2009年7月26日 (日)

2009年7月5日(日曜日) 教え子の結婚式

「わかるとできる」は誰もが嬉々として生きる「夢」と「希望」を与える学び舎として創立10年を迎えました。日本一のパソコン教室という評価を得るようになりました。僕の講義を受け、人生のどん底から這い上がったひとりの教え子から結婚式の招待状が来ました。とてもうれしく式場で彼を見るなり僕は感動して泣きだしそうになりました。

かつて送ってくれた彼からのお手紙を紹介します。

2008年4月13日 (日)のブログより

わかるとできるテーマソング・エピソード たかなしさとし物語 

僕は現在、東京・赤坂にあるポストプロダクション(映像編集・MAを行う会社)に勤めています。僕が今の会社に就職できたのは、BUNちゃん先生のお陰に他なりません。ここに辿り着くまでには、様々な経緯がありました。今回は、そのことについてお話したいと思います。

1984年・僕は、祖父・祖母・両親・親戚の多数が“薬剤師の資格を持つ”という薬剤師家系の長男として誕生しました。そんな僕は当然の如く薬剤師になるよう育てられ、小学時代の文集には「夢は薬剤師になること」と必ず書いていたことを覚えています。

しかし、中学三年生の秋、その夢は何処かへ行ってしまうことに…。体育祭の出し物であるダンスに夢中になり、その魅力にとりつかれてしまったのです。 まぁ、ダンスに夢中になったきっかけは、転校してきた女の子を振り向かせたいという邪な気持ちだったのですが…。その女の子にはもちろん振られました(笑)

これを機に、ダンスを本格的に習いたいという想いが芽生え、地元・仙台でスクールに通い始めることになります。と言っても、このスクールはダンス専門ではなく、平たく言うと“タレント養成スクール”のようなところで、ダンスを習うには、歌と芝居も共に学ばなくてはならないカリキュラムになっていました。それまでカラオケすら行ったことがなかった僕にとって“歌”というものなどは未知の世界。半ば嫌々トレーニングを続けていたのですが、スクール長の「君はいい声を持っている」という一言で、歌にも真剣に取り組んでみようという意欲が湧いてきました。

それからは、ひたすら歌とダンスに明け暮れる日々・・・そして、いつからか“本格的に習いたい”という気持ちは“プロを目指したい”という気持ちに変わっていきました。以後、タレント養成兼、タレント事務所でもあるこのスクールに、一アーティストとして所属、DoCoMo主催のイベント出演や仙台ホテルでのディナーショー、ZeppSendaiでのワンマンライヴ、ラジオパーソナリティーやテレビ出演、インディーズでのCD発売など、数えきれないほどの経験を積み重ねました。

その後、“僕の目指す道はこれしかない”と言わんばかりに、音楽専門学校への進学を決意。一アーティストとして活動を続ける傍ら、そこではソングライターとしての知識を得ようと、コンピューターを使っての作曲技術を学びました。主に学んだソフトはプロツールス。ここでの経験が現在の僕の職に就く原点となります。

さて、無事音楽専門学校を卒業し、いよいよプロのシンガーソングライターとして本格的に活動を開始する!・・・のかと思いきや、僕が就職した先は、某専門学校ダンス科の講師でした。僕のアーティストとしての活動経歴と、以前からダンス指導を行っていたこともあり、他の専門学校の方から声をかけて頂いたのです。今後、音楽活動をしていくに当たって、ダンス講師というのは時間の融通がきく魅力的なものだったので、それならと選択した職業でした。

そうして、アーティスト活動を続けながら、ダンス講師を務め、1年が過ぎた頃、所属しているスクールの移転話が持ち上がり、“専門学校でMacを扱っていた智史になら、任せても大丈夫だろう”というスクール長の一言から、新たなオフィスでの事務の一切を僕に任せてもらえることになりました。二つ返事で承諾してしまったものの、WordやExcelの知識など持ち合わせているはずもなく、初めて扱うWindowsに僕はお手上げ状態。ですが、HPデザインやスクール広告のデザインなどなど、スクール長の期待はとても大きく、その期待に応えるのは当時の僕の力量では到底無理なことでした。

それが悔しくてたまらず、どうにかしてその期待に応えたい!という想いから、パソコン教室へ通うことに。しかし・・・どういった教室に通えば良いものか・・・、そう思った僕の頭にある光景が浮かんできました。それは、近頃妙にイキイキしてきた、母の姿。帳簿をつけるためにパソコン教室に通い始めた母の姿は、今までとは全く違うもので、とても楽しそうに見えました。そのことを母に尋ねると、母は延々と僕に語りだしたのです。現在通っている教室の分かりやすさ、授業料の安さ、そして何より講師の方の素晴らしさについて。母の話を聞いて、僕もそこに通うことに。そう、その教室が何を隠そう、僕の尊敬するBUNちゃん先生が経営する教室『わかるとできる』だったのです!ここで僕は、わかるとできるとの運命の出逢いを果たしました。

いざ、わかるとできるに通ってみると、楽しいの何のって!!『わかるとできる』には本当に沢山の魅力が詰まっていました。

~僕が感じた『わかるとできる』の魅力~

一.授業はDVDを用いたスタイルなので、自分の興味がある分野を重点的に学び、復習することができる
二.授業に出席できない日があっても、DVDスタイルなので、遅れをとることがない
三.BUNちゃん先生がDVD授業の合間に話す小話がとっても面白い
四.授業内容が夢と希望に溢れている

語っても語り尽くせないほどの魅力溢れる、わかるとできる。母をイキイキさせた理由はここにあったのだと確信しました。わかるとできるに通い、苦手だったはずが、いつの間にか大好きになっていたWindows。Word・Excelを使用した重要書類の作成や、スケジュール管理。Photoshopを使っての、CDジャケット・ライブチラシやポスターなどのデザイン。ブログ講座・ホームページビルダー講座で身につけた技術を活かして作成した、スクールHP・アーティストHPなどなど・・・わかるとできるで身についた技術は、即実践として活用できるものばかりだったので、学ぶ楽しさは倍増していくばかりでした!

母と同様、わかるとできるの魅力の虜になった僕は、空いている時間は教室に通いつめるようになりました。こうして、ダンス講師を務めながら、スクールの事務をこなし、アーティスト活動を行いながら、空いた時間は教室に通い始めて約1年が経過―――。寝る間も惜しんで働き続けた僕ですが、振り返ってみると、その年の年収は40万足らずでした。それもそのはず、収入を得られるものはダンス講師のみだったのですから。スクールからの報酬も多少はありましたが、生活の足しになるほどではありませんでした。

ですが、僕はそれでも充実した人生だと感じていたのです。講師として生徒と関わり合うことは非常に楽しいものでしたし、事務の仕事も、今までお世話になったスクール長への恩返しが出来るのだと思うと、この上ない喜びでした。そんな僕の気持ちとは裏腹に、収入が少ない僕に対して、家族の心配は膨らんでいく一方だったようで、見兼ねた母からは「夢を追うのも良いけれど、端くれながらも社会に出て働いているんだから、自分の衣食住くらい、自分自身で賄いなさい」と言われてしまう始末・・・。それならと、僕は今までの日課に、新聞配達を加えることにしました。

新聞配達が加わったことにより、さらに僕は壮絶な日常を送ることになります。毎朝3時半に起床し、2区間の新聞配達を終えた後、専門学校・高等学校でのダンス講師を務め、スクールでは事務行をこなし、空いた時間に教室へ通い、卒業制作に励む専門学校の生徒に付き合い徹夜し、そのまま一睡もせず翌日を迎え再び新聞配達へ・・・。息つく暇もないほど多忙な毎日の連続。将来が見えない不安定な職よりも、資格を取り、安定した職に就いてもらいたいと願う両親との衝突も絶えませんでした。

そうして、社会人3年目を迎えた頃には、年収は250万を越すほどになっていました。ダンス講師としても信頼を勝ち取り、アーティスト活動も充実。正に全てが“上り調子”。そんなとき、事件は突然起こりました―――・・・。
大きなコンサートを一週間後に控えたある日の練習中、僕はアクロバットの着地に失敗してしまったのです。腰に走った激痛。時間が経つほど増していく痛みに耐えきれず、病院に行った僕に、先生から告げたれた言葉は残酷なものでした。

「腰の骨が削れています。身体を酷使し過ぎたことが原因でしょう。これ以上は踊らないようにしてください。」ドクターストップ――――。少しずつ、少しずつ、積み重ねてきた無理に、身体は悲鳴をあげていました。それに僕は気付くことが出来なかったのです。コンサートは腰をかばいながら何とか乗り切ったものの、ダンス講師は辞めざるを得なくなりました。踊ることを生きがいとしていた僕は、これからどうやって生きていけば良いのか・・・大きな収入元、そして未来への希望すら、突然奪われてしまった僕は、目の前が真っ暗になりました。

どうすれば良いか悩む日々。自分が楽しいと思えるもの・・・今の僕に出来ること・・・そうやって必死で考える中、ある答えが浮かんできました。“音楽・映像編集技術を教えられないだろうか”僕は、それまで自分が出演するライブで使用する音楽、ライブなどで撮影した映像を、編集していました。それを仕事にすることは出来ないだろうかと考えたのです。

悩んでいる暇なんて僕にはありませんでした。思い立つと同時に、スクール長に相談し、紹介してもらった専門学校へ自分が編集したDVDなどを持って営業へ―――。スクール長の推薦ならと、面接もそこそこに採用してもらえることになりました。一度沈みかけた僕の心に、明るい光が差し込んだ瞬間でした。そこで僕は、MACを使用した音楽編集の授業と、Windowsを使用した映像編集の授業を受け持たせてもらえることに。しかし、現実は甘くはありませんでした。

本来、編集の講師というものは、現場の第一線で活躍なさっているプロの方が担当するもの。何の経験もない、ほぼ独学で得たような知識しか持ち合わせていない僕が講師を務めることに周囲の先生方から疑問の声も少なくありませんでした。その疑問は、やがて批判へと変わっていきました。
「ダンスしか能のないような小僧が、どうして急にパソコンを教え始めたんだ?!」
「あんなやつに、本当にパソコン講師が務まるのか?」
「ろくな技術も持ち合わせてないくせに・・・」

周りからの冷やかな視線―――。
確かに、僕には、現場での経験がない上、十分な知識もない。でも、授業を通じて、生徒一人一人に夢と希望を持ってもらいたい!という想いが僕にはありました。“BUNちゃん先生が、授業で夢の素晴らしさを教えてくれるように、僕も生徒に同じ感動を与えてあげたい! 何が出来なくともそれだけは成し遂げたい!” そう自分を奮い立たせる毎日。僕は全身全霊で毎回の指導に取り組みました。そのお陰か、“智史(さとし)先生の授業は楽しい!” “智史先生の授業だけは毎回欠かさず出席している!”そういった言葉をかけてくれる生徒が増え、そのことが僕の心の支えになりました。

そうして授業に励む中、今度は、パソコン講師の方からだけではなく、なぜかダンス講師からも誹謗中傷されるように・・・。
「あいつが編集する映像は最低なものだ、あいつになんか教わらない方がいい」
僕の生徒へ悪口を吹き込み、評価を下げ、やる気を削ごうとする。一度も僕の編集した映像を目にしたことがないような先生が、僕への妬みからとった卑劣な行動でした。

悔しい気持ち・・・やるせない気持ち・・・行き場をなくした僕の哀しみは限界にまで達していました。そんなとき、BUNちゃん先生の授業での一言が僕を救ってくれたのです。“正しいことをしているからこそ、たたかれるんだよ!雑音を気にするな!!”涙が出そうになりました・・・。まるで、今の僕に向けて言われたような言葉。哀しみでいっぱいだった心がスーと晴れ渡り、明日への希望を見出すことが出来ました。“よし!また明日から頑張ろう!!”

それからは、周りの評価など気にせず、ひたすら生徒のことだけを考え、授業を行いました。どうにか質の高い授業を行えないものかと考えた結果、わかるとできるで学んだPowerPointの技術を用いてはどうかと思い立ち、実践。大画面にソフトの操作法を映し出すことによって、大人数への指導が効率よく行えるようになり、生徒からも分かりやすいとの評価を得ることが出来ました。

進路に悩む生徒や、学校を休みがちな生徒がいれば相談に乗りました。また、生徒個人の趣味について語り合うこともありました。卒業制作に励む生徒とともに、徹夜することもありました。
―――少しずつ、少しずつ育んできた信頼関係―――
そうして迎えた卒業式。
「智史(さとし)先生と出会えたことに心から感謝します。いつか必ず恩返しします」
と、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、生徒たちは言ってくれました。

その生徒たちは、専門学校を卒業し、現在、映像関係の仕事に就いて頑張っています。この経験から、僕は”映像で一生食べていきたい”と思うようになり、現在の会社への就職を希望しました。“就職するなら、今は学歴より資格の時代だ”とBUNちゃん先生が授業で仰っておられたことを思い出し、資格取得を決意。『♪訛っている先生にハマってる』僕は、今までのように、空いた時間は教室に通いつめ、楽しく学んで、沢山の資格【P検3級・MicrosoftOffice・Expert (Excel) Specialist(Word・PowerPoint)】の取得に成功しました。その資格のお陰で、僕は現在の職に就くことができたのです。

こうして、上京し、働き始め、ようやく手にした初ボーナスで、家族にお寿司をご馳走しました。幼い頃、祖父がお客様をもてなす度に連れて行ってくれたお寿司屋さん。いつか必ず自分が家族を連れて行こうと決めていました。そのとき、祖父が涙を流して喜んでくれたことは、今でも忘れられない出来事です。

僕の人生の核にはいつも、わかるとできるが、BUNちゃん先生が存在しています。“BUNちゃん先生のお人柄”は本当に魅力的です!BUNちゃん先生の授業中のお話は、恋愛話から、企業話まで、多方面に渡って展開さるのですが、その一つ一つに、愛と勇気と希望が溢れており、聴いているだけで幸せになれたような、そんな気持ちになれます。また、その一つ一つを実行していくことで、本当に幸せを掴むことができるのです!僕はBUNちゃん先生の仰る大切なことは全て実行してきました。笑顔での挨拶や、感謝の気持ちを忘れないこと、愚痴はこぼさないこと、我慢は心の肥しなどなど・・・そうすることで、僕の人生はみるみるうちに明るく、より楽しく、充実したものになっていきました。僕はBUNちゃん先生の授業から、パソコン知識と共に、“人生”をも学ぶことができたのです。

わかるとできるとの出逢いが、そしてBUNちゃん先生との出逢いが、今の僕を築き上げてくれたと言っても過言ではありません。その素晴らしい人生に導いてくださったBUNちゃん先生へ、僕からありったけの感謝を込めて・・・。そういう気持ちから、わかるとできるのテーマソングは生まれました。

そんな僕の夢は、“いつの日かBUNちゃん先生と共に仕事をすること”。大きな夢に向かって、一日を大切に、一歩一歩確実に前に進んで行きたいと思います、“夢と希望”を胸に抱きながら・・・!!


高梨智史


2009 07 26 [] | 固定リンク

2007年3月24日 (土)

日本中、元気な中高年の起業家で埋め尽くしたい

中高年になるとなかなか就職しようにも就職先がない。しっかりしたコネクションがなければなかなか就職できないのが現実だ。経営者も中高年の方は指導しにくいのではないかと敬遠しがちで、未婚の若者を雇いたがる。しかし、この日本は世界屈指の高齢化国家になっていく。

僕は就職がダメなら起業していっぱい会社ができればイイと思っている。「わかるとできる」の教材では、起業家入門や実践ビジネス講座や確定申告講座、複式簿記講座など会社を作るには充分すぎるほどの体験教材が揃っている。これにパソコン知識を活かして起業してほしい。

散歩好きの方が集まってポスティングやティッシュ配布の会社を設立してもいいのではないか。散歩がてらにポスティングしてもいいだろう。車の販売会社を設立して請け負いで販売を引き受ければ、かつての部下がいる会社に出向いて販売することもできる。車だけでなく保険やマンションの販売でもいい。

料理好きの方が集まって日替わりオーナーレストランを開業しても面白い。その方のこだわりのメニューが食べられるのはとっても興味がある。手芸が好きな方が集まっていればネット販売請負会社を設立しても楽しいだろう。お料理好きの方がいれば出前専門店を開業するのも楽しいだろう。

リストラ、定年退職はひとつの起点だと僕は思う。仕事をしたいと思っている方には独立も楽しいものだと知っていただきたい。プチ起業は人脈も経験も豊富な方には素敵な選択肢になるだろう。「わかるとできる」で学んだ方が街で起業し、なくてはならない存在になっていってほしいと心から願っている。

2007 03 24 [] | 固定リンク

2007年2月 6日 (火)

ある教室長からのメール

BUNちゃん先生へ

私はインストラクター歴6年目の~と申します。さいたま市のわかるとできる~校が1月売上150万円達成し、当社3教室全体で1月過去最高の450万円の売上を記録しました。6年前、BUNちゃん先生の講義を聞いているうちにBUNちゃん先生の大ファンになりました。この仕事を楽しいと思って1年が過ぎようとした頃から、売上がどんどん低迷していき一緒に働いていたスタッフは「将来性がないことに不安」で辞めていきました。そして、その頃からオーナーも教室にほとんど姿を見せなくなっていました。

私は入社5年間に~校、~校の教室長をさせていただき、昨年の12月初めにオーナーから「~校の売上が低迷しているため教室を閉めることを考えたが、あなたが1月から~校に行ってくれるならば教室を閉めないでもう一度やってみたい。これまで頑張っていたことを~校でもやってくれたらもう少し結果もよくなるのではないかと思う。」というようなお話がありました。~校はインショップながら60万円くらいの売上しかありませんでした。

11月ごろ売上の低迷している副教室長から、「オーナーから、このままだと教室を閉めなくてはならないかも・・・と言われました。でもどうしたらいいのか?休会の生徒もどんどん増えているのです。」と、すごく落ち込んで電話をくれていたのです。教室思いのインストラクターなのに・・・どうして売上が低迷しているのか、とても気になっていました。「そんな教室閉めたほうが良いのでは?」と、冷たいことを言う人もいました。

私がその教室に行って何ができるのか、そんな不安から返事が出来ないでいました。そんな時オーナーは「あなたが行ってくれるなら何でもする。」と言ってくださり、どんな時も支えあってきたスタッフは「教室長がいつもやっていることをやれば大丈夫ですよ。」と励ましてくれました。

そして何気なく、わかるとできるオーナー会会長の萩原社長からいただいた今までのメールを読み返していたら「例えば、今ここに50センチ幅の線が引いてあったとします。その線からはみでることなく歩くのは簡単なことですが、線の外側が100メートルの高さの断崖絶壁であったなら、そんな簡単なことがたちまちできなくなります。「もし落ちたら死んでしまう」と考えるだけでたいていの人は足がすくんでしまうでしょう。

失敗を恐れる心は、「線の外が断崖絶壁である」と考えることとよく似ています。本来その人の能力を持ってすれば楽にこなせることでも、失敗を恐れたとたんにできなくなってしまうのです。むしろ失敗を楽しむ位の大きな気持ちで、物事に向かってみてはどうでしょうか。そのような心のありかたを保つことができれば、成功する可能性は高まります。」この内容が目に飛び込んできたのです。このメールをみた瞬間に私は教室再生を決意したのです。もう迷いも不安もどこかに飛んでいってしまい早くその教室に行ってなんとかしたい、と思いました。

昨年夏ごろの話しになりますが、実は私はその頃少し悩んでいました。6年来一緒に働いてきたスタッフが仕事を辞めたいと言っていたのです。そんな影響もあってか私自身、オーナーにこれから先就いていけるのか、また、家事との両立が出来ない自分自身にストレスがたまり、もう少し時間の短いパートにでも変えた方が良いのかなと考えたりしていました。同じ頃オーナーも、~校の売上が上がらないのは自分の指導力のなさが原因だと悩んでいました。

そして10月のBUNちゃん講演会でBUNちゃん先生が「仕事から帰って家事もこなしている」というお話をされていたのを聞いて、BUNちゃん先生のような超多忙な方でも家事をやるように努力しているなら、私だって仕事と家事を両立できるはずだと思えるようになったのです。この頃から、私は何に対しても「できない」のではなく「やらない」だけではなかったのかと思うようになっていました。
家事もできない、オーナーのことも就いていけない、教室もこれ以上繁栄できない、と半分あきらめかけていて、どうしたらよい方向に向くのかもっと真剣に考えるべきではないのかということに気がつきました。

萩原社長に教えていただいたとおり~校の生徒が増えないならば、休会・退会者をなくせば良い、本社スーパーバイザーの瀬下さんに、「この教室の立地条件はいいですよ」と教えていただき、販促の仕方に知恵を出して強化すればよい、家事は計画を立ててできるときと休む時を考えればよい、オーナーの理想像ばかり求めずにインストラクターとしての自分はどうだったのかを反省し、オーナーは孤独なのだから良いところを理解し、私たちスタッフが支えていけば良いのだという結論に至ったのです。当社のオーナーは、身体は大きいのですが口下手で涙もろくてすぐ悩み込むところがあるのです。

そんなふうに考えるようになってからは今まで以上に仕事が楽しくなっていきました。そしてこれまで目立った実績をあげることもできない良いインストラクターとはいえなかった私を使い続けてくださったオーナーや、埼玉まで足を運んでくださり研修をしてくださった本社の山口常務、いつも応援してくださっている萩原社長、瀬下さんにどうしても良い結果をだして喜んでいただきたいと思っていました。辞めたいと言っていたスタッフも戻ってきてくれました。昨年の10月頃のことでした。

業績の低迷している教室売上を上げるために1月までに私はまず何をしなければならないのかを考えました。今まで路面の教室の雰囲気に浸っていたので、インショップ用に頭を切り替える必要があると思い、瀬下さんにお願いしてIY赤羽校の見学に行かせていただきました。瀬下さんも長い時間一緒に同行してくださいました。そこでは月間250万円の売上を出している教室はどのように運営しているのかを学びました。

それから「わかるとできる成功マニュアル」を読み返しました。そこには答えが全部書いてありました。特に指導要言集(リーダー編)を何度も読み返しました。私はこれまでも自分だったらどんな上司の下で働きたいか、どんなインストラクターのいる教室に通いたいかを考えながらBUNちゃん先生が語るリーダー像に近づけるように頑張ってきました。とりあえず教室に行ってスタッフ一人一人と話をしよう、私を受け入れてくれなければ何を言っても聞く耳を持ってはもらえないと思いました。

業績が低迷している教室スタッフたちは、売上が伸びない、休会の生徒が増える、単価が高くなって入会が減った、ただ研修に行けといわれてもオーナーが何を言いたいのかよくわからない、100万円なんて無理だ、などさまざまな思いを抱えていました。売上が伸びなければ教室を閉めるしかないとオーナーに言われて自信を失くしていました。それでも皆この仕事が大好きで教室を何とかしたいという思いは持ってくれていました。私はそれぞれの素晴らしいところを見つけて褒めることに徹しました。

それから1月の売上目標(100万円)を立て、そのためにはどうすればよいか、なにを準備すればよいかをミーティングで話しました。売上目標の金額はいくらでも良かったのです。一つの目標に向かって気持ちを一つにすることが今、もっとも大切なことでした。書類関係も分担して各自に作成していただきました。曖昧だった教室規定も話し合いで改定しました。自分も仕事に関わっているという連帯意識が必要だと思いました。決まったものを与えられる、命令されるだけでは参加意識が薄れると思ったのです。

そして自信がない提案の仕方とテキスト一括販売については、スタッフ一人一人とロープレを行い、セールストークを確認し合いました。いよいよ1月が始まりました。私は1月の直接来校を一人も逃さないことが目標だと皆に話していたので、休まず毎日出勤しました。嬉しいことに年頭から直来が相次ぎました。対応がうまく行き入会になったら一緒に喜びました。毎日増えていく売上金額を見ては、「絶対100万円行くよ、100万円達成したら乾杯しようね。」と言い、励まし続けました。スタッフの気持ちが初めは本当に目標達成できるのかという思いから、もしかしたら達成できるかも・・に変わって行きました。

スタッフの顔がどんどん笑顔になって笑みがこみ上げてくるようになって来ました。この頃からこのスタッフにどうしても達成感を味わってもらいたいと思うようになっていました。教室スタッフが自信を持ち始め、対応している様子を見て本当に嬉しくなりました。1月の半ばに90万円台に達したところで急きょ中間ミーティングを行いました。もう一つの課題は新規の生徒さんをいかに長続きさせるかということにありました。新しい方が急にたくさん増えたのでサポートを強化していく必要があるため、サポート確認のためのミーティングをおこなったのです。そしてついに1月19日に目標の100万円を達成しました。

スタッフの口から「もっと上にいきたい」という言葉が出てきました。私はお金では買えない感動を味わいました。こんなに嬉しい気持ちになったのは初めてでした。去年12月、下を向いていた自信のないスタッフが、今年1月にはニコニコ笑って働いているのです。スタッフのひとりが「生き生き勉強している生徒さんが増えたね。」と言ったので、私は「それは働いている私たちスタッフが生き生きしているからよ。」と答えました。

このような感動を与えて下さった当社オーナーに感謝するとともに、私がその教室に行って思いっきり働けるようにと支え続けてくれた当社のスタッフの皆様、一番身近でいつもどんな時も私を支えてくれているIY~校の教室長(彼女と出会わなかったら私はここにいなかったと思います。)いつも応援してくださっている萩原社長、山口常務、瀬下さんに本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして、「わかるとできる」という素晴らしいパソコン教室を作られたBUNちゃん先生、本当にありがとうございます。BUNちゃん先生のような社長の下で働けることが本当に幸せです。私の人生は「わかるとできる」と出合って大きく変わりました。感謝の気持ちを素直に持てるようになりました。私を必要として下さるたくさんの人に出会うことができました。萩原社長が本当の幸福とは何か、それは自分を必要としてくれる人が自分の回りにたくさんいることなのだと教えてくださいました。

私の挑戦はまだまだ続きます。もっともっと素晴らしい教室、すばらしい会社にしたいと思っています。その時売上金額は勝手についてくると思います。BUNちゃん先生、見守っていてください。

平成19年2月4日

2007 02 06 [] | 固定リンク