこで、計画的な漁獲高を決めて魚という資源が枯渇しない程度に漁をする。または、養殖して魚を増やすことを考える。

将来起こりえるリスクに対してどれほどの資金や配慮が必要なのかを考える。必然的に出費を抑えるようになり生活は慎ましいものになる。蓄えがなくならないように絶えず資金計画を見直す。多くなると投資をしてさらに増やすことを考える。お金も魚とまったく同じ考えだが、人は未来を見据えないことが多い。


2007 12 21 [心と体] | 固定リンク

2007年12月20日 (木)

思考は現実となる

胃の調子が悪いなと思っていると健康な胃は悪くなるそうで、思考は健康を左右することが分かってきたそうだ。「病気は気から」「念ずれば花開く」など、思うことはとても大切な要素だという諺もある。

怒りを抑えることなく怒りに身を任せていると殺人にまで行為が及ぶこともある。悲しみに身を任せていると落ち込みから抜け出せなくなる。必ずやり遂げると思って行動したらやり遂げることができたなどという話には事欠かない。

思考は思っている人の肉体や環境を変える力を秘めている。現状を打開するという思いは現実を打開していくし、現状を悲観する思考はさらに悪化した状況を与える。いつも希望を持ち生活する姿勢は健康にも影響する。

楽天的な思考や多くの人に感謝できる思考、多くの人の役に立てる人であろうとする思考は幸せを実感する必須要素だ。悲観的な思考や感謝できない思考、自分だけ良ければという思考は不幸になる必須要素になる。

2007 12 20 [心と体] | 固定リンク

2007年12月19日 (水)

物事は否定から入れば悲しい生き方しか残らない

仕事をしているとき、あるアイデアがひらめきワクワクしながら社員に話したところ、社員から「できません」「無理です」と言われたことに対して、経営者であった本田宗一郎が「やってみもせんで」と言って激怒したことがあります。静岡の中小企業経営者が世界の頂点を目指して挑戦しようと思っていろいろなアイデアを試してみようと思いますが、社員は従来の経験から物事を判断して決断します。

「おめえ、やってみたのか。ぶっ壊れても直せばいいんだ。やってみもせんで答えを出すな。」激怒した本田宗一郎は吐き捨てるように言いました。彼は寝食を惜しんで自らの信念に向かって挑戦していき、とうとう世界一のオートバイや世界一クリーンなエンジンを完成させます。彼の信念に就いてゆけなかった社員が辞めていく中で、挑戦しようとしない社員への苛立ちをヤル気に変えて奮い立ちます。

「とにかく何でもやってみることだ。やってみて、初めてわかることがある。感動は、初体験の後にもれなくついてくるのだ。」彼は後年、挑戦しなければ何も始まらないと後継の人々に話しています。与えられた仕事に否定から 入る人は成長しませんし成功もありません。愚痴や批判が始まり落胆や逃げの姿勢に終始するようになってしまう。

ホンダを退職していった人々は経営者本田宗一郎に就いてゆけなかったのではなく、否定しようとする自分の心に負けたのだともいえます。人は自分の考えと違っていれば多くの言い訳を用意して新たな取り組みを否定しようとします。たくさんの言い訳を全神経を集中して感情的に探すよりも、自信の反省材料だと思って新たな成長=挑戦に一歩踏み出す姿勢が幸福への道です。

人は初めての挑戦をたくさん経験する。初めて生まれてきたとき、初めておむつをとったとき、初めて離乳食を食べたとき…初めて保育所に入ったとき…初めて資格に挑戦したとき、初めて就職したとき…初めて恋をしたとき、初めて結婚したとき…初めて老いを感じたとき、初めて親が死んだとき、初めて連れが死んだとき…そのたびに乗り越えて生きてきたことを思い出すべきです。

2007 12 19 [心と体] | 固定リンク

2007年12月12日 (水)

人を知る者は智、自ら知る者は明なり 人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し 足るを知る者は富む

紀元前5世紀頃の老子の言葉に、「人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人に勝つ者は力あり、自ら勝つ者は強し。足るを知る者は富む。 」とあります。他人をよく知るということは、すぐれた知恵者だろうが、自分をよく知るということは他人を知ることよりも大切だ。他人に勝てることは力のあることの証明だが、自分に勝てる者は本当の勇者だろう。今ある環境に充分感謝できる人は幸福な人生を歩める人だ。

他人を知り欠点をあげつらい、助けることなく誹謗中傷するよりも、己を知ればいつも誰かに助けられて生きていることに気がつく。そのことに気がつけば他人を誹謗中傷している場合ではなく、お互いに助け合ってこそ智者と言えるのではないかと思い至る。

あいつを負かしてやろうと必死になっていくら努力しても、コテンパンに打ち負かしたとしても、それを自慢していても、人は老い行くものだからいつかは誰かにコテンパンに打ち負かされる日が来るものだ。それよりも、他人に生かされている己を知って、傲慢や卑屈になる己を戒めるべきだろう。

要するに、ああしたい、こうしたい、ああなれば、こうなればという願望・欲望は果てることがなく、願望・欲望を叶えようと努力することが幸福になる道ではなく、今ある状況に感謝し、今ある環境を良しとし、多くの人に生かされている己に感謝し、生活すれば満ち足りた生涯を過ごせるだろう。

2007 12 12 [心と体] | 固定リンク

2007年12月 4日 (火)

知識は道具でしかない 知識をどう活かすのかが大切

一生懸命になって勉強し誰もが羨む有名校の入試に合格する。得意満面になって自分は選ばれしエリートだと錯覚する。社会人になってからも、自分は~校出身だとそれとなく自慢してしまう。エリートだと思われたい言動をとるようになる。有名校出身を自慢するが、お客様は有名校出身者ばかりではないので仕事は思うようにできなく成績は良くない。エリート意識が邪魔をして自分の言動を改めるのではなく、お客様や会社が悪いと思い込んでいる。

戦後の貧しい食生活を見て、これからは魚を育てる時代だと思い、無名の大学で養殖魚の研究に没頭した人がいる。研究費が底をつくと、養殖魚を市場に出して資金を創り研究を続ける。国立の研究所が次々と研究をあきらめる中、養殖の勉学にいそしみ世界的な大成功を収める。しかし、無名でノーベル賞候補にもならず、日本では馬鹿にされた研究者でもあるが、信念に満ちた彼の業績は多くの人々に幸せをもたらし続けている。

二つのケースは同じように勉学にいそしみひとつの成功点に達したのに、それぞれの生き方には大きな違いが生じている。前者は、知識を利用することなく、知っていること、多くの人ができない到達点に達したことを自慢する慢心が幸福への邪魔となっている。後者は、多くの人々を救うという使命感で持って勉強し、生涯知識を活かし続けている。使命感と人々への貢献心が知識を活かして幸福になるには必要だ。

知っている人が知らない人に向かって「こんなことも知らないのか!」と馬鹿にした言い方をするが、これは自分は知っているぞ!どうだ凄いだろう。それにしてもおまえは俺より数段劣る馬鹿な奴だという見下げたものの言い方になる。こうした言い方をされた方は気分を害され人間関係は悪化する。「あの人は偉そうだから付き合いたくない」と言われ、他人はどんどん離れていき、幸せとは言い難い生き方になっていく。

知っている人が知らない人に向かって「知らなくても大丈夫、私が何とかするから」と相手に助け船を出せる人は知らなかった人から感謝される。そのあとで、必要な知識を分かりやすいように伝授してあげれば さらに尊敬される。こうした言い方をされた方は気分を良くし人間関係は良くなる。「あの人は付き合っておくべき人だ」と言われ、他人がどんどん寄ってきて、幸せな生き方になっていく。

知識は単なる道具でしかない。ちょっと他人よりも良い道具を手に入れたからといって自慢していては宝の持ち腐れでしかない。すべての道具は人々を豊かな生活へと導くものとして生まれている。道具は人の役立つように利用してこそ価値がある。高度な知識を得るには大変な苦労を伴うので、自慢したくもなるが度を過ぎると自分自身を腐らせることを知っておくべきだろうし、知識は生涯磨き続けてこそ活かせる道具になりえることも知っておくべきだろう。


2007 12 04 [心と体] | 固定リンク

2007年11月30日 (金)

今まで生きてきて一番幸せだったことって何ですか?

「今まで生きてきて一番幸せだったことって何ですか?」この質問を多くの人にしてみてください。「子供が生まれたとき」「愛する人といるとき」「家族といるとき」「ただ毎日生きていること」「『ありがとう』と言ってくれたとき」「皆と一緒に仕事ができること」・・・たくさんの解答が得られますが、その多くは生きていることと愛することと感謝されたこと、になっています。生きることの素晴らしさをこうした言葉で多くの人が教えてくれます。

この質問をしていて面白いのは、有名になったこと、お金が沢山貯まったこと、欲しい物が手に入ったこと、役職が就いたこと、といった名誉、名声、金銭、権力といったものがほとんどないことです。生きているときは有名になりたいと思い、お金持ちになってみたいと思い、権力を手にして自由に他人を動かしてみたいと思い、必死にもがいて溜息をついているのにそれが手に入った人でもそれが一番の幸せではないということです。

愛する人がいて、隣近所や友人から感謝されるように生き、子供がすくすくと成長し、楽しく仕事ができる仲間に恵まれ、笑いの絶えない家庭で過ごす、そんな毎日が過ごせることとなります。このうちのひとつでも満足できれば人は一番幸せだと思えるのです。幸せに生きるのはそんなに難しいことではないようですが、不幸だと嘆く人はたくさんいます。

不幸な状況がたくさんあって、それを毎日我慢しているからこそ、ささやかないたわりや優しさや感謝を感じたときに人はとても感激し、「あ~、我慢して生きていてよかったな」と思えるのです。貧乏のドン底でも、末期の病気でも、介護で疲れ果てていても、仕事でミスばかりしていても、愛する人がいたり、友達からいたわりの言葉をかけられたり、お客様や同僚から感謝されたり、家族が心配してくれる、ただそれだけに感謝できる心を持っていれば、今が一番幸せだと言いきれるものです。

幸せな人とは自分以外の人が自分のことを思ってくれる心を感じ取り感謝することができる人のようですし、反対に不幸な人とは自分以外の人が自分のことを思ってくれる心を感じ取れないか感じ取っていても素直に感謝できない人となります。他人を不幸にしてでも名誉が欲しい、お金が欲しい、仕事が欲しい、権力が欲しいなどと思っていては幸せになることはなさそうです。


2007 11 30 [心と体] | 固定リンク

2007年11月27日 (火)

欲しいモノを手にして有頂天になったときこそ落とし穴

とっても欲しかったモノが手に入ればうれしくて笑顔になる。抱きしめたいほど愛しいモノをジッと見つめてはご満悦になるだろう。素手で触って感触を確かめ喜びが込み上げて頬をモノに寄せてしまう。そんな欲しいモノでもしばらくすると感動はなくなり次のモノが欲しくなる。人は手にしたモノに対しては飽きが来る。

モノが手に入って喜びを感じる有頂天は、次のモノへと興味が移る転換点でもある。女性は洋服やカバンなどの宝飾品が大好きだが、手に入れてしまうと次の鞄を探しては手に入れたがる。男性は文房具や家電、車といったモノにこだわりを持っている。モノに執着する心は手に入れた喜びを感じるが長続きしないので次のモノが欲しくなる。

コレクターになっていつまでたっても長続きする満足を得られることがない。自分の世界に閉じこもり、収集したモノを見ては次に欲しいモノに思いを巡らせる。そんな生涯で良いのかと自問することもなく、そんな自分に反省点を見つけようともしない。ただ、今が楽しければ良いではないかと生きているが心の満足は得られない飢餓状態でいる。

欲しいモノが手に入り有頂天になりご満悦になってしまうときこそ、次のモノへの執着を断ち切り、これで良いではないかと踏ん切りをつけて長く使いこなすように心がけるべきだろう。いつも使い、長く使っていれば手にしたモノが、どんなにボロボロになっても自分とともに生きた同胞としての喜びをそのモノに感じるようになる。

モノを次から次へと欲しがる執着心は物欲で、欲望には限りがなく人を不幸に陥れる落とし穴のようなものだ。欲しいモノを手にするために人を傷つけたり、大切なお金を使いきってしまったり、借金してでも手に入れようとしたり、自分を犯罪へと駆り立てる場合もある。どうにも成長させる力とはなりえない厄介な心だ。

2007 11 27 [心と体] | 固定リンク

2007年11月26日 (月)

平常心を保つことほど辛いものはない

平常心を保ちなさいとよく言われるが、人は何か起こると感情的になってしまう。スポーツの世界でもカッとなってプレーするとチームプレーができなくなり敗北するケースがよくある。また、たとえ勝利してもチーム内の選手に亀裂が生じて団結力がなくなる。事故が起こったときでも感情的にならずに平常心でいることがもっとも大切だと教えられている。

平常心、ふだん何気なく普通に生活している感情で冷静であり周りの状況がよく見えていて相手への心配りもできうる状況、柔軟に物事に対応できる判断力が発揮される状況と定義できるのではないだろうか。予想外のことが起こらなければ人は平常心であるとするならば、予想外のことが起こった時にとる心の反応を平常心にするには抑える必要がある。

むしゃくしゃした人が近くにいると平常心はかき乱されてこちらまでむしゃくしゃするだろうし、愚痴ばかり言っている人がやってくれば、早く帰って欲しくなる。欲しい物が手に入ればうれしくなるだろうし、末期癌だと告知されれば狼狽や落胆を隠せない。そんな状況でも平常心でいるということは並大抵の人にはできない。しばらくは感情に支配されてしまう。

抑えきれない感情に支配されるのが避けられないのであれば、その間は自分の心の中にだけ納めてできる限り表情に出さないでじっと待つ。待ちながら周りの状況をよく観察・分析する。自分だけの思い込みではないのか?反省すべき点があるのではないか?予期せぬ何かがあるのではないのか?などと思ってみると感情の起伏は治まってくる。

感情を抑えるには自己鍛錬が必要で、精神を鍛えるために禅を組んだり、先哲の書籍を紐解いたり、滝に打たれたり、絶食したり・・・といろいろな修行を重ねる必要がある。自分一人でも精神的に強き人は多くの人の尊敬を受けるが、多くの尊敬を受けると自分は特別な存在だと勘違いして傲慢になり横柄な態度をとって平常心を失くす元にもなる。

いちばん手っとり早く、手軽な方法は良き相談相手がいることで、平常心をかき乱される状況を理解してあなたの話をただジッと聞いてくれる。すべてを話し終えたあなたは心が軽くなる。話の最後に「それでも良いじゃない、がんばろうよ!」と言ってくれる友がいれば、それは最高の相談相手で、彼または彼女に感謝して平常心に戻ることが友への友情の証だろう。

2007 11 26 [心と体] | 固定リンク

2007年11月22日 (木)

マイナスの感情に支配された人は、必ず自滅して、そのみすぼらしい姿をもっとも憎んでいる人の前にさらす

怒りから殺意を抱いていれば、怒りを感じた人に近付いて殺意のある行為を取ろうとする。殺意を抱くまでも怒りをぶつけたくなりその人に会おうとする。怒りから悲しみを感じた人は自分の世界に閉じこもりがちになり、誰とも話をしたくなくなり、返事もいい加減になり人が遠ざかる。しかし、あるときこのままではダメだと思って人に会うがみすぼらしい姿をさらすことになる。

悲しみから殺意や怒りを感じている人も、怒りに満ちている時間や日数が長いほど、みすぼらしい姿を人にさらすことになる、悲しみから自分の世界に閉じこもる人も同じ結果を見せる。物を欲しがって人を傷つけることも平気な人も、人にやって欲しいことを感情的に頼む傾向が強い人も、自分の世界を狭くして友達や家族の信頼を失くしていく。

憎しみを抱いている人は憎しみからよそよそしい態度を取るようになり、憎しみゆえに相手のやることなすことすべてが気に入らなくなる。自分のとる行動を正当化して相手のすべての行動を憎しみの対象としてとらえようとするので寛容さや慈愛がなくなり、感情的な行動に傾倒してしまう。憎しみが爆発してどうしようもなくなったときに憎む相手の前に現れるが醜い姿になっている。

誰からの忠告も受け付けない怒りや悲しみ、憎しみを感じている人は、自分でそれがバカバカしいことだと思って気持を切り替えなければ、自分自身を破滅させることを知っておかねばならない。マイナスの感情に支配されている人はいつまでも悲しみと怒りが交錯する状態になり、他人を寄せ付けない状態になる。マイナスの感情にはマイナスの結果しかない。

マイナスの感情に支配された人は、必ず自滅して、いつか必ずそのみすぼらしい姿をもっとも憎んでいる人の前にさらす。人はその姿を見てまるで地獄のようだと哀れに思うが本人は気がつかない。むしろ哀れと感じた人に怒りや悲しみなどのマイナスの感情を抱いてしまい、会ったことを後悔する。こうして、死ぬまで哀れな生きざまをさらすようになっていく。

2007 11 22 [心と体] | 固定リンク

2007年11月21日 (水)

思い込みの危険さを知る

来客を駅までお送りしての帰り道、僕は自信を持ってある方向を告げた。となりの社員がそれを否定して違うルートを教えてくれた。自信のある僕は、「いつもこの道を通っているからよく知っているよ」と言って、自分の指し示す道を進んだ。しかし、すぐに自分が思い違いをしていることを思い知ることになった。

思い違いをしていることを教えてくれた社員が正しかったが、思い込んでいる僕は社員が言っていることを間違いだと思っていた。思い違いをしていたことを反省してその社員にすぐに謝罪した。帰り道だったからよかったもののこれが経営判断だったらと思うと僕は自分の未熟さに恐怖感を抱いた。

自信満々な判断であっても忠告された時は、自分を疑ってみることが如何に大切かを知った。いつも反省しながら生きているが、まだまだ自分を疑うことが足りない。「この道はいつも通っているからよく知っているよ」と言い切った自分が非常に恥ずかしかった。いつも通っていると思っていた道は大通りをひとつ隔てた道だった。

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2007年11月19日 (月)

指導し、手本を見せ、挑戦させて、褒めてあげてはじめて人は動く

生徒指導や従業員指導の基本で、指導し、手本を見せ、挑戦させて、褒めてあげてはじめて人は動くものだと認識しておけば、テキストや口頭などでの指導を最初にやり質問を聞いて回答し、指導者自らが手本を示して質問を聞いて納得するまで回答し、ロールプレイング(役割演習)などで挑戦させて、たくさん良いところを見つけて徹底的に褒めてあげて自信を持たせなければ生徒や従業員は伸びない。

指導もなく、手本は見せられない、挑戦させるが、叱るばかりでは誰でも落ち込んでしまう。できない理由を生徒や従業員にばかり押しつけてしまうが、指導方法に間違いがないのかと徹底的に検証できないのは指導する立場が何も指導されないからだ。指導者は往々にして我見にとらわれがちで厳しく叱ることで指導しようとするが、それでは人は伸びてこない。

子供の教育でも、しつけと称して厳しく指導すると、子供は親の欠点を鋭く見抜き、反対に従順なふりをしながら逃げ出すチャンスをうかがっている。憎しみは心の底にたまり、拭いがたいものとなる。親子関係の崩壊は、指導し、手本を見せ、挑戦させて、褒めてあげてはじめて人は動くという基本を親が忘れたために起こる悲劇だ。

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2007年11月17日 (土)

相手を責める人には、誰も助けをださない

相手に責める非がある時、ここぞとばかりに容赦なく責めてくる人がいる。責められている人は自分に非があるのでひたすら謝るしか方策はない。しかし、責められている時、どうしてこの人は自分の非をかばってくれようとせずにひたすら非を責め立てているのだろうと思うようになる。

相手の非を責め立てている人から遠ざかろうとするので、できるかぎりの接触を避けるようになる。人はいつも正しいことをするわけではないので、何かしらで責め立てていた人が非を犯したとき、遠ざかっている人は責めもせずかばいもせずにただ傍観者でいようと思う。つまり、誰も助けを出さない。

相手に非があっても、誰でも起こりえることだとかばってやり、むしろしょげかえっている人に「こんなことで落ち込むことはないから、明日から頑張りなさい」と声をかけてあげると、その人はかばってくれた人のためならできる限りのことをしようと思う。こうした協力者を増やせる人は多くの人に助けられる。

人は誰でも感情で生きている。些細なことでも感情は大きく揺れ動く。相手に非があれば日頃の鬱憤もいっしょにはらすチャンスでもある。しかし、自分のそうした感情を押し殺し、相手の立場を尊重してかばってあげることのできる寛容さがあれば、自分が多くの人から支えられる人生を歩むことができる。

成功している人は寛容だが、成功したから寛容なのではなく、最初に寛容だったから多くの人が、その人を成功へと導いてくれたのだ。僕は寛容な若者に出会うと、この若者は将来出世すると思ってみているが、10年を経ずしてそうなっている。反対に責めるばかりの人はどんどん落ちぶれていくのも見ている。

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2007年10月30日 (火)

障害者の方へのお返事

僕も障害者で、香りがほとんど分かりませんし、左手人差指の指先が短いです。日常生活に不便さを感じない程度ですが、これが自分に与えられた体です。自分をありのままに受け入れて、仕事も友情もうまくいくようにどうすればいいのかをよく考えてみてください。天から与えられた体と知能を使って、自分はどう生きれば幸せになるのだろうかと考えてください。障害があるからこれ以上は無理だと思っている。でも、障害があるから人よりも敏感に感じることもできます。

障害によって幾つかの機能はなくなりますが、それによって別の機能が発達しているはずですし、心は大きな成長ができるはずです。僕は他人を思いやる心や優しさや我慢強さを身につけました。友情も恋人も自分が強くならなければ本物になりません。他人の手を借りて生きていることに感謝し、他人の幸せを願ってねぎらいの言葉をた
くさん言えるようにすることです。自分に与えられた才能を発揮するためにいろいろな挑戦を試みることです。

人は一人では生きらません。誰かに支えられ、誰かを支えあって生きています。そのことは障害者であっても重病者であっても変わりはありません。支えられていることを感じながら、誰かを支えられるようになろうと努力してみることです。人生でいちばんの財産はお金でも名誉でも名声でもありません。「ありがとう」という感謝の言葉や態度ではないでしょうか。

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2007年10月17日 (水)

大人になってからの勉強こそ成功の因だよ

学生の頃、優等生であっても社会に出てパッとしない人もいれば、学生の頃は劣等性だったのに、社会に出てからは大成功し自信に溢れた生き方をしている人もいる。その違いは、社会に出てからも勉強したのかどうかの違いが大きい。

僕が学生の頃はワープロもパソコンもなかった。社会に出てからどちらも勉強してできるようになり、さらに勉強して教えられるようにまでなったときは45歳になっていた。その後、その知識と経験を活かして今の会社を立ち上げた。

学校に通っていた頃、金融知識はまったく教えてもらえなかった。社会人になってからいろいろな金融知識を得て投資の怖さと楽しさを学んだ。おかげでまとまった金銭があれば使うばかりでなく増やす方法も身につけることができた。

学校では簿記や税務、マーケティングや経営についてはまったく学ばなかったが、社会に出てから勉強するようになり、実践を通して成功していくようになった。22歳で大学を卒業し、そのままの知識ではとても今の喜びに溢れた生活はない。社会に出てからの勉強こそ大切だ。

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2007年10月16日 (火)

人付き合いの「鏡の法則」

笑顔で挨拶されると、こちらも笑顔で挨拶してしまう。悲劇のドラマを見ていると自然と涙がこぼれてしまう。暴力的な応対をされると、こちらも暴力的な行動にかられてしまう。あいての感情が自分に乗り移ったかのようになってしまうことを僕は、「鏡の法則」とよんでいる。

これを利用すると、最初にこちらから気持ちを和やかにして笑顔で相手の方を気遣った言葉で応対すれば、相手の方も同じように応対してくださるということになる。こちらの感情が相手の方をのみ込めば、たとえ相手の方が悲しみや苦しみを感じていても自分と会っている間はそのことを忘れてくれるだろう。

あいては自分を映し出す鏡のようなものだと思っていれば、あいての方が感情を乱していても、自分が制御できるようになる。より良き方向に制御してあげればお互いにメリットがある。笑顔と励ましの言葉やお世辞がとても人間関係には大切だと分かる。

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2007年10月 9日 (火)

どんなに大きく見せようとしても同じこと

フグは釣り上げると空気を吸い込んで自分の体を大きくして相手を威嚇するが、どんなに膨らんだところで中身は同じに変わりはない。人も着飾ったり、高級なものを見せびらかしても中身は変わらない。相手は鋭く背伸びしていることを見抜いているものだ。どうせ分かっているなら等身大の自分でいる方が気楽で良いと僕は思う。

フグは恐怖を感じると大きく膨らむから、人間は臆病な人ほど自分を大きく見せようと努力するのかもしれない。馬鹿にされたくないから無理して背伸びしてしまう。学歴自慢、有名人との結びつきの強調、金銭自慢、・・・話し出すと相手の反応がうれしくなり大げさに話してしまうのは釣果を自慢するのと同じことだろう。

等身大の自分を話すように心掛けていると、多分に修正しなければならないこともあるが、大げさになった話を小さくしたところで非難されるわけでもなく「ああそうですか」で終わってしまう。それで馬鹿にする人は背伸びしている人だろうし、それでさらに尊敬してくれる人は自身も等身大で生きている人だろう。

2007 10 09 [心と体] | 固定リンク

2007年10月 2日 (火)

すべての起点はこころがけ

人間の感情はその場の状況によってコロコロと変化する。「あ~うれしいな」と思った瞬間、嫌なことがあれば落ち込むか腹が立つかするだろう。その感情の起伏の大きさは自分中心で状況を判断するか、周りの状況をよく見ながら判断できるかの違いでしかない。

お金を貰えばうれしいが、そのお金の出所はどこなのか?使っても良いお金なのか?どうして自分にそのお金を与えるのか?などそのときの状況を判断すればうれしさも違ったものになる。ゴミが捨てられているのを見ると、自分も捨てようとする人や、ゴミを拾う人、ゴミを捨てていることに腹を立てる人、など人それぞれに違ってくる。

こうした状況判断の積み重ねでその人の人生が創られていく。瞬間の状況判断は人生を左右する大切な要素で、だからこそ周りに気を配り、感情的になる心を抑制して冷静な判断が求められる。より良き判断は自分の人生のみならず周りの人の人生をも救うことになる。

2007 10 02 [心と体] | 固定リンク

2007年9月22日 (土)

プラスに働く言葉を言ってあげよう

指先を切断して1ヶ月になりますが、指先に少しだけ残されていた爪が伸びてきて、指先の肉を引っ張り上げて元に戻ろうとしているとのこと、爪が骨の代わりになって再生しようとしているらしく病院の先生も驚いていました。これまでは診察を受けるたびに肉が固まらないと首を傾げられていたのでこちらも不安でした。

たまに痛みが指先に走ると不安になり周りの人に「どうなんだろうね?」と何度も聞いていましたが、そのたびに「大丈夫ですよ」と応えてくれることほどうれしいものはありません。医者ではありませから本当はどうなるのか分かりませんが不安を取り除いてくれる励ましの言葉のありがたさを痛感しました。

不安を感じるとその不安を誰にも話さないで我慢することはなかなかできるものではありません。どうしても近くの人にその不安を語りかけてしまいます。こうしたときは、ああこの人は安心できる言葉を期待しているのだと思って不安を取り除く言葉をたくさんかけてあげてください。それだけでうれしいものです。

2007 09 22 [心と体] | 固定リンク

2007年9月21日 (金)

仕事をする前に心をフォーマットしなければ

企業業績の良し悪しは従業員の心がけ次第で、好業績の会社は従業員一人一人にヤル気があり前向きに業務をこなし、他の従業員をカバーし、お客様のフォローを欠かさず、改善点を見つけては早期に改善していく。業績が悪い会社はこの反対で、従業員一人一人にヤル気がなく愚痴ばかりで、他の従業員を非難し、お客様のフォローを忘れ、改善点を見つけては誰かやれと騒ぐ。

心の歯車が狂ってしまい仕事をする前にいったい皆さんはこの会社を良くしたいのですかと聞きたくなる。他人の失敗をフォローしてあげる優しさもなく、非難して仕事がはかどるのでしょうか?自分がやりたいことだけするのが仕事だと平然と言い、上司や部下に反抗して業績が悪化しても自分のせいだとは気がつかない。フォローし改善していく気があればもっと職場は働きやすくなる。

いたわりや優しさから対話が生まれ、協調になりチームとしてのまとまりができ、業績は良くなっていく。ひとりの従業員の反抗やいじめや怠慢が他のスタッフへの多大な迷惑になりお客様の離反を生み業績は悪化する。業績を左右するのはひとりひとりの心にある決意だし、働く皆といたわりあい優しく付き合うようにみずから率先して実行すれば必ず組織は変わる。

自分の心に憎しみやアキラメ、怒りや反抗などマイナスの感情があればその感情を克服するように自己成長することだ。マイナスの感情を抱えていれば必ず自分に跳ね返ってくる。自分が他人にしていたことを必ず他人からされるようになる。寛容の精神を忘れた人に幸せや誇りはやってこない。職場を良くするのも悪くするのもそこで働く従業員の心がけ次第だから大きな心をもった人物になろうと心掛けて仕事はするべきだ。

2007 09 21 [心と体] | 固定リンク

2007年9月17日 (月)

チャンスの女神に後ろ髪はない

悩んでいても、がんばっていても、落ち込んでいても、寝込んでいても、いつも目の前にはチャンスが用意されているものだ。それに気が付いてやってみようと思う人もいれば、気が付きながら避けようとする人もいる。気が付きながら避けることを楽しんでいる人すらいる。まったく気がつかないでいる人はほとんどいない。

チャンスの女神の多くは愛情いっぱいで気を使ってくれる他人が運んでくれる。チャンスを掴み取ることは、他人の期待に応えることに他ならない。他人の愛情に応えてみようと思って生きていると、たくさん他人が下さるチャンスが見えてくる。そうしたチャンスを裏切っていると他人はそっぽを向いてチャンスをくれなくなる。

他人が与えてくれたチャンスに応えていけないかもしれない。しかし、他人はチャンスを完璧にやり遂げることを期待している訳ではない。「失敗しても、掴みきれないでもいいじゃないか、やってみれば」そんな気持ちでしかない。すべてがうまくいく人生なんて誰にもできはしない。やって思いっきり泣いてみるのも一興だろう。

2007 09 17 [心と体] | 固定リンク

2007年9月 9日 (日)

絶対に諦めないでやり続けることがトップに立つ秘訣

半世紀も応援している阪神タイガースが2007年9月8日の巨人ー阪神戦で勝ち、とうとうリーグトップに立った。4月は最下位で12ゲームも首位と開いたゲーム差をものともしないで諦めず、腐らず、チャンスを確実にものにしていった監督、コーチ、選手一丸となったチームが破竹の9連勝で捥ぎ取ったリーグ首位だった。

若い選手もベテランもただ勝つということに執念を燃やしてプレーする姿は感動的だ。2軍で控えのプロ野球選手にとってチャンスはめったに巡ってはこないが、チャンスが来るまで腐らないで体を鍛え、チャンスには結果を必ず出していく姿勢が若い選手にもある。そのにはダメ虎といわれた姿はない。

仕事の世界でも、従業員全員が必ずその分野でトップに立つと決めて努力し、もくもくと働き、学び、営業することで赤字企業でも倒産寸前の企業でも、トップに立つことができる。トップに立つ企業にはトップに立つことへの執念をその企業人全員が誇りとともに持っている。お金のために働く以前に、仕事に対する誇りを持って働いている。

「何度か挑戦したが結果が出ないから止めた」「やっても無駄だと思った」「がんばっても評価してくれない」という考えを、「結果が出るまでやり続ける」「やって無駄なものはない」「がんばれば誰かが評価してくれる」と思うことだ。「あ~楽しかった」という生き方はかなり前向きでなければならない。

2007 09 09 [心と体] | 固定リンク

2007年9月 5日 (水)

ひとりで強くない者が、どうして他人を救えるのか?

ひとりで生きてゆけない者でも、必死になって生きていれば、多くの人に感動を与え、生きる希望や勇気を与えることができる。裕福でなくても、健康でなくても、地位や名誉がなくても、若くなくても、多くの人に支えられても、歯を食いしばり必死になって頑張って生きていることほどすばらしい生き方はない。

あとわずかの命であったとしても、多くの人に感謝し、自分の健康よりも他人の健康に気を配り、これからも生きていく者にしっかりと大地を踏みしめて生きろと励ます人に会えば、誰もが生きることへの畏敬の念を禁じ得ないだろう。如何なる環境にあろうとも自分を卑下することなく命ある限り前向きに生き続けることだ。

2007 09 05 [心と体] | 固定リンク

2007年9月 1日 (土)

大将のいましめ 徳川家康

江戸幕府の初代将軍・徳川家康が「大将のいましめ」を書き記している。大将という言葉を上司や経営者と置き換えて読んでみるとすばらしい指南書になる。

上司や経営者というものは、尊敬されているようでも部下にいつも落ち度を探られている。恐れているようでも侮られているし、親しまれているようでも疎んじられ、好かれているようでも憎まれている。

上司や経営者というものは、いつも勉強しなければならないし、礼儀もわきまえなければならない。良い部下を持ちたいと思えば、自腹を切って部下にひもじい思いをさせないようにしなければならない。

部下というものは給与で惹きつけてならないし部下の機嫌をとってもならない。遠ざけてはならないし近づけてもならないし、怒らせてはならず、油断させてもならない。結局、部下に惚れさせるように努力しなければならない。

1616年6月にしたためられたものだが、さすが、修羅場をくぐりぬけて天下を取った人物ならではで、結局、自分を磨き続けなければならないという示唆に富んだ内容だ。

2007 09 01 [心と体] | 固定リンク

2007年8月21日 (火)

辛いことから逃げ出したい生徒の方へのご返事 

人は誰でも弱い存在です。本当は逃げ出したいこと、泣き出したいこと、投げ出したいことがいっぱいなのに、それでも我慢してやり通すのは、愛する人のため、守るべきもののために生きているからです。あなたのお父さんだって、本当は職場から逃げ出したいことがいっぱいあるはずです。上司からできもしない目標を与えられたり、馬鹿だと言われたり、部下から蔑まされたり、無視されたりとそれはそれは嫌なことがいっぱいだと思います。それでも、お父さんが仕事をするのは、妻や子供を守るためではないでしょうか。自分だけなら、とっくの昔に辞めていたことでも、守るべき人やモノができると我慢するようになります。あなたは、あなたを心から愛して下さるご両親のために頑張ったことがありますか?

ご両親はあなたがいるから我慢強く生きてこれたともいえます。幼いあなたの笑顔を見てどれほど励まされたことでしょう。今度は、あなたがご両親のために頑張って耐え抜くことです。自分のために生きる人生にはその場その場の快楽しかありませんから行き詰ります。遊びなら自分のために楽しめばいいでしょうが、仕事は自分のためではなく、お客様のために知恵を出し行動する行為ですから、自分が楽しむ前にお客様を楽しくさせてあげることが必要となります。お客様が楽しみ感謝されて初めて自分の楽しみに変わるのです。「あんた、若いのに偉いね!ありがとう」と、お客様に言わせ、会社を儲けさせることです。そこに仕事人の誇りや生きがいがあるのです。そのとき、いちばん喜んでくださるのはあなたのご両親です。

ご両親へ感謝の手紙を書いてみてください。僕は31歳の時に書きました。その手紙は74歳で亡くなった父の遺品の中にありました。20年間、大切にブリキの箱の中に入れられていました。死ぬまで大切にして見ていたと母が話してくれました。「父さん、母さん、これまで育てて下さりありがとうございます。・・・こんな小さな町で僕が離婚し魚を売り歩いていたことで、どんなに非難されているか僕は知っていますが、いつも笑顔で会ってくださる父さん、母さんには感謝するばかりです。・・・父さんが厳しく僕を叱って育ててくださってもこんなに迷いながら生きています。・・・父さん、僕は父さんが大好きです。母さん、僕は母さんが大好きです。必ずや誇りにできる息子になります。 愛する息子より 」

2007 08 21 [心と体] | 固定リンク

2007年8月10日 (金)

仕事も遊びも自分の限界以上に挑戦しなければ成長なし

僕はウインドサーフィンを25年ほどやっている。このスポーツはなかなか上達しない厄介なスポーツだが、上達すれば大海原を気持ちよくどこまでも遠くへ疾走するこができる。大波の日には大きな波を蹴って空に飛び上がることもできる。世界中どこに行ってもビーチでウインドサーフィンをしている人たちとすぐ友達になれる。

最初のうちは、海に出かけてもウインドサーフィンのボードの上に立っていることすらできない。セイルを持つことすらなかなかできない。毎回、自分ができないことへの飽くなき挑戦が必要で、これを2~3年経なければ強風が吹き荒れる海に出かけて楽しみとすることはできない。毎回、自分の限界への挑戦を何度も繰り返す。

ウインドサーファーには「ジャイブ1000回」という諺がある。セイルに風を受けて風下にターンするには1000回練習しなければできないという例えだが、遊びでもそれほど真剣に取り組まなければ上達しない。遊び仲間から尊敬や信頼を得るにも自己の限界を乗り越える努力が必要だ。

仕事でも同じことがあてはまる。なかなか仕事を覚えられない、お客様から叱られることばかりだ、上司から指摘されることがたくさんある、楽しく仕事ができない、・・・いつでも上達しようと自分の限界以上に努力しているのだろうかと自分に問いかけてみる。限界は挑戦することで乗り越えられ、さらに上の限界に挑戦できる。

仕事をしていれば自分の限界への挑戦を忘れて、居心地の良い仕事しかしなくなる。出会いを求めている陸サーファーのようなもので、いつまで経っても上達しない。自分の限界を知ることは大切なことだが、限界はいつでもその気になれば乗り越えられる。毎回、やるたびにできないことへ挑戦することだ。そこに、大きな喜びを見つけるだろう。

2007 08 10 [心と体] | 固定リンク

2007年8月 4日 (土)

ヌカに入れた石を舐めて飯を食う

お酒の大好きな父は毎日のように外で食事を済ませて酔って家に帰ってくる。20歳そこそこの父の収入では自分の酒代にしかならない。内職をしている母親は食べ物を買うお金もなく、僕はいつも腹ぺこで、なにもない時には片栗粉やハッタイ粉(オオムギの粉)に砂糖を入れてお湯でかき回したものを食べていた。

ある日、少しの米しかなくなった母親はヌカ床に小石を入れてそれをだし、ちゃぶ台の上にその小石を皿に盛って言った。「これを舐めてご飯を食べなさい」何ともみじめな食事に僕は腹を立て、酔った父親が帰ってきたときに、怒りをぶちまけて反対にコテンパンにぶん殴られてしまった。

体中はれ上がって痛みと悔しさで泣いている僕に母親は言った。「負ける喧嘩と分かってする人は愚か者だ。ぐっと堪えて知恵を出せ」 次の日、小学校からの帰り道、僕は畑に捨てられている野菜を拾い集めて帰ってきた。母親は笑顔で食事の支度をしてくれた。

2007 08 04 [心と体] | 固定リンク

2007年8月 3日 (金)

金は残せないが、しつけは残す

僕は高校生になるまで、自宅玄関が僕の部屋だった。10歩、歩けば外に出ると言われた小さな町営住宅で暮らしていた。木桶にお湯を入れて風呂としていたし、台所は土間だった。洗濯は近くの川で済ますこともあった。両親は働いていたので、家事は僕の仕事だった。

お客様が入らしたとき、僕は玄関口で丁寧にお話を伺った。「どちら様でしょうか?父にご用事ですか?しばらくお待ちください。」そう言って隣の部屋にいる父に要件を伝えるということもやっていた。お客様からは、こんな小さな家でどうしてそんな馬鹿なことをするのかと聞かれた。

母親は、「この子に残せる金銭はないが、しつけだけは残してやれる。この子は将来、きっと大物になるから今のうちからしっかりとしつけています」と平然と話していた。子供の頃は、身分相応の考え方で良いのにと何度も母親に反発したが、今となっては貴重な経験だった。

2007 08 03 [心と体] | 固定リンク

2007年7月28日 (土)

人を憎まず、自分を律せ!

相手の方が自分に気に入らないことをすると顔色が変わり、相手の方を思いやることもなく、ただ感情的な行動に出る。相手の行動を責めてみたり悲観したり、そのせいで自分はやりたいことができないと悲観してみたり、怒りがこみ上げてきたり・・・子供にはよくある行動だ。

朝起こしてもらうのが癖になっている長女がしっかり起こさないから学校に遅刻すると母親に怒っていた。数日して、大阪の高校で一人学んでいる長男が久しぶりに帰省し最後の晩餐なので、家族一緒に外で食事をすることにした。何か気に入らないことがあったらしく長女はふてくされて何も食べなかった。

僕は娘を叱った。「目ざまし時計があるにも関わらず、母親に朝起こしてもらうことがすでに自分を律していない証拠。人にものを頼めば感謝して当たり前だが、君は反対に起こしてくれた母親に怒っている。自分が朝起きられないことは君が自分一人で解決すべき問題だろう。」

「夜の食事を家族が我慢して待ってくれていることや、お兄さんと食べる最後の晩餐だということを思いやって行動できない君は自分のことばかり優先して物事を考える。観たいテレビが家族よりも大切なら、それは大きな間違いだ。家族を大切にできない人は誰からも愛されない人だ。しっかり反省しなさい。」

幼少の頃は親がすべての面倒を見ている。それは子供は何もできないからで、小学校高学年になると自分でできることを広げていかねば自立できなくなる。中学生になれば食事の支度や家の掃除など積極的にやらないと自立どころか反抗期になり自我の崩壊が始まる。

自我の目覚めとは自立する準備段階で、そのために家族の役に立ちたいと思うようになるが、それを阻害して身の回りのすべてを親がやり勉強以外にすることがない状態にすれば自我の目覚めは反抗となって現れる。親が子離れできない状態では子供は成長できなく共に不幸になる。

2007 07 28 [心と体] | 固定リンク

2007年7月19日 (木)

リーダーは自己抑制力がなければならない

リーダーは引率しているスタッフの目的を達成させなければならないので、途中で弱音を吐いてはいけない。リーダーが感情的になれば、スタッフの信頼を失い、チームはバラバラになって団結力をなくし自滅していく。そのためにリーダーは普段から自分を鍛えておくことが必要となる。

自分を鍛えることをもっとも忘れがちなのが家庭で、僕は家庭にいるときにもっとも自分を鍛えるようにしている。美味しい食べ物の誘惑には「これを食べてしまって、それで部下を幸せにできるのか?」と自問するし、のんびりしようとすれば、「そんな姿を見て、部下が信頼してくれるのか?」と叱咤する。

ダイエットや家事のお手伝いなどは自分を鍛える効果的な方法で、食欲などの本能的な誘惑に負けるようではリーダーにはなれないと思って実行している。会社では立派になれても家庭ではだらしない、仕事はできても煙草やお酒を止められないのが一般だとすれば、僕はそれ以上に自分を鍛えようとする。

誰よりも自分を戒めて鍛えているという自信が強い意志を持ってスタッフを引率するリーダーとしての勉学や実行力に結びついてくる。自分の心の中の欲望をコントロールすることはなかなかできるものではないが、それをコントロールできる強い自分をつくることが自信につながる。私生活を見ればその方の実力が分かる。

2007 07 19 [心と体] | 固定リンク

2007年7月17日 (火)

男は一流の物をひとつ身に付けて頑張りなさい

僕の祖父は工務店を経営していた。1ドル=360円の時代に、西ドイツ(現在のドイツ)までいき設計の道具を購入してきた。僕は保育所の頃で、そんな高価なペンやコンパスを玩具にしてよく祖父に叱られた。「男は一流の物をひとつ身に付けておくんだよ。悔しい時や辛い時があるだろ。そんなときにそれを見て、自分もいつか一流とよばれる男になろうと思って頑張るんだ。」

その後、46歳になるまで僕は一流とは程遠い生活をしていたので、一流の物を身につけることはなかった。46歳になり、多くの一流と言われる方とお会いしてビジネスのお話をすることが多くなった。僕は祖父の言葉を思い出してモンブランのボールペンと万年筆を購入した。いつも背広のポケットに差して自分を戒めてきた。いつか僕も人として一流になってみせると思って心の支えにしてきた。

53歳になり、ひとつの分野では一流と評価されるようになり、多くの人から信頼され尊敬されるようになった。僕を支えてくれた大切なモンブランのボールペンや万年筆を眺めることも少なくなっていた。僕の心の支えはモンブランではなくこれまで出会ってきた人々に変わっていった。いつか、このモンブランを持つにふさわしい方に出会ったらプレゼントしようと思っていたが、早くにそんな出会いがあった。

一流の商品には、その評価をつくりあげてきた多くの人の伝統と誇りが凝縮されている。どんなに安物が横行しようとも頑固に伝統と品質を守り続けて安月給でも我慢してきた職人とよばれる人々がいる。高価ではあるが、その価格にふさわしい人々がそこにいる。一流の商品を身につける人々はその方たちの伝統と洗練された感覚をいっしょに購入している。

2007 07 17 [心と体] | 固定リンク

2007年7月16日 (月)

他人は期待を裏切りながら生きている

親は子供に多くの期待をするが、子供の多くは親の期待を裏切って生きている。親子、夫婦、上司と部下、多くの人間関係はその期待を裏切られている場合の方が多い。己は己、人は人、それぞれに性格も生き方も違っているので当然のことだが、裏切られ戸惑い、自責の念に追い込まれる人もいる。

相手の立場を尊重して自分が期待しているものを理解してもらうように努力することが大切だが、その努力を怠って以心伝心だと思っていると期待外れになることが多い。相互理解の作業がない時は、誤解や自己主張が強くなり相手の立場になって物事を考えることができなくなる。

どんなに相互理解の努力をしても受け入れてもらえない場合もあるし、反感を買う場合もある。この場合は、距離を置いて付き合うか、それぞれが別々の生き方を選択する方がいい。会うたびに挑戦的な態度を繰り返していては、相手を大きく傷つけてしまう。

2007 07 16 [心と体] | 固定リンク

2007年7月15日 (日)

自分のことしか考えられない人はリーダーにはなれない

子供の時は自分のことしか考えないので、他人のことには無関心かやってもらうことしか考えない。自分さえよければいいじゃない、今が楽しければそれでいいじゃない、悪いことをしても分からなければいいじゃない、なんて思っているとリーダーにはなれない。リーダーには自分を殺してでも部下を守ることが求められる。

他人への思いやりだけでなく、他人を幸福へと導くことがリーダーには求められる。そのためにもっとも求められるのは深い見識と、未来を予見して冷静沈着にスタッフを引っ張る人望であろう。リーダーに向いている人は学生の頃から生徒会役員や学級委員長など、持って生まれた人望で選出されている先天的な人と、自分を鍛えてそうなる人がいる。

スタッフを活かしながら自分も輝く道を選択して、自分の利益は後回しにできるがまん強さが求められる。感情的な人はリーダーには向いていない。リーダーが感情的になり、方向を見失うとスタッフ全員を不幸に落としれてしまう恐れが生じる。人為的なミスはできる限り避けなければならない。感情を抑制する自制心はなかなか身につけるのは難しい。

自分の感情を抑制する自制心はスタッフなど多くの人を幸せにするという博愛によってつくられる。博愛の精神がなければ自己の幸福を捨ててまで相手のことを思いやる行動を継続して行うことは難しい。自分以外の他人を幸せにしたいという生命が本質的に持っている生命の本能ともいうべき力を自覚できなければならない。

2007 07 15 [心と体] | 固定リンク

2007年7月 5日 (木)

勉強よりも風呂を焚け

僕は保育所のころから家周りの掃除、洗濯、風呂焚きが家族の中で、任された仕事だった。中学生になり、遊びすぎて僕は風呂焚きを忘れてしまった。母親は僕に聞いた。「どうして風呂焚きを忘れたの?」とっさに僕は答えた。「テスト前だったから勉強していたんだ」

母親はすかさずに言い放った。「テストなど弘一さんの個人的な問題でしょう。しかし、風呂焚きは家族3人の問題なのですよ。個人の利益よりも優先すべきは人々の利益です。テスト勉強などしなくていいから今すぐに風呂焚きをしなさい」

自分が任された仕事は多くの人に期待されていることだ。それを忘れて、自分がやりたいことに集中することの愚かさを即座に教えてくれた母親の凄さを感じてしまった。勉強だと言えば許してくれると思った僕は恥ずかしいと強く思った。

2007 07 05 [心と体] | 固定リンク

2007年7月 3日 (火)

人に甘えれば、その人が自分に期待していることを実行しなければならない

「~に連れて行って」「~が食べたい」「~が欲しい」「~してちょうだい」こうした他人に甘える行為は、実行してもらった時、他人が自分に期待していることをやってくれると思っているからに他ならない。子供がこうして甘えれば親は勉強して当たり前だと思うし、男女であれば恋人になってくれることを期待するだろう。

その期待にそえなければ他人は怒りや悲しみを感じる。怒りの時は強制的に期待していることを実行させようとするだろうし、悲しみの時はその人のせいにして自分を傷つける。このとき、期待にそえなかった人は「なぜ怒っているの?」「もうあの人には頼めない」驚き狼狽し、同じように怒りや悲しみの感情を示す。

他人に甘える人は自分に厳しくできない自分に甘い人で、自立できていないが故に他人に甘えるようになる。「やろうと思ってもできない」「頼った方がはやいじゃん」「どうして頼ったらいけないの?」自分に甘いが故に他人に甘えて他人とのトラブルに悩んでいる。自分に厳しくできないので他人の期待には応えられない。

2007 07 03 [心と体] | 固定リンク

2007年7月 2日 (月)

他人の不幸の上にみずからの幸せを築いてはならない

大学1年生の時、学生寮総会で僕は「少なくともこの学生寮の僕たちだけでもカンニングをやめようではないか!」と言って寮生皆から大ブーイングを浴びたことがある。正々堂々とテストにのぞみ、どのような結果であれ受け入れるのが人としての道ではないかと僕は声を大にして言った。

設計技師として働き、現場施工業者の手抜きを発見し、施工業者にやり直すように言ったが再施工する気配は全くなく、反対に喧嘩になってしまった。社長が現場にやってきて「売れる建物が良い建物で、売れる建物を施工業者がやってくれているから文句を言うな」と言われて見切りをつけて辞職した。

自分をだましてテストで良い点を取りたくもないし、良い点を取ったところで自分をだました汚点は生涯残る。お客様をだまして商売などしたくもないし、お客様の不幸の上に自分の幸せを築いたところで幸せだと言い切るほどの馬鹿でもない。正直者は若い頃は正直ゆえに苦労するものだ。

40歳を過ぎてから、正直にやってきたことが信頼となり商売が順調に進むようになった。「おまえは嘘をつかないから」「おまえなら買っても大丈夫だ」そう言っていただくには20年ほどかかる。他人の不幸の上にみずからの幸せを築いてはならないと思って生きてきた。50歳を過ぎ、やっと悔いのない生き方だと確信できた。

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2007年6月27日 (水)

ダイエットより偏食をなくそう

単純に体重を減らすことではなく、如何に健康的な身体をつくり維持するかがダイエットの基本だ。そのためには食材から気を遣わねばならないし、調理の仕方にも気を配らねばならない。体重を落とすことだけに気を使うと身体を壊してしまい、元も子もなくなるという結果にもなりやすい。

ダイエットを始めれば、毎日の食事に気を使い、日々の体重を記録し、食材や栄養などの知識の習得、ストレッチなどの運動、散歩などの習慣などやらねばならないことがたくさん出てくる。体重は健康的な食事と運動をしていれば自分に合った体重になってくる。僕の場合は、少し太り気味がベストだ。

身体は毎日の食事からつくられる。脳、肝臓、筋肉、脂肪、骨、・・・食事からつくられるものだからこそ何を食べるかは心身の健康の根幹をなす大問題となる。偏食をすれば偏った栄養素だけで身体をつくらねばならないので、どこかにほころびが出てくる。それが心身の病気となる。

人間の身体はまんべんなく食事をすることで健康的な身体をつくれるようにできている。身体だけでなく精神的にもタフであるには食生活や運動の大切さを知ならければならない。僕はダイエットを始めて食事の大切さを学んだ。化学調味料や合成着色料などの知識も得て、自分で調理するようになった。


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2007年6月26日 (火)

やってみなけりゃわからないさ

できない理由はいくらでも述べることはできるが、挑戦する理由はなかなか述べることが難しい。しかし、挑戦していった人だけが成功したのも間違いない事実だ。できない理由ばかり述べて何も挑戦しないで生涯を終える人も多い。僕の父親は起業したくて多くの人に会い、多くの書籍を読み、講演会に行き、成功者の意見を聞いたが起業しなかったので成功も失敗もしなかった。

リスクを先に述べる癖は生涯変わることはなかった。不安を隠そうともしないで多くの方に自分の意見を述べているので、協力しようと思っていた方も止めた方がいいとアドバイスするようになり、やっぱりそうかと本人は納得するというパターンを繰り返してしまう。「~できたらいいのになぁ」と言いながら、酒を呑み、夢を見ては実現できない理由をたくさん探して納得していた。

仕事も利殖もリスクをとらねば成功はおぼつかない。生きているうちにやってみなけりゃわからないが、生きているうちは「家族がいるから」「お金がないから」「もうこんな年だから」・・・とできない理由を真剣に探し出している。成功と失敗という結果はやってみなければ味わうことができない。世の中で、成功者と言われている人たちは全員やってみた人であるならやってみればいいではないか。

失敗にだってたくさん学ぶことがある。そして、失敗こそ人間らしい味わいをかもしだしてくれる。失敗の経験がない人が成功すると、成功者であることを多くの人に見せたくなり、傲慢になり、贅沢を謳歌し、失敗ではなく転落の人生を送るようになる。失敗を経験してきた人は成功してもその成功を支えてくださった多くの人に感謝し、傲慢な生活よりも謙虚でより多くの人のために役立つよう努力する人になろうとする。

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2007年6月23日 (土)

お金の重さを知らない子供や大人たち

僕は物心ついたころから、両親が働いていた。父親は郵便局で配達をしていたし、母親は軍手などの内職をしていた。保育所から帰ってきた僕の仕事は父親の夜の弁当を職場に持っていくことや、お風呂の用意をしたり、洗濯物をしたり、母親の内職を手伝うことだった。内職しながらひとつ10銭などと1円にもならない仕事を一生懸命になってやっていた。

父親は酒好きで貧乏暮らしだったので食材を買うお金もないことが多かった。そのたびに茶ダンスの引き出しを抜き出して奥の方に首を突っ込んで何かないかと探している母親を見てきた。親戚の家に行き、お金を貸して下さるように頼んで断られている母親をじかに見てきた。八百屋で捨ててある食材をわけて下さいと頼んで、お店の方に嫌だと言われている母親も見てきた。

小学生のころは新聞配達や郵便局、建材屋などに出かけて働いていたし、河口でエビやゴカイを取って釣り人に買ってもらったりしていた。500円を稼ぐには1日どれほど働かなければならないかを身をもって知っていた。そのため、無駄使いはできないし、自分が欲しいものは我慢するようになった。金銭的価値とそのサービスや商品価値を比べる癖が自然と身についていた。

お金が欲しい時にお金を出してくれる両親がいると、その金額を稼ぐにはどれほど働かなければならないかが分からなくなる。そうした環境下で育った子供はお金に対する価値観がない。自分の労働に対する報酬よりも、両親から貰える金銭の方が多い場合は、働くことすらバカバカしいと思うようになる。これでは働く喜びは分からない。お金は両親に頼れば良いから、自分は両親に嫌われないようにしていればいい。

これが現在のパラサイトと言われる若者や中年の金銭的価値観だろう。つまりは、現在の大人は子供にお金を安易に授けすぎるということで、お金を儲ける苦しみと、お金を儲ける喜びを骨身にしみて分かるまでは金銭的な援助は避けるべきだ。子供に給食費3000円を渡すとき、「この3000円はお父ちゃんが上司から馬鹿にされ頭を下げること4時間分の労働から生まれたものだから大事に使え」と言える母親が何人いるのだろうか。

2007 06 23 [心と体] | 固定リンク

2007年6月20日 (水)

優秀な学生と優秀な社会人は全く違う

優秀な学生はしっかりと勉強し誰よりも良き成績を収める人で、トップの成績を収める学生を誰もがすばらしいと評価を下す。優秀な社会人はしっかりと仕事をし誰よりも仕事ができる人で、トップの業績を収める社会人をすばらしいと評価する。この違いは勉強と仕事でしかない。

勉強は自己鍛錬で自分の能力を最大限に高めることが要求される。そのためには他の学生への思いやりよりも知識の習得やテストで他の学生よりも良き成績を収めることに重点が置かれる。仕事はお客様を如何に満足させるか感動させるかに重点が置かれるので自己鍛錬よりも自己犠牲が求められる。

勉強は個人プレーだが仕事はチームプレーが求められる。この違いを理解しないで優秀な学生が仕事をするようになると現実に幻滅して仕事を馬鹿にする。「あんな馬鹿といっしょに仕事はできない」仕事ではあんな馬鹿でも一生懸命に仕事をしていれば仲間として受け入れる度量が求められる。

自分さえよければ優秀だと褒めてくれたのに、仕事になると自分だけよくても誰も褒めてくれない。仕事はお客様や会社の仲間といった他人を大切にすることで業績が決まる。学生時代は社会人になるための自己鍛錬の時期で、自分を鍛え他人を幸せにする実力をつけるためである。それを見失うと優秀な社会人にはなれない。

2007 06 20 [心と体] | 固定リンク

2007年6月14日 (木)

美味しいものは危険な食べ物

美味しい食べ物は至る所にあるのに、美味しい食べ物を食べ続けることは非常に危険な行為になっている。特に人口管理されている食材ほど健康上危険で美味しく見栄えがする。人工的に調理され抗生物質を調合された餌を食べ続けている養殖物は口に入れただけで変な味がする。うなぎやエビは最近食べなくなった。

天然物を食べるには鶏肉、豚肉、牛肉は不可能となっているし、健康的に養育するための値段で販売できない流通システムになっている。その原因は農家と処理業者との力関係にあり、株式会社にできない個人農家は小規模で大規模処理業者の納入価格でなければ販売できないからだ。

加工食品は粗骨症や肥満の原因となりやすく、人工甘味料によって味付けされた加工食品は何度も食べたくなる魅力を持っているが、自然食材にはこうした魔力はない。食生活によって変調をきたした身体は、薬品によって健康にはできない。健康的な食生活以外に健康な体を維持することはできない。

自然食材は人口甘味料と違って甘さに苦みが混じっているし、美味さに酸っぱさがある。美味しくないと思えるかもしれないが健康にはとっても良い。天然物の魚でもアジ、サバ、いわしなどはとっても安いし、地元農家が育てた虫食いの野菜、ちょっと高いが有機栽培された果物を自分で調理して食べることほど健康的なことはない。

2007 06 14 [心と体] | 固定リンク

2007年6月13日 (水)

生きるために調理を覚える

健康のために僕は自分で自分の食事は調理している。それも簡易調味料は使わないで、自分でだしをとり、新鮮な地元の食材を近くのスーパーで買い、土を洗い落とし、基本的な調味料、酒、お酢、みりん、醤油、砂糖、塩、味噌などで調理する。

飲食店で食事をしていると揚げ物や肉類は豊富に摂取できるが、野菜やくだものはほとんど摂取できない。このために血液はドロドロになり、栄養はないがカロリーが高いので肥満になりやすく、濃い味に慣れてしまい薄い味付けには物足りなさを感じるようになる。

健康に気を使ってみようと思えば、調理を覚えなければ如何に健康食品だといっても安心できない。健康野菜ジュースは砂糖がたっぷりだし、サラダバスケットは油など添加物が入っている。カロリーオフの甘味料は成分をみると使う気にならない。結局、自分で地元の食材を買って調理するのが一番だと気がつく。

調理したものはいろいろな容器に入れて冷蔵庫に保存しておけば数日は安心して食べることができる。調理はいろいろな食材との出会いをもたらし、命の大切さを教えてくれる。元気な魚をさばくとき、元気な野菜を洗っているとき、「君たちの元気をいただきます!」と感謝せずにはいられない。

2007 06 13 [心と体] | 固定リンク

2007年6月12日 (火)

自己鍛錬を怠る大人にしつけはできない

生まれたばかりの子供は素直に母親を慕い、子供も素直に母親を慕う。お互いに何の条件もなく愛し合い、信頼し合っている。しかし、子供が大きくなり母親の期待外れな態度や言葉が出てくると、母親は子供にしつけという条件をつけはじめる。

子供に対するしつけは子供が判断力のない時は効果的だが、子供に判断力がつき母親を観察するようになるとしつけが逆効果になっていく。「お母さんだって、~できないじゃない!」母親の弱点を突くようになり、母親に怒りが芽生える。

本当は、子供の指摘を受け入れ、行動や態度を謹んで受け入れることで子供に対するしつけを子供のためだと理解してもらうことが必要だが、自分だけはカヤの外で子供には厳しくする母親が多い。そのために母親を憎むようになり母親の言葉は受け入れ難いものになっていく。

父親にも同じことが当てはまる。ビールを呑んでテレビを観ながら「おい、勉強しろ!」と言ったところで子供の反感を買うだけだ。しつけには親の態度や行動にも厳しいチェックが入ることを覚悟してかからねばならない。自己鍛錬を怠る大人にしつけはできない。

2007 06 12 [心と体] | 固定リンク

2007年6月 8日 (金)

他人のために生きてみることで得られる満足感は優越感に勝る

お金をたくさん持っていて幸せですねと言われることがあるが、経済的な不安が解消されただけで、その他の多くの悩みを抱えて僕は生きている。むしろ、お金を持っていることで妬みややっかみなどを感じることもあるし何気ない言葉がお金持ちの優越感に受け取られてしまうこともある。

どんなにお金があろうとも僕は贅沢は好きでない。ほとんどひとりで移動することが多いならできるかぎりコンパクトな車の方が良いと思う。中古で間に合うなら中古を利用するし、長く使える物は長く使うようにしている。自分の部屋もひとりが生活できる空間があれば充分だ。身にまとう物も必要以上に贅沢な物は要らない。

優越感に浸りたいと思い高級な物を所有して他人に見せることで目的を達成する方法もあるが、物は経年劣化が激しく、すぐに買い替えなければ優越感を保てない。高級ブランド品を長く使うのではなく、絶えず買い替えるのが日本流の贅沢なのはそのような理由からだ。

こうした優越感を達成するには充分な資金を持っているが、僕は普通の人間が普通の生き方をする程度で充分満足で、人から感謝される心の贅沢を味わっているので物質的な優越感は必要ない。他人のために生きてみることで得られる満足感は優越感に勝る。

贅沢な家に住み、高級車を乗り回していても、そこに僕の命をかけて守るべき愛する人々がいなければ虚しさを感じる。普通の家だが、そこに愛する家族が住み、オンボロの車だが愛すべき人々が乗ってくれ、いつも笑顔が絶えない暮らしをする方が僕は好きだ。そのためには自分を鍛えて他人のために生きなければならない。

2007 06 08 [心と体] | 固定リンク

2007年6月 5日 (火)

美人薄幸

外見の美しい女性は多くの男性が求愛し優しくし僕が一番ですよと訴えかける。多くの男性から特別な存在だと毎日のように気がついた頃から言われ続ければ、本人もその気になって私はとっても魅力的な女性だわと意識するのも必然だろう。

何かに挑戦しようとすれば、「どうかそんなことはしないでください。僕たちが代わりにやります。」と、普通の人が挑戦できることさえやらないように勧められる。そのうちに、私は優しくしてくれる男性にお礼を述べれば良いだろうと思うようになる。

若くして特別扱いされるので苛められることも多い。必然的にアウトサイダーになりがちで、美貌が失せてくる30代になると自立できない性格のために男性を頼りがちになる。美しく見せるための出費も多いし、料理はできないし実務に秀でているわけでもない。

甘えれば何でもしてくれた恋人のころと違って、結婚すれば男性から指図されて驚き、喧嘩別れになり、どうしてこんなに美しい私と別れるのかと不思議に思う。「嗚呼、美人に生まれた私が不幸」と嘆くが、同情して新たな男性が優しくしてくれる。

新たな男性はこんな美人が僕と一緒になってくれればなんて幸せだろうと思うが、エステに通い、家事はできない、掃除はしない、家は散らかし放題、金銭感覚は全くなく使い放題、結婚しても多くの男性から毎日のように電話がかかってきて笑顔で話している姿を想像したことがあるのだろうか。

2007 06 05 [心と体] | 固定リンク

2007年6月 4日 (月)

結婚と離婚

この宇宙にあるすべてのものは時間とともに変化する。人の変化も時間とともに移りゆく。ある時点でお互いに素敵だと思える関係も時間が経てば、もっと素敵な関係だと思えるようにもなり、お互いを傷つけるだけだと思える関係にもなっていく。その変化は意外と速く、お互いに驚くことも多いだろう。

結婚するときは、この人と永遠の愛を誓うと決意するのだが、いっしょに住むようになるとお互いの生活をさらけだすのでつきあっていた頃の魅力は失せていく。我慢することがどんどん増えてくるようになり、お互いに意見の衝突も増してくる。うまく調整できればより豊かな結婚生活になるが調整できなければ離婚となってしまう。

離婚はお互いの考えのぶつかり合いが許容範囲を超えて我慢できなくなった状態で、これ以上いっしょに生活すればお互いをさらに傷つけてしまうと判断した自己防衛策でもある。人生の再出発でもある離婚を否定的落胆や憎しみにとらえるのではなく、かつて愛した人を守る方法だと割り切った方が良い。

別れた伴侶の未来を幸福なものにしてくださいと祈るのと同じように、自身も幸福な再出発をしなければならない。人には相性があり、その相性は時間とともに変化する。ただし、その変化はその人自身が引き起こしているものでいつでも自分自身で変化を変えることはできる。自分の人生は自分自身で創生されている。


2007 06 04 [心と体] | 固定リンク

2007年5月31日 (木)

おいらの評価はどうでもいいさ

精神的に若い時は、他人や出来事を評価しているだけの生活をしがちだ。「あの人はこうだよね」「この出来事はこうなんだ」でも、どんなに評価しようとも、自分が何かをしている訳ではないので評価の対象にはなりえない。「ところで、君はいったい何に命を燃やしているんだい?」そう聞かれても答えようがない状態。このまま年老いていくにはちょっと寂しい生き方だ。

何かに命を燃やしていると、その行いは評価の対象になる。恋愛、仕事、勉強、スポーツ、趣味、・・・夢中になれるものは身の回りにいくらでもある。「あいつは馬鹿だ」という批判を受けることもあれば、「あいつは素敵だ」という賞賛を受けることもある。でも、やっている本人は必死になってがむしゃらにやるだけだ。評価は死んでから如何様にも付けてくれってもんだろう。

自分が何も真剣にやらなければ他人の評価はほとんどなく、他人に傷つけられることはほとんどない。しかし、小さな自分の世界はどんどん小さくなっていくばかりだ。最後は自分が生きていることさえ恐怖になってしまう。どんな生き方をしたって他人は面白半分、興味半分で話のネタにしているにすぎない。他人の評価などそんな安易なものでしかない。

僕はかっこいい生き方、他人の評価をすべて良くしたいなど糞くらえだと思っているので、自分の命を燃やせるものには燃やしつくしてやろうと思って毎日を過ごしている。とんだ誤解で非難中傷されることなど日常茶飯事で、いちいち、そんなことを是正する時間があれば、僕がやりたいことにまっしぐらに挑戦したい。やりたいことは山ほどあり、時間は僕を待ってくれない。

2007 05 31 [心と体] | 固定リンク

2007年5月14日 (月)

心に疲労を感じたら、体も疲労させろ

仕事や家庭などでストレスを感じて心を病み、ふさぎこんでしまう場合、僕はできる限り体を動かして体も疲れるさせるようにしている。心身ともに疲れるとバランスがとれてふさぎこむことはなくなる。嫌なことがあると、ひたすら歩き続けている。悶々としていた気持ちもだんだん落ち着いてきて冷静に物事を判断できるようになるし、相手の立場に配慮するゆとりもできる。

体を動かすことは精神衛生上、とっても良いことで、体力が有り余っているとチョッとした嫌なことでも感情的になりやすい。毎日のウオーキング、水泳、ジョギング、テニス、など体力を使うものはいくらでもある。心を病んでいればいるほどひとり部屋に閉じこもって体力を温存するから、もっと落ち込んでしまったりしてしまう。こうしたときはヘトヘトになるまで運動することだ。

僕は海が近いので、海で体力を消耗して精神と体力のバランスをとるが、ただ大海原に浮かんで陽の光を浴びているだけで気分爽快になる。30代の頃のような無茶なことはできないが、健康を意識した体の動かし方には気を使うようにしている。「心に疲労を感じたら、体も疲労させろ」は僕の考えだか結構正解だと思って知り合いにも言っている。

2007 05 14 [心と体] | 固定リンク

2007年5月 3日 (木)

自分を傷つけた人を許す心があったらええやないですか

病院でどなり声を出している人も、泣き叫んで母親を探している子供も、恋人を乗せてビーチロードを飛ばして走り去る人も、想いに耽りながら河辺を散歩している人も、まったく下手なギターを弾きながら聞くに堪えない声を出して唄っている人も、お酒を呑んで声高に笑っている人も、それぞれに人は精一杯生きている。

僕は周りに迷惑をかけている人にすら、「あんた精一杯生きているんやな。もうちょっと肩の力抜いたらどうなんや」と、声をかけたくなる。精一杯気張って生きていれば、周りが見えなくなって、ひとりよがりになって、力が入りすぎて、気がつけば悲しくて涙がこぼれて仕方がないようになる。

「そう気張らんでも人は立派に生きていけるものなんやで、気張る時と力を抜いて笑顔を見せるときを使い分けたらもっと楽に生きていけるんやで」怒りや憎しみの感情は悲しみの深さにつながっている。大きな怒りや憎しみは大きな悲しみに移り変わる。人を許せる心を失くしたら顔が引きつって笑顔がなくなる。

自分を傷つけた人、自分を悲しませた人、自分を憎んでいる人、自分を罵倒する人、自分を否定する人、・・・ええやないですか。そんな人も精一杯生きていると思えばええやないですか。それでその人が生きていられるなら、それでもええやないですか。受け止めてあげようと思えばええやないですか、あなたも精一杯生きてるんだから。

2007 05 03 [心と体] | 固定リンク

2007年4月30日 (月)

ゆとりのある生活はかなり我慢が必要

満腹になるまで食べるのではなく、7分で止める方が健康に良いとだれもが知っているのに満腹になるまで食べてしまう。買い替えなくてもいいのに、車検が来るとどこも故障していない車を買い替えてしまう。おかげで、高いローンの支払いが数年続くようになる。アパートで暮らしていればそこそこ貯金もあるのに、なけなしの貯金を頭金にしてとても返済できないようなローンを組んで不動産を購入してしまう。

人は自分へのご褒美だと言い訳して、不必要なものをお腹に入れたり購入したりする衝動がある。使い慣れたモノに対する愛着よりも、新しい刺激を求める傾向がある。愛着のあるものは、自分でいつくしんでみても誰も取り上げてくれないし、話題に上らないしニュースにもならない。新しいモノを手にすれば話題にも上り、ニュースでも取り上げている。

人は話題に上っているものを手に入れようとするが、これは仲間と同じモノを手にして安心したいという意識の表れだ。みんなが憧れるモノを手にしたいのは、優越感を手にれたいという表れで、スーパーマンに憧れるのと同じ衝動だ。かなりの無理をしてでもこうした行動に出るのは、それだけ自制心がないといいうことで、自己をしっかりコントロールするには我慢が必要だ。

2007 04 30 [心と体] | 固定リンク

2007年4月20日 (金)

セコイ人はセコイなりの成長で止まるもの

中小企業の経営者には、何とか節税して納税額を減らせないかと苦心されている方が多い。そのせいで自社ビルや借入金、高級車などで満ち溢れている。日本が抱える多額の借金を少しでも自分の納税で支えてやろうという気持ちは微塵もない。会社の規模もその経営者に応じた業績を維持している。

主婦のパートの方であれば、社会保険に加入することを嫌い、103万円の年収以上には働こうとはしない。旦那の社会保険を利用することにこだわるが、国の社会保険制度を維持するために一肌脱いでやろうとは思わない。納税を嫌い社会保険に加入して保険料を支払うことを避ける人は生涯、それ以上にはならない。

自分さえよければ他人はどうなろうと関心がない人は、自分のことすらどうしていいのか分からずじまいで、自分の夢に向かって走れない。他人事に関心がないと言いながら、他人を批評することで自分自身の存在感を確かめるようになる。これらの人に共通しているのは、自分は損をしたくないという感覚だろう。

ちょっと、他人のために一肌脱いでやろうと生きてみればまったく違った世界が広がるのに知らないで過ごしてしまう。しっかり納税すれば業績は良くなり、奥さまは家族を支える収入が増えるばかりでなくやりがいも感じるようになり、他人のために生きてみれば、懐の深い人になる。

2007 04 20 [心と体] | 固定リンク

2007年4月19日 (木)

叱ってくれるうちが花って?

怒っている人はたくさん見かけるのだが、叱ってくれる人はめっきり少なくなった。怒りとは憎しみからほとばしり出た感情をさし、相手のことを思いやる気持ちがない。叱りとは愛情からほとばしり出た感情で、相手のことを思いやる気持ちがある。ただこの違いだが、表面上はどちらも同じように見えるのは感情がほとばしり出ているからだ。

「これをしろ!」「あれはするな!」「馬鹿野郎!」一見同じ言葉でも、感情を爆発させている人の心根次第で相手への伝わり方も、その周りの人のとらえ方も全く違ってくる。怒りは憎しみから出てくるので、相手の方も憎しみや悲しみを持ってしまう。叱りはいつかは相手の方に心根が伝わるが、それまでは憎しみや悲しみの感情に支配されている。

大人になると、叱ってくれる人は本当にいなくなる。他人の不幸を喜び、他人の幸せを妬むようになり、テレビや週刊誌の情報に一喜一憂しているうちは叱ってくれる人に憎しみや怒りを感じるようになる。傍観者の利己主義という状態に陥るとなかなか人間的なハートを持つのは難しい。自己主張が強くなるとこういう状態になるので要注意だろう。

経営者などはまったくこうした人が多く、傍観者の利己主義から、自己主張ばかりになり、周りの忠告すら疎んじるようになり、忠言耳に痛しで、怒りに身を任せている人に出会う。残念なことはこうした心の状態でいると必ず人に伝播し、その方の周りの方も同じような精神状態になるので業績は必ず悪化する。

僕には叱ってくれる人も怒ってくださる人もたくさんいる。どちらの方にも同じように接するようにしている。自分の反省材料があれば、叱りでも怒りでも得した気分になって素直に感謝する。自分を成長させるにはどんな状況でも良い方に受け止めていくことだ。いっけん、馬鹿な行動だが時間がたてば大きな成長のきっかけとなる。

相手を叱っている時は、後味が非常に悪い。あんなこと、二度とやるものかと自己反省しきりになる。怒りの場合は、もっと相手を責めたいと心から思い、怒りの感情が次々とほとばしり出てくる。こうした違いを理解しておけば、自分の行動が怒りなのか叱りなのかを判別することができる。どちらにせよ、受けての方の器次第で、良いようにも悪いようにも転がる。

2007 04 19 [心と体] | 固定リンク

2007年3月30日 (金)

類は友を呼ぶ

他人を非難中傷する人は、他人を非難中傷する人と集まりやすい。他人を評価していることで、自分たちの和が保たれている。「あの人ね、このあいだ~だったらしいわよ、いやらしいわね」「へぇ、そうなの」確認をしたわけでもなく、その言葉が仲間から発せられると信じ込んでしまう。いつも、自分たちはカヤの外で物事をみている。

こうした状況では、自分たちが何かに積極的な挑戦を試みていないので日常生活に忙殺されたように感じるが、実は暇な時間を持て余しているにすぎない。試しに、テレビを観ないようにすれば、非難中傷の情報源がなくなり時間を持て余してしまう。自分の意見がこうした情報で左右されるのは、自分から積極的に挑戦していないからだ。

何かに必死になって挑戦していると、そうした仲間が集まってくる。そこでは他人の評価ではなく、自分たちがそれぞれ挑戦していることの報告や助言や支援を要請する場になっている。話題の主は他人ではなく、自分になっている。「僕ね、このあいだ~だったんだ。いやらしいだろ」「へぇ、そうなの」人生の舞台は自分のためにある。主役を張った方が面白いに違いない。

2007 03 30 [心と体] | 固定リンク

2007年3月29日 (木)

憎しみの連鎖反応

ある女性が両親からとってもひどい苦痛や忍耐を伴う仕打ちを受けて育ったとします。この女性は、あんな両親にはなりたくないと心から思って大人になります。大人になり、結婚し、子供をもうけて子育てにいそしむようになりました。子供が中学生になったころから、子供への躾がエスカレートして、子供から憎まれるようになりました。子供の怒り方はお母さんの怒り方そっくりで、その女性のお母さんの怒り方にそっくりになります。

子供は、お母さんのようになりたくないと思っているのに、お母さんのように行動してしまう。また、お母さんは、自分のお母さんのようになりたくないと思っているのに、同じようになってしまう。これが憎しみの連鎖反応です。その原因は受けた苦痛に対する憎しみを許せないからです。心の傷を負ったまま、二度とそうした傷を負わないように自然に防御する態度に出てしまうのです。

自分の感情をコントロールできない人は世の中にたくさんいます。自分の主張を押し付けて相手の立場を考えないのは、精神的に成長していないからですが、そうした人々もいるのが世の中で、ある程度の我慢もしますが、我慢の限界点に達すれば反論したり、避けたりするのは人として自然な行動です。しかし、その行動が怒りではなく叱りでなければ自分の心に憎しみが生じます。慈悲の心をもって相手にしっかりと叱ることが大切で、それを相手の方がどう受け止めるのかは相手次第です。

しっかり叱ることで、いっとき憎まれたりしますが、時間がたてば早い、遅いの差はありますが必ず反省してきます。愛情ある叱りはいつか必ず相手に伝わります。憎しみを乗り越えるのは並大抵の精神力ではできません。深い思索と理性から生まれた慈愛がなければ、そうした精神力は身につきません。

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2007年3月23日 (金)

他人を責めれば、自分が責められ、他人をフォローすれば、自分もフォローされる

精神的若者は、他人に対して非常に厳しい目で評価する。あれができていない、これもできていない、あれはどうしたのだ!これはいつするのだ!あいつは駄目だ、こいつも駄目だ!・・・他人に対して非常に厳しいチェックを行い平然と厳しい口調で言い放つ。そのために傷つき、鬱症状を引き起こす方も出てくる。

他人に対して厳しい目でチェックする精神的若者には、他人をフォローしようとする意識がないのでチームワークに欠け、ひとりよがりになり、他人も厳しい目でその精神的若者を見るようになってしまう。そのために、精神的若者の甘い面を見つけて、その精神的若者と同じように厳しい言葉で言い放つ。つまり人間関係は崩壊していく。

チームワークはお互いに助け合って初めて成り立つが、お互いをフォローしようとする強い意識がなければできえない。この強い精神力は自分に厳しい態度で生きている人に芽生える。深い配慮や思慮なくただ見た目で評価していれば、己の未熟さを必ず露呈する。

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2007年3月20日 (火)

叱るときは一対一で、褒めるときは皆の前で

リーダーに求められる指導育成の方法として基本的な考え方だが、チームワークを乱す部下への指導が感情的になり、皆の前で叱りつけてしまうことがある。この場合、叱られた部下は素直に反省できない状態に追い込まれる。多くの仲間がいる状態では、自分自身が否定されたような衝撃を受けてしまう。このため、反感をかって余計に反抗的になることが多い。

そこで、指導しなければならない場合、ひとりだけにしてじっくりと一対一で話し合うようにする。リーダーからみた部下の指摘は、リーダーに人望が備わっている場合は、二、三度のやり取りがある後、素直に聞き入れてくれる。一対一だと反省もしやすいし、部下も本音をリーダーにぶつけられる。上司への不満もあればお互いの誤解もあるので、相互理解しやすい。

褒めるときは、全体ミーティングなどで全員が集まっているときに褒めてあげる。皆は褒められた部下を称賛し、褒められた部下は気分が良くなるので、もっと頑張ろうと思ってくださる。この反対のことをすると、皆の前で恥をかかせたと思って、素直に反省してくれなくなる。皆は、怖いリーダーだと思って本音を話さなくなるので、組織は硬直し崩壊していく。

いずれにしても、リーダーの言うことに付いてきてくださることがもっとも大切で、そのためには自分の言葉に納得力を与えなければならない。そのためには、日ごろの行動にスキを見せないように自己管理できなければならない。言葉に重みが出るのは、その人の生き方そのものが反映されるからだろう。リーダーは私生活から律さなければならないのはそのためだ。

2007 03 20 [心と体] | 固定リンク

2007年3月19日 (月)

マイナスの感情に支配された人は、必ず自滅して、そのみすぼらしい姿をもっとも憎んでいる人の前にさらす

その人のためによかれと思うことをしても、最初は喜んでくださっても、慣れてくると、それが当然だと思うようになり、その人のために良くないと思い、反省を促すと、その人はいきなり怒り、悲しみ、憎しみ、怨み、などをその方に抱くようになる。その方の性格もあるのでどうしようもない。

怒り、悲しみ、憎しみ、怨み、強欲に支配された人は、かならずその対象となる人がいる。いつも、その人を非難していなければ安心できないようになる。こうした人は、いっときの成功を収めることがあるが、類は友を呼ぶがごとく、お互い、強い絆がないので疑心暗鬼に陥る。

そうしてお互いに非難するようになり自己崩壊が始まり自滅していく。すべてを失くしてしまったとき、最初に、怒り、悲しみ、憎しみ、怨み、を感じた人に会いに来る。みすぼらしい姿になって現れたとき、かつての勢いや怒り、悲しみ、憎しみ、怨み、はないが助けることもできなくなる。

人間は、いつもいくつかの選択肢を迫られて生きている。そのひとつでも選択を間違えると、修正するにはかなりの時間と忍耐と労力を必要とするが、感情に支配される方が楽なのでついついそちらに向かいがちだ。感情の爆発を支援してくれる人々は、同じように感情的な人ばかりになるので気がつかない。

2007 03 19 [心と体] | 固定リンク

2007年3月11日 (日)

もろくはかないものこそ貴重なれ

田舎に住んでいるとスーパーでお買い物をしたエビなどは生きたままでパックされている。パックの中で生き生きと動いている姿をみて、これを料理し、自分たちがいただくのだと思うと命の大切さをしみじみと感じる。さっきまで生きていたエビは僕によって調理され、すっかり美味しい料理に変わっている。

僕は子供たちに、食材は生き物がほとんどで、元気に生きているものほど美味しくいただくことができると教えてあげる。だからこそ僕たちは元気に生きなければならないと教える。

命あるものはいつかはこの世から去っていく。この世に生を受けて存在するだけで、多くの命は励まされ勇気や元気をたくさんいただいている。命あるものはお互いにもろくはかない存在だと知っているからこそ、お互いに助け合い、励ましあって生きることを良しとする。

命あるものは、他の命あるものをいつくしみ畏敬の念をもって大切に付き合わねばならない。家族であろうと、他人であろうと、命あるものは、その命を大切にしなければならない。この世にあるもので、もろくはかないものこそ貴重なれ。

僕は子供たちにいつかお父さんは君たちの前からいなくなる。必ずそうなると知っているから、今を大切に感謝しながら生きていると教えてあげる。僕はいつか必ず死んでいくもろくはかない生き物だからこそ、出会いや出来事に感謝し生きることができるんだと教えてあげる。

お前たちもいつかこの世からいなくなる。その日が来るまで精いっぱい生きていることに感謝して暮さなければもったいないじゃないか。君が落ち込んでいたら、僕は励ましてあげよう。君が喜んでいればいっしょに喜んであげよう。いつか消えさる存在だからこそ、一緒に暮らせる日々が貴重なんだよ。

2007 03 11 [心と体] | 固定リンク

家庭は第2の職場です

仕事に疲れて家に帰ってくる。家では何も考えず、何もせず、ただボーっとしていたいと仕事人であれば誰しも考えるだろう。しかし、そこに最大の落とし穴がある。家庭を疎かにすれば必ず仕事に影響が及ぶようになる。独身時代や、両親のいる家庭に帰ってくることと妻や子供がいる家庭に帰るのでは様相は一変する。

家庭の大黒柱として帰宅すれば、家庭での出来事の報告を受け、処理できるものか、対処を検討しなければならないものか、いくつかの決断を迫られる。家庭という職場をあずかる妻というスタッフは、上司であるご主人に日報報告を行うが、満足に聞けなければ上司として失格という烙印を押すだろう。

家庭という職場に来たのだから真剣に家庭という職場で信頼を得るために努力する。家庭という職場はスタッフが2名以下、子供という厄介なお客様までいる。ちょっと接客に甘さがあると子供はクレーマーになり仕事を乱す要因となる。気が休まるどころか気を引き締めてかからなければ職場放棄そのものだ。

「家に帰ればゆっくりさせろよ!」と怒り、離婚または険悪な生活を余儀なくされることはよくある。子供の時のように家庭では母親に甘えるように妻に甘えれば、妻はあんたの母親じゃないわよと思われてしまう。結婚の業務内容は、妻を幸福にしてあげることだと思い出してみよう。

2007 03 11 [心と体] | 固定リンク

2007年3月 5日 (月)

やりたいことは見つけるものじゃなく、熟成するものだよ

自分がやりたいことが見つからないからと、旅行に出かけたり、転職したり、留学したり、・・・、何をしても自分がやりたいことが見つからないで、心の中のモヤモヤが解消されないで苦しんでいる人を見かける。自分のやりたいことは見つけるものではなく、どんなことでも一生懸命になって挑戦し続けることで熟成されて結果として自分のやりたいことになっていく。

お酒を造るのと同じことで、すぐにはうまいお酒はできないが、時間をかけてじっくりと熟成させれば、うまいお酒になっていく。やりたいことも同じことで、最初はいちばん嫌いなことかもしれないが、我慢してやり続けることで、いつか褒められ感謝され、実力も付き人様から認められて自分がやりたいことに昇華されていく。

人のためになることならば、ことさら時間をかけていく必要があるだろう。誤解され、侮辱され、馬鹿にされることも多々あるだろうが、我慢し謙虚に愚直に励んでいくことで評価が変わるし自分も成長していく。評価を変えてみせると思って日々精進していかねば評価は変わらない。

熟成される前に、諦めてしまい、また別の熟成に挑戦し、熟成する前にすぐ諦める。この繰り返しで生涯を終える何とも不幸な人もいる。「僕がやりたいことじゃない」「私が求めているものじゃない」は熟成前の状態だからだ。そのままジッと10年耐え精進すればどんな環境でも自分がやりたいことに生まれ変わる。

2007 03 05 [心と体] | 固定リンク

2007年2月25日 (日)

すべては波の如し

僕は海が大好きで、もう四半世紀もウインドサーフィンやカヌー遊びをしている。子供の頃から毎日のように海に出かけては泳いだり、釣りをしたりしていた。海は大きく荒れることもあり、穏やかなときもある。どんなときも海の全体量は同じなので、ただ海面が揺れ動いているにすぎない。

人の行ないも波と同じように、大きく動けば大きく反応する。何もしなければ穏やかで毎日が同じことの繰り返しだが、何か事を起こせば、波の振幅のように大きく揺れ動く。良く評価してくださる方と、悪い評価を与えてくださる方に分かれるが、総じて言えば同じ分量になる。

僕は波動を起こすことが大好きで、いつも積極的にいろいろな波動をみずから起こしている。そのために大きな波となり、大きく評価してくださる方と、最悪の評価を与えてくださる方に分かれる。僕はその評価の波を乗り越えながら生きているが、誰でも同じことだろう。

「おまえは最低だ!」「あいつは最悪だ!」「あいつはいくら憎んでも憎みきれない!」「殺したいほど憎らしい」などといった感情を僕に持たれる方もいる。それとおなじようにその正反対の評価もいただく。一喜一憂していると身が持たないので、坂本竜馬のように何とでも言いやがれと言いたくなる。

ただ、彼のように殺されてはつまらないので、できるかぎり冷静に謙虚に対処するようにしているが、それでも火に油を注いでいることがある。人の心は自分自身を映し出すとはよく言ったもので、悪意をもって僕を見ている方は波の底にいつまでも留まろうとする。

人のために良かれと思い、何かしらの行動を起こせば、必ず両端の評価を受ける。その評価に一喜一憂するのではなく、自分が最初にたてた志をいつまでも貫きとおすことで、その人の本当の評価が決まるのではないだろうか。すべては波の如く揺れ動く。

2007 02 25 [心と体] | 固定リンク

2007年2月20日 (火)

我が家の魔法のキッチン

僕の家のキッチンには、「魔法のキッチン」という別名がある。これは、どんなに汚くしていても綺麗になってしまうからで、ぼくが家に帰ってくると真っ先に食器やおなべなどの洗い物を済ませてから自分の食事をすることから名づけられた。

僕の妻がやらないからではなく、ともに生活しているのだから少しでもお互いに助け合うべきだろうし、僕自身の鍛錬にはとっても良いことだと僕自身が思っているからだ。

経営者として従業員の皆様の信頼を得るには、従業員の目の前で頑張って働く姿を見せるのは当然だが、もっとも大切なことは家庭をしっかりと守る姿を実践し続けることだと思っているからだ。

家庭の中で妻や子供に尊敬される自分を創ることは、もっとも難しい。それに挑戦し、もっとも厳しいチェックが入る家族に尊敬されるようになれば、従業員にも尊敬されていくだろうと思う。

2007 02 20 [心と体] | 固定リンク

2007年2月11日 (日)

社会は外部環境を考慮してその人を評価しない

学生が成績不振を親が食事の支度をしなかったからだと言えば、先生ばかりでなく友達ですら、「そんなことで勉強しなかったおまえが馬鹿なだけだろう。」と言うだろう。面白いテレビをやっていたので勉強できなかった。親がうるさいから勉強しなかった。勉強部屋がないから勉強しなかった。それを理由に成績不振の言い訳には出来ない。あくまでも成績の結果でその人は評価される。

経営者が赤字の原因を妻がうるさいから仕事に身が入らないと言えば、信用すら失くしてしまうだろう。従業員が就いてきてくれないからだと言っても、不況業種だと言っても、取引業者がうるさい要求を突きつけるからだとか、政治が悪いからだとか、どんなに声高に言ったところで儲けられないあんたが悪いだけだろうと評価される。

従業員が自分が仕事をしないのは妻がうるさいからだとか、恋人との関係がうまくいっていないからだとか言っても、それを理由に仕事をしないことをああそうですかと評価してくれるほど社会は甘くはない。僕は朝寝坊するタイプなので遅刻は勘弁して下さいと聞き入れてくれる経営者はほとんどいないだろう。その人の結果で社会はその人を評価するが外部要因は評価の対象にはならない。

しかし、学生でも大人でも、外部要因に振り回されて目標に向かって挑戦する意欲を失くす場合が本当に多い。外部要因を正当な理由として落ち込んだり腹を立てる要因として主張するが、だからあんたはどうなんだと言われてしまうのがおちだ。如何なる外部要因をも跳ね除けて目標に向かって平常心を保ちながら挑戦する人にしか良き評価が得られないのは学生も大人も同じである。

今日は子供に、「目標を持って挑戦しようとすれば、必ず阻害しようとする人が現れる。目標が大きければ大きいほど、阻害するモノは大きくなるし、もっとも近い人が阻害するものだ。しかし、それをものともせずにやりぬいた者だけにしか勝利は訪れない。他人の感情に振り回されて落ちていくのは自分だけだ。決して他人の感情に振り回されてはいけない。」と教えた。

2007 02 11 [心と体] | 固定リンク

2007年2月10日 (土)

子供は失敗を体験しようとし、親は失敗を避けようとする

子供は成長するにしたがって親の言うことを聞かなくなってくる。「~しさない!」「もう~でしょ!」「ほら、だから言ってるじゃない。」こうした言葉には、親として子供には自分が体験してきた過ちを犯さないですくすく成長して欲しいという願望を含んだ絶対服従を求めている。

しかし、子供は親の言葉に反抗して、より過ちを犯すような行動をとる。これは子供が赤ちゃんの頃、親が注いでくれた無償の愛情がいまでもあるのかどうか確認している行動だ。勉強や、宿題やお風呂や好き嫌いの解消など、服従を求める愛情なら反発する。

より過激になる親の行動に対して、子供はより過激に反抗する。人の感情は他人でも親子でも自分を映し出している。子供は失敗を体験することで親の言っている意味を実感するが、言葉や文章で子供は納得しない。何かしら失敗したときにアドバイスが生きてくるのは子供でも他人でも同じだ。

子供も自立した人間である以上、多くの失敗を体験しながら成長するのは、嘆いている親と同じ。じっと、子供が転げて傷つくまで待っていることで、転んだ時にこそ、親としてしっかりと抱きしめ支えてあげれば、同じ言葉でも生きてくる。傷みを伴う体験でなければ人は成長しないものだ。

2007 02 10 [心と体] | 固定リンク

2007年2月 2日 (金)

失敗から何を得て、その後どう変わるかでその人の価値は決まる

人生に失敗はつきものだし、失敗を恐れた生き方は消極的になり閉鎖的になってしまう。失敗を恐れないで挑戦する生き方を選んだほうが、喜怒哀楽がたくさんあって面白い人生だ。人生はバラ色にという生き方はたくさん失敗してくださいということでもある。問題は、失敗したときにその失敗からどのように立ち上がってくるかだろう。

1度の失敗で、もう二度とあんな目に会いたくないと思って消極的になり逃げの姿勢で生きていくのか?それとも、どうして失敗したのかを分析・検証して、自分なりに解決策を考えて再度の挑戦をするのか?面白い生き方は後者の方で、何度失敗しても分析・検証でき、再度挑戦している人の話は聞いていて面白い。

成功にしても失敗にしても等身大の自分を思い知らされる。自然はいつも等身大の大きさでしか評価してくれない。自分の夢、目標に対して、「君はどれほど自分を鍛え、物事を知り、感謝できるようになったのかね?」と聞き返しているようなものだ。等身大以下でも以上でもない歴然とした評価をいつも下してくれる。

仕事でも勉強でも恋愛でも、挑戦すればいつも等身大の評価が下される。その評価に一喜一憂しているのは当事者で、何も困惑する必要はない。自分を高めればさらに良い結果が待っている。いっときは落ち込み、悲しむだろうがそれが今の自分というものだ。生きてさえいれば、いつでも再度の挑戦を受け入れてくれる。

2007 02 02 [心と体] | 固定リンク

2007年1月28日 (日)

不合格で生きる姿勢を学ぶ

お父さんは、東京の高校を受験して不合格になったことがある。掲示板にお父さんの受験番号がなかったとこで、お父さんは駅までの帰り道、たくさんのことを思った。筆記試験で受かったときの喜びと安堵感、面接試験では落ちることはないという自分の甘さ。そして、何よりも貧乏な家庭でありながら、こんな大都会の私立高校に受験させてくれた両親。

小さな駅に着き、寒い風が吹くプラットフォームで母親が僕のところにきて、何とも言えない悲しみと後悔の目で僕を見た。そのとき、「お母さん、こんな素敵な高校を受験させてくれてありがとう。僕はとっても母さんに感謝しているよ。これで、すっきりできたね。」と言った。母はプラットフォームで泣き崩れた。

その後、僕は念願の県立高校に進学できた。不合格で得たことは、その後の生き方を変えてくれた。お父さんが今ある原点は、あのときの高校から駅までの帰り道だと思うよ。日曜日、子供たちはそれぞれの受験校に向かって行った。「お父さん、みなみがんばってくるからね!」と言った娘の目に光るものがあった。

2007 01 28 [心と体] | 固定リンク

2007年1月27日 (土)

夢は挑戦しなければ後悔になってしまう

明日に受験を控えて長女が不安で眠れないと僕の部屋に来た。生まれて初めての受験で神経質になっているのだろう。

「みなみ、夢は挑戦しないで長く心に留めておくと腐って後悔になってしまうんだよ。挑戦して後悔することはほとんどないが、挑戦しなくて後悔することはたくさんある。結果がどうあれ、挑戦する生き方を選ぶことさ。周りから何と言われようと、何と思われようとも、挑戦して後悔しないように生きなさい。」

僕のベッドでぐっすり眠った娘は元気に受験を迎えた。多くの失敗もあるが、その失敗から学ぶことはたくさんあり、得るものは大きい。

2007 01 27 [心と体] | 固定リンク

2007年1月22日 (月)

成功するから幸せじゃない、愛する人々といっしょに生きているから幸せなんだよ

「成功者に成れたからって幸せじゃない。どんなにお金があったって、名声があったって、権力があったって、幸せに必ずなれるものじゃない。大切なことは、愛する人々といっしょに暮らしている日々があるから幸せなんだ。」

「富や名声や権力を求めて、愛する人を傷つけるような生き方はしてはならない。人生に失敗はつきものだから、失敗を恐れてはいけない。失敗を恐れないで挑戦してごらん。愛する人びとを守ってごらん。人生はきっと輝いて見える。」

「どんなに貧しくたって、どんなに苦しくたって、どんなに悲しくたって、守らなくてはと思える愛する人びとが傍にいれば幸せを心から感じることができる。守るために必死になって、カッコ悪く、ぶざまに生きている。それが幸せな人生。」 食事のとき、僕はそう話していた。

2007 01 22 [心と体] | 固定リンク

2007年1月15日 (月)

健康は意識しないと保てない

僕は平日、犬の散歩をしてできるかぎり遠くまで歩くようにしている。休みになれば、海に行き、ウインドサーフィンをして体を動かすようにしている。自分で意識して体を毎日動かすようにしている。積極的に家事などもお手伝いするようにしているし、気がつくことは自分から動くようにしている。

食事では、できるかぎり自分で調理して、野菜とくだものを毎日食べるようにしている。調理は趣味の領域を超えて創作料理に挑戦するまでになった。肉は熱湯を通して脂分を落としてから調理するようにしている。和歌山は紀伊水道に面してお魚が美味しいので、毎日お魚を食べるようにしている。

おかげで、高血圧は平常になり、毎年お腹を痛めていたのにそれもなくなった。我が家に捨て犬が来なければ、散歩を継続して行うことは難しかっただろうが、深夜の帰宅でも散歩に連れて行ってくださいとおねだりする犬のおかげで僕の健康は保たれている。

2007 01 15 [心と体] | 固定リンク

2007年1月 5日 (金)

悲しみに打ちひしがれて

母の姉のご主人が85歳で1月3日に亡くなり、4日、5日と親族としてお通夜と告別式に72歳になる母親を連れて参加していた。大変やさしいご主人だったので奥様は深い悲しみに包まれて、体重も38kgしかない状態だった。お子様方もお孫様も心配されていた。

「おばさま、死に行く者は生き残る者の幸せを心から願っています。しっかりと生きるために食事をし、亡きご主人に幸せに生きていると報告できるように気丈でいてください。」と、お願いした。幸せな結婚生活だったのだろう、素敵なご主人だったのだろう。

帰り道、母が僕に、「おまえはどんな葬式がしたい?」と聞いた。「僕は死んでも、意志は多くの人の心の中で生きていますから、葬儀、戒名、お墓、涙は不要です。遺灰は海に捨ててください。楽しく思い出を語る会で良いんじゃないでしょうか。」と応えた。

2007 01 05 [心と体] | 固定リンク

2007年1月 3日 (水)

一分の理あれど、相手を責めず、男をあげよ

正月早々、高校受験を控えた長男は、進学塾の特訓に出かけている。いつも昼の弁当を持ち、電車に乗って通っている。妻が、今日に限って、弁当にお箸を入れるのを忘れてしまい、気が付いたのが、昼過ぎだった。どうすれば良いか僕に相談に来たので、夜、長男が帰ってきたら、素直に謝るだけで良いと話した。

中3生の長男は、母親の忠告を嫌っているので、何かにつけて母親には反抗的になる。妻には、子供は親の期待を裏切って成長するものだと教えてあげた。若いときは、他人を傷つけたり責めたりすることで、自己主張する。相手を許す心のゆとりは30歳以上にならないとなかなか身に付かないものだと話してあげた。

夜、僕は駅まで長男を迎えに行った。昼は塾の先生にお箸を借りてお弁当を戴いたと話してくれた。「心が若いときは、相手に攻め入る隙があれば、責めずにおれぬものだが、心が満たされてくると、こちらに一分の理があっても、相手を責めずに許すことができるようになる。それができて、初めて真剣勝負に勝てる。」と、教えてあげた。

「軽挙妄動を慎み、笑顔で母を許してあげれば、おまえは母に尊敬されるだろう。お箸を入れなかったことで、母を責めれば、おまえがテレビを観ていることを母は責めるだろう。お互いに弱点を攻めるばかりで、許すことができないときは、お互いに自滅するものだ。」と、教えてあげた。

家に帰り、長男は母の謝罪を聞き入れて何も責めなかった。僕はフルーツの大皿を2度、子供たちに振舞ってあげた。そっと、長男に、「いつも、弁当を作り、自分の将来を心から心配してくれる母親を自分の母として受け入れてあげることは良い事だ。おまえ、男をあげたね。」と、言ってあげた。

2007 01 03 [心と体] | 固定リンク

2006年12月29日 (金)

お父さん、あなたはとってもカッコよかった

保育所の頃から、僕は父がとっても怖かった。いつも酔っ払って帰ってくる父は、僕や母に暴力をふるっていた。軍手の内職を母といっしょになって父が帰るまで作り続けた。父は家に帰ると、製作した軍手の数を数えて、少ないと母を叱った。母が口ごたえをすれば、障子を突き抜けるほど、母は突き飛ばされていた。怖くなった僕は近所に助けを求めた。

高校生になった僕は、小学校で郵便局員によるソフトボール大会が行われているところを偶然通りがかった。ライトを守っていた父は転がってきたボールをエラーして、フェンスまでボールを追いかけていたが、追いつけずにセンターを守っていた若い局員にボールを捕られてセカンドに送球された。息切れしていた父は、すまないと若い局員に謝っていたが、無視されていた。

チャンスにバッターボックスに入った父は見事に三振をした。その後、監督の指示でベンチに引っ込んでしまった。運動場の傍の道路で立っている僕に気が付いた父はバツが悪そうに僕を見た。でも、僕はそんな父がとってもカッコよく見えた。生まれて初めて、僕の父であることに喜びを感じた。「お父さん、あなたも人間なんだね。」

職場でカッコ悪く働いている父に僕は高校生まで気が付かないで、保育所の頃から母が作った弁当を夕方、郵便局まで運んでいた。皆から尊敬されたわけでなく、皆からどちらかといえば、不器用だと思われていたなんて、僕にはまったく分からなかった。そんな職場に文句ひとつ言わないで、退職するまで働き続け、僕と母を養ってくれた。

嫌なこともあったろう、愚痴りたいこともたくさんあったろう、酒で憂さ晴らしをしても晴れないことも多かっただろう、すべてを投げ出したいこともたくさんあったろう、もやもやしたやるせなさをどうしていいのか分からないこともあったろう、戦争で高校にも通えず、行きたかった大学にも行けず、人を愛することに不器用で、人から愛されることも少なかった僕の父がとっても誇りに思える日だった。

僕は母と共に、心から父を愛そうと努力した。この不器用な男は、僕たちのために必死になって生きている。僕と母は、そのことに初めて気が付いた。僕は31歳のとき、父にラブレターを書いた。「お父さん、僕はあなたが僕の父であることを生涯誇りに思っています。僕の父であることに感謝しています。お父さん、ありがとう。」

2006 12 29 [心と体] | 固定リンク

2006年12月18日 (月)

お父さん、如何に死ぬかを考えて

僕の父親はガンに侵され74歳で亡くなった。多くの励ましに応えようと5度の手術に耐え、抗がん剤に苦しみながら、必死で生きようともがいていた。戦争で高校を中退し、郵便局で働き始めて、高校生の母と恋仲になり僕が出来て、両家の反対を押し切って所帯を持った。

幼く貧しい夫婦に喧嘩は絶えず、二人目の子供(僕にとっては妹)が事故で死んでから、夫婦仲は冷めていった。外で飲食をして毎日のように酔っ払って帰ってくる父は、食べるものもなくてひもじい思いで内職をしている母や僕に辛く当たっていたが、父も同じように辛かったに違いない。

食べることすらできなくて、母は僕を連れて親戚の家に伺い援助してもらっていたが、そのためには多くの小言を聞かなければならなかった。台所でお金もなくお米もなく、泣き崩れている母をみて、外に飛び出し、他人の畑の野菜を引き抜いて家に持ち帰ったこともある。

2度目の手術のとき、僕は父親に、「人は誰でも死んでいく。僕もお父さんもいつか必ず死んでいく。自分が死んでも残された者が、元気に逞しく生きていけるように死ぬことが大切だから、お母さんに、ありがとうと手紙を書いてください。」と、お願いした。

父親は僕の願いを叶えてくれ、延命治療を拒否し、家で余生を過ごして死んでいった。母にすれば、長く苦しく耐えてきた人生だろうが、たった1通の手紙ですべては報われ、父と暮らせたことに感謝するようになった。死期を悟って生きるとき、生きている者を如何に生かすかを考えて実行した父を僕は誇りに思う。

2006 12 18 [心と体] | 固定リンク

2006年12月15日 (金)

過去に何をしてきたのかでなく、今何ができるのか?

過去の自分を自慢するようになると今の自分の成長が鈍ってしまう。

過去に頑張ってきたとしても、今頑張らなければ、人は輝きを失くしていく。

幾つになっても、多くの人のために良かれと思う生き方を選び、挑戦し、屈辱と非難に堪えて笑顔を忘れず。

2006 12 15 [心と体] | 固定リンク

2006年12月11日 (月)

権力と財力と地位と名声が人を狂わせる

権力と財力と地位と名声のいずれかひとつでも持てるようになると、多くの人が尊敬してくださり頭を垂れてくれる。最初のうちは、こそばゆい思いをするが、だんだん慣れてきて、そうされることが当然だと思ってくるようになる。「私は選ばれた、特別な人間なのだ。」

普通に扱われれることに非常なる抵抗を示してしまう。感情的に振る舞い、特別な人間に見合った応対を示せと激昂する。自慢したくなるし、普通の人との暮らしとの違いを強調したくなる。それは、身に付ける持ち物に最初現れ、車や家屋といったものに及んでくる。

周りの人が尊敬し、頭を垂れてくださる人になれば、それ以上に周りの人々に感謝し、頭を垂れる人でいなければ幸福にはなれない。誰よりも謙虚で慎み深く、感情的にならないで、自分を磨かなければ心に傲慢が垂れ込めるようになる。物質的には恵まれないほうが心は豊かになるものだ。

2006 12 11 [心と体] | 固定リンク

2006年11月30日 (木)

深い愛情の分だけ、非難中傷をあびる

人のためと良かれに思い、一生懸命になって行動すれば、行動し思いが深い分だけ非難中傷されるのは世の常だ。その非難中傷を乗り越えて、やりきった者は、例え命を落としても、多くの人から感謝されるようになる。

キング牧師、ガンジー、坂本龍馬、は人のために私欲なく行動して殺されるほどに憎まれた。マザーテレサも非難中傷にさらされて生きてきた。人のために自己犠牲を厭わない人ほど忍耐力が必要となる。

ヒットラー、スターリン、といった暴力的な人は、暗殺されることもなく非難中傷する人を暴力によって閉じ込める。感情的な行動をとる人の方が、楽な生き方と言えるが、多くの人を苦しめる生き方は人間らしいとはいえない。

たったひとりの人のためでも良かれと思って行動すれば、非難中傷は覚悟しなければならない。その非難中傷に耐えてこそ、自身が成長し、良かれと思って行動したことが、その人のためになって実る。

2006 11 30 [心と体] | 固定リンク

2006年11月28日 (火)

すべての好転は愛情がきっかけ

業績不振で悩んでいる経営者が、がけっぷちから会社を立ち直らせるとき、家族や従業員、お客様への執念ともいえる深い自己犠牲を厭わない愛情が芽生えて、苦境を脱する営業や技術開発に立ち向かっている。

家庭不和に悩んでいる家族は、家庭崩壊のがけっぷちから家庭を立ち直らせるとき、家族に対する執念ともいえる深い自己犠牲を厭わない愛情が芽生えて、感情が爆発する家族に愛情を持って立ち向かっている。

病気に苦しんでいる人が健康を取り戻したいと必死になって病気と闘っているとき、病気を克服したり、あるいは、死に至るとも、人々に対する献身的な愛情にふれて深く愛情を感じ、愛する人々に感謝できたとき、心は病気を克服している。

すべての、好転には人々の深い執念ともいえる自己犠牲を厭わない愛情がある。その愛情を出し続ける人こそ、偉大な人で、世界にはそうした偉人が年齢や性別や人種や国籍や宗教に関係なく、僕たちの近くにたくさんいる。

2006 11 28 [心と体] | 固定リンク

2006年11月24日 (金)

他人の価値観は認めるべき

宗教の違いからお互いに殺しあうまでにいたる。宗教は人々を救う教えであるはずなのに異教徒には激しい嫌悪感を抱くことさえある。同じ宗教なのに宗派が違うだけでも同じことが起こっている。しかも、宗教指導者は対立を深めるような発言をすることもある。

国家の違いからお互いに殺しあうまでに発展することがある。一度も話したこともない、会った事もない人々同士が憎しみに満ちた目で初対面を向かえる。生まれてもいない過去の出来事や、行ったこともない土地が原因だったりする。

宗教家や政治家はどうして、もっと人間の価値観の違いを認め合おうとしないのだろう。どうして、憎しみを増長する行為に及ぶのだろう。リーダーは豊かで平和な世界を築くために努力するのが義務だと思うのに、自分の価値観にこだわることで存在感を確かめている。

市井の人々は、その日を平和で豊かで楽しく暮らせればそれで良いとおもっているものだが、その平和を踏みにじるように殺戮に駆り出し、殺戮が唯一、問題解決の手段であるかのように市井の人々を先導する。その行為は僕には悪魔のように思える。

2006 11 24 [心と体] | 固定リンク

2006年11月13日 (月)

人は感謝され期待される場所に生きがいを感じる

人は感謝され期待される場所に生きがいを感じて、そこに自身の居場所を据える。「君には何も期待していない!」なんて言えば、それは出て行けと言っているようなものだ。「ありがとう!」と言えなければ、どんなに親しい関係であっても、あなたに近い人ほど寂しさを感じるものだ。

遊びでも、仕事でも、家庭でも、お互いに感謝され、期待される関係であれば、お互いにその場所は生きがいとなっていく。幸福は待っていてもやっては来ない。みずから努力して、足元から幸福を創造していかねばならない。「いつも、君を必要としているんだよ!」「~してくれて、ありがとう。」「ひとりで、~さしてごめんなさい!」

孤独で心を閉ざしている人は、期待され、感謝されるように努力したが、裏切られ、罵声を浴びて、心が傷ついた人が多い。治療には、多くの人からの愛情ある期待と感謝が必要で、その人がそのことを心から感じて、自分でも生きている価値があるんだと実感しなければならない。

2006 11 13 [心と体] | 固定リンク

2006年11月11日 (土)

家庭はホッとする場じゃないの?

職場は収益目標に向かって努力する場であり、学校は子供たちがしっかり勉強したりクラブ活動したりする場であろう。家に帰ればゆっくりのんびりして疲れを癒し、明日への活力を養う場が家庭であるはず?だと思うのだが、現実は家庭でホッとできる人は少なくなっている。

稼ぎが少ないと妻から愚痴られるお父さん、子供の勉強や成績をあげるために教育的指導を欠かさない母親、妻の態度や主人の態度に我慢できない険悪な雰囲気が充満している家庭、しつけだからと子供を罵倒したり体罰を加える親、それぞれが感情のままに行動する。

職場で「アホか!」と叱られて家でも「アホか!」と叱られて・・・、学校で「アホか!」と叱られて家でも「アホか!」と叱られて・・・、この人達がホッとできる場所はどこなのだろう。「あんたはアホじゃないわ!」と励ましてくれる場所が家庭ではないだろうか。

家庭崩壊によって大人も子供も卑劣な行動に出ることで精神の安定を計ろうとする。人は無償の愛を感じて成長する。誰に何と言われようとも、家族だけは自分を応援してくれる。誰から嫌われようとも、家族だけは自分を愛してくれる。それが家庭だと僕は思う。

2006 11 11 [心と体] | 固定リンク

2006年11月 7日 (火)

機根がととのわなければ言っても無駄なんだ

プロ野球の選手に勝つために野球をやれと言うまでもなく、その為には監督は厳しく選手にハイレベルなプレーを要求し、選手はその要求に応えるために命がけで取り組んでいる。しかし、アマチュア選手はチームが勝つためでなく、自分が楽しむために野球をしているので、厳しい監督には就いていかない。

プロ意識とアマチュア意識の違いは仕事にも当てはまる。会社は収益を出すための組織であると定義されている。つまり、赤字の会社は社会悪で廃除される存在だが、黒字の会社は社会に貢献できているので存在価値があると定義されている。プロの仕事人は会社の目的である収益にこだわり、アマは楽しさにこだわる。

子供の教育でも同じように、どんなに勉強しろと言ったところで、本人がその目標を達成したいという意識の高さを持っていなければ聞く耳を持たない。この意識レベルの度合いを機根(きこん)と言い、機根がととのわなければどんなに本人のためになることを言っても無駄に終わり、反感を買うだけになってしまう。

妻がどんなにご主人に言っても言うことを聞き入れてくれないとか、ご主人がどんなに妻に言っても言うことを聞き入れてくれないなどは、この機根が整っていないからだ。お互いの立場を尊重して、歩み寄りが大切だが、お互いに自分の主張ばかり繰り返していると機根の違いから憎しみが生まれてしまう。

2006 11 07 [心と体] | 固定リンク

2006年11月 2日 (木)

自分に負けない生き方をすればいいんだよ

他人と比較しながら生きていると、いつまでたっても満足は長続きしないで、心は飢餓状態で生活しなければならない。

自分に言い訳をしないで、自分に負けない生き方をしていれば、満足は長く続き、心にゆとりが生まれてくる。

ライバルはいつも自分自身で、自分をしっかり見つめて、自分を高める生き方をしていけば、他人にも勝ってしまうことがよくある。

自分の子供を他人と比べていませんか?自分の持ち物を他人と比べていませんか?自分の生活を他人の生活と比べていませんか?

自分の子供に感謝していますか?自分に尽くしてくれている持ち物に感謝していますか?自分の生活に感謝していますか?

2006 11 02 [心と体] | 固定リンク

2006年10月27日 (金)

褒めてあげればお互いに笑顔になるもの

誰でも人から褒められればうれしくなって笑顔で褒めてくれる人を見ているものだし、嫌味を言われれば憎しみや悲しみに満ちた目になるので笑顔はなくなってしまう。笑顔の消えた人に幸福はやってこない。自分の周りの人と接して、何人の方を笑顔にできるのかは、その方の幸せ度でもある。

人は誰でも長所と短所を持ち合わせているし、長所が短所になったり、短所が長所になったりもする。そのときどきで、褒めてあげられる何かを見つけて、その方を褒めてあげれば、その方は自信がつくだろうし、自信がなくてもうれしくなって笑顔を見せてくれる。

弱点を責めることは容易で、誰にでも他人から責められることはひとつやふたつではない。そればかり責められたのではたまったものではないので、逃げていくか、自分の殻に閉じこもるか、反対に責め返すことで精神的なバランスを保とうとする。結局、人を責めて良いことはない。

褒められれば、できそうにないことでもできるかもしれないと思えてくるし、自分がやることでみんなが喜んでくれるならと前向きになっていく。褒められることで精神的に余裕が出来た分だけ、新たな挑戦に積極的になれる。幼年期に何度も何度も母親から褒められて、着替えもできたし、便所もできた。大人になってもその愛情を失くしてはいけない。

2006 10 27 [心と体] | 固定リンク

2006年10月26日 (木)

身の丈にあった生き方

見栄を張りたいと誰もが思う。学歴詐称や高額なものを所有したり年齢詐称など少しでもカッコよく見せようとする。しかし、ほとんどの場合、他人は等身大の自分しか見ていない。どんなにカッコよく見せても、いつかは真実が現れる。僕は年齢よりも若く見られることが多いので実年齢を言うようにしている。

中年男性が若い女性に興味を持ってもらおうといろいろ高額な商品を所有するように努力したところで、若い女性は若い貧乏男性の方が興味があるものだ。高額な商品につられてくる若い女性はハートよりも金銭だと割り切った非常にドライな女性なので金銭的な切れ目が別れとなるし、付き合っていても我が侭で傷つくだけだ。

若い方は、お金持ちに思ってもらいたいと高級車や高級スーツに身を包んだところで、自宅が傾いていたり、アパート住まいだったりで、どんなに見栄を張ってもお金持ちでないので一品だけのセレブではお金持ちでないとすぐにばれてしまう。それなら、お金持ちでないから、身の丈にあった生活を楽しんだ方がずっといい。

知識をひけらかして頭がいいと思わせたいとどんなに努力しても、他人は嫌味な奴だと思ってどんどん離れていく。自分の見識が高いとさらに他人を評価しだすが、非難中傷になってしまい、どんどん他人は自分から離れていく。それなら、謙虚に自分が知らないこともあるからと、どんなにみすぼらしい人でも意見を聞くようにした方が楽だ。

結局、自分の身の丈に合った生き方をしていく方が、自分らしくていい。見栄を張るのではなく、そんなことができればいいなと思います程度に抑えておくことだ。

2006 10 26 [心と体] | 固定リンク

2006年10月22日 (日)

整理整頓で心もリセットできる

僕は、机の上に物を乗せておくのが嫌いで、いつも出来る限り物を置かないで仕事をしている。掃除や整理整頓は自分の気持ちを新たにしてくれるので、整理整頓したあとはとっても気分が良い。机の上やその方の部屋は、その方の性格がそのまま出ている。

机の上に書類などが乱雑に積み重ねられていると、その人は遣り残した仕事をたくさん抱えているのに、新たな仕事が入るとそれを優先的にするので、いつまでも仕事にけじめができないでストレスを感じている。「YES]を連発して、能力以上に仕事を抱える傾向がある。

玄関に靴が乱雑に脱ぎ捨てられている家は、感情的でちょっとしたことで喧嘩が絶えない。家族はお互いにバラバラで、共に行動することを嫌う。買い物好きで衝動買いをよくするが、クレーマーでもある。「安物買いの銭失い」に陥りやすいが、安く買えたことを自慢したりする。

部屋を散らかして平気な人は、他人のことを絶えず見ているので隣近所、芸能ニュースなど他人を評価して、自分の存在を確かめる傾向がある。テレビが大好きで、トレンドになっている番組は見逃さない。流行には敏感で、雑誌をよく読み、絶えず新しい情報を入手しているが、自分自身を成長させることはしない。

生き方が受け身になるほど汚い状態でも平気になっていく。能動的な生き方が出来る人は、整理整頓を欠かさない。精神的な強さは整理整頓で推し量ることができる。つまり、自分を鍛えようと思えば、整理整頓からはじめるのがもっとも良い。

最初は自分の机や本棚や部屋から初めて、次第に便所やリビング、玄関、納屋、・・・といった具合に広げていけば良い。皆が利用する公衆便所や公園など公共の場所を綺麗にするのはとっても気持ちがよくなる。僕はビーチや河川敷などを掃除しながら散歩するが、みんなのために行動できたと思うとうれしくなり積極的に行動できるようになった。

2006 10 22 [心と体] | 固定リンク

2006年10月19日 (木)

感謝を失くせば人は離れていく

「ありがとう」、この言葉は魔法のように言われた人の心を癒し、言った人の心を豊かなものに出来る。僕は、できるだけ多くの人に、「ありがとう」と、言葉をかけるようにしている。「ありがとう」と言われた人は笑顔で会釈して下さるし、言っている僕もうれしくなってくる。

当然だと思われるサービス、ウエイターが食事を運んで下さることや、レジの店員が会計を済ますことにも、「ありがとう」と言うようにしている。数回、こうしたことが続くとお互いに日常のことなども話すようになる。それがまた、楽しくて帰り際に、「ありがとう」と言ってしまう。「ありがとう」は、次の「ありがとう」を生んでくれる。

人間関係がギスギスしていれば、「ありがとう」の言葉を失くしている。「ありがとう」と言えなくなってくると、その人が接する人達はだんだん離れていく。感謝の気持ちを表せない人には、怒りや憎しみや妬みなどといったマイナスの感情に覆われている。近寄れば何を言われるか分からないからどんどん離れていく。

当たり前のことでも感謝し、頭を垂れることは、自分の人生を豊かなものにする基本動作で、「ありがとう」と、言っていると自然と笑顔が溢れてくる。部下が業務を遂行して下さることに感謝し、「ありがとう」、便所掃除をして下さる方に、「ありがとう」、ご主人が元気で働いていることに「ありがとう」、わが子が元気でいることに「ありがとう」、ただそれで幸せを感じるものだ。

私の人生はつまらないなどと思っているなら、今から「ありがとう」と言い続けてみれば良い。毎日、10回以上は、「ありがとう」と会う人事に言っていれば、必ず生きているのは楽しいものだと思えるようになる。人に会えば、「ありがとう」と言う事、名前が分かれば、「~さん、ありがとう」、ただそれだけのことだ。

2006 10 19 [心と体] | 固定リンク

2006年10月17日 (火)

腹が立ったら2日待て

誰でも怒りの感情はある。怒りにワナワナと身を震わせて感情を爆発させている人は多い。怒られている方は小さくなって恐怖に身を震わせるか、反抗して更に怒りを現しているか、どちらかだろう。そして、怒りの原因は自分が気に入らないことをされたことにある。

高級リゾートのなかでも、特に高級な部屋などに宿泊している人は、非常に気難しい方が多い。高い会員権を購入しているから、優越感を満足してくれるサービスが当然だろうと思っているので、態度が一変して怒りを表す。会社の接待に使う僕は背広を着ているので、ウエイターと間違われて珈琲を頭からぶつけられたことがある。僕は、これに懲りて高級リゾートは利用しない。

腹を立てている人は、他人に正当性を主張して、相手を傷つけることに気が付かない。一部の理があるから怒られても頭を下げているのだが、怒られた方は、それで素直に反省できない。正当性は、怒りの感情を抜きにして、表現しなければ伝わらない。

そこで、腹が立てば、1日じっと考える。自分はどうしてこんなに腹が立っているのだろう?自分の正当性だけが思い浮かんで、相手を憎むだけで日が暮れてしまう。翌日はちょっと冷静になり、自分がこんなに腹を立てているのは、相手に期待していることが裏切られたからだと気が付く。

しかし、自分が期待している内容は相手にキチンと伝わっていない場合が多く、ひょっとすると自分の期待は的外れなのかもしれないとさえ思えるようになる。期待する前に、どのようにして欲しいのかを説明できていない場合や、自分勝手に期待して裏切られている独りよがりのことさえある。

どちらにせよ、2日待てば、冷静に怒りそのものの原因を分析できる。次に腹が立たないように、どのようにしてその原因を取り除くかを考えれば、多くの場合は愛情を持って、その人が動きやすいような状況を演出してあげなければならないと気が付く。この演出がうまい人は、人を動かすのがうまい人となる。

「あの人にうまく乗せられた。」「あの人に言われたらやらないとね。」などといった感情は、あの人が感情を抑えて、自分に尽くしてくれているという演出を感じて感謝しているからに他ならない。人は感情のままに行動して反感を買い、更に感情的になって状況をより悪化させるが、演出を考えるために2日待ったほうが良い。

2006 10 17 [心と体] | 固定リンク

2006年10月14日 (土)

「ありがとう」って言えなくなると、「笑顔」もなくなっちゃうよ

お金を払っているから当たり前だろう。親なんだから当たり前だろう。お客だから当たり前だろう。あれだけやったんだから当たり前だろう。・・・、当たり前だと思って、「ありがとう」という言葉を失くせば、「笑顔」がなくなり、心が乾いてくる。

仕事をしてきたんだから家では何もしないのは当たり前だろう。」と、思って妻にいたわりの言葉を失くして、夫婦の愛情を失くしていく。「部下なんだから、言われた業務を遂行するのは当たり前だろう。」と、思って部下にいたわりの言葉を失くして、上司の信頼を失くしていく。

当たり前だと思っていることに感謝し、当たり前のように行動してくださる方々に感謝し、「いつも、ありがとう。」と、ホンの少しの言葉をかけるだけで、相手の方も自分も自然と「笑顔」になり、心に幸福が染み渡る。今日一日、「ありがとう」と言えたかな?

2006 10 14 [心と体] | 固定リンク

2006年10月 1日 (日)

何をしたって憎しみのある人の評価は変わらない

憎しみを持っている人は、憎い人を良く言うことはないので、いつも悪口ばかり話している。悪口を言われた人は、少しでも評価を良くしようと言い分けしたり引き下がったりするが、どんなに努力しても憎しみが消えない以上は悪口が止むことはない。

憎まれている人は、悪口を言われて落ち込んでいるよりも、信念を持って自分を活かすように行動したほうが良い。多くの人を活かすように行動し、自分を活かしきることで、憎まれている人の心が休まることはないが、自分が新たに接する人の評価を確固たるものに出来る。

憎んでいる人は、相手のすべてを否定的に観る傾向がある。どんなこともすべては否定から入るので、どのような状況なのかを配慮することはない。できれば、憎い人が落ちぶれて、廃人同様になれば、それ見たことかと、うれしくなってしまう悪意に満ちている。

憎まれた人は、そんな悪意に人生を振り回されてはならない。逞しく雄々しく、自分の人生を実りあるものにするように生ききるべきだ。憎しみを持った人はその憎しみが増幅され、結局は自分の世界を狭くし、喜び溢れた人生から遠ざかっていることを知るべきだ。

2006 10 01 [心と体] | 固定リンク

2006年9月28日 (木)

ダイエットは適度の運動から

ダイエットをしてリバウンドでかえって太ってしまったと嘆く方はたくさんいる。無理な食事制限で体重を落とすのは危険で、体重を無理に落とすよりも、健康的な生活に気を配るほうが減量できる。

僕は、日頃、飼い犬とできるだけ遠くまで散歩することにしている。歩くことはとっても体には良い。部屋の中でも、屈伸運動や腕立て伏せなど幾つか簡単な筋トレをほぼ毎日行うようにしている。

体に筋肉がつけば、同じだけ食事をしていても体が燃焼してくれるので体重は減ってくる。反対に運動しなければ筋肉が脂肪に変わってくるので太ってしまう。

デジタルカメラを持って散歩してみてもいい。変化に富んだ表情を楽しむことができるし、撮影してきた写真を編集加工する楽しみもできる。歩いていれば自然と健康で減量にもなる。

2006 09 28 [心と体] | 固定リンク

2006年9月21日 (木)

目標に対する実行力がなければテレビを観る

緊張感がなく、目標がないか、達成しようとする強い実行力がなければ、ほとんどの人はテレビをひたすら観つづける。話題には事欠かないので多岐にわたってお話ができる。しかし、話題のすべては他人が行ったことに対するお話しばかりで、自分が何をしているのか、何をしようとして生きているのか、その話はまったくない。

政治がどうだ、どのタレントは何をしているのか、話題のニュースはなにか、誰が何をしているのか、・・・他人の話題ばかりで自分の話題がない。「僕は今、~に夢中で頑張っているんだ。」「僕は今、~で悩んでいるんだ。」「僕は今、~しようとしているがどうにもうまく行かないんだ。」といった自分が行っていることに関する話題がない。

友人は50歳を過ぎて、自分の人生の余暇はほとんどテレビを観ていたと後悔していたが、彼だけではないように思う。僕の父も退職して仕事をなくしたときにテレビばかり観ていた。野村證券の勉強会で、成功している企業家は夜の付き合いをしないで、簿記や法律や技術など、自社に必要な実務の勉強をしっかりと行っている人ばかりだと教えてもらった。

2006 09 21 [心と体] | 固定リンク

2006年8月26日 (土)

Admonitions are not sweet to the ear

「諫言 耳に痛し」 の英語での諺です。その人の成長を心から願っている人は、厳しい指摘や忠告を目上の人にするでしょうが、目上の人は、その指摘や忠告を受け入れることが出来ないで、身を滅ぼしていくという意味です。僕はいつも諫言されてきましたから、よく考えて受け入れるべきは素直に感謝して受け入れます。

経営者になると諫言してくれる人はほとんどいなくなります。自分の周りは、褒めてくれる人ばかりで、褒めてくれることがうれしくて、一層努力していますが、そんなときに、厳しい指摘や忠告をされたとき、その人の真価が問われます。素直に反省してさらに成長する経営者は非常に少ないです。

よく頑張っていると思っているし、周りからもそのように評価されているときこそ、厳しい指摘が本当は必要なのですが、人から厳しい指摘や忠告などされたことのない経営者は諫言をした人を疎んじて、遠ざかって行きます。もっとも、評価されているときこそ、いちばん危険なときだと教えてくれる人がいる経営者は幸せです。

打ちひしがれ、涙も枯れて、天空を仰ぎ、ため息をつく。あのとき、有頂天になっていた自分がどうして分からなかったのだろうと反省しても、過去はやり直せはしない。僕は何度か、そうした経験をしてきました。過去の失敗は、取り返しがつきません。未来に向け反省し、未来を謙虚に生きなければと思って努力するしかないのです。

2006 08 26 [心と体] | 固定リンク

2006年8月22日 (火)

頭の中は、あれでいっぱい!

人を憎んでいる方も、医者から、「あなたは末期癌患者です。」などと、言われれば、他人への憎しみなどどこへやらで助かりたい気持ちや、どうして自分が末期癌なんだと不幸を嘆いて胸がいっぱいになるだろう。しかし、何事も起こらなければ、他人の憎しみが自分の心を支配して殺したい衝動に駆られるかもしれない。

会社で嫌なことがあって落ち込んでいても、大好きな人から励まされれば元気になって、明日から頑張ろうと思ってしまう。恋しい人から、「私のために、頑張って働いてね!」などと言われれば、死に物狂いで働いて、給与をほとんど彼女に貢いでも喜びに満ちているだろう。

結婚しましょうなどと言われれば、有頂天になり、もう嫌だと言われれば死にたいほど落胆する。人は瞬間、瞬間に起こる出来事で感情を振り回されてしまう、どうにもコントロールしがたいハートを持っている。目の前に起こる出来事に沸き起こる感情のままに生きる人は、どうしても感情に振り回されて損をする。

目の前に起こる出来事で、自分に沸き起こる感情をよく考えて、分析し、出来事そのものの原因を探って、相手の感情の動きすら検証してみれば、自分の感情に振り回されないで、現実を見極めた判断を下せるようになる。冷静さを保てる人が、現実の困難を乗り越え得をする。

ほとんどの憎しみや怒りは、自分が死を悟ったときから許せるようになる。僕の父は、自分の死を悟ったときから、ご迷惑をおかけした人に謝罪していた。もっと早くから謝罪すればよかったのにと言えば、元気なときは、そんな気持ちになれなかったと答えた。元気なときは感情のままに生きようとするのだろう。

2006 08 22 [心と体] | 固定リンク

2006年8月18日 (金)

自分が受けた苦痛を他人にする

クラブで新入生の頃、上級生から厳しく指導されれば、上級生になったとき、新入生に同じように厳しく指導するようになる。人は自分が受けた苦痛を他人にぶつける傾向がある。「やられたらやりかえす」は古今東西人間の根源的な行動パターンだ。

子供が親を無視するようになれば、親が子供を無視してきたか、学校で同級生に無視されたかのどちらかだ。僕の子供が母親を無視したり反抗的になるので、妻にそうアドバイスしてあげた。「娘は学校で、同じようなことをされているから、君に同じことをしてストレスを発散しているんだよ。」

人の心は傷つきやすく壊れやすい。ほんのちょっとした言葉や行動で、人は傷つき感情的になるが、相手の立場に対する配慮はなかなかできない。自分の都合や価値観で、その人を判断してしまうので誤解や曲解が多々発生する。

子供に無視されたから頭に来て、子供に感情的に当たる前に、どうして子供がそんな行動に出るのかを考えれば包容力のある行動に出て、対応の仕方はまったく違ってくる。自分の精神的なバランスを他人へ与える感情的なものでとるのではなく、相手に配慮する心でバランスを保てるようになればもっと暮らしやすくなる。

2006 08 18 [心と体] | 固定リンク

2006年8月13日 (日)

貧乏だから、ここまでこれたんじゃない?

お盆になり、僕の手作り餃子を土産に実家を訪ねた。リフォームして以来、久しぶりの実家はとっても明るい雰囲気で、お客様の絶えないにぎやかな家になっていた。父親の葬儀や実家のリフォームを感謝しながら、母親は貧乏で何もしてやれなかったことを謝っていた。

幼少の頃は、食べるものがなく、隣近所に行って食べさせていただいたことや、親子心中しようと踏切から汽車に飛び込もうとしたことや、僕が高校生になっても、友人の家に行って食べさせてもらってから家に帰ってきたこと、暴力的な父親から逃げ回っていたことなど、母親はすまなかったと言った。

貧乏はたくさんの試練を与えてくれる。屈辱や忍耐、罵声を浴びることなどいつものことで、暴力に耐えながら、貧乏でみじめで悔しさばかり募ってくる毎日に何度も泣いたこともある。自分だけでなく母親も他人から馬鹿にされても、貧乏故に親類に頭を下げてお金をめぐんでもらう母親を見て僕は育ってきた。

父に殴られて顔がゆがんで泣き崩れている母親を毎日のように見てきた。保育所の頃から飲み屋を回って酒びたりになっている父親を探して家に連れ帰ってきたことも何度もある。夫婦喧嘩を止めるために、隣近所に駆け込んで、「助けてください」と言った事もある。

そんな父親でも35年間働いてくれた。僕は31歳のときに父に手紙を書いたことがある。「僕は、あなたが僕の父親であることを誇りに思っています。お父さん、あなたは僕にはかけがいのない、世界にたった一人のお父さんです。」その話を母親にしてあげた。

「貧乏だから人一倍、我慢強く挑戦できた。貧乏から逃げ出そうと必死になってもがいたから今があるんだよ。貧乏だったから、人の痛みや苦しみが理解できるんだ。今は、すべてが輝かしい思い出になった。母さん、すばらしい父さんと僕たちは生きてきたんだよ。胸を張って、すばらしい人生だと今は言えるでしょ。」

2006 08 13 [心と体] | 固定リンク

2006年8月10日 (木)

自分のこだわりを捨てる

人の器が大きい小さいというのは、自分のこだわりを捨てて、組織や人々への奉仕に対するこだわりを持つ度合いで決まってくる。「あの人は大人物だ!」と、評価されている人ほど、自分はこうだ!ああだ!と言ったりしない。反対に、家族や組織や地域、人々のために自分を捨てて奉仕する姿勢が貫かれている。

僕もかつては自分へのこだわりが強くて、自己主張することが大切だと思っていた。自分の人生だから自分がよければそれでいいという若い時代があり、結婚して、家族のために自分を犠牲にしても良いかなという時代があり、会社が大きくなりたくさんの従業員とそのご家族を思うと、会社のために自分を犠牲にしなければと思うようになる。

その会社も永く経営していると、日本や世界のために自分に出来ることがあれば、自分を殺しても良いかなと思えるまでになっていく。意識の大きさと生きる舞台の大きさは比例している。自分へのこだわりに徹していると、多くの人に迷惑をかけることに気が付き、自分のこだわりよりも、守るべき組織や人々が大切に見えてくる。

意識レベルの度合いで、その人物の将来も決まるような気がする。自分だけのこだわりに徹する人は不幸な結末を迎えるかもしれない。自己犠牲の生き方をすれば、多くの人の共感を呼び、多くの人から信頼され、大きな舞台に引き上げられる。崇高な生き方とは、そうした自己犠牲の精神で貫かれた生き方に違いはない。

営業が恥ずかしくて出来ない人は自分のこだわりだが、恥ずかしくても営業する人は会社へのこだわりが自分へのこだわりを上回っている。守るべきは自分だけではなく、会社で働くすべての人々とそのご家族だと気が付いている。どちらが崇高な生き方かは、守るべき人々の数で決まってくる。

罵倒されても営業する企業人は、その罵倒を上回る守るべきものがある。「うるさい、二度と来るな!」「土下座してみろ、そうすれば買ってやる!」「俺の靴底を舐めてみろ!そうしたら契約してやる!」それでも頭を下げる営業マンは人間としての誇りがないのではない。企業人はこうした場面に出くわす場合もあるが、頭を垂れる企業人は会社のみんなの笑顔が見たいに違いない。

2006 08 10 [心と体] | 固定リンク

リーダーにおける敗北時の潔さ

日本の戦国武将は自軍の敗北濃厚を悟ると、みずから和睦を求めて民やその他の配下の武将の命と引き換えにひとり腹を切って和睦した。戦争で、命をかけて戦っても全滅を避けるのが、全軍を率いる武将としての勤めだった。戦争は兵士同士の戦いで、民間人は巻き込まないのが暗黙のルールだった。

第一次世界大戦でも、戦争は軍隊同士の戦いで、民間人を巻き込まないことが軍人としての誇りだった。軍人は国土と国民を守る誇りと秩序が求められた。しかし、第二次世界大戦から状況は一変し、戦争は民間人を巻き込む総力戦へと変貌してきた。戦場は拡大し、国土全体を巻き込むようになる。

第二次世界大戦からリーダーは国民全員に総力戦を強要するようになった。爆撃も軍需施設から、民間人の居住区を焼き払う作戦へと変貌する。軍事力の規模が勝利を決める戦争が、第二次世界大戦までなら、ベトナム戦争からはゲリラ戦やテロによる戦争へと変貌してきている。

誰が敵なのか分からない、どこが戦場なのか分からない状況の中で、いきなり殺戮が行われる。こうなると、どこを攻撃するべきなのか分からなくなり、町を破壊し、住民全員を殺戮するようになる。リーダーは潔さを失くして、最後の一人になっても攻撃するように指導する。戦争にルールはなくなった。

こうした殺戮は、国土や国民を破壊しつくして、再生のチャンスを奪い取る。戦後処理が出来ない状態に陥ってしまう。リーダーに潔さが失われて、国民の最後の一人まで、国土が焦土と化すまで、戦い続けることが誇りだと言うようになる。これはかつてのリーダーにはなかった行動で、心の荒廃が進んでいるとしか思えない。

2006 08 10 [心と体] | 固定リンク

2006年8月 8日 (火)

戦争なんて・・・

僕は戦争が大嫌いで、どんな理由があるにせよ、見ず知らずの他人の命を奪う権利など誰にもないと思っている。戦争を美化したり、お国のためだという大義名分を掲げて戦場に追いやり、銃を撃てと命令され、生きて帰りたい一心で他人を殺してしまう。

戦争の原因は宗教や領土、国家間の利害関係などで、そのほとんどは政治家によって防御することが出来る。自国民がさらわれたり、虐待されれば怒りがこみ上げてきて、相手国に制裁を期待し、エスカレートして相手国、または自国のどちらかの政治家がやむをえない戦いだと言い始める。

しかし、政治家たるもの自国民がどんなに感情的になろうとも、理性でそれを抑えて、対話を持って憎しみを乗り越えることに命をはって行動すべきだと僕には思える。戦場には、正義の殺し合いなどはなく、生き残りたいという思いしかない。

無視、暴言、罵倒、暴力、憎しみや怒りなど、人を傷つける行為を実行できる権限など誰にもない。国民の怒りが高まり、相手国が憎しみの対象になれば、同じ感情を相手国も抱くものだ。その国民感情を国民の総意だと理解して戦争を始める政治家は悪魔でしかない。

僕は企業家だが、ほとんどの企業経営は平時であることを前提としている。企業人は地域の人々に貢献することを使命として活動している。企業活動は世界中に及び、世界中の人々が平和で安定した暮らしが出来るように活動することで収益を上げている。

お給料を頂いて、家族を養っている従業員は、お客様を心から大切にして生きている。その従業員が、戦争によって徴兵され、お客様の国に銃を持って立ち寄り、お客様に銃を向けて撃つ。そんなことを強要する企業家はいない。企業人はどんなに迫害されても戦争を解決の手段として利用しない。

戦争を解決の手段として用いることの出来る職業は政治家しかいない。それ以外の人殺しはすべて犯罪なのに戦争は美化される。兵士が銃で民間人を殺せば虐殺だと非難されるが、ミサイルでいっきに殺せば誤爆だと処理されて済まされてしまう。

東京大空襲で10万人もの民間人を殺しても非難されないが、もしも、アメリカ兵が銃で10万人もの日本人を撃ち殺していれば大虐殺だと世界中から非難されたことだろう。まったく同じ殺戮なのに方法が違うだけでこうも評価が変わる。他国民の生命を奪う権利など、どの国にもあるわけがない。

2006 08 08 [心と体] | 固定リンク

2006年7月24日 (月)

新潟講演会に行かせていただきました

新潟の教室が企画してくださったBUNちゃん講演会に伺いました。とっても涼しく、広々とした平野にカナダの気候と似ていると感じていました。笑顔で参加された生徒の方の感謝のお言葉にたくさんの勇気と元気をいただきました。

おそろいのBUNちゃんプリントTシャツを着て参加してくださった佐渡島の方から1枚いただきました。ありがとうございます。企画運営してくださったオーナー様インストラクター様、本当にご苦労様でした。

借財を抱えて苦しんでいる方には、僕の返済体験をお話させていただきました。逆境こそ自身を成長させてくれるスパイスですので、どうか乗り越えて元気なお姿をお見せください。

子育てで悩んでいらっしゃる方には、愛情深い、無償の心構えをお話させていただきました。子供は必ず、お母さんの期待に応えようと努力しますが、期待に応えられなくなると、幼い心にストレスを抱えて病んでしまいます。

その他のお話も何かのお役に立てば幸いです。

2006 07 24 [心と体] | 固定リンク

2006年7月18日 (火)

他の命を支える喜び

娘が工事現場に捨てられていた子猫を拾ってきた。以前拾ってきた子猫は二匹とも死んでいった。以前と同じようにお尻にはウジが湧いていた。娘は子猫を抱いて寝かしつけていた。うれしそうに僕の部屋で子猫の話をしてくれる。

「みなみ、猫の命を救ってあげて、とってもうれしいでしょ。これからがいちばん大切で、その子猫の命を救うためには、おまえが強く逞しくならないといけないんだよ。他の命を救うには、その命を守れる実力をつけなくちゃね。」

夜中、幾度も泣き出す子猫を抱き、ミルクを飲ませてあげると安心して眠る。守ってくれる命のぬくもりを感じると安心して寝てくれる。我が家にやってきた新たな命、どんなことを僕たちに伝えに来たんだろう。

2006 07 18 [心と体] | 固定リンク

2006年7月16日 (日)

母親や父親に忍耐の愛情がなければ子供は憎しみを抱く

子供を暴力や言葉で押さえつけようとしても、愛情がなければ反感を抱かれてしまう。お母さんやお父さんがどんなに子供のことを心配して叱っても、子供が理解できなければ憎しみを抱かれてしまう。子供は家ではお母さんお父さんに叱られないように必死になって行動する。

お母さんお父さんは、子供の行動のあら捜しをしても褒めることがなければ、叱られてばかりだという印象を与えてしまう。人は誰しも弱点がある。その弱点を助けてあげる優しさがなく、弱点を叱りつけていれば、子供は恐怖に怯えてしまう。

子供が必死になって反抗するときは、子供の命がけのシグナルだと知ってあげなければならない。親として厳しさだけが先行している状態になっているのだと反省できなければ、親子関係は崩れてしまう。ホンの些細なことが、どうしても我慢できなくなり怒りがこみ上げる。

体力もあり、権力もある大人は、子供に好き勝手な行動をとることができる最高権力者だけに、その言動や行動には細心の注意と愛情が必要だ。感情的になっている父親や母親を見て子供は幻滅しても尊敬することはない。子供の発育は親の態度で決まる。

子供は自分とは違う人格と人権を持ったひとりの人間だという認識を両親は持たなければならない。自分の価値観を押し付けてはいけない。自分の正義を押し付けてもいけない。子供が親に従うのは当たり前だと思っている家庭の子供ほどおどおどして暮らしている。

他人を罵ったり、非難したり、自分勝手な行動を行ったり、気分次第で言っていることが変わったり、我慢することもなく、感謝することもない、気に入らないことがあれば平気で口に出し、後でしまったと思っても反省することもない。そんな親を見て子供はどれほど悲しむだろう。

2006 07 16 [心と体] | 固定リンク

2006年7月13日 (木)

BUNちゃん講演会 in 新潟!

BUNちゃん講演会 in 新潟!

日時:
7月23日 (日)
pm13:30~ 17:00 

場所:
955-0092
新潟県三条市須頃1丁目17番地
新潟県県央地域地場産業振興センター 
    メッセピア
 1F 多目的ホール

会場電話番号 0256-32-2311

料金: お一人様 3,150円 (教室に通っていないご家族やご友人でもOKです。)

お問い合わせ
基本的にはメールにてお問い合わせ下さい。

県央サティ校: wd-kenoh@happy-education.com
長岡今朝白校: wd-kesajiro@happy-education.com

TEL: 0256-66-3979 
   (お電話の場合、どうしても混雑しますのでできる限りメールにてご連絡下さい。)

ご予約方法:
メールにてご予約の上、金額をお振込いただきます。
チケット引換え方法
1:教室で直接お支払い、受け取り
2:お振込にてご連絡その後、郵送にてチケットをお送りいたします。
  (2の場合、7月18日までにお振込を頂いた方のみになります)

当日のチケットの販売は致しません。ご注意下さい。

振込先:

第四銀行 卸新町支店 普通預金

口座番号 1185187 ㈱ハッピーエデュケーション

2006 07 13 [心と体] | 固定リンク

2006年7月 2日 (日)

この世には意味のない生命はいないんだ

子供が生まれたての捨て猫を2匹拾ってきた。一匹は怪我をしており傷口からうじ虫がわいていた。病院に連れて行って治療をしてもらったが、2日後死んでしまった。仕事が終わって家に帰ると、子供が泣きじゃくって報告してくれた。僕は子供に教えてあげた。

この世に生まれてきた命はそれぞれ生まれてきた意味を持っている。死んでいった子猫は、おまえ達に命を救う喜びと悲しみを教えてくれた。おまえ達の心に生涯、あの子猫は生き続ける。子猫は、誰にも愛されず死ぬことなく、我が家に入れてやり、我が家族として息絶えたんだよ。

娘の部屋で死んでいった子猫は、近くに埋葬してあげた。生命は助けを求める生命を必死になって助けようとする。生命は愛情を持って多の生命を守ろうとする。そのために自分の財産が無くなっても、命の危険を感じても、そのような行動を取ろうとする。

残されたもういっぽうの子猫は元気に育っている。我が家にはこれで、捨て犬1ッ匹と捨て猫1ッ匹になった。愛情溢れる我が家にようこそ!

2006 07 02 [心と体] | 固定リンク

2006年6月19日 (月)

ネットゲームがリアルの世界

現実の世界で嫌なことがある場合、人はストレス発散のために旅行したり、知り合いに話を聞いてもらったり、映画を観たり、音楽を聴いたりするが、最近はネットゲームやゲームを楽しむ人が増えている。特にネットゲームは多くのゲーム参加者とチャットが出来るので、どっぷりとハマってしまう人が増えている。

現実世界ではコテンパンにされても、ゲームの世界では抜群の機能を備えて、凛々しく直面する問題に立ち向かう自分がいる。痛快そのもので、爽快だが、ゲームに参加している自分が本当の自分で、部屋にいて操作している自分は非現実世界の自分と錯覚してしまう。パソコンに向かってゲームをしている姿は、起動戦士ガンダムそのもの。

現実世界の自分は、叱られたり、いじけたり、落ち込んだりすることばかりで、ちっとも面白くない。現実逃避がどちらの世界がリアルなのかバーチャルなのかが分からなくなっていく。僕の知っている友人のお子様もそんな状態で、部屋から外に出ることはめったにない。リアルとバーチャルが入れ替わっている。

お子様と話しが出来ない状態で悩んでいたので、お子様が現実世界に触れる機会を増やすようにするべきだろうと言った。ゲームをする時間や日にちを決めることで、規律ある生活に少しずつ慣れていくことも大切だろうし、家庭内でのリーダーシップは両親が取るべきで、必要ならばネットが出来なくすることもありうるだろう。

家に居ることが居心地が良い状態になり、両親よりも子供の方がリーダーシップを取れる状態にするべきではないとアドバイスした。子供は親離れして自立していかねばならないし、そうさせてあげるべきだ。親から離れて独りで生活したいと思うのが年頃の子供の感性だが、精神的に幼い状態で安定してしまえば自立の精神を失くしてしまう。

子育ては今の日本では非常に難しいと思う。両親がどんなに愛情を示しても、子供は外に出てストレスを溜め込みやすい環境になっている。いたわり、優しく接する愛情も必要だが、時には心から叫ぶ愛情も必要だとアドバイスしてあげた。

「車に轢かれそうになっている我が子を見て、大声で怒鳴って、『馬鹿、逃げろ!』と叫ぶだろう。」それでも、動こうとしなければ、引きずってでも、ひっぱたたいてでも動かすだろう。それが本当の愛情だってこともある。子供の将来を考えて、心から心配して愛情を示すときに、そうした行動に出ることも必要だが両親には心痛める行動だ。

2006 06 19 [心と体] | 固定リンク

2006年6月14日 (水)

うさばらしの非難中傷は自分に必ず跳ね返ってくる

自分の感情が抑えきれなくなり、相手にどっとぶつけてしまう。威圧的な言葉や、自虐的な言葉、憎しみを含んだ言葉や、脅迫めいた言葉まで、マイナスの感情を発露したとき、相手はそれに対して自己防御するので受け入れることはない。こんな感情的な人とは付き合わないほうが良いと判断されるのがおちだ。

感情的な親から距離を置く子供、感情的な社長から距離を置く従業員、感情的な恋人に不安感を抱いて別れようとする相手、感情的な取引業者に対して取引量を削減しようとする会社、・・・すべては同じ事だが、理解されないで人は同じことを繰り返す。どんどん不幸になっていくが原因は自分自身にある。

プラスの感情は抑える必要はなく、体全体で表現することで、周りの人々に喜びと感動を与えることができる。勝利の雄叫び、合格の喜び、結婚の喜び、感謝される喜び、うれしい、楽しい、感激、感謝、感動などプラスの感情は表現するほど相手も好意を持って受け入れてくださる。

非常に単純明快な事なのに、これを実行するのがとても難しい。相手に少しでも非があれば追求しないではいられない人は、同じことを誰かにされる。それなら、相手に非があっても許してあげる寛容の精神を身に付けたほうが良い。全然非がない人などに僕は会った事がないし、自分自身にもたくさんの非があると思っている。

ひとりでは完全ではないので、他人といっしょになることでお互いをカバーしあって生きていくものだと思う。「~していない!」と責めるのではなく、「~をしてあげたよ!」と言ってあげれば、相手も感謝してくださる。非難中傷している人は、その言葉を聞いている人からすでに嫌われていることに気が付かない。

2006 06 14 [心と体] | 固定リンク

2006年6月 4日 (日)

心優しい人は苛められるものさ

小学6年生になった長女の苛めは相変わらず続いている。耐え切れなくなって目にいっぱい涙をためて僕の部屋にやってくる。人は誰でも生きている意味を知りたいと思う。小学生の娘ですら、私はどうして生きているの?どうすればいいのと小さな心を痛めている。

「人は誰でも心優しくなれば苛められるものだよ。だって、愛情いっぱいの人を観ていると心貧しい人はイラついて来るんだよ。自分よりも幸せそうな人を見ると苛めたくなってしまう。心貧しい人は、自分と同じように心貧しい人になれと思って苛めるんだよ。」

「おまえが苛められるのは、おまえの心が愛情で溢れているからさ。いつも笑顔で振る舞い、元気な姿で誰にでも優しい奴なんて、ひねくれ者には憎たらしいだけだよ。でもね、おまえが大好きで、おまえの笑顔や優しさに触れて、元気になる人もたくさんいるはずだよ。」

「おまえを慕っている人は、おまえの愛情で心を癒されている。その人たちに人を大切にする生き方をしましょうと言えば、おまえは苛めをする人から、さらに苛められるだろう。その苛めに屈する姿をおまえを慕っている人の前で見せれば、おまえだけでなくその人たちもひねくれ者になってしまう。」

「人を愛することは、自分が逞しくなければ出来ないことだよ。おまえは、学校で独りじゃない。強く、逞しく、その人たちのためにも生きてごらん。どんなに苛められようとも、愛情溢れる人であることがどんなに大切かを、おまえなら教えてあげることが出来るさ。」

「お父さんのような大人になっても、苛めは無くならないよ。悪い性格でいるほうがよっぽど自分を守ることが出来るし、楽な生き方だよ。でもね、それじゃ、楽しく生きられないんだよ。苛める人ですら愛してあげなきゃと思えないとね、感動的な暮らしが出来ないものなのさ。」

2006 06 04 [心と体] | 固定リンク

2006年5月10日 (水)

母の愛情、子の愛情 生徒の方へのお返事

メールありがとう。君のメールを読んでいてお母さんの愛情と、君の愛情に感動しました。僕は中学生の頃からギターを弾き始めて、大学3年までバンドを組んで活動していました。大学3年生のときに、バンド仲間が大阪梅田の繁華街で殺されてからバンドを辞め、それ以後ギターを弾かなくなりました。

31歳で、アメリカに単身渡り、グレイハウンドバスに乗ってラスベガスに行く途中、フィリピンの留学生といっしょに座ることになりました。僕は、彼が音楽の勉強をしていることを聞き、それならアメリカで商売の勉強をしたほうが良いんじゃないかと言いました。彼は僕に、「僕が商売を勉強してもたくさんの人を幸せにはできないけど、僕の音楽でたくさんの人を幸せに出来るんだ。」と言いました。

その言葉を聞いて、僕は人を幸せにするために音楽ってあるんだと初めて気がついたのです。それまでは、僕が音楽をやりたいから、僕の言いたいことを曲に乗せて表現したいから・・・。僕の音楽はそれだけのものだったのです。しかし、彼の話を聞いてからは、考えを改めて、音楽に親しみを持つようになりました。あれから、22年がたちますが、当時僕より若かった彼の言葉はいまでも強烈に僕の心に残っています。

「人を幸せにするために音楽をする。」「人を幸せにするために~をする。」この考え方を教えてくれたのは、フィリピンの若い音楽家志望の留学生でした。「わかるとできる」パソコン教室にお母さんがなけなしのお金を出してでも行かせたかったのは、きっと僕に会って、君が生まれ変わると思ったからです。パソコンの勉強と共にお母さんがいちばん望んでいたものをあなたはこの教室で掴んだのです。

2006 05 10 [心と体] | 固定リンク

2006年5月 6日 (土)

人は愛情で動かすものなんだよ

朝からお母さんと長女の口論で起こされた。予定通りに勉強できていないのに、友達を呼んで遊ぶことに腹を立てたお母さんが、ついにキレてしまった。長女は泣きながら僕の部屋に飛び込んできて泣き崩れてしまう。焦りを感じて感情的になってしまったお母さんも僕の部屋に来て、追い討ちをかけるように怒鳴ってしまう。

自分の子供だから躾は厳しくなるのだろうが、厳しくすればするほど、お互いの愛情は無くなって、憎しみが生まれていく。どんなに正当性のあることでも感情的に言われれば、言われた人も感情的にしか受け取らない。人の感情は鏡のように映し出される。焦りには焦りで、怒りには怒りで人は応えてくれる。

中学受験を控えて、お互いに神経質になっている。僕は長女に昨日の長男との話を教えてあげた。「受験で大切なことは、家族がひとつになるって事さ。合否なんてたいしたことじゃないんだよ。」その日は遅くまで、長女の勉強に付き合ってあげた。彼女はお母さんがどんなに叱ってもできなかった勉強を半日ずっとやり通した。

お母さんは落ち込んでしまったので僕は教えてあげた。「人は厳しく押さえつけられても動かないよ。人は愛情で心を満たさないと動いてくれないんだよ。どんなに、すばらしいことを言っても、感情的になったとき、すべては裏目に出てしまうんだよ。」徳川家康の言葉に、「天下を治めるもの、慈悲を政道の根本となせ」とある。

2006 05 06 [心と体] | 固定リンク

2006年5月 5日 (金)

今をいっしょに生きてることがうれしいんだよ

休みなので、長男の食事を造り、いっしょに食べて、勉強を教えてあげた。受験生になったが、思うように勉強がはかどらず、焦りもあるのだろう、テレビを観続けてみたり、感情的になったりしてお母さんを困らせてしまう。今日は、長女とお母さんはお出かけで、僕と長男で留守番をしていた。

「開秀くん、人は誰でも、思うようにいかないものさ。勉強しなくちゃ!って思っても体が動かないことって誰にでもあるんだよ。あいつ、こうすればいいのにって思っても、できないことの方がたくさんあるものさ。大切なことは、それが人間だってことを分かってあげて、それでも愛してあげることさ。」

「生きるってことは、たくさんの悩みがあって、たくさんのやりたいことがあって、できなくてもがいたり、苦しんだりして、それでも生きているってことに感謝するってことじゃないのかな。お父さんは、おまえが合格してもしなくても、おまえといっしょに生きているだけで『ありがとう、開秀くん』って心から思うんだよ。」

「おまえとふたりでこうしていっしょに食事をしているお父さんは、幸せだ。お父さんは、お父さんといっしょに生きてくれる人がいるってだけで幸せなんだよ。おまえが悩んだり、苦しんだりして成長してゆく姿を見るのがうれしいんだよ。おまえは人間だから、人間らしく、自分らしく生きていけばいい。」

「受験は、合格が目的じゃない。受験は、受験にいたるまでの生き様が大切なんだよ。家族の応援を感じて生きる自分。自分なりに成長していくプロセス。だから、不合格の方が成長できることもあるんだよ。合格じゃない、何を身に付けたかがもっとも大切なことさ。」

僕は首都圏の有名私立高校に不合格になったことがある。和歌山県の片田舎から出てきて筆記に受かり、面接で不合格になった。しかし、不合格になったからこそ、自分の傲慢さや愚かさに気づかされた。生きているんじゃない、いっしょに生きることに感謝できなくちゃ幸せを感じない。人生は何度でもチャレンジできる。

僕は日本全国の「わかるとできる」パソコン教室の先生をさせていただいている。僕は僕の生徒にこの学び舎で、そうした愛情を感じて、これまでの人生を素敵な人生だと感じてもらえるように講義をしている。合格ばかりじゃない不合格になっても悔いのない生き様があるってことを伝えてあげたい。

2006 05 05 [心と体] | 固定リンク

2006年4月22日 (土)

すべては、自分の裏返し

相手を責める人は多いが、理由もなく相手を責める人はめったにいるものではない。ほとんどは、何かしら理由があるものだが、責められている人が全面的に悪いということも、めったにあるものではない。宇宙万物の出来事は原因と結果で結びついている。責めての人にも非がある場合がほとんどだが、それには気が付かない。

子供を叱りつける大人は、そうした行動をとる原因は子供にあると決め付けているが、果たして大人に原因はないのだろうか。部下を責める上司は、責める原因は部下にあると決め付けているが、果たして上司に原因はないのだろうか。夫が浮気をしたと妻が責めるとき、夫が一方的に悪いと決め付けられるのだろうか。

相手を責める人は多いが、それは結果で、その結果を誘引した原因は必ず存在する。その原因こそ、修正しなければならないことなのに、結果ばかりに捉われて原因を究明しようとは思わない。原因を解決できなければ、同じ事を繰り返すのに、結果を捉えて一方的に責め立てる人は多い。

2006 04 22 [心と体] | 固定リンク

2006年4月10日 (月)

ストレスの爆発は避けられない

ストレスを感じながら我慢し続けていくと、いつかは爆発してしまう。どこかで、そのストレスを発散しなければ精神を病んでしまう。ストレスの爆発は感情的になり、お互いを傷つけあう行為になりがちで、冷静さを失くしてしまう。しかし、そのストレスの爆発を利用してさらに強固な人間関係を築くことはできる。

お互いに我慢してきたことを吐露し、感情が高ぶり、傷つけあってしまうが、その後、冷静になり、お互いの立場を理解して、思いやり、いたわる気持ちが芽生えてくれば、それは良い結果をもたらしてくれる。そんなことで、悩んでいたのかと思うこともあれば、ちょっとした言葉や行為が相手を傷つけていたこともある。

人はそれぞれ自己主張するから、衝突は避けられない。その衝突を、良い方向に持って行くかどうかは、当事者同士の度量によってくる。あまりストレスを抱えないで、素直に話せるときに、少しづつ話してストレスを発散してゆくのがお互いを理解しあう良い方法ではある。

人間関係は、順風満帆とはいかない。誰もが、どこかで我慢し合いっこしている。その我慢の限界点に達して爆発させるか、それまでに爆発させるかの違いでしかない。どうすれば、相手の我慢を取り除けるかを考えて行動しておけば、おのずと自分のストレスはかなりなくなる。

2006 04 10 [心と体] | 固定リンク

2006年4月 9日 (日)

都会は見栄を張りたくなる街

BUNちゃん先生は、本社を都内に置きながら、どうして田舎暮らしをしているのですか?と聞かれる。全国に500教室近い「わかるとできる」を展開しているので、全国から交通の便利な都内に本社を置き、研修や業者様との協議を行っている。しかし、教材を製作するとなると、静かで、落ち着いて物事を考えられる場所の方がやりやすい。

かつて、都内に住んだことがあるが、毎日来てくださる加盟校の方々や業者の方の応対で、教材製作の時間がまったく取れなかった。来客の方と一緒に夜のお食事を摂らなければならないので、夜遅くまでかかってしまう。人脈は広くなるが、いっこうに自分の時間が取れず、教材製作は遅れるばかりになってしまった。

また、都会はいろいろと素敵な場所が多く、着飾って闊歩しても、さまになる街で、お金があれば見栄を張ってでもそんな素敵な場所に行きたいと思わせる街だ。人工のものが多い街は、新しいものほど高級で目立っている。背伸びしてでもそうした高級なものを身に付けて、高級なものを食し、高級な場所に行き、住みたいと思わせる。確かに気分はいいが、その気分に浸るコストは並大抵ではない。

自然がいっぱいの田舎には高級なものは似合わない。その土地のものを食していれば、食費はたいしてかからない。農家の方が多いので、軽トラックが普通の街では、高級車は似合わない。50坪ほどの土地付き新築一戸建ての家は田舎では3000万円もしない。田舎では背伸びして、自分を自分以上にかっこよく見せることなどしないで済む。

わずらわしさもなく等身大の自分でいられて、自然の風景に浸りながら、いろいろなことに思いをめぐらせる。自宅もスタジオも自然の中にあり、いつも集中してひとつのことを考えることができる。欧米の方が、仕事はニューヨークでして住まいはスイスが良いと言うらしいが、僕はその日本版といったところだろうか。実に快適に仕事をさせていただいている。

2006 04 09 [心と体] | 固定リンク

2006年4月 7日 (金)

ちょっとしたことで・・・人を疑うことなかれ

自分の器が小さくなると、ちょとしたことでも人を疑ったり、感情的になったりしてしまう。冷静になって,物事の本質を捉えようとできなくなってしまう。感情的な言葉を吐き出してしまって、相手を傷つけてしまって、取り返しのつかない事態をみずから引き起こす人は非常に多い。

相手のことを思いやり、いたわり、やさしい言葉をかけられなくなれば、自分の器が小さくなっていることに気がついて、自分を厳しく律することが大切だが、なかなかできる人には出会わない。目上の人は感情的になることが指導だと勘違いするし、目下の人は、バカにされていると思ってしまう。

寛大な心を失くせば、人は離れていってしまう。離れてゆけば、益々寛大な気持ちを失くして自暴自棄になってゆく。自分の器が小さくて、相手を受け入れることが出来ないようになれば、それは自分の成長すべきポイントにさしかかっているサインだ。

素直になれない、謝ることができない、憎しみが湧いてしまう、怒りを抑えられない、悪口しか言えなくなる、反感しか持てない、妬みがこみ上げる、悲しみにつつまれてしまう、自己嫌悪に陥ってしまう、すべてのことに自信を失くしてしまう、・・・そのどこに幸せがあるというのだろう。

長く生きても100年には満たない人生ならば、多くの人といっしょになって楽しく暮らせるように行動してみればいい。生きることはいつも試練の連続だからこそ、楽しいのではないだろうか。毎日、ノホホンとして何もしなくても良い暮らしなど、なんとつまらぬ生き方か!

2006 04 07 [心と体] | 固定リンク

2006年4月 2日 (日)

人は感情的になって潰れてゆくんだよ

どんなに努力している人でも、成功している人でも、ひとたび感情的になってしまえば、これまで培ってきたものがいっきに崩れ去り、信頼を失くしてしまう。冷静でいることは非常に難しいが、冷静でいるように自分を鍛えなければ、長く続く幸福な人にはなれない。

知識のある人は知識のない人を馬鹿にして腐ってゆく、仕事のできる人は仕事の出来ない人を馬鹿にして自分を腐らせる、お金のある人はお金のない人を見下して心を曇らせる。力のある人は力のない人を小ばかにして腐ってゆく。美貌あるものは美貌なき者を軽蔑して心を腐らせる。

人は人並み以上の力を持ったとき、自慢したくなるが、謙虚にその力を多くの人の幸せのために使って、初めて感謝され生きている幸福を感じる。「僕は、あなたのために何が出来るのだろう?」そう思っていたわり、いつくしみ、励ましあって生きることの楽しさを知る人生は最高だ。

人は誰でも人とは違って自分は少し特別だと思いたいが、ほんの少しの知識、金銭、美貌、才能、・・・そんな違いなどを強調するよりも、僕たちはみんな同じ人間でほんの少しの違いしかないけれど、いっしょに助け合って生きていこうよと笑顔で話し合うほうがよっぽどましな生き方だと僕は思う。

2006 04 02 [心と体] | 固定リンク

2006年3月18日 (土)

一生懸命になってもダメなときはあるさ

人一倍、努力して頑張ってみても運がないときは何をやってもうまくいかない。それでも、一生懸命になって努力するものだから根も尽き果てて自己嫌悪に陥ってしまう。ひどいときは「うつ病です。」などと診察されたりしてしまう。「何でおいらがうつなんだ!」とビックリする。

何をやってもうまくいかないときは、のんびり休んで後戻りすればいい。思い違いをした時期が分かることもあれば、何が必要なのか見つかる場合もある。突っ走って生きるだけが人生じゃない。僕は31歳と44歳ですべての仕事を辞めてそれぞれ1年間ほど何もしなかった。ときにはゆっくり休むことが必要なのだ。

他人もうらやむ成功だけが人生じゃない。毎日遊んでばかりの人生も楽しかった。何もしないで寝ているだけの人生も楽しかった。がむしゃらに働いている人生も楽しかった。それぞれの生き方をやってきたがそれぞれ楽しかった。まじめに努力しているばかりが人生じゃない。

いま生きているだけで楽しい世界が拡がっているものなのに、他人と比べて、見たこともない世間の評価を気にしては楽しいグウタラ生活を楽しむ余裕を失くしてしまう。ゆっくり休んでいる生活に後ろめたいと思うから休めないのだ。人生にはグウタラが必要な時期があるものさ。

2006 03 18 [心と体] | 固定リンク

2006年3月15日 (水)

人生を引き算で考える

僕の父は74歳で死にました。53歳になり僕は自分の人生を引き算で考えるようにしました。74-53=21年間が僕の残された人生だと思って、いろいろやりたいことを考えてみると、自分のためにやりたいことは何もないのです。4畳半の自分の部屋を広くしたいとか、ガタがきはじめた車を買い替えようとか、豪華なホテルに泊まりたいとか、贅沢をしたいといったものが何もありません。どうせ21年経てばこの世からおさらばするんだから、いっしょに生きている人に何かいい事をしてあげようと思うのです。

いつまでも生きていると思うから、他人を憎んだり、羨んだり、妬んだり、欲が出たり、・・・でも、「おまえは末期癌で数日持たない。」などと言われれば、今までのマイナスの感情は消えうせ死にたくないと焦るだろうとか、その焦りも消えていよいよ最後を感じたときは、僕の父のように平常心で笑顔で自分の最期を受け入れるのだろうなと思います。いつ死んでもいいように、平日を過ごすことを父の死後、考えるようになってから僕は非常に穏やかになりました。

自分のやりたいことを見つけることは困難を極めますが、他人がやりたいであろうことは容易に見つけることが出来ます。「あの人は、挨拶してあげれば喜ぶだろうな。」「その人は、励ましてあげれば生き返るかもしれないな。」「この人はきっと、転職したいと思っているのに消極的で悩んでいるから、街に出て探してあげよう。」「この人は離婚しようかと悩んでいるから、相談にのってあげよう。」そんなことを考えて実行している日々が、とっても楽しい日々に変わります。

かぎりある命だからこそ、生きていることに感謝して、いっしょに生きている多くの命に思いやりと励ましを与え、僕が死んだら、葬式などしないで、遺骨は海に流して墓を作らず、さっさと忘れて、生きている人は元気に暮らしてくださいと思うのです。墓を残せば場所もいるし金もいる。墓参りに来れば思い出して泣くこともあるだろう。死んでしまった僕にはそんな思いは届かないからいい迷惑です。「今を生きていることに感謝して逞しく生きろよ!」

2006 03 15 [心と体] | 固定リンク

2006年2月27日 (月)

愛情に包まれた励ましほど強いものはないんだよ

子供たちのそれぞれの試験が終わり、「~番だった」「~ちゃんに勝った」などと一生懸命に頑張った成果を僕に教えてくれた。僕は教育パパではないが、質問されれば愛情いっぱい丁寧に教えてあげる。子供に接するときも、従業員に接するときもまったく同じように愛情いっぱい丁寧に話し、アドバイスし、成長を願っている。「おまえはたったひとりで頑張ってるんじゃない、僕はいつでも君の傍にいるよ!」

勉強でも仕事でも最初は、「~に負けないぞ!」な~んてライバルを設定して挑戦するけど、どんどん頂上を極めるようになると、ライバルを意識しなくなり、ライバルは自分自身に変わってゆくものだと教えてあげた。お父さんの会社はたくさんのライバル企業が出てきて、熾烈な競争にさらされてきたけど、ライバルに差をつけようと努力すればするほど自分の能力の問題になってきた。

自分が掲げた目標を自分が達成できるかどうか?それが最大の課題になり、ライバル企業などどうでもよくなる。「もう辞めた!」と言いたくなる自分に、「まだ、できる。必要としてくださる人がいるんだ!」と叫んでいる自分がいる。お父さんは教材製作や企業経営者としての自分をライバルにしている。お父さんの会社のスタッフもライバルパソコン教室なんかに負けてなるものかと努力していけば最後は自分自身との戦いになる。

おまえたちも一生懸命勉強すればするほど、弱くて逃げ腰の自分自身との戦いになったんじゃないかな。諦めようと思ったときに、それでも諦めない自分を創れた人は最後の栄冠を手に入れる。最後までやり抜ける勇気を与えてくれるのはお父さんやお母さんの愛情であったり、友達や恋人の励ましであったり、貧乏から必死になって抜け出そうとするハングリー精神であったりするけど、愛情に包まれた励ましほど強いものはないんだよ。その愛情に応えるように多くの人を幸せに出来る人になりなさい。

2006 02 27 [心と体] | 固定リンク

2006年2月17日 (金)

思いやりには説明責任がくっついている

妻が夜、お風呂に入って寝るように、1階から3階の長男の部屋に向かって大きな声で言った。3階から降りてきた長男は不機嫌でお風呂に入っていった。「お母さん、うるさいよ。」洗い物のお手伝いをしていた僕は長男におしえて上げた。「1階から3階の部屋まで声が通るだろうか?おまえさんがひよっとして寝ていないだろうか?な~んて考えていれば大声になると気が付くんだよ。でも、勉強している腰を折られたと感じていれば腹が立つ。どちらの方がいいか風呂に入りながら考えてごらん。」

心に余裕がなくなれば、他人の思いやりを余計なお世話と思ってしまう。しかし、母親として責任ある立場に立てば干渉せざるを得なくなる。お風呂に入るように言わなければ、それを翌日子供から責められるだろう。感情的になる人は自分の物差しで判断して、相手の立場を思いやるゆとりを失くしている。「まだまだ、子供だね。」などと言える内はいいが、結構な年になっても出来ない人は多い。相手のいたわりや思いやりを無碍にする人は、大きく相手を傷つけていることすら分からない。

せっかくのいたわりや思いやりを無碍にされ続ければ、落ち込んでしまったり、腹が立ったり、どちらにしても健康にはよくない考えや行動に出てしまう。むしろ、自分がどんな考えでそうしているのかを冷静に話したほうがいい。相手に判断するチャンスを与えれば気が付くことも多い。思いやりには説明責任がくっついている。愛情に溢れる家族、会社、国家、世界を創るには、どうしてそうするのかを誰もが納得できるように説明する勇気がいる。くじけないで、しっかりと説明してあげれば、相手の怒りに満ちた顔に反省の色が出てくる

2006 02 17 [心と体] | 固定リンク

2006年2月 1日 (水)

できないと誰もが思うから挑戦したくなるのさ

仕事を終えて帰宅すると、子供が夜遅くまで勉強していた。先日の日曜日は英語検定の受検だったが、今度は実力試験勉強や漢字検定の受験勉強が重なっているので勉強していたと話してくれた。子供たちは僕の学生時代の話を聞くのが好きだ。

お父さんは、中学のときはまったく勉強していなくて、高校受験よりも就職して親に楽をさせたいと思っていた。しかし、中学3年生の冬休み前のクリスマスパーティーに友人が招待してくれて、ケーキを食った後に、「あなたは阿呆だから、今日からいっしょに内の子と遊ばないでね。」と、友人の母親から言われた。

その一言が気に入らなくて、お父さんは家に帰るなり、母親に高校に進学させてほしいと言った。中学の担任の先生に地元でいちばんの進学高校に願書を出してくれと頼んだら、気がふれたのかと願書を書いてくれない。馬鹿にされたあいつの進学する高校に行って、見返してやると言ったら、不可能だし、万が一合格してもついてゆけないからやめろと説得された。

担任の先生が自宅に来て地元でいちばん合格しやすい高校でも進学できないから願書はやめるようにと言ったが、今度は母親が先生に言ってくれた。「先生、うちの息子は誰もが不可能だと思うからやりたくてしかたがないんです。馬鹿な親子の願いだと思って願書を書いてくれませんか。」担任の先生は怒りながらも願書を出してくれた。

それから2ヶ月間、お父さんはほとんど寝る暇も惜しんで勉強して最後の実力試験で合格の判定を出したが、今度はカンニングしたんだと思われた。3ヵ月後、お父さんはその進学高校に合格した。誰でも、誰もが不可能だと思っていることでもひっくり返す力を秘めている。その秘めたる力を発揮する意志の強さがあるかどうかだけなんだよ

おそらく地元中学の歴史の中でお父さんよりも成績が悪い生徒で耐久高校に願書を出して、合格した生徒はいないと思うよ。この記録は破られることはないだろうね。何しろ中学3年生のときはロクに学校に行っていなかったからね。どんなに不可能だろうと、やると決めたら一心不乱にやってみることさ。

2006 02 01 [心と体] | 固定リンク

2006年1月30日 (月)

人を傷つけない生き方などできないさ

他人を傷つけたくない、自分も傷つきたくない、と誰もが思うだろうが、そんなうまい生き方はできっこない。駅で重い荷物を持って急いでいる人に親切にお声をかけても、疑り深い人であれば怒り出すかもしれない。恋人が死んで悲観にくれている人に、「君にダイヤモンドの指輪をあげよう。」と言っても喜んではくれない。「君が大好きだよ!」同じ言葉でも、大好きな人から言われればうれしいだろうが、大嫌いな人から言われればおぞましくなってしまう。

こちらの思惑に反する行動を相手がとるのは、あいての考えや状況をこちらが把握できないからだ。あいての考えや状況にどんなに配慮してもすべて把握することは出来ない。今、起こる現実に人の感情は揺さぶられてしまうからだ。昨日まであんなにうれしそうにしていたのに、朝、思わぬトラブルに巻き込まれて落胆していたり、怒っていたり、人の感情はどんどん変化してゆく。冷静にいることがどれほど難しいかはいまさら言うまでもないと思う。

どんなに配慮した言葉や行動であっても、相手を傷つけてしまうことは起こりうる。最初から、そんなものだと思えば思惑に反した行動を相手がとっても冷静でいられる。傷ついた自分に、「まだまだ分析力がないぞ!」と問いかけてみる余裕さえ生まれる。思惑に反した行動をとる方の心を推測して反省する余裕さえ生まれてくる。「あの方は、ご家族を亡くされて苦しんでいたんだ。」「あの方は自分に嫌気がさして、他人を傷つける言葉を発することで自己虐待をしているんだ。」

いろいろな人にいたわりと思いやりを持って接することは、なかなかできない。大好きな人へのいたわりと思いやりは簡単だが、大嫌いな人へのいたわりと思いやりほど難しいものはない。それは、大好きな人は自分のいたわりや思いやりを素直に感じてくれて感謝してくれるからで、大嫌いな人はその思いに感謝するどころか、増長して次々にできっこない要求を押し付けてくるからに他ならない。出来ないことは出来ないと言い切りながらもいたわりと思いやりを保ち続ければ、やがて大嫌いな人の心に感謝の念が芽生えてくる。

多くの人へのいたわりと思いやり(博愛や慈愛)は、どんなに頑固な人であっても、その人の心を溶かしてゆく。その人に感謝の念が芽生えるまで、意に反した言葉や行動をとられるだろうが、それで諦めてはいけない。宇宙に存在するすべての生命体はお互いに助け合って生きることで幸福を感じるようになっている。相手に期待することなく、多くの人へのいたわりと思いやりを保ち続けることはとても大切なことではないだろうか。

2006 01 30 [心と体] | 固定リンク

2006年1月29日 (日)

夢は諦めると後悔に変わるよ!

人にはそれぞれの「夢」がある。いつか叶えたいと思って必死になって挑戦している「夢」を諦めてしまうと「後悔」に変わってしまう。だから、いつも「夢」に向かって努力してごらん。

「夢」を潰すのはいつもいちばん近い人のささやき。「いつまで、そんなことやってんだよ。」「そんなこと、できっこないじゃん。」 必死になって努力していることが虚しいと感じさせるようにささやいてくれる。

「夢」を諦めた人は、現実の世界をみずから変えようとはしなくなる。今、目の前にある現実を受け入れて甘んじる。年月が経ち、「夢」を持ったことすら忘れてしまう。「そんなことが、あったっけ。」そして年老いた自分に後悔の念が生じる。

どんなに空想的な夢でも諦めないで追い求めれば、思わぬ出会いやチャンスがめぐってくる。「夢」に向かって努力すれば、やがて「希望」が見えてくる。「もうちょっとだ、がんばれ、いつも僕がついているじゃないか!」

今、長男が使っている部屋はかつて近隣の子供たちの教室として利用したことがある。長男の部屋の柱に僕への書き込みがある。「BUNちゃん先生、大好き!」そのいわれを教えてあげた。

2006 01 29 [心と体] | 固定リンク

2005年12月27日 (火)

自分を追いかけて墓穴を掘る

学生の頃はテストで高得点を取れば高い評価を得た。同級生よりも1点でも多く点を取れば先生は褒めてくださった。偏差値が進学評価基準で、偏差値によって進学校も評価されてきた。すべての物差しは非情に単純で、自分さえ頑張れば結果オーライの成果主義の世界が学生時代である。学生時代勝ち残る武器だった向上心が、社会人になれば邪魔をして豊かな人生を歩めなくしてゆく。

自分を高める向上心は知的好奇心や実験欲や経験願望となって仕事に対する不満となってゆく。「学生時代に褒められて、最高学府を卒業してきた自分が、何でこんなロクに勉強もしていない連中の言いなりにならなければならいんだ、馬鹿野郎!」私はこんなことをするために頑張ってきたんじゃないという自意識が目の前にある業務やお客様への軽蔑となり自己嫌悪に陥ってゆく。学生時代に勝ち抜いてきた人がもっともこうした状態になりやすい。

学生の本文は勉強で、これは自分を鼓舞して自分の知的レベルを高めれば良かったが、社会人は知的レベルの向上よりもお客様満足度を高めながら企業収益を最大値に持ってゆかねばならない。学生が個人プレーヤーだとすれば社会人はチームプレーヤーだとも例えられる。団体競技なので個人プレーよりもチームが勝つことを最優先しなければならない。自己犠牲の精神がなければチームが勝つことはない。チームの和を大切にしてフィールドに出ていないチームメイトにも配慮した心配りがなければならない。

知的好奇心と自己鍛錬は自分への課題とすれば、何のためにそれを行っているのかを真摯に自分に問いかければ良い。持てる力を発揮して多くの人々に感謝されるために奏している自分に気が付くだろう。野球選手は自己鍛錬をして優れたプレーを観客に見せる事で感動を与えて感謝されることを誇りに思うだろう。仕事も同じで、自分に与えられた業務をベストを尽くして行うことでお客様や仕事仲間に感謝され、企業収益を最大に持って行き、仲間の給与を確保した自分に誇りを持っているだろう。

僕は子供たちに、自分のために勉強したり仕事をすれば必ずいつかは行き場を失うから、多くの人から感謝されるように勉強したり仕事をするようにして行きなさいと言い聞かせている。自分を鍛えるよりも他人を幸福にするほうがはるかに難しく満足を得る。博愛といったり菩薩業といったり無償の奉仕といったり、昔から平和と繁栄を得るには必要不可欠な精神だと言われている。

2005 12 27 [心と体] | 固定リンク

2005年12月 7日 (水)

苛めにあっている娘に

長女のみなみちゃんは小学5年生になり学校で苛めにあっている。泣きべそをかきながら苛めに耐えきれないときは家にジッとして勉強している。「わたし、私立中学に絶対進学するんだ!」公立中学に進学すれば苛めっ子が同じ中学に進学してくるから嫌なのだそうだ。一生懸命になって勉強する目的が苛めからの逃避だと娘が泣きながら話してくれた。こうしたご父兄は多いのかもしれない。なるほど高い授業料を払ってでも安全な学校へ行かそうと思うものだ。

僕は娘に言った。「世の中から苛めは絶対になくならないよ。苛める人は何か嫌なことがあって弱い人に八つ当たりする。世の中から嫌なことを失くすことはできないよ。多くの人と付き合えば必ず苛める人に出会うものさ。父さんは苛める人に出会うと哀れな奴だと思うようにして腹を立てないようにしている。自分がそいつに負けて感情的になればお父さんに感謝してくれている多くの人の期待を裏切ることになるからね。多くの人に影響力のある人ほど苛めに会うものさ。」

「おまえ、一生懸命になって勉強していけばリーダーになる資格が出てくる。リーダーはたくさんの人を指導して幸せにしてゆかねばならいんだよ。苛める人から守ってあげてリーダーとして強い自分を示さなければならないよ。苛められたからといって逃げてはダメだよ。生涯、苛めと向き合って笑顔で受け止められる人でなくちゃリーダーにはなれないんだよ。おまえ、大人になって多くの人を幸せにできる人になってごらんよ。そのための勉強だと思ってごらんよ。そっちの方が面白い生き方だよ。自分のために生きているなんてチッポケな生き方だと父さんは思うよ。」

「お外で働いているお父さんやお母さんはみ~んな何かしら苛めにあっている。でもね、子供や家族のために苛められても一生懸命になって働き続けているんだよ。自分さえ我慢して働けば家族に飯を食わせられると思ってね、我慢しているんだよ。家に帰ってテレビを観てビールを飲んで酔っ払っているお父さんは本当は偉いんだよ。苛めから逃げるんじゃなくて正面から立ち向かうことさ。自分のために生きてるだけじゃ家にこもるのも分かるけど、そんな生き方は面白くないよ。父さんはたくさんの人のために生きてみようといつも思っているよ。」

2005 12 07 [心と体] | 固定リンク

人を助けるには憎まれてもかまわない覚悟が必要

23歳のとき、僕は多額の借金を抱えてしまい父親を頼ったとき、「金が返せなければ腹を切って死になさい。お父さんはびた一文もおまえには援助しない。」と言われて返済が完了する31歳まで実家にいちども行かず返済を完了した。返済中は両親を憎んだりもした。

33歳のとき、証券会社を経営していたおじの会社が倒産して多額の借財を抱えていたが、このときは父を含めた親族はおじに1億円近い資金援助をして再生を願ったが失敗した。父を含めた親族はおじを罵ったが貸した金は返っては来なかった。すべてを失くしたおじはひとり年金暮らしをしている。

僕の借財の原因は離婚だったので田舎では親族の面汚し、おじの会社の危機はそれまで高級車で帰省しお土産をいっぱいくれる親族のヒーローだったから仕方のないことでもあった。僕は離婚が原因で親族の結婚式には招待されたことはないばかりか、「おまえのせいで俺の子供が結婚できなくなる恐れがある!」と言われた。

僕に、「腹を切れ。」と言った父が深夜仏壇の前に座りひとりシクシク泣いていたと母から聞くまで、僕は非情な父だと思っていたが31歳になり父親の偉大な愛情を感じた。「母ちゃん、今すぐ家にある200万を息子に持って行ってやろうか!」父は母に言った。「わたしらのひとり息子がこれで死ぬ訳がない。」母はそういって父を止めた。

人を助けるということは、こんなにも厳しいものかと思った。たったひとりの息子に10年近くも憎まれても何一つ援助しない意志の強さがあって初めてひとり息子は自立できたのだと今にして思う。このときの体験があり、僕は人を助けるときは10年先を見て憎まれ役を買うこともある。共倒れでは人を救ったとはいえない。

2005 12 07 [心と体] | 固定リンク

2005年12月 3日 (土)

自分らしく生きたいって、収入もなく暇になって愚痴ばかりになるだけじゃないの?

自分らしく生きたいといっては転職ばかりする人がいるが、仕事に慣れるには自分を成長させなくてはならないことに気がついていない。自分の時間が欲しいからといって仕事を辞める人がいるが、何をするわけでもなくだらだら家にいるだけになっている。こだわりと言いながらあらゆることに講釈を垂れるが、結局、何事にも否定的で何一つ挑戦しないでテレビや雑誌ばかりの情報に左右される。

僕の父は退職して自分の時間が有り余るほどあったとき、暇すぎて何をして良いのか分からない状態に陥った。仕事をしているときは休みたい、自分の時間がないと毎日のように愚痴っていたのに退職すると忙しかった昔を懐かしんでいた。新聞配達のバイトを始めたが毎朝、うれしそうに新聞を配っていた。町会議員になって忙しくなり、またぞろ愚痴が出るようになった。体調が悪くなり仕事がなくなるとまた、毎日が暇になり退屈で昔を懐かしんでいた。

結局、自分のやりたいように生きることは暇になってどうしようもなくなり、テレビを観たり雑誌を見たりして時間を無駄に過ごすだけに終ってしまう人が圧倒的に多いのでないだろうか。自分の為に自分の時間を使う生き方はダラダラ人生になりやすい。むしろ誰かのために自分の時間を使う生き方は張り合いがあって面白い。その誰かが多くの人になるほど生きていることが面白くなる。

僕は社長業以外にも経費削減や財務の利殖によって会社に収益をもたらし給与として社員に還元するが、僕の会社で働いていることに感謝してもらえると非常に生きがいを感じる。それは自分の為に働いたり利殖をする以上の喜びとなる。自分の殻に閉じこもる生き方をすれば、収入も少なくなり否定的な評論家になってしまうのではないだろうか。大きな志を持って多くの人々の為に自分を犠牲にしてゆく生き方ほど面白い生き方はない。

自分の為なら我慢することもないが、家族の為や恋人のためとなると我慢強くなるでしょ!その我慢を大きくするには家族から会社やお客様や地域や国家や地球といった大きなものに自分の命を賭けてみようと思うこと。大志を抱いて取り組めば家族や会社や国家がいつか誇りに思ってくれる。そうしたこだわりこそ大切ではないだろうか。

2005 12 03 [心と体] | 固定リンク

2005年10月 2日 (日)

Play Fair.Play Hard.Play for the Team

僕が愛する阪神タイガースが二年ぶりの優勝を勝ち得ました。安月給にもかかわらずひたむきにプレーする姿に多くの観客が感動されているのではないでしょうか。昭和11年9月、甲子園球場で7つのプロ球団によってプロ野球は発足しました。昭和10年プロ野球球団設立を願った男たちは渡米して128日間109試合を消化し、そのなかで「どんな状態でも公明正大に、一生懸命にプレーしなさい、チームのためにプレーしなさい」というプロ野球の原点を体得して帰国しました。

昭和6年10月アメリカ大リーグ選抜チームが来日して日本選抜と親善試合をし17戦全勝、1試合平均9得点をあげる圧倒的な強さを日本人に見せつけました。意気消沈する日本人の中でたったひとりの鈴木惣太郎という新聞記者が日本にもあんな強くて逞しいプロ野球を創ってアメリカ選抜チームを打ち負かしてやろうと決意します。企業の資金提供を受けて31人のプロ選手希望者を集めて昭和9年11月再度、アメリカ大リーグ選抜チームが来日、沢村栄治の快速球は初回、ベーブルースのホームランという驚くべき実力差を見せつけます。

第二回日米親善試合はまたしても日本の15戦全敗、このとき大リーグ選抜チームのコニーマック監督は日本チームに大リーガーのProfessional Baseball in America の冒頭に書かれている大文字の 「Play Fair.Play Hard.Play for the Team」勝利のためにチーム一丸となってどんなピンチでも全力で戦う姿を見せることがプロだと言ったのです。プロ意識とはいったいどんなものかを体得するために昭和10年2月大日本東京野球クラブに残った18人は渡米します。プロとは自分のプレーを観客に見せて収入を得る職業としての野球です。

サンフランシスコから彼らは北米大陸を横断してマイナーリーグの人たちと試合をしながら観客収入で飲食代や旅費交通費を工面するプロの毎日が始まったのです。東京ジャイアンツというチーム名で最初は豪華なホテルに宿泊して豪華な食事を頂いていましたが、何しろ弱いチームですから人気もなくなり観客収入の見込めない状態ですぐに資金が底をつきました。ハンバーガーひとつにホテルはベッドハウスに雑魚寝、初めてプロの厳しさを収入が困窮することで身をもって感じ始めたのです。

弱いチームに貧乏生活、不満だらけで逃げ場のない状態で喧嘩が絶えない哀れなチームとなってゆきます。困窮のどん底で鈴木惣太郎率いる選手たちはこのまま終わってなるものか、俺たちは日本でプロ野球を創ると意気込んで渡米したのだという初心に帰ったのです。プロとはどんなに疲れていても、どんなに嫌なことでも笑顔でグラウンドに姿を見せて観客が感動するプレーを見せなければならないことを体得します。速球を捨てて勝利にこだわるようになったエース沢村、二塁でも三塁でも果敢に盗塁を見せつける田部選手、5月の戦績は27勝5敗、戦績が良くなるにつれて観客収入も良くなりました。

個人の卓越したプレーより選手と選手のつながりなくして勝利はない、徹底したPlay Fair.Play Hard.Play for the Teamでなければ職業野球は出来得ないことを学んで18人の選手は帰国したのです。勝利しなければ飯は食えないことがプロとアマの違いだったのです。昭和10年7月、128日間の遠征を終え、75勝33敗1引き分けの戦績を残して帰国、それまで親善試合32戦全敗だった日本チームが渡米してこれだけの戦績をおさめたことは驚異と感動を持って日本人に受け止められて翌年の日本プロ野球発足の原点となったのです。恋愛でも家庭でも職場でもこうしたプロ意識こそ大切ですね。

2005 10 02 [心と体] | 固定リンク

2005年9月27日 (火)

BUNちゃん講演会

Bunちゃん講演会開催日

10月 4日(火) 10:30~11:30 名古屋会場  東桜会館 「第二会議室」
10月 5日(水) 10:30~11:30 大阪会場  エル・おおさか(大阪府立労働センター) 「大会議室」
10月 6日(木) 10:30~11:30 福岡会場  ももちパレス 「第一研修室」
10月 7日(金) 10:30~11:30 仙台会場  仙台市青年文化センター エッグホール
10月 8日(土) 10:30~11:30 札幌会場  札幌市民会館 会議室3,4
10月11日(火) 10:30~11:30 埼玉会場  さいたま商工会議所 第1ホール
10月12日(水) 10:30~11:30 東京会場  東京都南部労政会館 「第5・6会議室」

僕の講演会に参加希望の方は全国の「わかるとできる」パソコン教室でお申し付けください。生徒の方でなくても参加できます。お申し込みがよく分からない方は本部までお問い合わせメールにてご連絡してください。

2005 09 27 [心と体] | 固定リンク

2005年9月20日 (火)

敬老の日 母を訪ねる

9月19日敬老の日、僕は父を亡くしてひとり住まいの母を訪ねていった。父の死後、足を悪くして外出が思うように出来ない。母から52年間僕が他人の悪口を言わないのはどうしてかと聞かれた。気にもしていなかったが言われてみれば僕は他人を恨んだり非難中傷したりしない。僕はいつも自分が何をしなければならないかを考えて実行するタイプなので他人を気にしている暇がない。

「母さん、僕は他人の笑顔を見るのが好きで生きてるようなものだ。僕が他人を恨んだり非難中傷すれば誰も僕を信じて付いてきてくれないよ。いつも、僕たちが向かう方向をハッキリと示してあげて行動する姿を見せてあげなければ人は笑顔を見せないものさ。」70を過ぎた母は50を過ぎたひとり息子に驚いて言った。「おまえは昔からいろいろ非難されてきたのに・・・。母さんは悔しくて歯軋りしたことが何度もあった。」

「人をどんなに非難してもその人は成長しない。一生懸命に生きてる僕は非難の対象になっても平気だよ。だって母さん、僕はその人たちより一生懸命に生きている。人の一生は短いと父が死んでつくづく思ったよ。恨みつらみで長く生きるよりもあれもしてやった、これもしてやったと思える生き方の方が面白いじゃないか。地位や名誉や金銭よりもいちばん近くで生きてる人にいろいろと尽くしてやればそれで十分さ。人はスケールの大きさが大切だよ、母さん。」母は納得した様子だった。

2005 09 20 [心と体] | 固定リンク

2005年8月28日 (日)

捨てられた子犬

僕の誕生日に子供たちが捨て犬を拾ってきた。僕の誕生日にちなんで「BIRTH(バース)」と名前を付けた。犬小屋、ドッグフード、・・・必要なものを買ってきた。

生命は他の生命と共に生きる事で最高の喜びを感じる。欲しいものが手に入る・・・金銭、物、名誉、合格、知識、熟練の技、・・・。そんなものが手に入っても、他の生命と支えあって共に励まし助け合い生きてゆく喜びにはかなわない。

おのれひとりの努力で達成された目標よりも、他の生命のために自分が生きていると感じさせていただく喜びの方がはるかに大きい。BIRTHはそんな使命を持って我が家にやってきた。

2005 08 28 [心と体] | 固定リンク

2005年7月27日 (水)

僕が好きな詩

美しい今

暗く長い
土の中の時代があった
いのちがけで
芽生えた時もあった
しかし草は
そういった昔を
ひとことも語らず
もっとも美しい
今だけを見せている

星野富弘さんの「あなたの手のひら」という花の詩画集にある詩です。

2005 07 27 [心と体] | 固定リンク

2005年7月23日 (土)

子供の反抗は自立の前触れ

反抗期の子供は自立しようともがいている最中だ。ちょうど羽ばたこうとしているひな鳥のようなものだ。飛ぼうとしてもなかなか飛べないが飛び出したい気持ちは人一倍ある。

自立は親の支えを拒否することから始まる。支えようとする親に苛立ちを覚えて反抗する。親が憎いのではない、自立できない自分が歯がゆいのだ。

自立すれば生きてゆくために必死にならざるを得ない。支えてもらうためには支えてくれるに値する何かを提示しなければならない。それでも子供は自立しようとする。

親鳥にできることは精一杯愛して見守ることだけだから。ひとり悩んで苛立って苦しんでもがけばいい。がんばれひな鳥よ、大空に羽ばたいてくれ!

2005 07 23 [心と体] | 固定リンク

2005年6月18日 (土)

生きているのは素敵なことさ

落胆して死にたいと思うほど辛い出来事でも生きているからこそ味わえるもの。死んでしまえばそんな恐怖は二度と味わえない。悔し涙を心いっぱい流しつくしても生きているから出来ること。罵声を浴びても非難中傷されても生きていればこそ感じる苦しみなのさ。

グシャグシャな人生でも手を差し伸べてくれる人が必ずいるもの。その人の思いを傷ついた胸に感じ生きていればこそ生きているのが素敵なことだと思える。とめどなく流れてくる悲しみや苦しみはおなじ時を生きている誰かが同じように感じてくれる。

ひとりで生きてるわけじゃやない。心の傷は消えることがなくとも癒してくれる人がいる。人は誰でも愛してくれる人がいる。その人がいればこそありふれた人生でも忘れがたい人生に変わる。どんなに傷つけられてもかけがいのない人生さ。生きているのは素敵なことさ。

2005 06 18 [心と体] | 固定リンク

2005年6月16日 (木)

親の期待

子供が勉強して成績が上がらない。妻は子供の中途半端な勉強の仕方に頭に来ている。僕が子供に注意することになった。

「おまえが勉強するのはお母ちゃんが大好きだからさ。お母ちゃんの期待に応えてあげようと思うが自分のやりたいことじゃない。だから身が入らない。」

「おまえは大人になるまでに、自分のやりたいことに挑戦できる強い意思と実行力を身に付けることが必要さ。それが遊びなら真剣に、それが勉強なら真剣にやりきることさ。」

「父さんはあと20年もすれば死んでいくだろうよ。ア~、思いっきり楽しい人生だったと父さんは思える。自分のやりたいことを思いっきりやりきったからさ。」

「おとなでも中途半端に仕事をしていると死ぬまでその時間が流れてゆく。死に際には死にたくないという後悔しかない。人生70年、思いっきり生き抜けよ!」

2005 06 16 [心と体] | 固定リンク

2005年6月15日 (水)

生まれ変わるのはおまえやで!

辛い目にあえば家でジッとしていようと思う
泣きたいことがあれば二度と泣きたくないと思う
悔しい思いで自己嫌悪になってしまう

どんなにジッとしていても
どんなに防いでいようとも
どんなに励まされていようとも

同じような出来事はやってくる
辛い目にも、泣きたいことにも
乗り越えるあんたを創るしかないんやで

2005 06 15 [心と体] | 固定リンク

2005年5月20日 (金)

儲けより仕事が大事、仕事より健康が大事、健康より慈愛が大事

金儲けはとっても楽しいがやましい金儲けはいつか必ず破綻する。お客様や従業員を裏切る仕事なら最初からやらないほうが良い。仕事は選んでお客様や従業員から喜ばれるものにすべきだ。

どんなにすばらしい仕事でもやりすぎて健康を害してはお客様・従業員・家族に心配をかけてしまう。すばらしい仕事だからこそ健康を維持して仕事量を調整しなければならない。

どんなに健康的でも慈愛がなければ長く幸福を感じることはできない。短絡的な喜びを求めていくだけの人生になってしまう。人をいたわり人望をつけ多くの人から愛される人になろうとすべきだ。

2005 05 20 [心と体] | 固定リンク

傷つくことを恐れて人を愛せず

「どんなに人を愛してもいつかは裏切られ憎まれる。」そんな不安を持っていれば人に接するとき、裏切られる痛手をあらかじめ軽減しようと厳しく接するようになる。人を愛して人をいたわり、心からその人の成長を願うこと。

愛し方を変えれば、愛され方も変わってくる。ちょっとした変化で人の反応は大違い。傷つくことを恐れていても、必ず誰かを愛するようになる。大切なことは愛し方をよく考え実行すること。

2005 05 20 [心と体] | 固定リンク

2005年5月16日 (月)

祖父の殺人罪を孫に言うか?

1941年12月8日から、日本が降伏文書に調印した1945年9月2日までの5年間、日本はアメリカを中心とした連合国と戦争をした。当時アメリカを憎み鬼畜米英と信じ込んでいた人々に後数年もしない間に鬼畜米英といっしょになってお互い笑顔で仕事をする時代が来ると誰が信じていただろう。

お互いに戦場で殺しあった戦争当事者のほとんどは今は生きていない。殺し合いの最中にたった数年後お互いに肩を組んで仕事をするようになると話されたら誰が進んで殺し合いを継続しようとするだろうか。それほど戦争は悲惨で意味のない出来事だと僕は子供に教えた。

おまえが世界に出かけていけば、その地で戦争時の悲惨な出来事でおまえを責める人もいるだろう。しかし、おまえは胸を張ってその地の人々に言いなさい。「俺たちの祖父の時代はお互いに殺しあった。おいらの祖父があんたの祖父を殺したかもしれない。しかし、おいらにその罪を責めるより、おいらといっしょに働いてともに暮らしを良くする方が大切なことだし、あんたの国では祖父の殺人罪を孫に着せるのかい?」

人間は長く生きても100年ほど、たった100年の命をもってこの世に生まれてきたんだから過去の憎しみや怨念を継続するのでなく自分たちの世界を創れば良い。死んでいった人間のことなどいつまでも引きずってはいけない。2000年前の怨念をいまだに引きずっている人もいる。おまえはおまえと同じ時代を生きる人と精一杯100年間を生きるんだよ。

2005 05 16 [心と体] | 固定リンク

2005年5月13日 (金)

やられたらやりかえす

子供に厳しいしつけをすれば、子供は厳しい態度を親にも友人にもとるようになる。部下に批判的な態度をとれば、部下は批判的な態度を上司にとるようになる。恋人に冷たい態度をとれば、恋人は冷たい態度で仕返しする。人はやられたことをそのまま相手にやり返す。子供にも部下にも恋人にもいたわりや思いやりといった愛情を示せば子供や部下や恋人も愛情を持った態度で接してくれる。多くの場合、自分の態度次第で相手は変わる。変わりそうにない場合は離れるしかない。

2005 05 13 [心と体] | 固定リンク

2005年5月11日 (水)

誰でも臆病なものさ

最初から自信があって仕事をする人はいないし、ほとんどの人は最初は不安だらけで仕事をするものだ。その仕事が好きになるかどうかは、いっしょに働く仲間や上司や経営者が自分を受け入れてくれるかどうかで仕事の中身じゃない。彼らが自分の臆病な気持ちや不安を無くしてくれる。

昭和20年~30年代は自分が飯を食うために働き、昭和30年~40年代は親に楽をさせたいと働き、昭和40年~50年代は自分のやりたいことを探すために働き、昭和50年~60年代は一流企業で働くために就職活動をし、平成になれば一流といわれる職場はすでに縁故関係で埋まってしまいなかった。

平成になると働く職場はどこの誰とも分からない聞いたこともない企業ばかりになっていた。嫌なことを我慢できるほど待遇もよくはなかった。職場の上司も経営者も尊敬できるほどの人物ではなかった。仕事もいつまでもやっていくほど魅力はなかった。だからこそ職場の人間関係こそがもっとも重要なファクターとなる。

成長しているベンチャーに共通しているのは職場の人間関係が非常に良好であるということ。部下は上司や経営者を尊敬しているということ。その上でビジネスモデルが斬新で真似のできないオリジナルなものであることが成長の源泉になっている。そこで働く従業員は給与ではなくいっしょに働く仲間が好きなのだ。

人間も生き物である以上、他の生き物と同様に群れて行動することで安心する。自分が頼り頼られる群れを見つけることができれば幸せ者で、その群れを見つけられない者は不幸せである。家族と違って企業という群れはお客様という他人に奉仕をしそれによって収入が伴う故に満たされるものが大いにある。

2005 05 11 [心と体] | 固定リンク

2005年5月 8日 (日)

度量は才知を上回る

自分が正しいと思い相手が悪いと信じれば相手を責め立てる。責め立てられた相手にも一分の言い訳や理由があろうが聞き入れる度量がない。それが亀裂を生み人間関係を悪くしてしまう。才知のある人間ほど相手のミスを見つけやすい。才知があるだけにミスをカバーするのではなくミスを責めてしまう。

責められた凡人はミスを認めても一分の言い訳すら認めずに責められたことを生涯忘れることがない。凡人から怖がられた才知ある人はこうして孤独になってしまう。自分に度量をつけて凡人を責めるのでなく機転を利かして活用すること。叱り方や他人の評価の仕方でその人物の度量が分かる。

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2005年5月 7日 (土)

ヤル気はどこからやってくる?

織田信長に仕えた木下藤吉郎は尾張・清洲城の石垣の修理を任された。彼が新任の工事奉行として現場に行くと工夫はヤル気なくこれまでの工事奉行は全員解雇を進言した。木下藤吉郎は工夫を集めて酒を振舞い工夫に言った。

「壊れた清洲城の石垣を早く修理しなければ、この国を攻めようと隣国の武将が考える。そして俺ばかりでなくおまえたちやおまえたちの家族も犠牲になるかもしれない。急いで工事をする訳を分かってくれ!」木下藤吉郎は現場を10箇所に区切って工夫を10組に分けてそれぞれ競わせた。いちばん早く工事を終えた組には報奨金を与えると約束した。

この逸話にはリーダーに必要なことが凝縮されている。スタッフに仕事で必要な意味(理念)を納得させる作業。仕事にヤル気を起させる報奨金の導入。明確な業務マニュアルを説明すること。現場の指揮権を現場スタッフに任せること。スタッフ同士に競争意識を起させること。そして何よりもスタッフにヤル気を起させる感動を与えてこのリーダーなら信頼して就いていこうと思わせること。

2005 05 07 [心と体] | 固定リンク

2005年5月 2日 (月)

人の生き死には避けて通れず

人はいつかは死んでしまいます。いつ死ぬかは誰にも分かりませんが、いつ死んでも悔いのないように日頃考えて行動していれば肉親の死さえ笑顔で送れます。僕は父の通夜と葬儀の間、多くの弔問客にお礼を述べ来て頂いた事に感謝し笑顔で対応していました。母も同じように笑顔で対応していました。お互いに清々しい気持ちで何の悲しみもありませんでした。

父も清々しい気持ちで死を自ら受け入れていました。生きている者は死んでいった者の命を受け継いでいます。元気に楽しく生きて墓参りをして清々しく生きている姿を見せてあげることが何よりの供養だと思います。笑顔で死者を弔ってあげることを望んだ父でした。僕と母もそうして父を弔ってあげました。

誰からも香典を頂かず、誰からも献花を受け取らず、質素でご近隣のご挨拶だけで葬儀も済ましました。「僕のことなどさっさと忘れて元気に生きてください。」それが死んでゆく者の最後の望みです。生きている者はその姿を見せなければ!

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2005年4月27日 (水)

父の遺産

父が残したものは、たくさんの楽しい思い出と30坪弱の土地と家屋、現金はなし、妻への遺族年金だけだった。生命保険はすべて満期になり返戻金は使い切った。父親らしい生き方だと感心した。「僕は自分の財産を妻と自分のためにしか使わない。おまえはこれから自分で稼いで生活してほしい。僕と妻はおまえには生涯迷惑をかけないようにする。」高校生のときに僕は父からそう言われて大阪に出てきた。

郵便局を退職してから町会議員を一期勤めただけで、その後はすることもないのに自分の机に深夜まで座っていた。「仕事がないと男は辛いな淋しいな。ついつい母さんに辛く当たってしまう。」退職して遊んでいるのも半年とは持たない。遊びは人々に深く感謝されることがない。父は生涯、人に感謝される生き方をしたかった。足を悪くしガンになり体調を崩してもその思いは変わることがなかった。

厳しい父からは幼い頃から1000発以上の拳骨をいただき、僕がどんなに借金返済で苦しんでいても金銭的な援助もいっさいなく仏壇の前で自分の決断を泣きながら決行した父だった。僕の20代は離婚、多額の借金、辞職、魚の行商と転落の人生を送っていたので町の人々から僕のことで悪く言われたであろうが、いっさい僕には当たることがなかった。「あんた、~さんの息子やろ!何で仕事を辞めて魚なんか売り歩いているんよ!」僕はよくそう言われた。町でも有名人の父は、「あんた、何で一人息子を助けてやらんのよ!」と言われていたに違いない。

僕が借金返済を完了して30代のんびりと何もしないで毎日海に行ってサーフィン三昧、遊んでばかりの生活をしていても何も言わなかった。38歳から予備校や進学塾を経営し始めてホッとしたであろうに、僕は45歳で予備校や進学塾をすべて譲渡して無職になった。46歳で「わかるとできる」という個人経営のパソコン教室を創めた。49歳で日本一と評価されるようになり50歳で僕の本を読んで初めて父から、「おまえは自慢の息子だよ。」と褒めてもらった。父の最大の遺産はこの僕だと思った。母はもう一度父と生涯を共にしても悔いがないと言う。

2005 04 27 [心と体] | 固定リンク

2005年4月25日 (月)

父 74歳にて永眠

2005年4月初旬、父親が僕を自宅に呼んで言った。「僕はもう駄目だ。遺書を書き残しているから持って行き、そのように後のことを執り行ってほしい。出来る限り休みにあわせて死んでいくつもりだ。孫たちには病弱な姿を見せたくないので見舞いに来させなくていい。治る見込みがないし心配させるので誰にも入院のことは言わないで欲しい。」僕は父親とお別れの日が来たことを悟った。

数日して父が近くの病院に行くという。病室に行くと今度退院するときは死んでいるから自分のものを処分して弔問客のために部屋を綺麗にしてくれ、それから雑草を切ってたくさんの車が来るから駐車スペースを作ってほしい入院したことを誰にも話さないでほしいと物言えぬ状態で紙に書いた。喉頭ガンの手術を5回行い末期の肺ガンを併発して手の施しようがない状態だった。

父親の物を処分し空き地の雑草を刈り取り数十台の車が駐車できるようにした。父の遺書をパソコンに入力し母に渡した。大きな葬儀会場を手配してお香典をいっさい受け取らない葬儀とした。すべてを悟った父は4月22日金曜日に死のうと思った。4月23日土曜日、お通夜、4月24日日曜日、お葬式とできる限り迷惑のかからない死に方だった。

遺書には、「みんなに迷惑をかけどうしの生涯だったがうれしかった。死んでしまった僕などさっさと忘れて健康で元気に生きて下さい ホナ、サイナラ ありがとう。」と書いてあった。

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2005年4月15日 (金)

あんたが伸びるんやで

叱っている奴が偉いんやないで
叱られている奴が偉いんやで

諭している奴が尊いいんやないで
諭されている奴が尊いいんやで

そうやって泣いているから
あんた伸びるんやで

2005 04 15 [心と体] | 固定リンク

みんな精一杯生きてるんだよ

誰だって必死に生きている
間違いもするし失敗もする
人を傷つけることもあるし傷つけられることもある

あ~やっちまったよ
どうするよ
馬鹿だなぁ
そんなことの繰り返し

落ち込んで駄目だなぁと思うとき
いたわってくれる人がいる
あんた気張って生きるんやでってさ

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2005年3月23日 (水)

見栄を張れば貧乏が出来なくなる

自己所有のマンションに住み高級国産車を自己所有して生活費に苦しみ相談されることがある。最初に車を売り払うか中古の軽自動車に乗り変えて、それでも足りなければマンションを売却して資産を現金化して借入金があれば返済できるところまで返済してそれから他人に相談されるがよかろうと思う。

しかし、相談する方は今の生活レベルを落とさないで生活できることを相談してくる。それならば収入を増やすように朝のバイトや深夜のバイトをするか、もっと収入のある職業に就くことをお勧めするがそれも嫌だという顔をされる。僕よりも良き車に乗り僕よりも贅沢な食事をして僕よりも高級な所に住み僕を頼るのはどうかと思う。

5年落ちの傷ついたステップワゴンに乗り100円野菜や特売品を買って食事を作りアウトレットのリュックひとつで数年前の背広と特売のYシャツを着ている僕よりもはるかに贅沢をしている人を見て助けたいと思わない。贅沢を覚えれば贅沢が当り前になり特権意識が見に染み付いてしまう。

2005 03 23 [心と体] | 固定リンク

2005年3月19日 (土)

カッコいい事は不細工なものさ

最初は大きな怒りや憎しみや苦しみであっても、失恋すれば人への思いやりをかけなければと反省する。倒産すれば仕事への取り組みを反省する。死別すれば生かされていると感じるようになる。

悔しさや悲しみ、憎しみや憎悪を感じた先は「ありがとう」しか見当たらない。命は限られたものだからこそ・・・。

2005 03 19 [心と体] | 固定リンク

2005年3月12日 (土)

子供は親の背中を見て育つ

子供は親の言葉で行動し判断していない。親の生き様を見て子供は行動し判断する。悩みながら苦しみながらも頑張って生きている姿を見て初めて子供は親のありがたさを知る。

たくさんの言葉をかけても親の行動に甘さがあれば子供は親を信用しなくなる。もっとも厳しい目をして子供は親を見てくれる。家に帰って子供が自分を見つめる目を見ればいい。

その目が親への評価そのもので、その目が反省材料で、その目がすべてを物語る。親は生き様を赤裸々に見せること。子供はそれを見て馬鹿にはしない。それを知って初めて生きることの大切さを知る。

2005 03 12 [心と体] | 固定リンク

2005年3月 7日 (月)

大きな舞台に立てばリスクもあるさ

人でも企業でも耐えて努力していれば大きな舞台に立たせてくれる。他人から見れば小さな舞台かもしれないが本人には大きな舞台。そこではさらに大きな我慢と努力を要求される。喜びもつかの間でさっそくそうした試練は現れる。

大きな試練に敢然と立ち向かい挑戦していくしかない。感情的にならないで試練に振り回されないでじっくりと試練を分析してどんな自分を創れば良いのかを考えていく。腐れば企業も人も小さくなり小さな舞台しか立てなくなり消滅していく。

2005 03 07 [心と体] | 固定リンク

2005年3月 2日 (水)

いつも変わるべきは自分

どんなに注意していてもいろいろな事が重なれば思わぬ失態を演じてしまう。他人から指摘されれば落ち込むが、いまだに未熟だと反省してやるしかない。いつも変わるべきは自分でしかない。

2005 03 02 [心と体] | 固定リンク

他人のせいにすれば腹が立つ

どんなことでも自分が気に入らないことを他人のせいにすると非常に腹が立つ。腹を立てられたほうは非難の対象になるので逃げてゆく。非難する側は逃げられるので余計に腹が立つ。そしてお互いに離れて暮らすようになる。

他人を責める人は思いやりに欠け、いかに相手を責めるかに集中する。怒りの感情を抑えきれなくてひたすら自己主張を繰り返すがすればするほど人は逃げてゆく。

仕事でも人付き合いでも家族でも恋人でも・・・。自分が気に入らないことがあれば他人のせいにする前に自分を反省してみることだ。それができる人は多くの人から慕われ、できない人は孤独になる。

誰だって他人の理想とする完璧な人はいない。自分の我慢の限界を超える恋人や夫婦、上司や同僚、家族や両親、・・・そういうあなたは相手の我慢の限界を超えていることに気が付いていますか?

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2005年2月15日 (火)

愛を食らって心は和む

町の教育委員会から我が町にとんでもない中学生が数人いる。彼らは学校を荒らしているので正直学校には来させたくない。しかし義務教育だから何とか中学の勉強を終わらせたい。ついては町の会館の一室をお貸しするので何とかこの中学生たちを教育して下さらないか?という依頼が入った。いったんはお断りをしたが実家にまで頼みに来た。

しかたがないので実家にその中学生を集めて下さいとお願いして会ってみた。想像以上に荒れている様子で僕は母にお願いしていっしょに食事をすることにした。その後僕は毎日彼らに食事を与えては世間話ばかりしていた。しばらくして彼らのひとりが聞いた。「先生、勉強教えてくれないのか?」どうせおまえも先生だろうとその目は言っていた。

「良い質問だね。あと2ヶ月もすれば高校入試だが今から勉強しても、合格できるほど君たちは勉強するとは思えないし、たとえ高校に進学してもまた同じように学校で暴れるだろうよ。それより仕事を覚えて働け!世間は学校よりもたくさんのことを教えてくれるしお前たちを受け入れてくれるよ。」おいらは先生じゃないが彼らを愛するおっさんだ。

僕は担当した2ヶ月間、彼らといっしょに食事をしたくさんの世間話をした。そして彼らに就職を世話してそれぞれ社会に出した。相変わらず学校では暴れて警察の御厄介にもなったりしたがそれでも僕は彼らと一緒に飯を食い世間話ばかりしていた。今彼らは30代になり結婚をし家庭を作っている。いまだに彼らは実家に来ては懐かしがる。「誰だって説教は御免だろうよ。欲しいのはたったひとりでも認めてくれる人なのさ。」

2005 02 15 [心と体] | 固定リンク

2005年2月 8日 (火)

おいらは教えないよ

志望校に合格させるには徹底的に志望校の入試問題を検証・分析・予想して的を絞り込んだ勉強が最も効率よく合格できます。そのために僕の予備校は個別学習の学生でいつもごった返した状態になり、教室から溢れ出て、いたることろで勉強する修練場と化してしまいます。徹夜・朝駆けなどは毎度のことで住み着く学生もたくさん出てきました。近隣の進学校より進学実績を出し進学高校の先生に学習の仕方を指導したことすらあります。

300日間人生の中でこれ以上勉強したことはないと言わせしめるほど徹底した戦略的学習の場が僕の予備校でした。しかし、僕は何一つ学生に教えることはしません。ただ、何が必要なことか何をヒントに考えればその問題を解けるようになるのかだけ教えますが解答は教えません。苦しみもがき悩み僕の質問攻めに会いやっと解答を見つけていくのです。「人生の解答は誰も教えてくれないものだ。自分で解答を見つけてこそ自分の人生だと言えるのじゃないか!おいらに甘えるな!」

どうしてその問題が解けないのか?僕は質問ばかりです。「その公式はどうして作られたんだ?」「どうしてその単語を動詞だと決め付けているんだ?」「意味のない前置詞はないんだよ!」「重力に加速度は関係していないのか?」「その物理の公式を微分してみろ!積分してみろ!」「アボガドロ数はいったい誰が数えたんだ?」「おいらに聞くな!調べるのはおまえさんだよ!」「覚えようとするな!なぜを大切にしろ!」いやはやたいへんな質問攻めをしていました。まったく何も知らない先生であいつは大馬鹿野郎だと言われても反論できない先生です。

仕事をしていても誰もあなたの仕事に責任を持ってはくれません。自分で先輩に聞いたりお客様に頭を下げたり調べたりすべきで、これが解答だと教えられるままに仕事をしているようでは一人前にはいつまでたってもなれません。あなたも僕もひとりの自立した人間なのです。自分の意思を持ち自分の信念や誇りすら持っている人格ある人間なのです。その人格を尊重すれば当然あなた自身が解答をだした仕事を責任をもってやり抜くべきなのです。それが人生でありリスクをもって挑戦するからこそ成長もでき楽しみもあるのです。

2005 02 08 [心と体] | 固定リンク

ある生徒の方へのご返事 「夫の浮気など鼻くそのように小さいわ!」

いつも自分を磨いて輝く自分を創っていけば世界が広がります。勉強、仕事、ボランティア、いろいろ家庭以外の世界を広げて挑戦者になることです。僕の会社に何人かの主婦の方がいらっしゃいますが皆さんとても魅力的です。仕事をすればかなりのストレスがあります。僕が社長ですから仕事のレベルが半端ではありません。日本一厳しいレベルで仕事をすることを求めます。僕の会社で働いたスタッフは末端のパートであっても、どの会社に行っても役員クラスの仕事はできるようになっています。それほど僕は働く人への要求は厳しいです。そうした厳しい世界で働いていると自分が磨かれてとっても魅力的になっていきます。僕は日本一の会社を目指していますから仕事も全員日本一の仕事をしなければ当然出来ないでしょ。

お子様がいても、資格を取って仕事に挑戦してみることです。それも仕事を覚えて社長よりも出来る社員になってより良き待遇を勝ち取るか、かなわなければ独立や転職するぐらいの気合の入った仕事の仕方に挑戦することです。子供は離婚で傷つきません。愛されることが無くなれば傷つき、ぐれたりすねたりするのです。親が努力している姿を見て、ぐれるほど子供は阿呆ではありません。気合の入った生き方を自分の親がしてくれている姿を見て子供はまっとうに成長するものです。僕の会社に親子で働いて下さっている社員がいますが、母ちゃんの働く姿を見て子供は圧倒され尊敬し働いています。パート採用の母ちゃんにそれこそ無茶苦茶な目標を与えて泣き事をいっさい聞かない社長ですが今ではそのパートは我が社のなくてはならない監査役です。

登りつめればイバラの道も楽しい思い出になります。結婚生活も波風を立てるよりも平穏無事で守ってやろうと思えるようになります。自分に厳しく絶え間ない挑戦者であれば他人にやさしくなるのです。あなたは僕の生徒です。日本一の教室で学んでいる生徒です。生徒は先生を乗り越えてさらに大きな世界に飛躍できるのです。たったひとりの男の浮気など鼻糞のように思えるほど大きな世界に飛び込みなさい。あなたがそうした大きな人間になれば見える世界が今とはまったく違うものです。ひとりの人間として自立した生き方に挑戦してください。

2005 02 08 [心と体] | 固定リンク

破れた障子からやっと外の世界が見える

予備校では頻繁に模試をする。分かっていることと分からないことを正確に知るためであり,分からないことこそその生徒にとって学習すべき項目なのだ。ところが成績だけ見て一喜一憂している生徒が多い。馬鹿な講師は一緒になって一喜一憂している。「よかったな!良い成績だぞ。」「どうしたんだ!こんな成績じゃ志望校に行けないぞ!」こうした励ましはすべて間違っている。

良い成績をとってしまうということはその生徒の重点学習項目を把握できなったということだし、悪い点数の生徒は学習項目がたくさん見つかって良かったという判断をすべきなのだ。これが高校と予備校の大きな違いだ。生徒も先生も最終目標を忘れてその場その場の成績に振り回される。しかも悪い点数の模試をさっさと忘れて闇雲に勉強しだすがこんな効率の悪い学習をさせてはいけない。

父兄面談ではご父兄がお子様を叱ったりしているがこれも大間違いで悪い点数を取らせていただいたことに感謝すべきだ。ミスを責める上司と同じでミスから学習すべき改善点が明確になったのだ。父兄はお子様を励ましてともに弱点補強に努めるべきだし、上司は改善点を早期に分析・修正→報告すべきだ。ミスに振り回されて狼狽している姿ほど馬鹿馬鹿しいものはない。

仕事のミスを責めるよりも原因を究明し再発しないよう学習することで企業も人も成長できる。闇雲に仕事をしているなら自分の仕事をしっかり把握して目標をキチンと定める作業をしなければならない。挑戦→失敗→学習→挑戦 を繰り返して失敗を少なくしていく作業が大切で失敗がなければ良い仕事はできない。叱られることを恐れたり、ミスをすることを恐れたり、そんな生き方のどこが楽しいのですか?

お客様のクレームやアンケート、いろいろなアイデアや企画、・・・ミスを恐れないで挑戦できるとすれば、やるべき事は山ほどある。顧客台帳を見ていてもこれまでとはまったく違った発想が湧いてくる。隠そうとしていたことがカイゼンの源泉であり皆に早期に知らせることになる。逃げていたことがカイゼンすべき最優先事項になり知恵を出し合って改善策を練り上げて挑戦してみる。それこそが仕事の楽しみであり企業業績のアップに繋がる。

2005 02 08 [心と体] | 固定リンク

苦あれば楽あり

予備校の経営では先生の雇用が必要です。英語、数学、現代文などの先生は確保しやすいのですが、化学、物理、古文、日本史、地理などの先生の確保は難しい。そこで何人かの先生に専門教科以外の担当を相談しますが大学入試となるとみんな引いてしまいます。生徒は150人ほどいますから経営者の僕にお鉢が回ってきます。やろうと決めるとだいたい3ヶ月で一教科を教えられるようになります。化学、物理などの入試問題の指導ができるようになると後の教科は楽なものです。

職員会議で僕は先生方に言います。「君たちは僕よりも若いのにすでに自分の専門以外は挑戦しようともしない。僕は単純な経営者だが今や君たちよりも英語や数学ですらできるようになった。なんとお粗末な知識で君たちは生徒に向かって仕事をしているのだろう。もっといろいろ挑戦して専門知識以外の教養を蓄えてください。その姿勢を生徒に見せてこそ先生でしょう。」しかし、ほとんどの先生はすでに自分で壁を作って現状に満足しています。

仕事でも現状に満足して新たな挑戦に立ち向かおうとしない従業員の方や経営者によくお会いします。簿記のできない経営者や仕事の内容を理論付けて説明できない従業員。できない理由は山ほど伺いますが、挑戦しようとする姿勢は微塵もありません。これでは成長はありませんし楽しさも人一倍の苦労もありません。壁を自ら作って生きるより壁に向かって果敢に挑戦すれば人一倍しんどい思いをしますが乗り越えれば人一倍達成感を得ますしできる世界が広がります。

行商なんかできない!営業なんかできない!入試問題なんか教えられない!返済なんかできない!馬鹿にされるから逃げよう!恥ずかしいからできない!こんな機械は操作できない!自主申告なんかできない!自分で会社なんか作れない!事業計画なんか作れない!今までこうした僕自身の壁を乗り越えてきました。気がつけば誰よりもいろいろなことができる自分がいました。自分で生きる世界を小さくして愚痴っている生活をしていればいつまでたっても幸福の絶頂感を感じることはありません。「苦あれば楽あり」最初に苦に挑戦しなきゃ!

2005 02 08 [心と体] | 固定リンク

2005年2月 6日 (日)

実力3割、気合7割

大学進学では志望校が決まれば到達すべきレベルが決まっているのであとはその目標に向かって驀進するだけです。しかし、学生はできる限り遊びたいし怠けたいものです。講師がどんなに指導しても受身になって勉強している生徒の成績は伸びてはきません。むしろ成績は下がってきます。

仕事でも同じことで、受身になって仕事をこなしているといつまでたっても上達しませんし愚痴や不満を一生懸命になって探している自分を見てしまいます。パートだから、主婦だから、学歴がないから、年だから・・・(予備校では、どうせアホだから、やっても無駄だから、親が馬鹿だから・・・)どうです似通っていると思いませんか。

環境のせいにしないで積極的に置かれている環境を自分自身で変えていこうとする生き方を選択し始めたとたんに学生であれば成績は伸びてきますし、仕事では仕事に関する提案や報告の仕方が変わってきます。同じテキスト同じ先生同じ講義ですがまったっく受け手の心が変わるだけで違ってきます。

僕は学生たちに言いました。「実力3割、気合7割」講義の最中に借金返済に追われた時の魚の行商体験や焼きそば屋の体験を話してあげました。「駄目だと思ったときが本当に駄目なときさ。まだ俺は負けへんでぇ!と思ったら世の中何とかなるもんさ。大切なことはどんなに踏み潰されてもシバカレても立ち上がっていく気合よ。分かったら自分の未来をお前たちの手で創ってごらん。」

仕事でも同じです。どんなに厳しい環境であっても自分がこの環境を変えてやると思って一介の平社員でもパートでも立ち上がって積極的に仕事をすればいつか必ずその仕事で全幅の信頼を勝ち得るようになります。僕の会社の役員はすべて元パートか派遣社員です。「仕事での信頼はあなたが創ってください。僕はあなたの創ってくださった信頼と業績に応じて給与を払っていきますから。」その気になったパートが専務や監査役になり派遣社員が常務になったのです。

2005 02 06 [心と体] | 固定リンク

2005年2月 3日 (木)

馬の耳に念仏

あいつは大嫌いであいつをギャフンと言わせたい!そう思って一生懸命になって努力している人がいる。しかし嫌いな人物に何かを認めさせようと努力するほど嫌いな人はよけいに陰湿な行動をとるものだ。

もっと大きな目標を持ったほうがはるかにのんびりとしかも楽しく暮らすことが出来る。世界は広いし可能性はたくさん転がっている。自分の力をもっと大きな目標にむければ嫌いな人物の器が見えてしまう。

な~んだ、あいつもビクビクしながら生きてるんだと思えるようになる。そんな人を憎んだり怒ったり呪ったりしている自分がこっけいでいかにも阿呆だと思えて笑ってしまう。「あっはっは」そんな笑いをあなたは持てる。

片意地張らないでその憎しみを別の目標に向けてみよう。愛する人に素敵な料理を作ってみよう!資格に挑戦してみよう!転職や独立を考えてみるか!離婚だって選べるさ!自分にとっては大きな目標でしょ!

2005 02 03 [心と体] | 固定リンク

2005年1月31日 (月)

若い営業マン

日曜日、家にいると若い営業の方が来た。関西電力の子会社で働いており、しっかりとした話し方や誠実な態度、商品知識の確かさに驚いた。光回線の勧誘だったが彼の説明が気に入って加入することにした。契約書にサインする前に僕の名刺をいただきたいというのでお渡しした。

とたんに彼の態度が一変して直立不動のようになってしまった。3年後の独立を自分の目標に今の仕事に打ち込んでいるということ、父が沖縄から出てきて苦労して自分を育ててくれたことや、口べたなので自社・他社の商品知識をしっかりと比較できるようにしていることなどを話してくれた。

僕は3年間の間に勉強すべきパソコン知識、簿記会計、会社設立知識、税務知識、労務知識、ビジネスモデルの構築方法など必要なことを教えてあげた。「BUNちゃん先生のような方から直接アドバイスしていただき感激です。必ず3年後独立してみせます。」彼はそう言って帰っていった。

「君が未来を創るんだ!」僕は彼に心の中でエールを送ってあげた。

2005 01 31 [心と体] | 固定リンク

2005年1月29日 (土)

君が未来を創るんだ!

77歳になってMicrosoft Office Specialist 試験にチャレンジし見事合格された方が「わかるとできる」箕面駅前教室にいらっしゃいます。この方の半分にも満たない若者ですら泣き言をもらし、出来ない理由を必死になって探しているのに、この方は愚直に前向きに一歩一歩確実に歩まれて教室スタッフに心から感謝して合格しました。

教室スタッフはこの方からたくさんの勇気と元気を頂いていますと僕に報告してくれます。この方が自分の未来を創っている姿にふれ、多くの方が自分も自分の未来を創るんだと思って、日々目の前にある些細なことにも挑戦すればきっと自然に笑顔が溢れてくる。

箕面駅駅前で「わかるとできる」のスタッフに会えば、彼女たちもまた自分の未来を創っているのだと思ってください。たった一人の77歳の方の挑戦が日本中の人に勇気と元気を与えることができる。いつまでたっても挑戦ですね。あなたも今、あなたの未来をあなた自身で創っている。

2005 01 29 [心と体] | 固定リンク

2005年1月28日 (金)

会話がなければ肩でも揉むか!

人間関係で大切なことは心が通じ合っているということ。対話が大切だよって言ってはいても話すことすらない夫婦、恋人どうしなら肩を揉んであげれば次第に心が通じ合ってくる。お互いに大切な人だと思っていることを言葉でしか表現できないことはない。

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2005年1月26日 (水)

敗北から立ち上がれ!

一生懸命になって生きている人ほど多くの失敗、多くの敗北を経験するものだ。多くのミスや敗北から何を学んで次の挑戦に活かせるかはとっても大切で次の挑戦をする前に腐ったり拗ねたり誰かのせいにしたり愚痴ったりすればせっかくのミスや敗北が活かせなくなる。

収益の出せないビジネスマンは自分がどれほど自分に厳しく取り組んできたか自問自答すればいい。素直になって考えればまだまだ自分にできることや小さな甘えがあったことに気がつく。感情的になっていた自分を反省できて初めて見つめることのできるものこそ、その人にとって大切なものだ。

昨日ひとりの幹部社員が辞表を提出してきたので受理した。「自分のミスで多くの方にご迷惑をかけました。業務に一区切りがつき、自分の成長を考えると、ここで社長に甘えることは良くないと思いました。」泣きながら申し訳ありませんでしたと謝罪する幹部社員に初めて成長の種に芽が出てきたことを感じました。

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2005年1月17日 (月)

器量がなくては許せない

他人のあら捜しをする人は自分の至らなさや相手への思いやりに欠けている自分に気がついていない。我慢の度合いが低くなって注意をすることが相手のためになっていると勘違いしてしまう。

苦労をしなくなったり誰も注意してくれる人がいなくなったり人付き合いが下手になると、こうした傾向が現れてくる。指摘された方は素直に反省するような指摘ではないので反発や憎しみに変わる。

感情的にならず日を改めて反省するように仕向けてやろうとすればクレーマーのように感情のままに指摘はしない。人間関係に完璧などというものはない。日々対話し相互理解して我慢できる限界を拡げるかでもある。

僕は感情的に指摘されることがよくあるが、先に相手がそうした感情的な行動をとる原因をいたわるようにしている。思いやりと謙虚な対話はあいての心を解きほぐし相互理解へと導いてくれる。

クレーマーの中には相互理解が得られないほど心を閉ざしている人にも出会う。その場合はその方とは疎遠になるように心がける。いつか分かり合える日が来るかもしれないが距離をおいておく方がお互いにとって良いと思う。

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2005年1月12日 (水)

愚痴を言うより高みに昇れ!

仕事に対する愚痴のほとんどは業務内容ではなく上司や同僚との人間関係に嫌気がさして愚痴になる。では仕事に対する不満はあるのかと聞けば不満はないというが仕事に打ち込んでいる姿はない。

同じ環境でも将来独立を考えて仕事の内容をしっかりと覚えようとしている社員は人間関係はどうでもよくてひたすら仕事に打ち込んで独立のチャンスをうかがっている。クレームや上司の軋轢すら勉強のネタにしている。

自分を成長させようとすれば些細な人間関係に振り回されるよりも無視して仕事に打ち込んで取引先やお客様からしっかりと信頼される人になろうと努力する。その道のエクスパートになってやろうとひたすら努力してみる。

愚痴や不満や人の好き嫌いは自分を腐らせて逝く。仕事に打ち込み仕事でエキスパートになろうと努力する者こそが人間関係の愚痴を乗り越えて真の仕事の喜びを知る。

愚痴や不満の中で生きている人は幸福になることはない。幸福を感じるには愚痴や不満を突き抜けるエネルギーを置かれている環境で自身出さなければならない。

野球界の頂点に立つイチロー選手でさえ、最初は熾烈なバッシングを日本でもアメリカでも受けた。その不満を野球という仕事に打ち込んでエキスパートになったからこそ人は彼を認めた。誰も最初から賞賛されてはいない。

2005 01 12 [心と体] | 固定リンク

2005年1月 1日 (土)

敵前逃亡は銃殺刑

僕が高校生のときベトナム戦争の脱走兵を日本人がかくまっていた。ベトナム戦争の脱走兵が人に向かって銃を撃つことができず空に向かって銃を撃っていたと聞いたとき、どんな理由があろうとも人同士が大量に殺しあう戦争という行為を僕は憎むようになった。幼い頃近所の人から聞いた日本軍の脱走兵をかくまって非国民と言われた人の話を聞いたのを思い出した。

恋人を残して戦地に赴き初対面の者同士が殺し合いおたがいの命を奪い取り、ただ殺されたくない思いから必死になって殺しあう。そんな戦争に何の意味も見い出せなくなった日本軍人が脱走した。彼が目指したのはふるさと日本の我が家、あたたかい我が家の温もり、お母さんのおいしい白ご飯、そして愛する人との再会、そんな単純な彼の思いは通じることなく日本軍に捕まり銃殺された。内地の家族は息子が脱走したことを咎められ非国民と罵られた。

みずから志願することもなく、国家に命令され、今までの平穏な仕事を取り上げられて闇雲に戦争に駆り出され、いきなり殺し合いをすれば誰だって死にたくはないから必死に殺しあう。しかし、それが国家の偉い人の考えで自分の考えでもなければ愛する家族の考えでもないと知ったとき、互いに殺しあう虚しさから逃れてもう一度愛する平穏な暮らしに戻りたいと考えることが死に値する非国民と罵られる行為なのだろうか。

人類の歴史は殺戮の歴史と言ってもいいほど多くの戦争を繰り返してきている。それぞれに言い分があり人々は会った事もない人を憎しむ。憎しみが増幅されて戦争が当然と思えるようになる。しかし、戦争とは愛する人と別れた者同士の殺し合いでしかない。殺し合いの現場ではに大義名分はいらない。ただ死にたくないという思いがあるだけだ。大義名分を必要とする戦争を煽る人は決して最前線に立つことはない。

利権争い、国家間の憎しみ、宗教の対立、人種の違い、文化の相違、国家リーダーの先導、・・・、人類はこれまでそうした争いの渦中にあった。今将来を夢見る子供たちにそしてこれから生まれてくる子供たちに僕たち大人は戦争の火種を幼い心に植えつけるのだろうか、それとも争いの火種に対話と信頼と博愛を持って終止符を打つように行動するのだろうか。地球史上もっとも殺戮を好む生物として存在する人類に平和をもたらしてみようではありませんか。

2005 01 01 [心と体] | 固定リンク

2004年12月30日 (木)

自分の物差しなど捨てればいい

自分の物差しでいろいろな出来事に遭遇すると感情的になります。ほとんどが自分の考えや予想したことと違っているから感情的になり怒り、悲しみ、憎しみ、焦燥感、不安などを感じます。しかし、思いやりの物差しを持っている人は同じ出来事でも反応が違ってきます。最初に自分を反省してみようとするからです。こうしたことの出来る人は多くの人に愛され多くの人から支えられて生きてゆくことができます。自分の物差しでしか生きていない人は感情的ですので近くの人がどんどん離れていきいつまでも孤独な人です。

2004 12 30 [心と体] | 固定リンク

2004年12月27日 (月)

愛情は伝播する

いつもたくさんの生徒の方から感謝のメールをいただきます。ここに紹介するメールもそんなひとつです。「わかるとできる」のほとんどの教室に当てはまる感謝のメールです。

Bunちゃん先生こんにちは。
パルロード赤羽校で勉強中の・・・・です。10月まではロビンソン札幌校の生徒でした。今日はこのロビンソン札幌校についてお話したいことがあります。

とても不思議なことですが、ロビンソン札幌校の教室にはBunちゃん先生が存在しています!どこにだと思われますか?

とてもきれいな教室です。壁には生徒の作品が丁寧に貼られています。まるで先生方の生徒への思いが伝わってくるようです。季節に合ったセンスの良い飾り付けや、折紙で作ったかわいらしい花が私の心をくすぐります。パソコン周辺は、ほこりがつきやすいはずなのにいつもきれいです。先生方は授業中、大きな物音をたてないよう、話し声にさえ気を遣っていらっしゃいます。先生に助けてほしいと思った瞬間、すでに真横に来てくださっていることがありました。指導は懇切丁寧。一方的に説明するのではなく、常に私の頭と手を使わせてくださいます。いつも笑顔で、心のこもったやさしい言葉で話しかけてくださいます。帰り際に「またお待ちしております!」と深々と頭を下げ見送ってくださいます。

特に印象的なのは、私がMOS検定を受ける前後の出来事です。試験前日、弱気な私に庄中先生は、Bunちゃん先生のサイン色紙を手渡し、勇気づけてくださいました。真心で話してくださるその言葉に強い愛情を感じました。会っていない時にも、私のために何かをしてくださっている方々の存在に気付かされ、私の心が大きく変化した日です。そして試験の2日後に教室へ行くと、結果を心待ちにしている平野先生と庄中先生が迎えてくださいました。期待と不安が入り混じった表情に、「ああ、ずっと心配してくれていたんだな」と実感し、胸がいっぱいになりました。本人以上に合格を喜んでくださる先生方・・・。合格できたのは私ひとりの力ではありません。

最後の日に手紙をいただきました。平野先生は、授業中の私の後姿を見て「私も頑張らなくちゃと励まされる」のだそうです。私の存在そのものを喜んでいるかのような言動をよくなさるので、何度も泣かされました。岡部先生は、私がアメをいただいた際に言ったありがとうのひとことに、「とってもうれしい」と感じたそうです。私は特別なことは何ひとつしていないし、当たり前のことを言っただけ。励まされていたのは私のほうなのです。おふたりの使う言葉は愛情深く、人を生かす力のあるものです。そして就任されたばかりの上杉先生も、とびきりの笑顔で私の心を和ませてくださいました。やさしい気配りのできる方です。

先日、大変お世話になった感謝の気持ちを込めてメールを送りました。その後すぐに届いた返事は、最大級の愛情と、夢と希望がたっぷりと詰まっているものでした。私は今後、この方々とお付き合いさせていただくにあたって、それにふさわしい人間になろうと決めています。遠く離れてもなお私の心を強く支えてくださる先生方に恩返しがしたい。この縁を大切にしたい。4人ともすばらしい「本物の先生」です。心から尊敬しています。そして私達を結びつけてくださったBunちゃん先生もです。いつも頼もしくて強い力で私を上へ上へと引っ張り上げていってくださいます。大好きです!これからもどうぞよろしくお願いします。


さて、もうお気付きだと思いますが、私がBunちゃん先生の存在を感じたのは、4人の先生の心の中にです。Bunちゃん先生は「愛情は伝わっていくものだ」とおっしゃいました。先生の愛情がロビンソン札幌校の先生方を包み込み、そして今、私の心が5人分の愛情で満ち溢れています。とっても幸せです・・・。こんな私の心を含め、6人分の愛情をBunちゃん先生に贈ります。「ありがとう」という感謝の気持ちを込めて。読んでくださってありがとうございました。

2004 12 27 [心と体] | 固定リンク

2004年12月25日 (土)

長生きの秘訣はいつまでも働くこと

幾つになっても働いている人、趣味の仲間がたくさんいて暇な時間がない人、そうした人はいつまでも若く健康です。若い人といっしょになって働いている姿を見るとお互いに励ましあって悩みいっしょに努力する姿に感動します。

高齢者を年金暮らしで保護することを話し合うよりも、高齢者に仕事を与える職場創りをしていただく方が現実的です。年金があるので高収入を期待してはいません。出世も望んではいません。多くの人といっしょになって働き多くの人から期待されたいだけなのです。

僕は自分よりもご高齢の方を雇いますし、ご高齢の方といっしょに仕事をするのが大好きです。仕事のことで真剣に悩み苦しみ一生懸命になって働き涙する姿を見るのが大好きです。いつまでもそうして人にもまれて生きていることが大切なように思います。

2004 12 25 [心と体] | 固定リンク

2004年12月17日 (金)

パパの笑顔

娘の美海(みなみ)が妻に言った。「パパの笑顔を思い出せないの。」
妻は心配して娘に聞いた。「どうしてなの?」
「だって、いつもパパは笑っているから・・・。」

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2004年12月15日 (水)

我慢してあげなよ!

「子供が言うことを聞かない。最近言葉使いも悪くなった。あつかい辛いから何とか言ってよ。」妻が頭を抱えて相談に来た。僕は正座をして言った。

「中学1年生の息子はね、学校や学習塾でストレスがいっぱい溜まっているのさ。そのストレスのはけ口が母親や妹になっているのさ。我慢してあげなよ、でなきゃあれは潰れるぜ。」

今の子供は精一杯周りに気を使いながら生きているように思える。たかだか11歳ほどで気苦労を体験している。しっかり愛情を持って受けてやれば立ち直りも早い。

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2004年12月14日 (火)

権力の魔性

自分の命令に従う者がたったひとりでもできれば、その人はすでに権力者になっている。従わざるをえない人の数が多いか少ないかだけの違いだけでしかない。

権力を持つようになれば自分の言葉に従う者への責任が伴う。しかし、権力者は従う者への慇懃無礼で陰湿な行為を繰り返すようになりご満悦の境地に至る。

自己の特権を当然のごとく行使して従者との差別化を徹底的に行うようになる。最後には従者を死に至らしめる行為も平然として行えるようになる。

家族のため、企業のため、国家のため、そうした大義名分に覆われて従者は一命を失う。権力者は自分の一挙手一投足が従者の命を預かっていることを肝に銘じておくことだ。

いかなる生命もその尊厳に感謝し慈しまなければならない。権力者が傲慢になったとき、すでに権力者の尊厳は失われている。

2004 12 14 [心と体] | 固定リンク

2004年12月13日 (月)

誰を救う?

企業業績が悪化したときに経営トップは支店や工場など本社以外の機能を削減するリストラ案を出してくるが、まっさきにリストラすべきは将来の予測を誤った経営トップと本社機能の削減でその上で支店や工場の削減をすべきだが、本社は据え置き支社はリストラでは労働意欲はなくなるばかりか、益々赤字を垂れ流す不良経営がまかり通る。

いかなる企業もその最前線で必死になって働いている従業員を業績悪化の原因として切り捨てては企業の将来はない。問題解決のために将来予測を修正して現状をどのように変革すれば収益の出せる企業として生まれ変わることができるのかを真剣に考えて行動すべきでその為の努力を惜しめないのであればその企業はすでに死んでいる。

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2004年12月 8日 (水)

知識

知識は武器ですのでそれを使って人を生かすことも殺すこともできます。大きな武器を手に入れたならば、それを人のために利用しようとする大きな志が必要です。 知識は知恵をともなって初めて利用価値が出てきます。

現実はいつも目の前にあるのに人は現実を素直に見てはいない。現実から多くを学びたる者が現実を初めて変える事ができる。

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2004年12月 7日 (火)

離婚された方へのお返事

結婚もいつかは別れてしまいます。それが離婚なのか死亡なのかの違いがあるだけです。僕はたくさんの辛い別れを経験してきました。結局、どんなに信頼してどんなに素敵な人に出会っても最後はひとりで生きていくか死んでいくしかないのだと思っています。だからこそ別れるその日まで、今このひと時を大切な人と大切に過ごそうと思うのです。

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自分が強くなければ人は助けてはくれない

感情的になっているときには相談しているのか、愚痴を言っているのか分からないときが多々ある。過去の因縁にこだわったり、過去の出来事を詳細に話しては泣き出したりするが、だからこれから何がしたいのかは何も言ってくれないし将来のことを考えてもいない。

結局、感情のはけ口になっているだけで時間だけが過ぎてしまっている。感情をぶつけている本人はストレスが発散できてだんだん落ち着いてくるが、話を聞いている人は時間の無駄だと思い、その人から距離を置こうと決意している。こうして孤独な人生が出来上がる。感情的になっているときには、それをしっかりと分析して避けられないなら受け入れてから相談することだ。

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2004年12月 1日 (水)

笑顔とやさしい言葉の魔法

笑顔とやさしい言葉の魔法を毎日かけていますか?魔法が切れれば不幸がやってきます。魔法が切れないようにするには簡単です。笑顔で、「ありがとう」と言い続ければ良い。

2004 12 01 [心と体] | 固定リンク

人が西向きゃ、おいらは東

土地を買えば良いと誰もが言っているときには土地は売り時。今頃誰があの分野で仕事をすると言っている時にはその分野は挑戦時。ビジネスではこれは基本中の基本。本屋に行って話題の本を見て、その反対のことを考えればうまく行く。

商品のマネジメントは中央一括仕入れで商品調達コストを下げる。などといった欧米のマネジメント理論が流行っていたが、その反対に現場調達現地販売=地産地消 を基本としたスーパーが地域一番店になり大手スーパーを業績悪化に追いやり駆逐している。

お客様の集客はチラシに懲りなさいといったチラシのコンサルや解説本、あまつさえ印刷業者までたくさん出てきている。しかし、彼らに聞けば良い。あなたのチラシでいくらの業績改善と売上アップが見込めてその結果収益はどれほど良くなるのですか?チラシ経費が相手の売上になるからこそ懸命にアピールしているに他ならない。

利殖マンションがそれほど良いのなら、どうしてあなたが率先して購入しないのですか?と聞けば良い。誰もが調子に乗っているときにはその最中の儲け体験記が本になるのでついつい乗せられてしまう。

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2004年11月25日 (木)

知識と知恵

日本最大のスーパーでお買い物、商品券を出して清算しようとした。レジの方が言った。「商品券ではお買い物ができません。」僕はビックリして聞いた。「えっ!でもこれはこのスーパーの商品券だよ?」レジの方はたくさんの人が待っているので早くしてくれと言わんばかりに言った。「上司からそのように伺っています。お札を出して下さい。文句があるなら上司に言って下さい。」こうした状況の中であなたならどう反応するだろうか?

僕は言った。「すみません、これで清算お願いします。」といって現金をレジの方に差し出した。もちろんその方と押し問答もしないし上司の方に説明を求めたりもしない。僕が思ったのはレジを待っていらっしゃる方に迷惑をおかけしないようにしようと思ったのと、日本最大のスーパーとはいえ儲かっていないんだなと推測できた。たくさんの赤字店舗を抱えて日本中を飛び回っているこのスーパーの社長の焦りを感じてしまった。

家に帰って調べると予想したような決算書だった。こうした知識ととっさの知恵が働けば不要な怒りはなくなる。感情に振り回されるまえに思いをめぐらしてみることだ。

2004 11 25 [心と体] | 固定リンク

2004年11月11日 (木)

長野上田での講演会

bun/nagabo
長野上田市での講演会の写真です

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2004年11月 4日 (木)

笑顔の魔法

笑顔でいる人には必ず笑顔で人は接するようになる。どんな環境にあろうとも笑顔を忘れない生き方はその環境を変えてゆく力をその人に与えてくれる。

笑顔の人を見て笑顔を分けていただき、幸せな気分に浸る。「アー、今日は素敵な人に出会ったな。」そう思わせる力を笑顔は持っている。

言うことを聞かない子供、社員、家族、恋人、友人、・・・きっと笑顔の魔法が切れている。言うことを聞いてくれたときは充分笑顔の魔法をかけていたでしょ。

2004 11 04 [心と体] | 固定リンク

2004年11月 1日 (月)

大きなものを見ていたい

社長を守ろうとして働く、会社を守ろうとして働く、お客様を守ろうとして働く、すべての人に受け入れられるように働く、それぞれに働く意味がある。

かつて日本の若者は、幕府のために命をはったり、天皇ためにいのちをはったりして、お互いに殺しあった。しかし、日本で暮らす人々のために命をはってやろうとしたたった一人の浮浪者もいる。

大きなものを見て命をはる生き方に僕たちは感動しいつまでも人々の中に行き続ける。小さなものに命をはって生きるより大きな目標を持って命をはっていたい。

2004 11 01 [心と体] | 固定リンク

ShouldよりLet’s

妻は子供たちが言うことを聞いてくれないと話してくれた。僕は妻に誰でも自分の行動を見て自分の行動を修正するものだと教えてあげた。他人の行動を修正するにはまず自分の行動を修正しなければならないんだよと教えてあげた。

「・・・しなさい。」というよりも、「いっしょに・・・してみよう!」その時間を自分が用意していしょになって挑戦してあげる。自主性を重んじて管理は最小にする。LET’Sはいろんな良いことがあるものさ。

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最後の新米

専務の父ちゃんが死ぬ前に田植えした最後の新米を頂いた。一口入れて、ほわっとした食感とともに、専務の父ちゃんが言った。

「どうや、旨いやろ。しっかり、食べてワシの分まで元気に働いてや。ほな、さいなら!」僕はにっこり笑って頂いた。

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2004年10月29日 (金)

和歌山賢人は紀ノ川を渡る

和歌山は人口100万人ですがほとんどは海岸線沿いのわずかな平野部に住んでいる。平野がないので山間を切り開いて少しばかりの畑を耕して生活している。当然、長男以外は生活させるだけの食料はない。昔から次男坊以下は地元を離れて生活の糧を求めてきた。

紀ノ国屋文左衛門、松下幸之助、・・・みんな紀ノ川を渡って生活の糧を探しに行った。ブラジル、カナダ、アメリカ、中南米、などにも多く出て行った。僕のおじは山間部の水害での鉄砲水で死亡した。奥様の嫁入り荷物を取りにいって奥様の目の前で家ごと流されていった。すべてを失くして僕たちの家族は海岸沿いに移住した。

和歌山で何か事を起こそうとすれば、和歌山ではできない。そのほとんどは紀ノ川を渡って大阪や東京や海外に出て行った。醤油、味噌、みかん、うめ、備長炭、からナショナル、ヤマハ、など・・・。「事を成そうとするならば、事を成せるところに行け!」これは和歌山賢人の不文律である。

2004 10 29 [心と体] | 固定リンク